デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第51巻 p.67-69(DK510015k) ページ画像

昭和2年9月21日(1927年)

是日、日本銀行総裁井上準之助ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第二百二十三回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第八四巻第五〇一号・第六一頁昭和二年一〇月 録事 東京銀行倶楽部晩餐会(DK510015k-0001)
第51巻 p.67 ページ画像

銀行通信録  第八四巻第五〇一号・第六一頁昭和二年一〇月
 ○録事
    ○東京銀行倶楽部晩餐会
東京銀行倶楽部にては、九月二十一日午後五時半より、日本銀行総裁井上準之助氏を招待して、第二百二十三回月例晩餐会を開き、食後小野委員長の挨拶に次で、井上氏の「休業銀行の整理方針と将来の財界対策に関する希望」に就ての演説後、渋沢子爵の「将来に対する銀行家の覚悟」に関する演説あり、午後九時二十分盛会裡に散会せり


銀行通信録 第八四巻第五〇一号・第三七―三八頁昭和二年一〇月 井上日本銀行総裁就任祝賀晩餐会演説(昭和二年九月二十一日東京銀行倶楽部に放て) 人生不満百、常懐千歳憂 子爵渋沢栄一(DK510015k-0002)
第51巻 p.67-69 ページ画像

銀行通信録  第八四巻第五〇一号・第三七―三八頁昭和二年一〇月
  ○井上日本銀行総裁就任祝賀晩餐会演説
         (昭和二年九月二十一日東京銀行倶楽部に於て)
○上略
    ○人生不満百、常懐千歳憂
                   子爵 渋沢栄一
御馳走を頂戴した御礼に何か申せと、只今委員長から御命令がありました。今日は申上げる為に出たのでは無く、拝聴する為に罷出たので御座いますから、甚だ違却する訳でございますが、御命令に背くも如何かと存じますので、一言申述ることに致します
井上総裁の御懇切なる御演説は諸君と共に謹んで拝聴致しました。殊に現在のみならず将来にまで係つて、且つ単に金融界ばかりで無く我国経済界全体に対して御注意の届いたお言葉のやうに拝承しまして、総てに就て如何にも然りと御答へ申す外は無いやうでございます。定めて諸君も私と同じ感を以て、今の御演説をお聴取になつたことゝ思
 - 第51巻 p.68 -ページ画像 
ひます。古人の語に「人生不満百、常懐千歳憂」と云ふことがあります、杜子美あたりだらうと思ひます。又熊沢蕃山の歌かと思ひますが「憂き事のなほ此上に積もれかし、限りある身の力ためさん」と云ふのがあります。皆時世に対した感想と思ひますが、力ある人の世の中に立ちますのは、此心ゆきを持ちたいものと思ひます。甚だ失礼な申分でありますが、井上君の日本銀行総裁に立たれたのは、所謂力ためさんの時代に遭遇したと申上げても宜しからうと思ひます。不満百、常懐千歳憂は少しお年に不似合だから、それは申しませぬけれども、併し左程遠からざる将来には八十八にならつしやるお方ですから、左様にお若いとばかりは申上げられぬかも知れませぬ。私は多弁を費すことは何もございませぬが、唯々今日――井上君もお出でゝありましたが、――大蔵大臣の所へ矢張銀行問題に就て御呼出に預り、私には何の御用も無い筈と思ひましたが、兎に角罷り出て御馳走を頂戴しました。其時に何か一言申せと云ふことで有りましたから、集つた諸君に対しては甚だ失礼のやうで有りましたけれども、「銀行創立以来もう五十年も経つて居りますが、どうも何か事ある毎にお上のお力にのみ縋る嫌ひが有る。私もさう云ふ意気地なしで有つたらうけれども、未だ意気地なしの人が日本には多いやうに感じます。どうぞお上のお世話にならぬ位の覚悟を以て、事ある時代にも処するだけの用意をそれぞれ致したいものである。自分の事は自らが処理すると云ふ覚悟を持ちたいと思ふ。」と痩我慢の一言を申上げました。是は決して官民を差別した意味で申したのでは御座いませぬけれども、経済界に居る時分に微力ながらも左う思うて居たものですから、自ら斯様に申したのであります。然るに今夕井上君の御講演を拝聴致しまして、銀行界は余りお上の御厄介にならずに相当な処理が出来て行くであらうと云ふことを承知しまして諸君と共に誠に心強く感ずる次第であります。私は井上君をお役人とは思ひませぬから、私の云ふお上と云ふ中には入らぬ訳であります。そうしますと我々の仲間と云ふことになりますが、吾々と同じ仲間に是だけのお人を得まして、休業銀行の整理に於ても深い御意味を含んで御尽力に与ることは心強い次第であります。一体銀行で貸出してあるものを急に取立てると云ふことは、如何にも面倒である。之を穏かに処理するには新銀行を起して之に引継ぐ外は無いと云ふ御趣意かと思ひます。私共曾て未だ経済界に居る時分、二十年も昔でありますが、極めて小さい範囲で、稍々似たやうな事を致したことを覚えて居りますが、小さくても困難でありましたから、況や大きい場合は、一層さうで有らうと深く感ずるのであります。さて現在の整理はそれで宜しう御座いませうが、併し今申します通り、世の中は決して其れのみを以て安んずる訳に行きませぬ。是から先、又二度も三度も有ると考へねばなりませぬ。それこそ、憂き事のなほ此上に積れかしと望む訳では御座いませぬが、到底無くする訳には行かぬだらうと思ひます。左様な場合には必ず之に応ずるの覚悟なかるべからずでありますから、只今のやうな深い御趣意を以てお考へ下さることは、誠に適切であると深く感佩致す次第であります。定めて諸君も同じ考を持つて居られることゝ思ひます。今夕斯様な御席に参上致
 - 第51巻 p.69 -ページ画像 
しまして、此喜ばしいお話を拝聴したに就て、喜びと共に憂ふる事を申述べる次第でございます。百に満たず千歳の憂ひと申しますのは、唯々憂ひばかりでは有りませぬ。憂ひの間に喜びも有る。喜びの間に又憂ひが有る。始終交互錯綜するのが人の世の常である。憂ひの間に喜び、喜びの間に憂ひつゝ過ごして行かなければならぬのが、人類の世にある務めと考へて居ります。蓋し井上君も同じやうに考へて居られることゝ思ひます。今夕此席を与へられた謝辞として、井上君の演説に対する批評では無く、敬服した点に就て聊か申上げた次第でございます(拍手)