デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.596-604(DK060159k) ページ画像

明治38年3月15日(1905年)

是日東京銀行集会所・東京交換所・銀行倶楽部聯合シテ奉天大捷ノ祝賀会ヲ開ク。栄一会ヲ代表シテ挨拶ヲ為ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK060159k-0001)
第6巻 p.596 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年
三月十五日 曇 風ナシ
午後五時銀行集会所ニ抵リ祝捷会ニ出席ス、桂総理、伊東海軍大将其他各方面ノ来賓群集ス、立食ノ宴ヲ開キ、一場ノ演説ヲ為ス、畢テ桂総理其他ノ挨拶アリ


銀行通信録 第三九巻第二三四号・第五三三―五四一頁〔明治三八年四月一五日〕 連合祝捷会開会(DK060159k-0002)
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銀行通信録 第三九巻第二三四号・第五三三―五四一頁〔明治三八年四月一五日〕
    ○連合祝捷会開会
東京銀行集会所にては奉天附近大捷の報道到着に付、東京交換所及銀行倶楽部と連合の上三月十五日午後五時より東京銀行集会所に於て予て準備せる「イルミ子ーシヨン」を点じ、祝捷会を開きたり、当日招請に依りて出席せる来賓氏名左の如し
 桂総理大臣     伊東軍令部長    石本陸軍次官
 伊集院軍令部次長  村上経理局長    村田陸軍少将
 松石陸軍大佐    岩崎海軍大佐    杉村陸軍中佐
 大西陸軍中佐    堀内陸軍中佐    矢部海軍中佐
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 中野海軍中佐    上泉海軍中佐    中島陸軍少佐
 阪谷大蔵次官    仁尾専売局長    荒井主計局長
 千家東京府知事   尾崎東京市長    小田切上海総領事
 大石正己      元田肇       横井時雄
 天野為之      野崎広太      池辺吉太郎
 近藤廉平      加藤正義      阿部泰蔵
 中野武営      渡辺専次郎     高橋義雄
 大倉喜八郎     高島小金治     浅野総一郎
 岩永省一      須田利信      田中常徳
 各務幸一郎     堀達        大橋新太郎
 中村清蔵      高田慎蔵      田村利七
 高橋秀松      武井守正      久保扶桑
主人側にては渋沢会長、豊川、園田両副会長、相馬、波多野、佐々木、池田等各役員以下百余名出席し、軈て音楽隊の吹奏に伴れて一同立食堂に入り、宴酣なる頃豊川氏の発声にて天皇陛下万歳、陸海軍万歳、来賓諸公万歳を三唱し、次で渋沢会長は場の中央に進んで一場の挨拶を為し、之に続て桂総理大臣、伊東軍令部長、石本陸軍次官、大石正巳、元田肇、近藤廉平及千家東京府知事の演説若くは挨拶あり、終りて豊川氏より一場の挨拶を為し、更に別席に移り歓語快談の上午後十時頃散会せり
当日渋沢会長の挨拶、桂総理大臣以下来賓の演説及豊川副会長の挨拶左の如し
    渋沢男爵の挨拶
 閣下及諸君、今夕は当銀行集会所に於きまして今般の奉天附近大会戦の古今未曾有の大勝利に対しまして、玆に祝捷の宴を張りました処が、総理大臣閣下を始め陸海軍の諸公其他諸彦の尊臨を忝ふしまして此集会所の光栄此上もございませぬ、依て私は会員を代表致しまして一言を述べて開会の言葉と致さうと考えるのでございます、不幸に致して私は昨年来病気の為め長く蓐中に在りましたので、此集会所に於きまして開戦以来海に陸に屡々の祝捷会には参上することが出来ませなんだのは実に遺憾千万でございました、私の一身は左様に弱つて居りましたけれども、陸海軍の勢の強いことは申すまでもなく海戦に於ては旅順に仁川に、又続いて陸戦に於ては九連城を初めとして所謂連戦連勝の功を奏して重ね重ねの祝宴を張るに至りましたのは、実に国家の為に此上もない幸慶、臣民として唯嬉し涙を奮つて之れを賀するより外ございませぬ、昨年の経過は前段陳述の通りでありますが当年に至つては如何でございましたか、一月の初めに旅順の陥落、遂に彼の東洋艦隊は全滅と云ふことを申し得らるゝやうに相成りました、併し陸軍に於ては敵は未だ其余喘を保つて居ると我々懸念致し居りました処が、今般の奉天の大会戦に於て現在満洲にある彼の兵力は殆んど所謂致命傷を受くるに至つたと申して宜からうと素人ながら我々は考へますのでございます(拍手喝采)、斯る光栄を荷ひますのは恐れながら 大元帥陛下の御稜威のいやちこなるに由ることは申す迄もございませぬが、陸海軍諸将校其
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他兵卒に至るまで寒いにも暑いにも身を抽いて軍事に尽瘁された所の効果と我々国民として又我々銀行者として深く感謝致さねばならぬ事と考へるのでございます、玆に於て此大会戦の大勝利を祝する為に我々玆に取敢へず小宴を開きました次第でございます(ヒヤヒヤ)、幸に総理大臣閣下、又陸海軍人諸公総て御賁臨を賜りましたのは此上もない光栄でございます、蓋し事急挙に出ましたから総ての設備も不満足にして御饗応はありませぬが唯我々の熱心と赤誠とを以て貴顕諸君の御尊臨に報ずるより外ございませぬ(拍手起る)
 論語に「仁に当つては師に譲らず」と云ふことがございます、蓋し善事を為すには遠慮はいらぬといふ意味と存じます、我々は銀行者でございますから総ての事に対しては成る可くだけ謙徳を守るが宜い、出過ぎぬやうに軽挙のないやうに努めて石橋主義を取るのが我我の長所である、然るに此祝捷会に於ては少し突飛らしう斯様に速に開会したのは、即ち仁に当つては師に譲らず、国家の休戚に関することはどなたにも謙譲せず、進んで行ふと云ふことで、不完全にはございますけれども右様の意を以て此小宴を開きました次第でございます、一言謝辞を呈して今晩尊臨を辱ふした御礼を申上げます
                         (拍手起る)
    桂総理大臣の演説
 閣下及諸君、今晩は此度大なる会戦のございました奉天附近の我軍の勝利に付て渋沢男爵、豊川君初め諸君の此祝捷会を御催しになるに付きまして私共陸海軍の将校諸士を御招待下され悦んで推参を致した訳である、諸君の熱誠なる御催に就きましては我々は何を擱いても推参を致したのでございます、偖唯今渋沢男爵が我陸海軍の働きに付いて鄭重なる御賛辞がございましたが、陸海軍の将校諸士及海外に出征を致して居る処の下士兵卒に至るまで此の事を聞及びましたならば誠に満悦を致すことであらふと信じて疑ひませぬ、如何にも渋沢男爵の唯今御演説のございました如く、昨年二月開戦以来海に陸に実に満足な結果を得たに相違ないと私も信ずるのでございます、其間陸海軍の将校を初め下士卒等が寒に暑に実に艱難至極の場合を経過致しました事は、御互に実に感謝に堪へぬ次第と信じますのでございます、併ながら幾ら海外に於きまして陸海軍が働きを為さむと欲しても之に伴ふ所の設備、就中資源が欠くる時は此働きも遺憾ながら望むほどの結果を見ることは出来ぬであらうと考へます、併し諸君如何でございませう、昨年以来挙国一致、殊に諸君が熱誠を以て此出征軍人即ち陸海軍の事業に対して後援を為されたと云ふことは、是亦陸海軍が各種の事業に於て満足の結果を得ました所の一の原素であると云ふことを私は信じて疑はぬのでございます(拍手起る)、諸君、昨年は如何でございましたらう、昨年開戦の当時我々は実に如何なる困難に遭遇するか測られぬのでございました、如何となれば已むを得ず戦はざれば其儘にして国滅び、所謂退くも地獄に入り進むも地獄に入る、此二つの場合を決心致して宣戦の詔勅が出でました次第ではございませぬか、併し幸にして 陛下の御稜威並に陸海軍将士の熱誠なる働き、諸君の熱誠なる後援に依つて
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昨年一年は実に希望以上の結果を見ましたと私は考へるのでございます(拍手起る)、然るに本年に至りましては唯今渋沢男爵も御演説の如く一月一日に旅順の開城、続いて此度奉天附近の大会戦に於きまして先づ充分なる結果を得ましたのは実に我々日本国の幸と考へます、併ながら私は考へる、此戦争の終局と申すことに至りましては御互に是より益々困難を感ぜねばならぬことだらうと考へる、如何となれば彼は数百万の軍隊我に数倍の人口を有ち、自ら称して世界の雄と言つて居る所の対手国でございます、此国をして我に屈服せしむると云ふことは仮りに我々が位地を代へて考へて見ましても余程困難なことであらうと考へる、果して然らば是より益々進んで一層挙国一致を図りまして、諸君と共に此陸海軍将校諸士及兵卒等の働きに依つて得ました所の此の好結果をして宜しく其終りを全うすることに努めなければならぬと考へるのでございます(拍手起る)、諸君、願くは私の唯今申述べました所の精神を御諒察下すつて、益々時局の為めに御尽力あらむことを偏に冀ふ次第でございます、今晩の懇切なる御招待に対し一言申述べて謝辞に代へまする次第でございます(拍手喝采)
    伊東海軍軍令部長の挨拶
 私は今晩此祝捷会の御招に預りまして参上致しましたのでございます、所で唯今総理大臣が陸海軍を代表して縷々申されましたから、モウ私は何も申上げることはございませぬ、今晩は有難う存じます一言お礼を申上げます
    石本陸軍次官の挨拶
 今夕は陸軍大臣も御招を受けまして実は此席へ出まして親しく御礼を申す筈でございましたが、両三日来風邪で出兼ねるから私に出て宜しく諸君に御礼を申上げるやうにと云ふことでございます、唯今渋沢男爵の御演説もございまして、陸軍に対して特に鄭重なる賛辞を蒙りまして実に感謝の至りに堪へませぬでございます、唯私は諸君に向ひまして斯くまで諸君が我陸軍に対して深厚なる御厚意を保持せらるゝことを飽まで謝しまするのでございます、又総理大臣も唯今御話の通り之を以て終りとするものでもございませぬから、引続きまして今日の如く御懇切なる御厚意を我陸軍に向つてお注ぎあらむことを偏に希望致します、今日は単簡に御礼を申上げまして是で御免を蒙ります
    大石正巳氏の演説
 今夜の御集会は過日奉天附近に於て我陸軍の大勝利を得たと云ふことに就て、其祝宴の為に御開きになつた次第でありまして、斯の如き日露戦争の殆ど決勝点とも謂ふべき大勝利に向つて早くも斯の如き盛大なる祝宴を設けられたと云ふことは頗る国家の為に賀すべきことでありまして、又私も其席を汚すことを得ましたのは此会を御催になつた諸君に向つて感謝に堪へぬ次第でございます、別に私如き者が諸君の御清聴を煩す程の考も有ちませぬが、兎に角今夜御会合になつて居る処の諸君は或は内閣員、陸海軍の軍人、経済社会に有力なる方々、或は貴衆両院の議員で殆ど日本帝国を代表し尽した
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る会合である、此席に於ては又我々も我々の元素を代表する所の所感を述べまして、挙国一致の実を表したいと考へますので一言諸君の御清聴を煩します(拍手起る)
 偖今回の奉天附近の雄大なる戦勝の結果、其影響する所は如何であるか、実は申すまでもない満洲に於ける敵の殆ど戦闘の主力を殲滅したと云ふても宜しい、満洲に於ける露軍の止を刺したと云ふても宜しい位な大なる勝利であります、之れに依て第一に我敵国及列国に於て如何なる感覚を起すかと言へば、即ち日本の軍略が最も巧妙優勝なることを感覚せしむるのである、即ち日本の此巧妙なる戦術は此戦争に限らず将来日本が敵と戦ふに於て如何なる難関でも通過するの保証を為したのである、又我陸軍と云ふものは山地の戦争に頗る長けて居つて、平野の戦争には甚だ欠点があるが如くに世間は言触らして居りましたが、今回の戦争を以て其天下の迷を解いて、日本の軍隊は山地も亦原野も相通じて、如何にも勇猛に如何にも巧妙に活動を致すのであると云ふ感念は敵国及列国に大に認らるゝ所となつたのである、殊に今回の敵の主力を破つたと云ふ結果は露国をして東洋に於ける其位地其軍力を全滅致さしめたものである(拍手起る)、斯の如く露国が勢力権力を再び恢復することの到底望なきことを世界の輿論が認むることになつたのである、是は誠に我国民として最も祝賀すべき点であります
 偖此露西亜の戦に破るゝと云ふことに付ては原因は多々ありまするが、就中敵が多くして其味方とする所の者が少いのが最も大なる原因である、日本の勝つ所以は戦ふ所の敵が一つであつて我味方我同盟とする所の勢力が多いからである、例へば露西亜は前には日本の大軍と戦ふ上に後には又国民と戦ふと云ふことがある(ヒヤヒヤ)、又それのみならず世界の輿論は今日に至つては殆んど露西亜を敵視する形勢に立到つて居るが之に反して日本の出征軍は決して後顧の憂はない、国民の強大なる後援を得て居る上に世界の輿論と云ふものが殆ど我同盟国を為して居る、加之日本は雄大なる所の英国と云ふ同盟国を有つて居るのである、彼は戦ふ敵が多くして味方とする所が少く、我は戦ふ敵は一であつて其味方とする勢力は多々ある、是即ち彼と我とが勝敗の分る所以である(ヒヤヒヤ)、而して此日英同盟と云ふことに付いては私は斯う云ふ席上に於て最も其効力を認めて我同盟国に向つても此祝賀と共に感謝の意を表したいと考へる、実は此日英同盟なかつせば東洋の舞台の戦争と云ふものは蓋し日露の間に限ることは出来なかつたのである、列国何れかに加担し若くは何れかに干渉すると云ふ結果は必ず来つたであらう、殊に露西亜の外交に巧妙なる其離間策に長けたる日本が、斯くまで勝利を得つつあるに拘はらず種々なる風説を為して之を傷けむとする国でありますから、若し日英同盟が成立つて居らぬで此戦があつたならば日本は如何程困難であつたかも知れぬ(ヒヤヒヤ)、然るに開戦後一年余を経る今日に於て東洋の舞台は啻に日露の間に限られて何れの国も指を染めぬと云ふことは、即ち此日英同盟の効力である(拍手起る)、又東洋の戦乱に際して遼東に野心を挟み或は内より外より必ず野心
 - 第6巻 p.601 -ページ画像 
を逞うせむとする者が来つたに相違ない、然るに今日まで其事なきは隠然として同盟国が玆に警戒を加へ斯の如き野心家をして其余地なからしめた結果である(ヒヤヒヤ)、此後日本が戦争中は勿論一旦機熟して媾和を為す場合に於て真に日本の目的を達せしむる所謂東洋の平和を確立し、帝国の安固を建立すると云ふ此重大なる目的を達せしむるも亦此日英同盟に依らなければならぬと考へる、此日英同盟が殆ど我日本の運命を決すべき此日露の大戦役に際して斯の如く其援助を得、其勢力を藉つて首尾克く目的を達することが出来たならば実に日本国民は我同盟国たる所の英国に向つて、殊に英国の輿論に向つて最も恭しく感謝の意を表せんければならぬことゝ考へます、又此戦役に限らず東洋の平和と東洋の文明を保障して玆に世界の平和を維持すると云ふことは、全く此日英同盟の力を頼まんければならぬ事と考へますから、今後弥々日英同盟の範囲を拡張し、両国の交情を暖めて同盟の基礎を鞏固にする事には余程我々日本国民と云ふものは努めなければならぬと考へる(拍手起る)
 偖眼を転じて此日露の戦役と云ふものは将来如何に成行くべきか、彼の新聞に評するが如くに平和の機近きにありや、将た遼遠なりや私は断じて云ふ、日露戦役と云ふものは尚其終局する所何れの日に来るか知ることが出来ぬと云ふことを申上げる(ヒヤヒヤ)、又私は日露の戦役はさう速に決了しないことを窃に冀ふて居るのである、今若し直に媾和談判が仮に起つたとすれば如何である、日本の目的を何う達する、東洋の平和を将来に何う安固にするか、私は莫斯科若くは彼得斯堡に侵入する論者であるけれども、夫れは先づまけて遣つても恰爾賓位を落し浦塩斯徳を落す位に運ばなければならぬ(ヒヤヒヤ)之れをせざる内に平和条約若くは仲裁が来たならば大変である、我々はさう云ふ事が来なければ宜いと云ふことを窃に祈つて居る、斯く申すと拿破崙の莫斯科論が出来ますれども、拿破崙の時代には防寒具を一つ携へない、糧食を一つ携へないでさうして莫斯科に這入ると云ふ感念を有たずに這入つたのである、露西亜に入つて銅鑼を叩いたら降参するであらうと云ふやうなことであつたが、今日は其時分とは交通の便が違ふ、日本が一歩進めば彼を敗り、十歩進めば彼を全滅させると云ふ戦争であるから莫斯科の戦の如きことは幾千里進んでもありはしない、日本軍は段々イルクツク、莫斯科往ければ何処までも往くが宜しいが兎に角哈爾賓まで往かなければならぬ、それでありますから今晩は斯る祝宴会に止めずして所謂勝つて兜の緒を締めろと云ふことを守つて将来益々努めて往くことを約束しなければならぬと思ふ、諸君は日露の戦役の舞台を動かして居る御方々である、或は軍事に政治に貿易に金融に総ての点に当つて居る諸君が玆で挙国一致の実を益々堅くして進むならば決して日本の将来の成功を得る上に於て一点の疑はないと信ずる(ヒヤヒヤ)、殊に私は実業家に注意を致したいのは殆ど腕力の戦は此間の奉天の戦争で実は済んで居ると云ふても過言ではない、是れから先はあれ位の戦はないと云つても宜しい、それならば降参をするか決してしない、彼は日本をして財力に涸渇せしむる望を有つて居るに相違な
 - 第6巻 p.602 -ページ画像 
い、是は偏に諸君の敏腕に依つて之を切抜けることが出来るのである(ヒヤヒヤ)、我々は此会に於て過去の成功を祝すると共に、軍人、政治家、財政、経済実業家互に相戒めてさうして一面には平和を急ぐ俗論を排斥し、一面には日本帝国の開戦の目的を静に待つて充分に此目的を達する所まで進むと云ふことの御決心あらむことを希望する、今晩は此言辞を以て祝詞に代へます(拍手大喝采)
    元田肇氏の演説
 渋沢男爵、豊川君其他来賓閣下諸君、私は今日の祝捷会に御招を蒙りまして誠に光栄に存じます、一言御礼を申したいと思ひます、自分の所感として諸君の御集りを機会に、御礼旁々述べやうと思ふ所は既に大石君が縷々演説されたことでありますから多弁を弄さない方が宜からうと思ひますが、私は今回の戦争ほど一致協同の力の大なることを実見したことはないのであります、孟子に「天之時不如地之利、地之利不如人之和」と云ふことがある、小児の時に習つて覚えて居りますが人之和と云ふものが斯くまで有力なものとは思はなかつた、日本が此戦勝ある固より上 陛下の御懿徳、陸海軍々人の忠勇義烈に由ることは申すまでもありませぬが、国民協同一致の力が即ち玆に至らしめたと云ふことを断言するに憚らぬのであります(ヒヤヒヤ)、而して顧みれば前途甚だ遼遠でありまして今大石君は平和が早く来てはどうもならぬ、成る可く哈爾賓を占領し、浦塩も取つて仕舞ふと云ふことにならなければならぬと云ふことでございまするが、此戦争に付ては或はさうであるかは存じませぬけれども我国民の戦ふべき所の真の目的と云ふものは独り軍隊の上の戦のみでないと私は考へます、故に今後益々協同して大に決心をして往かなかつたならば、今日の如き大戦勝の結果も或は戦史上の英名を博するに止つて其実利がないと云ふやうなことにならなければ宜いがと考へまするで、我々不肖な者でありまするが諸君の後に列つて今後益々一致協同致して国民の前途の安泰になることを希望したいと思ひます
 終りに臨んで一言述べますのは拿破崙が或時言つた言葉を聞くに、戦に勝つのは一も金二も金三も金であると云ふことを言つた、是は海陸軍諸公には暫く耳を外にして御聞きを願ひたい、斯の如く金力に余力あるものは世界古今を通じて何事も恐ろしくないのであります、而して此所に御会合の諸君は金融の機関を司つて居る所の銀行家其他実業家諸君であらうと考へますが故に、私は諸君の益々健康にあらむことを切望致します(拍手起る)
    近藤廉平氏の演説
 閣下及諸君、私も今晩の此祝捷会の御催に御招ぎを受けまして諸君の席末を汚しました一人でござります、先刻来総理大臣閣下を初め其他の諸君より充分御演説がございましたから殊更私が新しく此事に対して賛辞を呈し、諸君の御参考になる事を述ぶることは無用と信じますから別に此事に付ては申しませぬ、私は唯だ一言申上げまするが皆様も先刻来御立ちになつて居つて大分御迷惑の事と存じますから長くは述べませぬが私は全体非戦論者の一人でございました
 - 第6巻 p.603 -ページ画像 
戦は極く嫌ひでございました、所が一昨年浦塩斯徳より哈爾賓を経東清鉄道を経て北京に出て帰つて参りましたが、此旅行中に東清鉄道の経営の模様、露国が防備に汲々たる有様を見て其時俄に開戦論に一変致しました、帰つて以来一人でも戦争をしなければならぬと云ふ考を有つたのでございます、素人の私が戦をしなければならぬと云ふことは狂人じみた話でありますが、満洲と云ふものは此東洋平和の関係上我日本は露国と相対して争ふべき地点である、して見れば我日本は力に依つて之と争ふか、或は寧ろ之を捨てゝ露国の為すが儘に抛擲するか、若し之を抛擲したならば日本は将来支那には何も出来ないことになると云ふことは敢て私一人のみならず支那、朝鮮、満洲を歩いた諸君は私と同様の感を懐かれるであらうと思ふのでございます、其後に至つて段々露国との談判が進行するに随つて平和の破るゝ時でございました、此席で申すのは甚だ烏滸がましいことでございますが、総理大臣が官邸に我々を御招きになりました時、日露の交渉を親しく承りました、其節に私は総理大臣閣下に他の人を擱いて烏滸がましく申出でたのは、到底日露の平和を維持することは出来ませぬ、国は焦土となるも御開戦なさいと云ふことを申上げたのでございます、其当時に於て私が斯様な考を有ちました処が、兵力は如何であるか、金力に至つては如何であるか、其辺の考は毛頭ございませぬでしたが、満洲に於ける露国の経営は一年経てば非常なものになりませう、今が実に開戦の時機であると云ふの考で申上げたのでございます、所が図らずも其後に至つて平和は破れ、昨年二月八日開戦に成りまして前の隣友国は今日の交戦国となつて戦ひつゝあるのであります、然るに先刻以来諸君の御述べになりました如く、天祐と申して宜しいか何と申して宜しいか存じませぬが、海に陸に連戦連勝の今日の大成功を見まするのは実に有難いと申しませうか、此事に至つては如何なる言葉を用ゐて宜しいか唯慶賀するの外はありませぬ、今日は幸に此戦捷の御祝の席に列なることを得ましたのは実に私の光栄と致す所でございます、尚先刻来前途は遼遠である、或は勝つて兜の緒を締めよと云ふ御話もありましたが、御尤千万、昨年の今頃に於きましては如何に此戦が成行くか、如何に日本の経済が支へ得るやに至つては我々は五里霧中に彷徨して居つたのであります、豈図らんや陸海軍の忠魂義胆の致す所、又経済界に於ても屡々募らるゝ所の公債にも一向差支なく何時も募集額に数倍するの結果を見ると云ふことは、実に我日本の国力が如何に強大であるか之を以て知らなければならぬと存じます、固より是から満足なる終局の目的を達するまでには早いか晩いか今より其判断は出来ませが、此目的を達するまでの間は我々国民は何処迄も戦局の進むに随つて所謂挙国一致の力を以て之れに当らなければならぬと云ふことは論を俟ちませぬ、而して大石君の説とは違ふか知れませぬが平和も我々国民が満足する所の結果を収め得らるゝならば一日も早いのを希望するのであります、併して不満足な事を以て之に満足することは出来ませぬから、仮令十年が百年でも所謂交戦状態を以て進むべしと云ふ決心がなければならぬ(ヒヤヒヤ)、
 - 第6巻 p.604 -ページ画像 
私は其意を以て昨年総理大臣に申上げたのであつて、国は焦土と成つても飽まで戦はなければならぬと云ふのは此事でございます、併し陸海軍の諸公が是よりどれ程の事を為さるとも第一は金でございます、私は経済家でございませぬから申兼ますが、此処に御集会の諸君は財政経済に冠たる所の諸君でありますから、此諸君の御尽力に依つて数十万数百万の兵を出し、何年此戦争が継続するも其資金を出すと云ふことには決して躊躇せぬことであらうと存じます、陸海軍諸公に於ても何卒充分に御尽力あらむことを希望致します
                          (拍手起る)
    千家男爵の演説
 私も今晩御案内を戴いて出ました一人でありまする、唯今豊川君より是非何か御挨拶をしろと云ふことでありましたが、段々諸君の御演説があつたことでありますから、私は極く単簡に今晩御案内を受けました御礼を申上ます、御承知の通り此度の大戦争は昨年以来海に陸に連戦連勝でありまして、実に我々国民としては此上もない悦びであります、而して斯の如く海に陸に百戦百捷を得ましたのは固より上 天皇陛下の御稜威に由ることは申すまでもないことでありまするが、又海陸軍将士の忠勇義烈の然らしむる所でありますから御互は海陸軍に対しては大に感謝の意を表さゞるを得ないのであります、而して此大戦争のあるに拘らず国民が安堵して職業を営んで居ると云ふことは、如何なる点に基することであらうかと思ひますれば、私共の感じまする所は此大戦争中に於ても政府当局者の総ての点に向つて措置宜しきを得たると、又今日御案内下された所の銀行家諸君及実業者諸君が此大戦争中に於て総ての事業の発展に就いて常に努めらるゝ所の賜と考へて居る次第であります、将来益々諸君が既往の通り事業の発展に就いて御尽瘁下され尚ほ出征の軍隊に後援を与ふることに御尽力あらむことを希望致する次第であります、一言玆に御挨拶を申して御礼を申上げます(拍手起る)
    豊川良平氏の挨拶
 此小さい家へ総理大臣、海陸軍の御方、大蔵省、政友会、憲政本党実業家の皆様を御招待申上げまして、或は御客様に御無礼をしはせぬかと実は憂慮致しましたが、それにも関はらず総理大臣、伊東海軍大将、石本陸軍中将、憲政本党の首領大石君、政友会の首領元田君、会社の方では近藤君、又我東京府を支配せられて居る千家知事閣下等がお出で下されまして、只今の如き御話を下されましたのは誠に有難い次第でございます、厚く御礼申上げます、終りに臨みまして渋沢会長は皆様の御帰りまで居らるゝ筈でございましたが已むを得ざる事情の為に中座致されました、と云ふのは国民後援会が今日歌舞伎座で演説会を開いて居るのでございます、渋沢男は其主人公でありますので拠なく彼方へ参られました、故に渋沢男の心持は総理大臣其他来賓諸公の御帰まで留つて御見送り申す積りでありましたが、国家の為に御無礼を申すと云ふことで夫れで私より皆様に厚く御礼を申上ぐる次第でございます(拍手起る)、どうぞ是から次の室で緩々お話を願ひます