デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
2節 軍事関係諸団体
5款 財団法人報効会
■綱文

第48巻 p.669-676(DK480183k) ページ画像

大正15年3月17日(1926年)

是日栄一、日本工業倶楽部ニ開カレタル、当会主催聯隊区司令官招待会ニ出席シ、当会ノ沿革ヲ演説ス。

爾後、栄一歿年ニ至ルマデ当会ノ会長・理事・評議員トシテ尽力ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一五年(DK480183k-0001)
第48巻 p.669 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一五年         (渋沢子爵家所蔵)
三月十七日 晴 寒
○上略 正午工業倶楽部ニ抵リ、報効会ニ於テ開催セル聯隊長ノ集会ニ出席シ、午飧ヲ供シ、食後本会ノ沿革ヲ説明ス○下略


竜門雑誌 第四五一号・第七七頁 大正一五年四月 青淵先生動静大要(DK480183k-0002)
第48巻 p.669 ページ画像

竜門雑誌  第四五一号・第七七頁 大正一五年四月
    青淵先生動静大要
      三月中
十七日 報効会催聯隊部司令官招待会《(区)》(日本工業倶楽部)


報効会書類(一)(DK480183k-0003)
第48巻 p.669-670 ページ画像

報効会書類(一)              (渋沢子爵家所蔵)
 - 第48巻 p.670 -ページ画像 
          (栄一鉛筆)
          当日正午より井上準之助氏・高梨慶三郎氏等ト共ニ工業倶楽部に集会し、来会之軍人約九十名、特ニ田中義一男爵本会成立に縁故多きを以て来会を請ひ食卓ニ於て会長として余は一場之謝辞演説を為し、一同歓を尽して午後二時過散会せり
    三月十七日聯隊区司令官招待会
      会長口演要項
一、報効会設立ノ経過ノ大要
   (大字ハ朱書)
   1 大正八年十月十二日 小石川後楽園ニテ田中大将ノ招待
   2 大正九年六月    事務開始
   3 大正九年十二月   御下賜金【年々十五万円】
二、当会事業実施ノ為聯隊区各位ノ従来ノ調査事務ニ付感謝
三、事業ノ公平ヲ期スル為将来益々各位ノ配慮ヲ願フ


報効会書類(一)(DK480183k-0004)
第48巻 p.670 ページ画像

報効会書類(一)(渋沢子爵家所蔵)
大正十五年三月十七日正午より報効会主宰を以て、当時上京中の聯隊区司令官諸氏約九十名、並に田中義一男爵等同会成立に縁故深き人々の来会を請ひ食卓を共にし、食後渋沢子爵会長として大要左の挨拶を為し、午後二時過散会したる趣なり
 去る三月十日夜ラヂオにより参謀次長金谷範三中将の陸軍記念日に就ての講演を聞き当時を想起し、戦争には反対であり甚だ面白くない。軍人がやるのであると考へたけれども、国を賭しての戦であり左様のみも考へられず、日本郵船会社の重役として陸軍に於て必要ならば船は如何にもして都合すべしと建議し、又銀行者としても如何程にても金を出すと考へたことなど回想しましたが、陸軍の方でも亦金谷中将の云はるゝ様な感想を以て居られたかと、未た面会したこともないが実に深い感があつたのであります。報効会も此所を目当としたのであつて、軍人は国の為め命を投げ出すから国民が金を出す事は当然であると考へ、又国民は金を出してやるから軍人が働くべきであると思ふ様ではならぬ、互に意思疎通を計らねばならないのであります。此為めに聊か努力して参つた次第であります。
 ……


報効会書類(一)(DK480183k-0005)
第48巻 p.670 ページ画像

報効会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 愈々御清穆奉賀候、陳者本年度予算ニ基キ戦死者及公病死者遺族中生計困難者約三千名ニ対シ、去月二十二日ヨリ定期慰藉保護トシテ金参拾円ニ慰問状並ニ会員氏名表(寄附金醵出者)ヲ添ヘ発送中ノ処、本月十六日ヲ以テ全部終了致候間右御通知申上候 敬具
  大正十五年七月十六日    財団法人報効会
                 会長 子爵 渋沢栄一
    (宛名手書)
    子爵渋沢栄一殿

 - 第48巻 p.671 -ページ画像 

竜門雑誌 第四六二号・第六九頁 昭和二年三月 青淵先生動静大要(DK480183k-0006)
第48巻 p.671 ページ画像

竜門雑誌  第四六二号・第六九頁 昭和二年三月
    青淵先生動静大要
      二月中
廿四日 報効会理事会評議員会(日本工業倶楽部)


報効会書類(二)(DK480183k-0007)
第48巻 p.671 ページ画像

報効会書類(二)           (渋沢子爵家所蔵)
          (栄一鉛筆)
          二月二十二日高梨氏持参、明後日開会
          評議員会ニ於テ協議スヘキモノ
    昭和二年二月廿四日評議員会決議事項
一、昭和二年度予算
二、在大阪理事浜岡五雄氏辞任ニ付野々村政也氏補欠推薦
  同右星野章氏評議員新任
  右承認ノ件


報効会書類(二)(DK480183k-0008)
第48巻 p.671 ページ画像

報効会書類(二)            (渋沢子爵家所蔵)
(控)
    評議員会決議書
昭和二年二月  《(廿四日カ)》日午後壱時日本工業倶楽部ニ於テ当法人評議員会ヲ開ク、出席者左ノ如シ
  総人員七拾六名ニ対シ渋沢栄一氏以下六拾名
会長渋沢栄一氏議長席ニ着キ左ノ事項ヲ決議セリ
 理事選任ノ件
  理事浜岡五雄氏ハ昭和二年 月  日解任ニ付、其後任トシテ満場一致ノ意見ニヨリ野々村政也氏ヲ理事ニ推薦シタリ
 以上議了シ同日午後弐時閉会ス
右決議ヲ証スルタメ左ニ署名捺印セリ
  昭和二年 月 日
                報効会
              評議員会議長  渋沢栄一
              出席評議員総代 大橋新太郎


竜門雑誌 第四六六号・第一〇二頁 昭和二年七月 青淵先生動静大要(DK480183k-0009)
第48巻 p.671 ページ画像

竜門雑誌  第四六六号・第一〇二頁 昭和二年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
廿八日 報効会理事会及評議員会(日本工業倶楽部)


竜門雑誌 第四七〇号・第九二頁 昭和二年一一月 青淵先生動静大要(DK480183k-0010)
第48巻 p.671 ページ画像

竜門雑誌  第四七〇号・第九二頁 昭和二年一一月
    青淵先生動静大要
      十月中
廿一日 ○中略 報効会理事会及評議員会(日本工業倶楽部)


財団法人報効会々報 同会編 第一―四頁 昭和二年一一月刊 一 本会設立に就て 会長子爵渋沢栄一(DK480183k-0011)
第48巻 p.671-673 ページ画像

財団法人報効会々報  同会編 第一―四頁 昭和二年一一月刊
    一 本会設立に就て
 - 第48巻 p.672 -ページ画像 
                 会長 子爵 渋沢栄一
 私は、従来各種の会に関係して居りますが、中には其の声明のみ高く実際の効果が少い事が多いのですが、この報効会は其の声明は低くとも其目的に向て可也努力しつゝあり、従て其の効果も決して少なくないと思つて居ります、斯く申せば自分が会長をしている関係上偉らそうな事を云ふと考へられるかも知れませんが、決して誇張でもなければ又自慢でもありません
 元来一国の富を増進せしむるには経済、国を守るには或は言葉が穏やかでないかも知れませんが所謂武力が必要でありまして、吾々人体に譬へてみると武力が骨であれば経済は肉でありまして、この骨と肉との強弱割合が其の宜しきを得ざれば、決して健康体と申す訳には参りませんと同様に、経済・武力互に相待て始めて国家の安定を得らるるのであります。往昔藤原氏時代には独り文化の発達に努めて居りました為め、知らず知らずの内に源平両氏の天下となり、封建制度の出現を見る様になつたのであります、これは私が今更説明するまでもなく日本外史に詳しく書いてある事柄であります
 さて封建制度が出来て見ますと、武力の必要上多額の御用金を命ずるので、所謂骨は太つても肝心の肉が衰へると云ふ有様で、而も武士は国を富ますと云ふ事は少しも考へず、肝心の肉である一般国民を圧迫し、二言目にはおまへ等の彼是れ云ふべきものでないと云ふように今で申せば甚しき差別待遇をしたのでありまして、かようの有様が明治維新まで続ひて来たのであります、こうなつてくると誰れでも自然に内心武士が憎ひ様になつて来まして、斯く申す渋沢も確に其の一人であつたのであります
 然るに王政維新により封建制度は破壊せられ 明治大帝により文武共統一せられましたが、因習の力は恐ろしいもので中々ぬけきらず例へば日清・日露の戦争当時は一般に軍人を尊敬する様でありましたが戦後時の経過するにつれてだんだん無用の長物視する傾向がある様に考へられ、即ち一般に肉の営養には注意して居りますが、骨の方は漸次をとろへると云ふ訳で、この点は私等の常にひそかに憂ふる処でありましたのみならず、この事に付きましては当時の陸相田中大将も亦た私等と同様に御考へになつて居たので、時々此の事に付て話した事がありまして、遂に大正八年十月十二日小石川の後楽園に田中陸相を始め、京浜実業家六十余人が集会を致し、辱くも故伏見元帥宮殿下御台臨あり、田中大将から当時のシベリヤ出征兵士の苦心等軍事上に付種々局外者の想像し能はざる状況を述べられ、且つ実業家の軍事上の苦心を承知なきが如く、経済界の事情も軍人の想像し能はざる軍事上と同様の苦心もあるべく、この両者の権衡を得てこそ国運の進展も得らるべくとの述懐談があり、私が実業家を代表して武力と経済力との一致調和が必要なることは田中大将と全然同感なる旨を述べ、且つこれは本日一日の談話に止めず、何等かの形式に於て実現すべきを約し直ちに私等十人で委員を組織し、先づ軍人遺族並に癈兵の救護等軍人後援の事業を実施することに決し、其の後委員は数回会合熟議の上報効会を設立することになつたのであります、次いで之と前後して大阪
 - 第48巻 p.673 -ページ画像 
市に大阪軍人援護会が生れ、其の目的が同一でありますから之れと合併して本日に至つたのであります
 以上が報効会設立の動機と経過の大体でありますが、遺憾な事には時恰も財界不況に遭遇したため会員の醵出金額が予定の如くならず、従て事業も理想通りにはゆきません、然し経費を出来るだけ節約して成る可く多く不遇なる軍人遺族並に癈兵諸君を慰藉して居る次第であります
 尚ほ甚だ畏くも 皇室に於かせられては本会の事業を聞召され、創立以来年々拾五万円の 御下賜金を賜はり会員一同誠に感激致して居る次第でありまして、右の 御思召に対し奉りても今後益々事業を拡張し、本会の目的を貫徹致したいと思つて居る次第であります。
  ○右パンフレツトノ表紙ニ次ノ書入レアリ。
   「昭和三年二月二十二日報効会《(三)》ノ評議員会開催、出席者団琢磨・井上準之助・大橋新太郎・渋沢子爵・浅野総一郎・高梨慶三郎諸氏出席、昭和三年度予算ヲ可決シ、続テ来年寄付金ノ期限満了ヲ機トシ基本金ヲ二百万円トナシ、更ニ十年間御下賜金ヲ請ヒ、且民間ノ醵金ヲ勧誘スルコトニ打合ハセ散会シタル趣ナリ」


渋沢栄一 日記 昭和三年(DK480183k-0012)
第48巻 p.673 ページ画像

渋沢栄一 日記  昭和三年          (渋沢子爵家所蔵)
二月二十三日 晴 寒気強カラズ
○上略 午前十一時半工業倶楽部ニ抵リ、報効会評議員会ヲ開催ス、団琢磨・大橋新太郎・高梨慶三郎氏等来会ス、計算書類其他報告書類ヲ一覧シ、要務ヲ協議ス○下略


報効会書類(二)(DK480183k-0013)
第48巻 p.673-674 ページ画像

報効会書類(二)               (渋沢子爵家所蔵)
                           (渡辺)
    報効会々計状態ニツキテ             (印)
     (昭和三年十二月二十七日於同会高梨氏ト対話ノ要領)
                  (栄一鉛筆)
                  四年二月廿一日一覧
一、御下賜金ニツキテ
 毎年拾五万宛御下賜ヲ受クルコト八ケ年、其金額百弐拾万円ニ達シ明後年ニテ予定ノ百五拾万円ニ及ビ打チ切リトナル筈ナルヲ以テ、庶幾クバ更ニ新規ノ御下賜金アランコトヲ
一、一般寄附金ニツキテ
 大正九年ニ始マリシ十ケ年継続ノ一般寄附金ハ、愈明年ヲ以テ終リヲ告ゲントス、更ニ新規ノ募集ヲナサヾルベカラズ
一、現在ノ財産ハ左ノ如シ
 金百六拾七万七千百弐拾壱円八拾八銭
    内訳
  金百五拾万円        基本金(全部有価証券)
  金拾六万四千六百四円拾参銭 銀行預金(第一・三井・三菱・川崎第百)
  金参千九百弐拾四円五拾参銭 振替貯金
  金八千五百九拾参円弐拾弐銭 有価証券及現金
一、基本金トシテノ有価証券買入レ保管ノ方法
 有価証券ノ買入レハ凡テ三井信託会社ニ依頼シ、同会社ノ推薦ニカ
 - 第48巻 p.674 -ページ画像 
カルモノヲ更ニ大橋新太郎氏ノ裁量ヲ経テ購入シ、成ルベク種類ヲ多クシ危険率ヲ少ナクスル方針ナリ
 右証券ハ全部同信託会社ニ保護預ケ(無手数料)トナシ、利札ハ利払期ニ切リ取リテ本会ノ銀行預金ニ振リ替フ
 現在所有ノ有価証券ノ利廻リ平均七分三厘弱ナルモ、低利ニ借リ替ヘ行ハレツヽアルヲ以テ漸次低下ノ傾ナリ
一、事業費ニツキテ
 現在ニ於テ救護スル人員ハ戦死者遺族約三千五百人、癈兵的弐千五百人ニシテ、何レモ年額三十円ヲ贈与シツヽアリ
一、事務費ニツキテ
 事務費中重ナルモノハ俸給諸給ニシテ、此月俸参百七拾八円、借室料九拾九円、郵税・消耗品・水道・電灯代約百円ニシテ、合計金五百円内外、尚期末手当其他旅費等ニ年額千二・三百円ヲ要スルヲ以テ、一ケ年平均七千四・五百円ニ上ル
一、帳簿其他ノ整理ニツキテ
 収支ノ証憑書類ノ整理、帳簿ノ記入及証書類ノ保管等相当整理シアルガ如シ
 大橋氏時々来会シ且ツ金銭ノ受払ハ凡テ同氏ノ認可ヲ要スルヲ以テ会計上ノ監督モ相当程度迄行ハレ居ルガ如シ
一、渋沢会長ニ対スル報告ニツキテ
 毎月月計表ヲ送付シ相当詳細ニ報告シツヽアリ
一、私見
 以上ノ如クナルヲ以テ、同会ノ会計ニツキテハ特ニ会計士ヲシテ審査セシムル必要モナカルベク、時々渡辺ガ出張高梨氏ニ質問スル程度ニテ先ヅ可ナルベキカ
  ○右ハ渋沢事務所渡辺得男ノ作成シテ栄一ニ示シタルモノナルベシ。


竜門雑誌 第四八六号・第七九頁 昭和四年三月 青淵先生動静大要(DK480183k-0014)
第48巻 p.674 ページ画像

竜門雑誌  第四八六号・第七九頁 昭和四年三月
    青淵先生動静大要
      二月中
廿日 報効会理事会及評議員会(日本工業倶楽部)


竜門雑誌 第四九〇号・第七三頁 昭和四年七月 青淵先生動静大要(DK480183k-0015)
第48巻 p.674 ページ画像

竜門雑誌  第四九〇号・第七三頁 昭和四年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
十二日 報効会理事会及評議員会(日本工業倶楽部)


報効会書類(二)(DK480183k-0016)
第48巻 p.674-675 ページ画像

報効会書類(二)            (渋沢子爵家所蔵)
          (栄一鉛筆)
          五年四月二十四日一覧 但事後承認之事
    報効会高梨氏来談大要
一、日露戦役二十五周年紀念トシテ癈兵其他当時ノ関係軍人招待会ノ件
一、陸軍省ノ主唱ノ下ニ報効会・在郷軍人後援会・愛国婦人会ニテ催シ、海軍省・内務省・東京府及東京市後援ス
 - 第48巻 p.675 -ページ画像 
一、計画ハ二十九日ニ観兵式ヲ見セ、三十日ニ日比谷公会堂ニ於テ招待会ヲ催ス
一、予算ハ総額金壱万円ノ積
一、其内容ハ来会者約三千五百人ノ予定ニテ接待費一人当的金壱円、紀念品賛同金壱円、此二口合計的金七千円、残金参千円ハ諸雑費宛
一、資金ハ左ノ通リ醵出セラレタリ
  金参千円     在郷軍人後援会
  金参千円     報効会
  金弐千円     愛国婦人会
  金千円      陸軍省
  金千円      海軍省
  金六百円     内務省
   合計金壱万六百円
一、三十日ノ招待日ノ主催側挨拶ハ是非渋沢子爵ニ願度トノ事ナリシモ、御病後ノ事ヲ考ヘ高梨氏ヨリ切ニ辞退シ、清浦伯ニ於テ引受ケタリ
一、同会ニ対スル寄附金継続関係ヨリ陸軍省ト交渉中ナリシガ、同省ヨリ沿革ノ詳細ヲ出セトノ事ニテ全部ノ事業ノ変遷、寄附金関係ノ説明、其他巨細ニ報告書ヲ作成シ同省ニ送付シ置キタルトコロ、昨日同省ヨリ電話アリ、全部賞勲局ニ移シ置キタレバ何分ノ御沙汰アルヘキニ付御含御願度予メ御通知スル云々(藍綬褒章カ、金杯カ)
  ○右書冒頭ニ「高梨氏来談」トアルハ渋沢事務所ニ高梨ノ来リテ報告シタル事ヲ言フ。


報効会書類(二)(DK480183k-0017)
第48巻 p.675 ページ画像

報効会書類(二)             (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 愈々御清穆奉賀候、陳者昨日宮内省ヨリ出頭方通知有之直チニ出頭致シ候処、白根庶務課長ヨリ、報効会ニ対シ今後八年間年々拾弐万円宛御下賜ノ御内議有之旨内談有之候間、此段不取敢御通知申上候
                         匆々敬具
  昭和五年十一月廿五日
                財団法人報効会
                   幹事 高梨慶三郎
  会長
   子爵 渋沢栄一閣下


報効会書類(二)(DK480183k-0018)
第48巻 p.675-676 ページ画像

報効会書類(二)            (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
 拝啓 愈々御清穆奉賀候、陳者去ル二十四日左記御沙汰書拝受致候間此段御通知申上候 敬具
  昭和五年十二月二十五日
                財団法人報効会々長
                   子爵 渋沢栄一
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
      左記
 - 第48巻 p.676 -ページ画像 
                 財団法人報効会
 其会事業ノ状況ヲ被聞食
 思召ヲ以テ昭和六年以降八箇年間年々金拾弐万円下賜候事
  昭和五年十二月二十四日
                    宮内省


竜門雑誌 第五一四号・第八五頁 昭和六年七月 青淵先生動静大要(DK480183k-0019)
第48巻 p.676 ページ画像

竜門雑誌  第五一四号・第八五頁 昭和六年七月
    青淵先生動静大要
      六月中
十八日 報効会理事会及評議員会(日本工業倶楽部)


報効会書類(二)(DK480183k-0020)
第48巻 p.676 ページ画像

報効会書類(二)             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 愈々御清穆奉賀候、陳者本会ノ事業ハ従来主トシテ不具癈疾者並ニ戦公病死者遺族ノ保護慰藉ニ留マリ、寄附行為ノ定ムル在郷軍人ノ職業紹介ハ嘗テ評議員会決議ニ基キ一時中止致居候処、此等ノ者ニ対スル就職斡旋ノ方法ヲ講スルハ現下ノ世相上喫緊ノ要務ト相成候折柄、今回右職業紹介ニ関スル積極的施設ニ就キ特ニ陸軍次官ヨリノ依頼モ有之候ニ付、此等事業実施方ノ件ヲ去ル六月十八日評議員会ニ相諮リ候処、満場異議ナク決議致候ニ付、早速陸軍省人事局・東京府職業紹介所ト協議ノ上、東京府職業紹介所内ニ報効会職業紹介委託部ヲ設ケ、同所長指導監督ノ下ニ除隊者並ニ在郷軍人ノ職業紹介事務ヲ開始致候間、左様御承知被下度此段得貴意候 敬具
  昭和六年六月廿四日
                財団法人報効会
                 会長 子爵 渋沢栄一
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿