デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
3款 特殊銀行 6. 日本興業銀行
■綱文

第5巻 p.254-261(DK050058k) ページ画像

明治35年2月17日(1902年)

是日、日本興業銀行、東京銀行集会所ニ於テ創立総会ヲ開ク。栄一株主トシテ監査役ニ選挙セラル。同年四月十一日ニ至リ日本橋区兜町二番地ニ仮営業所ヲ設ケ開業ス。


■資料

銀行通信録 第三三巻第一九八号・第一二一―一二三頁〔明治三五年四月一五日〕 日本興業銀行創立総会(DK050058k-0001)
第5巻 p.254-258 ページ画像

銀行通信録 第三三巻第一九八号・第一二一―一二三頁〔明治三五年四月一五日〕
    ○日本興業銀行創立総会
日本興業銀行設立委員は二月十七日を以て株主の募集を終り、同月二十日設立認可を得、三月十日株金第一回の払込(一株金百円の内金二十五円総株数十万株に対し金二百五十万円)を終りしに付き、同月二十七日午後二時より銀行集会所に於て創立総会を開けり
当日は株主四十三名の出席あり、大蔵省より阪谷総務長官、松尾理財局長、片山銀行課長臨席し、設立委員長添田寿一氏、幹事斎藤恂氏、及各設立委員出席し、設立委員長添田寿一氏議長席に着き、先づ左の如く設立事務の経過を報告したり
 - 第5巻 p.255 -ページ画像 
 日本興業銀行創立事務も漸く完了し、今日玆に創立総会を開くの運に至れり、不肖は昨年十一月二十五日設立委員の任命を拝受し、同十二月四日設立委員諸君の御推挙により設立委員長の職を辱め、幸にも今日に至るまで甚だしき失体なきを得たるは全く設立委員各位の御尽力と大蔵大臣、大蔵省総務長官、大蔵省理財局長を始め政府当局者の御監督誘導其宜しきを得たるとに職由するを以て深く感謝の意を表せざるを得ず、普通の場合に於ては商法第百三十二条に依り創立に関する事項を発起人より創立総会に報告するの順序なれども、日本興業銀行には発起人と称すべき者なきを以て恰も発起人の如き地位に立てる設立委員より御報告を為すの外なし、仍て委員長として不肖は設立委員各位を代表し簡単に其顛末を報告せんとす
 日本興業銀行法は明治三十三年法律第七十号を以て公布せられ、始めて設立委員の任命ありたるは明治三十三年三月三十一日に在り、而して其総人員二十五人なり、第一回の委員会は明治三十三年九月二十四日に開かれ田尻男爵其委員長たり、第二回は明治卅三年九月廿六日開会せれ《(り)》、第三回の委員会は明治三十四年十二月四日に開かる、不肖は此時始めて設立委員として出席し委員長の選に当れり、而して其前後三回議題となれる事項の要領を示さんに第一回に於ては定款を審査せるも議了に至らず、第二回に於ては前回に引継き定款及株主募集公告案を議了し、第三に於ては委員長の補欠選挙を行ひ定款及株主募集公告案等を再議し株主募集及第一回株金払込の時期等を議了し、大蔵大臣の認可を受くヘきものは夫々認可を得たり
 明治三十四年十二月五日設立委員事務所を大蔵省構内に開設し、必要に応し少数の事務員を使用し、繁忙の際には夜業を為し、幸に事務の進行遅滞なきを得たるは其勉励の結果なりと謂つべし
 明治卅四年十二月廿三日及廿四日の二日間及卅五年一月十九日等前後二回官報及新聞紙を以て株主募集の公告を為し、株主募集事務取扱は香港上海銀行外東京、大阪、京都、名古屋、横浜に於ける著名の各銀行に依頼せり、而して外国銀行が取扱店に加はるに至れるは其例未たなき所にして大に其好意を謝せさるを得す、又其他各取扱店に於は非常の好意を表せられ其尽力により株式申込期間の初日即二月一日に於て申込株数は需要株数の三倍以上となり、非常の好況を呈したるは各取扱店に向て深く謝意を表せさるを得ず
 明治卅五年二月一日限り募集締切の手続を為し、明治三十五年二月十七日当該官及在京設立委員各位の立会を求め最も公平厳正なりと信ずる方法により抽籤を執行し、明治三十五年二月二十日設立認可の申請を為し、翌二十一日認可書を交付せられたり
 明治三十五年二月二十五日抽籤の結果を各申込人へ通知し併せて当籤募入の申込へ第一回株金払込の通知を為せり
 明治三十五年三月十日予期の如く株金第一回の払込を了したり
 日本興業銀行に対しては多少の反対ありしと雖も其株式募集は非常の好況を以て迎へられ、前途属望するに足るものあり、設立委員等は玆に法律の指定せる所大蔵大臣より命令せられたる所を遂行し、総会結了後総裁に其の事務引継を為さんとするに当り、日本興業銀
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行当事者か国家の目的を達せしめ、国民の希望に適合し、公衆も亦之が利用を怠らす、以て立法の主旨を貫き、公益を完くすること切望に堪へさるなり、聊か設立事務経過の報告に併せて将来の希望を陳述す
右終て議事を開き第一号議案たる創立諸費金四千二百五十七円五十銭は異議なく承認を得、次に第二号議案たる理事候補者八名、監査役三名選挙の件は株主宇津木信夫氏の発議にて理事候補者は設立委員長の指名に依り、監査役三名は宇津木氏の指名に依りて左の如く当選せり
   理事候補者
 井上辰九郡  浅野総一郎  伴野乙弥  最上広胖
 金子直    渡辺治右衛門 斎藤恂   渡辺福三郎
    監査役
 渋沢栄一   安田善次郎  大倉喜八郎
次に第三号議案たる総裁、理事及監査役報酬の件は総裁月俸金四百円、理事月俸二百五十円、監査役毎半期間二百五十円と決し、爰に創立総会を終結せり
臨席せる阪谷大蔵総務長官は添田寿一氏に総裁を、理事候補者中
 井上辰九郎  伴野乙弥   金子直   斎藤恂
四氏に理事を命したり、爰に於て設立委員は其事務を総裁に引渡したり
右終て阪谷大蔵総務長官は左の演説を為したり
 本官は株主諸君に一言を呈せんとす、日本興業銀行は本日を以て萌芽を発したるが、将来のことは素より何人と雖も判断するを得ずと雖も、本官は株主諸君と共に花実共に完きものを得んことを切望せざるべからず
 抑も国の金融機関は商工農の三部に分て各其機能を活動せしむるを要す、従来我国にては商業に対し日本銀行の設あり、又農に対しては勧業銀行の設立ありて各職責を尽し、何れも低利なる資本を供給し殖産上裨益を与へたること少からず、明治の初に在ては全国の金利は二割乃至三割の高歩を附したりしに、日本銀行の設立以来時に三銭内外の日歩を附したることあるも普通は常に二銭内外の資金を供給するに至り、又勧業銀行の如き其設立なき以前は全国の土地に対する金利は二割以上にありしに、同行設立以来一割内外の金利を以て土地に貸附を為し之が為め利子の負担年々四百余万円を減少せしむるに至りたり、然るに工業に対しては全く特立したる金融機関を欠き、今日迄は唯一時の弥縫策を施し来りたるのみ、即ち二十三年以来商業機関たる日本銀行に担保制度なるものを設け、鉄道其他に資金を供給するの途を採り、又農業機関たる勧業銀行に対し政府か国庫金を以て数百万円の勧業債券を応募し之に依て工業資本の供給を計らしめたるか如し、然れども斯かる姑息の策にては将来工業の発達を十分期せんとすること頗る難し、現今私設鉄道の如き相当の収利あるにも拘らず高利なる借入金の為めに十分なる配当も為すことを得ざるもの少からず、又紡績会社の如き関西地方にては貸金欠乏《(資カ)》のため原綿を輸入商人より仕入れるに代金の借入を為し、之に
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要する利息と比較的高価なる綿とを買入れ甚しき不利を受け居る者亦少からず、其他高利なる社債のために非常なる苦痛を為せるもの実に枚挙に遑あらず、されば実に興業銀行の設立は目下急務中の急務と称するも過言にあらさるべし
 且又近年支那朝鮮に於ける本邦の事業は着々進行し、鉄道、鉱山、航海の諸業を経営するに至りたれは、之がために要すべき固定資本は到底従来の儘にては十分なる供給を仰ぐべからざるを以て、之が途を計らんと欲する又本行設立の一目的なり、然らば如何なる方法に依て之を達せんとするか、素より銀行の組織を完全にし、役員の選任を慎み、資本の充実を計り、政府の監督を最も厳にせさるべからさるは勿論なれとも、就中銀行の信用を高め、之を利用して工業家と株主及債券所有者との間に立ちて事情を疏通するの目的を十分に達せざるべからず、銀行の基礎を鞏固にし信用を増大ならしむる手段としては今後全国に於て名望ある実業家を網羅し、之に協議員の任務を托し所謂「トラステト」の組織を設けんと欲す、而して又銀行自己の信用を鞏固ならしむるために内外の株式市場の状況を審に研究調査せしめ、之が変動を深く注意せしむるを要す
 農商工業に於て各其独立の金融機関が低利の資本を供給し、之がために土地の信用と価格を高め若くは手形の流通を便ならしむると同じく、株券債券の信用を高め、株券が相当の配当あるに拘らす価格の下落するか如きことなきを得せしむるは実に興業銀行の期する所にして、工業家の利益する所少からざるを信じ、従て重役は各其科を分つて内地は勿論世界の市場に於ける株券債券の価格変動の状況を究め、普く内外諸会社の歴史、沿革、担任者の性質、品行、収支の実況等を調査し、其盛衰興亡に常に留意するの途を採らさるべからず、其結果或は専門の技術家、法律家等を置くの要あるべく、公債、株券、社債に関する一切の事項は最も明瞭に知得するの設備を具へさるべからず、而して其結果は株券、債券に資本を投ぜんとする人は興業銀行に来りて之が選択を相談し、安全なる放資を為すを得べく、又外国資本家も亦之に依て意を安じ本邦の事業に放資するの途を得らるべし
 又興業銀行が自ら或会社に放資し、其株主の一員となりたる以上は其勢力に依て能く其会社の監督を為し、実績を挙ぐるの利益亦少からず、其結果他の株主が受くるの利益は頗る大なる者あるべし、蓋し従来会社の株主にして会社の事業を十分監督し、其弊を矯めんとするも一個人の力を以て之を制する能はず、遂に泣寝入となること其例多し、然るに若し興業銀行の其間にありて能く其任務を全ふするを得は、是等のことも十分其目的を達せしむるに至るべし、近時世界の経済発達の状況を見るに会社の設立頗る多きより自然之を監督するの機関を必要とし、白耳義の「ソシヱテー、ゼネラル」若くは米国の信托会社の如き者頗る成功せるを見るに至りしは全く之か為にして「ソシエテー、ゼネラル」が或会社の株券を所有する時は忽ち其株券の価を騰貴せしめたるか如き例一にして足らす、今や本邦に於ては会社の数は六千に達し、資本額は十四億の多きを見たる
 - 第5巻 p.258 -ページ画像 
ことなれは、到底資本家個人か悉く之か実況を知るを得ず、勢ひ斯かる機関の必要を感ずるは明なることとす、我国には株式の信用を維持し其 公定相場を立つる取引所あるも、同所は会社の内部に立入り之か監督を為すの権能を有せざるが故に、必すや興業銀行は取引所と相俟て株券債券の信用と価格を保持せしむるの途を取らざるべからず
 而て興業銀行の任務斯の如く重大なるが故に、又一方に於ては政府の保護と同時に厳密なる監督の下に営業せざるべからす、即ち其営業は最も慎重なるを要し、苟も投機に流るゝことは政府の断じて許さゞる所なり、興業銀行は其性質上其職務を濫用し信用を不当に利用し投機事業を営むか如き弊に陥り易きものなれば、政府は営業全般に対し頗る厳重なる監督を下さんとす、従て他日今少く之を寛にし、利益を増殖したしとの感を起さるゝことなきを保せざれども、政府は興業銀行の保護と共に国家全般の利益を保護せざるべからざるを以て、此辺は予め諸君の諒察を請ふ所なり
 而して右の外政府は本行をして信托事業の経営を盛ならしめ内外資本の共通を便ならしめんとす、之がため或は興業銀行法の改正を議会に提出する必要もあらん、又外国資本を吸収するの手段を採るべき要あるより外国人の信用あるものを雇入れんとするの考案もあれば、追々是等のことも着手するに至るべし
添田総裁は右に対し挨拶の辞を述べ、午後四時閉会せり
日本興業銀行は三月三十一日設立登記を為し、日本橋区兜町二番地第一銀行仮営業所跡を借入れて営業所に充て、本月九日を以て大蔵省内設立事務所より右の場所に移転し、越て十一日開業せり
同行は営業、出納及計算、監査及監督、庶務の各部に分ち理事四人左の如く之を分掌す
  営業第一(貸附)部長    伴野乙弥
  営業第二(信托預金)部長  金子直
  出納及計算部長       井上辰九郎
  庶務及監督部長       斎藤恂
又秘書役は村田俊彦氏に命じ、以下設立事務所に勤務したる大蔵属十四名の同行書記となりし外、他に新に任用せられし書記数名あり
本株券は来る二十五日を以て各株主に交付する筈なり
   ○右記事、中外商業新報(第六〇五二号・明治三五年三月二八日)ニモ見ユ。


日本興業銀行十年史 第一四―一六頁〔大正元年八月〕(DK050058k-0002)
第5巻 p.258-259 ページ画像

日本興業銀行十年史 第一四―一六頁〔大正元年八月〕
    第六款 開業
既に創立総会を終へ重役の任命を見たるにより、重役は行員の任命、諸規則の制定、営業所の選定等鋭意開業の準備を急き、明治三十五年四月十一日日本橋区兜町二番地に仮営業所を設けて其の業務を開始せり、爾来狭隘不便を忍ふこと一年有半にして翌三十六年十月十五日麹町区銭瓶町一番地の新築営業所玆に落成したるを以て直に此れに移転せり、現営業所即ち是れなり
三十七八年戦役の結果我か邦の指導開発に委ねられたる韓国の金融機
 - 第5巻 p.259 -ページ画像 
関は、尚ほ頗る不備なるを免かれすして資金の欠乏殆と其の極に達せり、当時本行は進て同国の政府、民団、農工銀行等に放資し、明治三十九年十月二十五日を以て出張所を京城に開設し、翌四十年三月十六日を以て之を支店に改めたり、然るに其の後東洋拓殖株式会社に金融部の開設せらるゝあり、尋て四十二年韓国銀行即ち今の朝鮮銀行の設立せられたるあり、特に本行支店を存続するの必要なきのみならす、寧ろ此等特設機関との競争を避くるの得策なるを認めたり、因て朝鮮に於ける代理店の事務一切を朝鮮銀行に嘱托し、明治四十三年三月十五日を以て京城支店を廃止したり


日本興業銀行第一期営業報告書(自明治三五年三月至同年六月)(DK050058k-0003)
第5巻 p.259-260 ページ画像

日本興業銀行第一期営業報告書(自明治三五年三月至同年六月)
    第一期株主姓名表

         株数       姓名      府県名
       五、〇〇〇   内蔵頭男爵渡辺千秋  東京
       六、〇〇〇     貝塚卯兵衛    三重
       二、〇〇〇     岩下清周     大阪
       一、五〇〇     亀田介治郎    東京
       一、五〇〇     石田友吉     新潟
       一、三〇〇     堀越角次郎    東京
       一、二三五     中村清蔵     東京
       一、〇〇〇     添田寿一     東京
       一、〇〇〇     安田善次郎    東京
       一、〇〇〇     蓬莱林太郎    兵庫
       一、〇〇〇     株式会社四日市銀行頭取三輪猶作 三重
       一、〇〇〇     大橋新太郎    東京
         八〇〇     松沢与七     愛知
         八〇〇     貝塚光三     三重
         七〇〇     馬場道久     東京
         七〇〇     松本松蔵     大阪
         六七〇     富倉林蔵     東京
         六〇〇     斎田岩太郎    東京
         五〇〇     東郷久吉     京都
         五〇〇     山崎兵吉     新潟
         五〇〇     覚張治平     新潟
         五〇〇     藤田伝三郎    大阪
         五〇〇     曾野作太郎    京都
         五〇〇     株式会社二十一銀行頭取石居四郎平 滋賀
         五〇〇     島徳次郎     大阪
         五〇〇     安藤藤助     三重
         五〇〇     加藤正義     東京
         五〇〇     岩谷松平     東京
         五〇〇     中田清兵衛    富山
         五〇〇     中島俊丸     三重
         五〇〇     奥田平八     岐阜
 - 第5巻 p.260 -ページ画像 
         四五〇     貝塚太郎     三重
         四五〇     八代謹之助    兵庫
         四一〇     貝塚雛子     三重
         四〇〇     気賀巌      愛知
         四〇〇     宮崎敬介     東京
○中略
         一〇〇     男爵渋沢栄一   東京
○下略
  総計 一〇〇、〇〇〇株        一、二二三人



渋沢栄一 日記 明治三五年(DK050058k-0004)
第5巻 p.260 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年
五月十四日
興業銀行ニ抵リ添田氏ト面話ス


銀行通信録 第三六巻 第二一四号・第五二―五三頁〔明治三六年八月一五日〕 日本興業銀行第三回定時総会(DK050058k-0005)
第5巻 p.260 ページ画像

銀行通信録 第三六巻 第二一四号・第五二―五三頁〔明治三六年八月一五日〕
    日本興業銀行第三回定時総会
日本興業銀行にては七月二十五日午後二時より東京銀行集会所に於て第三回定時株主総会を開きたり、当日宮内省よりは吉田内蔵助、大蔵省よりは荒井主計局長臨席し、添田総裁議長席に着き、先つ本年上半季同行営業景況其他に関し左の如く演説せり
○中略
次に本年上半季営業報告、損益計算書、及利益金分配案を議に附し、男爵渋沢栄一氏監査役を代表して其計算の正確なる旨を報告し、異議なく原案の通り可決し、午後三時閉会せり○下略


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK050058k-0006)
第5巻 p.260 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年
十月七日
添田寿一氏来リ興業銀行ノ事ヲ談ス、更ニ明後九日午前ヲ約シテ去ル
十月九日
午前添田寿一氏ヨリ興業銀行ノ件ニ付来書アリ
   ○右談合ノ内容ハ資本金増加ノ件ナラン。


銀行通信録 第四五巻 第二六八号・第七八―七九頁〔明治四一年二月一五日〕 日本興業銀行第十二回定時総会(DK050058k-0007)
第5巻 p.260 ページ画像

銀行通信録 第四五巻 第二六八号・第七八―七九頁〔明治四一年二月一五日〕
    日本興業銀行第十二回定時総会
日本興業銀行にては二月五日午後二時より同行楼上に於て第十二回株主定時総会を開きたり、当日宮内省よりは内蔵頭代理吉田内蔵主事、大蔵省よりは監理官代理田書記官臨席し、添田総裁議長席に着き、先づ昨年下半期営業景況に関し左の如く演説せり
○中略
次に昨年下半期営業報告書、損益計算書等を議に附し、渋沢監査役より書類調査の結果に関する意見を報告し、一二の質問ありしも結局満場一致を以て承認を得、引続き左の利益金分配案を可決せり
○下略
 - 第5巻 p.261 -ページ画像 

銀行通信録 第四七巻 第二八〇号・第六五―六六頁〔明治四二年二月一五日〕 日本興業銀行第十四回定時総会(DK050058k-0008)
第5巻 p.261 ページ画像

銀行通信録 第四七巻 第二八〇号・第六五―六六頁〔明治四二年二月一五日〕
    日本興業銀行第十四回定時総会
日本興業銀行にては二月五日午後二時より同行楼上に於て第十四回定時総会を開きたり、当日宮内省よりは内蔵頭代理吉田内蔵主事、大蔵省よりは監理官代理二宮銀行課長臨席し、添田総裁議長席に着き、先づ昨年下半期営業景況に関し左の如く演説せり
○中略
次に昨年下半期営業報告書、損益計算書等を議に附し、渋沢監査役より諸計算調査の結果正確と認むる旨の報告あり、次で山中隣之助氏より興業債券及満鉄社債発行に際し尽力せられたる人々に対し謝意を表する件は之を重役に一任したしとの提議あり、二三質問の後満場異議なく之を承認し、引続き左の利益金分配案を可決して午後二時五十分閉会せり
○下略