公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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明治7年2月(1874年)
同行、在外公使館領事館ノ為替事務引受ノ事ヲ外務大蔵ノ二省ニ出願シ、海外発展ヲ画ス。政府之ヲ許可セズ。蓋シ大蔵省ニ於テ銀行指導ノ任ニ当リシ英人アレクサンダー・アーレン・シヤンドAlexander Allen Shandノ反対アリシガ為メナリ。
第一銀行五十年史稿 巻二・第二五―二六頁(DK040009k-0001)
第4巻 p.73-74 ページ画像
第一銀行五十年史稿 巻二・第二五―二六頁
海外発展の計画と其中止
此の如く営業の発展と共に、更に海外にも拡張を計らんとし七年二月欧洲諸国にある我が公使館領事館の為替御用引受のことを、外務大蔵の二省に出願し、三月重ねて請ふ所あり、此時に際し生糸蚕卵紙の欧洲輸出の途既に開けたれば、其取立代金を公使館領事館の費途に充用して、往返為替打歩の冗費を省き、且つ其資金の運転を速にして、内は民業の発達に資し、外は海外の発展を策せんとしたるが、不幸にして政府の納るゝ所とならざりき。蓋し当時大蔵省に雇聘せられて銀行業の指導者たりし前掲のシヤンド氏が、普通銀行としての基礎未だ鞏
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固ならざる際、外国為替の業務をも併せ営まんとするは危険なりとていたく反対せるによれるなり。是において該計画を中止するの已むを得ざるに至りたれども、此時総監役渋沢栄一がシヤンドの好意を謝したる文中に「現今我国の外国に通商するは只内地に在る外国銀行に交渉するのみにして未だ外国に渡航する能はず是れ拙生の今日に憂苦する所にして而して他日商業進歩して渡航するの日あるに於ては此銀行の業も外国に連及せざる可らず故に其好機に際せば更に其方法を審案して此銀行の支局を外国に創立せんも亦知る可らず」といへるを見ても其意気を察すべし。
青淵先生伝初稿 第九章中・第九―一〇頁(DK040009k-0002)
第4巻 p.74 ページ画像
青淵先生伝初稿 第九章中・第九―一〇頁
外国為替取扱の計画と其中止
同年○明治七年二月欧洲諸国にある我が公使館・領事館の為替御用引受の事を、外務・大蔵の二省に出願せり、これは生糸蚕卵紙の輸出漸く巨額に上りしかば、其取立代金を以て公使館・領事館の費用に充て、往返為替打歩の冗費を省くと共に、其資金の運転を速にして、内地産業の発達に資せんが為なり。然るに大蔵省の雇たる英国の銀行学士シヤンドは、普通銀行としての基礎未だ成らざるに外国為替に著手するは危険なりとて、いたく反対せしかば先生等の請は遂に許されざりき。
佐々木勇之助氏座談会筆記(DK040009k-0003)
第4巻 p.74-77 ページ画像
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