デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.496-500(DK060141k) ページ画像

明治33年5月28日(1900年)

五月九日付ヲ以テ男爵ヲ授ケラル。是日東京銀行
 - 第6巻 p.497 -ページ画像 
集会所ニ於テ東京銀行集会所、東京交換所、東京興信所及銀行倶楽部四団体連合主催ニヨル渋沢男爵授爵祝賀会開カル。栄一出席シ一場ノ挨拶ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK060141k-0001)
第6巻 p.497 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年
五月二十八日
年後五時銀行集会所ニ抵リ銀行集会所手形交換所東京興信所等ノ申合ニ係ル叙爵祝賀ノ会ニ列ス、篤二及他ノ男児モ皆招宴セラル、式場ハ集会所ノ広間ニ於テ之ヲ開ク、会員一同相集リ、余及篤二ヲ壇上ニ招シ、総代トシテ豊川良平氏祝詞ヲ朗読ス、卒テ壇上ヨリ一場ノ答辞演説ヲ為シ、卒テ倶楽部楼上ニ誘引シテ立食ノ饗応アリ、立食中山本日本銀行総裁、十五銀行頭取園田孝吉ノ両氏ヨリ席上演説アリテ各万歳ヲ三唱ス、夫ヨリ楽隊ニ命シ種々ノ奏楽ヲ為サシメ、門前ニハ花瓦斯緑門等ヲ設ケテ装飾頗ル意ヲ用ヘタリ、夜九時散会ス○下略


集会録事 自明治二十六年一月(DK060141k-0002)
第6巻 p.497 ページ画像

集会録事 自明治二十六年一月  (東京銀行集会所所蔵)
    ○東京銀行集会所第二百三回定式集会録事○明治三三年五月一五日
爰ニ通常会ヲ終リタルカ、豊川氏ハ、今回会長渋沢栄一氏カ授爵ノ恩典ヲ辱フセルハ、思フニ氏カ明治六年ニ第一銀行ヲ創立シ、本邦銀行業ノ開祖トナリテ斯業ノ模範ヲ示シタルノミナラス、爾来今日ニ至ル迄斯業ノ調査研究改良発達ニ関シ常ニ少カラサル功績ヲ挙ケラレタルコトハ吾々当業者ノ最モ感謝スル所ナリ、且ツ此銀行集会所ノ如キ、手形交換所ノ如キ、商業興信所ノ如キ、若クハ銀行倶楽部ノ如キニ至ル迄皆氏カ先導尽萃《(瘁)》ノ賜ナリト称スルモ不可ナシ、因テ此四団体ニ於テ氏並ニ氏ノ家族ヲ招シテ祝賀ノ宴ヲ開カンコトヲ望ム、ト建議シタルニ、満場一致之ヲ可決シタレハ、右祝宴準備委員トシテ豊川良平、園田孝吉、波多野承五郎、池田謙三、三崎亀之助ノ五氏ヲ挙ケ万事ヲ委托スヘキニ決シ○下略


銀行通信録 第一七五号・第八七一―八七四頁〔明治三三年六月一五日〕 銀行通信録評議員会外二委員会(DK060141k-0003)
第6巻 p.497-500 ページ画像

銀行通信録  第一七五号・第八七一―八七四頁〔明治三三年六月一五日〕
    ○銀行通信録評議員会外二委員会
明治三十三年五月十八日午後五時より銀行倶楽部に於て銀行通信録評議員会外二委員会を開会せり
○中略
    渋沢男爵招待会準備に関する東京銀行集会所外三団体委員会
渋沢男爵招待会に関する東京銀行集会所外三団体委員会は銀行通信録評議員会散会後開会、男爵及令息篤二氏を招待する事、会場は銀行集会所とする事、並会費、装飾、服装、祝詞等に付き協議決定せり
    ○渋沢男爵授爵祝賀会
東京銀行集会所、東京交換所、東京興信所及銀行倶楽部の連合を以て開会せる渋沢男爵授爵祝賀会は五月二十八日午後五時式を挙ぐることに決し、当日式場たる東京銀行集会所の正門には緑門を設け、上に国
 - 第6巻 p.498 -ページ画像 
旗を交叉し、其他会場各所に国旗を交叉し、花瓦斯を点じ、陸軍々楽隊の奏楽声裡に来賓を迎へたり、当日の来賓は渋沢男爵並令息篤二、武之助、政雄及秀雄五氏にして、来会者は二百名に達し、賓客及会員一同式場に列するや、総代豊川良平氏は四団体の決議に依り之より式を挙ぐべき旨を述べ、進んで左の祝辞を朗読せり
 東京銀行集会所会長、東京交換所委員長、東京興信所評議員会長、銀行倶楽部委員、従四位勲四等男爵渋沢栄一君足下
 東京銀行集会所、東京交換所、東京興信所及銀行倶楽部は君が男爵を授けられたるを栄とし、相謀て此会を開き、君及び君が令嗣の光臨を辱ふし、聊か玆に表祝の典を挙ぐ
 顧ふに、明治初年君の朝を退き野に下て以来玆に凡そ三十年、其間君が銀行の事業に関する功蹟は某等の特に長く銘記して忘る可からざる所にして、銀行法規の制定は君が在朝当時最も其力を効せる所銀行事業の経営は君が退朝以後専ら其身を委ねたる所なり、君夙に銀行業者会同の必要を首唱し、明治十年択善会を起して其牛耳を執り、明治十三年択善会一変して東京銀行集会所となるや、同業者の推戴に依て会長の重任に当り、爾来二十有余年間、財政経済に関し君の首唱に依て銀行集会所の経営せる事業数ふるに遑あらず、而して明治二十年に至りては東京手形交換所の組織成て手形取引の利便大に開け、明治二十九年に至ては東京興信所の創立成て信用調査の機関始めて備はり、明治三十二年に至りては銀行倶楽部の設備成て同業者間親和の関係愈密ならんとす、而して是等の事業たる、皆君が尽力に依らざるものなく、交換所に於ては委員長として、興信所に於ては評議員会長として、銀行倶楽部に於ては委員として、当初より今日に至る迄各其任に当り、是等の事業皆時運の進歩に従ひ愈其発達を見るに至れり、君の銀行事業に於ける功蹟斯の如し、之を要するに君が一身の経歴は我国銀行の史乗と離る可からざる関係を有せり、若し夫れ其他一般商工業の上に於ける君の功蹟に至ては、復玆に某等の賛揚を俟たす、君の名声は既に天下に高く、更に加ふるに授爵の栄を以てす、某等君の為めに之を賀し、又我銀行業者の為めに之を栄とせざるを得ず、是れ某等か特に此会を開き君の光臨を辱ふして恭しく玆に祝辞を呈する所以なり
          東京銀行集会所 東京交換所
                     会員総代
          東京興信所 銀行倶楽部
  明治卅三年五月廿八日          豊川良平
右終るや主賓渋沢男爵は一揖の後左の挨拶を為したり
 諸君に一言御礼を申上げます、今日は東京銀行集会所、東京交換所及東京興信所、銀行倶楽部の諸君が私の今般図らずも授爵の恩命を得ましたことを祝する為に玆に斯様なる筵を御開き下すつて、只今豊川君から之を祝する言葉として最も懇篤なる御辞を頂戴致しました、誠に私は唯感謝に余りありと申上げる外謝するの言葉を知りませぬのでございます、只今御朗読下さいました内にも自分の銀行を経営した顛末を御記載下さいましたか、如何にも私が明治の始に、学問もなく才もなく決して要地に居らるゝ訳ではございませぬか、
 - 第6巻 p.499 -ページ画像 
図らず理財の局に聊か関係して居りました、当時日本は今後どうしても民業の発達を十分に計らなければ此国の富を期する訳には往かぬ、又国の強きを期することは出来ぬと云ふ感を持つたのでございまして、夫から遂に官を辞して其末何事かと色々考へましたが、悲い哉学問もなけれは才もなく、又世の中がどうしたら宜いと云ふ方針が付かなかつたので、要するに銀行と云ふことに方針を立てたのは平たく申せば他に何事も出来なかつたと云ふ証拠と申して宜いので、今日斯く諸君から銀行に最も先きに目を付けた先覚者だと云ふ御褒めを戴くと、私には此上もない光輝を添へるやうでありますが其実自分は外に何事も知らなんだと云ふ証拠が之で徴し得らるゝ次第でございます、併し唯今も申します如く、商売工業と云ふことに付ては、其位地を国家と共に進めて往き、之を進めて往くには他の治国の要務と共に進めると云ふことは、私の微意か余程強くあつた迄でございまして、学問とか才能とか着眼とか云ふことに付ては甚だ乏しくありましたが、我国はどうしても事業に付て大に進めて往かなければならぬと云ふ懸念丈は聊か自分は強く持つたので、又其考を今日迄保ち続けたと申上げて宜いと考へます、故に只今の如き御褒言葉を頂戴しても実に慚愧に堪へませぬのは、銀行と云ふ事業に於ての才もなく学問もなく今日迄拮据経営して其為す所何も是ぞと云ふ功蹟もなかつたのでありますが、只聊か実業と云ふものを大に発達をさせたいと云ふ観念からして、聊か銀行の目的を立てた上に於て、三十年を経過した今日で申しますと、大に進んだと云ふ証拠は、玆に御集りの諸君は皆実業社会の枢軸を執るべき銀行者で、斯の如く学問もあり経験もある人が続々集まられたと云ふことは、私の希望の如く満足したと云ふて宜いのでございます、斯様に考へますと、此銀行のことに対して斯様の御褒言葉を戴くは素より当つて居りませぬが、只一念実業を盛にしたいと云ふ思は稍々其希望を達して、即ち諸君の如き御方か輩出するに至つたので、して見れば其場合から私が斯様の誉れを得ることは亦以て偶然でなかつたと云ふこと丈は、諸君は之を私に御譲り下さる訳であらうと思ひます、既に申します如く、銀行事業に於ては如何なることも為し得られませぬことは現在が証明されて居りますから、私が実業社会に対して斯かる御褒を戴くは、若し私の一身から申せば実に過大のことて、甚た恐懼に堪へませぬか、併し我銀行業から申したならば左程不当であると云ふことではないかと思ひます、果してさうでありますれば、近き将来に於て銀行事業に対し他に功を顕はして―私は暫く措いて―更に進んで大なる栄爵を御受けになることは、此満場諸君の中にあらうと思ひます、又あることを望む訳ではございませんが、今日斯の如き皆さんの御集りを以て私に斯かる栄誉を御与へ下さるは、未来に於て大に喜ふことのあると云ふは期しますか、先づ第一着として銀行家諸君に取りて大に喜ふことではないかと思ひます、私は己の喜と共に未来を祝することを申上げたいと考へます、一言赤誠を捧けて感謝の意を申上げた次第であります
右にて式を終り、銀行倶楽部楼上の食堂に於て饗宴を開き、宴酣なる
 - 第6巻 p.500 -ページ画像 
頃山本日本銀行総裁の発声にて 両陛下並両殿下の万歳、園田孝吉氏の発声にて渋沢男爵並家族の万歳を三唱するや、渋沢男爵は答礼を述べ、其発声にて東京銀行集会所外三団体の万歳を三唱し、夫より主客歓談、午後九時全く散会せり