デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第6巻 p.643-660(DK060169k) ページ画像

明治39年5月23日(1906年)

銀行倶楽部第五十一回晩餐会開カレ来賓トシテ司法大臣松田正久等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK060169k-0001)
第6巻 p.643 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
五月二十三日
五時半銀行倶楽部ニ抵リ晩餐会を開ク、司法大臣以下各裁判所長来会ス、食卓上一場ノ演説ヲ為ス


銀行通信録 ○第四一巻第二四八号第九〇五頁〔明治三九年六月一五日〕 銀行倶楽部第五十一回晩餐会(DK060169k-0002)
第6巻 p.643-644 ページ画像

銀行通信録
 - 第6巻 p.644 -ページ画像 
 ○第四一巻第二四八号・第九〇五頁〔明治三九年六月一五日〕
    ○銀行倶楽部第五十一回晩餐会
銀行倶楽部にては五月廿三日午後六時より松田司法大臣、河村司法次官、平沼民刑局長、南部大審院長、横田検事総長、長谷川控訴院長、渡辺東京地方裁判所長及福岡東京区裁判所監督判事を招待して第五十一回会員晩餐会を開き、会食後渋沢委員長の挨拶に引続き松田司法大臣、渡辺地方裁判所長、会員志村源太郎、長谷川控訴院長、横田検事総長等の演説あり、夫より別室に移り司法上に関し互に意見を交換したる上午後十時散会せり

銀行通信録 ○第四一巻第二四八号・第八六六―八八一頁〔明治三九年六月一五日〕 銀行倶楽部晩餐会に於ける演説(DK060169k-0003)
第6巻 p.644-660 ページ画像

 ○第四一巻第二四八号・第八六六―八八一頁〔明治三九年六月一五日〕
    ○銀行倶楽部晩餐会に於ける演説
  渋沢男爵――松田司法大臣――渡辺地方裁判所長――志村日本勧業銀行副総裁――長谷川控訴院長――横田検事総長
   ○渋沢男爵の挨拶
閣下、諸君、今夕の当銀行倶楽部の晩餐会に司法大臣、次官、大審院長、控訴院長、其他諸閣下の尊臨を得ましたのは吾々共の予て司法部諸君の御高話を拝聴致したいといふ希望が達しました次第で、会員一同誠に大慶に存じます、過日私共大臣官舎へ参上致して種々御話を願ひたる際、今日尊臨のことを申上げました所が、幸ひ御都合下されるといふ御答を拝承致し、即ち今日を卜しました次第でございます、然るに此会は、大臣閣下へ其際申上げましたる通り、当銀行倶楽部に於て毎月開きまする例会故に、折角珍客を御案内申上げたるに副はぬ所の設備で、尊来を辱うしましても御饗応として何たる設けもございませぬで甚だ失礼の至に堪へませぬのでございます、が併し、尊臨せられた御趣意も決して盃酒の間に有らツしやらぬと考へまするから、暫く是は御宥恕を乞ひたいと思ふのでございます
思ふに、国家の進運に伴ふて司法機関と金融上の関係は日に増し密着して行かねばならぬことは、誰も共に希望し共に想像する所である、然るに従来の習慣は、兎角裁判所に関係することは多くは実業界の厭ふ所と相成つて居りまして、甚しきは其門を跨ぐさへも何やら心苦しく感ずるといふのは、蓋し因襲の久しき古来の風習が未だ全く脱却せぬ為めと申さねばならぬのでございませう、但し斯る風習を生じましたる所以に就ても亦考へねばならぬ点もあらうと思ひます、併し斯く法治国と相成つた以上は、吾々法律に疎い人間も唯法律は面倒なるものとのみ思ふて居て相済むものではないと云ふことは、不断心掛けて居りまするけれども、今日の法律の制定といふことは、或は実際上の必要より成立つた以外に、外交上の必要から先づ備へねばならぬといふことから成立したものも多少はなきにしも非ず、例へば病あつて始めて医者も必要なり薬品も必要であるべき筈なるに、未だ病の程も判らぬのに先づ薬を服ませると云ふから其薬が大に嫌ひになつて、さう云ふものを飲まされては大変だと之を嫌ふ有様が無いとは言へぬのであります、けれどもそれは最早過ぎ去つた昔であつて、今日となりましては、司法機関と金融機関たるものは其性質こそ異なれ相離るべからざるものであつて、而も此程御前任の地方裁判所長の前田君からし
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て、吾々実業界に向つて恰も今申上げた如き趣意を以て、法律又は現に裁判を行ふ人若くは其中間に立つ人に或は欠点若くは不適当の行為があるならば腹蔵なく言ふて呉れ、どうしても之を密着せしむるが今日の世の中を進めるに於て最も必要である、戦後の経営として第一に数へねばならぬことである、と云ふ御照会を得ましたのは、吾々の実に欣喜雀躍に堪へぬ所でございます、玆に於て早速東京交換所に組立てゝございます戦後経済調査委員と云ふものに附託致しまして、それぞれの取調をして其成案を過日司法大臣閣下及地方裁判所長閣下に差出して御覧を願ひつゝあります、其事に就ては吾々共過日大臣の官舎に召されて調査した理由も陳述し、又之に対して十分心を入れて御取調べ下し置かれるといふことも拝承致しました、従来吾々の取調べた事柄が、或る場合には其書面を高閣に束ねられると云ふことも官府に対してはないとも申されぬために、時々嘆息の声も聞いたのでありますが今度差出した書類は高閣に束ねられるどころではなく、塵にも触れずに保存して居らるゝことゝ吾々は確信して喜んで居るのでございます、斯る密接の関係を生じまするのも偏に司法部の諸閣下の吾々を御誘導為し下された御高配に依ることで、実に感謝に堪へない次第でございます、玆に謹で御礼を申上げ、並に今夕尊来を辱ふしたることを謝し上げます
終に臨んで、私は臨場の諸閣下に対して、此銀行集会所及交換所の今日までの沿革及其扱ひ居りまする業務の有様を、極く簡単に申上げるやうに致したいと考へるのでございます、蓋し此事たる会員一同は日日に知り切つて居ることではございますが、是まで余り尊来を請ふべき機会の乏しき司法部の諸閣下へ一言陳述致すのは、強ち無用の弁でもなからうと考へます
元来、銀行の東京に創立致しましたのは明治六年でございます、而して明治十年頃には銀行の数も追々殖えて来ましたに付きまして、是非各行一所に集つて共同の便利を図りたいと云ふ所からして、同年択善会と名けたる一の会が出来ました、其時には銀行の数が僅に十一であつた、それから十三年八月でありましたが択善会と云ふものも余り面白くないから寧ろ有る名称を其儘にしたら宜からうと云ふことで、銀行集会所といふ名に致しまして爾来今日まで継続致した次第でございます、併し其頃は或は割烹店若くは各銀行の二階へ打寄つては相談を致し居りましたが、夫では甚だ不便であつて困ると云ふ所からして、一同申合せの上、先刻お通りを願ひました一室を明治十八年に造りました、其建築資金は各銀行が申合せ醵金をして建築致したのであります、其地所と云ひ家屋と云ひ至て廉い金額で成立をしたのでございました、夫から後場所が狭いと云ふので三十二年に此建物が出来ました、是以て甚だ狭隘で決して大なる集会は出来ませぬけれども、先づ今日の体裁にまで立至つたのでございます、何等の要用で左様に会合するかと申しますると是には随分種々なる要務が包含されて居るのでございます、或は銀行者一同の社交上の便利に供することもございます、又銀行の個々相会する相談会に必要な場合もございます、又相共に打寄つてお互の風習お互の徳義を斯る振合に進めたいと云ふやうな
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申合せの出来ることもございます、又或る場合には何日は休みにしたいから一同に歩調を揃へて遣らうではないか、或は手形の取扱向を斯やうにしたい、当座の切手は斯ういふやうにしたい、或は計算上厘位を切捨ると云ふ如きも皆此集会所の打合せから出来ましたので、官府は如何か存じませぬが、吾々社会では此厘位切捨といふ事は至極簡便のことゝ讃められて居る、蓋し其源は此会堂から発したと申しても宜しいのでございます、更に今一段重要の事柄と云ふたならば、明治三十七八年の日露戦争の場合に、国庫債券に応募すると云ふ事、もう一つ前の日清戦争に於ても同様の事柄があつたが、必ず此集会所に打寄りまして、さて政府の企望は斯様であるが如何致したら宜からうかといふことを、先づ下相談を致してさうして其結果に依つて各銀行が歩調を揃へ、それならば斯う云ふ方法にして大に尽力をしやう、或は玆は政府に斯うして貰はねばならぬと云ふやうな、二説三説に分れること無いとは申されませぬけれども、帰着する所は遂に一となつて、銀行集会所の説は斯様である、斯ういふ希望であるといふことが申出られるやうに相成つて居るのでございます、今日の集会所組合銀行の数は六十一行でございまして、此六十一行が今申上げるやうに常に一致して、共に歩調を揃へて行くと云ふやうに相成つて居ります、而して此六十一行中の三十三行が特に又申合せまして、手形交換と云ふことを致して居ります、此手形交換と云ふことは、最も銀行営業上便利なものでございまして、お互に小切手・為替手形・約束手形総てのものを仲間中の銀行であればズンズン正金として請取ります、さうして其請取つたものを其日毎に取調べをして置て、翌日手形交換の時刻にそれを交換所に持つて参りまして、例へば甲の銀行は乙、丙、丁の銀行に向つて渡すべきものは皆添票といふものを附けて渡す、向ふの銀行も同じ手続をしまして僅か十時半から十一時の間に三十三行の銀行同志が正金は持つて行かずに皆交換所で振替へてしまひます、決算は日本銀行に向つてする、日本銀行の当座借になる又貸になるので其差引勘定が着いてしまふ、其決算上便利を大に増すのみならず、大に各商人間に制裁を加へますことは此交換所の打合せからして、余り手形を濫発して仕払方を停滞する者でもございますると是に対する検束がございます、即ち其人の手形は向後取らぬと云ふことになります、俗に之を首斬と申しまするが、首斬といふ言葉は余り野蛮の言葉で、斯様な御席では申すも憚り多うございますけれども、其為めに各商人は此交換所の制裁を受けて首斬処分を受けたと云へばそれこそ司法上の死刑の宣告より余程強く感じまする(笑)、吾々の威権もナカナカ強大なものであると自負しても宜い位でございます、さう云ふことからして業務を便利にするのみならず、お互の信用を厚くすると云ふことも亦達し得られるやうに考へまする、更に銀行中の申合から一の施設がございます、それは興信所と云ふものでございます、身元調を致す方法商人の身代商売の仕方を内々で探索するといふと殆ど悪徳らしうございます、けれども、蓋し是等の事は此席に御列しの諸君は皆夫を御本業になさるのであるから、之を悪いと云へば怪しからんことを言ふと思召すかも知れませぬが、吾々銀行者も之を必要としなければならぬ
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ので、此事も亦大に制裁を加へることになると思ふのでごさいます、此興信所の創立は十年ばかり以前でありましたが、幸に大に成功して今日では其事業が先づ自立し得るだけの進みを持つて参りました、是等各種の方法に依つて、此銀行の創立以来もう殆ど三十年に達して居ります、三十年以前の昔から比較しますると多少進歩致したと言ひ得るやうに相成つたのも、畢竟は聖代の賜物で、且つ一方には今夕御臨席の諸君方の種々なる御援助に依つて、或る場合には吾々を誘導せられ、或る場合には吾々を抑制せらるゝと云ふことが、大に吾々を益したことゝ感謝致す次第でございます、呉々も斯る機会でもございませぬと、前に申す病人と医者と同じき関係のある諸君にも密接してお話することも出来ず、鳥渡お目に掛つても窮窟なる気がして打寛ぎてお話が出来ぬやうな嫌ひがございますが、追々に斯う云ふ機会を増して、吾々の難儀になるとか不便であるとか云ふ事は遠慮なく申上げることの出来るやうにして、それが道理に適することで而して諸君の未だ御気の着かぬことであつたならば、諫めに従ふ流るゝが如きの諸君であると存じますから、必ず御採用下さるだらうと思ひます、故に吾吾は今日の如き機会をお作り下すつたことを呉々感謝致します
今夕は大臣閣下始め、諸閣下の尊来を得まして、一同深く満足致します、玆に一言の御礼を申上げ、併せて諸閣下の御健康を祝します
  ○松田司法大臣の演説
渋沢男爵並に会員諸君、今夕は吾々司法部の者が銀行倶楽部諸君の晩餐会に御招待を蒙りまして、私は玆に一同を代表して御礼の為めに一言を述べるは大に光栄と致す所であります
唯今会長より、司法機関と実業との関係が従来甚だ阻隔して居る、是は恰も病人と医者との譬の如きものである、といふ意味を以て御演説になりましたが、或は左様の事情であつたかと、私に於ても十分察する訳でございまする、が併しながら、本来我国は総て政府より方針を立てゝ標準を示して、然る後に国民が之に附いて来ると云ふやうな遺り方は、諸君も御実験の如く、維新以来の我国の状況であつたかと思ふのでありまする、彼の米国の如きは諸君の御承知の如く大に個人主義の行はれて居る所であつて、強ち政府の示す所の標準を待たずして各々進取の気象を実行致すことは言はずとも解つて居る所でありまするが、大陸に渡つて或る国の如きは、やはり政府よりして人民を率ゐると云ふ如き有様の所が古よりあつて、今日に於ても猶其余習が存在して居るといふことは、諸君も御承知のことでありませう、我国は恰も期の如きもので、政府の指導を俟つて然る後に人民は動くと云ふやうな訳であつたかと思ふのでありまする、之を平たく申せば我国の人民は大に依頼心を持つて、何事に限らず政府に頼ると云ふ考がありはせぬか、そうであつたではないか、今日に於ては余程了簡も違つて居りませうけれども、従来の趣を見れば斯様な事情であつたと云ふことも強ち事実でなかつたといふことは言へまいかと思ふのでありまする、是等の原因よりして、或は渋沢君のお譬への如く、先づ政府で何か法律規則を拵へて之を発布する、而して人民は之を遵奉せよと云ふやうなことになるのであるからやはり事情に適切ならぬ所もあるとい
 - 第6巻 p.648 -ページ画像 
ふことは、過日も承はつた訳であるのであります、即ち其通りのことは事実に於て段々見る所であらうと思ふ、然れども前に述べたる如きの日本の事情であつて見れば、是亦今日までの所已むを得ざる事であつたかと思ふのでありまする、併しながら、はや今日は我国民も決して前日の如き状況ではないのである、依て今日以後、会長の御演説の如く、成るべく政府と実業家と相密着を致して、現在の状況に適切なる法律規則を拵へるといふことは、最も御同感の次第でありまする、又司法機関の如きは最も実業界には疎遠であつたと云ふことは申すまでもない、司法機関は実に無味淡白なるものであつて一向実業家に面のあたり利益を御授け申すことはないと言つて宜からうと思ひまする
彼の経済界が財政部の事務に於けるが如く、又農工商部の事務に於けるが如く、朝夕密接を致して互に利益を図るといふことの如きは、司法機関としては余程少ないのである、或る場合に於ては、勿論実業界と司法機関と意思疏通を致さなければ互に不利益になると云ふことは申すまでもないが、今日までの所としては、右の如き事情よりして阻隔を致して居つたことゝ申さねばならぬのでありませう、然る処、今日我国は戦後の経営を為し又大に国勢の発展を図らんければならぬ時機に迫つて来たのでありまする、苟も法律の不備若くは欠点よりして聊でも実業界の進歩を妨げる如き事があつては、甚だ遺憾と致す訳でありまする、曩に前東京地方裁判所長前田氏は玆に見る所あつて、一篇の書を渋沢会長に贈られたのである、然るに渋沢会長は実業家諸君と御研究の結果、種々の意見を具せられて、而して之を東京地方裁判所長に送られ、又司法省にもそれを送られたのでございまする、固より唯前所長のみが斯の如き見込を持つたのではない、やはり現任の渡辺所長と雖同一の所感を抱持せられて居るのである、又司法部全体も之に同意を表して居るのでありまする、啻に司法機関のみならず、之は政府全体が同意を表さなければならぬと思ふのでありまする、亦国民全体も之には十分に同意を表することゝ私は確信して疑はぬのでありまする、故に今後若しも機会がありましたならば、屡々諸君に御目に掛つて、如何なる事が実業界の発達を害するのであるか、如何に法律は改正するが宜いか、又裁判事務の取扱に於て如何なる事を致したならば諸君の御便利を図らるゝのか、是等の事に至つては十分研究を致す積である、又既に多少の研究は致して居るのでありまする、此事に付ては渡辺所長に於て多少の意見もあることでありませうから、或は今夕に於て述べられるかも知れぬでありまするが、私は御礼旁々玆に一言を述べたのでありまする
尚又少しく申したいことは、如何なる文明如何なる善美の法律と雖ども、其社会の進歩の程度に応じなければ迚も其効用はなさぬものであると考へる、今我日本の諸法律を支那又は朝鮮に応用致さうとしても是は行はれぬことは分り切つて居ることゝ思ひまする、其原因多々ありませうけれども、兎に角社会の程度が進まなければ良い法律も其効用はなさぬと思ふのである、故に唯法律の点ばかりに不足を言ふことはならぬかも知れない、社会一般の公徳若くは個人の徳義が成るべく上進を致して而して立派な法律と共に円満に行はれむことを希望致す
 - 第6巻 p.649 -ページ画像 
のでありまする、諸君は銀行家として我国の上流社会に位されて居る御方であつて見れば、此国民を率ゐて最も進歩したる道徳の点に導がるゝと云ふことは国民として諸君の義務ではないかと思ひまする、故に玆に一言諸君に希望を致した次第でありまする、悪からず御承知置きを願ひたいのでありまする
今夕は図らず御饗応を受けまして、殊に会長より銀行集会所の沿革及び交換所の現状其他の事を御話下されまして、吾々は耳新しき利益を得ました次第であります、誠に感謝に堪えませぬ、一言御礼を申しまする(拍手)
   ○渡辺地方裁判所長の演説
今夕は御招を受けまして誠に有難く謝します、実は先達て法律新聞社長の御催しになりました会の時に、渋沢会長から今晩のやうな会のあることを御話があり、且つ其席に於て何か話すやうにと云ふ御言葉でありましたので、夫れから大分日も経ちますことでありますから、何か申上げたいと思つて居りましたが、どうも是と云ふ一向思付の事もこざいませぬ、就ては前所長から男爵に御問をしまして其御答を得ましたことに付て、一言申上げますると云ふことは、却て私の方で又もう一度御世話になると云ふやうなことになるかも知れませぬで甚だ或は申兼ねたことかも知れませぬけれども、併し其結果は或は皆様のお為めになるかも知れぬと考へまするので暫時其事を御話申します、其前に当りまして、先づ最初に御礼を申して置きたいのは前所長から御諮りしました事に付て、男爵は特に調査委員に御附し下すつて之を深く御研究下されましたことは、男爵は勿論、此調査に当られた委員の諸君も玆に御出と思ひますが、此御方々に対して深く御礼を申し上げます、其御答を得ましたことに付て、ちよつと経過を申上げますことは無益でないかと思ひまする、是は私の地方裁判所の方に於きましては、頂戴しましたるものを各部又区裁判所の方に廻しまして、各々之に対して意見を差出すやうに致してございます、然るに東京控訴院長は此事は単に東京のみに止らぬことであらうと御考へになりまして、先達て全国所長会同のございました際に、其管内の各所長に亦やはり書面を御廻しになりまして御諮問になりました、依て各所長もやはり吾々と同じやうな方法に依て、今頻りと調査をしつゝありまず、それで或は其意見の纏まりました上で直に御答の出来るものがあるかも知れませぬし、或は又更に御相談を致した方が宜いといふこともあるかも知れませぬ、けれどもそれは後日のことでございます、其御書面を頂戴しました中でちよと今晩申上げやうと思ひましたことは、其事柄は誠に小さいやうに思ひますけれども、其御希望を達するには誠に困難な問題であると私は考へます、それで困難を取去つて行くことに至るやう何か好き御考があるならばお教へを請ふた方が宜からうと考へます、それで誠に是は容易な問題のやうにありまして既に書面の中にもさういふ風の事務を扱つて居る者に達しさへすれば直ぐに解るやうに文章上見えるやうでありますが、吾々から考へますと中々さうでございませぬで、余程難問と思ひます、依て其難問たる経過からちよツと御話した方が宜からうと思つて御話を致します
 - 第6巻 p.650 -ページ画像 
それは外のことでもございませぬ、あの書面の登記事務と云ふ中の第四に書いてこざいました不動産の登記に関する価格問題、一体此問題は決して今日に始まつた問題ではありませぬのでございます、以前戸長役場と云ふあたりで、単に書入れとか質入とか或は売買といふやうなものを公証として扱つて居ります時分には、是は無税で扱つて居りました、或は役場に依りましては少しの手数料を取つた位の所はあつたかも知れませぬけれども、兎も角も税としては取りませぬ、税を取りますやうになりましたのは、明治十九年の八月の法律第一号と云ふもので始めて登記と云ふことになりまして、夫から戸長役場の手を離れるやうになりました、其十九年の法律に依りまして登記を以て或る権利の得喪変更を確実にすると同時に、登記と云ふ方法を以て一種の国庫財源としたのであります、即ち登記官吏は一の公証役人であると同時に、又一種の徴税官となつたのであります、夫でありますからして、矢張り徴税官たるの義務を尽さねばならぬ位置に立つたのであります、即ち徴税官―貢取である、貢取と云ふのは兎角昔から人より善く言はれない役目で甚だ可哀さうな役目であるといふことはちよツと御記憶を願つて置きたい事項であると思ひます、其明治十九年の法律では此徴税率をどう云ふ風に定めて置いたかといふと、第二十五条に於て外のものは別に致しまして、課税標準と云ふものは売買の代価に依ると云ふことに致しました、取引をした売買の代価に依つて税を課すると云ふことになりました、夫は五円未満のものは五銭、十円未満のものは十銭、段々上になると重くなりまして、五千円以上一万円迄は十二円、其上は五千円を増す毎に二円を増すと云ふやうな風に定めた、夫から其次の二十六条に行きまして、譲渡に付いては『時価相当の価格を定め前条に掲ぐる金額の区別に従ひ登記料を納むべし』と云ふ風に書いてあります、此法律の下に徴税がどういふ風に行はれて行つたかと云ふことを云ふて見ると、売買代価を偽はると云ふことが行はれ始めた、売買代価のことでありますからして、当事者からして何と仰ツしやつても確に此金を以て売買したのでありますと言へば実は夫切りの問題になるのが多い、なかなか登記官から決して売買の代価はそんなものではないと云ふ反証の挙げやうはなかつたのであります、此売買代価を偽はると云ふやうなことは、夫は私は決して架空に申上げるのではございませぬ、現に吾々が裁判官として事務を取扱ひます中に、当事者がどうしても真の代価を言はねばならぬと云ふ「ハメ」に陥つて内約証書と云ふものを裁判所に提出することは是は一再に止まらぬのであります、即ち表向き登記を受ける時分の証文には例へば百円と書いてありましても内約証を見ると二百円と書いてあるものが裁判所に屡々現はれたのであります、是は啻に裁判官のみが知つて居る事実ではあるまいと思ひます、弁護士中にも或は当事者から御聴きになり或は法廷に現れるといふことから御存じの方は沢山あらうと思ひます、若し此法律の行はれた頃の一体不動産の売買代価と云ふものはどの位であつたかといふことを、今日から登記の書類だけに就て御調査になつたならば、一体あの時代にはどうして斯う不動産が安かつたらうかといふ御感じが起るだらうと私は信じます、必ずさう云
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ふ御観念が起るだらうと思ふ、併しながら登記官の方では売買代価を見ればそれで宜しいのでありましたからして、登記官から見れば誠に世話がない、其頃は証文に書いてある売買代価に依つて税を幾らと積れば宜かツたのでありますから、徴税官・登記官から見れば其点は大層楽でありました、併し此時に於ても曩に言ひました通り、譲与に付ては矢張困つたので、即ち『時価相当の価格を定め』と云ふことでありました、夫れのみならず、其法律の第三十二条に行つて『屈出でたる価格を不相当と認める時は――其価格を評定せしむべし』、斯う云ふ条項がございます、即ち相当か不相当か当不当を定めなければならぬ、私は今からちよツと十二年許前に所長と云ふ役に就きましてさうして管轄内の区裁判所又は出張所を巡視致しました、其時からして此問題は甚だいやな問題であると感じました、と云ふのは登記官と申請人との間の問答を聴いて居りますると誠にいやな感じが致します、登記官曰く『此田地は上田ではないか、お前の隣の何番地は中田であるのに此位の売買が出来て居る、お前のは上田であるのにそんな筈はない』と云ふやうなことを言ふ。申請者の方では『イヤそれは成程上田ではございましたが其後南の方に木が茂つて日蔭になつて此頃は上田ではこざいませぬ』、登記官吏曰く『イヤそんな筈はない』申請者曰く『いやさうではございませぬ』、左様な論は何度でもしなければならぬというやうな按排で、夫で其事は甚だ好ましくないのみならず、或る弊害の伏在する所であると存じましたから、管内を巡回致しまして大臣へ報告を致す其報告中にも、其事を私は記載致しまして、何とか良法を設けられねば行くまいといふことを書加へました、且つ私一個の意見と致しましては、其改正の法としては、地価と云ふものを修正して其地価を課税の標準とするのが一番うるさくない、と云ふことを申しました、併しながら其地価修正と云ふことは莫大の費用の掛ることで、其費用の為めでありますか外に理由が存するか存じませぬが此事はまだ出来ませぬのでございます、夫で其次に発布になりました法律が明治二十九年の第二十七号と云ふ法律であります、是は登録税法――十年前の法律には登記法の中に其税のことが書いてございましたが、今度は登記料の部分だけを引抜きまして此税法の中に規定しました、其税法に依りますと、第二条の規定に依つて、売買でも譲与でもどちらでも、不動産価格と云ふことが課税標準になつてしまひました、是は今日行はれて居る所でありまして皆さんも御存じのことゝ思ひますけれども、家督相続に付ては法定の家督相続に付ては其価格の千分の七、其他の相続に付いては千分の十五、売買では千分の二十五一番高い税が千分の四十、是は人から唯不動産を貰つた時――外の事は措きまして、斯う云ふ風になつて居りますから、今度は売買代価を標準にすると云ふことは不用になつて、何か特別の理由があつて安く売買が出来ましたのでございますと言つても、そんなことは一向此方で構はぬでも宜い、何しろ不動産の価格に依ればそれで宜しいのでございます、一方から考へれば脱税を防ぐ一方法を得たやうでありますけれども併しながら登記官の側から考へますと更に一層の苦難を増したのであります、なぜならば前には譲与の方だけで宜しかつたのが今
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度は譲与でも売買でも価格と云ふことを見なければならぬ、そこで此申請者の御迷惑と云ふことが御書面の中にも書いてありましたが余程是は迷惑と御感じになることゝ思ひます、併し此点は一言すればどう云ふことになるかといへば申請者の申告価格の信用不信用といふことに帰する、其面倒なごだごだしたことは何から来るかといへば唯申告価格が信用されるかされないかと云ふ問題に帰することゝ思ひます、其御希望の中にも、現に斯ういふ御言葉がありましたから抜いて置きましたが、『登記官吏は信用ある商人、会社、銀行等が真正の価格を以て申請するものと、不信用なる個人又は法人が虚偽の価格を以て申請するとに論なく、一般に価格の引上を逼らるゝが為めに申請者は云云』とある是れに依て見ましても、調査委員の方々も虚偽の価格を以て申請する者があるやうであるかも知れぬと云ふことは、暗に御認めになつて居るやうに読まれます、私も此の事は残念ながら不幸ながらどうも存在するのかと思ひます、中には信用の出来ない申請価格があると思ひます、と云ふものは私は斯ういふ言葉を能く聞きますのです
斯う云ふ地所があるが買はないか、此位の広さで斯う云ふ処にある、宜しい買ひませう、此位で売らないかと言へば売らんとする人曰く、登記相場ぢやあるまいしそんな安い値ぢや売れない、登記相場と云ふ言葉が一つ出来て居るやうであります、此言葉はどうも私は一度や二度聞いたのではございませぬ、是に由つて之を見ますれば、確かに登記を受けると云ふことに付いて一種の別の相場があるやうに見える、現に又其確証と云ふものが度々出ます、それでありますからして、登記官は、申告価格を何時も信用して居らるゝかと云ふと、どうも信用して居られぬといふ不幸に遭遇する、それではどうしたならば宜しいか、即ち信用すべきと信用すべからざるとを、どう云ふ風にして判断するか、例へば会社ならば信用して宜しい、斯う言へるかと言ひますと会社と言つても時に怪げなる会社なきにしもあらず、銀行なれば宜いかといふと、是も亦斯う云ふ席で申上げるのは如何か知れませぬけれども、決して此処に御列席の中にはさういふ銀行会社はありませぬが唯一個の金貸業に過ぎないやうな銀行もないではない、夫では何々会社・何々銀行といふものから申請になつた時に、調査に及ばずといふ訓命を吾々より下して宜いかと言ふと、是は私の一個の考として申しますと、それは監督官としては権限を超越したものであらうと考へる、夫までは監督官が口を出して言ふことは出来ないものであらうと思ひます、是が私の最も困難と思ふ所で、即ち困難な問題であると申上げた所以であります、監督官でも斯うすれば宜いと云ふ指図が誠に出来難い、夫で此問題は決して私独りが斯う困難して居ることではないと思ひます、或は全国の所長会議、或は控訴院管内の所長会議のありまする時に、此問題の出ますることは何度でございますか分りませぬ、殆ど会同毎に出ないことはない位に思ひます、斯う困ると云ふ問題の一体極く根本を尋ねて見ますると、登記を扱ふ登記官に不動産の価格を判定せしむるといふ材料が与へてないからだと思ひます、何に依つて価格を見たら宜いか、唯全く自分の頭だけで判断してやる、今日から言ひますと殆ど全く価格を調査するの材料は登記官に与へてな
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いと思ふ、イヤ是は故意に与へてないのではない、未だ旨い考が付かないのだと私は思ひます、で唯此極く近年でございます、明治三十七年の末のことでございましたが、東京控訴院管内の所長の会同のございました時に、一案を具しまして大臣へ建議致しましたが、夫は不動産価格調査材料と云ふ一つの方法でございます、併し此事もやはり多少の費用が要りますし且それは三十七年の末でございまして、まだ戦争最中であり、旁々是等のことも実は甚だ長い宿題でございましたが、御実行になることは出来なかつたことゝ思ひます、又必ず其方法が宜いか否やも、唯吾々の極めただけで分りませぬでございますが、併し其決議しました所の材料と云ふものゝ一端を、此東京控訴院管内の新潟地方裁判所の管内で一部分行ひました、まだ日は極く浅うございますが、先達て此大観兵式の頃に会同がございました際に、新潟の所長から話を聴きますと、中々好成蹟であつたと云ふことを聴きました、夫故に私の考へますのには御希望を達するには此価格調査と云ふものの好材料を得て、虚偽の価格を申出でた者があるならば忽ちにして曝露してしまふ、真正の価格を申出でる方は一向迷惑しないと云ふことが、此難問を解く一法であると思ひます、夫に付ては、銀行では勿論抵当を取るとか何とかいふことに付いて、価格御調査といふことは始終あることだらうと思ひます、それで今夕の方々に伺ひましたら、此価格の調査と云ふ材料には大層好い何か材料でもありはしないか、若し夫がありましたらば吾々の苦んで居ることを何の苦もなく解くことが出来るかと思ひます、実は更に又問題を出しましたやうな訳で甚だ申訳もありませぬが、先刻申しました通り、若し夫を得ますれば即ち此御迷惑を去ることゝ思ひまするから、どうか是に付いて御考を願ひたいと思ひます、甚だ清聴を汚しました(拍手)
   ○志村勧業銀行副総裁の演説
今夕は司法部の名誉ある諸官の御来臨の席に列するの栄を得まして、誠に私も喜悦に堪えませぬで、諸君の驥尾に附して一言衷情を述べたいと考へます、吾々は御承知の通り日々利を図つて居りまする者でございます、今夕御来臨の諸賢は世の中の公平を持し、正理を図る所の重い職掌に居らるゝ諸君であります、従来聊か疎遠でありますやうな関係に了解致して居りましたが、併し私共窃に考へまする所では、此吾々の図りまする利と来賓諸閣下が常に取つて居らるゝ所の正理と云ふものゝ間には、蓋し密接なる関係があることゝ存じて居ります、吾吾の利益が若し公平正義と云ふものを離れましたならば、其利と云ふものは必ず不徳の利である、若くは不正の利であらうと思ひます、吾吾は今日の実業社会に於て利は図つて居りますが、不正の利と云ふものを図ると云ふ念頭は毛頭ございませぬ、常に利を図ると同時に正義のある所を探して居りたいと考へて居るのでございます、而して御来臨諸君に申上げまするも甚だ憚りますことでございまするが、若し正理と云ふものに利が伴はなかつたならば、果してそれで実利といへるものであらうか、或は空理と云ふことの謗を免かれぬではないかといふ私は疑念を有つて居ります、是に於て吾々の利と、来賓諸君の御執りになつて居る所の正理と云ふものと、密接なる関係がなければなら
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ぬと感じて居るのであります、従来若しも其関係が疎遠でありましたならば、今後愈々其関係を密着致しまして、どうか吾々の利の不正なるものに走らないやうに十分御教示を乞ひたいと考へます、先刻来段段司法大臣閣下並に地方裁判所長あたりからして色々御話を承りまして誠に感佩の至りに堪えませぬ、今後もどうぞ十分此関係を御継続下されまして御教示を賜はらんことを偏に希望致します、先刻此席で伺ひまするのに、独逸の帝国銀行の総裁は総裁になります前は区裁判所の判事であつて、而も今日に於ても法曹界に勢力を持つて居ると云ふことを伺ひまして、私は深く感じました次第でございます、吾々は入つて司法官になることは今日の法制上出来ませぬし、亦夫れだけの技倆もございませぬ、又なれと言はれても些と困るけれども――併しながら来賓諸君はどうぞ実業社会に御這入りにならぬにしても、御這入りになつたと同じ御感触を持ちまして、始終吾々を能く御導き下されまして、不正の利に走らぬやうに益々両者の関係を密接に御図り下さることを希望致します、喜悦の余り一言衷情を述べ、併せて希望を申述べて置きます(拍手)
   ○長谷川控訴院長の演説
唯今渋沢会長其他の諸君より私に何かお話するやうにと云ふことでありまするが、尚御注文の中に白洲で以て話をするやうなことでなくして、ヤハリ宴会的に話せと云ふ御希望でありますが之は私に取つては甚だ不得手な方でありまして、宴会に於てお話して諸君の清聴を汚すやうなことは迚も出来ない事であります、併し今日は珍らしい会でありまするだけ、私の平生御交際申さぬ方々が沢山ありますからして、此処に立て諸君の御見知を願ふと云ふことも、私に取て一つの仕合せであります
元来私共は久しく社会の一隅に閉居し、世と相遠ざかつた如く、恰も諸君と吾々との間に障壁を設け、溝渠を鑿つたやうな有様でありましたが、今日は如何なる幸か、諸君の御厚意に依つて互に杯酒の間にお話する機会を得ましたから、将来に於ては右の溝渠を埋め、障壁を毀つ階梯になることゝ考へます、ソコでお話するのは先以てヤハリ登記法の問題と致します、登記に就ては現登記法実施の草創に於て、諸方で大層登記事務が淹滞する、斯う云ふ有様では吾々の希望する権利義務証明の世話が行届かぬ、何か方法を変へて貰はなければならぬ、と云ふ議論が諸所方々に起つた、実は無理な話でありまして、我登記法は欧羅巴、就中独逸に行はれて居る同法を手本として作つた者でありますから、直に之を日本に運転して行かうと云ふことは随分困難であります、殊に御承知の如く、欧羅巴の土地は其所有地域が広いから従て筆数も少ないのでありますが、日本の各地域は之に反して甚だ小さい、千円か二千円の金を借るに就ても数十筆若くは数百筆を抵当にしなければならぬ、夫等の為めに非常に手数が掛る、其小さい一例を挙ますると、滑稽のやうでありまするが、或る地方で土地台帳と実地と合せて見た所でどうしても一筆土地が足りない、何処に在るかと云つて探したが見へない、最後に一枚の蓆を捲つた所が、其下から一筆出たと云ふやうな談があります、左様なものを一々字は何である、番号
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は何である、坪類は幾何と云つて、大きな地面と同一の取扱をしなければならぬのでありますから、詰り欧羅巴などで為す事に比すれば非常に時間を費すと云ふことは、御承知を願はねばならぬ一であると考へます
所が、今云ふ通り、登記事務が遅滞する遅滞すると云ふ非難が方々で喧ましく聞へた者でありますから、時の司法大臣が或る二三の所長に向つて言はれるには、某裁判所に於ては登記が早く出来るといふ事で其管内に限りて一も苦情がない、どうかお前達も其裁判所に行つて、如何なる方法に依て左様に早く出来るのか研究して貰ひたい、ソコで所長が行つて聞いて見ました所が、ヤ私の方とても神ぢやなしさう早く出来る筈はないが、此沢山な土地を一々帳面に附けて居つては暇が掛るから、先づ当時者の出した申請書を裁判所の帳薄と照合して、間違がなかつたら直に登記済証を渡し後に緩々帳簿に記載する、さうすると当事者は早く登記済証を持て返れるから苦情がないのだと云ふ話があつたそうであります、如此き事は諸君が御満足なされるかどうか決して御満足出来ぬ事と考へます、若し登記の掛官殊に出張所の登記官吏は如何なる身分であるかをお話し申したならば、如何程信用すべき価値であるか否、此の如き便法を行ふてよいかどうだか、と云ふ事がお分りにならうと思ひますが、今は余り細かに申し上る場合でないと思ひます、兎に角国家が此等官吏に対する待遇上より見たなれば、今の登記官吏は如何なる学識才能を有して居る《(か脱カ)》と云ふことがお分りであらう、之を要するに唯今の処では、是等の官吏には必ず定規を与へ雛形を与へて、此定規と雛形には分厘も背いてはならぬ、自分の頭で好い加減に便利を謀つてはいかぬと云ふことを吩附て置く事が極めて必要であります、そうしないと如何なる事に至るかも知れないと思ひます、現に或る登記所に於て便利主義を行ふた結果大なる迷惑をした実例もあります、世間では常に登記官吏は気が利かない、モウ少し斯うもしさうなものだ、あゝもしさうなものだ、一々雛形の通りでなければ採用しないのは常識に反して居る、などと言はれまして、一応御尤ではありますが、之は所謂程度問題で中々六づかしいものでございます、勿論設令文字《(仮)》が違つても意味が同一なら採用すると云ふが如く其他成るべく迷惑を掛けぬよう、我々に於て精々注意は致しまするが現に其局に当つて居る者は如何の者であるか、夫等の辺を予て御承知置れまして、どうか諸君が十分御信任あるやうな人物を多く得る事が出来るやうにお謀りを願ひたいと思ひます、蓋し是等の事も御話申置たならば、吾々の為す事に就て多少恕すべき点があると云ふお考へも浮ばねばならぬと考へます
次に訴訟は成べく早く終結して、直接に当事者に満足を与へ、間接に国家経済上の利益を図らなければならぬことは申す迄もない、殊に先達て戦後経済調査委員長として渋沢会長より東京地方裁判所長にお送りになつた御廻答書中に於ても、商事訴訟は成べく早くやつて貰ひたいと云ふ御希望がありました、私も大に御同意致す所であります、然るに玆に吾々が如何に早く結末を付けやうと思ふても、法律上出来ない事があります、現に今日東京控訴院に民事の事件で十一年何箇月殆
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ど十二年に渉つて未だ終結しないものがあり、其他十年以上が余程あります、唯表面から御覧になれば、裁判所はひどい、裁判所は何をして居るか、とお考へになるでありませう、所が民事の訴訟に就ては、裁判所は干渉しない所謂不干渉主義を以て法律が出来て居りますから、当事者が一旦訴訟を起しても夫を継続すれば直ちに裁判するが、当事者が抛擲して置く以上は裁判所が自ら喚出して調べることは致さぬ方針であります、其法律の良否は別問題でありますが、私は敢て悪い法律ではあるまいと思ふ、何故ならば訴訟を提起して裁判を仰ぐ、然るにもう裁判の必要を認めぬと思ふから抛擲して置く、夫を何故早く終結しないかと言つて世話を焼く必要はない、又漫然捨置くのではなくて、原被の合意で延期の請求をする、其場合は今の理屈に依て裁判所は幾十幾百回も許可せねばならぬ、決して拒むことは出来ないのであります、而してどういふ工合に延期を請求するかと云ふと訴訟本人に於て恐らく知らない者があらうと思はれる、何故なれば其書面に何が書てあるかと云ふと、訴訟代理人が病気に就き、若くは他の事件にて差支へるから、若くは大阪に出張するから延期を願ふとありますそうして之は流行る弁護士に限つて多いやうに考へます、多分無関係のお方は御承知ありますまいが、延期の為め裁判官の迷惑することは非常なものです、一昨年の統計に依ると東京控訴院にて審問の為めに呼出期日を定めた件数が凡そ六千余、其内訟延を開く事の出来ないものが二千九百余、殆ど半数であります、又昨年の統計を取て見ても五千六百余、其中二千五六百の事件しか調べて居りませぬ、そこで裁判所は左様に沢山呼で置き乍ら何故調べないかと云ふと、前に言ふ通り延期の請求或は黙つて抛擲して置く、夫故に裁判官は折角調べやうと思つても調べる事が出来ない、凡そ調べる前には其準備に掛る、而して今申す様な工合ですから、十件調べ様と思へば二十件の書類を一々調べなければらぬ、二十件の書類審査は随分難い、さうして夫が十件しか役に立たぬ、而も書類を調べた翌日とか又は其近日開廷する事が出来るなら記憶に存して居るが、裁判所は訴訟の進行を謀り、常に新訴訟が出ると直に期日を定め、之が為め一箇月若くは訴訟の多い時は二箇月三箇月以上の日を塞いでありますから、延期した事件の期日は余程後れます、故に裁判官は延期されたる毎に何遍でも新に書類を調べねばならぬと云ふ結果になる、故に裁判官の身に取つては甚だ迷惑致します、右様の事もあり、其他種々の関係もありますから、訴訟本人のお方に於て何故に吾々が出した訴訟が淹滞するかと云ふ御疑の有た時には、何卒其監督官即ち各裁判所の長なり又は直に私でも宜うございますから、御尋ね下さるように願ひます、東京控訴院長の監督する地方裁判所は一府十県に渉り、其下に多数の区裁判所がありますが此等裁判所の淹滞事件に付此理由をお尋ね下さつたなら、仮令諸君を満足せしむることが出来ないでも或は以て慰むるに足るべき答弁が出来やうと考へます
夫からもう一つお話しようと思ふのは、証人の事であります、証人は勿論一面から論ずれば国民の権利であり、又た一面は大なる義務であります、恰も兵役の義務に異なることがありませぬ、然るに兎角其証
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人になることを厭ふて、どうかして証人に出たくないと云ふ者が多くある、併しながら之は幸に法律上出ない時には拘引すると云ふ大なる権力を有して居りますから、出ない事は出来ませぬ、所が出廷した上で如何なる事を云ふかと云ひますと、原告の為にもならず被告の為にもならず、寄らず触らずの申し立をする事が沢山ある、御承知の通り欧羅巴では偽証に付ては法律上の制裁の外に宗教上の制裁がありますが、如何にせん日本には法律の制裁しかありませぬ、而して其法律の制裁を加ふる事が出来るかどうかと云ふに中々六づかしい、なぜなれば容易に偽証の証として挙がる者ではありませぬ、一例を申すと、或一の偽証罪に就て大変刑が軽いのがありましたから、何故斯う刑を軽くするかと尋ねて見ましたら、迚もさう重く罰する訳にはいかぬ、何ぜなれば偽証するのは殆ど常だ、其れを偶々つかまつた為に罰せらるのだから此人のみ重く罰する訳にはいかぬからと云ふ話があります、実に大きく云へば証人は十の七八迄は虚偽の申立を為すものと、日本の裁判官の頭に感じて居ると申て宜ろしい位です、どうか国民たる者は証人として呼ばれたら恰も兵役に就くかの如く喜んで出て、尚ほ知つた事があつたならば志願兵となるが如く自ら進んで裁判所に出て、之は斯く斯く之は斯く斯くなりと判然と証言するようになつて貰ひたい者です、抑も裁判は民事刑事を問はず一に証拠に拠る、而して証人は証拠中の重なる者である、故に証言が曖昧であれは如何に正当の裁判をしやうと思つても出来ない、其結果権利者は為めに権利を伸ること能はす、従て義務者は義務を免かれ、悪人は罰せられずして善人が刑せらるゝと云ふことが無いとも言へませぬ、畢竟不当の裁判をするのは吾々の不明の致す所でありませうけれども、どうか証人は真実を吐露して出来るだけ正当の事を証言するやうに致したいと思ひます
以上は吾々裁判官の側から見たる所のお話故、どうか諸君の方からの御観察を以て我々に御注意あらんことを願ひます、尚申したいことは幾らもありまするが、今夕は此で止め置きまして、更に諸君にお目に懸つて緩々お話する機会もございませうと存じます
○横田検事総長の演説
今晩は私から余り色々なことは申上げませぬ、酒も美なり肴も美なり、酒は美なり肴は美なりと言ふよりも尚ほ私は愉快を感じまするのは、先づ今晩の会合に於きましては、日本開闢以来に無い所の元素も発見することが出来るやうな場合でございまする、其分子よりして又花が咲き実も生るでございませう、少しく審美的の語を以て言ひますれば、和気洋々とか異香馥郁とか蝶は舞ふとか鶯は囀るとか云ふやうな此一小天地に時ならぬ春を買ふことを得たと云ふことは、全く諸君の御蔭である、此事に付いては別に精しく申しませぬでも、感情を以て諸君に厚く御礼を申上げたい積りでございます
今是より少し申上げたいのは此日露戦争でございます、此日露戦争は精しく申すにも及ばず是は日本の運命を定めたと言つて宜しいでございませう、私は決してて海陸軍人の功を減ずるとか何とかさう云ふ意味は少しもございませぬ、ござりませぬ所ではない、従前は軍備拡張とかいふ方の私は熱心な者でありましたが、職務も職務でござります
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るし、夫等の事も余り公然とは論じたことはござりませぬが、併しながら何時も其事柄と云ふものは心裡に往復致して居りました、又近年支那の戦争にも勝ち、露西亜の戦争にも勝ちましたのは、無論海陸軍の功でござりませうが、日本は必ずしも私は海陸軍許でもあるまいと思ひまする、唯だ陸海軍だけが進歩して外は一も進歩せぬ、それでは往かれるものではあるまいと思ひまする、それで此陸海軍のすることは勝負が早く分る、一遍やつて見れば分る、丁度相撲を取るやうな理屈で強いか弱いか取つて見れば直ぐ分る、が外の事はなかなかさうは往きませぬ、私は殊に諸君に対して謝さねばならぬのは、此実業社会のことでござりまする、是に付て諸君も御承知の通り独逸のモルトケ将軍の語を一つ引いて申します、此人の言ふたことに、戦をするに要用なものが三つある、それは第一何かと言ふに金である、第二は何であるかといふと金である、第三は何であるかといふと金である、斯う云ふことをモルトケ将軍は言はれたと云ふことである、それで是から推しますると、此金を造つた即ち軍費を造つたといふことに付いては私は非常の功のあることではないかと思ふ、それからして見ると、私は此処にござる渋沢男爵の如き従前よりして日本の経済界をして今日の位置に進め此大功を奏せしめたるは、決して東郷大将とか或は又乃木大将とか云ふ大将の軍功にも劣らないことであると私は思ひまする、それで夫は決して男爵一人ではございませぬ、諸君も皆其通りであらうと考へます、是に付て私は今晩の謝辞と共に併せて謝したいと思ふて居るのであります
私はもう一つ妙な希望を持つて居りまするのでございます、其事を一つ申上げたい、それは何であるかといふと、何れ諸君は横田が気狂のやうな事を言ふと思召すでありませう、私は宗教界の改良論を書きまして、其時分に、どうも今の人は皆銘々に見て、イヤあれが何か、誰が何か、斯う云ふけれども、兎も角も此日本と云ふものは歴史上にない所の非常な速かなる、何と言ふて宜しいか、文明と言つて宜いか、まあ改革をされた国である、さうして見ると、それに誰がしたか、此今の人がしたに相違ない、さうすると其名誉と云ふものは皆平生、イヤあんな詰らない者は仕方がないとか何とか言ふけれども、誰かゞ担はねばならぬものである、それに依て日露戦争が出来ました、所で今果して東郷大将とか乃木大将とか実に世界を驚かした、今までは、ナニ何だとか斯んだとか言つて居つたか知らぬけれども、今日では世界を驚かしたに相違ない、さうして見ると満更何あれがといふ訳には行かぬ、斯る明天子の為めに此進歩といふものは得たものでございますが、此明天子の出られた時代と云ふものは必ず其明天子の感化を受けてえらい人が沢山出ねばならぬ、所で惜いことは宗教家には一つも出ぬ、どう云ふ訳であらうか、出さうなものであると斯ういふことを言ひました、それを申しますると云ふのは、何でも大概は揃ふてあるやうに思はれます、所がどうも宗教家に余りえらい人を見ない、之をなぜそんなに欲しがるかと云ふに、どうも人道の上に於て甚ださう云ふ人がなくてはならぬ、なぜなくてはならぬかと云ふと、御承知の通り日本で是まで尊敬して居つた所の漢学とか何とか云ふものは廃れてし
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まい、又欧羅巴流義の道徳と云ふものも這入つて来ず、まあ言ふて見ると皆中ぶらりんに居るやうな模様に見えまする、それで私はどうぞして道徳の方の人が欲しいと思ふて書きましたし、又必ず出やしまいかと斯う思ひました、それよりして随分此宗教問題も流行りました、今でも流行りつゝあります、尚是から先き流行るでございませう、私は実はさうして人を励ます為めに、宗教家は何だなぜ憤発せぬかと云ふやうな風にも言ふて見ましたが、能く考へると、今日私はえらい宗教家は出ぬと思ひます、丁度今宗教家にえらい人を待つのは恰も猶太人が済世主を待つやうなもので、出るか出ぬか先のことは解らぬけれども、私は恐くは出まいと思ふ、なぜ出ないかと云ふに、大変六づかしいことである、其六づかしいのは何故かと云ふに、唯ちよツと言ひましても、此宗教家と云ふものは先づ第一に学問は無論であるが、品行と云ふものが夫れに伴はなければならぬ、此学問の方はまだしも出来るか知らぬが、品行が連合はない、又学問も中々今までのやうなことで間に合ふものではない、斯う申せばひどいことを言ふやうであるけれども、親鸞や日蓮が今出て来た所が、一向私はそれだけ尊敬する人にならぬかも知れぬと思ふ、それはえらい人だからえらい事だけはするかも知れぬけれども、今の人から見たならばあの人等があの時代に出たやうなことはあるまいと私は思ふ、それ所ではない、或は釈迦が出て来ても、耶蘇が出て来ても、唯あの流義では行くまいと思ひます、それ等のことを精しく論ずるのは今晩の主意ではございませぬから申しませぬが、さうした折にはどうすれば宜いか、さういふ人を待つた所が仕方がない、出るにした所が何時と云ふ当がない、且又今日では昔のやうな簡単に唯人に物を呉れさへすれば、それで慈悲とか何とかさう云ふことばかりで簡単に済む世の中ではない、商人には商人の徳義があり、官吏には官吏の徳義があり、其他軍人もあるし何もありますが、皆守る所に付て其部分々々の差別がなくてはなりませぬ、それで私は是はどうも今から大変なえらい者が出て来る、宗教家にえらい者が出て来る、道徳家にえらい者が出て来ると待つよりも、是は其部其部で一つ有志者が寄つて、丁度美人の絵を書くに大変な美人を求めやうと思ふても、其美人と云ふものはそんなにあるものではない、それだから隣のお金の眉は立派な眉である、眉を一つ書く、それから芸者のお半の鼻は立派だから鼻はそれにしやう、と云ふやうな風に色々なものから集め、さうして此美人を造り立てた方が一番「モデル」には宜からうと考へる、丁度それと同じことで、今日実業社会に於ては、玆に御出でる渋沢男爵の如き、又諸君の如き、どうも今の商人と云ふものは斯う云ふ徳義を守らねばならぬ、斯う云ふ風にしてやらねばならぬ、己は一つ「モデル」になつてやらう、斯う云ふ御考になつて欲しい、又司法官社会でも其通り、弁護士社会も其通り、何処も彼処も其通り、それが出来るか出来ぬかと云ふたら、私は出来さうなものと思ふ、先づ夫は其望のない人は一人だけを正しくして居つても宜しうございますけれども、最早人が地位が進んで来るに従つて、自分で許り例へば渋沢男爵唯御自分だけ金を儲けてぢツとして居れば宜いとさういふ風になれるものではない、世間の人も許さぬ、それで
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どうか私は各社会の一部に於て有志者は必ず己が一つ此一部の孔子にならうとか釈迦にならうとか云ふ考でやる、さうして必ず其一部ぎりでは済まぬから、交通上矢張どうも己が所では是だけでは済まぬからして、是は今の法律の方にも又は教育の方にも又は其他にもどうか斯ういふやうにして貰はねばならぬとか云ふやうな風になつて、それが合するといふことが出来ぬことであらうか、斯ういう考を近来持つたのであります、先づ今晩各諸君の御蔭で会同致しまするといふことも幾分か其型ではあるまいかと私は密かに喜んで居ります、今晩は唯諸君も御承知の通り、何でも話して見よと云ふのでありますから、私も唯ちよツと其事に付きまして、諸君の御意見を伺ひたいと思ひまして一言申述べたのであります(拍手)



〔参考〕中外商業新報 第七三三六号〔明治三九年五月一八日〕 法相と渋沢男の会見(DK060169k-0004)
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中外商業新報 第七三三六号〔明治三九年五月一八日〕
    法相と渋沢男の会見
曩に渋沢男爵等より、東京交換所の調査に係る司法と実業の疎通に関する事項を列挙したる長文の書類を司法省に提出し、当局の参考に供したるが、松田法相は右の件に付十七日午後三時より官邸に於て会見せんことを渋沢男まで通牒あり、同男は十五銀行支配人成瀬正恭・二十銀行の支配人山口荘吉の両氏と官邸に赴き、大臣・次官と長時間の会見をなしたり、尚近日実業家諸氏と司法大臣・次官・民刑局長・大審院長・控訴院長・地方裁判所長等と会見し懇談する筈なるが、其場所日時等は追て定むる筈
   ○栄一ガ司法機関ト実業界ノ疏通問題ニ関シ司法当局ト交渉ヲ生ゼシ経緯ニツイテハ、本章第二節第二款東京手形交換所明治三十八年十一月七日ノ項(第七巻)参照。