デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.565-568(DK060155k) ページ画像

明治36年11月9日(1903年)

日本興業銀行、日本勧業銀行等ト相謀リ日本銀行新旧総裁ヲ銀行倶楽部ニ招待ス。栄一出席シ一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三六年(DK060155k-0001)
第6巻 p.565 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三六年
十一月九日
五時銀行倶楽部ニ抵リ日本銀行新旧総裁ノ招待会ニ出席ス、来会者九十八名、山本旧総裁松尾新総裁其他ノ行員来会ス、食卓上一場ノ演説ヲ為シ、一同歓ヲ尽シテ夜十時散会ス


銀行通信録 第三六巻第二一八号・第八二〇―八二二頁〔明治三六年一一月一五日〕 日本銀行新旧総裁招待(DK060155k-0002)
第6巻 p.565-568 ページ画像

銀行通信録 第三六巻第二一八号・第八二〇―八二二頁〔明治三六年一一月一五日〕
    ○日本銀行新旧総裁招待
日本銀行総裁更迭に付き、当集会所にては日本興業銀行及日本勧業銀行と謀り十一月九日午後六時銀行倶楽部に新総裁松尾臣善君、前総裁山本達雄君を始め日本銀行副総裁高橋是清、理事首藤諒、同山口宗義、同森村市左衛門(当日欠席)、営業局長木村清四郎、秘書役土方久徴八君を招待して宴会を開けり、当日来会者主客合して九十三名にして午後六時三十分宴会を開き、席上総代として渋沢当集会所会長立て新旧両総裁に対し挨拶の辞を述べ、次に山本前総裁、松尾新総裁の答辞あり、最後に日本興業銀行総裁法学博士添田寿一君座長に対する謝辞を述べ午後八時宴を撒し夫より主客別席に移り歓談を尽して散会せり
当日総代の挨拶及来賓の答辞左の如し
    渋沢総代挨拶
 両閣下及諸君、今夕は当銀行集会所及日本勧業銀行、日本興業銀行東京交換所若くは東京興信所等の者共が申合せ今般日本銀行総裁の御更迭に就き、前総裁山本君に対しては従来我々が容易ならぬ御厚情を蒙りました其謝意を表し、新総裁に対しては今後我々が厚い御交誼を蒙ることゝ考へまするで、併せて此事をお願ひ申したいと云ふので玆に小宴を張りました次第でございます、幸に両閣下も御繰合せ下され、其他日本銀行諸君の尊臨を得たのは私共一同此上もない光栄であります、謹んで感謝の意を表します
 今回の御更迭に対して両閣下共に玆に尊臨を請ひましたのは或は少し略儀の嫌があるか知れませぬが、元来我々が此筵を開くに就ては種々考えました上のことでございまする、依て玆に其次第を一言陳述致さうと考えます、抑々山本君が日本銀行に御従事なされて営業局長に又理事に御歴任なされ遂に去る明治三十一年総裁の職に就かれて以来経済界は種々なる変遷を受けました、即ち明治二十七八年の戦争若くは戦後の経営として三十一年頃の経済界は恐慌とも云ふべき有様でありました、此間に於て我々が同君の指導を得たことは
 - 第6巻 p.566 -ページ画像 
実に容易でないと深く感銘致し居りますのでございます、其間我々は種々我儘を申上げたこともあります、又御心配を掛けたこともございませう、苦情を言ふて行つたこともございませう、又共に悦んだこともございませう、之を要するに山本君は我々が常に憂楽を共にした御方である、今其御方の日本銀行を去らるゝに就きましては我々甚だ之を愛惜して止まぬのでございます、又松尾君に対しましては私は此臨場の諸君中特にお交りを深くしたかと存じ居ります、又私は今の身分でなくもう一ト皮むけぬ前に於て既に御懇親を厚うした御方でございまして、多年財政事務を執つて居られ私共此業務に就きまして以来種々御世話を蒙つたことは容易ならぬのでございます、而して今や此極く親み厚く又楽及憂を共にせる両君が我々の最も深く倚頼し最も深く尊敬する所の日本銀行と云ふ経済の中枢に立てる機関の要職に於て御更迭なされたのである、我々は玆に此御更迭に対して我々の心に如何なる感じを持つかと云ふことを御勘考を願ひたいのでございます、前者の去らるゝを惜むと申したら後者の来るを悦ばないことになりませう、又後者の来らるゝを悦ぶと云ふたら前者の去られたのを惜まぬと云ふ感じも起りませう、が我々は左様な考は些もないのでございます、縦令御去りになつたからと云ふて十数年殊に三十一年以後山本君の尽瘁せられて我が経済界に貢献され、我々の山本君に負ふ所は何時までも感銘して居るのでございます、是に於てか我々は前者は去らるゝを惜むと同時に後者の来らるゝを悦んで迎へると云ふ誠意を両君の御面前に披陳して一席に送迎した方が宜からうと云ふ考を以ちまして玆に両君の尊臨を請ひ上げた次第でございます
 私は更に一歩を進めて両者に対して一二希望を申上げたいと思ひます、山本君が永い間要務に御鞅掌なされて玆に小閑を得られたに就ては鎌倉に静養せらるゝも宜しい、京都に紅葉見に行かるゝも可なり、去りながら同君の実験上今日の経済界が如何なる状態であるかと云ふことを顧みられたならば、同君が何時までも閑散の地位を楽むと云ふことは出来なからふと思ふ、又縦令御本人が閑散に安んじて居らるゝ積りでも世の中が之を許さなからうと思ふのでございます、今日の有様は果して如何でございます、我々の如き力足らぬものでありましても、老境とは云ひながら今退隠することは或は自身ながらも惜しいやうに考える、果して然らば山本君の実験を以てして才能を以てして此世の中を傍観なさることは決して出来まいと深く同君に望を置くのでございす、又松尾君に対して一言申上げたいのは、同君が財政経済に精通して居らるゝことは私の御親み厚い年月に徴しても明かである、特に理財に就て御熟練なること世に定論がある、私が玆に喋々を要しませぬ、去りながら財政と経済と其道は一つでございますけれども実際に処する上に就きましては亦多少の差あることは能くお考を願上げたい、殊に御当職は財政と経済との中心で謂はゞ官民の連鎖たる位置である、而して日本の今日の経済は或る場合には厳粛に成るべきたけ検束を加へると云ふ必要もありませう、又或る場合には少しく放胆に力を進めると云ふ必要もご
 - 第6巻 p.567 -ページ画像 
ざいませう、此深浅の度合に至てはどうしても日本銀行に主として御力を入れて頂かなければならぬ、此事たる敢て難きを松尾君に求むるのではなからうと思ふのでございます、同君の今日までの御経歴より見れば財政には勿論御熟練であらせらるゝが民間経済には或は比較的御熟練でないかも知れぬ、又財政には鋭敏な理解力を有つて御居でになつても躬其位地に御居でにならぬから比較的民間経済の方は或は多少劣つて居らるゝかも知れぬ、従て同君にして若しも近きに厚くして遠きに薄ふすると云ふことがあらつしやいましたならば、我経済界は異日或は日本銀行に対して多少お恨を申上ると云ふことが生ぜぬとは申せますまいと思ふのでございます、仰ぎ願くは将来財政を整理すると同時に民間経済界に対して十分御力入の事を願ひ置きたいと存します、玆に謹んで両君の御健康を祝します
    山本前総裁答辞
 閣下並に諸君、私が先月任が満ちまして日本銀行を去り、新に松尾臣善君が総裁の職に就かれたに就き、諸君が新総裁閣下の為に歓迎し、又私の為に送別として此盛大なる宴をお開き下すつたことは私の最も光栄とする所であります、回顧すれは明治三十一年十月に私が総裁の職に就きまして以来、今日に至るまで年を閲すること五箇年、其間政府に於ては内閣の更迭を見ること四回、其更迭毎に施政上に多少の変化がございました、又民間経済社会は戦後激変の後を襲いで幾多の艱難に遭遇したのでございます、而して日本銀行は其間に介在しまして一面には政府財政の機関となり、又一面には民間金融の機関となつて働かねはならぬと云ふ二つの任務を有つて居りました、従て場合に依ては一方に偏することも出来ないと云ふ立場になつて居ました、然れば政府の財政と民間の経済社会と双方の間に立ちまして、五箇年の長い間には諸君が日本銀行の遣り方に対して大に不足又不満を感ぜられたことも尠からぬと信じて居ります、然るに政府並に経済社会の宏量なる私の遣り方を寛容せられて別に御咎もなく、遂に玆に任期の満了を告げ職責を全くすることの幸を得ましたのは、是れ全く諸君が終始私と共に辛苦を分ち又私の為に懇切なる助力を与へられた賜と存します、今夕は諸君に向て深く此事の御礼を申上げます、又唯今渋沢男爵閣下より諸君を代表せられて私の在任中に就て私に取り最も名誉ある御演説がございました、甚だ感謝の至に堪へませぬ、併し私は今申しまする通りに諸君の懇切なる助力に依て立ちましたので、男爵閣下の讃辞に対しましては私の敢て当るべき所ではございませぬ、唯将来の事に就きましては相変らず諸君の御厚情に浴せむことを只管希望致します、又新総裁松尾君閣下は諸君の御承知の通り久しく大蔵省理財の局に当られて其道には最も精通の誉ある方でございます、斯の如き良総裁を得られたと云ふことは私は諸君と共に慶び且つ賀する所であります、諸君は是まで私に対して終始厚意をお寄せ下されましたが新総裁閣下に対せられても私と同様否一層情誼を厚くし而して経済社会に就て御画策を成され、又金融の機関をして益々完全の域に進められんことを只管希望致します、一言述べまして今夕の御礼を申上げます
 - 第6巻 p.568 -ページ画像 
    松尾新総裁答辞
 閣下及諸君、今夕は私が日本銀行総裁を拝命致したに就きまして之を御迎へ下さる為に此盛大なる宴を御開き下され、御招待を蒙りましたことは洵に光栄の至に存じます、御承知の如き不肖の身を持まして此重且つ大なる任務を負ひますることは如何にも心配の至に存じまするが、閣下諸君の御幇助を得且つ前総裁山本君閣下の模範に依りまして何卒此任務を完ふしたいと祈り居りますることでございます、御承知の如く私は明治の初年より数十年間大蔵省に職を奉じて居りましたが、其間閣下及諸君は直接に又は間接に種々御幇助を下されまして漸く今日に至りましたことでございます、諸君の是までの御厚意は常に感銘して居りますることでございます、然るに此度此重且つ大なる任務を負いますることになりました、閣下及諸君は旧に倍して厚き御補助を下されまして、不肖私の任務を全うせしめられむことを偏に希望致します、又前の総裁山本君閣下に対しましては何卒従来の御経験に就きまして十分に御援助下さらんことをお願ひ申したいと存じまする、今晩は洵に御鄭重なる御饗応を受けまして特に園田君、川島君が此盛なるお取設けに就き色々御趣向を下されたと云ふことを伺ひましてございます、併せて厚く御礼を申上げます
    添田日本興業銀行総裁謝辞
 諸君、御別れを送ると云ふことゝ御入来になる御方を迎へると云ふことは、少しく撞着したる感情を各自の頭の中に起すのでありますが、其撞着したる考も今夕の会長たる渋沢男爵閣下の老練なる御言葉に依りまして全く調和されて仕舞つたのであります、男爵閣下の此労は今夕会合致しました所の諸君と共に深く謝せざるを得ない次第であります、今夕の如き会に於きまして斯の如く和気靄然たる現象を呈しましたのは、全く会長たる男爵閣下の御尽力其他此事に就きまして御尽力下されました御方のお蔭でありまして之が為に独り我輩共末席を涜しました者が非常なる愉快を感ずるのみならず、延ては我が経済界に有益なる結果を及ぼすべきことを深く信ずるのであります、謹んで諸君と共に会長渋沢男爵閣下の健康を祝し御礼を申上げます