デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
1款 第一国立銀行 株式会社第一銀行
■綱文

第4巻 p.603-605(DK040063k) ページ画像

明治34年6月13日(1901年)

是ヨリ先五月栄一王子ノ新邸ニ移ル。同行栄一ニ請フテ兜町旧邸二階ヲ借リテ年少行員ノ為メニ学習部ヲ開ク。是日栄一青年者ノ修学ヲ一覧シ、一場ノ訓誡ヲ為ス。尋イデ同行ハ尚同所ノ空室ヲ利
 - 第4巻 p.604 -ページ画像 
用シテ倶楽部ヲ設ケ、九月二日開館式ヲ挙行ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三四年(DK040063k-0001)
第4巻 p.604 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三四年
六月十三日
三時第一銀行ニ抵リ重役会ヲ開ク、畢テ兜町ニ抵リ銀行員青年者ノ修学ヲ一覧シ、一場ノ訓誡ヲ為ス


竜門雑誌 第一六一号・第三九―四〇頁〔明治三四年九月〕 ○第一銀行学習部及倶楽部の設置(DK040063k-0002)
第4巻 p.604 ページ画像

竜門雑誌 第一六一号・第三九―四〇頁〔明治三四年九月〕
   ○第一銀行学習部及倶楽部の設置
    ▲学習部
第一銀行にては予てより頭取を始め重役其他重なる行員間に於て同行見習生にして尚ほ普通教育をすら完ふせさる少年子弟が種々なる事情の為め業に従ふあれば、此等少年者の為め読書、算術、作文、習字、英語、簿記、銀行実務及法律経済の大意を教授し、行く行くは十分なる銀行員たらしめんとの議あり、又教員としては同行内に於て内外大学及び高等商業学校等を卒業し、或は実務に熟練せる人物のあるにも拘らず、教場に充つべき場所のなき為め、今日まで其目的を達する能はざりし処、去る五月幸にも同行頭取たる青淵先生王子の新邸に移転せられ、兜町旧邸の二階全く不用となりたれば、先生に乞ふて之を借受け、去頃以来委員を選び其設立の準備を為し、愈々去る六月五日開校式を挙行せられたり、当日は第一銀行重役諸氏の演説あり越へて同月十一日には青淵先生も亦教授の状況を参観せられて且つ一場の訓戒的演説を為されたり、教授科目は普通科と専科に分ち、普通科に於ては英語、読書、作文、習字、算術、簿記、銀行実務、法律経済の大意等を教授し、専科に於ては各人の好む所に従ひ一定の科目を特別に教授しつゝあり、目下生徒は三十四名の多きに達せりと云ふ
    ▲倶楽部
又第一銀行々員諸氏間には予てより一方に於ては能く勤め能く励むと共に他方に於ては行員身体の強健を計り心気の活溌を期するが為め運動機関の設備を為さんとは一般の希望する所なりしが、今回右学習部の為め青淵先生旧邸の二階を借入れたる処、尚ほ巨多なる空室を生じたれば玆に其一部分を借用し、一の倶楽部を組織し、月々の経費は会員より支出する会費を以て之を維持し、上下相混交し等級差別を立てず、和気靄々の間に楽を倶にし、身体の健強と終日簿書場裡に駆駚して疲労せる精心を養ふ機関とし、先頃以来設立の準備に取り係出席り居りし処愈々去九月二日開館式を挙行せり、当日は青淵先生にも出席せられて能く勤め能く励み且つ衆と楽を倶にし心身の強健を計る是れ最も好愛すべき事なりとの意にて一場の演説を為されたり、目下倶楽部の設備は玉突、ボートの両部並に碁将棊等の備あり、且つ又内外図書の閲覧及部員の談話休息等の為めに談話室の設ありて頗る整頓せり
   ○学習部参観ノ日ハ日記ニ於テハ十三日トナス。
   ○倶楽部開館式ニ栄一出席ノ事ハ日記ニ見エズ。


第一銀行五十年史稿 巻六・第七六―七七頁(DK040063k-0003)
第4巻 p.604-605 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻六・第七六―七七頁
 - 第4巻 p.605 -ページ画像 
    学習部及び倶楽部の開設
行員養成の為に夜学校を行内に起したるは明治七年なりしが、久しからずして之を閉鎖し、爾来専ら高等教育を受けたる秀才を採用する方針を取れり、然るに明治四十年六月青年行員の為に学習部を設け、在行の各種専門学校卒業の人々をして教育の任に当らしめ、同時にまた行員の集会機関として、倶楽部を兜町なる頭取の邸内に開設するなど行員の養成に意を用ゐること尠からず。
  ○学習部及倶楽部設置ハ三十四年ノ誤カ。