デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
4款 財団法人修養団
■綱文

第43巻 p.598-601(DK430130k) ページ画像

大正11年3月31日(1922年)

是日栄一、飛鳥山邸ニ来訪セル福島県耶麻郡翁島村当団支部員ニ訓話ヲナス。次イデ五月八日栄一、当団高工支部ニ於テ演説ス。


■資料

向上 第十六巻第四号・第一二―一三頁 大正一一年四月 渋沢顧問の訓話(DK430130k-0001)
第43巻 p.598-599 ページ画像

向上 第十六巻第四号・第一二―一三頁 大正一一年四月
    渋沢顧問の訓話
 本部訪問、明治神宮参拝、平博見学の目的を以て過般上京した福島県耶麻郡翁島村分団員十名は、三月三十一日渋沢顧問邸を訪れ、閣下よ
 - 第43巻 p.599 -ページ画像 
り約一時間に渡るお話を承はつた。
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 世の進歩に伴つて知識はますます旺んとなり、従つて一般教育も精神的方面を忽にし智的方面のみに重きを置くと云ふ傾向となり、之が結果として浮華軽佻の徒が次第に多くなるのも道理であつて実に嘆はしい事である。
 私は過般ワシントン会議の際、米国に在つて親しく彼国最近の人情風俗を観たが、此点は何と云つてもまだ日本の方が劣つて居ると感じられる。
 『走れば躓く、大事をとれば後れる』即ち退歩すると云ふ諺の通り物事に必ず一得一失があるもので、知識教育の必要も勿論であるけれども、それが為めに精神的方面の欠陥を生ずることは等しく考へる人の決して等閑に附し置けぬ大問題である。
 これを補はむとして蹶然起つたのが当時白面の一青年蓮沼門三君であつた、爾来十数年、私は全くその趣旨に共鳴し、陰に陽に援助をして来た。勿論将来とても大いに援助する覚悟である。
 云ふ迄もなく諸君は私どもと意を同うするが故に入団された事であらうが、然し修養団に入団したと云ふことは決して仏教の何々宗に入つたと云ふやうな意味では、全然間違つたことで、吾々の標語とする「流汗鍛錬」「同胞相愛」の二大生命は、之を換言すれば「親切」と「働くこと」との二つとなるので、この二つは共に実行を要求する。
 兎角人間は交際多方面に跨る時は相手方の都合よからむ事を思ひ、得て虚偽に趨り易いものである。けれども夫れは矢張りいけない、万般の事、場合を論ぜず真面目に虚偽なく進むべきであると思ふ。一時やかましく騒がれた文相の二枚舌の如きも之れで、内に確乎たる信念が無いからである。
 諸君、近来の政治家なるものを見たまへ、彼等の中の或者を見れば文相の罪尚軽しと云ひたい位な醜態を暴露して居るではないか、一体国民が代議士を選出する時は自己の最も信ずるに足るべき人に一票を投ずる筈である。
 然るに当選した代議士なるものは何れも一角の国士を以て任じて居るであらうけれど、其実、論ずるに値せぬ者も随分多いことは、慨嘆に堪へぬ次第ではないか。
 私は種々な点に於て諸君と異つた立場にある、而も尚呶々する所以は諸君の如き純真な青年の発奮を促し、現代社会の革正を希ふ心からに過ぎないのである。どうか其処に心を置いてしつかりやつてくれたまへ。
 日に夜に多忙を極めてをられる渋沢顧問が、我等の為めに長時間を割いて御訓話下さつたことは感謝に堪へない所である。
 八十余才で印度から支那に来て伝道した善無畏三蔵を思はせる渋沢顧問に青年の日永からんことを祈る。


青淵先生演説速記集(三) 自大正十一年四月至大正十三年二月 雨夜譚会本(DK430130k-0002)
第43巻 p.599-601 ページ画像

青淵先生演説速記集(三) 自大正十一年四月至大正十三年二月 雨夜譚会本
                   (財団法人竜門社所蔵)
 - 第43巻 p.600 -ページ画像 
    修養団高工支部ニ於ける講演(大正十一年五月八日)
 我が国に於ける維新以来の教育発達の変遷の模様を見るのに、先づ明治維新の初め頃は、教育とさへ云へば政治教育を意味して居たのである。即ち大政治家を養成すると云ふので、教師も学生も共に其の心算になつて居り、官吏になるのが唯一の目的だと云つて差支ない有様であつた。自分は明治六年の年から実業家として世に起ち、爾来、世の中の進歩に就てかくありたい、若くはかくあるべき筈と考へる事をば、これは自称先覚者かも知れないけれども、兎に角、自分では先覚者を以て任じて、意見を述べたり微力を尽したりして来たのである。
 そこで、維新当時の政治教育時代には、実業教育等は更に顧られる事がなく、殊に商業教育の如きビジネス・スクールに至つては、何等の注意を払はれなかつた。恁んな話がある。或る時、工科大学を出た人が東京府に奉職する事に定つてゐたが、其の人の従事する仕事が後には民業に移されて、会社組織になると聞くと、急に奉職を断りたいと云ふ。一体何うした訳かと云ふと、自分は元来水戸の人間であつて学に就くからには役人となり、そうして故郷に錦を飾りたい、民業に従ふ等とは自分の素志に反するからとの答である。此の一事を以てしても当時の青年学生の気風が察せられるではないか。
 明治維新は固より未曾有の大変革であつて、それからの我が国文物の発達は成る程、実に著しいもので、日本の小さい範囲から見れば得意の微笑を漏らしてもよいかも知れぬが、欧米のそれに比すれば今でも猶及ばぬ点が多々あり、明治十一・二年頃に於ては比較する所か其の足許にも及ばなかつたのであるが、漸く其の頃から実業教育にも次第に目覚めて来て、所謂科学的教育が起つて来た。それは将来国家の経済を如何にするかと云ふやうな事が、漸く大問題である事に其の頃から気付いたからである。
 現在の教育は、これを極端に云へば精神的方面に欠けてゐて知識のみに偏してゐる、知育・徳育と両々相俟つて立派な人格者が出来るのに只今の教育は知的方面にのみ傾いた教育を施してゐるが故に、何となく動揺し易い、堅実味を有しない人間を作るに至る所以であると考へられる。自身が四十二年に蓮沼君に初めて会つて以来、精神上に於ても将又、物質上に於ても出来得る限り力を尽してゐるのは、知育にのみ偏した現今の教育を受けてゐる青年諸君に、此の修養団の精神が与ふる糧の絶体的に必要なるを痛感した為であつて、今日只今に及んでも益々此の感を深くするの外ない。
 昔風の寺小屋式教育は其の根本が漢学であり、儒教の精神に基礎を置いたものであつて、今日の広い公平なる立場から見れば或は幾分か固陋・狷狭の誹があるかも知れない、また専門的の知識や技能は無いであらう。さり乍ら人間の節義・義侠に就ては充分知つてゐる。君に忠、親に孝、友に交るに信を以てするの道をばよく心得てゐた。
 然るに、発達した設備の行届いた現在の教育を受けた人に、昔の寺小屋で学問をした人達に優る信念を有する者が幾許あるか。仏教にもせよ、基督教にもせよ、家庭的永続的の信仰が果してあるか。倫理は何うか、修身の道は如何、かく考へる時に、語学とか数学とか或は地
 - 第43巻 p.601 -ページ画像 
理・歴史、曰く何、曰く何と知識はあるが、さて其の根本・基礎をなすものに何があるかと、疑はざるを得ない次第である。
 僅かばかりの黄金に依つて成功とか不成功とか云つて騒いだりするのは、苟も教育ある青年の不見識を示すものでなくて何であらう。今日の教育の全体が知育一天張の風習に染んでしまつてゐる。そして知育が進む程、それに伴ふ弊害を深く強くしてゐる。物事に対しても、自己を本位として無理に求める。踏み方の道理を措いて問はぬと云ふ有様、それで金でも得れば成功だと云つて収らうとする。経済を論ずる場合には道徳を顧みない。個人と個人との間が既に此の如し、国家と国家の関係また然りで、互に我意を張らうとして個人間には種々なる争ひを、国際間には戦乱を捲き起す事となる。
 戦争にしても文明が進み、武器が精巧になればなる程、其の惨禍が甚しくなる。例へて見れば、鼠や兎の戦ひならばたいした事もないがこれが獅子や虎が相争ふとなれば、争ひ其の物が第一物すごいのは当然で、被害の及ぶ所もまた決して同日の談ではないのである。
 これは何うしても、道理に依つて益を分つやうにならなければならぬ。然し今の所では完全な道徳が国際間に確立しないから、戦禍から全然逃れると云ふ事は及び難い。
 知識一方に偏して精神の伴はぬ教育、加ふるに今日の時勢を大観するに、厭ふべき忌むべき風潮が社会一般に瀰漫してゐる。政界を眺むれば我国現在の政党は、名は政党であるが只多数を頼んで自党さへよければ国家は何うでもよいと云ふやうな、頗る不真面目な政治家が多く、実業界には只管僥倖を待つて一攫千金を夢みる輩が少くない。何かの機会に依つて富を築くと所謂成金風を発揮して、身分を忘れて不相当な贅を尽す。
 現代が斯様な風の吹き荒ぶ時代である事を団民諸君はよく理解せよ而して緊褌一番、一層の決心を固めて、善化・美化運動に努力せねばならぬ。
 昨年、私があめりかを旅行した時に彼地の色々な方面の人物に多く接したが、大体、政治家・実業家・学者・宗教家の四方面の人達に分ける事が出来ると思ふ。私は中でも実業家に最も多く接する機会があつたのであるが、皆非常に真面目である。華府会議も先づ神に祈祷を捧げて会議を開き、会議を閉づるにも矢張り祈祷を以てした、これに徴しても真面目と云ふ点を察し得ると思ふ。中には拝金宗の人もあるにはあるけれども、多くの人々に接し、且近寄つて、よく観察して見ると仁義道徳の文字は無いにしても、其の精神に至つては確かにこれを掴んでゐるのに気が著いた。これは多くは宗教方面から来てゐると思ふのである。
 威武も屈する能はず、貧賤も移す能はず、国家社会に対して堅い信念を有ち、世間一般の悪風潮の間に起つても毅然たる態度を保つやうに希望したい。これは修養団員の権利であると同時に義務でなければならぬ。