デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

3章 国際親善
7節 其他ノ資料
4款 慶弔
■綱文

第40巻 p.549-550(DK400174k) ページ画像

大正12年1月12日(1923年)

是日、日本日曜学校協会主催、アメリカ合衆国人故ジョン・ワナメーカー記念追悼会、東京基督教青年会館ニ於テ挙行セラル。栄一出席シテ追悼演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一二年(DK400174k-0001)
第40巻 p.549-550 ページ画像

渋沢栄一日記  大正一二年        (渋沢子爵家所蔵)
 - 第40巻 p.550 -ページ画像 
一月十二日 曇 寒
○上略二時神田三登代町《(美土代)》ノ青年会館ニ抵リ、米人ジヨン・ワナメーカー氏ノ追悼会ニ出席シテ追悼演説ヲ為ス○下略
  ○演説筆記ヲ欠ク。


故ジョン・ワナメーカー氏記念追悼会次第書(DK400174k-0002)
第40巻 p.550 ページ画像

故ジョン・ワナメーカー氏記念追悼会次第書
                     (渋沢子爵家所蔵)
(表紙)

   時日 大正十二年一月十二日午後三時
   会場 東京青年会館社交室

  故ジヨン・ワナメーカー氏記念追悼会

                日本日曜学校協会

   順序
               司会 井深梶之助
讃美歌(二四九)          一同
聖書朗読              今村正一
祈祷                鵜飼猛
挨拶                井深梶之助
讃美歌(三三五)          一同
追悼之辞              斎藤惣一
同                 小崎弘道
同               子爵渋沢栄一
○下略


竜門雑誌 第四一六号・第六〇頁大正一二年一月 青淵先生とワナメーカー氏(DK400174k-0003)
第40巻 p.550 ページ画像

竜門雑誌  第四一六号・第六〇頁大正一二年一月
○青淵先生とワナメーカー氏 左は十二月十五日の中外商業新報に掲載せるものなり
 米国でデパートメント・ストアーの元祖と云ふべきジヨン・ワナメーカー君は死んだ△同君は渋沢子とは特に深い交誼のあつた人で、同子の胸間に長年お伴をして居る金時計も、嘗て渋沢子が実業団の団長として渡米した時に同君から贈られたものだと説明したら「成程古いと思つた」と合点が行く人があらう△渋沢子が昨年渡米した時もワナメーカー君は兄弟の様な親しさで歓迎したもので、同君の訃報を聞いたのは同子が其お礼に今年クリスマスの贈物をしようとしてゐた際だつたと云ふ△ワナメーカー君は費府に生れて、十四歳の時から本屋の配達ボーイとして苦労した人である。其後洋服屋の売子となり進んで友人と一緒に小商店を始めたのが大成功に発足した第一歩の道程であつた○下略
  ○尚、ジョン・ワナメーカーニ就イテハ、本資料第三十三巻所収「第三回米国行」大正四年十一月八日、大正五年一月十四日及ビ「第四回米国行」大正十年十一月七日ノ条参照。