デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第5巻 p.663-681(DK050152k) ページ画像

明治13年8月2日(1880年)

是ヨリ先、不換紙幣整理ノ件ニ付建議セントシタルニ偶々当局ノ忌諱ニ触ルヽトコロアリ。依ツテ栄一此日本会廃止ノ可否ヲ諮ル。衆議本会廃止ノコトニ決フ。


■資料

東京経済雑誌 ○第二五号・第二九七―二九八頁〔明治一三年四月二一日〕 択善会第三十一次会録事(DK050152k-0001)
第5巻 p.663 ページ画像

東京経済雑誌
 ○第二五号・第二九七―二九八頁〔明治一三年四月二一日〕
    ○択善会第三十一次会録事
○中略
第五次、種田誠一君建議シテ曰ク、方今金銀貨ノ騰躍ハ甚タ恐ルヘキ形勢ナルヲ以テ、我同業者ハ宜シク注意シテ其源流ヲ究明シ、救護ノ方策ヲ議スヘキハ之ヲ吾儕ノ義務ト謂フモ可ナリ、幸ニ諸君ノ財務ニ老練ナルニ頼リ、願クハ此同盟ニ於テ大ニ論説ヲ開キ各意見ヲ述ヘンコトヲ、会頭曰ク、本会ノ章程ニ拠レハ論談ト雖トモ此席上ニ於テ為シ得ラルヘキナレト、今君カ欲スル所ハ別ニ一談会ヲ設クルニ似タリ果シテ然ルヤ、種田君曰ク、然リ、肥田君曰ク、本議ハ実ニ要件ニテ自己ノ頭上ニ懸着スル者ナレハ忽諸スヘカラサルハ論ヲ俟タス、要之各学術ト実験上トヨリ其論説ヲ述ヘ、且互ニ十分討論セサルヲ得ス然ルトキハ本席ニ於テ整然之ヲ行フヘカラス、別席ヲ開キ談笑和楽ヨリシテ其論説ニ進入スヘシ、会頭曰ク、種田君所望ノ如クナレハ、其議論ノ結末ニ因リ、或ハ規則ニ照シテ全会ノ議決ヲ要スルニ至ラン、然ルニ肥田君ノ説ニ従レハ聊復庭径ナキニアラス、若シ各員相寄テ甲論シ乙駁シ、紜々舌戦スルトキハ恐クハ其要点ヲ得ル能ハス、果シテ然ラハ寧順序ヲ立テ整然之ヲ行フニ如カスト雖トモ、要スルニ諸位ノ所望ニ任セテ挙行スヘシ、肥田君曰ク、願クハ別席ヲ開カン、会頭之ヲ諸位ニ問フ、皆別席ヲ望ムニ因リ、十八日ニ於テ別会ヲ東両国中村屋ニ開クヘキニ決議セリ
第六次、幹事三行ハ経済雑誌社ト議シテ全国銀行実際報告ノ改正ヲ協議セリ
右会議畢テ、午後十二時会散ス

東京経済雑誌 ○第三〇号・第四七三―四七五頁〔明治一三年六月二五日〕 択善会第三十二次会録事(DK050152k-0002)
第5巻 p.663-664 ページ画像

 ○第三〇号・第四七三―四七五頁〔明治一三年六月二五日〕
    ○択善会第三十二次会録事
 - 第5巻 p.664 -ページ画像 
○中略
是日○六月十四日午後一時ヨリ小会議ヲ開キ、財政ヲ匡済スル為メニ建白スヘキ考案ヲ討議シ、畢テ例刻即チ五時ヨリ本会ヲ開キ、諸位其席ニ就ク○中略
次ニ本日小会議ヲ以テ議スルノ所ノ財政上建白スヘキ事件ヲ以テ議案トナシ、諸位頗ル討論セシカ、其事重大ニ係ルヲ以テ未タ核議スルニ至ラス、因テ倶ニ熟慮ヲ尽クシ、尚来ル廿一日臨時会ヲ開キ再議スヘキコトニ決定ス、時ニ九時三十分会散ス


(芝崎確次郎)日記簿 明治一三年(DK050152k-0003)
第5巻 p.664 ページ画像

(芝崎確次郎)日記簿 明治一三年
六月廿一日 小雨降
例刻出頭、夜ニ入帰宅、今夜主君御帰館可相成旨ニテ、一同午後二時迄待受《(前)》、然ルニ商法会義所手間取《(議)》れ、十二時散会、直ニ王子ヘ御帰荘相成候事


東京経済雑誌 ○第三二号・第五二七―五二九頁〔明治一三年七月一五日〕 国立銀行に於て財政救治策建議の始末(DK050152k-0004)
第5巻 p.664-666 ページ画像

東京経済雑誌
 ○第三二号・第五二七―五二九頁〔明治一三年七月一五日〕
    ○国立銀行に於て財政救治策建議の始末
国立銀行数名相寄て財政救治の策を奉る事に就き、世に色々の風聞あり、今其詳細を聞き得たれば玆に記して世に報道すべし、抑も事の起りは本年四月十二日、択善会第三十一次会に於て、第三十三銀行種田誠一君が発議せられて曰く、目今金銀貨の騰躍は甚た恐るべき景況にして、其源因を究明し、救護の方法を議するは吾儕の義務と申しても可なる程のものなれば、願くは此同盟に於て之を討究せん」と、十五銀行肥田昭作君此議を賛成して其十八日を以て臨時会を開くに決せり其十八日の臨時会に於ては諸員の論弁極めて多かりしと雖も、金銀貨騰躍の源因に於ては大約一致したり、其大要を云へは、目今の紙幣下落を来たせしものは、全く明治十年以後紙幣増発せしに因ることにして、其増発直に相場に関係せざりしは、其紙幣多く西南地方に落ち都会に入ること漸次なるに因る、而して本年一月より俄かに下落したるは、明治十二年の末士族の禄券を買上けられ、官庫の貨幣多く市場に出てしゆえなりとの事なりき、其救護の策に至りては、或は銀行の貸付金を勉めて実業者に許るし、物産蕃殖の源を開くにありと云ふものあり、或は公債証書を発行して紙幣を減少するにありと云ふものあり而して紙幣を減少するに二論あり、一は兌換法を立つるまでに減少すべしと云ひ、一は銀紙の差なきに至れは敢て兌換法を行はざるも可なりと云へり、其論一定せずして終に、従来貨幣の有高は幾何なりしか紙幣は幾何を増加せしか、調査せし後に救護の策を立つべきことに決したり、然るに五月に至りて大蔵省銀行局より三十三銀行種田誠一君及ひ第百銀行原六郎君等に銀行準備金を出納局に預托すべしとの内諭あり、其論詞中渋沢栄一君亦之に同意なり等の語ありと云ふ、時に渋沢君は大阪にありしを以て同君帰京の後之を協議すべきに決せり、五月の末渋沢君帰京す、亦た此内諭を蒙むれり、六月九日数名の銀行者相会して此事を議す、銀行局長亦た之に臨む、蓋し銀行局長の此内諭
 - 第5巻 p.665 -ページ画像 
ありし所以のものは、近日各地通貨欠乏するに付銀行者中或ひは準備貨幣を使用するものあらん乎を恐られ、之を政府に預かり置きて相当の利を付して以て撿査に差支なからしめんとの意なり、蓋し今日民間資本減少し銀行者たるもの日々貸金の請求を辞するに苦めり、是時に当りて無用の準備を庫中に収むるときは自ら之を使用するの傾きを来たさゝるを得ず、之を用ひて民間の融通を助けん歟法律に背く、法律に遵ひて之を拒絶せん歟融通否塞す、銀行者たるもの其間に立つて独り苦しむものなり、固と紙幣下落せざれは資本欠乏せず、資本欠乏せざれは銀行余金あり、其今日に至らしめしものは皆紙幣下落の致す所なり、然るに世人或は曰く、銀行者準備を濫用せりと、嗚呼何ぞ其言の暴なるや、若し果して準備を濫用せは官に法律あり、銀行局長豈に之を許すを得んや、現に百五十有余の銀行皆差支なく営業するにあらずや、然るに銀行準備濫用と恰も国立銀行凡て準備を濫用せしが如き文字を濫用する報知記者の如き其言を慎まざるものと云ふべし、却説六月十四日東京横浜銀行の小集会あり、銀行局の内諭に応すべきや否を議す、衆皆之を拒む、而して第一銀行渋沢栄一君別に意見あり、四月中集会の主意を継きて財政困難を救ふの方法を建言せんとの事を発議す、抑も此発議や全く準備上納の事に関係なきか如しと雖も自ら之に連結するの理あり、蓋し銀行局の始め準備上納を内諭せらゝ《(る脱カ)》や財政困難を救ふの意其一部にあるか如し、故に銀行者等皆な曰く、財政困難を救ふに付ては業已に思考せし処あり、即ち別に建言すべきなり」と、是れ則ち内諭と建言と因みある所以なり、而して銀行局の内意を拒みたるも実は拒みたるにあらす其方案を見て詳かにすべし、渋沢氏の方案一に曰く、銀行紙幣二割を政府に収めて断裁を請ふ(然るときは紙幣八百余万円を減少す)其二に曰く、現今の準備金を政府に収めて金札引換公債証書の利子を受く」と、此計算大に銀行の特典もあり故に政府に於ても非常の節倹を施されて、以て銀貨紙幣の差を減少せられんことを望む、其政府に望むの大意に曰く、四年間に歳費を節減して紙幣五千万円を償却す、曰く四年以後七年間年々五百万円の正貨を積みて兌換の準備とす」之を行はゞ兌換の制立つべしとの計算なりき、第三銀行安田善次郎君・第百銀行原六郎君等首として之れに同意す、諸銀行多くは曰く、果して能く兌換の制を立つを得ば、銀行の困難は耐忍すべし」と、然れとも事の重大なるを以て同日決を取らず、二十一日又会して之れを議す、衆議紛々たり、蓋し紙幣減少準備上納等の事件は銀行の大事にして株主の協議を得ざれば請願する能はざるものなり、株主に協議せば事容易に決し難し、故に大に特典を殺くの数語を以て其意を含蓄せしめんとの原案なりしが、此数語も株主に協議せざるべからずとの衆議にて、終に同日株主と協議の上建言するに同意のもの起立せしむるに、之に同意するもの十四行ありき、其後十四行会して建言草案を議す、株主との協議は到底行ふべからざるを以て、大に特典を殺くの数語を除き、再ひ最初不同意の銀行に照会す是に於て新に同意するものあり、又た同意のものにして除名を請ふものあり、七月九日同意の諸氏相会して文案修整の討議あり、到底最初の主意に依りて銀行の特典まで立入り、論述せざれば微意の達し難か
 - 第5巻 p.666 -ページ画像 
るべく、去りとて株主との協議なれば各行数百名の事ゆえ、容易に同意も期し難きに付、寧ろ建議を止むるに如かずと決せり、数多の銀行役員衆が肱を張り口を酸くして論弁したる財政諭《(論)》も、玆に至りて止みぬ、真に惜しきことなり

東京経済雑誌 ○第三六号・第六七八―六八〇頁〔明治一三年八月二五日〕 択善会第三十三次会録事(DK050152k-0005)
第5巻 p.666-668 ページ画像

 ○第三六号・第六七八―六八〇頁〔明治一三年八月二五日〕
    ○択善会第三十三次会録事
八月二日択善会第三十三次会ヲ商法会議所ノ議場ニ於テ開ク、幹事第一銀行渋沢栄一、同第十五銀行肥田昭作・永沢仲之亮、同三井銀行三野村利助、第二銀行下田善次郎、第三同小瀬光清・安田忠兵衛、第四同原田銀造・高野清一、第六同杉本正徳、第十同栗原信近、第十三同蘆田順三郎、第十四同吉田宗七郎、第十八・第廿三両行代理第一銀行大沢正道、第二十同杉山勧・川杉義方、第廿七同渡辺治右衛門・安藤利助、第三十同深川亮蔵・下村忠清、第三十二同平池玄四郎・山脇庄太郎、第三十三同種田誠一・川村伝衛、第四十四同三原孫七、第七十四同山田勝清、第九十五同菅沼董雄、第百同原六郎、第百十二同内田吉之輔、第百十三同串田孫三郎・古山数馬、第百十九同村瀬十駕、久治米銀行北室貞八、共計三十四名、第五・第十二・第二十二・第六十・第百十八ノ五行ハ欠席ヲ告ク、午後六点鍾会員斉シク議場ニ上ル
第一次、会頭渋沢栄一君ハ、前日夏季宴会ニ当テ約束セシ如ク、本会ノ規程ヲ改良スヘキヲ以テ、諸位意見ヲ陳述センコトヲ請求シ、又左ノ二件ヲ報告セリ、其一ハ本年六月廿三日幹事連名ニテ大蔵省ヘ再稟セシ銀行敗裂紙幣交換規則及例則中改正ノ廉御達ノ事件、其一ハ本会共積金本年一月ヨリ七月マテノ出納計算ノ事件ナリ
第二次、会頭ハ前次報道ヲ了シタルヲ以テ、其規程改良ノ議ヲ尽サンコトヲ求ム、原六郎君曰ク、今規程改良ノ議ニ因リ、爰ニ一ノ考案アルアリ、請フ之ヲ陳ヘン、嘗テ本会ノ外ニ懇親会ナル者アリ、恰モ昨夕該会同ニ当ルヲ以テ、本会規程改良ノ考案ヲモ協議セシニ、嘗テ本会ニ於テ談論セシ所ノ交換所ヲ設置シ、及ビ為替打合セノ事ヲモ取扱ヒ、又集会ヲモ兼用スベキ為メ、極メテ其入費ヲ節減シテ一ノ寄合所ヲ新立スベキコトニ決定シ、而シテ其新立ニ従事スベキ委員ヲモ撰挙セリ、因テ請フ該件ノ挙措ヲ更ニ本会ノ協議ニ付シ、之ガ決定ヲ得バ既ニ撰挙シタル所ノ委員ニ在テ、其創立ニ従事スベキヤ、又ハ増員シテ以テ従事スベキヤ、諸君能ク協議セラレンコトヲ望ムト、種田誠一君曰ク、昨夕懇親会ノ協議ハ、其三分二以上ノ同意ヲ得タルヲ以テ之ヲ考フルニ、今其交換及ビ為替打合セ等ノ如キ事務ヲ行ハント欲スルハ、蓋銀行ノ公益ヲ図ルガ為メナリ、而シテ本会ノ如キモ固ヨリ亦公益ヲ図ルガ為メノ者ナレバ、両会並立スルハ甚ダ無益ナルヲ以テ、孰レカ一方ニ決セザルヲ得ズト雖トモ、亦本会ヲ以テ新立スル者ニ合併スルモ不可ナリ、懇親会ヲ以テ本会ニ合併シテ、而シテ之ヲ更新スルモ亦不可ナリ、故ニ其新立スベキ者ヲ新立シ、而シテ本会ヨリモ之ニ合シ、懇親会ヨリモ之ニ合スルトセバ、所謂換骨脱体ニシテ、妨タクル所ナカルベシ、而シテ其会名ハ銀行集会所ト為セバ是亦妨ケナカルベシト、肥田昭作君曰ク、懇親会ハ本会幹事三行ヲ除クノ外、皆之ガ会盟タリト聞ケバ、昨夕懇親会ニ於テ決議ヲ得レバ、更ニ本席ニ於テ
 - 第5巻 p.667 -ページ画像 
議スルマデモナク、諸位無論ニ同意ナリト推測セリ、而シテ本行ノ如キハ素ヨリ実務ノ関係少シト云トモ、紙幣交換ノ事アルヲ以テ、無論之ニ同意スベシト、会頭曰ク、今数会並立スルヨリハ、更ニ一会ニ集会スルヲ善シトスルハ論ヲ俟タザルナリ、果シテ然ラバ本会ノ規程改良ヲ議センヨリハ、寧ロ其集会所ノ事件ヲ議定スルヲ要スト、時ニ栗原信近君ハ会同廃立ノ得失ヲ論シ、必ス新会ヲ設クルトセハ、良規ヲ確定シテ遊惰ニ流ルヽノ弊ナカランコトヲ欲スル旨ヲ陳ヘ、下田善次郎君ハ本行ハ横浜ニ懸隔シテ、諸同盟ト少シク異ルノ情実アルヲ以テ此新会ニ於テハ除名ヲ乞ハント陳フ、是ニ於テ会頭再ヒ諸位ノ本議ニ従違スル所ヲ問フ、肥田昭作君曰ク、敢テ同意ヲ問フ迄モナク、已ニ一致シタル者ナリト信スト、三野村利助君曰ク、新会ノ規程ヲ撰定スルニ於テハ、可否スル所アルヘシト雖トモ、今新会ヲ設立スルニ於テハ異議アルナシト、会頭曰ク、今此新会ヲ立ルトセハ、先ツ択善会ヲ廃スルヤ否ヲ一決シ、然ル後ニ後図ノ議ニ従フ者ハ如何ト、衆皆之ニ同意シテ、乃チ択善会ヲ廃スヘキコトニ決定セリ、会頭曰ク、既ニ此ノ如ク諸君ノ決議ニ因テ択善会ハ今日ヲ限リ廃止セリ、此ニ於テ択善会ノ事務ハ其廃止ト倶ニ一切之ヲ輟ルトスルカ、或ハ又某件ハ之ヲ輟メ、某件ハ之ヲ新会ニ引送ル等ノ処分ヲ決議スルヲ要スト、原六郎君曰ク、択善会ノ事務ハ悉ク之ヲ新会ニ領収シ、而後宜ニ従ヒ取捨スルヲ要スト、杉本正徳君曰ク、新会ハ極メテ節約ナルヘキヲ以テ、経済雑誌約束ノ如キハ無論廃止センコトヲ冀望スト、村瀬十駕君曰ク、旧会一切ノ事務ヲ廃止スルハ如何ト、深川亮蔵君曰ク、先ツ本月ハ従前ノ姿ニ因テ処理シ、新会ノ設立スルヲ俟チ、其事務ヲ取捨シテ引送ルヲ要スト、会頭ハ深川亮蔵君ノ考案ヲ取テ之ヲ諸位ニ詢ル、皆異議ナクシテ此ノ如ク決定セリ、会頭又問テ曰ク、此引渡ノ順序タル、更ニ一会ヲ開キ議定スヘキヤ、或ハ其残務ヲ担当スル者ヨリ、新会ノ委員ニ引送ルヘキヤト、深川亮蔵君曰ク、旧会ノ残務ハ旧幹事之ヲ担当シテ、新会委員ニ引送ルヲ要スト、衆亦之ニ同意セリ、種田誠一君曰ク今其委員タル者ハ昨夕懇親会ノ協議ニ成ル所ニシテ、今本会ニ於テ此ノ如ク秩序ヲ定ルヲ得ハ、更ニ当席ニ於テ撰挙スルヲ要ス、且此委員ハ新会創設ノ為メ設ル所ニシテ、平時ノ委員ニアラサルヘキ旨ヲ陳フ原六郎君曰ク、尚一両名増加ヲ以テ撰挙アルヲ要スト、会頭曰、敢テ更撰スルヲ須ヒス、且已ニ五名タレハ復タ増員ヲ要セサルヘシト、肥田昭作君・三野村利助君モ亦タ此説ヲ主張ス、村瀬十駕君曰ク、委員五名ノ外、幹事三行ノ之ニ加ハルヲ要スト、深川亮戯君曰ク、幹事三行ハ其委員ニ関与スヘシ、万一然ラサルモ尚其新旧ノ事務ヲ担当シテ以テ便宜周旋センコトヲ要スト、会頭曰ク、已ニ深川君ノ考案ニ因テ幹事三行ハ旧会事務ヲ担当シテ其引送リヲ了スヘキヲ以テ、縦令其委員ニ与カラサルモ豈亦新会ノ挙措ヲ度外視センヤ、其得失ニ関シテハ皆吾儕ノ頭上ニ掛ルヲ以テ、必ス委員ノ協議ニ応シテ可否スヘキナリト、肥田昭作君曰ク、諸君モシ強テ此更撰ノコトヲ望マハ、小子更ニ委員タルヘキ人名ヲ指挙センニハ、第三銀行安田善次郎君、第六銀行杉本正徳君、第二十銀行杉山勧君、第三十三銀行種田誠一君、第百銀行原六郎君ノ五名ヲ以テ其委員タランコトヲ望ムト、会頭此指挙ニ同
 - 第5巻 p.668 -ページ画像 
意スルノ起立ヲ求ム、起立スル者十八名、多数ニ因テ之ヲ決ス、種田誠一君曰ク、小子ハ集会所設立ノ事ニ於テハ甚タ熱中スル所ナリト雖トモ、奈何セン弊行ノ如キハ、即今殆ント人員ニ乏シク、且小子近日旅行セント欲セハ、已ニ昨夕モ委員撰挙ヲ辱フシテ之ヲ辞セリ、今又此撰ニ当レハ、尚前情ヲ以テ之ヲ謝セサルヲ得スト、原六郎君曰ク、此委員ハ姓名ヲ以テセス、行名ヲ以テスヘキニ付、敢テ辞セサルヲ要スト、会頭曰ク、今種田君ノ如キ望ミアルトキハ、又他ニ響及スルヲ以テ甚タ不便タレハ、各行名ヲ以テ担当シ、而シテ万一已ムヲ得サルコトアレハ、一時他ニ委托スルモ妨ケナシト、種田誠一君遂ニ承諾ヲ告ク、会頭曰ク、此ノ如ク順序ヲ逐テ決議セハ、又旧会計ノ項ヲ議定スルヲ要ス、乃チ其会計ハ一切出納ヲ了スルノ後、各行ノ出額ニ応シテ割戻スヘキヤ、又ハ諸君ノ議スル所アリヤト、杉本正徳君曰ク、此事件ニ至テハ既ニ前刻第二銀行ノ如キ離盟説アルヲ以テ、之ヲ如何シテ可ナランカト、会頭ハ第二銀行下田善次郎君ニ問テ曰ク、必後会ニ加盟スルヲ欲セサルカト、答テ曰ク、然リ、原田銀造君曰ク、其割戻スト否トハ之ヲ今夕ニ決定スルヲ要スト、原六郎君曰ク、旧会共積金ノ差引残額ハ固ヨリ些細ナルヲ以テ、敢テ各行ヘ還収スルヲ要セス、旧会ヨリ新会ヘ引送ランコトヲ望ムト、肥田昭作君曰ク、原田君ノ説ニ従ヒ、先ツ割戻シノ算ヲ立テ、而シテ更ニ新会ヘ引送ルヘキ手順ヲ以テスルヲ要スト、会頭問テ曰ク、諸君此説ニ同意ナレハ、先ツ其割戻シノ筭ヲ立テ、而シテ其金額ハ更ニ集会所ノ資用トシテ之ヲ引送ルヘキ者ト定メ、而シテ此決議ノ次第ヲ本日欠席シタル諸行ニ通知スヘキヤト、衆皆同意セリ、時ニ九点鍾半会散ス


佐々木勇之助氏を囲む座談会(第二回)速記録(DK050152k-0006)
第5巻 p.668-671 ページ画像

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青淵先生伝初稿 第九章下・第三一―四二頁〔大正八―一二年〕(DK050152k-0007)
第5巻 p.671-673 ページ画像

青淵先生伝初稿 第九章下・第三一―四二頁〔大正八―一二年〕
    政府の紙幣整理(其一)
維新以来発行せる政府紙幣は太政官札・民部省札・大蔵省兌換証券・開拓使兌換証券・及び新紙・改造紙幣の六種あり。此中新紙幣は、太政官札以下四種を改善する目的にて発行し、漸次引換を了したるものなるが、新紙幣にも不備の点多かりしかば、更に改造紙幣を発行して又之と引換ふることゝなしたるなり。是等の紙幣は不換紙幣又は後に不換紙幣に変化せるものにして、其流通額明治十三年十二月には一億八百四十一万余円に達したり。此外政府が庫中の資金欠乏の際一時予備
 - 第5巻 p.672 -ページ画像 
紙幣を繰替発行せるもの同年に千六百五十二万余円に及び、更に銀行紙幣の流通額も三千四百四十二万余円に上り、合計一億五千九百三十六万余円の巨額に上りしかば、明治十年の頃より反響漸く甚しく、遂に紙幣の下落、正貨の流出、貿易上輸入の超過、物価・金利の騰貴、公債証書の下落となり、経済界を混乱せしめたり。然るに政府は紙幣下落の原因は銀貨の騰貴にありと信じて、其騰貴を抑制するに力めたり。十二年に国庫中の銀貨を売出したるが如き、洋銀取引所の設立を公許し、横浜洋銀取引所これなり、九月に至り横浜取引所と改称す金銀貨幣の取引を公許したるが如き東京・大阪両株式取引所及び横浜洋銀、取引所等に之を特許せるなり十三年に横浜正金銀行を設立したるが如き、皆此政策に本づけり。されどかゝる施設は遂に何等の効をも奏すること能はざりき。
    先生の紙幣整理案
先生謂へらく「紙幣下落の趨勢は全く紙幣増発の結果なり、徒に銀貨騰貴を抑制すとも其効あるべからず、宜しく紙幣を銷卸して兌換の制度を立つべし、それには各銀行自らも其発行せる紙幣の一部を減省し併せて政府紙幣の銷却を促すを適当なりとす」と。よりて明治十三年六月、京浜間銀行者の集団なる択善会と謀りて政府に建議せんとす、其要左の如し。
 一国立銀行紙幣発行高の二割、即ち凡そ八百万円を上納銷却する事。
 一国立銀行紙幣準備金を上納して金札引換証書の利子を受くる事。
  右は国立銀行自ら進みて特権を殺ぎ、国家に報ずるものなるを以て、政府も亦左の処分の決行を望む。
 一今後四年間に紙幣五千万円を銷却する事。
 一四年以後七年間、毎年正貨五百万円を積立て、紙幣兌換の準備とする事。
    先生に対する政府の圧迫
之と同時に、先生は同論者なる田口卯吉をして、其意見を東京経済雑誌上に発表せしめたり。此時の大蔵卿は佐野常民にして財政上の実権を握れるは大隈参議なりしが、先生の行為を以て銀行者を教唆し政府に反抗するものとなし、且つ東京経済雑誌が公然政府の方針を攻撃するを懌ばず、非常なる威圧を銀行者に加へ、択善会にも干渉し、遂に先生の地位をも奪はんとし、密旨を三井銀行の重役三野村利助利右衛門の子に伝へて先生を諷諭するに至れり。大隈は先生が大蔵省在官時代よりの先輩にして交情極めて親密なる者なり、然るに政見の衝突は私交に及び、両者の交一時疎隔せしかば先生いたく之を遺憾とせりといふ。幾もなく伊藤博文・井上馨の調停によりて和解す かゝる有様なれば同業者中にも政府の旨を承けて態度を一変し、かの建議案に反対し、或は調印を拒む者続出し、事遂に行はれずして已む。
    政府の紙幣整理(其二)
然るに、政府の政策は一も其功を奏せず、紙幣の下落尚依然たりしかば、此に始めて紙幣銷却の必要を感じ、明治十三年九月酒造税則を改正して其税率を二倍とし、其増加取入を以て紙幣銷却の元資に充て、十一月には地方税の範囲を拡めて国庫の負担を減じ、且つ各省経費の
 - 第5巻 p.673 -ページ画像 
節減を行ひ、其剰余を以て紙幣銷却の元資を増加するの方針を取り、又、従来工業奨励の為に設けたる官設工場は漸次払ひ下ぐることゝなし、又準備金の貸付事務を廃するなど、紙幣の整理に鞅掌せり、然れども是れ唯増税によりて紙幣銷却の元資を得んと企てたるのみ、先生等の主張せる兌換制度に関しては一顧をも与へず、紙幣回収の効果も亦挙らざりければ、金融先づ激変して更に銀行紙幣の増発を促し、之が為に却て紙幣の氾濫を来して紙幣の下落は愈々甚しかりき。
    紙幣の下落に伴ふ社会の状態
紙幣の下落は明治十四年四月に至りて最も甚しく、銀貨に対して一円七十九銭五厘一箇月平均相場なりの相場を示すに至れり。此に於て政府の会計は其収入の半を減じ、一定の収入によりて生活する民衆は皆家計に苦めり。之に反して諸物価の騰貴は商工業の繁栄となり、投機の流行、奢侈の増長、滔々として一世を覆ひ、輸入の超過、正貨の流出、殆ど制すべからざるに至れり。先生の先憂果して験あり。
    政府の紙幣整理(其三)
明治十四年十月、参議大隈重信・大蔵卿佐野常民・並に其職を免じ、参議松方正義大蔵卿を兼任して財務の任に当れり。松方旧政策の覆轍を改め、不換紙幣整理の大業に著手し、予備紙幣を以て国庫資金を補ふは其当を得たるものにあらずとし、先づ歳入・歳出・出納の順序を改正し、各省経費の前渡を廃し、之によりて得たる通貨並に中山道公債金を一時運用して、明治十六年に至り悉く繰換発行せる予備紙幣の回収を了したれば、更に一般の不換紙幣に対して整理を行はんとす。
爾来国庫資金の一時欠乏せる場合には、之を補足する為め、大蔵省証券を発行することゝなし、明治十七年九月大蔵省証券条例を発布して之を規定せり松方の紙幣整理案は、大体に於て先生の意見と軌を一にし、紙幣の銷却を期すると共に兌換紙幣の制度を確立せんとするにあり。即ち紙幣の正貨兌換制度を定むるにあらざれば、紙幣整理の実効を挙ぐること能はずとなし、断然紙幣の銷却と正貨の蓄積とを併行し、紙幣の価格が正貨と同一に回復するを待ちて正貨兌換制度を実施せんとす。かくて明治十七年以降に至り、紙幣の価格大に回復し、其発行亦減少したれば歳入残余は悉く正貨買入の用に供し、之を以て直に紙幣を銷却することを廃せり。


青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第六一五―六一六頁 〔明治三三年六月二三日〕(DK050152k-0008)
第5巻 p.673-674 ページ画像

青淵先生六十年史(再版)第一巻・第六一五―六一六頁〔明治三三年六月二三日〕
   第十三章 紙幣整理処分
明治元年太政官札発行以来紙幣ノ処分ハ明治政府ノ一大難問トナレリ青淵先生ハ明治二年ヨリ六年ニ至ル在官中最モ其処分ニ苦慮セリ、此間ニ於ル紙幣価格引上ノ方法、贋札処分、藩札交換、為替会社処分、国立銀行条例、及金札引換公債証書条例制定、紙幣製造ノ改良、国庫準備金積立、大蔵省兌換証券ノ発行等ハ先生ノ考案ニ出タルモノ多シ明治十一年以後紙幣価格ノ大ニ下落セルヤ、先生頗ル之ヲ憂ヒ、紙幣ノ整理ハ国家経済及財政上最大ノ急務ト為シ大ニ之ヲ論シタリ、十三年六月十四日京浜間銀行者ノ集会ニ於テ先生ハ紙幣整理ノ処分方ニ就テ政府ニ建議セントノ動議ヲ提出セリ、其処分方案ノ要領左ノ如シ
 一 国立銀行紙幣発行高ノ二割即チ凡八百万円ヲ上納消却スルコト
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 一 国立銀行紙幣準備金ヲ上納シテ金札引換証書ノ利子ヲ受クルコト
  右ハ国立銀行自ラ進テ特権ヲ殺キ、国家ニ報スルモノナルヲ以テ政府モ亦左ノ処分ノ決行ヲ望ム
 一 今後四年間ニ紙幣五千万円ヲ消却スルコト
 一 四年以後七年間毎年正貨五百万円ヲ積立紙幣兌換ノ準備トスルコト
此紙幣整理処分案ノ動議ハ其後数回協議ノ末ニテ到底銀行ノ特権ヲ減殺スルハ株主トノ相談困難ナリトノ論ニテ中止トナレリ、当時政府ノ財務当局者タル大隈重信ハ、紙幣ハ過多ナルニアラス其価格ハ下落セルニアラストノ論ヲ主持セシヲ以テ頗ル先生ノ議論ト衝突シ、之レカ為メ明治初年以来久ク国家ノ経済及財政上ノ経綸ヲ共ニシタル二人ノ間一時疎遠トナルニ至レリ、明治十四年十月、松方正義ノ大隈ニ代リテ大蔵卿トナルヤ、政府ノ紙幣処分ニ対スル政策全ク一変セリ、松方ノ採用セル整理方案ハ大体ニ於テ先生ノ方案ト趣旨ヲ一ニセリ、当時松方ノ財政策ニ反対セルモノ多キ中ニ於テ先生ハ之ヲ賛成シタルヲ以テ、松方ハ深ク先生ノ卓見ヲ称セリ


第一銀行五十年史稿 巻三・第六九―八二頁(DK050152k-0009)
第5巻 p.674-677 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻三・第六九―八二頁
    東京銀行集会所の設立
本行が択善会を利用して種々の計画を為し、之が為に銀行事業の進歩を促し、財政経済上に裨益を与へしこと上述の如くなれば、択善会の名声は頓に揚り、全国各地の同業者をして、同業会同の必要なる所以を悟らしむるに至れり。然るに其頃択善会の外、別に銀行懇話会といへるものありて、二団体併立の状ありしかば、衆議之を一にせんことを望み、遂に明治十三年八月二十二日を以て択善会を解散し、九月一日に至り東京銀行集会所は成立せられたり。されど此の如くして択善会を解散せしは、畢竟表面の事実のみ、是より先に、不換紙幣の整理に関する意見、政府の政策と相反せるが為に、本行を中心とせる択善会は政府の忌憚する所となり、多大の圧迫を蒙り、会員中政府の意を迎合して異論を唱ふる者をも生ずるに至れるより、銀行懇話会と併合するといふ形式の下に解散して、銀行集会所は別に生まれたるなり。従うて本行の頭取渋沢栄一は、委員長として又は会長として、銀行集会所総理の任に当りたれども、暫くは自重の態度を取るの已むを得ざるものありき。此の如くにして成立する集会所は、従来の択善会とは其趣を異にし、極めて簡単なる規則の下に、毎月一回同業者の会合を開き、献酬の間に営業上の談話を為すのみ、寧ろ同業者の親睦会たるの観あり。幾もなく政府の態度一変して、本行は其忌憚より免るるに至り、此に改めて有力なる機関たらしむるの議あり。よりて更に本行を首脳とせる同盟銀行の計画に基き、明治十五年規程を改正し、完全なる銀行団の機関と為せり。
○中略
    銀行紙幣流通に関する本行の建議
明治九年国立銀行条例の改正ありしより、国立銀行の各地に創設せら
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るゝもの前後相次ぎ、数年ならざるに百五十三行の多きに達し、其発行紙幣も非常なる巨額に上れり。是において本行は、予め銀行紙幣の散布に注意するにあらざれば僻遠の地方にては之が流通を嫌ひ、其結果自から都会にのみ集りて、遂に政府発行の新紙幣との間に打歩を生じ、延いて銀行の営業上危険を来さんことを憂ひ、明治十年六月廿二日書を大蔵省に呈して、銀行紙幣の流通渋滞せる地方あらば、各府県の予備金を以て之と引換の便を開かんことを請へるに、政府之を納れ翌月旨を府県に伝へて、予備金流用の途を開きたり、加之条例の改正に基き、銀行紙幣が通貨即ち政府紙幣と兌換するの制度となれるがゆゑに、各銀行共に爾来交換の累なく、且万一国立銀行の閉鎖せんにも其紙幣は必ず交換せらるべきこと疑なきに至りしかば、銀行紙幣の信用固く、政府紙幣と相並びて円滑に流通し、旧条例の時代に比して、全く面目一新せり。
    銀行紙幣の膨脹に関する政府の施設
かくて国立銀行の数は年々に増加し、発行紙幣も巨額に上れるのみならず、銀行紙幣と政府紙幣との間に打歩を生ずることなく、円滑に行はれたるが、かゝる有様にて歳月を経過せば銀行紙幣は無制限に膨脹するの恐れあり、是において政府は漸く国立銀行に対して牽制を加ふるの策を執れり。初め国立銀行の簇出するや、其多くは金融機関の任務よりは寧ろ紙幣発行の特権を得て営業上の利益を貪らんことを希ひしが如し。されば商業の大小・金融の繁閑をも考へず、銀行業の識見なき輩も附加雷同せしかば、国立銀行を取締るべきことは此方面においても必要を感じたるなり。よりて明治十年八月政府は各地方長官に令達して、銀行の設立は其地方における商工業の実際に鑑みるを要し又重役其人を得るにあらざれば営業の発達を見る能はざる旨を管内に戒諭せしめ、尋で十二月国立銀行条例追加を公布し「大蔵卿は其裁量を以て国立銀行の創立を許否し、及び其資本金額を減少し、かねて発行紙幣の員数を制限することあるべし」と定めたり。然るに翌十一年三月に至りて、此追加を取消して条例の本文に改正を加へ「国立銀行より発行する紙幣は、資本金十分の八たるべし、大蔵卿は発行すべき銀行紙幣の総額を制限することあるべし、故に新に創立を願ふものある時、其資本金額を節減し、或は其創立を許可せざることあるべし」と規定せり。即ち国立銀行の資本金総額は四千余万円、発行紙幣総額は三千四百余万円を限度となすの内規を設け、爾来努めて其新設を抑制したるに、十二年十二月京都第百五十三国立銀行が開業するに及びて資本金総額も発行紙幣総額も、並に右の定額に達したるが故に、政府は此後また国立銀行の設立を允可せざりき。これ実に銀行紙幣の膨張を制限せんとの目的に出でたるなり。
    不換紙幣流通の多数と経済界の混乱
国立銀行紙幣の世上に流布するもの三千四百余万円に達したる時、政府紙幣の流通もまた、驚くべき多数に達したり。抑々維新以来政府発行に係る紙幣は太政官札・民部省札・大蔵省兌換証券・開拓使兌換証券、新紙幣・改造紙幣の六種あれども、新紙幣は太政官札以下四種の紙幣が製造粗悪にして贋造の弊あるを見て之と引換へんが為に発行せ
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るものなり。明治八年十月には既に大蔵省及び開拓使両兌換証券の回収を畢へ、ほゞ新紙幣の一種に帰したるが、十一年八月に至りては交換未了に係る少数の太政官札・民部省札もまた回収を畢はり、全く新紙幣によりて統一することを得たりき。然れども新紙幣にもなほ不備の点あるにより、十四年以後更に改造紙幣を発行し、漸次新紙幣との交換を行へり。而して是等の各政府紙幣は悉く皆不換紙幣若しくは不換紙幣に変化せるものにて、其流通額も明治十一年十二月には一億千九百八十万四百七十五円余の最高額を示したるが、此外に政府が国庫の出納上歳入の歳出に伴はざる場合に、一時の支弁に当てんが為、予備紙幣を繰換発行せるものも亦尠からず、其額同年同月において千九百六十一万八千百十六円に及びたり。之に銀行紙幣二千六百二十七万九千六円を加算せんか、実に一億六千五百六十九万七千五百九十七円余の巨額に上れり。かく巨額の不換紙幣流通の結果は物価・金利の騰貴となり貿易上輸入の超過となり、従うて公債紙幣の下落となり、正貨の流出となれるは、固より怪しむに足らざるなり。
    政府の救済策と其不成功
此時政府は貿易上の不利益は紙幣価格の下落にありとなし、更に紙幣価格の下落は銀貨の価格騰貴にありと考へたれば、銀貨の騰貴を抑制することに全力を注ぎたり。即ち本行及び第二国立銀行・三井銀行をして、銀貨を市場に売却せしめ、或は横浜洋銀取引所並に横浜正金銀行を設立して民間に隠慝せる正貨を吸収して之を市場に供給せしめ、又或は海外に対し為替・荷為替の方法を設けて、内外の金融を疏通しむると共に、東京・大阪・両株式取引所、横浜洋銀取引所において、金銀貨幣の取引を公許せるなど、皆この政策に基きて政府が明治十二三年の交に施設せられしものなり。然れども増発せる不換紙幣の回収銷却を等閑に附して、銀の価格を低落せしめんとしたるは誤解なりしかば、政府の苦心は遂に何等の効をも奏する能はざりき。
    紙幣銷却及兌換制度採用に関する本行の意見
然れども本行の見る所は全く之に反せり、思へらく、紙幣の下落によりて経済界を攪乱せられしは、不換紙幣増発の結果なり、之が整理に努めずして銀貨の騰貴を制せんとするは無益の業なり、今日の急務は紙幣銷却の方法を定むると共に、兌換制度を採用するに在りと。即ち政府への建議案を起草して、明治十三年六月の択善会の評議に附したり。其要領は左の如し。
 一国立銀行紙幣発行高の二割即ち凡そ八百万円を上納消却する事。
 一国立銀行紙幣準備金を上納して金札引換公債証書の利子を受くる事。
 右は国立銀行自ら進みて特権を殺ぎ、国家に報ずるものなるを以て政府もまた左の処分の決行を望む。
 一今後四年間に紙幣五千万円を銷却する事。
 一四年以後七年間、毎年正貨五百万円を積立てゝ紙幣兌換の準備とする事。
この紙幣整理処分案の動議は其後数回の協議を経てほゞ同業者の賛成を得たり。頭取渋沢栄一は更に世論を喚起せんが為に、田口卯吉をし
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て其主宰せる東京経済雑誌に其意見を発表せしむ。田口もまた本行と見解を同じくする者なればなり。然るに当時財政上の実権を掌握せる参議大隈重信は、紙幣は決して過多なるにあらずとの議を把持して相容れず、本行ははしなくも政府の忌憚に触れたり。かくて政府は、本行及ひ本行と行動を共せる銀行者に威圧を加へしかば、かの動議は遂に不成立に畢り、択善会も甚しき干渉を受け、之が為に銀行懇話会に併合するといふ形式の下に、解散するの已むを得ざるに至れること、前章に述べたるが如し。
    政府の紙幣整理と兌換制度の採用
政府は飽までも本行の意見に反対し、官憲の威力を以て素志を貫かんと図りたれとも、其施設する所何等の効果をも奏すること能はずして失敗の跡歴然たるに至りしかば、玆に始て態度を改め、紙幣銷却を策せんとし、而して其銷却資金は専ら増税によりて之を得んと企て、本行の主張せる整理案の如く、一方に紙幣銷却の方法を講ずると共に一方に兌換制度を確立することを敢てせざりしかば、折角の苦心も意の如くならず、明治十四年四月に至り紙幣の下落極度に達し、財政経済の各方面において頗る憂ふべき現象を生じたり。政府実収入の半減、商工業の一時的繁栄、投機の流行、奢侈の風潮など、皆其結果ならざはなかるりき。此年十月大隈重信政府を去り、松方正義新に大蔵卿に任ぜらるゝや、全く従来の方針を改めて不換紙幣の整理を行ふ事となり、而して其整理案は本行の意見の如く、紙幣の銷却と正貨の蓄積とを併行して、紙幣兌換の基礎を立て、紙幣の価格と正貨と同一に回復するを待ちて正貨兌換制度を実施せんことを期したり。爾来政府はこの方針に則りて著々其歩を進め、準備正貨の充実を図ると共に、予備紙幣を以て一時国庫資金を塡補することを中止して悉く之が回収を了り、一部の不換紙幣は玆に整理の功を収めたれば、更に引つゞきて発行紙幣の銷却に努むると共に、十五年六月に至りて日本銀行条例を公布せり。これ実に兌換制度の確立に従ひ、中央銀行を設けて兌換券発行の特権を附与せんが為なりき。


東京日日新聞 ○第二五九五号〔明治一三年八月四日〕 【銀行択善会は先頃より廃す…】(DK050152k-0010)
第5巻 p.677 ページ画像

東京日日新聞
 ○第二五九五号〔明治一三年八月四日〕
○銀行択善会は先頃より廃すべしとの議起りしが、一昨日の会場にて一二の異論者が頻りに其説を主張し、中には不同意の人もありしかども、会長渋沢君は既に会員より無用の名を下されし以上は強て此会を持続するも益なかるべし、仍て衆員の意見を問はず、会長の特権を以て本日より断然銀行択善の会を廃止するものなりと云ひ渡して、即座に会場を閉られしと云ふ

東京日日新聞 ○第二五九六号〔明治一三年八月五日〕 【昨日の紙上に記せし銀行の…】(DK050152k-0011)
第5巻 p.677-678 ページ画像

 ○第二五九六号〔明治一三年八月五日〕
○昨日の紙上に記せし銀行の択善会廃止の件は少々聞漏したる処ろあり、元来同会は是まで東京の銀行に各地方の銀行も加入して成立ちたるを、右にては不都合の廉ありとて廃止の説起り、会長は其否やを衆議に問ひしに、同夜出席の廿六行中、十八行は廃止説を可なりとせしに付き、即ち本会を閉ぢたるなりと云へり、又同会の外に東京銀行の
 - 第5巻 p.678 -ページ画像 
懇親会と云ふものありしが、是をも廃して更に旧択善会並に旧懇親会の銀行とも加入して別に一会を起すことに定め、此創立の委員を選みたるに第三・第六・第廿・第三十三・第百の五銀行が其選に当りたりと


朝野新聞 〔明治一三年八月六日〕 銀行の択善会廃止(DK050152k-0012)
第5巻 p.678 ページ画像

朝野新聞〔明治一三年八月六日〕
   銀行の択善会廃止
銀行の択善会は是れまで各地の銀行も加入せしが、右にては不都合の廉ありとて廃止説起りしに付、過日の集会に於て会長は其可否を衆議に問ひしに、廿六行の内十八行は廃止を可とせしに付直ちに該会を廃止し更に一会を起すことに定めしといふ。
   ○銀行懇話会ニ付テハ資料ヲ得ズ。
   ○択善会ハソノ設立以来、銀行業者ニ新知識ヲ紹介シ、起業公債ノ募集ヲ斡旋シ、敗裂紙幣交換事務ヲ整理シ、手形取引ヲ奨励スル等、ソノ業績見ルベキモノアリシガ、タマタマ不換紙幣整理ニ関スル意見政府ト相反シ、政府ノ圧迫ヲ蒙ルニ至リ、会員中ニモ政府ノ意ヲ迎へテ異論ヲ唱フル者ヲ生ジタリシニヨリ、一旦択善会ヲ解散シ、銀行懇話会ト合併シテ銀行集会所ヲ設立シタルナリ。銀行集会所ハ事務所ヲ第百国立銀行ニ置キ、簡単ナル規約ノ下ニ毎月一回銀行業者ノ会合ヲ催シテ営業上ノ談話ヲナスニ留リシガ、幾クモナク政府ノ意見変ジテ旧択善会ノ意見ヲ是トナスニ及ビ、明治十五年規約ヲ改正シテ有力ナル銀行団トナシ、以テ後ノ東京銀行集会所ノ基礎ヲ確立セリ、択善会解散ノ日ハ東京経済雑誌ニ従テ八月二日トナス。
   ○銀行集会所ハ明治二十三年東京銀行集会所ト改称セリ、改称ノ時期ニ関シテハ確タル史料ヲ得ズト雖モ、明治二十三年六月十八日付銀行局長田尻稲次郎ヘノ復申書(銀行通信録第五十八号及ビ東京商工会議事要件録第四十五号参考部所載)ニ「銀行集会所」ト記シ、同年九月十五日付大蔵大臣伯爵松方正義ヘノ稟請並ビニ同月三十日付大蔵省指令第三八四九号(銀行通信録第五十八号所載)ニ「東京銀行集会所」ト記セリ、ヨツテコノ間ニ改称セシモノナルベシ。
   ○本巻明治十年七月二日ノ項及ビ第六巻明治二十三年九月一日及ビ明治二十九年三月十六日ノ項参照。


鼎軒田口夘吉全集 第七巻・第三一―三五頁〔昭和二年九月二〇日〕(DK050152k-0013)
第5巻 p.678-681 ページ画像

鼎軒田口夘吉全集 第七巻・第三一―三五頁〔昭和二年九月二〇日〕
    紙幣下落救済の方策
               (明治十三年四月二十一日発行東・経二五号所載)
 紙幣下落の勢滔々として止まず、銀貨の相庭遂に一円六〇銭の甚しきに至れり。今や民間に在りて此売買を業とするもの、多くは二円に至るべきを予想せり。嗚呼果して此の如きに至れば、銀行貸付会社の資本は減じて半額となり、給料賃金は五割を失ふに均しき事なれば、経済世界に混乱を生じ人民を塗炭の苦境に陥らしむるの実あるや疑を容れざる所なり。当路の有司切に民間の事情を査察し、速に救治の策を施すにあらざるよりは、焉ぞ能く挽回の気運を望むを得んや。夫の夏の代の民が時日害亡予及女偕亡《(コ)》《(ノ)》《(イツ)》《(カ)》《(ニ)》《(ビン)》 [時(コ)ノ日害(イツ)カ亡 予及女偕ニ亡ビン]と嘆きける有様に至らんも未だ計られざるなり。余輩之を憂ひ、昨年以来之を救ふの方法を論弁すること既に数万言に及べり。不幸にして世論の為めに注視せられず、当局者をして一顧を促さしむる能はず、終に今日の変動を発現せしむるに至
 - 第5巻 p.679 -ページ画像 
りしと雖も、今や世論漸く紙幣下落の実相を認識するに至れり。果して然らば、余輩の論弁せし所も亦た或ひは其実行を異日に期するを得ん、未だ必ずしも好望なきにあらざるなり。回顧すれば一昨年の末洋銀及び米穀の呼価漸く将に騰貴せんとするや、実際に通暁するを以て世にも称せられ自らも誇りたる日報記者及び中外物価新報記者の如しと雖も、未だ其紙幣下落に源因するを知らずして金価騰貴せり米価騰貴せりと断言し、其騰貴する所以は輸出入の相償はざると収穫の遅延とに因ることを確証し、余輩が紙幣下落論を著し金銀共に斯くまで騰貴すべき謂はれなきことを論ずるや、恰も架空の妄想を発するが如く駁撃せられたりき。然るに真理の存する所終に争ふべからず。爾来紙幣下落の勢益々甚だしきを加へ、今日に及んでは社会一般皆な紙幣の下落たることを解し、彼の記者の如きも往々にして旧論の非なりしことを悟りたる証跡を其紙上に発露するに至れり。大凡そ大声は俚耳に入り易からず、唯だ時勢の推移能く真理を明唽すべし。余輩の計画する所、亦た未だ俄かに世論の同意を求むる能はざるべし。
 然りと雖も今日紙幣の下落を救治するの法、唯だ紙幣を償却するの一法あるのみ。而して官庫余金なし、豈に余輩の計画する所に従ひ、官金銀行を設立し、公債証書を売却し、銀行条例を改正するの他に一策あらんや。嗚呼我が大蔵卿が明治十一年に当りて世に公布せられたる公債紙幣銷還方法をして正確ならしめば、余輩の策直に実行するを得べきなり。然るに真正の順路は往々にして迂遠の誹を免がれず、而して奇道の策却て俗耳を奪ひ易し。玆に其謬論の一二を掲げ、以て其災源を絶たぎるべからず。
 今や世間、或ひは紙幣下落の源因を以て金銀米穀の相場会所にありとし、之を廃止して以て紙幣下落を防がんと欲するものあり。其言に曰く、金銀米穀の騰貴する所以は其相場所あるがためなり、現今空商盛に行はれ頻りに買気を逞うし、以て其相場を騰貴せしむ、之を防ぐの法唯だ相場所を廃するにありと。然りと雖も相場所あれば買気を鼓舞して以て相場を騰貴せしむとの議論程、世に条理の存せざるものあらざるべし。若し相場所にして真に買気を鼓舞するの力あること論者の言の如くならしめば、徳川氏の末路に至るまで大阪堂島の限月売買を為すこと数百年、其米相場は一石数千両に騰貴せざるべからず。相場所なるもの、豈に買気を鼓舞し紙幣を下落せしむるの場所ならんや。
 然るに世或ひは相場所を以て空商を鼓舞し、人民をして実業を厭はしむるの弊害あるものとし、之を廃止して以て目今の躁狂を医せんと論ずるものあり。曰く、相場所は空商を為すに便利を与ふるの場所なり、若し之なくば人民決して空商に従事すること今日の如きに至らざるべし、空商は博奕なり之を廃するも利ありて害なしと、成る程空商は廃せざるべからず。然れども相場所を廃すれば空商跡を絶つべしと想像するは、空想の甚だしきものにあらずや。請ふ、先づ論者の為めに空商の勃興する理由を説かん。夫れ空商は必ず価格の浮沈甚だしきと財産の動揺多きときに発するものなり。夫の限月の売買なるもの決して空商を発するものにあらざるなり。試に見よ、米穀の需要は俄か
 - 第5巻 p.680 -ページ画像 
に増すべきものにあらず、其供給亦俄かに減ずべきものにあらず。夫農夫が秋田に刈りて一たび之を商估に売りしより、以て都民の腹中に入るに至るまで、其売買運送の方法斉然として乱るゝあるなし。されば此際に当りて、需要俄かに増加すべしと見込みて多く買ふものあれば必ず失敗すべし。又た供給俄かに増加すべしと見込みて多く売るものあれば亦た必ず失敗すべし。何となれば、出来秋の初より消費の末に至るまで、其相庭の沿路殆んど劃一にして急変動のあるべき理なければなり。故に若し貨幣の制をして完全ならしめば、其相場決して乱高下あるべき筈なし。豈に投機者流を多く此に蒐めて、空商をして其意を逞うせしめんと欲するも得べけんや。論者請ふ、左の一表に就いて、米穀の真の価格は如何に変動少きやを見て以て真理のある所を尋視せよ。

        金貨相場   銀貨相場  米平均相場  銀貨ニテ米ノ相場
 明治十二年
          円      円     円      円
   一月   三九、六〇  二三、〇〇  七、〇三   五、七一
 同 二月   四二、〇〇  二三、五〇  七、〇五   五、七一
 同 三月   四三、七五  二三、七五  六、八七   五、五五
 同 四月   三三、〇〇  一六、八〇  七、一二   六、一〇
 同 五月   三四、五〇  一七、五〇  七、一二   六、〇六
 同 六月   三二、〇〇  一六、八〇  七、二八   六、二三
 同 七月   三六、〇〇  一六、〇〇  七、五六   六、五二
 同 八月   三六、〇〇  一七、〇〇  八、二九   七、〇八
 同 九月   三一、五〇  二一、〇〇  九、一三   七、五四
 同 十月   三七、一〇  二七、九四  八、九一   六、三〇
 同十一月   三七、〇〇  三〇、五〇  八、七〇   六、六六
 同十二月   四〇、二二  三二、九二  八、四〇   六、三二
 明治十三年
   一月   四五、二七  三七、八五  八、二六   六、〇〇
 同 二月   五〇、〇〇  四一、一〇  八、五一   六、〇三
 同 三月   五六、二七  四九、七〇  九、一七   六、一二
 同四月五日  五六、四〇  五〇、五〇  九、八一   六、五一
 同同八日   五九、九三  五二、二〇  九、八二   六、四五
 同同十日          五八、二〇 一〇、三〇   六、五一

 右の表に拠るに、米穀の紙幣相場は、昨年一月より以て本年四月十日に至るまで、低きは六円八十七銭に至り高きは十円三十銭に至るを以て、其間三円四十三銭の差額を見ると雖も、米穀の銀貨相場に至りては、僅かに一円九十九銭の差に過ぎず、殊に本年一月より以後米穀の紙幣相場は二円余の騰貴を為せりと雖も、銀貨相場に至りては僅かに五十銭の騰貴に過ぎず。然らば則ち、紙幣相場に於て空商の増加する所以のもの素より其理なり。今其相場動揺の源因を治せずして徒に其の結果を制せんとするは、恰も火を硝石に点じて其劇発せざらんことを望むが如し。豈に其功を奏するを得んや。且つ夫れ空商の発する財産の不安なるより甚だしきはなし。夫の不換紙幣の動揺甚だしきに当りてや、其財産確呼たりと云ふべからす。今日其下落既に百六十円
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に至りたるは、即ち民間の財産冥々の中に消耗して、百万円の資本は減じて六十二万五千円となり、十円の給料は減じて六円二十五銭となりたるものなり。されば人民日に其職事を勉むと雖も、今日得るところは前日得るところよりも減じ、明日得る所は本日より減ぜざるを得ず。人民誰れか其勉励の勇気を沮喪せざらんや。此際に当りて、彼の物価動揺の甚だしきが為めに其売買に関し非常の利を得るものあり。財産賃銀の日々に消耗するを見て其の実業に従事するを厭悪したる人民にして、此景況を目撃するや、羨心忽ち胸竅に満ち、投機空商の気勃然として社会に発生す。今日空商の盛なる所以は全く之に存するものなり。故に空商の盛なるは相場所にあらずして不換紙幣の動揺にあり。通貨にして動揺せざる、幾千の相場所を日本各地に創立し空商を旺盛ならしめんと欲すと雖も、利を得るの差額なきにあらずや。此理を暁らずして浅墓にも空商の弊は相場所に存すと断定し、之を廃止せば空商跡を絶つべしと想像するは、真に憐むべきなり。
 議者或ひは云ふ、今回我大蔵卿が金銀貨幣及び米穀の売買を各地取引所に禁止せらるゝものは、其精神全く前二種の謬論に出づと。余輩決して其然らざるを知るなり。何となれば、今日不換紙幣をして其価格を失はしめ空商の気をして民間に勃興せしめたることは、申すも憚りあることなれども実は其責は政府の理財法に存することなり。此等の実例は外国政府に於ても数々行はれしことにして、欧米の経済学士は既に其源因を尋究せり。然るに今相場会所ある為めに紙幣下落し、相場会所あるが為めに空商勃興すとなし、之を制抑して以て此二弊を救治せんとのことは、取りも直さず自ら為せる失策を以て他に嫁せんと同一にして万々あるべからざればなり。大蔵卿の挙措、蓋し他に深慮の存するあらん、決して彼の二謬論に基く者にあらざるなり。嗚呼今日の財政を治する別に奇法なし。其源因既に明かなり、願くは有司真正の病源を治せよ。

渋沢栄一伝記資料 第五巻 終