デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.293-314(DK040025k) ページ画像

明治9年(1876年)

国立銀行条例改正後国立銀行ノ開業セルモノ多ク爾後数年間同行ハ之等新設銀行ノ指導者タル役割ヲ果シタリ。栄一、当時「中外銀行説一斑」ヲ著ハシ、ソノ育成ニ資スル所アリ。


■資料

青淵先生伝初稿 第九章下・第一六―一八頁〔大正八―一二年〕(DK040025k-0001)
第4巻 p.293 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章下・第一六―一八頁〔大正八―一二年〕
    各国立銀行に対する指導
先生が第一国立銀行を経営するや、同業者皆先生を泰斗と仰ぎ、相継ぎて起れる各地の国立銀行は、其定款内規等の範を第一国立銀行に採る者尠からず、特に其行員を派遣して、業務を伝習せしめたる者も多数に上り、松本第十四十年八月開業岐阜第十六十年十月開業福岡第十七十年十一月開業長崎第十八十年十二月開業岡山第二十二十年十一月開業大分第二十三十年十一月開業長岡第六十九十一年十二月開業仙台第七十七十一年十二月開業一ノ関第八十八十一年十二月開業盛岡第九十十一年十二月開業米沢第百二十五十二年二月開業等の二十余行を算す。先生は部下を督して懇に之を教諭し、其成立の後も尚指導を懈らず。銀行紙幣の製造未だ成らざる際には国立銀行条例改正後、政府は銀行紙幣を改造せり公債を抵当として営業資金を供給せることも亦多かりき。コルレスポンデンス約定の締結、預金・貸付の開始等行はるゝに及びては、両者の関係益々密なり。かくて数年の間第一国立銀行は以上の諸銀行に対して、恰も中央銀行の作用を為したりければ、第一国立銀行の恵沢は是等諸銀行を通じて、各地方に潤霑するを得たり。


第一国立銀行半季実際考課状 第八回〔明治一〇年上期〕(DK040025k-0002)
第4巻 p.293-294 ページ画像

第一国立銀行半季実際考課状 第八回〔明治一〇年上期〕
    ○本支店景況之事
一本店ノ業務ハ逐季昌ヲ開キ数目ノ科業一モ却歩スルモノナク、商估ノ資ヲ需メ富家ノ財ヲ托スルモノ日一日ヨリ多キニ至ルハ問ハスシテ世信ノ帰スルヲ知ルヘク、加之方今各地方ニ於テ銀行ヲ創立セントスル者ハ槩ネ当行ニ問テ其規画例軌ヲ叩キ、殊ニ本店ノ実際ニ就テ習ハント欲シ、或ハ簿記ヲ学ハント請フモノ少ナカラス、之ハ是営業ノ利病ニ直接セサルモノト雖トモ又世信ノ如何ヲ徴スルニ足ルヘシ、然而シテ其資ヲ需メ財ヲ托スル者ノ多キニ比シテ窃カニ充足セサルモノアリ、是レ他ナシ春来西南ノ変ト魯土ノ釁ト併セテ貿易場ニ不利ヲ与ヘ、就中東京ノ如キハ最モ之ニ感触セラレテ凡ソ剛毅
 - 第4巻 p.294 -ページ画像 
果断者ニアラサルヨリハ手ヲ束ネテ資ナキヲ歎キ、貨ヲ陳列シテ售レサルヲ労シ、更ニ甚キニ至テハ夏葛冬裘ノ外供給ノ途ナク、飢食渇飲ノ他又需用ニ遑アラスト謂フヘキ者ナリ、此時ニ当リ本店常ニ一歩逡巡セスシテ遠近ノ信依ヲ重ネ、概シテ全面ニ論スレハ実ニ前季ニ超邁スルヲ得レハ其充足セサル者ハ一朝時変ニ際会スル所ニシテ毫モ憂ルニ足ラサルヘシ、而シテ当季利益金配当ノ如キハ年一割四歩ニ当レハ昨半季ニ減スルナシ、而シテ昨年ノ半季ハ当時望外ノ利ト謂ヒシモノナリ、由此観之本店営業ノ如キ此時変窮阨ノ日ニ於テ猶能ク昨季望外ノ額ニ遜ラサルモノハ盖シ営業昌運ノ象ト明言スヘシ
○下略


第一銀行五十年史稿 巻三・第一―二頁(DK040025k-0003)
第4巻 p.294 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻三・第一―二頁
    新設国立銀行の状況
此銀行条例の改正は、国立銀行の営業に非常なる利便を与へしのみなず、政府もまた銀行創立を奨励せしかば、明治九年には本行又び第二第四第五の既設四国立銀行が改めて開業免状の下付を得たる外に、東京第三国立銀行の設立あり、明治十年以後に至りては国立銀行の創立各地に起り、同十二年には其行数百五十三行、紙幣発行額三千四百四十二万円に上るの有様なりき。而してこの新設せられたる国立銀行は営業の開始と共に範を先進銀行に求めざるを得ざれば、概ね皆其行員を本行に派遣して、業務上諸般の習慣規定を尋ね、或は親しく本行の実務に従ひ、手形の作成、利息の計算、半季決算の方法、其他を練習見学せしかば、本行は此等新銀行の指導者となりたるのみならず、銀行紙幣のいまだ製作せられざる間は、公債を抵当として営業資金を供給せることもまた多かりき。されば両者の間自ら親善の関係を生じ、為替約定の締結、預金貸付の開始など、次第に拡大せられ、爾後数年間は是等の諸銀行に対して中央銀行たるの作用をなしたり。


国立銀行簿記一斑 第一編・第二編合巻 序 【明治十二年菖蒲花月 青淵渋沢栄一識】(DK040025k-0004)
第4巻 p.294 ページ画像

国立銀行簿記一斑 第一編・第二編合巻 序

出納ヲ経理スル是ヲ会計ト曰フ、会計ヲ条析スル是ヲ簿記ト曰フ、簿記ノ法西式尤其精致ヲ得ル、是ニ由テ官衙ノ会計、銀行ノ計算概ネ皆之ニ仿フ、蓋其精致ニ就ク者ナリ、第百国立銀行主簿鍋倉直氏、国立銀行簿記一斑ヲ著ハシ、序ヲ余ニ請フ、其書専ハラ貸借ノ理ヲ弁シ並ニ簿式数例ヲ載ス頗ル周詳ヲ得ルト謂ツヘシ、方今簿記ノ書世ニ出ツル日一日ヨリ多シ、然レトモ余未タ其多キヲ厭ハスシテ其普ク行ハレサルヲ憂フルノミ、何為ソ官衙ノ会計、銀行ノ計算ノミ其精致ヲ要センヤ、凡ソ会計ヲ執ル者農ニ工ニ商ニ皆宜シク之ヲ詳明ニセサルヘカラス、余嘗ニ《(マヽ)》謂ラク、財業盛ンナルニ至レハ簿記精致ナラサルヲ得ス既ニ精致ナラサルヲ得サレハ其書ノ将ニ行ハレントスルヤ期シテ俟ツヘキナリ、然則簿記ノ能ク行ハルヽハ以テ財業ノ盛ンナルヲ卜スルニ足ル者カ、是ヲ序ト為ス
 明治十二年菖蒲花月     青淵渋沢栄一識

 - 第4巻 p.295 -ページ画像 

中外銀行説一斑 全(DK040025k-0005)
第4巻 p.295-313 ページ画像

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〔参考〕稿本日本金融史論 (滝沢直七著) 第九二―九四頁 〔大正元年〕(DK040025k-0006)
第4巻 p.313-314 ページ画像

稿本日本金融史論 (滝沢直七著) 第九二―九四頁 〔大正元年〕
国立銀行条例の改正たるや、元来が貨幣価格の変動によつて金貨の引換多かりしに原因せしを以て、金貨兌換の制を改めて銀行紙幣の引換が無かつたならば銀行紙幣の流通多かるべく、随てその発行担保たる公債の需要増加せざるを得ない道理である。かくて公債価格の維持と金融機関の発達との二の目的を達することを得るために、(一)銀行紙幣の金貨兌換制度を改めて通貨(政府紙幣)を以て兌換せしむることと為し、よし正貨の流出があつても正貨兌換の憂はなく、政府紙幣と同一の信用を以て銀行紙幣をしてよく流通せしむるやうにした。紙幣発行の準備金に至つては発行紙幣の四分の一だけを通貨即ち政府紙幣を以てするのであつて、こゝに金札引換公債証書を発行して政府紙幣を銷却する目的を廃してしまふたのであつて、金札引換公債は明治六年に百五十八万二百円明治七年に六十三万三千三百五十円明治八年には二万五千円を発行せしに止つてその後明治十三年まで発行を見ないやうになり、明治五年の国立銀行条例の精神は没却せられたのである。(二)されば伸縮自在の弾力を有した兌換制度を廃棄してしまふて、政府紙幣と兌換するのであるから国立銀行紙幣は政府紙幣と同一性質となり、常に同一価格を保つべき不換紙幣に陥いつて了うたのである。これ等二紙幣は後ち価格の変動を起し来たつて金融その他の経済に至大なる影響を与へた種子をばこの時に播いたのであつた。而して(三)国立銀行は四朱以上利附政府発行の公債証書はその種類を問はずこれを資本金の十分の八までは大蔵省に抵当と為し紙幣を発行し得るやうにしたので、要するに紙幣発行の制限を拡張した訳となり、国立銀行の利益の増進を謀り以てその発達を促したのである。(四)国立銀行条例の改正は啻に条規の改正に止まらず、実際旧条例に拠つて施行した処分までも尽く改正せられた。即ち改正以前に設立した第一第二第四及第五の四銀行が発行紙幣の抵当として政府に納めたる公債は、その額面の金員を納めて政府より下附された年六朱利附金札引換公債である。改正条例に準拠する国立銀行は四朱以上利附の公債を時価を以て買収して納むるものとはその利益に於て大なる相違がある。例へば額面百円の年六分利附金札引換公債を百円を以て下附せられたものと年八朱利附秩禄公債の時価八十八円を以て買収して納むるとは利率に於てまた価格に於て旧条例準拠の国立銀行は大なる損失があるから、政府はこれを救済するために曾てその発行紙幣を抵当として同額の新紙幣を貸下げた金額を差引いて、旧条例準拠の国立銀行より大蔵省に預
 - 第4巻 p.314 -ページ画像 
入れた金札引換公債証書を買戻し、改正条例に準拠して創立せらるべき国立銀行と均衡を得せしめたのである。かくして旧条例準拠の国立銀行をして新条例に準拠せしむるやうに改めしめた。
この条例改正の特典は国立銀行なる企業に大なる刺戟を与へたのである。改正条例に準拠すれば国立銀行は有利の地位を占むること既に述べしが如くであつて、また各地方に於てその紙幣発行の上に信用の上に独占的事業であつてその企業を刺激せざるを得ない。まして官庁の奨励至らざる所なきに於ておや。今その盛況を数を以て示そう。
    年度 年度内ニ開業セシ銀行ノ数   同上資本金
   明治 九年度    一二行    二一、一七六、一〇〇円
   同  十年度     二七     三、二三〇、〇〇〇
   同  十一年度   一〇九    一二、五四五、〇〇〇
   同  十二年度     五       七七五、〇〇〇
   合計        一五三    三七、七二六、一〇〇
この表に見るが如く急速の発達を国立銀行に見るに至つたけれども、その創立は各地経済社会の自然の必要に迫られて設立せられたものではない。政府は設立すべき国立銀行の資本額及銀行紙幣の制限額を定め、紙幣の総額を三千四百四十二万余円となし、これを各地方に配分するに表を製して許可を決したのである。国立銀行は発行銀行であつて放任して妄りに設立せしむべきにあらず。然れども、その標準たるや、人口と租税とに因つたものであるから当時の経済事情に恐らくは適しなかつた所もあつたであらう。