デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
5節 外賓接待
15款 其他ノ外国人接待
■綱文

第39巻 p.242-247(DK390146k) ページ画像

大正12年4月14日(1923年)

是ヨリ先、ベルギー国実業団渡来セルニヨリ、栄一等発起シテ、是日歓迎会ヲ日本工業倶楽部ニ開ク。栄一発起人総代ナレドモ病気ノタメ出席スルヲ得ズ。後、十七日、栄一一行ヲ飛鳥山邸ニ招キテ茶会ヲ催シ、阪谷芳郎代リテ接待ス。


■資料

竜門雑誌 第四二〇号・第六一―六四頁大正一二年五月 ○白国実業団歓迎会(DK390146k-0001)
第39巻 p.242-245 ページ画像

竜門雑誌 第四二〇号・第六一―六四頁大正一二年五月
○白国実業団歓迎会 四月十四日午後七時丸の内日本工業倶楽部に於て、青淵先生発起人総代となりて今般来朝の白耳義実業団一行の歓迎会を催したるが、当夜の出席者は主賓団長カノン・ルグラン氏夫妻を始め一行十名、陪賓駐日白耳義大使夫妻、農商務・外務両省の高官、新聞社々長等三十余名。又た主人側は発起人青淵先生(不参)大倉男・三井男・森村男・浅野・団・井上・佐々木・木村・池田・串田・和田伊東・山科・杉原諸氏を始め、京浜の有力なる実業家百余名にして、宴デザートコースに入るや、大倉男青淵先生に代つて盃を挙げ、白国皇帝陛下の万歳を祝し(白国々歌奏楽)、次で白国大使盃を挙げ、日本皇帝陛下の万歳を祝し(君が代奏楽)、更に大倉男は青淵先生に代つて左の歓迎辞を述べ、之に対し団長カノン・ルグラン氏の懇篤なる左の答辞あり、満堂盛会裡に同十時散会せりと云ふ。因に青淵先生は微恙の為め出席せられざりき。
    歓迎の辞
 閣下並に諸君、今般白国実業団団長カノン、ルグラン君の御一行万里の波濤を渉り、我東京に来訪せられたるを迎へまして、我日本の銀行家・商業家・工業家は欣喜に堪へませぬ、因て同志相謀り、玆に歓迎会を開催したとところ、御一行の諸君には御旅行中御繁忙にも拘らず御光臨下されたことは、吾等の最も光栄とする所であります。
 △貴国と我国 との国交は数十年以前より終始渝らざるのでありまするが、此間貴国は農業・工業・商業等何れも非常なる発展を遂げられ、欧洲諸国中にあつて我国との貿易額は第三位の趨勢を示して居ります、欧洲大戦の結果として一時の頓挫を来したことは不得已次第でありますが、其回復に就きましては、貴国民の一致の努力と全国工業家の献身的勤勉とによりて、比較的短時日の間に諸事業の萎靡衰頽を挽回せられましたことは、吾等の感服に堪へざる所であります、而して其の復活の事情を我国に紹介せられ、其商工業界の当事者と相謀りて戦前の通商関係を回復するのみならず、猶一層之が進展を企図し進んで、両国の国交を更に敦厚ならしめんとする遠大の目的を以て、此度の実業団を組織せられた様に承知して、吾等は此目的に満腔の熱誠を以て御賛同申上るのであります、団長ルグ
 - 第39巻 p.243 -ページ画像 
ラン君は貴国に於て最も名誉ある工業家にして、今回特に白国工業中央協会並に
 △日白研究会 より推薦せられて団長になられた様に承ります。其他リーブレヒト君、アドリアン・アレー君、アングラン君、フエルナンド・ワアイス君、アンドレー・アベツツ君、ジヨルジ・ロシニヨール君、ド・カテールス君は何れも貴国錚々の誉ある第一流の実業家なりと承ります、又ポンチユス少将閣下は現にリエーヂユ砲兵第三旅団長の要職にあらせらるゝが、貴実業団の組織に関しては多大の御尽瘁と年来懐抱せらるゝ熱誠なる対日交誼と、且格段に東洋通にあらせらるゝ関係上、貴国政府に於ても特に此御一行に参加を御許容になつたことゝ承知して居ります、御一行は斯る第一流の権威ある諸君を以て組織され、而も我日本商工業界に実際従事の人々と会商して、通商の回復を促進し、将来の関係を一層密接にして、其国交を益々敦厚ならしめ、実業進歩の為に非常なる好影響を与へらるゝこと、堅く信じて疑ひませぬ、且貴国政府も民間も多大の望を属し
 △各新聞紙 は均しく商工業の新天地を開拓するに至大の功績を齎すことを期待する旨の記事を掲げられたと承り居ります。ブラツセル市駐箚の我が安達大使の通信によりますれば、貴国皇帝陛下より同大使に対し、貴実業団の旅行の目的を達成せんことを度々御話あらせられたことであります、故に吾等日本実業家は出来得る限りの便宜を図り、可成内容を開放して御視察の出来得る様勉むるつもりでありますから、此段御諒承あらんことを希望致します、只憾むらくは御滞留日数少なくして、充分観光の目的を御達しなさること難きにあらずやと憂るのであります。回顧すれば、私は一千八百六十七年今より五十七年前、徳川幕府時代に於て将軍の親弟たりし徳川民部大輔と称する少年に随従して貴国を訪問し、貴国皇帝レオポルト二世陛下に拝謁し、又リエーヂユの製鉄所其他各種の工場を参観して貴国商工業の進歩発達に驚きました、而して其少年公子が皇帝陛下に謁見の際、陛下が公子に訓示せられたる格言は、今尚ほ記憶に存して居ります、依て玆に其
 △大意を略言 すれば、我が民部公子が貴国のリエーヂユ製鉄所を参観したるを賞讃せられ、「凡そ国家にして多く鉄を産するものは必ず富み、又多く鉄を使用するものは必ず強し、故に一国の富強は単に鉄の生産と使用とに関係すると云ふも過言にあらざるなり、是を以て余は公子に忠告す、日本も将来此鉄の生産と使用とに深く力を尽されたきものなり、而して自国の製鉄業完全の域に達する迄は他国のものを使用せざるべからざれば、努めて白国の製鉄に依るを得策なりと思惟す」と、是蓋し一場の御閑談に出てられたるも、実に国家経済の真理たるを追想するに堪へぬのであります。因て私は此忘るゝ能はざる一事を以て、紀念とすべき今日の御歓迎の席に披瀝するを得るは、実に天幸として欣快に堪へぬのであります。今や春風駘蕩百花艶を競ふの好時季でありますから、一日たりとも時間の許す限り緩々観覧せられまして、十二分の愉快なる印象と有益な
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る記憶とを齎して御帰国あらんことを、吾等一同の希望する次第であります、玆に杯を挙げてルグラン君及び御一行並に来賓諸君の御健康を祝します。
    答辞
 閣下並に諸君、私は私自身並に私が率ゆる実業団全員を代表し、今夕私等を日本国内に完全なる設備を有する点に於て、諸君が誇りとするに足る所の壮麗なる日本工業倶楽部に御招待下され、鄭重なる御歓迎を下さる御懇情に対して、中心より御礼を申上ぐる次第であります。殊に今夕御来会の多数の名士諸君の内には、態々吾人を御迎へ下さる御誠意を以て、御遠方より御上京になられまして旅の御疲労も厭はず直に此の盛宴に臨まれた方々もありませう、私は満腔の謝意を玆に披瀝致します。貴国を訪問する為めには既に地球の半分以上を旅行しましたが、其れは貴国の優良なる船舶の便に依りましたので、航海中の疲労等は感じませんでした。吾人は我が同胞一般の誠意ある友情を諸君に御伝達し、且つ諸君と協力して、日白両国間の経済状態を具さに研究を遂げたい意志を有して居るのであります。此
 △工業倶楽部 の如き工業・商業・銀行業等、苟くも一国の富に必要な三素因を調和して出来上つた、有力なる機関を有する事は結構であります。之を一国の富に必要とする事実を、貴国は他の多くの国よりも善く理解せられたのであります。然して又吾人は既に貴国商業上の機関例へば東京商業会議所の如きものが、如何に設備完全にして斯界に優勢なるかを認めましたのであります。白耳義国民が風光明媚なる貴国に、深き同情を有する証拠として回想を願はねばならぬことは、曩年、二千年来の皇位の継承者たる貴国皇太子殿下が我が皇室御訪問に相成りました節、白耳義国民から受けさせられた熱狂的の御歓迎の模様であります、皇太子殿下の御通過になられました地方、殊に首都ブリユツセル、ルウバン、リエーヂユ等に於ける同胞が殿下を御迎へ申上げた模様は、到底忘るゝ能はざる印象として
 △吾人の記憶 に猶新たなる所であります。私は只今尊敬すべき会長渋沢子爵の御口より立派なる御演説を、言語に尽されざる興味を以て伺ひました。其内子爵が嘗て我先帝レオポール二世陛下に御面謁になられた当時の、最も感動すべき懐旧談を拝聴致しました、私は玆に一言日白両国間にそもそも経済関係の開始せられた当時の状態を御話し致しませう。夫は今より六十五年前即ち千八百五十八年白国上院議員中に一少壮議員が居りまして、大に議会に於て国民の海外渡航、特に日本国に渡りて事物の調査を必要なりとして熾に鼓吹致しました。当時の我が同胞中には神秘的の日本国を知る者は殆んど少数でありましたが、此の少壮議員は日本の状態を調査研究しまして、日白両国間に何等かの貿易の基礎となる可き問題を知悉せしめんものと考へられました。
 △此の提案者 たる少壮上院議員はブラバン公爵と称へられ、後にレオポール二世となられた先帝陛下であらせられたのであります、
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陛下は千八百六十八年当時江戸と称せられた東京に最初の代表者として領事を派遣せられました。玆に興味最も多き事は両国間に交際の開始せられた最初の舞台に列せられたる高官が、既に東西に二名健在して居らるゝ事実で、我が白耳義側に在りては明治維新の際に領事として渡来せられたる、安土府選出下院議員たりし「ストロース」其人で、日本国側にありては今夕の司会者にして尊敬すべき渋沢子爵其人であります。只今述べました如く、日白の関係は最早半世紀以上に及んで居りまして、決して最近の事実でありません。有史以来の大戦争でありました這般の戦乱は、両国の貿易関係を中絶せしめましたが、今や数年の眠りより醒めて玆に再び一大努力と熱心とを以て
 △親善の関係 を増進せしむるの時期が到来したことを信ずるのであります。私等一行がブリユツセルを出発するに際して、アルベール陛下に拝謁を賜はり、親しく一行の使命に対して御満足に思召さるゝ旨を伝へられました次第であります。今や春も闌にして各地に桜花咲乱れ、真に吾人を喜ばせるのであります。此の艶麗なる桜花の満開が両国の商工業関係の発展を保証する徴象たらんことを望む次第であります。閣下並に諸君、私は杯を上げて諸君の御健康を祝福し、両国親善の為に乾杯致します。


(増田明六)日誌 大正一二年(DK390146k-0002)
第39巻 p.245 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一二年 (増田正純氏所蔵)
四月十七日 火 曇
○上略
続て飛鳥山邸ニ至り子爵ニ拝眉、本日同邸ニ於て催さるゝ白耳義実業団招待茶会の準備ニ付き種々指揮を受けたる後、庭園に於ける設備を為し正午事務処に出勤す
自耳義実業団一行招待茶会は、先つ西ケ原高等蚕糸学校に一行を案内して養蚕操糸の情況を参観セしめたる後、三時半飛鳥山邸ニ誘引したる次第なるが、子爵ニハ去十三日来風邪加療中なるを以て洋館書斎ニ於て一行を迎へ簡単に挨拶セられたるのみにて、其外ハ阪谷男爵子爵に代ハりて接待セられたり、小生ハ事務堆積多忙の為め参列セさりしが渡辺・白石・井田・中野・戸塚の五人同邸ニ至り、男爵指揮の下に一行款待ニ努めたり
○下略


集会日時通知表 大正一二年(DK390146k-0003)
第39巻 p.245 ページ画像

集会日時通知表 大正一二年 (渋沢子爵家所蔵)
三月廿九日 木 午後二時―三時 白耳義大使ヲ御訪問(同大使館)
   ○中略。
三月卅一日 土 午前十時    白耳義商業団歓迎打合会(兜町)
   ○中略。
四月十一日 水 午後五時    東京市長催、白国実業団一行歓迎会(帝劇続テ東京会館)燕尾服本綬佩用

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(バッソンピエール)書翰 渋沢栄一宛一九二三年一一月三日(DK390146k-0004)
第39巻 p.246-247 ページ画像

(バッソンピエール)書翰 渋沢栄一宛一九二三年一一月三日
                    (渋沢子爵家所蔵)
              (別筆)
              使者を以て送呈せらる
AMBASSADE DE BELGIQUE
               Tokio 3 November, 1923
Dear Viscount Shibusawa:
  The short enclosed statement is a "résumé" of several cables and letters containing messages of sympathy which have reached me since September 1 from M. Canon-Legrand, General Pontus and other members of the Belgian mission which visited Japan last summer. I send it to you, as you are one of the Japanese gentlemen who kindly entertained the mission during their stay here.
  I take this opportunity to present you with a copy of an article written by me for a Belgian magazine concerning the histosy of our Embassy here, in the hope that it may interest you.
  I remain, dear Viscount Shibusawa,
               Yours sincerely,
               (Signed) Bsasompierre
(右訳文)
         (栄一鉛筆)
         十一月十五日一覧、相当之回答案取調可申事
 東京市            (十一月五日特使ニヨリ入手)
  渋沢子爵閣下
       白耳義大使(東京、一九二三年十一月三日)
                      バツソンピーア
拝啓
昨年夏、日本を訪問せる白耳義実業団員キヤンヨン・レグランド氏、ポンタス大将其他の人々より、今回の震災に関し貴国に対する同情の電報及手紙を小生宛送附越候に付、当時右一行の日本滞在中多大の御好意を寄せられたる閣下まで、別紙の通り右概略を移牒仕候
尚小生が当大使館の沿革につき、白国の雑誌の為に寄稿せる一文を、更に小冊子として印刷致候に付此機会を以て進呈仕候 以上
 〔註右印刷物は十七頁より成る写真挿入の仏文冊子に有之候〕
(欄外・別筆)
[回答済
(同封別紙)
                (別筆)
                十一月五日入手
 M. Canon-Legrand and the other members of the Belgian Industrial Mission who visited Japan last spring have begged the Belgian Ambassador to express on their behalf to all the Japanese Gentlemen with whom they came into contact and especially to those who so kindly entertained them during their stay, the deep emotion with which they learned of the
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terrible events of September 1.
  They desire to convey to these Japanese Gentlemen their sense of keen regret at the losses they have sustained and to assure them of their friendly sympathy and of their confidence that Japanese thrift and energy will tide over the almost insuperable difficulties of all kinds arising out of the cataclysm of September 1.
(右訳文)
九月一日、日本に可恐大震火災勃発せる由報道に接し、昨年夏日本を訪問せる白耳義実業団のキヤンヨン・レグランド氏其他の人々より、当時日本に於て面会せる人々、就中多大の好意を以て歓待せられたる人々に対し深厚の同情を表し度、此旨伝達方小官に依頼し越候
尚ほ右実業団一行は、日本の損害に対し多大の同情を寄すると同時に日本人は勤倹と努力とを以て此大災害より生すべき各種の難問題を解決せらるるを信じ、且深く之を期待するものなる旨申越候
右移牒申上候 以上
                  白国大使
                      バツソンピーア