デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.446-450(DK040042k) ページ画像

明治16年5月30日(1883年)

政府日本銀行ヲ設立シテ兌換制度ヲ確立セントシ、五月五日国立銀行条例ノ改正ヲ布告ス。是ニ於テ国立銀行ノ営業期間ハ開業許可日ヨリ向フ二十年後ト制定サレ、其期間内ニ銀行紙幣ヲ銷却スルコトヽナレリ。同行此変革ニ処シテ合同紙幣銷却法ヲ提唱シ、是日政府ノ容ルヽ所トナル。栄一本件ニ尽力スル所多シ。


■資料

第一国立銀行半季実際考課状 第二〇回〔明治一六年上期〕(DK040042k-0001)
第4巻 p.446-447 ページ画像

第一国立銀行半季実際考課状 第二〇回〔明治一六年上期〕
    諸御達並願伺届之事
 - 第4巻 p.447 -ページ画像 
一五月五日太政官第十四号ヲ以テ、銀行条例ノ改正ヲ布告セラレタリ
○中略
一五月十日大蔵卿○松方正義ヨリ銀行条例改正ニ付、銀行紙幣償却方法ヲ当銀行頭取渋沢栄一ヘ面親説示セラレ、右命令書ヲ下付セラレタルニ付、同十四日受書ヲ上呈セリ
一五月三十日大蔵卿ヨリ国立銀行条例追加第百十二条ニ拠リ、日本銀行ニ於テ各国立銀行ノ発行紙幣ヲ消却スルニ付、合同消却方ヲ定ラレ、即チ別冊方法書ヲ以テ達セラレタリ
○中略
一同日○六月廿八日日本銀行ヨリ銀行条例追加第百十二条ニ拠リ銀行紙幣償却方ヲ同行ヘ命令セラレタルニ付、右命令第十九条ニ遵ヒ契約スヘキ文案ヲ照知セラレタルニ依リ、即日約定書ヲ交互セリ
   ○別冊方法書欠除セリ。


第一銀行五十年史稿 ○巻三 第八二―八四頁(DK040042k-0002)
第4巻 p.447-448 ページ画像

第一銀行五十年史稿
  ○巻三 第八二―八四頁
    国立銀行条例再度の改正
是より先き政府が紙幣整理の大業に着手するや、啻に政府紙幣のみに止まらず、同じく不換紙幣たる銀行紙幣をも整理せんとす。然れども正貨兌換に引直したる銀行紙幣の発行権を依然として旧の如く国立銀行に継続せしめ、兌換制度運用の任務を分散的に行はしむるか、或はまた現在の国立銀行制度を変革して、別に中央銀行を設け、この中央銀行に対してのみ兌換券発行の特権を附与するかに就きては、政府部内に議論ありしが、後ち遂に後説を採り、日本銀行条例の公布を見るに至り、かくて日本銀行は十五年十月十日を以て其営業を開始せり。
    日本銀行の設立
当時政府は日本銀行に対して、当分兌換券の発行を許可せざりしかども、本来の目的が中央兌換銀行たらしむるにあること勿論にて、日本銀行条例に其規定を掲げたれば、国立銀行が紙幣発行の特権を失ふべきは、当然免るべからざる運命なりき、是に於て政府は、現在の国立銀行を変形して普通銀行たらしむるが為めに、十六年五月国立銀行条例に重大なる改正を加へたり。
    条例改正の綱要
今其要点を挙ぐれば、(一)開業を許可せられし日より二十ケ年間其営業を継続するを得べく、満期の後は更に私立銀行の資格を以て、同じく営業を継続するを得るも、紙幣発行の特許を有し、国立銀行の資格によりて営業を継続するを許さず、(二)発行紙幣は営業期限内に悉皆之を銷却し、其取扱は、日本銀行をして従事せしむ。而して銀行紙幣銷却の方法は、紙幣下付高四分の一に相当する通貨を以て、発行紙幣引換の準備に充て、之を日本銀行に納付して、紙幣銷却の元資となす。日本銀行は更に此準備金にて公債証書を購ひ、其利子を以て年々紙幣銷却の元資に宛つると共に、各銀行の利益金中より、其紙幣下付高に対し年二分五厘に当る金額を日本銀行に預入せしめ之を以て公債証書を買収し、其証書より生ずる利子をも、また紙幣銷却の元資に供し、若
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し買収せる公債証書の中、抽籤に当り償還せらるゝものある時は、其金額は日本銀行之を受取り、更に其受取りたる金額にて公債証書を買収し、紙幣銷却の元資に加へ、此の如くして営業満期の後に及び、なほ紙幣銷却の残高あらば、以上の公債証書を買却して悉く之を償尽するにありき。要するに営業満期と共に、銀行紙幣の銷却を了へ、国立銀行制度を停廃し、専ら中央銀行の制度となさんとするが、条例改正の目的なりしなり、この改正に際し、本行の頭取は政府と国立銀行との間にありて、尽力周旋せること大方ならず、かの紙幣銷却の方法が比較的時宜に適したるは、政府当局者の苦心によること勿論なれども、本行の斡旋も亦与りて力ありしなり。かくて国立銀行条例改正の結果本行は他の国立銀行と同じく、営業の年月を限定せられ、近き将来において普通銀行に変形すべき運命を有するに至りたれば、営業の改善発達を図るの傍、亦徐ろに之が準備に従へり。

第一銀行五十年史稿 ○巻四 第六九―七二頁(DK040042k-0003)
第4巻 p.448-449 ページ画像

  ○巻四 第六九―七二頁
    銀行紙幣の銷却
国立銀行が其営業満期以前において発行紙幣の銷却を了し、満期の後は普通銀行に変形して営業を経続するか解散閉店するか其一を択ばざるべからざることは、明治十六年五月改正の国立銀行条例に規定する所なり、本行は明治九年改正の国立銀行条例によりて開業免状を得たるは、同年九月廿六日なりしかば、明治二十九年九月廿五日を以て営業満期に達せんとす、是れ国立銀行の営業年限は満二十ケ年なればなり、是において本行は条例の規定に従ひ、発行紙幣の銷却に着手せんとす。
    紙幣銷却の方法
抑々銀行紙幣の銷却は国立銀行全体の休戚に関する大事件にして、また一般経済界に及ぼす影響の至大なるものなり、されば政府も銀行者も皆慎重の態度を採りて処分策の講究を怠らず、初め政府が紙幣銷却の方法を定むるや、各国立銀行は日本銀行と特約して現在各国立銀行の有する紙幣引換準備金を日本銀行に納付し、営業年限内之を定期預となして銷却の元資に充て、又各銀行毎半季利益金中より其紙幣下附高に対し年二分五厘に当る金額を積立て同じく之を日本銀行に預けて銷却の元資に充てしむ、日本銀行はこの両種の元資金を公債証書に換へ之より生ずる利子を以て年々紙幣を銷却し、明治三十年の頃に至り国立銀行満期と共に、其公債証書を売却して残部紙幣の銷却を了するにあり、改正国立銀行条例及び大蔵卿より明治十六年五月十日国立銀行への命令書、同十一日日本銀行への命令書に規定する所実に此の如くなりき、
    本行の紙幣合同銷却の意見
されば本行は日本銀行と紙幣銷却に関する約定を締結したるも而も政府の命令の如く国立銀行が各別に其紙幣を銷却するは頗る煩雑に渉り困難を感ずるのみならず、日本銀行における整理もまた容易ならざるが故に本行は之を憂ひ、寧ろ全国の各国立銀行紙幣を合同して一銀行より発行せるものと看做し、毎季の銷却を行ふに若かずとし、東京銀行集会所・同盟銀行の決議を経て、第三国立銀行第三十三国立銀行第
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三十二国立銀行と共に同盟銀行の総代となりて之を日本銀行に建議せり、日本銀行にても本行の提案に同意し、大蔵省に上申したるに、政府もまた其適切なるを認め、五月三十日銀行紙幣合同銷却方法を定めて各国立銀行及び日本銀行に令達せり。
    紙幣合同銷却の決定
即ち各国立銀行の紙幣を銷却するは毎季紙幣銷却元資公債証書より生ずる利子を以て準拠とし、総体の発行高を合同して便宜之を銷却するにあり、されば其年の都合によりては、一銀行の計算時々或は紙幣発行高と実際銷却高と不権衡を生ずることあるべしといへども、終期に至りては悉皆其銷却を完了するを得るの方法なりき、かくて本行は明治十六年六月二十八日を以て日本銀行と契約を結び、準備金三十万円を同行に託し、且つ同年上半季より毎半季発行紙幣百二十万円の百分の一分二厘五毛、即ち一万五千円づゝを紙幣銷却準備金として積立てまた之を同行に預託せり。○下略


青淵先生伝初稿 第九章下・第四二―五一頁〔大正八―一二年〕(DK040042k-0004)
第4巻 p.449-450 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章下・第四二―五一頁〔大正八―一二年〕
    日本銀行の創立
政府の不換紙幣整理事業は、不換紙幣を発行しつゝある国立銀行に至大の関係を有す。政府の紙幣整理は銀行紙幣の整理をも包有するは勿論なれども、正貨兌換に引直したる銀行紙幣の発行権を旧の如く国立銀行に継続せしめ、兌換制度運用の任務を分散的に行はしむるか或は別に一大中央銀行を設立し、此中央銀行に対してのみ兌換券発行の特権を与ふるは、一の問題なりしが、政府は第二説を取りて其準備に著手せり。是より先明治十四年九月、松方の内務卿たりし時、既に中央銀行設置の議を建て、大蔵卿に転じたる後は、断然銀行制度の改革を決し、白耳義国の中央銀行に則り、国情をも参酌して、日本銀行条例を起草し、太政官の裁決を得て十五年六月日本銀行条例を公布せり。
其資本金は一千万円五万株の中五百万円は政府より出資し、他の五百万円を公衆より募集するの定めなりしが、此条例の発布と共に政府は大蔵少輔吉原重俊・大蔵大書記官富田鉄之助・大蔵権大書記官加藤済を創立事務委員に、先生及び第三国立銀行頭取安田善次郎・三井銀行副長三野村利助に御用掛心得を任命して其事を掌らしめ、諸般の手続を了したる後、同年十月十日開業せり。此の如くにして中央銀行は設立せられたり。
    国立銀行条例の改正
日本銀行条例第十四条には「日本銀行は兌換銀行券を発行するの権を有す、但此銀行券を発行せしむる時は、別段の規則を制定し、更に頒布するものとす」と規定せり。即ち政府は日本銀行を創立して金融制度の統一を図ると共に、兌換銀行券の発行を特許したるが故に、国立銀行発行の銀行紙幣は之と並立すべくもあらず、日本銀行の国立銀行と並立すべからざるも亦明なり。従つて政府が日本銀行を設くると同時に、国立銀行を改めて普通銀行たらしめんとする志なること亦明なり。
    国立銀行廃止の計画
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此に於て政府は明治十六年五月を以て国立銀行条例を改正せり、其要点は国立銀行は開業の許可を得たる日より二十箇年間其営業を継続し満期の後は紙幣発行の特権を失ひ、私立銀行に変形して営業を継続するを得べく、銀行紙幣は漸次銷却の方法を立てゝ、日本銀行をして之を取扱はしめ、営業満期と共に悉皆其銷却を完了せしむるにあり。而して其紙幣銷却の方法たる、各国立銀行は其紙幣引換準備金と、毎期利益金中より其紙幣下附高に対し、年二分五厘に当る金額とを日本銀行に委託して、紙幣銷却の元資に充て、日本銀行は各国立銀行と別段の約定を結び、其発行紙幣を銷却して大蔵省に上納せしめんとするなり。かくて政府は銀行紙幣の銷却に関する諸般の手続を制定せり。此計画は、各国立銀行毎に其紙幣を銷却せんとするものにして、頗る煩雑に渉り日本銀行の整理も亦容易ならず。先生之を憂ひ寧ろ全国の各国立銀行紙幣を合同して一銀行より発行せるものと見做し、毎期の銷却を行ふに若かずとし、其意見を東京銀行集会所同盟銀行の議に附したるに皆賛同せしかば、即ち第一・第三・第三十二・第三十三の四国立銀行総代となりて日本銀行に建議したる結果、政府は銀行紙幣合同銷却方法を制定せり、即ち先生の主張に係れるものなり。
    国立銀行改正に関する先生の周旋
初め松方の銀行条例を改正せんとするや、先生を始め有力なる銀行者を招き、改正の同意を求め、且つ善後策につきても諮詢せり。先生曰く、「此改正は誠に已むを得ざる所なりといへども、各国立銀行の利害重大なれば其事情を察し、急激なる紙幣銷却方法の施行を避くるにあらざれば患害測られず」と。此外当局者と各国立銀行との間に立ちて尽力周旋せること尠からず、為に至難の問題を円満に解決し経済界の紛擾を生ずるに至らざりしもの先生の功労与りて大なるものあり。
明治十六年五月に於ける国立銀行条例改正の結果、一切の国立銀行は営業満期の際に至り解散閉店するか、又は私立銀行に変形して業務を継続するか、二者其一を択ばざるべからず、其発行紙幣は営業満期と共に悉皆銷却を了せざるべからざることゝなりたれば、先生の統率せる第一国立銀行も、亦明治二十九年九月二十五日を以て営業満期に達すべき予定なるが故に、著々として諸般の準備に従ひ、明治十六年六月二十八日を以て日本銀行と契約を結び、準備金三十万円を同行に託し且つ同年上半季より、毎半季発行紙幣百二十万円の百分の一分二厘五毛即ち一万五千円づゝを紙幣銷却準備金として積立て、之を同行に預託せり。


第一国立銀行半季実際考課状 第二二回〔明治一七年上期〕(DK040042k-0005)
第4巻 p.450 ページ画像

第一国立銀行半季実際考課状 第二二回〔明治一七年上期〕
    ○諸御達及願伺届之事
一同日○五月廿八日大蔵卿ヘ銀行紙幣合同消却法ニ拠リ昨十六年下半季割付高ニ準シ本年二月ヨリ四月マテ日本銀行ニ於テ当銀行発行紙幣ヲ消却シタル高ヲ上申セリ
○下略
  ○本件ニ就テハ第六巻銀行集会所、明治十六年五月十五日ノ条ヲ参照スベシ。