公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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明治34年9月25日(1901年)
東京銀行集会所ヲ代表シ、清国専使那桐等ヲ銀行倶楽部ニ招宴ス。栄一演説シテ、従来殆ド制度文物上ニノミ限ラレタル両国間ノ関係ヲ向来更ニ商工業上ニマデ拡張センコトヲ希望ス。
渋沢栄一 日記 明治三四年(DK060147k-0001)
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渋沢栄一 日記 明治三四年
九月二十五日
午後清国専使那桐氏招宴ニ付銀行倶楽部ニ抵ル、小村、内田、阪谷、山本達雄氏来会ス、会員来リテ食卓ニ就ク者凡七十人、余席上一場ノ演説ヲ為ス
銀行通信録 第三二巻第一九二号・第六七四―六七六頁〔明治三四年一〇月一五日〕 清国専使一行招待会(DK060147k-0002)
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銀行通信録 第三二巻第一九二号・第六七四―六七六頁〔明治三四年一〇月一五日〕
○清国専使一行招待会
東京銀行集会所に於ては清国専使一行の渡来を機とし、九月二十五日午後五時より右一行を始め本邦駐在清国公使並参賛官、外務、大蔵、農商務三省大臣並総務長官及日本銀行正副総裁等を銀行倶楽部に招待して宴会を開けり、当日来会者左の如し
来賓
大清国専使欽差大臣 那桐
同 参賛官 顧肇新
同 参賛官 蔡源深
同 参賛兼繙訳 張徳彝
同 参賛兼繙訳 陶大均
同 随員 誠璋
同 同 来存
大清国公使 李盛鐸
大清国公使署参賛官 黎経誥
大清国公使署訳官 憑国勲
外務大臣 小村寿太郎
特命全権公使 内田康哉
大蔵省総務長官 阪谷芳郎
日本銀行総裁 山本達雄
組合銀行出席員
株式会社第一銀行 会長男爵 渋沢栄一
同上 佐々木勇之助
株式会社第二銀行 山県量次
同 第三銀行 河東田経清
同 十五銀行 副会長 園田孝吉
同上 伴野乙弥
株式会社二十銀行 山口荘吉
同 二十七銀行 安藤三男
同上 日向野善太郎
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株式会社三十銀行 原代九郎
同横浜七十四銀行 大谷嘉兵衛
同 八十四銀行 山田丈太郎
同 八十九銀行 岩下敏之
同 第百銀行 池田謙三
合資会社田中銀行 池上伴造
三菱合資会社銀行部 三村君平
横浜正金銀行 三崎亀之助
同 東京支店 川島忠之助
合名会社三井銀行 波多野承五郎
同 安田銀行 中根虎四郎
合資会社川崎銀行 杉浦甲子良
株式会社帝国商業銀行 橋本正彰
同 東海銀行 吉田幸作
同上 笹井慎治郎
合名会社中井銀行 菅沼慶蔵
株式会社東京銀行 草刈隆一
同 肥後銀行 高橋長秋
同 明治商業銀行 安田善弥
同 日本通商銀行 稲延利兵衛
同 商栄銀行 高羽惣兵衛
同 京橋銀行 柴田貞勝
同 麹町銀行 河合徳兵衛
同 丁酉銀行 清水宣輝
同 万世銀行 上田保三郎
同 浅草銀行 今井喜八
合資会社今村銀行 今村清之助
同 左右田銀行 左右田金作
合名会社森村銀行 諸葛小弥太
株式会社扶桑銀行 北村英一郎
株式会社新潟銀行東京支店 藁品槍太郎
同 第十銀行東京支店 山本彦吉
同 十二銀行東京支店 中田清兵衛
同上 山村為介
鴻池銀行東京支店 松村両平
株式会社第十九銀行東京支店 堀田金四郎
同 浪速銀行東京支店 山中鄰之助
同 三十五銀行東京支店 鈴木金平
同 三十九銀行東京支店 長尾三十郎
同 四十銀行東京支店 根岸盛太郎
同 七十七銀行東京支店 大野清敬
同八王子第七十八銀行東京支店 松尾謹次
同 百十三銀行東京支店 鈴木重恒
同 信濃銀行東京支店 小川昌夫
合資会社加島銀行東京支店 星野行則
株式会社掛川銀行東京支店 山崎覚次郎
同 成田銀行東京支店 村瀬貞古
同 第三十六銀行東京支店 柳内策之助
同 両羽銀行東京支店 千阪高稚
同 六十三銀行東京支店 迫田七郎
住友銀行東京支店 吉田真一
株式会社第十四銀行東京支店 飯村亮輔
同 百三十八銀行東京支店 塩崎新
日本勧業銀行 高橋新吉
以上五十六行六十三人
宴酣なる比、総代渋沢男爵は起て賓客の来臨を謝し、左の演説を為したり
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斯る好機会に於て、我々は銀行者として一言希望を述べまして、那桐閣下に御記憶を願ひ置きたいと考へます、此集会所と申すものは明治の初めから東京に存在する銀行業者の相会し、平素或は業務上の打合を致し、或は経済上種々の取調を致して、我業務の発達を図りつゝ居りますのでございます、世の経済に対し大なる裨補を為すと云ふことは素より難うございますが、銀行として商工業に相当なる力を添へると云ふ希望を以て拮据経営致し居るのでございます
元来清国と我日本との交際と申すものは、勿論国の近いのと、又文字を同うするのと、各般の制度が相等しい所から其交誼は最も古い昔から保ち来つて居りますのでございます、それは歴史に詳かなるを以て玆に喋々を要しませんけれども、殆ど日本が開けてより清国から或は文学若くは礼典其他種々なる物を輸入され、就中唐の時代あたりには日本では始終使節を派出して、清国の文物を我邦へ輸入をしたのでございます、其後武家の世となつては、多少の衝突もございましたが、併し交際は誠に親しいと申上げて宜しい、維新以後我邦に於ては他の国々との交際を開くと共に、清国との交際を更に温めて懇親を重ね居りますが、扨私共の玆に特に注意致さねばならぬと思ひますのは、斯様に長い間の交際ではあるけれども制度文物等の交際が多くして、吾々の本分たる商工業に対するの交際は、年の久しい程それほど温いと云ふことは申されませぬ、是れは我々が清国に対し又我々自身の国に対して遺憾と申さなければならぬのであります、翻つて千九百年代の他の国々の有様……即ち宇内の形勢を見ますると制度も文物も教育も実業も総て進歩発達をして居りまして、就中吾々の本領たる実業と云ふものには最も力を入れて、其進歩を謀つて居ることは諸君の現に目撃なさる通りである、然るに悲い哉、清国及我邦は往古よりして此実業を重んすると云ふ方には或は比較的遅れて居つたかの感念がございまする為に、他の国に比較しますると、甚だ其力の入れ方が少ない、而して通商貿易に於ても未だ以て著しく進んだと云ふまでに申上げ得られぬのは我々の最も慚愧に堪へぬ所である、自身の慚愧に堪へぬのみならず、又国家の為に甚だ残念てあると申上げなければならぬのでございます
聞く所に依りますれば、那桐君閣下は現に清国に於て理財に従事して在らるゝと云ふことでございます、蓋し国家の富の発達は政府の財政又民間の経済共に進んで参らねばならぬことは、喋々を俟たずして那桐君閣下も疾くに御承知あらせらるゝことゝ考へます、故に我々も我政府に望んで是から先弥々清国に向つて独り文物の交誼を厚ふするのみならず、実業上に大なる進歩拡張を致したいと存じますに依つて、同君閣下は吾々の希望を御諒納下されて、追々に貴国人をして我々の希望に副はしむることに御尽力あらむことを望むのでございます、玆に尊臨を辱ふ致しました感謝の意を表すると同時に、同君及随行員諸君の健康を祈ります
渋沢男爵の演説は横浜正金銀行員沢村繁太郎氏之を清語に通訳したり男爵の演説終るや、清国専使欽差大臣那桐氏は清語にて左の挨拶を為したり
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本大臣は此度清国の命を奉じて貴国に使致しました、貴国が私を待つの厚き、誠に光栄の至りに堪へませぬ、今日は此銀行集会所に盛宴を開かれ、吾々同行の者までも厚き御招待を蒙りまして感謝の至りに堪へませぬ、私は貴国の厚情は忘れませぬ、帰国致しましたならば、渋沢君閣下の申されました通り、我々同僚の人々に談じまして、貴国と交を厚ふすることに努めます
貴国の貿易業の盛んなるは実に諸君の力でございます、是れには私共感服致します、希くは此後両国の交情益々親密に、貿易も益々盛んに至ることを望みます、是が私の希望でございます
終に臨んで渋沢君閣下初め諸君の健康を祈ります
専使の挨拶は随帯参賛官陶大均氏之を邦語に通訳したり、斯くて賓主歓を罄し、午後九時退散せり