デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

4章 道徳・宗教
5節 修養団体
6款 財団法人清明会
■綱文

第44巻 p.66-70(DK440023k) ページ画像

大正13年10月3日(1924年)

是日、日本工業倶楽部ニ於テ、清明文庫設立披露会開カル。栄一出席「海舟先生ヲ憶フ」ト題シテ演説ヲナス。


■資料

集会日時通知表 大正一三年(DK440023k-0001)
第44巻 p.66 ページ画像

集会日時通知表  大正一三年       (渋沢子爵家所蔵)
十月三日 金 午後四時 清明文庫設立披露会(於日本工業倶楽部)


竜門雑誌 第四三四号・第八五頁 大正一三年一一月 青淵先生動静大要(DK440023k-0002)
第44巻 p.66 ページ画像

竜門雑誌  第四三四号・第八五頁 大正一三年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
三日 清明文庫設立披露会(日本工業倶楽部)に出席


財団法人清明会昭和六年事業報告書 謄写版(DK440023k-0003)
第44巻 p.66 ページ画像

財団法人清明会昭和六年事業報告書 謄写版
                    (渋沢子爵家所蔵)
 ○第一章 処務要項
    第二節 顧問子爵渋沢栄一君薨去
顧問子爵渋沢栄一君ハ十一月十一日病ノ為メ薨去セラル、同君ハ大正十三年本会ニ於テ勝海舟先生遺蹟保存清明文庫設立計画ノ当初ヨリ、顧問トシテ同事業ニ参画セラレ、同年十月二日日本工業倶楽部《(三カ)》ニ於テ設立計画発表ノ際ハ「海舟先生ヲ憶フ」ノ題下ニ雄弁ヲ揮ハレテ設立趣旨ヲ宣伝セラレ、或ハ同年十一月十日伯爵松平直亮君ト連名ニテ、志士仁人ニ寄附金勧募ノ書面ヲ発シ、以テ資金ノ募集ヲ行ハレ、或ハ昭和二年六月三十日清明文庫工事現場ニ臨マレ従業員ヲ督励セラレタル等、幾多ノ助力ヲ与ヘラレ、同文庫ノ工事ヲ迅速ニ完成セシメラレタルハ本会ノ大ニ感謝スル所ニシテ、今ヤ国家多事多難ノ秋同君ノ如キ人格高潔ニシテ練達堪能ノ仁人ヲ失ヘルハ、国家ノ為メ誠ニ痛惜措ク能ハサル所ナリ


諸会発起趣意書(一) 【清明文庫設立計画発表ノ件】(DK440023k-0004)
第44巻 p.66-67 ページ画像

諸会発起趣意書(一)           (渋沢子爵家所蔵)
    清明文庫設立計画発表ノ件
      其一、設立計画披露会
設立計画披露会ヲ左ノ如ク開催ス
 一、日時 大正十三年九月二十七日(土曜)午後二時
 一、会場 丸ノ内日本工業倶楽部
 一、招待スヘキ人々
    清明会賛成者    勝伯爵関係者
    徳川家一門     大名華族ノ重モナル者
 - 第44巻 p.67 -ページ画像 
    文政審議会議員   帝国経済会議員
    東京府会議員    東京市会議員
    内閣総理大臣    内務大臣
    文部大臣      内閣書記官長
    法制局長官     内務次官
    文部次官      社会局長官
    社会局第二部長   普通学務局長
    宗教局長      警視総監
    東京府知事     東京府内務部長
    東京市長      東京市各助役
    東京市各区長    荏原郡長
    荏原郡各町村長   大森警察署長
    池上本門寺住職   堀ノ内妙法寺住職
    新聞通信社々長   教化団体代表者
    図書館協会代表者  東京市内ニ在ル図書館長
    東京府下ニ在ル重モナル銀行会社代表者
    其他篤志ノ実業家
 一、講話
    子爵渋沢栄一君 徳富猪一郎君
      其二、印刷物送付
大正十三年十月一日付ヲ以テ、設立趣意及計画要領ヲ篤志者ニ送付シテ、清明文庫設立ノ賛同ヲ求ム
      其三、講演者
大正十三年十月上旬ヨリ同年十一月下旬迄ノ間ニ、東京市内ニ於テ、設立趣意宣伝ノ講演会ヲ数回開催シテ、清明文庫設立計画ノ声ヲ大ナラシム
   招待スヘキ人々(追加)
  枢密院顧問官
  貴族院議長・副議長
  衆議院議長・副議長
  東京府選出衆議院議員
  帝国学士院会員
  帝国美術院会員
  官私大学長及専門学校長
  商業会議所議員
  工業倶楽部評議員
  銀行倶楽部評議員
  ○右披露会ハ前掲「集会日時通知表」ニアル如ク、十月三日ニ延期サル。


清明文庫設立と信仰の体験 宮原六郎述 第一五―一八頁 昭和八年一一月刊(DK440023k-0005)
第44巻 p.67-68 ページ画像

清明文庫設立と信仰の体験 宮原六郎述  第一五―一八頁 昭和八年一一月刊
    三、清明文庫設立の根本精神
 清明文庫の事業に顕れた相は勝海舟先生の遺蹟保存でありまして、其の設立の趣旨は江戸開城の記念であります。江戸開城の平和に行はれましたことは、種々なる功徳がある、若し開城が円満に行はれなか
 - 第44巻 p.68 -ページ画像 
つた場合には江戸は焼野原となり、大正十二年の大震火災以上であつたらうと思ひます。計画して焼くのであるから、山の手の方まで焼いてしまつたでありませう。大正十二年の震災よりも、もつと惨憺たる非常な情況になつたでありませう。さうすれば無論帝都とはならなかつたのである。今日大東京になつたといつて一昨日あたり大いに騒いで居りましたけれども、あれはあの時江戸が焼けなかつたおかげであります。若し焼けたならば帝都にはならなかつた。随て勿論大東京になることも出来ませぬ。それ故に大東京になつたといふことは、江戸開城が円満に行はれたおかげであるといふことを考へなければならぬ所が江戸開城を考へなくして、唯大東京になつたといふのでお祭騒ぎをすることは、本末を顛倒して居ることゝ思ひます。若しあの時焼けましたならば、江戸の復興は容易ではなかつた。大正十二年の大震災の復興はまだ出来ない、表面は出来て居りますけれども、本当の復興はまだ出来ない。それが明治初年でありましたならば、尚ほ容易ではない、或は十年十五年もかゝつたでありませう。兎に角江戸は政治の中心であつたのでありますから、全国に影響があつたらうと思ひますさうしたならば明治維新の大業は随分困難であつたであらうと思ふ。それから若しあの場合に内乱が始りましたならば、英国は薩長を援助し、仏蘭西は幕府を援助して、外国干渉になつたかも知れませぬ。それからもう一つは日本の国体を傷付けることであります。これに重点を置きて本事業を計画したのでございます。若しあの場合に薩長と幕府とが戦をしたならば、薩長は形の上で皇室を戴いて居りましたからつまり幕府は朝廷を敵として戦つたことになり、さうしたならば徳川慶喜公は水戸黄門の子孫であるから、大日本史の権威も傷付いた訳であらうと思ひます。幸にして江戸開城がさういふことなくして済んだといふことは、実に有り難い訳であります。其のことが私共は欣びに堪へないで、江戸開城の記念として清明文庫を作ることになつた訳である、それが清明文庫設立の趣意であります。而して将軍政治・武門政治を廃止するといふことは、吾等の信仰して居る日蓮聖人が、六百七十余年前に身命を賭して主張せられたことであります、立正安国論の一面の理由はそれであります。清明文庫設立の根本精神は立正安国の道場、法を知り国を思ふの道場、法と国と冥合するの道場を建立して、法華経の大精神を活現することであります。それが根本精神である、其の根本精神があるからして、私は身命を賭して此の事業に精進することが出来た所以であります。若し真に立正安国の道場、知法思国の道場、法国冥合の道場を作るといふ精神が欠けて居つたならば、こんな困難をして遺り遂げることは出来なかつた。玆に根本精神を置いてある、将軍政治の廃止、武門政治の廃止といふことは、既に六百七十余年前に日蓮聖人が強く主張した問題である。そうして六十余年前に此の問題を清算した人々は勝海舟先生である、そうして又六十余年後にそのことを記念する事業をやつたといふことは私として非常に愉快である、玆に欣びが常に燃ゆるが如き状態となつて来て居ります


清明会要覧 同会編 第三三―三五頁 昭和四年三月刊(DK440023k-0006)
第44巻 p.68-70 ページ画像

清明会要覧 同会編 第三三―三五頁 昭和四年三月刊
 - 第44巻 p.69 -ページ画像 
     十三節 清明文庫設立趣意
 本会は江戸開城六十周年記念の為め、帝都郊外洗足池畔に勝海舟先生遺蹟保存清明文庫設立を計画せるが、其趣意左の如し
      設立趣意
 江戸開城は王政復古の大業を完成せる要件なり、若し其の開城にして円満に行はれず、官幕両軍兵火を交ゆるに到りしならば、江戸八百八街は忽ち焦土と化し、五十余年前に於て、昨秋九月の大震火災以上の惨害を見るべく、延いては内乱を惹起し国内の人心動揺せば、仏国は幕府に左袒し英国は薩長を援助し、外国干渉の端緒を開き、皇国の隆替に関する重大なる危機に瀕するに到りしやも亦知るべからず、今にして之を思ふも猶慄然たらざるを得ざるなり。
 此の重大なる時機に際し、江戸城攻撃開始予定の前日たる慶応四年三月十四日、勝海舟・西郷南洲両雄の意気相投じ肝胆相照したる会見に依り、官幕両軍の接戦を未発に止め、平和の間に其の開城を了したるは、江戸住民の幸福たりしは固より言を俟たず、我が帝国興隆の第一歩に一大慶福を与へられたるものなり。
 今や我が国民は、内は帝都復興の緊急なる状態を顧み、外は国際関係の重大なる結果に鑑み、大に奮起を要する秋に方り、五十余年前に於ける江戸開城の当時を回想せば、誰か勝・西郷両雄の私心を去りて国家を憂慮せる至誠に対し大に感激せざる者あらん。
 且夫れ最近数年来、世道人心は頽廃し、国民思想は動揺し、国民精神作興を要すること今より急なるは無きの時機に際し、勝・西郷両雄の如き、公明正大一点私心なく、功名富貴を超越して国家の重を以て自ら任ぜる、大偉人の精神と人格とを国民の直面に展開して活躍せしむるは、国民教化の為に一大権威たるを得べし。
 此秋に方り伯爵勝精君は、海舟先生遺愛洗足軒及其の移転地に充当すべく、海舟先生の墓並に西郷南洲先生を祀りたる留魂祠の所在に隣接する土地を、国民精神作興に活用する目的を以て本会に寄贈せられたり。
 本会は其の寄贈を受け、一面之を永久に保存するの途を講じ、一面其の活用を一層有効ならしめんが為に、教化機関を設置すべく、洗足軒を中枢とする清明文庫を設立し、国民精神涵養に資すべき、図書を蒐集して、公衆の閲覧に供し、且附属講堂を設け倫理・哲学・宗教・国史・国法等の講座を開設して、求道者又は篤学者に研究と修養との機会を与ふる施設を為し、以て教化の淵源を究むる道場たらしめんと欲す。
 以上の趣旨を実現すべく計画せる事業費の予算は、左に記載するが如し。幸に大方の賛助に依りて之を完成するを得ば、独り本会の光栄たるに止らず、国民精神の作興に資し、国家興隆の一助たらしむるを得べし、本会は今や内外多事の時局に際し、道を求め国を愛する志士仁人の本事業に賛同せられ、深厚なる援助を給はらんこと冀ふ。
  大正十三年九月一日
  ○事業費予算ハ「清明会要覧」ニ記載ナシ。大正十三年九月一日付ノリーフレット「勝海舟先生遺蹟保存、清明文庫事業資金勧募」(渋沢子爵家所蔵)
 - 第44巻 p.70 -ページ画像 
ニヨレバ、設立資金五万円、維持資金五万円、合計十万円ナリ。