デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.616-618(DK060163k) ページ画像

明治39年1月15日(1906年)

是日銀行倶楽部第四十八回晩餐会ヲ開キ、来賓トシテ伊藤博文、大隈重信等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK060163k-0001)
第6巻 p.616 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
一月十五日
午後五時半銀行倶楽部新年会ニ出席ス。伊藤侯爵・大隈伯爵・阪谷大蔵大臣等会合シテ頗ル盛会ナリキ、食卓上一場ノ演説ヲ為シ、夜十一時過王子別荘に帰宿ス


銀行通信録 第四一巻第二四四号・第二六二頁〔明治三九年二月一五日〕 銀行倶楽部第四十八回晩餐会(DK060163k-0002)
第6巻 p.616 ページ画像

銀行通信録 第四一巻第二四四号・第二六二頁〔明治三九年二月一五日〕
    ○銀行倶楽部第四十八回晩餐会
銀行倶楽部にては一月十五日午後六時より伊藤統監、大隈伯爵、阪谷大蔵大臣、若槻大蔵次官、鶴原統監府総務長官、木内同農商工務総長岡同警務総長、古谷同秘書官等を招待して第四十八回会員晩餐会を開きしに鶴原総務長官を除くの外何れも出席せられ、会食後豊川委員長の挨拶に引続き伊藤統監、大隈伯爵及阪谷大蔵大臣の演説あり、終て渋沢男爵より一場の挨拶を為し、夫より別席に移り、一同歓を尽して午後九時散会せり


竜門雑誌 第二一二号・第三五―三六頁〔明治三九年一月二五日〕 ○銀行倶楽部晩餐会(DK060163k-0003)
第6巻 p.616-617 ページ画像

竜門雑誌 第二一二号・第三五―三六頁〔明治三九年一月二五日〕
 - 第6巻 p.617 -ページ画像 
○銀行倶楽部晩餐会  銀行倶楽部晩餐会は本月十五日午後五時阪本町の同所に於て催されたり、来会者は伊藤統監、大隈伯、阪谷大蔵大臣、若槻大蔵次官、木内統監府農商工務総長、古谷統監秘書官(鶴原統監府総務長官は不参)を来賓とし青淵先生、豊川、松尾、添田、園田、相馬、池田、安田、馬越、佐々木、志村、町田、大谷、児島、小田切其他の諸氏総て百三十名にして午後六時三十分花卉緑葉に電灯装飾を施したる楼上の食堂に開かれ席上主客胸襟を開きて談話し、演説し、和気靄々の間奏楽興を添ゆるありて頗る盛会なりき、酒三行にして委員長豊川良平氏来賓諸氏の万歳を三唱し、且つ伊藤侯、大隈伯及び阪谷新蔵相最後に渋沢男の演説あるべしと披露し、衆拍手を以て之を迎へたるが伊藤侯は容易に起たず、諧謔を弄して一座を待たしむること多時、漸くにして座談の端緒を開き、戦後の経済に就き外債と外資輸入及び輸入超過の国家財政に及ぼす影響より説き起し、経済独立を説きて、切りに国民殊に銀行業者の注意を喚起し、大隈伯も伊藤侯の意見に同意を表し、千八百七十二三年の交に於ける米国の惨状と普仏戦後に於ける普国の恐慌、並びに近く日清戦役後に於ける本邦経済界の実状を引きて戦後経済界の健全なる発達に付深く警戒する所あり、侯伯の演説共に熱誠を極め、殊に伊藤侯の如き涙を垂れて愛国の真情を披歴し満座を感動せしめたり、次で阪谷大蔵大臣の簡単なる演説あり次に青淵先生侯伯の演説に対し銀行家としての覚悟を述べ、最後に豊川委員長来賓に謝辞を述べて散会したるは午後九時半なりし


時事新報 第七九九〇号〔明治三九年一月一七日〕 銀行倶楽部の新年会(DK060163k-0004)
第6巻 p.617-618 ページ画像

時事新報 第七九九〇号〔明治三九年一月一七日〕
    銀行倶楽部の新年会
既報の如く銀行倶楽部にては十五日同所楼上に於て新年会を開きたり当夜来賓として臨席したるは伊藤侯、大隈伯、阪谷大蔵大臣、木内農商工務総長、岡田警務総長、古谷統監秘書官にして、参会者の重なる者は渋沢栄一、豊川良平、園田孝吉、松尾臣善、添田寿一、早川千吉郎、波多野承五郎、相馬永胤、志村源太郎、山口宗義、木村清四郎、安田善次郎、池田謙三、佐々木勇之助、大谷嘉兵衛、三村君平、土方久徴、町田忠次、小田切万寿之助、児嶋惟謙、村井吉兵衛、塩川三四郎、岡崎遠光、池田成彬氏を始めとし百五十有余名なりき、会場の天井及び食卓の中央扨は姿見の両側には菁々たる青葉に花卉をあしらひ、其間に五色の電灯を点じたる様は恰も天の水晶宮に無数の星宿の輝く如く爛燦紅顔を照し、其鮮かなること眼を眩する許りなりき、宴将に徹せんとするの際豊川会長の主唱にて来賓の万歳を祝し、次で君ケ代の奏楽中会員一同起立して敬意を表し、式終りて豊川会長は来賓に対し慇懃に来臨の光栄を辱うしたる感謝の意を表するや、伊藤侯は着席の儘諄々として「立国の要は其基礎を国民経済の上に置かざる可らざる所以」を説いて満腔の赤誠を披瀝し、大隈伯も亦今夕の伊藤侯の演説は予が平素の持論と符節を合するが如くなりとて誠心誠意日頃の抱負を吐露したる侯伯の元気は鬱勃天を衝くの慨あり、坐ろに四十年前幕末の俊介、八太郎の昔時を偲ばしむるものありき、次で阪谷大蔵大臣は伊藤侯、大隈伯及び来賓に対し簡単に感謝の意を表し、伊藤
 - 第6巻 p.618 -ページ画像 
侯は再び起ちて「予が統監として任に朝鮮に赴くは韓国民の経済的独立を扶植するに在り、此方針に違ふものは官民孰れを問はず断然排斥するに躊躇せざるべし」とて、最も熱誠を罩めたる再演説を為し、最後に渋沢男は「侯伯の趣味深く有益なるお叱は四十年来毎度の事ながら、今夕の訓諭的教を承りて十年許り若返りたり」とて真実感謝の意を表し、尚ほ豊川会長謝辞あり、更に別席に移りて時務談に花を咲かし散会したるは十時過なりき、当夜伊藤侯と大隈伯の演説は異体同心、些の扞格なく殆ど意思相疏通して亦背馳の恨あるを見ざりき。