デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

5章 教育
4節 教育行政関係
1款 教育調査会
■綱文

第46巻 p.283-290(DK460085k) ページ画像

大正4年7月9日(1915年)

是日、文部大臣官邸ニ於テ、当調査会総会開催セラル。栄一出席シテ、菊池大麓提出ノ大学制度改革案ニ対シ賛成ノ意見ヲ述ブ。十九日、当調査会総会ニ於テ、該案可決セラル。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK460085k-0001)
第46巻 p.283 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
七月九日 晴
○上略 二時文部大臣官舎ニ開カルヽ教育調査会ニ出席ス、五時散会○下略


竜門雑誌 第三二六号・第七三頁 大正四年七月 教育調査会総会(DK460085k-0002)
第46巻 p.283 ページ画像

竜門雑誌  第三二六号・第七三頁 大正四年七月
○教育調査会総会 教育調査会に於ては七月九日午後二時より文相官邸に於て総会を開きて、朝野の注目を惹ける大学校令案に関する討議を為したり、劈頭三土忠造氏は委員案を主張して菊池案に反対したり玆に於て菊池案の賛成者たる青淵先生は起ちて、菊池案を維持して
 現在の大学教育年限は如何にも長きに失し、卒業後社会に於て活動する年限の乏しきは甚だ遺憾とする所なれば、菊池案に賛せん
と主張し、次いで岡田良平氏・小松原英太郎氏の委員会案賛成、鵜沢総明氏の菊池案賛成、山川健次郎氏の現制度維持説ありて採決するに至らず、午後五時半散会せり、越えて十二日午後二時より第二回総会を開きて引続き討議したれども、議容易に決せず、次回は十五日午後二時と決定し散会せり(七月十五日稿)


渋沢栄一 日記 大正四年(DK460085k-0003)
第46巻 p.283 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
七月十一日 曇
午前八時半起床○中略 成瀬仁蔵氏来リ、教育調査会ノ事ヲ談ス○下略


中外商業新報 第一〇四九七号 大正四年七月一〇日 ○教育調査会総会(DK460085k-0004)
第46巻 p.283 ページ画像

中外商業新報  第一〇四九七号 大正四年七月一〇日
    ○教育調査会総会
文部省教育調査総会は九日午後二時より文相官邸に開会、加藤・一木の正副総裁以下二十二名出席、前会に引続き学制案につき、三土・岡田・小松原三委員は江木案の賛成的説明に次で、渋沢・鵜沢両委員は菊池案賛成説明、並に山川委員の現状維持説提議されたるも、何等決定する処なく、午後五時半散会したり、因に次回は来十二日午後二時より開会すべしと


渋沢栄一 日記 大正四年(DK460085k-0005)
第46巻 p.283-284 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
七月十二日 晴
 - 第46巻 p.284 -ページ画像 
○上略 午飧後教育調査会ノ為メ文部大臣官舎ニ抵リ、種々ノ討論アリ、午後六時過散会、帰宿ス○下略


集会日時通知表 大正四年(DK460085k-0006)
第46巻 p.284 ページ画像

集会日時通知表  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
七月十二日 月 午後一時 教育調査会(文部大臣官邸)


中外商業新報 第一〇四九九号 大正四年七月一二日 ○我学芸大学案 菊池大麓男談(DK460085k-0007)
第46巻 p.284 ページ画像

中外商業新報  第一〇四九九号 大正四年七月一二日
    ○我学芸大学案
      菊池大麓男談
教育調査会の問題となり居る我菊池案は前の学芸大学案と大差無し、所謂
△学芸大学案骨子 は如左
 (一)商業学校は之を廃止すること(二)当分の内中学校は一箇年の補修科を置くこと(此補修科は近々中学校の完備を待て廃すべき希望)(三)中学本科又は補修科より進入する学校は総て大学校(コレツジ)と称し、其卒業生には学士の称号を許可すること(四)大学校の修業年限は四年とすること(五)別に大学院を設け年限を定めず各専門の学科の研究をなさしむること
○下略


中外商業新報 第一〇五〇〇号 大正四年七月一三日 ○教育調査会 菊池案賛成多数 結局妥協交渉か(DK460085k-0008)
第46巻 p.284 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇〇号 大正四年七月一三日
    ○教育調査会
      菊池案賛成多数
      結局妥協交渉か
十二日午後二時文相官邸に開会、加藤・一木正副総裁以下二十七名出席、先づ高木兼寛男は学年短縮は氏が二十年来の主張たる事を述べ、人生三十にして漸く学校生活を終ふるが如きは修学の為めに人間の活動期を逸するものなれば、学年短縮を行ふの急務なる所以を主張して菊池案賛成の意見を開陳し、次て鎌田・嘉納・関・成瀬・箕浦の諸氏も高木男と大同小異の理由を以て菊池案に賛成し、大島陸軍次官は特別委員会案及び菊池案の双方に対し一部の反対意見を述べたるが、其大要は、中学年限短縮の非なる事及学年の短縮如何よりも先づ教育目的を達する適当の考案を本として学年短縮の余地あらば之を短縮す可しと説き、更に次回を来十五日午後二時開会の事に決して五時四十分散会したるが、散会後小松原・菊池・鎌田・桑田・三土等の諸氏は一木文相と協議する所あり、多分委員会の多数は菊池案賛成者なる為め文相より妥協交渉を申込たるものと察せらる


渋沢栄一 日記 大正四年(DK460085k-0009)
第46巻 p.284-285 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
七月十四日 晴
○上略 午前八時早稲田大隈伯ヲ訪ヘ、高田・成瀬二氏ト共ニ教育調査会ニ関スル意見ヲ陳述ス○下略
七月十五日 晴
○上略 午後二時ヨリ教育調査会ニ出席ス、会員中議論紛出ス、決議ニ至
 - 第46巻 p.285 -ページ画像 
ラスシテ散会ス、午後五時半散会○下略


集会日時通知表 大正四年(DK460085k-0010)
第46巻 p.285 ページ画像

集会日時通知表  大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
七月十五日 木 午後二時 教育調査会(文部大臣官邸)


中外商業新報 第一〇五〇三号 大正四年七月一六日 ○教育調査会 文相の懇請にて 採決次会迄保留(DK460085k-0011)
第46巻 p.285 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇三号 大正四年七月一六日
    ○教育調査会
      文相の懇請にて
      採決次会迄保留
教育調査総会は十五日午後一時半文相官邸に開かれ、加藤総裁・一木副総裁を始めとして、江木・辻・九鬼・改野の四委員を除く外全部出席、開会に先ちて中村少尉より青島中央砲台攻撃の実戦講話を聴取し引続き二時半より会議を開き先づ花井氏の質問に始まる、氏は一木文相に対し、新聞紙の伝ふる所に依れば文相は菊池案及委員会案の双方に対して不同意との事なるが、若し然りとすれば吾々が玆に決議を以て決するも之を採用せざるの意なりや如何と質し、一木文相は決して左様の意思に非ず、本会調査の結果に俟て決定せんと欲する所なれども、唯之が決定前に於て自己の意見を述べ置くを便宜と存じたるに由ると答へ、更に花井氏の質問に対して、現在大学の収容力、大学・高等学校・中小学校等の経費等に付、一木文相及福原次官より答弁する所ありて、花井氏は更に、渋沢男・手島高等工業学校々長、大島陸軍次官及豊川氏・高木男等に対し、実業界其他専門的部面にて如何なる修学程度の青年を要望し居るやと尋ね各之に対して答ふる所あり、是に於て花井氏は各専門家の答弁を材料として年限短縮の必要なる意見を論述し、次で山川博士より菊池案及び過日鵜沢博士の述べたる意見に対して反駁する所あり、菊池男・鵜沢博士は又之に対して弁駁する所ありしが、山川博士は元来菊池案提出者及び賛成者の間には常識養成説と専門的学力養成説とありて統一する所なしと信ぜらるゝが、現在の帝国大学は如何に処分せらるゝ所存なりやと反問し、菊池男は帝国大学の処分如何は玆に論議せず他日に譲るを可とすと弁じ、尚ほ両博士の間に痛烈なる論争ありて、略議論も尽きたれば各案に対して、採決に入らんとせしも、一木文部大臣より今一応懇談委員に付託しては如何と提議し、高田氏は更に懇談委員に附託したり迚到底調和困難なりと信ずるも、大臣の意見となれば賛成せんと述べ、関氏は最早此上特別委員会を開くの必要なしと反対し、花井氏は兎も角即時仮決議を為し置きたる上懇談委員会を開きては如何と提議したるも、結局十九日今一回総会を開催する事に決して六時半散会したるが、次回に於ては特別委員会を開くことなく決定せらる可き情勢なりき


中外商業新報 第一〇五〇三号 大正四年七月一六日 菊池案の骨抜 妥協の結果か(DK460085k-0012)
第46巻 p.285-286 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇三号 大正四年七月一六日
    ○菊池案の骨抜
      妥協の結果か
教育調査会に於て審議中の教育制度も今一回の総会を経て決定せらるべき形勢なるが、其結果は世間にて期待せられたる如く根本的のもの
 - 第46巻 p.286 -ページ画像 
に非ずして、又々竜頭蛇尾に終んとするの形勢になり、従来伝へられたる所謂菊池案の骨子なるものは、官公私立大学の修業年限を四箇年とし、中学卒業者をして直ちに入学せしむるの制度とし、而して大学を卒業したる者には学士号を授与し、一般社会の要望に適せしむるの目的なるも、更に進んで専門学の薀奥を極めんとする者に対しては最高学府として大学院を置き、自由研究を為さしむ可しと云ふに在りしが、調査会に於ては、中学卒業後四箇年の修業年限を有するものを以て大学とする其第一条を先決問題として決定するの方針を採りて今日まで審議せられたる由なるが、第二条以下即ち各大学の上に大学院研究所設置云々の件は今日まで未だ多く論議とせられざる所なるに、過日来文部省は菊池案及委員会案の提議者及賛成者との間に妥協交渉運動を試みつゝありし為めか否か、菊池案の維持者の間にも第一条の規定を可決すれば二条以下は文部当局の措置に一任せんとの意見を洩らすに至れり、現に高田氏の如きは菊池案の草案者なりと称せられつゝあるに係らず、第一条の四年大学説は大学資格の最下程度なるが故に各大学は此条件を充たし得る以上各自共修業年限を五年、七年とするも差支なく、又帝国大学の如き文部省に於て之を現在の儘存置するも或は他の普通大学と同一程度のものとするも問ふ所にあらずと語れり要するに今回の改正は単に大学予備修業の短縮と見る可く、官私立大学の関係は依然たる可しと察せらる


中外商業新報 第一〇五〇四号 大正四年七月一七日 ○学制案と政友 大体菊池案賛成(DK460085k-0013)
第46巻 p.286 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇四号 大正四年七月一七日
    ○学制案と政友
      大体菊池案賛成
目下文部省教育調査会に於て審議中なる学制改革問題に就ては、政友会側委員中江原素六・鵜沢総明の両氏は菊池案に賛成し、独り三土忠造氏は委員会案に左担し居れり、従て本問題に対するも政友会の意嚮も区々として一定せず、所謂菊池案を以て時代の要求に適合せるものとなして之を歓迎するものあり、又一方には菊池案実行の成績を危虞して所謂委員会案の肩を持つものもあれ共、大勢は菊池案に傾けるの観あり、兎に角本問題の如きは帝国教育制度の根本義に関する重要問題なれば、政務調査会の議題として充分慎重に実際上の利害得失を研究したる上、政友会としての意見を決定する方針にて、十七日の文部部会には主として本問題の調査を為す筈なり


中外商業新報 第一〇五〇五号 大正四年七月一八日 ○菊池案の運命 官学一派暗中飛躍(DK460085k-0014)
第46巻 p.286-287 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇五号 大正四年七月一八日
    ○菊池案の運命
      官学一派暗中飛躍
教育調査会の大勢は菊池案に可にして、同案は十九日の総会に於て約三分の二以上の大多数を以て可決さるべしと観測せられ居れり、蓋し同案の骨子は「中学より直に大学に接続し、其修業年限を四ケ年以上となす」にあるを以て、同案の実行は即ち民間の輿望たる就学年限の短縮が実現さるゝ訳なれども、文相及官学派に属する委員は年限短縮を喜ばず、極力菊池案の排斥を期し居るが故に、十九日総会開会まで
 - 第46巻 p.287 -ページ画像 
に形勢或は急変するやも知るべからず、現に文相の如きは菊池案を目して専門学校の名称変更なりと貶したることさへあり、若し菊池案通過し之を実行せざるべからざる破目とならば、文相は其主張に対しても辞職せざるべからざるべく、菊池案の成敗は即ち文相に取りては其運命に関する大事なるが故に、第二次委員附托再審議説を提唱したれども容れられず、辛うじて其採決だけを十九日の総会まで延期せし次第なれば、其間に於て文相及び官学一派は暗中飛躍を試むるべく、形勢の変化固より測知すべからずとも謂ふを得べし、併し菊池案は民間の輿望を代表せる比較的良案なるが故に、審議を重ぬるに随て賛成者の数を加へつゝある有様なれば、文相及び官学一派の暗中飛躍は成功覚束なからんと楽観せる向もあり、今や剰す所は僅に一日のみ、而かも大勢は依然として菊池案に可なるが故に、同案は十九日の総会を無事通過するならんが、第二の問題は、文相が調査会の決議を尊重せず菊池案を実行せざる場合、同会決議の権威を如何すべきや是れなり、菊池案賛成者は聯袂辞職すべしと意気捲き居れるが、菊池案を賛成せざりし他の委員と雖も、同会の決議を自重する点より、決して平然たること能はざるべく、同問題は更に波瀾重畳を免かれざるべき情勢に在り


中外商業新報 第一〇五〇五号 大正四年七月一八日 ○官学打破の好機 世人は奮起すべし(DK460085k-0015)
第46巻 p.287 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇五号 大正四年七月一八日
    ○官学打破の好機
      世人は奮起すべし
菊池案は民間の輿望に鑑み欠陥ある現行大学制度を根本的に改革せんとするものなれば、官学を代表せる委員山川・浜尾等諸氏の極力反対せるは其所なり、此の点より観察を下せば、菊池案の論争は官学と私学の争なりとも謂ふを得べし、否山川・浜尾氏等の反対は官学擁護の為めの反対なりと謂ふを妨げざるなり、而かも其論戦は一年以上の長きに及べるに拘はらず、世人の之を視ること対岸の火災の如く冷淡なる者あり、彼等は現行大学制度欠陥が現に幾百万の子弟を賊しつゝあるを知らざるが為め乎、官学より出でたる菊池男は国家の大局に着眼し、学制の根本的改革を急務とし、官学の諸老を敵として苦闘奮戦しつゝあり、世人は自家の子弟の為め将た又国家の為めに、同男を扶けて菊池案の必成を期せざるべからずと某実業教育家は語れり


中外商業新報 第一〇五〇五号 大正四年七月一八日 菊池案に賛成 政友会文部々会(DK460085k-0016)
第46巻 p.287-288 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇五号 大正四年七月一八日
    菊池案に賛成
      政友会文部々会
政友会政務調査会中の文部々会は十七日午後一時開会、小久保・児玉正副部長、橋本・三土・江藤の各理事、島田・八木・川村・鵜沢・川原の各委員及古谷・吉原の両幹事出席、前回に引続き教育調査会に於ける学制改革案を問題とし、鵜沢氏より菊池案の主旨及内容を報告し三土氏次で委員会案に関する前回の説明を補足し、各自意見を交換したる末、(一)所謂劃一主義を撤廃し(二)官公私立の別に依る差別的待遇を改め(三)年限短縮の方針を採ること等、大体に於て菊池案
 - 第46巻 p.288 -ページ画像 
を可とし、其旨会長に報告することに決し散会


竜門雑誌 第三二七号・第六七頁 大正四年八月 ○学制問題解決(DK460085k-0017)
第46巻 p.288 ページ画像

竜門雑誌  第三二七号・第六七頁 大正四年八月
○学制問題解決 就学年限短縮は青淵先生年来の持論にして、教育調査会に於ても菊池案即ち年限短縮建議案提出者の一人となり、熱心に之を主張したる結果、七月十九日の教育調査総会に於て、実に左の如き大多数を以て菊池案を可決するに至れり、以て輿論の趨勢を卜知するに足るべきなり
 △菊池案賛成者 青淵先生・菊池大麓・高田早苗・成瀬仁蔵・嘉納治五郎・鎌田栄吉・九鬼隆一男・手島精一・豊川良平・江原素六・早川千吉郎・中野武営・関直彦・高木兼寛男・箕浦勝人・水野直子以上十六氏
 △同案反対者 小松原英太郎・岡田良平・蜂須賀茂韶侯・三土忠造鈴木海軍次官・大島陸軍次官・文部省参政官桑田熊蔵、以上七氏
尚同調査会は夏期中休会し、秋季に入りて開会する由なり


中外商業新報 第一〇五〇七号 大正四年七月二〇日 ○菊池案決す 委員会案否決 文部省案消滅 細目文部一任(DK460085k-0018)
第46巻 p.288 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇七号 大正四年七月二〇日
    ○菊池案決す
      委員会案否決
      文部省案消滅
      細目文部一任
刻下の学制案を決す可く過般来屡々開会を見たる教育調査総会は、十九日午後二時文相官邸に開かれ、改野・江木・辻・花井・鵜沢・山川六氏欠席の外、加藤・一木正副総裁以下二十三名出席、直ちに討議に入り、岡田良平氏は特別委員会案の維持説を述べ、高田早苗氏之に反駁して菊池案を主張したるが、結局採決の結果十六名対七名の多数を以て菊池案の第一条、即ち
 中学卒業生及同等以上の学力あるものを収用し、四年以上の教育を施す学校を大学と為すことを得
とある所謂菊池案の首要条項を決定し、更に第二条以下に規定せられたる学級の編成、課目配列其他の内容及方法に関する細則一切は文部省の意志に一任して、他日審議提案ある可き事を決し、尚ほ九鬼氏提出の国字改良に関する案を審議せんとしたるも、当日の議案に組入れなかりしを以て、右にて四時半散会せり、因に委員会案の維持説に賛成せるは小松原・岡田・蜂須賀・三土・桑田・大島・鈴木の七氏に過ぎずして、他は全部菊池案賛成者なれば、文部省案は自然消滅に帰せるものなり
      △菊池案賛成者
 成瀬仁蔵・九鬼隆一男・菊池大麓男・鎌田栄吉・箕浦勝人・水野直子・中野武営・早川千吉郎・高田早苗・渋沢栄一男・加納治五郎・高木兼寛男・豊川良平・江原素六・手島精一・関直彦(以上十六名)


中外商業新報 第一〇五〇八号 大正四年七月二一日 ○菊池案の実行 当局の反省を要す(DK460085k-0019)
第46巻 p.288-289 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇八号 大正四年七月二一日
    ○菊池案の実行
 - 第46巻 p.289 -ページ画像 
      当局の反省を要す
菊池案が教育調査会に於て絶対多数を以て通過せるは文教の為慶賀に勝へざる次第なり、夫れ教育年限の短縮は多年の宿題にして余輩の如き其職に在る時も亦其職を去りたる後も常に之を主張し居れり、凡そ人間の活動期間は三十より五十までの二十年にして、五十以上は特別の人にあらざる限りは最早老境に入り、其の活動に堪へざるを普通とす、然るに今日大学教育を了へ徴兵を済まし実社会に出づるは多く三十歳内外なり、而して実社会に入りて見習より多少人に知らるゝ迄には少くとも十五年を要す、従つて真の活動期間は四・五年の間を出でず、国家の損失之より大なるはなし、教育方法さへ多少改良すれば、菊池案の実施を為すも決して学力に多大の欠陥を来すものに非ず、反対論者は菊池案を実施せば大学院に学生の密集せむことを憂ふるも、是亦大学院の制度を改むるに於ては斯の如き杞憂は之を除き得べし、然るに今日教育調査会は幸に之れを是認したるも、之が実施を見るや否やは大なる疑問なり、否容易に実行せられざるべし、文部省にても大学にても若手連中には菊池案賛成者尠なからざる由なるも、其採決を左右する人々に反対論を有するもの数多ある模様なれば、之を実施するは難事中の難事と云ふ可きか、文部の当局者は此際虚心坦懐に其理非を考へ、旧弊に捉へらるゝことなく、一日も速に菊池案実施に着手せられんことを希望す


中外商業新報 第一〇五〇八号 大正四年七月二一日 ○学制改革案前途 一木文相の談(DK460085k-0020)
第46巻 p.289 ページ画像

中外商業新報  第一〇五〇八号 大正四年七月二一日
    ○学制改革案前途
      一木文相の談
一年有余に亘れる懸案の学制改革問題も、菊池案第一条の通過によりて玆に根本的解決の端緒を得たるが、其の第二条以下の具体案は更に文部省に於て立案することゝなりたるを以て、当局は調査会の決議を尊重し充分の審議を遂げ九月再開の総会までには是非共一定の成案を得る予定なり、而して別案の作製に就ては第二条以下其他の学制案の内容を参考として、省議に於て慎重審議し、成るべく教育界の有力者を以て組織せられたる調査会の意見及一般の輿論に副ふべく努力すべきも、其の内容方法等に至ては未だ明言するの時期に到達せず、世間或は文部当局が該改革案に反対の意志あるが如く伝ふるも、当局は当初より大学令案を提出したる位にて、調査会討議の学制改革案も漸次当局より提案する方針なりしを以て、該案に反対すべき理由なし、改革の内容に就ては努めて一般の輿論に副はんことを期す云々


中外商業新報 第一〇五一四号 大正四年七月二七日 ○学制案の成行 当局措置に窮す(DK460085k-0021)
第46巻 p.289-290 ページ画像

中外商業新報  第一〇五一四号 大正四年七月二七日
    ○学制案の成行
      当局措置に窮す
曩に教育調査委員会に於て決議せられたる所謂菊池案に対し、一木文相は委員会の決議は勿論之を尊重する旨言明せるが、愈々菊池案を実行する事とならば、現在の高等学校は全廃せられ、現専門学校・文部直轄学校・私立大学二十有余は一時に大学となることを得、教育界に
 - 第46巻 p.290 -ページ画像 
一大革新を劃する次第なるが、当局に於て委員会の決議を尊重すれば一方自然消滅に帰したる特別委員会案作成の委員の感情を害する恐れあり、而かも特別委員小松原氏其他の貴族院に於ける勢力は侮るべくもあらず、さりとて菊池案を閑却すれば同案に賛成せる多数は調査委員を辞任すべしと敦圉き居れば、何れにしても一木文相の此問題に処する態度決心は、同大臣の鼎の軽重を試験する道理にて斯界の注目に値すべし