デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.602-603(DK040062k) ページ画像

明治34年2月26日(1901年)

是日本店新築ニ付上棟式ヲ挙行ス。栄一之ニ出席シテ一場ノ演説ヲナス。


■資料

中外商業新報 第五七二四号〔明治三四年二月二七日〕 第一銀行上棟式(DK040062k-0001)
第4巻 p.602-603 ページ画像

中外商業新報 第五七二四号〔明治三四年二月二七日〕
    第一銀行上棟式
日本橋区兜町第一銀行にては昨日午前九時より新築工場に於て上棟式を挙行したるか、該建築は工学博士辰野金吾、工学士石井敬吉の両氏設計の任に当り工学士新家孝正氏之が監督たり、去三十年五月其規模を定め三十一年九月中旬より実地工事に着手したるも地質不完全なりし為め更に基礎築造を為し、三十二年十月より地中室煉瓦積を初め十二月下旬に地中室全部の竣成を告げ、同三十三年三月より基礎根石以上の石材を積上げ、本年一月十八日より本屋組揚方に着手し、逐次工事を進行し昨日上棟式を為せし次第にして、式場は営業場の屋根上に西南に向け設備し、両角の角屋に国旗を交叉し、式場中央に神棚を設け幔幕を張り扇車一本を中心とし幣串三本を順序好く立て連ね神棚には棟板を据へ、其表面には天御中主尊を初め数多の神名を記載し、裏面には第一銀行重役諸氏の姓名及建築設計工学博士辰野金吾、同工学士石井敬吉監督工学士新家孝正の三氏及建築掛中尾光次郎外十氏の姓名を記しあり、午前十時頭取渋沢男初め第一銀行重役行員及来賓、逓信技師玉木弁太郎、工学士清水釘吉の諸氏外職工商人等無慮四百六十余名参集し神官(兜神社宮司)神饌式具を供へ、大祓の詞を朗読し、大祓の式を了りし後頭取渋沢栄一男は大要左の如き一場の演説を為せり
 本日本行の上棟式を挙行するに至りたるは偏に各員の勤勉工事を督
 - 第4巻 p.603 -ページ画像 
励進行されしに基くものにして其労や多とす可し、而して本行が斯る建築を為すに至れるは敢て壮大華美の建築を為さんとの主旨に非ず、従来の家屋は極めて朽廃に属したるのみならず、漸次事業の進むに従ひ、営業上の不便尠なからざるを以て之れが改築の必要を感じ、此工事を起すに至りし者にして、要は堅牢なる建築を為し、営業上の便利を図らんとするに在り、各員此意を躰し、尚之が工事に務められんことを云々
次に工事監督新家孝正氏は左の如き答辞を為せり
 本行工事も漸次進捗するに至りしより最大吉辰を撰び上棟式を挙ぐ可き旨予て命令ありしを以て本日の吉辰を撰び上棟式を挙行するに至りし次第なるが、恰も天気晴朗にして頭取閣下を初め各位の臨場を辱ふしたるは生等の最も光栄とする所なり、而かも頭取閣下の祝辞と懇切なる訓示は心肝に銘したるを以て前途益々勤勉以て本工事の成功を過たざらんことを期し謹て謝辞を呈す
 次に本建築今日迄の経過を述べんに本工事の設計は工学博士辰野金吾、工学士石井敬吉両氏担任し余は之か監督を命ぜられ、明治卅年五月之か規模を定め、工事予算の調査及材料買入の実行に着手し、同三十一年九月中旬より起工せしも不幸にして地質不完全なりし為め更らに基礎築造を為し、同三十二年九月コンクリートの打上を終り、同年十月地中室煉瓦積を初め、十二月下旬地中室全部を完成し同三十三年三月より建物の根石以上の石材を積上げ昨年十二月中旬事務室の軒廻を竣成し本年組揚方営業室も出来を告るに至り延て今日に及びしものなるか、尚深川下小屋にては木材部乾燥方其他諸工事下拵準備を怠らず海外注文の鉄具一式も既に着荷し、電灯其他室内装飾品も追々準備成らんとす、回顧すれば起工より玆に卅ケ月を経過し漸く本屋組揚を為すに至り、本日上棟式を挙行するに至りしは生等雀躍の至りに堪へず、尚今後孳々として工務に従事し本行新築開業の盛典を挙けんこと切望の至りに堪へず、聊祝詞を述ぶ云々
次に新家氏の発声にて第一銀行の万歳を三唱し、次に鳶方の祝歌あり了て式を閉ぢ、頭取以下退場し、十一時三十分営業室に於て諸商人職工に祝酒を供し、事務室に於て来客及掛員関係者一同祝盃を挙げ、正午全く散会したりと


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK040062k-0002)
第4巻 p.603 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三四年
二月二十六日
十一時○午前第一銀行上棟式ニ列ス、新築家屋ノ頂上ニ於テ式場ヲ設ケ神官来リテ祭典ヲ行フ、畢テ一場ノ演説ヲ為ス