デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.607-614(DK060161k) ページ画像

明治38年5月31日(1905年)

東京銀行集会所銀行倶楽部聯合シテ日本海海戦大捷ノ祝賀会ヲ開ク。栄一会ヲ代表シテ挨拶ヲ為ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK060161k-0001)
第6巻 p.607 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年
五月三十一日 雨 風ナシ
午後○中略銀行集会所ニ抵リ日本海海戦祝捷会ニ出席シ、一場ノ演説ヲ為ス、来賓会員出席スル者頗ル多シ夜十一時王子別荘ニ帰宿ス


銀行通信録 第三九巻第二三六号・第七九九―八〇三頁〔明治三八年六月一五日〕 連合祝捷会(DK060161k-0002)
第6巻 p.607-612 ページ画像

銀行通信録 第三九巻第二三六号・第七九九―八〇三頁〔明治三八年六月一五日〕
    ○連合祝捷会
東京銀行集会所及銀行倶楽部にては日本海海戦大捷の報道到着に付、五月三十一日午後六時より連合祝捷会を開きたり、当日招請に依りて出席せる来賓氏名左の如し
 桂総理大臣     曾禰大蔵大臣    小村外務大臣
 伊東軍令部長    長岡参謀次長    阪谷大蔵次官
 斎藤海軍次官    宇佐川陸軍軍務局長 中岡陸軍人事局長
 村上海軍経理局長  実吉海軍医務局長  肝付海軍水路部長
 土井海軍主計大監  木佐木海軍機関中監 財部海軍大佐
 伊藤海軍大佐    上泉海軍大佐    舟越海軍中佐
 - 第6巻 p.608 -ページ画像 
 千家東京府知事   尾崎東京市長    鶴原大阪市長
 徳川貴族院議長   松田衆議院議長   箕浦衆議院副議長
 犬養毅       大石正巳      大岡育造
 元田肇
主人側にては渋沢会長、豊川、園田両副会長、池田謙三、波多野承五郎、早川千吉郎、相馬永胤等の諸氏を始め二百余名出席し、滞京中の大阪銀行家野元驍、町田忠治、岩下清周等の諸氏も誘引に依りて列席せり、開宴に先ち財部海軍大佐は最近に到着せる戦報を朗読し、満場拍手して之を歓迎す、夫より会場の模様を撮影し、陸軍軍楽隊の吹奏に伴れて一同立食堂に入り、宴酣なる頃「君が代」の奏楽に続き豊川銀行倶楽部委員長の発声にて天皇陛下万歳及海軍万歳を三唱し、次に渋沢会長起て一場の挨拶を為し、之に対し伊東軍令部長、桂総理大臣徳川貴族院議長、松田衆議院議長の演説及謝辞あり、夫より更に別室に移り財部海軍大佐の海戦に関する詳細の講話あり、各自歓を尽して午後十時散会せり
当日役員協議の結果、渋沢会長の名を以て東郷聯合艦隊司令長官に発したる祝電左の如し
 東郷聯合艦隊司令長官閣下、当組合銀行一同は貴艦隊の振古未曾有の偉勲に対し玆に恭しく祝意を述べ併せて閣下並に全艦隊の功労に対し熱誠の謝意を表す
  明治三十八年五月三十一日
                  東京銀行集会所会長
                   男爵 渋沢栄一
又、当日渋沢会長の挨拶、及之に対する桂総理大臣以下の演説及謝辞左の如し
    渋沢会長の挨拶
 臨場の諸閣下、諸君、今夕は実に歴史あつて以来最も愉快にして最も名誉ある今般の対馬海峡に於ける大海戦の大勝利を奉祝致したい為めに、吾々銀行者は玆に小宴を開きました次第でございます、幸に総理大臣閣下、軍令部長其他諸閣下の尊臨を請ひまして会員一同の名誉此上もございませぬ、私は玆に今夕此会を催しましたる会員を代表致して尊臨を請ひました諸君に一言の謝辞を述べ、併せて祝賀の意を玆に表白致したいと考へるのでございます
 凡そ人間の歓といふものには或は公に或は私に種々ございまして、之を類別して述べるといふことは甚だ難く、殊に今般の歓びの如きは吾々言はんと欲して其形容の言葉を古来の歴史に見出すことが出来ぬと申しても宜からうと思ふのでございます(拍手)、蓋し物事は思ふたよりは幾分か低くしか来らぬといふことが人事の常である、我希望より数十倍勝つた所の実際が現はれるといふことは、吾々実に神ならぬ身の決して之を予想し能はぬ所でございます、故に一昨日以来吾々人に会ふと意外々々といふ言葉を発する、ツイうつかり申すのです、吾々は斯る大勝利を得て何か変災でもあつた如くに意外な不幸であるといふやうな意味を発するは実に後で考へると不祥であるが真に意外と思へばツイうつかりと意外と謂はざるを得ぬ、
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蓋し人間以上の事柄は人間では意外と解釈する外なからうと思ふのであります(拍手)
 昨年二月征露の時局が開かれて以来海に陸に戦局の発展に対して吾吾祝賀の会を開いたことは一再にして止まりませぬが、斯の如き満腔の欣躍自ら堪えざる場合は千古未だ曾て有らざる所と考へるのでございます、元来吾々は素人で戦事に対しては殆ど意見もなし、況んや経験等もございませぬものでありますが彼の婆羅的艦隊が舳艫千里旌旗空を覆ふて東洋へ来るといふことは或は如何であらうか、種々なる評論から或は吾々は果して来ることを実にするや否やと迄疑つた、然るに夫が近来に至つて愈々事実に現れ、之れに対しては我勇武絶倫の海軍が十分なる勝算を持たれて吾々をして安心の位置に置くことは万々疑を容れませなんだが、さりながら多少制海の権に障害を来しはせぬか、或る一部分は逃脱して彼の巣窟たる所に這入つて又屡々現はれて吾々を妨害するといふことはありはせぬか、予て 陛下の宣はせ玉ひたる戦争は前途遼遠ぞよ、堅忍持久を致さねばならぬといふ詔は吾々の素より深く服膺して居りました所で、吾々の力のあらん限り戦争にも堪へやう、軍費にも応じやう、銀行者決して引込思案の人間のみではございませぬぞよ、何年でも戦争をなさいませ、力の続くだけ之に応じますといふ覚悟を持つて居ることは居りましても、或は今申す制海権に於て多少の障害を来すことがありましたならば、第一に此一般の商業に対して吾々の堪へんとする力を意の如くならしめざるなきを保たぬ、此懸念は独り私一人臆病で懸念したのではない、玆に集つて居る二百人以上の脳裡に多少あつたに相違ないのでございます、然るに今般の戦局の有様を見ますると殆んど殄滅して遺孑なし、唯死命を制するの致命の傷に至らしめたのと云ふようなそんな微弱の形容詞では足りませぬ、何十万噸の船舶艨艟が唯一挙にして主力を失つたどころではない、殲滅に帰して吾々の制海の権は飽までも鞏固なるを得るといふことは其喜譬ふるに物がないのでございます、是に於て吾々は速に一会を催ふして、斯く喜ばしいことはドウぞ其局に当る諸君に対して感謝の意を表し、吾々自ら狂喜欣躍に堪へぬ情を表白致したいと即ち咄嗟の間に此会を開いた所以でございます(拍手)、吾々は歴史を書く者でもなし、筆を執て世の中に立つ者でもございませぬが、斯る嬉しい事柄に付けて既往に考へて見ますると、悲しいかな、東洋は従来此船舶といふことに就て注意の乏しかつたか、力の足らなかつたか、種々なる戦争の歴史は備へて居るが此海事に対して著名の者は甚だ乏しい、仮に一例を挙げて見ますれば赤壁の戦に周瑜が曹操の大軍を一戦の下に焼いてしまつたなどが、何か大層らしう支那人が誇張して一の歴史となつて居る、然るに今般の日本海の有様は独り吾々が経済上に取り国民として喜ぶのみならず、若し歴史家に言はしめたならば千戴の下トラフアルガルに百倍する意念を注がるゝことと私は思ふのでございます(拍手)、果して然らば日本の威力の強いといふこと日本の富の増すといふこと、独りそれのみならず日本の風色の宜しい上に尚一のトラフアルガルに百倍した遺跡を対馬海
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峡に留めたといふて宜からうと思ふのでございます、玆に至つて吾吾は感極つて涙を溢さゞるを得ぬのでございます、此席を同じうする諸君皆な同様であらう、又さうなければならぬと私は玆に一言申上げるのでございます(拍手)
 来臨の諸公に申します、折角御忙しい中を尊臨を請ひましても前に申しました通り咄嗟の企でございまして、誠に準備も整はず御饗応も粗末でございます、唯吾々が狂喜欣躍措く能はざるを以て取敢へず此宴会を催ふした其赤誠を御諒納下さいますれば此上もございませぬ、一言以て感謝の意を表しまする(拍手喝采)
    伊東軍令部長の演説
  閣下及諸君、今夕は渋沢、豊川両君の御懇篤なる御招待に預かりまして此祝捷会に出ました、唯今渋沢君が今般対馬海峡に起りました海戦に付て多々御同情を御寄せ下さいましたが、実は吾輩も斯の如き好結果は到底望み得ぬと思うて居りました、如何となれば彼の戦艦及巡洋艦其他仮装巡洋艦等は日本に現在有りまするものと比較して見ますると算盤上では彼が優勢であつて、日本は彼に優つて居るといふことは更にないのでございまする、併しなから唯吾々の信頼しまするは明治二十七八年当時の艦長士官等が今日は有望なる位地に立つて居りまするから深くそれに信頼して実は敢て驚きもしなかつた、殊に彼は何か穿鑿を用ふるであらうと考へて居りましたが、測らずも此方の予期して居りまする対馬海峡に来まして、さうしてアノ如き大海戦が始まつたのでございます、先づ其日の朝の天候といふものは甚だ暴天でありました、さて玆になりましては此方でも余程苦慮を致した次第でございます、ところが段々今日になつて考へて見ますると其暴天なるものが、日本の海軍の為に非常なる利益を与へたと考へます、即ち今日は既に皆様御承知の通りに彼の戦闘艦八隻、其他の艦船も殆と殲滅致しまして唯だ纔に存命して居るものがあるといふ好結果を得ました、是は丁度今渋沢君の仰せられました通り昔から斯ういふやうな海戦のあつたといふ例は聞きませぬのでございます、それで是は将来に向ひまして日本海軍が世界に教育を与へたことは申すまでもないことでございます、従ひまして今後更に戦争を進行して往きまするに就きましては、軍人即ち腰に「サーベル」を着けて居る人ばかりで何もかも仕事をするといふことはドウしても出来ぬのでございます、此将来を思ひまして諸君に御尽力を仰かなくてはならぬのでございまする、其処に至りますと此席に居られる御方は素よりの事、日本国民全体が一致して遣つたなら十分な仕事が出来ると深く信頼して居ります、今日は御懇篤なる盛宴に列することを得まして私に取りましても至極光栄の至りでございます、聊か海軍を代表致しまして御挨拶旁々一言申上げます
                         (拍手)
    桂総理大臣の演説
 閣下及諸君、今晩は今度の日本海に於ける大海戦の大勝利の祝賀会を渋沢男爵、豊川良平両君の御催しに付きて御案内を忝う致しまして推参を致した次第でございまする、いつもながら御案内を受けま
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して先以て此御礼を申します
 諸君、先刻渋沢君は此度の海軍の大勝利に付きまして熱誠を以て数言の御演説がございました、実に御同感の至りでございまする、此事に付きましては更に私が喋々するの余地がないと考へる、然るに斯の如きの大勝利、曩には陸に於て奉天附近の大陸戦の大勝利、又此度は日本海に於ける海軍の古今未曾有なる大勝利、斯の如き大勝利は如何なる原因よりして吾々が諸君と共に祝し共に慶ぶことが出来るのでございませう、素より上 天皇陛下の御稜威、又海軍の熱誠なる働、即ち数年間熟練致しましたところの結果であるといふことは無論であらうと考へる(拍手)、併しながら此海軍なり陸軍なりの軍人が戦線に出て奮戦致し得られるのは何に基くかといふ事を考へなくてはならぬと考へる、是れ即ち内に在ては国民一致して彼の将校、下士、兵卒等をして後顧の憂なからしめた結果が其の多きに居るものと私は信じて疑はぬのである(拍手)
 諸君、私は玆に私の所感を一言申述べやうと考へまする、斯の如き大海戦、斯の如き大勝利――即ち斯の如き大勝利を吾々は更に未来に於て得なくてはならぬといふ事を私は一言申述べたいと考へる(拍手)、又現に吾々は此度斯の如きの大勝利を為したのである、然らば将来為し能はぬといふ事は私はないのであると信じて居る、若しお互に斯の如き熱誠――斯の如く海に陸に戦つた如きの熱心を以て致しましたならば、即ち吾々が将来に於ける仕事も十分為し能はぬことはない、必ず出来るといふことを固く信ずるのであります、諸君、どうぞ益々吾々は一致協同以て此国家の将来を計らんことを偏に希望致しまする、果して然らば私は何事も為し得ぬ事はないと信じて居るのである、吾々は即ち此度其実効を顕はしたのである
 今晩は私は何等準備もなく、唯両君の懇切なる殊に速かなる此御催に付きまして御案内を受けて匆卒推参を致した次第でございまして誠にツマらない事を申述べましたが、一言申せといふ豊川君の先刻来御請求がございましたので一言申述べました次第でございます、之を以て謝辞に代へます(拍手)
    徳川貴族院議長の謝辞
 渋沢男爵、豊川君、今夕は御招きを蒙りまして感謝の至りに堪へませぬ、今般の海戦の大捷の事は我国の為に実に御同慶の至りに存じます、私は貴族院議長の職を汚して居りますから貴族院を代表致しまして此度の大捷の祝意を表し、併せて今夕御招を蒙りました御礼を申上げます(拍手)
    松田衆議院議長の演説
 渋沢男爵閣下及他の紳士諸君、今夕は我海軍の大捷を得たる祝捷会として此盛宴に御招待を蒙りまして誠に欣躍の至に堪へませぬ、さて我海軍が空前の勝利――恐らくは絶後と申しても宜からうと思ひまする、此大捷利を得られましたる事に付ては、前に渋沢男爵閣下の御演説に依りまして十分吾々は其御趣意のある所も察しまするし是に加ふる言葉もないかと思ひまするから、別段此事に付て私の贅言を致す必要はないかと思ひまする
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 唯先刻総理大臣閣下が御述べになりました如く将来の事を大に吾々は考へるのである、彼の敵国の頑強なるナカナカ此海戦の大敗に於て彼等が屈服を致すといふ事は決して望みはないことと私は考へるのでありまする、それは是迄新聞に於て見る所に依りましてもバルチツク艦隊が全滅を致しても二年若くは三年の時間を費やせば露西亜に於ては幾十隻の軍艦を拵へることは容易である、又満洲に派遣して居る所の陸軍に致しても先に数十万の兵が破れ後に数十万の兵が破れても露西亜に於ては尚それに数十倍する所の兵力を持つて居るのである、日本の人口よりもヨリ多き兵力を持つて居るといふ事は彼等が漫に言ふて居る所でございまする、併しながら是は唯漫に言ふのみと考へて居ることが出来ない、彼等の頑強なる必ず今後に於て軍艦を新に製造し、若くは新に軍兵を満洲に派遣致して飽迄我国と交戦を致すといふ事をやるであらうと思ふのでございまする、即ち畏くも昨日聯合艦隊司令長官に賜りたる所の勅語に依りましても、前途尚遼遠といふ御言葉があつて見れば、此戦争といふものは必ず前途尚ほ遠いものといふ事は我国民は決して忘るゝことが出来ない事と考へます(拍手)、勿論此場合に於て我国の挙国一致の実を挙げるといふことは申すまでもございませぬが、就中此戦争を維持し、持久の策を執るといふことは専ら銀行家たる諸君、理財家たる諸君の御奮発に依らなければ出来ないことゝ思ふのでございまする故に私は諸君に向つて右の希望を述べまして玆に今夜御招待を蒙りましたところの感謝の意を表して置きます(拍手)


国民新聞 第四七五四号 〔明治三八年六月二日〕 銀行集会所銀行倶楽部祝捷会(DK060161k-0003)
第6巻 p.612-614 ページ画像

国民新聞 第四七五四号〔明治三八年六月二日〕
    ○銀行集会所銀行倶楽部祝捷会
東京銀行集会所及び銀行倶楽部の祝捷会は卅一日夜盛大に執行せらる、来会者は日没前より坂本町なる同所に車を駆ること引も切らず、定刻に至ては楼上の広間に充満せり、其数に於て多きのみならず朝野要部に在る縉紳を網羅したる観あり、先づ来賓の重なるは桂総理を初め曾禰蔵相、小村外相、海軍側よりは伊東軍令部長、伊集院同次長、斎藤次官、肝付水路部長、実吉医務局長、村上経理局長、土岐司法局長、財部大佐其他将校にして、陸軍側よりも長岡参謀次長、宇佐川軍務局長、中岡人事局長其他将校、貴族院よりは徳川議長を初め大石正巳、犬養毅、大岡育造、元田肇其他議員にして阪谷大蔵次官、千家府知事、尾崎市長あり、松尾日本銀行総裁以下重なる同行員、高橋勧業銀行総裁、添田興業銀行総裁、渋沢栄一男、園田孝吉、豊川良平、早川千吉郎の諸氏を初めとし府下に於ける銀行業者のみならず大谷嘉兵衛其他府外の諸氏も見受けたり、扨楼上の大広間正面には木葉花蕋を以て錨を作り、且つ海軍万歳の額を添え上に国旗を交叉して当夜の装飾とせり、大抵来会の揃ひたる処にて財部大佐は椅子の上に立ち上り最近に到着したる戦報を朗読す、会者一々拍手して之を歓迎す、続て昨年来軍艦の沈没したるものにて未だ報告せられざるものを朗読せらるゝに到り、読む人も感極まり聴く人も亦た之を傷むの状顕はる、即ち傷むと雖ども未曾有の大勝利を祝するの情溢るゝが為め意気敢て挫
 - 第6巻 p.613 -ページ画像 
折するに到らざるなり、次に来会者の摸様を撮影したる後ち食堂を開らけり、立食の饗応なりしが人多くして食堂狭きを感じたれど流石に強ゐて先を争ふ如きことなく先づは穏かなる宴会なり、半酣に至りとも云ふべき頃ろ豊川良平氏は起つて式の順序を述べ、而して三鞭の杯を挙げ 天皇陛下万歳を唱ふ、満場和して三唱す、次に海軍万歳を三唱したる後ち、渋沢男は壇に上り演説す、其意味の大要は
 歴史あつて以来の大愉快なる大勝利を祝するに之を述べむ言葉あらず、今回の大勝利は只だ予想以上なるに驚異の外あらず、吾々は窃かに海軍の方々に信頼して能く露艦を破らるゝならむとは期しゐたるも、我が邦にも多少の損害はあるべく、又露艦も少くは打ち漏されて其目的地へ達するならむと想はれしに、我が損害は僅少にして敵艦は全滅に帰せり、実に予想外にして亦た人間外なり、幾回か祝捷会を為したれ共今日の如きは夫等に優りて愉快を感じ、之を祝せむに言葉あらず
とて其の影響の実業上に良好に顕はるゝべきを述べ来賓の臨場を謝して之を結び次に伊東軍令部長壇に上りて先づ同夜の招待を謝し、さて
 実は敵艦隊の力は我に優るとも劣ることあらず、只だ予は廿七八年戦役以来鍛錬したる我が艦隊能く之を破ぶることを得んと信じたり然るに敵艦来るや我が図る所にたがはす遂に大捷を獲るに到れり、是れ国家の為め祝賀に堪へざる所、然れども前途尚ほ奮励を要す、挙国一致以て終局の目的を達せざるべからず、此点に於て銀行家の尽力を望むや切なり
とて復席せり、桂総理大臣は壇に上れり、大臣は満場に徹する音声もて演説あり其要旨は
 日本海大海戦の大勝利を祝賀せらるゝ此会に招待を受けしは大に喜ぶ所、今回の大勝利は敵艦隊の主力を全滅するに至り実に未曾有のことたり、奉天の大勝と云ひ、今回の大勝利と云ひ其の原を尋ぬるに 天皇陛下の御陵威に由ることは勿論にして、亦た陸海軍将士より卒に至る迄心身を挙げて国に尽くすに因るものなり、其の将士卒が陸に海に能く艱苦を冒して尽瘁する所以のものは挙国一致して出征者の援護に励むるに因るなり、今や連戦連捷之を祝すべし、祝すると同時に将来の事を慮からざるべからず、将来猶ほ幾多の嶮艱あり、去れど既往に於て連捷せし所以のものを以て将来に務めば将来の全捷豈に疑ひを容れんや、是に由て見れば将来は既往に務めたる心を以て励むる外あらず、社会の要部を代表せらるゝ諸君の心を尽くさるゝ所玆に在るべし
と、徳川貴族院議長は壇に上りて挨拶せり
 予は前の諸君と御同慶を述る外あらず、予は貴族院議長の職をけがすを以て同院代表者として玆に祝意を表す
次に松田衆議院議長壇に上れり
 今回の大勝利は空前にして恐らくは亦た絶後ならむ、敵国は頑強にして是れにも猶ほ屈服せず、或は軍艦幾十艘を造るとか、或は百万の陸兵を動かすとか揚言し居て中々頑強なるに相違なし、総理大臣も述べられし如く、将来猶ほ幾多の嶮艱あり、今日海軍に降されし
 - 第6巻 p.614 -ページ画像 
勅語に前途遼遠なりと宣らせ玉へり、吾れ等は実に之を服膺し、挙国一致の効を挙げ以て敵国をして全く屈服せしむる迄奮励せざるべからず、銀行家諸君は社会の各方面の衝に当らるゝからは尤も此点に意を留めらるゝことを望む
と是れにて終りを告げ、更らに広間に復し談話沸くが如くにして随意退散したり