デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
5節 祝賀会・表彰会
6款 日露協約祝賀会
■綱文

第49巻 p.380-388(DK490132k) ページ画像

大正5年7月20日(1916年)

是月三日、新日露協約成立ス。栄一、東京市長奥田義人・東京商業会議所会頭中野武営等ト祝賀方法ヲ謀リ、是日、上野精養軒ニ於テ、祝賀会ヲ開催ス。栄一出席ス。


■資料

中外商業新報 第一〇八六一号大正五年七月七日 ○協約成立の祝賀会(DK490132k-0001)
第49巻 p.380 ページ画像

中外商業新報 第一〇八六一号大正五年七月七日
    ○協約成立の祝賀会
日露協約成立祝賀会に関しては、予て同志・中正・公友三派の間に交渉中なりしが、其範囲を拡張し国民的に挙行することに決し、新に徳川・島田両院議長、渋沢男・奥田市長・中野商業会議所会頭・後藤日露協会副会長諸氏の発企にて、来十日頃上野精養軒又は帝国ホテルに於て大々的に開催する筈にて、当夜は東京実業聯合会にても祝賀提灯行列を催す由


中外商業新報 第一〇八六二号大正五年七月八日 ○日露協約祝賀会(DK490132k-0002)
第49巻 p.380 ページ画像

中外商業新報 第一〇八六二号大正五年七月八日
    ○日露協約祝賀会
今回日露協約の成立を祝する為め元老各大臣を招き盛大なる官民祝賀会を催す企てあり、来る十日午後四時東京商業会議所に発起人会を開催し祝賀の方法順序等を協議する由なるが、発起人の氏名は左の如し
 井上東京府知事・奥田東京市長・三島日銀総裁・志村勧銀総裁・志立興銀総裁・後藤日露協会副会長・渋沢男・大倉男・安田善三郎・松方巌・団琢磨


竜門雑誌 第三三八号・第七七頁 大正五年七月 ○日露協商祝賀会(DK490132k-0003)
第49巻 p.380 ページ画像

竜門雑誌 第三三八号・第七七頁 大正五年七月
○日露協商祝賀会 青淵先生等の発起に係る官民合同の日露協商祝賀会は、七月廿日午後五時より上野精養軒に於て開催することに決定せる由なるが、之に就て青淵先生は新聞記者の訪問に対し左の如く語れる由
 発起人側は本日(七月十日)東京商業会議所に出席の東京府知事・奥田東京市長・中野東京商業会議所会頭・井上準之助・志村源太郎・桜井鉄太郎・安田善三郎・池田謙三・松方巌・杉原栄三郎・黒岩周六・自分の外に徳川・島田両院議長初め三井・三菱、大倉男等二十二名の多数に上り、主人側はザツト千人近くあるでせうが、お客は僅に百六十人位しかありません。時節柄極めて静粛を守り、花火と提灯行列の余興で聊か賑はす積りです云々


日露協約祝賀会報告書 同会編 第一―六頁大正五年九月刊(DK490132k-0004)
第49巻 p.380-381 ページ画像

日露協約祝賀会報告書 同会編 第一―六頁大正五年九月刊
    一、発端
 - 第49巻 p.381 -ページ画像 
大正五年七月三日、日本及露西亜両帝国間に締結せられたる協約は、同月八日を以て公示せられたり、而して此の協約の成立に依り、両国の親善関係益々明確と為り、極東の平和愈々鞏固と為るに至りたるは彼我国民の衷心歓喜に勝へざる所、之を以て東京市内の有志中、此の際祝賀会を開催し、満腔の祝意を表すべしとの議期せずして一致し、先づ男爵渋沢栄一氏・東京市長法学博士奥田義人氏及東京商業会議所会頭中野武営氏は熟議の末、七月十日午後四時東京商業会議所内に右祝賀会に関し発起人会を開くこととし、予め左の諸氏を発起人に推選し、依頼状を発送せり、是れ実に本会成立の端緒なりとす
      発起人氏名 (芳名いろは順)
 男爵   岩崎小弥太氏    池田謙三氏    法学博士 井上友一氏
      井上準之助氏 公爵 徳川家達氏    男爵   大倉喜八郎氏
 法学博士 奥田義人氏     中野武営氏         黒岩周六氏
      安田善三郎氏    松方巌氏     男爵   古河虎之助氏
 男爵   近藤廉平氏  男爵 後藤新平氏         浅野総一郎氏
      桜井鉄太郎氏 男爵 三井八郎右衛門氏 子爵   三島弥太郎氏
      志立鉄次郎氏    志村源太郎氏        島田三郎氏
 男爵   渋沢栄一氏
    二、発起人会
七月十日午後四時東京商業会議所内に発起人会を開き種々打合の上、左の事項を協定せり
      協議事項
 一開会日時 大正五年七月二十日午後六時三十分
 一会場 上野公園内精養軒
○中略
      日露協約祝賀会次第書
 午後五時参集同六時三十分挙式(振鈴ヲ以テ報ス)
 一開式(奏楽)
 一徳川公爵祝賀文ヲ朗読ス
 一露国大使閣下挨拶
 一露国首相閣下宛祝電発送議決
  奏楽
○下略


日露協約祝賀会報告書 同会編 第四〇―四五頁大正五年九月刊(DK490132k-0005)
第49巻 p.381-383 ページ画像

日露協約祝賀会報告書 同会編 第四〇―四五頁大正五年九月刊
    九、開会
維れ時大正五年七月二十日、徳川公爵・渋沢男爵・奥田市長・中野会頭等の発起人及係員は午後四時より会場に参集し、諸般の準備を整へて会衆を待つ、此の日盛夏の天は能く晴れて涼風徐ろに衣を吹き天亦本会に幸するものゝ如し、午後五時頃より来賓会員陸続として臨場し歓談笑語場内に充溢せり、既にして露国全権大使クルペンスキー氏は同国大主教セルギー氏と相前後し、軽快なる自働車を駆つて会場に参集し、発起人一同之を玄関に迎へて設備の休憩所に導けり、斯くて当日は大隈首相・石井外相・一木内相・武富蔵相・大島陸相・加藤海相
 - 第49巻 p.382 -ページ画像 
高田文相・尾崎法相・河野農相・箕浦逓相・波多野宮相の各大臣を始め、其の他実業界の巨頭及各方面の代表者等在京朝野の貴縉孰れも奮つて出席せられたれば、場内は殆ど社交の楽園を現出し、気品高雅、儀容厳粛、近来稀に覯るの盛況を呈せり、軈て定刻午後六時三十分振鈴を以て開会を報ずるや、中野会頭は露国大使及大隈首相を先導して式場に臨み、徳川公爵・渋沢男爵又之に次ぐ、此の時嚠喨たる奏楽起り、主客共に着席し了るや、中野会頭は拍手急霰の裡に起ちて開会の挨拶を述べ、次で徳川公爵は本会を代表して左の祝賀文を朗読せり
    日露協約祝賀文
 今回公示セラレタル日露協約ニ対シ、本日玆ニ露国大使閣下各閣下其ノ他諸君ノ臨場ヲ辱ウシ祝賀会ヲ開催スル機会ヲ得タルハ余等ノ深ク欣幸トスル所ナリ、惟フニ日本及露西亜ハ東洋ニ於ケル近キ隣国ノ修好関係ヲ有シ、近時ニ及ヒテ著シク親密ノ度ヲ加ヘ来レリ、而シテ今又相敬愛スル両国ノ間ニ本協約ノ締結ヲ見タルハ全国民ノ衷心歓喜ニ堪ヘサル所、本協約ノ効果カ独リ極東恒久ノ平和ヲ保障スル楔子タル而已ナラス、又実ニ両国民間ニ存在スル友交ノ関係ヲ益々緊密ナラシメ、且ツ将来通商経済上ノ利益ヲ一層増進スルニ多大ノ力アルヘキヲ確信ス
 依テ余等ハ本日玆ニ挙行スル祝賀会ノ会員ヲ代表シテ、一般国民ノ最モ歓迎スル此ノ協約ノ成立ニ対シ慶賀ノ至情ヲ表セムト欲ス
 余等ハ此ノ機会ニ於テ日露両国ノ隆盛ヲ祝福シ、併セテ本協約ノ締結ニ関シ熱心尽力セラレタル両国当局者ノ功労ヲ深謝ス
  大正五年七月二十日 発起人氏名(イロハ順)
      右訳文
   ○露訳文略ス。
次で露国大使は朗々たる露国語を以て左の挨拶を述ぶ
      露国大使挨拶
   ○露文略ス。
      右訳文
 本祝賀会ニ懇篤ナル招待ヲ蒙リ、尚貴会ノ祝辞ヲ辱ウシ、余ハ我名ニヨリ且ツ本日参会ノ露国人ノ名ニヨリ、玆ニ最モ真摯ナル謝意ヲ表スルモノナリ
 新日露協約カ日本各階級全部ニ亘リ如何ニ同情ヲ以テ迎ヘラレタルカヲ見ルハ余ノ頗ル幸福トスル所ニシテ、重要ナル本協約ハ全般ノ平和ヲ鞏固タラシメ、両国ノ誠実且ツ恒久ナル親交ヲ益々密接ナラシメ、以テ之ヲ確乎タラシムルニアリ、故ニ全露国民モ亦挙テ之ヲ歓迎スルモノナルヲ記セラレンコトヲ希望ス
 両国民ハ相識ルコト益々深クシテ、其尊敬ト信頼ハ愈々篤キニ至レハ、其ノ関係ヤ一層熱誠ヲ加フルニ至ルヘシ、是レ両国将来ノ福祉ト隆盛ノ確実ナル保障ニシテ、且ツ極東全般ノ利益タルヲ以テ、余ノ頗ル歓喜ニ堪ヘサル所ナリトス
右畢るや渋沢男爵は満場の貴縉に向ひ当日の臨席を謝したる後、本会代表者徳川公爵の名を以て日露協約成立に対する祝電文を、露国首相スチユルメル氏に送致せむことを提議し、左の文案を朗読す
 - 第49巻 p.383 -ページ画像 
      祝電文案
 日露協約ノ成立ニ対シ東京市内有志ノ催ニ係ル日露協約祝賀会ヲ代表シ満腔ノ祝意ヲ表ス
会衆賛成して之を決す、斯くて奏楽裡に式を終り、来賓一同休憩所に入り、祝電は直ちに「ペトログラード」に打電せられたり、又東京実業組合聯合会長星野錫氏は、幹部一同と共に露国大使及大隈首相を休憩所に訪ひ、協約成立の祝意を陳ぶ、大使及首相亦之に対して慇懃なる挨拶を為せり
   ○本資料第二十八巻所収「日露協約祝賀会」明治四十年十月三日ノ条参照。


中外商業新報 第一〇八七五号大正五年七月二一日 ○協約の悦び 日章旗と三色旗の下に主客歓を尽す乾杯(DK490132k-0006)
第49巻 p.383-385 ページ画像

中外商業新報 第一〇八七五号大正五年七月二一日
    ○協約の悦び
      日章旗と三色旗の下に
        主客歓を尽す乾杯
東京市の日露協約祝賀会は予定の如く廿日午後六時から青葉繁る上野の山に挙行された、会場なる精養軒の入口には大緑門を設ける日露の大国旗を交叉し、式場なる音楽堂及び前庭の天幕張り、階上大広間の食堂は日章と三色の小国旗互ひに入り乱れて装飾
      頗ぶる華やかに
諸般の準備は殆ど遺憾なき迄に整つてゐる、夕陽西に薄らいで庭の葉桜涼しく戦ぐ定刻となれば、当日の主人役たる奥田市長並に渋沢男其他の実業家を始め、大隈首相・一木内相・武富蔵相・尾崎法相・河野農相・大島陸相・加藤海相・高田文相等内閣各大臣は悉く、波多野宮相並に各省次官其他朝野の名士雲の如くに集まり、主賓たる露国大使クルペンスキー氏は重なる館員の殆ど全部を従へて
      群る市民の間を
掻きわけつゝ会場へと到着すれば、山梨陸軍一等楽長指揮の下に楽隊は日露の両国歌を交々吹奏する、斯くて六時二十分振鈴の合図を以て会衆一同音楽堂前の天幕内に入り、中野武営氏起つて開会の辞を述べ徳川家達公日露協約祝賀文を朗読したるに対し露国大使は鄭重なる挨拶あり、次に渋沢氏は次の如き祝電を露国首相に発送すべきを提議し
      満場一致大喝采
を以て之れを決議した、即ち
 日露協約の成立に関し東京市有志の開催せる日露協約祝賀会は満腔の祝意を表す
                  代表者 徳川家達
    露国首相閣下
以上を以て式を終り、午後七時から食堂が開かれた、歓声湧いて両国親交の瑞気堂内に満ち溢れた頃、奥田市長の発声に依り露国皇帝陛下の万歳を三唱すれば、露国大使は流暢なる日本語を以て日本皇帝陛下の万歳を三唱し
      会衆一同之に
和すれば、不忍池畔を廻る提灯行列の群は盛に万歳を連鳴し更に一層の歓びを加へる、軈て大隈侯爵は老躯を起し満堂の会衆を見渡しつゝ
 - 第49巻 p.384 -ページ画像 
「今夜開かれたる我が東京市の日露協約祝賀会は東洋平和の凱旋である、又世界平和の出陣である、英露の両国は過去一世紀間互ひに相提携して世界平和の攪乱者を威圧したが、一世紀後の今日に於ては更に我が日本が加つて三国の親密なる
      協同一致の力に
依り世界平和の攪乱者たる敵国を屈服して将に凱歌を挙げむとしてゐるのである、今夜の盛なる提灯行列は即ち之世界の平和の希望である炬火である、此の光明は将来の文明と発達と繁栄である、日露の協約に依りて世界は平和を得可く、世界の文明は益々進歩するのである」と、音吐朗々たる侯一流の大演説が終るや、粛然として傾聴してゐた会衆は忽ち急霰の如き拍手を浴びせかけ、場内は殆ど割れるが如き歓呼の声を以て満された
      斯くて乾杯幾次
歓びは更に尽くるを知らず、談笑の声なほ盛なる裡に、首相以下の各大臣並に露国大使以下の館員は夫々馬車・自働車を駆つて退場すれば上野山上山下の群衆は万歳万歳と叫びつゝ雪崩の如くに押し合ふ大混雑、盛なる大夜宴は八時半頃に至つて何れも退散したが、不忍池畔には提灯行列の群衆がまだ三分の二ばかりも残つて居るので其賑はしさは名状す可らざる程であつた
      歓呼湧く光の流れ
        街を貫く大提灯行列の壮観
        外相の笑顔と大使の大満悦
霽れ渡つた祝賀日和も暮れかゝる、上野三橋の上は精養軒の祝賀会場へ急ぐ満都貴顕の馬車自働車で砂塵濛々と舞ひ上る、星一つ寛永寺の森に吊られた六時頃不忍の蓮の葉には
△無数の火影 が漂ひ、池を周る鬼灯提灯の火は輝々として金蛇を描いた、此夜東京実業聯合会主催の八十何組実業団体祝賀提灯行列が挙行されるのである、向ケ岡高等学校裏手から揚げられた煙火轟然東台の森に谺すれば、大きな高張を先頭とした行列は緩やかに流れ出した星野会長はフロツク姿に赤い腕章を巻いて真先にあり、煙火は続いて三発四発、不忍の水面に万朶の花を映した、楽隊の奏する進行曲の勇ましう御成街道を貫ぬけば、両側
△幾万を数ふ る観衆は唯わけもなく万歳々々を唱和する、行列の先頭仙女香に達する頃、漸く末尾が出発点を出ると云ふ、提灯の数約七八万「火の大蛇!」「光の流!」真に壮絶快絶天下の偉観を極めて居る斯て行列は本石町より三越・白木屋前を通り南伝馬町仙女香前を右折し、鍛冶橋を渡り市役所前を経て二重橋前に殺倒した、時に午後八時四十分、星野会長の発声に和して御苑に充ち満ちた群衆は提灯を高く捧げ 天皇陛下・皇后陛下、日露両国の
△万歳を絶叫 する歓呼の叫び九重雲深い大奥に達せしや否や、二重橋右手の石垣の上、翠濃き松の間より貴とや提灯の四ツ五ツ薄暗の濠を照した、群衆は更に幾度か万歳を呼びつゝ凱旋道路を霞ケ関に出で外務省を襲ふた、剃刀外相陸奥宗光の銅像沈黙の瞳を火の海に投げて何事か意味ありげな微笑を泛べて居るやうに見える、銅像の後に当る
 - 第49巻 p.385 -ページ画像 
玄関には石井外相が二・三の館員を随へ、白い歯を見せ乍ら手を挙げて歓呼に応じて居る、星野会長は進むで賀辞を述べ
△外相と握手 した、行列は正門を抜けお隣なる虎の門の露国大使館に入る、裏門・表門共に巨きな日露両国々旗が交叉され、大使のクルペンスキー氏は長身の偉躯を玄関に現はして「バーザーイバーザーイ」とやつて居る、熱狂せる群衆は今は既に我を忘れて大使の身辺に押し寄せ提灯を大使の頰の辺に捧げてはウラー、万歳と絶叫するのであつた、此時星野会長は徐ろに大使の前に進み出で壮重の態度を以て左の如き
△祝賀の辞を 朗読する
      賀露日協約書
 維時大正五年七月三日、露日協約成る、惟ふに我国の貴国に於けるや其の利害休戚を同うするもの一にして足らず、今此協約の結果は独り両国の親善を篤うするのみならず、東洋の平和を永遠に保持するに足る、而して両国の通商貿易は日に月に益々隆盛に向ひ、経済上の連鎖は牢乎として抜く可らざるに至るや必せり、此れ吾人実業家の誠に欣懽抃躍に任へざる所なり、玆に本日を卜し提灯行列を挙行し以て之を慶し、併て貴国臣民に対し深厚なる敬意を表す
  大正五年七月二十日
       東京実業組合聯合会々長勲六等 星野錫
    露国大使クルペンスキー殿
読み終るや大使は満顔崩れん許りの喜びを湛え、長い手を差しのべて「ありがたう、謝します」と日本語で星野会長の手を痛いと云ふ程握る、別庭に溢れた万余の群集は又も日露両国の万歳を三唱した、行列は斯して十時過ぎ日比谷で解散したのであつた
      ▽池畔は煙花で大雑沓
行列は却々出切らぬ、池を繞つて無数の紅提灯が無暗に動揺めいてゐる、煙花が続け様に澄んだ空に五彩の輝きを散らす、万歳が繰返される、池に臨んで茶屋・料理店は、勿論軒並に二階は一杯の人である、清水堂下から東照宮裏手の高台亦一杯の人である、広い池畔から弁天様の境内が、人で埋まつてゐる事は云ふ迄もない、刻々に出て行く行列を見てゐる裡に、八時過から勧業協会前の池中に仕掛煙花が始まつた、或は上下左右或は渦巻く彩火は乱れて池水を沸き立たすかと思ふばかり、川開きの先を越した感興に、夜涼を趁ふて却々散じさうにもなかつた


東京日日新聞 第一四二七〇号大正五年七月二一日 ○東京の大祝賀、露国大使を中心として 帝都は歓びの波、光りの波 朝夜の名士を集めた大夜会 八十団体三万人の提灯行列(DK490132k-0007)
第49巻 p.385-386 ページ画像

東京日日新聞 第一四二七〇号大正五年七月二一日
    ○東京の大祝賀、露国大使を中心として
      帝都は歓びの波、光りの波
        朝夜の名士を集めた大夜会
        八十団体三万人の提灯行列
日露協約大祝賀会の行はれし昨夜の東京市は歓呼の声、紅灯の海と化しぬ、既報の如く会場なる上野精養軒にては入口の大緑門、天幕張、食堂内部の装飾等係員が殆ど徹宵準備せしことゝて万般の設備遺憾なく整ひ、緑濃き葉桜の下は箒目正しく塵一つも留めず、定刻の六時に
 - 第49巻 p.386 -ページ画像 
近づくや、当日の
 ▽主人役たる 奥田市長・渋沢男其他の実業家を始め大隈首相・石井外相以下各国務大臣等を乗せたる自動車・馬車は轍を接して来る、其数無慮千を超えぬ、かゝるところへ主賓たる露国大使クルペンスキー氏以下の館員は、今日の喜びを頒たんと群がる市民の間を縫うて到来す、これを合図に陸軍々楽隊は厳かに日露両国々歌の吹奏を初む、木の間を洩るゝ
 ▽斜陽の光り 柔かにして感激に満てる大使の頰を照せり、式始まるや徳川上院議長先づ起ちて、日露両国が新に固き握手せることのいかに世界平和の上に幸あるべきかの祝辞を述べたるに対し、露大使の慇懃なる答辞あり、更に会衆一同の名にて露国首相に宛て祝電を発したる後、式を閉ぢて祝宴に移り、宴酣なる頃
 ▽両国の万歳 を三唱して満堂歓喜に満つ、此の時不忍池畔に集まれる実業団三万余人の大提灯行列は、星野錫氏に率ゐられて隊伍整々万歳を連呼しつゝ東照宮側より会場前に至れば、露国大使は会場の廻廊に立出でゝこれを迎へ、ウラーを叫びつゝこれに応酬す、斯くて行列は
 ▽蜒々として 数丁の長きに亘り山下通りを二重橋に向つて進み行く、この間余興の煙火は間断なく打ち揚げられ、五色の彩火天を彩どり、地上幾万の紅灯と相対して美観極まりなし、祝宴終るや大使は自動車に乗じて大使館に帰り、こゝにて提灯行列の来るを待ち受く、提灯行列隊は蜿蜒数哩に亘る
 ▽紅の長蛇を 画きて順路を二重橋に出で、陛下の万歳を三唱せしが、此の時二重橋前は正に火の海、人の山の偉観を呈したり、群衆は踵を反し雪崩を打つて霞ケ関なる外務省、露大使館前にて万歳を連呼したるが、大使館にては大使以下館員何れも玄関前に出迎へて一々これに応へたり、同所を辞したる群衆は更に日比谷公園に至り、歓呼の声天地を震撼せんばかりに練り歩きたる後、十時過ぎ解散したり



〔参考〕東京日日新聞 第一四二五七号大正五年七月八日 ○旧友を疎外する勿れ 渋沢男爵談(DK490132k-0008)
第49巻 p.386 ページ画像

東京日日新聞 第一四二五七号大正五年七月八日
    ○旧友を疎外する勿れ
                     渋沢男爵談
日露両国の国交は両国が一衣帯水の位置にありて、夙に親善なる友邦としての関係を有せざるべからざるにも拘はらず、国交兎角に疎隔勝なりしが、欧州戦争は両国の融和に絶好の楔子を与へ、今や攻守同盟とも見るべき日露協約の成立を見るに至りたるは、両国の為実に歓喜に堪へざる所なり、両国の国際関係は以後一層の親善を加へ、国民的外交に於ても情意益相通じ真に善隣の実を挙ぐると共に、両国の福利は為に大に増進せん事期して待つべきものあらん、而も予は此場合新たなる善友に対する厚誼に偏し、旧友を疎外する様の常弊に陥らず、他の協約国に対しても常に親交を忘れざらん事を、特に我国民に対つて警告す



〔参考〕報知新聞 第一四一三八号 大正五年七月八日 ○日露新協約歓迎 渋沢男爵談(DK490132k-0009)
第49巻 p.386-387 ページ画像

報知新聞 第一四一三八号大正五年七月八日
 - 第49巻 p.387 -ページ画像 
    ○日露新協約歓迎
                      渋沢男爵談
史を案ずるに日露両国人が接触の機会を得たるは米国提督彼理の来航以前に属し、当時両国人は互に来往する事ありしも言語の不通其他の不便に制せられて親しく相知るに至らず、有体に言へば双方互に忍び足に探りを入れ合ふが如き状態なりき、従つて屡々両国間に感情上の衝突を惹起し、其極安政の交露国が千島に侵略的行動を執るに至り、我国よりは川路左衛門・溝口原三等遣露の事と為りしが、英国の後援により漸く解決の緒を開けり、然るに其後水戸烈公等が猛烈に攘夷を唱するに及び両国民の感情は又々大なる疎隔を来し、我国民の露国に対する先天的誤解の動機を作れり、爾来所謂不喰嫌ひに相嫉視し久しく両国民が深く相知るの機会を失し、遂に日露の大戦役を見るに至れるは遺憾ながら亦止むを得ざる結果と云ふべし、然るに雨降つて地固まるの俗諺に背かず、日露の大衝突が軈て両国民融和の機会を齎らし爾後双互の関係は漸く密接を加へ来れり、而して這次の欧洲大戦を見るに及び両国民の親交は遽かに緊密の度を加へ、延いて通商貿易の発達を招徠し、最近両国金融機関の設立を唱道する迄に接近せるが、此機会に於て両国間に新たに攻守同盟的協約の締結を見たるは大に歓迎すべき処にして、居常国際道徳を念とせる予輩の国民と共に慶賀に堪へざる次第なり、両国の利害並に地位に鑑み日露の衝突を回避せざるべからざるは勿論、啻に政治上の親善、軍事上の接近に満足せず、今後は努めて通商貿易の進展接近を図り、協約成立と同時に両国民は一大負担を自覚し、各責任を以て精神上・物質上の親善関係を一層厚からしめざるべからず、露国の関税並に両国間の輸送聯絡を改善し通商上一段の進境を策する如き刻下の急務なり、最後に予輩が国民に一顧を煩はさゞるを得ざるは『新しきに親しみ古きに疎なる』人情の弱点に想到し、新協約国との交情和親を計ると同時に、旧締盟国との関係を傷けざる用意を怠らざること是なり



〔参考〕万朝報 第八二七三号大正五年七月八日 新旧の差別勿れ =渋沢男莞爾として曰く=(DK490132k-0010)
第49巻 p.387-388 ページ画像

万朝報 第八二七三号大正五年七月八日
    △新旧の差別勿れ
      =渋沢男莞爾として曰く=
今度の協約ハ私の宿志たる国際道徳の上から大に喜ばしい事と思ふ、干戈を交ゆる事ハ露国に限らず、将来何れの国ともしない様にするが世界的人類の義務で、其第一着手として我邦と最も接近せる露国との間に盟約が成立したのハ、国家の慶事である、我国の物質的文明ハ浦賀湾頭一発の砲声に依り生出された事となつてるが、其ペルリ提督よりもヨリ早く
△日本を知り 来朝したのハ、露国の布恬廷である、して見ると両国に何等かの因縁があつたらしく想像すれバされる、併し当時ハ互に意志が疏通せず、日本でハ一筋に露国に侵略的意向があるかと疑ひ、水戸烈公の如きハ特に北海の警備を厳重にすべく力説したのみか、実際人触れバ人を斬る有様だつたから露国でも大に驚いた、尤も布恬廷が対馬に上陸して欲求する所があり、幕府が使節を出し談判しても容易
 - 第49巻 p.388 -ページ画像 
に島を去らず、英国軍艦が応援の為め出動して無事に解決した事もあるから仕方がない、其英国が露国より前に同国盟国となつたのも面白い因縁だ、斯んな事で互に所謂喰はず嫌ひで年を経、維新後万国皆友邦となつたが、やはり行違ひ多くて日露戦争となつた、是が却つて地固の雨であつた云々



〔参考〕官報 号外大正五年七月八日 ○彙報(DK490132k-0011)
第49巻 p.388 ページ画像

官報 号外大正五年七月八日
○彙報
    ○官庁事項
○日露協約 本月三日露国「ペトログラード」ニ於テ、帝国特命全権大使男爵本野一郎ト露国外務大臣ザゾーノフトノ間ニ調印セラレタル日露協約左ノ如シ
      日露協約
 日本帝国政府及露西亜帝国政府ハ、極東ニ於ケル恒久ノ平和ヲ維持セムカ為協力スルコトニ決シ、左ノ如ク約定セリ
  第一条
 日本国ハ露西亜国ニ対抗スル何等政事上ノ協定又ハ聯合ノ当事国トナラサルヘシ
 露西亜国ハ日本国ニ対抗スル何等政事上ノ協定又ハ聯合ノ当事国トナラサルヘシ
  第二条
 両締約国ノ一方ニ依リ承認セラレタル他ノ一方ノ極東ニ於ケル領土権又ハ特殊利益カ侵迫セラルルニ至リタルトキハ、日本国及露西亜国ハ其ノ権利及利益ノ擁護防衛ノ為、相互ノ支持又ハ協力ヲ目的トシテ執ルヘキ措置ニ付協議スヘシ
 右証拠トシテ下名ハ各其ノ政府ヨリ正当ノ委任ヲ受ケ、本協約ニ署名調印ス
  大正五年七月三日、即露暦千九百十六年六月二十日(七月三日)「ペトログラード」ニ於テ本書ヲ作ル
                      本野一郎
                      ザゾーノフ