デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.34-41(DK040002k) ページ画像

明治6年6月(1873年)

是月同行、大蔵省ト官金取扱ノ約定ヲ締結シ、爾来其事務ヲ取扱フ。尋イデ内務省・駅逓寮等ノ官金出納事務ニモ任ジ、明治九年六月ニ至ル。


■資料

太政官日誌 明治六年第九十九号 ○七月二日(DK040002k-0001)
第4巻 p.34 ページ画像

太政官日誌 明治六年第九十九号
○七月二日
  〔第二百三十六号同 ○布告〕諸省使
省使定額金請払方ニ付テハ各自便宜ヲ以テ商会又ハ有名ノ豪商等ヘ申付、出納ノ現務為取扱候処、此度大蔵省ニ於テ官金取扱方ヲ第一国立銀行ヘ命シ、別紙ノ通約定相設候ニ付、向後省使トモ右約定書ニ倣ヒ約束ノ草案ヲ設為シ、従前取扱方申付候者、又ハ将来可申付モノトモ名前取調、都テ大蔵省ヘ照会ノ上同省承諾ヲ以テ結約イタシ、出納事務精確相成候様可致事
  〔第二百三十七号同 ○布告〕府県
府県貢納金為替方、並ニ県費請払出納等ニ付テハ各自便宜ヲ以テ商会又ハ有名ノ豪商等ヘ申付、出納ノ現務為取扱候処、此度大蔵省ニ於テ官金出納取扱方ヲ第一国立銀行ヘ命シ、別紙ノ通約定相設候ニ付、向後府県ニ於テモ右約定ノ成則ニ従ヒ、草案ヲ設為シ、為替出納等為取扱候モノ名前取調、都テ大蔵省ヘ伺出、其指図ニ任セ約束等相定、出納筋厳重取締可致事


貨政考要法令編 第一巻・第一〇一―第一一〇頁(DK040002k-0002)
第4巻 p.34-37 ページ画像

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第一国立銀行半季実際考課状 ○第一回〔明治六年下期〕(DK040002k-0003)
第4巻 p.37 ページ画像

第一国立銀行半季実際考課状
  ○第一回〔明治六年下期〕
○上略
大蔵省金銀出納取扱方御規則御達ニ付其条款中追願ノ件々ヲ記載シ更ニ之ヲ願出シ七月二十九日出納寮ヨリノ公許ヲ得、御達ノ御規則書一冊ハ頭取取締役記名調印シテ之ヲ上呈シ其一冊ハ銀行ニ格護イタシ候右取扱方ヲ命セラレ常ニ多数ノ官金御預リヲ為ニ付、其抵当トシテ銀行ノ貨附証書類及公債証書ノ類ニテ高七拾五万円ノ実額ヲ大蔵省エ御預ケ申上置候
○中略
大蔵省御預リ金ハ従前甲乙二冊ノ通帳ヲ相用ヒ居候処、銀行元帳ヲ洋式ニ改正イタシ候ニ付、右通帳並毎月差引帳トモ都テ改正ノ旨雛形ヲ以出納寮エ相伺、記載方法等マテ十二月二十日同寮ノ裁允ヲ得申候

第一国立銀行半季実際考課状 ○第二回〔明治七年上期〕(DK040002k-0004)
第4巻 p.37-38 ページ画像

  ○第二回〔明治七年上期〕
内務省金銀取扱ノ儀、当銀行ヘ御下命可相成ニ付、手続書差出スベキ旨御達相成、一月十七日、二月十四日両度書面ヲ以上申候処、金銀受払
 - 第4巻 p.38 -ページ画像 
ハ二月十五日ヨリ御用相勤、廉書申立ノ儀ハ三月四日其允裁ヲ得申候
○中略
司法省過料金贖罪金手形ヲ以預リ方ノ儀、手続書面ヲ以テ申上候処、二月廿八日御聞届相成、其手続ニ従ヒ取扱罷在候
○中略
駅逓寮金員証券取扱方ノ儀、四月十三日御達ニ付其方法ニ従ヒ取扱罷在候
○中略
大蔵省出納ハ金庫ヲ分ケ取扱可申旨御談ニ付、四月廿日ヨリ別庫取扱罷在候

第一国立銀行半季実際考課状 ○第三回〔明治七年下期〕(DK040002k-0005)
第4巻 p.38 ページ画像

  ○第三回〔明治七年下期〕
駅逓寮金銀出納ノ儀ハ当銀行創立ノ初メヨリ御用取扱罷在候ヘドモ、未ダ其御約定モ致サヽルニ付、更ニ内務省ノ例ニ做ヒ取扱規則廉書ヲ以テ申請ノ上十月廿五日其公許ヲ得、以来其手続ニ従ヒ取扱罷在候
租税其外諸上納金並拝借返納金等大蔵省ヘ可相成分諸向ヨリ御預相成本納未済ノ分ハ仮預金ト相唱、以来出納寮御都合ニヨリ時々御金庫ヘ御繰入可相成旨大蔵省ヨリ御達相成、其手続ハ都テ出納寮ノ御指揮ニ従ヒ取扱罷在候
○中略
造幣寮金銀出納取扱ノ儀、当銀行大阪支店ニ於テ旧為換方御用相勤候頃ヨリ御下命相成居候所、別段手数料等御下渡無之ニ付、各所出納御用取扱ノ振合ヲ以テ御約定イタシ、其成規ニ準拠取扱罷在候
大阪府裁判所出納取扱ノ儀、同所当銀行支店ヘ御下命相成候ニ付、規則廉書ヲ以申立御約定取結ヒ御用取扱罷在候

第一国立銀行半季実際考課状 ○第四回〔明治八年上期〕(DK040002k-0006)
第4巻 p.38 ページ画像

  ○第四回〔明治八年上期〕
大蔵省御預金ハ臨時出納寮ヨリ撿査有之候処、近来御預リ金モ数廉ニ相成、随テ金高モ多数相成ニ付、順序整頓不致テハ毎撿査区々相成、且繁雑ノ儀モ不少ニ付、撿査条例ニ照準取扱可申旨三月十八日出納寮ヨリ御達相成、以来右条例ニ準拠取扱罷在候
○中略
博物館並米国博覧会事務局出納御用御下命相成ニ付、日々手代ヲ出張為致御用取扱罷在候
勧業寮支庁ヨリ金銀出納取扱之儀、当銀行ヘ御下命可相成旨御談ニ付手代出張為致御用取扱可申見込ニ有之候

第一国立銀行半季実際考課状 ○第五回〔明治八年下期〕(DK040002k-0007)
第4巻 p.38 ページ画像

  ○第五回〔明治八年下期〕
煙草税御施行ニ付、営業税並手数料収入方取扱ノ儀、租税寮ヨリ十二月二日御下命相成申候
内務省衛生局三府司薬場御用金取扱方御下命相成候ニ付、東京大阪西京トモ手代出張御用取扱罷在候


第一銀行五十年史稿 巻二 ○第一―五頁(DK040002k-0008)
第4巻 p.38-39 ページ画像

第一銀行五十年史稿 二巻
  ○第一―五頁
    営業の開始と事務の種別
第一国立銀行が官金出納の事務に任ずべき事は成立以前より既に政府
 - 第4巻 p.39 -ページ画像 
と内約あり、されば明治五年八月其予備行為として三井小野組合銀行起り、之に託するに大蔵省の為替御用を以てしたるが、この組合銀行は初は東京銀行・東京銀行組・三井小野銀行・三井小野組合会社など記して名称必ずしも一定せざりしものゝ如し、然るに八月十五日に至り第一国立銀行の名称を許可せらるゝと共に九月二十二日を以て兜町なる新築の五層楼に移り官金出納為替御用の事務を取扱ひたり、此以前は本両替町にあり 明くれば明治六年二月に至り政府は更に為替座を廃し従来三井組にて取扱へる事務をも第一国立銀行に移したり、この為替座といへるは明治四年五月に公布せる新貨条例に「貨幣は天下万民の通宝たる主旨に基き地金を持参して引換を望むものへは速に改鋳して通用貨幣を渡すべし」とあるに基き同年六月三井組に為替座を命じ地金銀と新貨との引換をなさしめたるものなり、かくて本行が営業を開始せる前六年六月大蔵省第一国立銀行金銀取扱規則成りて互に記名調印せり、これによれば公衆より大蔵省に納付する現金は之を銀行に納め、銀行は預り手形を交付す、納主は其手形に納証書を添へて出納寮へ本納の手続を為し、出納寮は預り手形を銀行に送致し、出納寮宛の預り手形と交換し、此に収入を完了するものとす、然して公衆へ払渡すべき現金は出納寮より請取主に交付する切符により銀行は請求に応じて之を支出し、毎月両度づゝ諸払計算表を提出し、残金は出納寮の命に従ひ上納すべきものとなせり、なほ銀行は預金に対する担保として其半額に相当する公債証書又は確実なる証書類を大蔵省に差出すべき事、預金高は常に二百万円或は百五拾万円を極度とすべき事をも定めたり、かくて本行は官金の出納と為替事務とを取扱ふべき御用銀行としての基礎全く成り、爾来引つゞきて内務省及び駅逓寮等の金銀出納を掌り、次第に其事務を拡張せる事は、下文において述ぶる所あるべし、当時商工業発達の気運漸く長じ、各種の企業計画ありしも、そは大勢上につきての観察のみ、実際はいまだ銀行と取引を開始するの商人等多からざりしかば、官金出納の事務を本行の重なる業務とせり、此の事実は営業の確実を期待したるものにして神戸横浜の両支店が御用金取扱のみを専務とせるも此趣意に基けるなり、尋で十一年京都《(マヽ)》にも出張所を設けて官金出納の事務を執らしめたり。
本行は官金出納に関する大蔵省との契約に基き、預り金の抵当として差向き実額七十五万円の証書類を同省出納寮に提供せしが、事務処弁の便宜上、官金部と営業部とを劃然区別するの必要を感じたれば、尋で営業所の一部を割きて大蔵省金銭出納取扱所なる看板を掲げ、専任の役員をおき、租税其他の官金を取扱ひ、以て両者の混乱を避くる事となしたり、駅逓寮の官金出納事務取扱も此際よりの事なりしが公然の契約を為すに至らず、其次第亦詳ならず。

第一銀行五十年史稿 巻二 ○第二〇―二一頁(DK040002k-0009)
第4巻 p.39-40 ページ画像

 ○第二〇―二一頁
  官金部と営業部との金庫の区別
官金部においては大蔵省の出納を取扱ふこと旧の如くなりしが、本年○明治七年に至り金庫を分ちて取扱ふべきよしの命に接し、四月以来之を実行せり、又三月には内務省の官金出納をも命ぜられて三月七日契約書を交換せり、条件は概ね大蔵省との契約と同じければ繁を避けて之
 - 第4巻 p.40 -ページ画像 
を註せず、尋で駅逓寮と官金出納に関する契約書を締結す、これ前年以来其事務を取扱ひたれどもいまだ公然の約束なきが故に、大蔵内務両省の例に傚ひて玆に及べるなり。


青淵先生伝初稿 第九章中・第二―三頁〔大正八―一二年〕(DK040002k-0010)
第4巻 p.40 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章中・第二―三頁〔大正八―一二年〕
  開業に於ける営業の状態
○上略 かゝる有様なれば、其営業状態○第一国立銀行初期の営業状態の活溌ならざりしは勿論なり。此に於て先生は先づ官金出納事務に重きを置き、徐に銀行事務の発達を図らんとせり。抑々官金出納事務を第一国立銀行に於て取扱ふべきことは、先生在官時代よりの予定にして、既に其準備として大蔵省為替方を廃し、三井・小野組合銀行をして之を取扱はしめたる程なれば、明治六年六月営業開始以前に、大蔵省との間に官金出納に関する契約書を締結し、尋で内務省駅逓寮の官金出納事務にも任じたれば、恰も政府御用の銀行たる観ありしは、誠に已むを得ざるの事情なりき。よりて先生は営業部と官金部との区別を明にせんが為に、本店営業所の一部を割きて、大蔵省金銭出納取扱所の牌を掲げ、専任者を置きて、特に租税等官金の収支を区別し、以て両者の混淆を予防せしめたり。 ○下略


佐々木勇之助氏座談会筆記(DK040002k-0011)
第4巻 p.40-41 ページ画像

佐々木勇之助氏座談会筆記 (竜門社所蔵)
○上略
佐々木氏―其時分、御用方と言つて大蔵省金銭出納取扱方の看板が銀行を入ると右側にあつた。 ○下略
   ○明治九年六月以降同行ノ官金取扱ヒハ停止セラレタリ。明治九年三月五日ノ条ヲ参照スベシ。
   ○同行創業当時ハ未ダ一般営業事務ハ十分ナル発展ヲ遂ゲズ、寧ロ官金取扱事務ニ重点ガオカレタリ。試ミニ当時ノ預金ヲ見ルニ政府預金ハ民間預金ニ比シ圧倒的ナリシコトヲ知ル。
     ▽明治六年十二月三十一日
        定期預金          三七四、六五四
        大阪支店定期預金        五、九八三
        当座預金           五四、二三六
        大阪支店当座預金        四、四三四
        横浜支店当座預金        三、五〇六
        手形預           二三六、〇四九
        御用準備預金      二、一二一、〇九八
        大阪支店御用準備預金  一、五四〇、五二一
        横浜支店御用準備預金  一、四三八、二八九
        神戸支店御用準備預金     七二、三一七
        御用手形預       一、〇八一、九九三
        大阪支店御用手形預       八、三九四
        横浜支店御用手形預       一、八七九
        別段預金        二、一七〇、五〇〇
           (明治六年下半期第一国立銀行本店及支店半季実際報告)
     ▽明治七年六月三十日
        定期預金          四一五、二七八
        当座預金          四七九、六八四
        手形預           二七〇、二五九
        御用準備預金      四、二一五、八〇六
        御用手形預金      三、四六四、二一五
        別段預金        一、一三六、七六五
           (明治七年上半期第一国立銀行半季実際報告)
     ▽明治八年六月三十日
        定期預金          四四九、四六〇
 - 第4巻 p.41 -ページ画像 
        当座預金          九六七、一六〇
        振出手形          一六二、八五八
        別段預金           一九、七六五
        御用準備預金      一、八七七、五六九
        御用振出手形      一、六七二、六九八
        旧金銀紙幣引替元      二四八、三二五
        約定預金            三、一〇〇
           (明治八年上半期第一国立銀行半季実際報告)