デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
1節 儒教
4款 聖堂復興期成会
■綱文

第41巻 p.132-135(DK410044k) ページ画像

昭和5年5月24日(1930年)

是日、文部省ニ地方長官会議開カル。栄一出席シテ当会ヲ代表シ、各地方ニ於ケル寄付金募集ノ謝意ト今後ノ希望トヲ述ブ。


■資料

聖堂復興期成会書類(DK410044k-0001)
第41巻 p.132-133 ページ画像

聖堂復興期成会書類           (渋沢子爵家所蔵)
    臨時会報
予テ四月十五日開会ノ理事会ニ於テ御打合致置候通リ、愈地方長官会議モ去二十四日午後二時半ヨリ文部省ニ於テ開催相成タルヲ以テ、本
 - 第41巻 p.133 -ページ画像 
会ヨリハ会長出頭可相成筈ノ処、折悪ク徳川公爵静岡ニ出張セラレ、阪谷理事長亦已ミ難キ差支有之、特ニ副会長ヲ煩シタルニ渋沢子爵ハ午後四時半ヨリ地方長官各位ニ面接、過去ノ謝意ヲ表シ将来ノ希望ヲ御依嘱相成、又文部大臣及次官ヨリモ同断懇諭セラレ、広島・新潟等ノ諸県知事ヨリ意見ノ開陳アリ、次テ東京府知事ノ賛成演説アリ、文部上司ノ温キ御斡旋ト老子爵ノ尊容トガ彼是錯綜シテ懇談緊張シ、近来稀ニ見ル麗シキ場面ヲ呈シタルハ御同喜慶賀ノ至リニ有之、依之二十六日阪谷理事長親シク文部省ニ刺ヲ通シ、上司各位ニ前日ノ謝意ヲ表サレタリ
本会ヨリ福島・槙両理事随行セリ
次ニ東京有志諸君招待ノ議ニ関シテハ既ニ四月十五日決議ノ処、更ニ渋沢子爵ヨリモ御忠言ノ次第モ有之、是レカ実行方法ニ関シ昨二十九日午後三時ヨリ理事会ヲ開催セルニ、阪谷理事長外中川・成瀬・福島・槙四君出席セラレ、阪谷氏ヨリ財界ノ近況縷々開陳アリ、熟議ノ上九月頃地方ノ募集完結ヲ待チ、今一応理事会ヲ開キ良果ヲ得ヘキ旨決定セリ
右経過ノ次第御参考迄申上候
  昭和五年五月三十日
                   聖堂復興期成会 
    副会長 子爵渋沢栄一殿


集会日時通知表 昭和五年(DK410044k-0002)
第41巻 p.133 ページ画像

集会日時通知表 昭和五年         (渋沢子爵家所蔵)
五月二十四日 土 午後二時半―三時 文部省会議室地方長官会議ニ臨席(文部省)


聖堂復興期成会書類(DK410044k-0003)
第41巻 p.133-134 ページ画像

聖堂復興期成会書類 (渋沢子爵家所蔵)
  昭和五年七月三十一日
                   聖堂復興期成会 
   渋沢事務所
    白石喜太郎殿
拝啓、過日斯文会山本邦彦氏ヲ経テ渋沢子爵ヨリ御下命相成候本会寄附金調、並ニ収支計算書別紙差出候間、可然御取計被下度候 敬具
(別紙)
    寄附金一覧表       昭和五年七月三十一日
一金壱万円    御下賜金
一金壱百円    往年皇后陛下大成殿御下賜金東京博物館長ヨリ引継ヲ受ク
一金五万円              子爵 渋沢栄一
一金参千円                 内藤久寛
一金弐千五百円               矢野恒太
一金壱千五百円               福島甲子三
一金壱万円              公爵 徳川家達
一金参千円         財団法人竜門社
                  理事長 阪谷芳郎
一金五万円         三菱合資会社々長
                   男爵 岩崎小弥太
一金拾壱万六百六拾四円   財団法人斯文会々長
                   公爵 徳川家達
 - 第41巻 p.134 -ページ画像 
一金壱万円         古河合名会社々長
                   男爵 古河虎之助
一金五万円         三井合名会社々長
                   男爵 三井八郎右衛門
一金壱千円                 堀越角次郎
一金弐千円              伯爵 松平直亮
一金壱万円                 服部金太郎
一金壱万円                 根津嘉一郎
一金弐万円         合名会社大倉組代表
                   男爵 大倉喜七郎
一金五千円                 末延道成
一金壱千円         新潟県長岡市東千手町
                      神谷正治
一金弐万壱千九百八拾円八拾弐銭五厘 東京府千円未満・各学校・有志
一金六万参千八百九円九拾九銭五厘  地方  同上
 合計金四拾参万五千五百五拾四円八拾弐銭

    自大正十五年六月至昭和五年七月 聖堂復興期成会収支計算書
      収入
一寄附金収入額 金弐拾四万七百九拾六円八拾弐銭
    東京府  金拾七万六千参百弐拾壱円八拾弐銭五厘
  内
    地方   金六万四千四百七拾四円九拾九銭五厘
一雑収入    金壱万五千〇八拾八円拾弐銭
 合計     金弐拾五万五千八百八拾四円九拾四銭
      支出
一俸給及給与  金壱万五千九百五拾八円四拾弐銭
一地方派遣委員同上及旅費 金六千四百六拾九円六拾参銭
一関係官招待費 金壱千参百拾五円八拾九銭
一雑費     金壱万七百六拾七円六拾参銭
一斯文会ニテ支出ノ創業費 金五千六百七拾弐円七拾五銭
 合計     金四万壱百八拾四円参拾弐銭
 収支差引
   残金 弐拾壱万五千七百円六拾弐銭
      内訳
   第一銀行定期預金 拾四万八千七百七拾四円五拾弐銭
   三菱銀行 〃   五万弐千百拾四円参拾九銭(三菱寄附ノ分)
   古河銀行 〃   壱万四百七拾円四拾銭(古河寄附ノ分)
   第一銀行当座預金 参千百七拾八円弐拾六銭
   振替貯金     壱千百九円八拾参銭
   手元現金     五拾参円弐拾弐銭
          以上



〔参考〕斯文 第一二編第六号昭和五年六月 聖堂復興の声(DK410044k-0004)
第41巻 p.134-135 ページ画像

斯文 第一二編第六号昭和五年六月
    聖堂復興の声
去る三月廿四日、帝都復興祭に当り、
車駕親しく市中を御巡幸あそばされしことに就ては、帝国臣民誰かは聖恩の洪大なるに感泣せざるものあらんや。翌廿五日の東京朝日新聞紙上に特筆大書して、「湯島聖堂の御下問に驚歓」の題下に、「一木宮
 - 第41巻 p.135 -ページ画像 
相謹話」として左の記事あり。
 陛下には水道橋府立工芸学校を御出門、上野公園に差しかゝらせらるゝ御途次、壱岐坂を上らせられ、第十二号幹線街路より、湯島を経て第二十二号幹線にかゝらせらるゝと、
 陛下はお召自動車に御陪乗申してゐる鈴木侍従長に対し「湯島聖堂はどうしたか」と尊き御下問があり、
 陛下の帝都交通の御知識の深きに驚歓したとの事であります。
塩谷部長は、この記事を読んで恐懼措く所を知らず。既報の如くに、四月一日、福島会幹と相携へて、関屋宮内・中川文部の両次官、堀切東京市長を歴訪してそれぞれ陳情する所あり。更に八日には、部長親しく鈴木侍従長に面謁して、新聞記事の事実を確めたるに、侍従長は「その通りなり」と答へられ、さて襟を正して語らるゝ様は、
 車駕の恰も工芸学校を出でまして、本郷通りより、新築の昌平通りの方へ御曲りにならうとする時、若し聖堂が復興して居たら、見え相に思はれし地点にて、「湯島聖堂はどうしたか」との御下問に接しました。あまり突然のことゝて、自分は畏れながら、「聖堂の復興致しました事は、未だ承つて居りませぬ、多分バラツクのまゝで御座りませう」と御対へ申上げました。
部長は恐懼感激の至りに堪えず、「誠に難有き 御詞にて、微臣等蠡測の及ぶ所に非れども、畢竟帝都の復興は成るとも、肝腎な精魂が入らぬといふ 御趣旨に拝察し奉る」と申し上げし処、侍従長は更に語を続きて左の通り述べられたり。
 至尊には、予て御物聖像の御貸下げの事もあり、又既に壱万円の御下賜金もあり、平素より聖堂の復興に就いて軫念あらせられた処、偶々湯島附近を御通過になつたので、御下問のありしことゝ拝察し奉ります。誠に恐懼の至り、聖堂の速に復興せんことを切に祈ります。
是に於て部長は 聖旨の優渥なるに感泣して退出せり。抑々聖堂復興のことに就ては、別に聖堂復興期成会の在るありと雖も、本会も祭典部を設けて年々釈奠を厳修し、且つ聖堂の管理を委託され居る上は、亦責なしとせず、況や新に、総裁宮殿下を奉戴し、大に力を斯文の振興に尽しつゝあるに於てをや。蓋し聖堂を一日早く復興するは、一日早く叡慮を安じ奉り、又世道人心を維持する上に一日の益ある所以なり。本部は不取敢会員諸君並に朝野の名士に檄を飛ばして、聖堂復興に関する高見を徴し、これを「聖堂復興の声」と題して、毎号の誌上に連載し、以て復興計画の促進を謀り、期成会に応援する所あらんと欲す。切に希くは会員諸君の熱誠なる賛助を賜はり、奮つて玉稿を恵投せられんことを。
  昭和五年四月
                    斯文会編輯部