デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 国立銀行及ビ普通銀行 11. 北陸銀行
■綱文

第5巻 p.326-327(DK050072k) ページ画像

明治18年6月(1885年)

是ヨリ先、前年秋、北陸銀行破綻ニ瀕シ、是月重役等上京シテ栄一ニモ援助ヲ請ヒシヲ以テ、第一国立銀行ハ十万円ヲ貸与シ、同銀行ノ維持ヲ図ル。


■資料

中外物価新報 第九九八号 〔明治一八年八月六日〕 北陸銀行(DK050072k-0001)
第5巻 p.326-327 ページ画像

中外物価新報 第九九八号 〔明治一八年八月六日〕
    ○北陸銀行
同行は旧と金沢為替会社と称し、其創立は明治二年に在りて一種藩立の会社なりしかば其役員の如きも藩命を以て之を任じ、木谷藤右衛門島崎徳平、藤井能三、宮林彦九郎の四氏は最初より其任に撰ばれて業務に力を尽せしが、其後明治十六年に至り従前の組織を改めて私立銀行と為し、資本金を三十五万円と定め之を北陸銀行と号つけ、株主の撰挙を以て木谷氏を頭取に、島崎、藤井、宮林三氏を取締役とし、続いて営業なしたるに、此等の人々は加能越三国中の名望家たるのみならず、殊に旧藩以来由緒のある銀行なれば、一般に信用を置くこと厚く為めに預け金を為すもの太だ多く、一時は其額百二三十万にも達し、外に公債証書の預り高も額面三十万円余に及びたるが、兎角する中昨年一月以来金融非常の困難に遭ひ、先きに預りし金員は頻りに引出され、公債証書は切々返戻を促さるゝより、已むなく一の便法を設け順番の期日を定めて払渡を為したれども、世の不景気なる金融益々逼迫して実に奈何ともすべからざるの場合に至りしかば、昨年の十月二十日を以て一切の支払を中止、爾来百方計画して維持法を立んとしたりしも、確着の良案もなきより本年六月中藤井氏は他の重役と倶に上京し、政府へ拝借金の儀を歎願に及びたれども聞届けられず、折しも石川、富山の両県令にも在京中なれば幸に懇請を為し、両県令には深く其意を察して渋沢栄一氏などへも相謀り、遂に第一国立銀行(其実は某華族なりとか)より拾万円を借入れ、頭取、取締其他の株主より二十万円を出金し、又特別の訳を以て石川県庁より六万円を貸下らるゝ事となりたれど、現在預り金は六十二万円に余り、公債証書も亦幾んと二十四万円あり、斯る巨額の負債に対し前記の金額(合計三十六万円)を以て仕法を立つる次第なればとて、預り金は本年より五箇年据置き六箇年目より向ふ十五箇年間に年四分の利子を加へて連々に払戻し、公債証書は本年より五箇年据置き六箇年目より向ふ十箇年間に返戻すへき旨を各債主に談合したる処、各債主も皆之を承諾したるに付今度該行申合規則に二三の改正を加へ、又非職大蔵省准奏任御用掛石川巌氏を聘して副頭取と為し、近日更に開業する事に決せりと云ふが
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吾々は祝辞に代へて其顛末を略叙すること書く《(是カ)》の如し
  ○北陸銀行ハ、モト金沢為替会社ノ名義ヲ変更シ、明治十六年十一月一日ヨリ北陸銀行ノ名称ヲ以テ営業セルモノナリ。東京府庁所蔵記録「回議録」(銀行 明治一六年自七月至十二月)ニ左ノ如キ「名称換御届」アルヲ以テ、改称ノ事情ヲ知ルベシ。



〔参考〕回議録 銀行 明治十六年自七月至十二月(DK050072k-0002)
第5巻 p.327 ページ画像

回議録 銀行 明治十六年自七月至十二月
    名称換御届
今般、本店即チ石川県金沢区為換会社義、組織ヲ更ヘ、資本金ヲ参拾五万円ト為シ、名称ヲ北陸銀行ト改メ、従来之営業其儘該行江引継キ度旨、該地方庁ヲ経テ大蔵省ノ御認許ヲ得、本月一日ヨリ北陸銀行ト社名改称仕候、此段御届申上候也
           (北陸銀行東京支店印)
           
                日本橋区大伝馬町弐丁目廿一番地
                北陸銀行支店支配人
  明治十六年十一月廿二日       木村光輝