デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第7巻 p.16-28(DK070003k) ページ画像

明治40年2月20日(1907年)

銀行倶楽部第五十七回晩餐会開カレ来賓トシテ総督府総務長官鶴原定吉、韓国財政顧問目賀田種太郎等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK070003k-0001)
第7巻 p.16 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年
二月二十日
銀行倶楽部ニ抵リ晩飧会ニ出席ス、稲垣・鶴原・目賀田・内田・熊谷ノ諸氏来会ス、最終ニ於テ一場ノ挨拶ヲ為シ、夜十時散会ス


銀行通信録 第四三巻第二五七号・第三八一頁〔明治四〇年三月一五日〕 銀行倶楽部第五十七回晩餐会(DK070003k-0002)
第7巻 p.16-17 ページ画像

銀行通信録  第四三巻第二五七号・第三八一頁〔明治四〇年三月一五日〕
    ○銀行倶楽部第五十七回晩餐会
銀行倶楽部にては二月二十日午後五時三十分より、鶴原統監府総務長官、目賀田韓国財政顧問、熊谷樺太民政長官、祝台湾民政長官、石塚関東民政長官、加藤白耳義公使、稲垣西班牙公使、内田伯剌西爾公使、伊集院倫敦領事、志村勧業銀行副総裁等を招待して第五十七回会員晩餐会を開きしに、石塚、加藤、伊集院、志村四氏を除くの外何れも出席あり、会食後早川新任委員長の挨拶に引続き来賓稲垣、鶴原、目賀
 - 第7巻 p.17 -ページ画像 
田、内田、熊谷五氏及渋沢前任委員長の演説、若くは挨拶あり、夫より席を別室に移し、一同歓談の上午後九時三十分散会せり


銀行通信録 第四三巻第二五八号・第五一三―五二四頁〔明治四〇年四月一五日〕 銀行倶楽部第五十七回晩餐会演説 (二月二十日)(DK070003k-0003)
第7巻 p.17-28 ページ画像

銀行通信録  第四三巻第二五八号・第五一三―五二四頁〔明治四〇年四月一五日〕
  ○銀行倶楽部第五十七回晩餐会演説 (二月二十日)
    ○早川委員長の挨拶
諸君、私は玆に今晩の来賓諸君の為めに御健康を祝すことは非常なる光栄と存じます、且大に愉快とする所であります、殊に今晩は私が前委員長渋沢男爵の後を継ぎまして、此座長の席を汚しました所の第一回の晩餐会でありますが、来賓諸君が御多忙をも顧みられず御差繰下さいまして御来臨下さいましたのは深く感謝する所でございます、殊に又会員諸君も斯く多数御集まり下さいましたのは吾々委員に於て大に満足しまする次第でございます
今晩御案内を申上げました御方の中で祝台湾民政長官、石塚関東都督府民政長官、加藤公使――拠どころない御差支で御出席を得ませぬでございました、志村勧業銀行副総裁は御不幸がありまして御出席を得ませなかつたのでございます、又伊集院君は今朝英国へ御出発になりまして是等の諸君の御出席を得ませなかつたのは甚だ遺憾ではございますが、併しながら稲垣公使、鶴原統監府総務長官、目賀田財務顧問、内田公使並に樺太民政長官熊谷君の御出席を得まして親しく御話を伺ふことを得ますのは誠に幸でございます、稲垣君は御承知の通り前後十数年の間暹羅に御出になりまして、元と日本とは左まで経済上の関係は密接でなかつた暹羅と日本と余程密接なる経済上の関係を作ることに至りましたのは段々承りまするといふと稲垣君が同国に公使たる前後十数年の間に於て御計画になつた所の結果であると云ふことを承つて居ります、然るに今度は欧羅巴の旧国たる西班牙に御出になりますが、今日までは西班牙は余り経済上に於て我国と直接の関係はなかつたやうに思ひまする、多少はありませうが大なる関係といふものはなかつたやうに考へます、併しながら一旦稲垣公使が御赴任になれば又大に是等のことに就て御注意になりまして、必ず経済上自然に親密なる関係を結ぶことになるであらうかと考へます、必ずや稲垣君が西班牙へ御出になるに就ては、啻に経済上のみならず外交上其他の点に就て大なる御抱負があるぢやらうと考へます、今晩は即ち吾々同業者の寄合でありまして、外交上のことには余り熟しませぬが、併しながら御抱負のあらせらるゝ一斑なりとも伺ふことを得ますれば非常に光栄且つ幸福と存じます、又鶴原総務長官は伊藤統監を助けられて日韓協約に基く所の事業を御計画になつて居るやうに考へて居りますが、抑々吾々が日露戦争以来巨額なる軍資供給に就て多少尽す所あり、又国民が非常なる心血を濺ぎて得た所の結果といふものは即ち韓国であります、韓国に対する勢力範囲の拡張であると考へます、其統監たる伊藤侯を助けらるゝ所の総務長官たる鶴原君に於ては、必ずや吾々に向つて色々御話下さることもあらうと思ひまする、依つて今晩は演説はせぬといふことを伺つて居りましたが、今朝でありましたか伺ひまするといふと衆議院の委員会に於て段々韓国に於ける所の施政の方針
 - 第7巻 p.18 -ページ画像 
を御話になつたやうに思ひます、どうぞ吾々にも幾分たりとも直接に御話下さることが出来ますれば非常に満足する所であります、目賀田君に至つては既に諸君御承知でありませうが、韓国の財務顧問として是まで非常に御尽力になりまして、既に貨幣の改正と云ひ税法の改正と云ひ其他財政整理上に於て著しき好果を収められたことを吾々承つて居りますが、どうぞ其辺の事も亦親しく御話を伺ふことを得れば非常に幸であります、内田君は多年紐育の総領事として我国と最も経済上重要なる関係を有つて居る所の紐育に於て吾々商工業者の為めに御尽力下さいました、然るに今度は伯刺西爾へ御赴任になる、其伯刺西爾と我国との関係に就ては吾々は精しく存じませぬが、併しながら段段北亜米利加の方に於て日本の為めに不利益の感情を抱くやうに承はります、南亜米利加の方に於ては必ずさういふ事はありますまいし、又無いやうに吾々は希望するのでありますが、其方向に向つて御赴任になりまする内田君に於ては必ず吾々の為めに御話下さる事柄といふものが十分あらうと思ひます、又熊谷君は即ち此戦争の結果に依つて得た所の樺太の民政長官として御出らるゝ以上は、是亦経済上如何なる有様にあるか、又吾々が商工業の上からして将来どういふ関係を持つであらうかといふ事に就ては色々な御話もあらうと考へます、斯く申しますといふと今晩は無闇に来賓諸君に対つて御話を希望する訳でありますが、抑々今日の我国の経済界の状況を考へて見ますると実に戦後非常なる発展を為さんとして居る際であります、既に成立つて居りまする所の事業は今後益々発達を図つて居りまする、又新たに興らんとする所の事業は実に夥しいものであります、此有様から見ますると云ふと或は大に杞憂を抱く人もあるやうでありますが、勿論其中には計画宜しきを得ず又其当局者其人を得ず或は資金の供給十分ならざるが為めに遂に成功せざるものも随分ありませうと察せられまする、併しながら大体に於ては益々是等の事業の興るが為めに我国の経済上の進歩といふものは著しいものであらうと思ひます、即ち益々勃興せんとする所の国民の本領を発輝しつゝあると私共は考へる、此有様に応ずる為めに吾々銀行家たるものは余程尽す所がなければなりますまいと思ひます、其場合に於て或は諸君の中には是から任地に御赴任になりまして、追々御抱負のある所を実行せらるゝ御方がありませう、其御抱負又戦後一時御帰朝なされたに就て従来の御経歴の事等の御話を伺ふことが出来ますれば非常に益する所があると思ひまする、で甚だ御馳走は粗末であるか知れませぬが、御話だけはどうぞ十分に承りたいと考へまするのであります
来賓諸君に対つての御挨拶は是までゝありますが、玆に私は委員会を代表致しまして前委員長渋沢男爵、並に常務委員たりし成瀬正恭、今村繁三両君の為めに御礼を申上げます、渋沢男爵には非常なる御多忙の御身であるに拘はらず銀行者として此倶楽部の委員並に委員長として非常に御尽力を下さいまして誠に吾々は相済まぬと思ふ位のこともありますが、必ず会のある毎には御出席を得まして又有益なる御話を承りましたでございます、之を助けられたる所の常務委員諸君に対しても亦其労は深く謝する所でございます、渋沢前委員長に対つては私
 - 第7巻 p.19 -ページ画像 
は尚御願を致して置きますが、私の為めに所謂後見補助をして下さると云ふことの御約束は必ず御履行下さるだらうと考へて居ります、又私は御覧の通りに甚だ饒舌ることは下手でございます、是からは私は極く簡単の御話を致しまするで、どうか御後見下さる上に於て是非御演説をなさると云ふことを併せて今から願つて置きます、是は私の希望で、感謝の意を表することは即ち委員会を代表致しまして申上げます、諸君、是から来賓諸君の健康を祝します (起立乾盃)
    ○稲垣公使の演説
早川委員長及諸君、今夕は私が新任地に参りまするに就て御鄭重の御招待を蒙りまして、殊に東京の各銀行の歴々の御方の前で御話を致しまするのは誠に恐縮でありまするし、其上に平日渋沢男爵との御話合にもどうも二人が立つと長く話を続けていかぬ、渋沢男爵はどうもおまへの話は長くていかぬ、私は又渋沢男爵の話が長くていかぬとせり合つたことがありますが、さういふ嫌ひがありまするのみならず、又今夕は鶴原君、目賀田君、内田君、熊谷君もあらせらるゝことでありますから、皆さまに御譲を致しまして唯僅かな時間を拝借致します積りであります、日露戦争中に私は外国に居りまして先づ局外から此大芝居を見ましたやうな姿でありますが、其際に最も感じましたのは今早川君からも申された通り、実業家諸君の軍費の補助に御尽力になつたといふことは先づ日本の目出たく勝ちました一の元素となつて居るに疑ひなからうといふ考を以て見て居りましたが、先づ日露戦争が世界の人心に最も適切なる教訓を下しましたものが一つありはしまいかといふ平素考を有つて居る、それは何かといふと二十世紀になりまして先づ科学の進歩したる結果武器弾薬の進歩は非常なもので、即ち大砲にしろ弾薬にしろ非常な巨額の金が要るといふことが一つ、其次には船舶の構造も太くなるし、又鉄道の利用も進み、即ち水陸運輸の進歩から吾々の想像の及ばぬ所の大兵を動かさなければ交戦上勝利を得ることが出来ない、二十世紀の戦争にも大局の勝を制するにはどうしても金力より外に無いといふことの考は、日露戦争が世界中に示した第一の教訓ではなからうかと思ひます、それで我軍事の当局者も他国と戦争をする時に、例へば日本が百万も兵を満洲に出すなどゝいふことは初めから予想も着いて居らなかつたらうし、露西亜に致しました所が満洲に斯くの如き大兵を出すといふことは予期しなかつたかも知れませぬ、是は畢竟科学の進歩、通運の進歩から来た結果で其結果は短時日の間に巨大の軍費を要するといふことは十分に世界に教へたものであらうと思ひます、それで其結果はどうしても外交上及交戦上には金がなければ到底勝を制することは出来ないといふ結果に立ち至つたものではなからうかといふことは、事実も示し、又少しく思慮のある人は此事は十分に解つたことであらうかと思ひます
又一方に大凡戦争を見ますると、大概私は三期に分れて居ると云ふ考を有つて居る、第一は兵器で撲き合ひまして――現に日本は撲き合で満洲で露国を打て立派な戦勝を得ましたのでございますが、独逸が仏蘭西と戦争をしました成り行きを見て見ますると矢張三段に別れて居る、第一は普仏の戦争で立派に勝ちましたが、其次は平和条約が出来
 - 第7巻 p.20 -ページ画像 
て兵を引上げてしまつて第二期に移ると、何の戦争があつたかといふと財政の戦争といふものが必ず兵器を以てする戦争の後に附いて来て居る、それで普仏の戦争の歴史を見ますると立派に兵器の戦争には勝つた、それが千八百七十八年――千八百八十九年には独逸はどういふことをしたかと見ますると、財政上の戦争に勝を制したビスマークが国有鉄道の案を出し、其次には外国貿易の方針として保護貿易案を千八百八十九年五月に議会に提出し、さうして外国貿易の所謂製造の原品を安く買ふて来て造り上げた品物を売る市場を開拓する、斯ふいふ所迄ビスマークの政策は一貫して仕事をしたものである、それで我国が日露兵器戦争で勝つて満洲から兵を引揚げ今日の所では第二期の所謂財政の戦争の時期の最中であらうと思ひます、即ち我邦の財政を整理するには外債を借替へ、或は貿易の政策を確定し進行するの謂ひにして、此戦争には勝ち得たる一国而已ならず其戦場には数箇国が敵として顕出します、それで今年の予算等を見ましても私などの見解では未だ財政の戦争中であると認めます、是から第三期に移るのであらうと思ふ、独逸では今日は第三期の戦争に勝つた頂上に届いて居りはせぬかと思ひます、第三期の戦争は何かと云ひますると、鉄砲で撲き合ひ財政で競ひ合つて勝利を占めて、其次に商工業の所謂実業の戦争を必ず経なければならぬ、此三期を経て始めて戦争の一貫した勝利といふものが得うるものではなからうかと思ふ、そこで我国は今日は第二期の戦争中であつて第三期戦争の点から見ますれば今用意最中の時代ではなからうかと思ひます、即ち今日斯く事業を皆さまが御起しになつて、さうして既に今日では新聞で見ますと十三億万以上の資本を掛ける丈け事業を御起しになる最中である、此用意をして愈々是から出来上つて商工業の戦争といふものに打勝つまで行かなければ日露戦争の結局といふものは着かぬと見て居ります、そこで皆さまが戦争は沢山金がなければ出来ぬ、金で以て最後の戦局は着くことを世界に御示しになつた其結果として日本の国も富まなければならぬ、戦後の経営として実業を発展させなければならぬといふことに御着眼になつて、第三期の戦争の御用意を今日御遣りになつて日本の島国を殆ど金で造るやうな御気込みに吾々は傍観して居ります、日本の水も金になる、水力電気を起して金にする――事に由ると水が氷になつて金にならぬといふこともありませう、何もかも金にするといふやうな計画に見えまする、或は一二成功しないのもありませうけれども、此御用意といふものは実にあるべきことであつて、さて此事業が起つて製造品が出来上つて所謂実業が発展をした時は是から所謂外国と商工業の戦争になつて、さうして是に打勝つ、即ち日露戦争の最後の戦争は日本の実業家が御遣りにならなくてはならぬことゝ思ひます、独逸などは丁度普仏の戦争に勝ち、それから財政上の戦争を七十九年前後に遣りまして、其次に商工業の戦争に打勝つてそれを悉皆成功して今日の独逸は世界第一等国中の最も強い国になつたといふのは漸く近年のことであつて、所謂普仏の戦争は果して独逸が勝つたことになつて居ります、それで皆様が第三期の戦争を御遣りになりますに就ては、前陳の如く各事業が起り尚此上も事業が起りませうが、是が出来上つた所何処へ
 - 第7巻 p.21 -ページ画像 
之を御売捌になるか、所謂日本の市場は何処にあるか、其市場を見付ましてさうして日本で生産した品物を売捌く市場を見付出し、即ち皆様の最後の戦争にお勝になるやうに致しまする役目を吾々がせなくてはならぬ、言葉を換へて申しますれば、仮令日本で工業が起り商業が発展しましてもどうしても我市場を十分に持たなければ今日の独逸が世界商工業の戦争に勝つたやうな結果は覚束ないと私は思ひます、私の此度赴任致しまするところは日本とは商業上の関係も今日までは少ないところである、十五世紀、十六世紀頃は日本と最も交通を盛に致した国でありましたけれども、今日では経済上の関係も余りありませぬ、併しながら先づ外交上其他のことはいざ知らず皆様の第三期の戦争で御勝になるだけの偵察とそれから皆様の御造りになつた品物をば向ふへ御売出しなさる所の市場を開拓する此二点に於ては私極力尽します積りであります、それで此第三期の皆様の御戦争が一番時日も長からうと思ひます、其敵も一二国ではありませぬ、独逸あたりが千八百七十八年に普仏と戦争を致しましたけれども最後の第三期の戦争に打勝つたのは漸くコヽ十年にならぬと私は見て居ります、それで皆様が今日御用意になつて居る第三期の戦争には東郷大将も出来るし乃木さんも出来るし黒木さんもお出になつて、さうして日露戦争の最後の戦争に全勝を得、今日の第一期の戦争で安んじないやうに第二期の財政の戦争にも勝ち第三期の商工業の戦争にも御勝ちになつて、然る後に日本が日露戦争に勝つたといふことの祝盃を挙げたいと考へます、それで今日は此辺で御免を蒙りますが既往のことを申しまするのは是は頭の禿げてからの話、どうしても若い者といふものは先へ先へと進むべきものでアトのことを云ふのは頭の禿げた後で宜い、早川君は私が先任地に於て成功したと申されたれども、私は暹羅等のことはお話しませぬ、是から先き何処まで行くか遣る所まで遣付けて偵察もし市場を開拓して皆様の商工業の戦争にお勝ちにならんことを希望致しまして、皆様の国家の為めに御尽力になり又皆様の御健康にあらんことを希望致します(拍手)
    ○鶴原総督府総務長官の演説
委員長並に諸君、今夕は御鄭重なる御招待を蒙りまして此盛宴に列することを得ましたのは、私身に取りまして誠に光栄、誠に愉快に感ずる所でございまして厚く御礼を申上げます、所で私に何かお話をするやうにといふ委員長の極く婉曲なる巧妙なる御命令でありましたが、是は私の最も困る所でございます、先頃西園寺首相が実業界の錚々たる方々を招かれましたる時に其御挨拶の中に「擅那寺食はせて置いて扨といひ」といふことがあるが、此西園寺の和尚ほ決して「扨」とは言はぬと云ふ御挨拶がありましたにも拘はらず、矢張渋沢男爵は十分の御挨拶もあつたやうに新聞で承つたのであります、所がどうも私の推測する所では鎌倉辺の擅那寺では余程「扨」といふ事が流行るものと見えて、其鎌倉出身の早川和尚が此銀行倶楽部の委員長になられたため今夕早速「扨」と御命令になつた様に私は感ずるのであります、所で私に何か話をせよといふことでありますが、即ち其話をせいといふことが韓国のことに就て話をせいといふことであつたやうに思ひま
 - 第7巻 p.22 -ページ画像 
す、所が皆様御承知の通り私は韓国に参つてまだまだ僅かに満一年の経験であります、其上に私の今日の職掌は「よろづ屋」で成程話の種は色々あるかも知れませぬ、けれども唯広く極く浅く知つて居るので之を一々お話した日には極めて味のない乾燥無味なことでありますから、諸君を玆に一同お睡らせするといふことに就ては極めて効能がありませう、けれども今日の御馳走で私に睡り薬の代理をせいといふのは少し酷いと思ひますから、是は今夕は御免を蒙りたいと思ひます、所で韓国の事とはいひながら今夕の主人側の方々は皆是れ経済界の牛耳を取つて居る方々でございますから、韓国の事といつても成るべく韓国の経済上の事情を御承知ありたいといふことでありませうと思ひます、それなればモウお誂ひ向、私の前に多年韓国の財政経済専門の目賀田君が御出でございますから、諸君の御望み通り喜んで韓国の経済事情のお話があらうと思ひます、さうすれば諸君はお睡りにならなくとも愉快に御参考になることをお聴きになるだらうと思ひます、私は今夕は口が無くて耳ばかりといふやうなわけです、此度再び韓国へ帰任を致しまするに就きましては、どうか十分に土産話を持つて行きたいと思ひます、所が今夕は幸に経済界の錚々たる方々のお揃ひであり、又欧米等より新智識を沢山持つてお帰りになつた所の方々もあり私の目的を達するにはモウ今夕は此上もない好機会でありますからどうか諸君の名論卓説を拝聴するの光栄を得たいと考へます、で御命令を受けながら甚だ済みませぬけれども今夕の御礼旁々一言の御挨拶を申上まして是で御免を蒙ります(拍手)
    ○目賀田韓国財務顧問の演説
委員長、今晩は色々難有うございます、私は実は戦役の最中に朝鮮に参りましたので多年参つて居つた訳ではないのです、誠に兄たり難く弟たり難しでどうあるか分らぬ(笑)、明治三十八年の韓国の歳計予算は七百五十万円でございましたが、本年の歳計予算は千三百万円でございまして其中九百五十六万円は経常歳出で、それからして三百六十万円は臨時歳出なのです、是に対する経常の歳入は今日は稍々確実の端緒を開いて来ました、臨時の歳出は二途の方法を以て支弁して居ります、一は予て彼の海関に於きまして設置し来りたる特別資金、一は興業銀行より借入れたる臨時借用金、之を以て色々港湾の改築若くは其他の臨時の費用に充てゝ居ります、今日の韓国の歳計は総て経常の歳出は経常の歳入を以て支弁する、又臨時事業と雖も其維持は経常の歳入を以て支弁して臨時の事業に要する金は借入金を以てすると云ふ方針になつて居りまして、今日韓国の中央に於ける財政の施設としては先づ予算の執行――此事に付きましては先づあゝ云ふ創業とも云ふべき際でありますから甚だしき困難を見ずして稍々確実に行はんとする場合であります、是れ即ち中央に於ての施設の一つであります、第二は会計法を執行すると云ふこと、是は先づあゝ云ふ国柄では困難なことでございまして随分内外の苦情にも出会はなければならぬので、埃及あたりに於きましても会計法の執行と云ふことに付ては非常の困難であつたが其結果は最も好成績を現はしたと云ふことであります、韓国に於てはそれ程の困難もございませぬが、今日は会計法を正則に
 - 第7巻 p.23 -ページ画像 
執行すと云ふことが第二に行はれて居るのであります、第三には会計検査の事務と云ふことであります、是は今日は彼の国の情況に顧みて特別の独立の機関はございませぬが、兎も角一の直接機関が玆に置かれて即ち審査判決を下すと云ふことになつて居ります
予算の執行、会計法の執行、会計検査の執行、此三つが先づ行はれますれば同国の政府の側の財政の整理としては概略行ふことが出来るのであつて、是に続いては金融機関の設置若くは金融機関の将来の進行の方法でありますが、是は妙なもので今日は先づ首尾克く進行しつゝあるやうでございます、是には二つの原因があると思ひます、一つには今迄完全なる金融機関が無かつた故に又一つには今迄非常な圧制のため人民は全く自身の力に依つて諸種の事を致して居たのを会々政府の法律に依り政府の命令に依り又政府から設けたる組織に依て此金融機関の開設を得たと云ふことの二つよりして滑かに運転するのかと存じます、元来韓国の金利は非常に高うございまして御話にならぬやうでありまするが、此金融機関の設置若くは進行と共に金利は非常に低下して来た、最初に於てはどうも兎角に新らしい銀行だとか倉庫だとか手形組合だとか云ふやうな機関を設けた所が、利息は幾許でございますと斯う云ふ質問が先づあつたのです、それで私が利息と云ふものは御前さん方のやうに高くはないと云ふて居つた所がそれでは不満足であると言つて初めは余りさう云ふ新らしい金融機関などは要さないと云ふ事実でありました、けれども段々それに箝り込んで参る中に自然其味を覚えて来たやうです、何となれば前の如く非常に高い金利でありますると非常な危険がある、けれども一定の程好い金利であると云ふと危険なくして且つ苦みなくして相当の利益があると云ふことだけは分つて来た、是れ即ち今日の金融機関を最も秩序的に良く運用して進行を始めつゝある所以と存じます、今日は即ち農工銀行が十ございまして各其回収は規則正しく行はれて居ります、で最近に於ては興業銀行に向つて債券の引受を求める、是等のために段々働きを増しつつあるやうであります、斯の如く今日政府の方面若くは民間の金融機関等の運転の上に於ては韓国としては先づ今日の情況より見れば規則正しく当然の進歩を為して居ると考へられます
然る所玆に一つ最近の御注意問題として御列席の各位に向つて御考を願ひたいのは何であるかと云へば、近時此交通の便利其他のために韓国への輸入と云ふものは非常に増しつゝあるのであります、是は何れの辺鄙な処にまでも日本の品物が行渡るので最も宜からうと存じますが、それと共に韓国より輸出する物と云ふものはそれ程に進まぬ、退歩はしませぬが進まぬのであります、斯の如くして永く之を打棄置く訳には行くまいと思ひます、何故かと言ふと此事たる交通の上に於ても非常な不利益になりまするし、唯今の有様で言つても運送上などに於ては片貿易になつて来て此方から持つて往く物が多くなつても持つて帰る物が少ない、若くは無いと云ふことになるのでありますから、此点に向つては大に注意を払はなければならぬことゝ思ひます、そこで今日我帝国が韓国に向つての大なる要求は即ち財政経済の整理若くは建設と云ふことでありますが、それと共に韓国に向つて日本の位地
 - 第7巻 p.24 -ページ画像 
として大なる要求は、我日本に彼の農産物を供給すると云ふことである、是は日本が正当に且つ急いで為すべき要求であらうと思ひます、此点に向つては韓国に於ては此要求に正当に応ぜらるべき余地は十分あらうと思います、先づ以て米に於て麦に於て棉花に於て若くは煙草に於て――是等は主たる農産物であります、其各農産物に付ての統計とか云ふが如きことは此席に於ては稍々贅論と思ひまするが、道理ある調査、道理ある計画に基いて兎も角も主要なる韓国の農産物に向つて日本が四年か三年の間に三千万若くは四千万の供給を為せと言ふことは至当なることであります、斯の如くしましたならば今日の貿易の不権衡は忽ちにして救済されべきことであらうと思ひます、さう云ふ次第でありまするから今日韓国の斯う云ふ要求に対する関係に付いては各位に於ては十分に御注意にならんことを希望しまする、例へば今日水道の施設に付いて丁度一昨々日も京城で水道管の入札が一口七十八万円と云ふことでございます、兎も角水道は何百万円と云ふ事業でありまするから七十八万円位のものは誠に其一口でありますが斯の如き事柄は頻々行はれます、聞く所に依れば欧羅巴より其水道管は持つて来るのであるが、所詮七十八万円若くはそれ以上の水道管は一艘や二艘の船では積めぬさうであります、然る処それを持つて来たが持つて往く荷物が無いのですから非常な損であります、段々聞く所に依れば開港場の附近に於ては装飾用の石材若くは耐火原料と云ふやうな種種の石材があるやうです、是等は直ちに帰り荷として積出さるべきものではなからうか、又水産物の如き手を着ければ直ちに輸出せられべきものが数多あらうと思ひます、で今日の韓国の外国貿易の実況に付いては余程急ぎで之を発展せしめぬと云ふと日本の韓国に対する交通に於ては非常な不利益になつて来るだらうと思ひます、故に今夕の御会合を好機として之を此処で御話する次第であります
今日は韓国の経済事業も至極先づ円満に行はれて居る次第でありまして、此税の如きことも今日は国庫の外に日本の郵便局に委託せられまして日本の郵便局に於て税金を徴収することになつて居ります、又経費も支払ふと云ふことになつて居ります、随分初めてのことでありまするから解りにくい事もあるやうでございまするが、大体順序を逐うてソレソレ事情も能く通じ来つて段々円満な結果を見て、此郵便局の国庫事務の開設以来段々此収入の基礎が鞏固になつて来るやうな次第でございます
私は度々此席に御招きを受けて難有う存じまするがどうぞ諸君にも御出を願ひたい、聊か御歓迎を申上げます、段々議員諸君其他数多の御来客には今迄相接しましたが未だ銀行倶楽部の諸君の中では此近所の少数の御方だけの外は御目に懸からぬやうでございます、もう今日は誠に僅かな御手数で往来の出来ることでありますから五月頃にはどうぞ倶楽部の諸君の御来臨を戴きたいと思います、今より御招待状を提出して置きます、必ず吾々は微力を竭して御馳走を申上げます(拍手)
    ○内田公使の演説
委員長其他諸君、今晩は鄭重なる御馳走に預かりまして誠に難有く存じます、私にも何か御話をしろと云ふ委員長の御命令でありまするが
 - 第7巻 p.25 -ページ画像 
「外交官は語るべし言ふべからず」との訓言がありまする、それは饒舌ることは幾ら饒舌つても宜いが、意味の有る事を決して言つてはならぬと云ふことであらうと思いますので今夕は私は其訓言を堅く守る積りであります、併し何か秘密にすべき事があつて之を隠すために何も言はぬと云ふ訳では決してない、何も言ふ事か無いのであります、昨年亜米利加から帰つて以来、此倶楽部諸君の御集会の席上を始め其他所々で話をせよと言つて強ひられたのであります、それで已むを得ず諸方で話を致しました、それがために私の持つて居る種が悉皆尽きてしまつたのであります、又私の任所である伯剌西爾の事に付きましても私は何も知らぬのであります、これから往つて研究を致して見る積りであります、それで同国に関しましても私は何も言ふ事はありませぬ、唯私は向ふに往きましたならば、成るべく広く朝野の人々に接し又内地をも旅行して十分に国情を調べまして諸君の御参考になりさうな事は詳細其筋に報告する積りでありますから、どうか今晩の演説の代りに私が向ふに往つてから出しまする報告書を御覧下さい(拍手)
    ○熊谷樺太民政長官の演説
委員長並に諸君、今晩は実に御鄭重な御饗応に預かりまして誠に難有うございます、全体前座が後から出ると云ふことは無い、前座と云ふものは前に出なければならぬのに今夜はどう云ふ都合でありまするか一番後に残された(笑)、そこで折角委員長の御命令でもありまするし責塞ぎに少し申上げたいと思ひます、併し前以て御断りをして置きますが、私は色々申上げやうと思つて居りました所が稲垣公使から将来の事は頭の禿げた者は語るなと(笑)、斯う云ふ禁止命令がございますから、将来の事は申上げませぬで唯現在どう云ふ有様であるかと云ふ事を掻摘んで一寸申上げやうと思ひます
全体世間で韓国、満洲の方には非常に御注意になりまするが、樺太と来ると頓と御注意が無い、是は吾々共に取つては甚だ不平である(笑)、樺太の面積は五十度以南即ち我帝国の領地になつた所の面積がどれ程あるかと申しますると是は正確な測量がまだ致してないから能く分かりませぬが概測に依りますると約二千平方里ございます、之を内地で比例を取りますると約四国の二倍ございます、面積に於てはそれ程狭くはない、それで其気候はどうであるかと申しますると是はナカナカ寒い、此冬期になりますると最低の場所が摂氏の零下三十五度まで降つたのであります、併し此節分頃から段々暖うなりまして、此二三日は最低の場所が零下二十五六度、それからコルサコフの如き暖い処になりますると零下五六度位になつたのであります、それから人口はどうであるか、人口はまだ草創の際であつて甚だ少い、露領の時には南部の人口が露西亜人が約四千人居つたのであります、尤もそれは兵隊や何か皆入れての計算であります、それが或は戦争で斃れたり逃げて帰つたり、其後我軍隊の占領以後こちらの帳面に載つて正当なる手続をして帰つた者等を引去りまして目下残留して居る者が僅に三百、其外に此「アイノ」人、それから「アイノ」人よりもつと劣等なる人種が四つ居ります、それは何かと申しますると「ギリヤーク」、「ヲロチヨン」、「トングーヅ」、「ヤングーヅ」と云ふ此四つであります、
 - 第7巻 p.26 -ページ画像 
是等の「アイノ」人並に劣等なる人種を計算致しますると、正確な調査はしてございませぬけれども約六百か七百位であらうかと想像されます、それから内地人がどれ程往つて居るかと申しますると、是が露領の時代にはコルサコフに百人足らずの商人が居つたに過ぎない、漁場には大分居りましたが先づ常住の者と申しては其位のものである、それが一昨年占領以後続々渡航をして参つて、此前の冬越年をした者が軍隊、官吏斯う云ふ者を除いて純粋の渡航民だけが約二千人であつたのが、此冬目下越年をして居る者が其六倍即ち一万二千人程居るのであります、是はナカナカ長足な進歩で、我大和民族の発展力のどれ程激いかと云ふことを証拠立てる一つの材料になるだらうと思ふのです、尚続々増加するであらうと存じます
それから此産物はどうであるかと申しますると、一昨年占領された時に世間からどう見られて居つたかと云ふと水産物は無尽蔵である、併しながら陸上に於てはマルで寂寞たるもので、其土地も瘠せて居る、始終雪を以て掩はれて居る、陸上は殆ど顧みるに足らぬと云ふ事が一般の輿論であつたかのやうに存します、併ながら事実は稍々是に反対の傾があると見たのでございます、成程此水産の利も豊富は富に違ひない、此建網の場所でも東海岸の第一号から目下開いて居りまする西海岸は二百四十四号までございまして、鯡だけに致しましても三十九年即ち昨年は収獲高が約十五万石、其他鮭もございます、鱒もございます、それから鱈も昆布もある、其外の雑魚もございまするので是等を総て計算致しますると多大の額になりまする、けれども水産物殊に魚族と申しましても、其処へ参る魚族の高は自然的に大凡制限せられて無尽蔵と云ふ訳には参りませぬ、唯是等は多少増加も致しませうが、尚水産物の単位の価格を上げることに努めたら宜からうと思ひます、それで其鯡のことを序に申上げまするが、此網の距離が随分遠い一番近い処で十町、十町より近い処はない、それで其場所にも良い場所もあり悪い場所もございまするが、一昨年と云ひ昨年と云ひ此漁場の入札を致しましたが、其入札が非常な勢を以て高い落札を致しましたのには当局者に於ても殆ど予想外であつたのでございました、一昨年は一番高い所か一場所二万千円、是が一箇年の料金です、是には人が魂消てしまつたのである、所が其場所が幸に漁が好うございまして、それだけの料金を払ひそれから設備の費用を掛けて尚純益が頗るあつたと云ふことでございます、昨年は又人気が一層上りまして、一場所で四万七千円と云ふのが一番の最高札でありました、此場所は果してどれだけの漁があるか、そは今年の漁期になつて見なければ分らぬのであります、それから陸上はどうであるかと申しますると陸上には森林の面積と云ふものも頗る多い、其材質はそれ程良くはないと云ふことでありますが、兎に角豊富なことは豊富であります、それから農業、牧蓄も可なり有望であらうと思ふのです、それで一つ此農業に致しても雪の降る間が長くて耕作の時期が誠に短い、先づ五月から十月の末迄で約半歳であります、耕作の時期は誠に短うございますが造化の配剤は誠に妙なものでありまして、其頃になりますると冬の反対で日中の時間が非常に長い、そこで六箇月と申しましても普通で言ふ
 - 第7巻 p.27 -ページ画像 
と八箇月位に相当するであらうと思ひます、それで麦類、豆類、蔬菜類の如きものも可なり有望であるやうに思はれます、それから鉱物はどうであるかと云へば是は一昨年も調査致しましたし昨年も数箇月間調査を致しましたが、是はまだ十分には分りませぬが分つた所だけ申上げますると石炭は到る処有る、さうして其質は夕張炭に髣髴たるものであると云ふことでありまして、それで層の厚い処は五十尺の層を持つて居る、而して其面積も頗る広いと云ふことも分つて居ります
それで是だけの山林の事業、鉱山の経営、農業、牧蓄の経営も頗る皆様の御考を願ひたいと思うて居ります、先づ申上げまする現状は其通りでございまして、どうか余り満洲や韓国ばかりに注意を払はれずに樺太に向つても一部分の御注意を払はれんことを願ひます、先づ現在は其通りで将来の事は稲垣公使から止められて居りますから御免を蒙ります(拍手)
    ○渋沢男爵の演説
来賓閣下及会員諸君、早川新委員長の就任第一回の晩餐会に今夕は種種方面の変つた来賓を請上げましたのは卓上の御料理の調味の具合と同一か別であるか、それは姑く別問題として甚だ五味の調和の宜しきを得たるものと、先以て新委員長の御注意を感謝致します、而して臨場の諸閣下が御懇切に吾々に向つて御銘々にソレソレ御調査、御経歴の御話を下いましたのは誠に感謝に堪えぬ次第でございます、但し内田、鶴原両君は或は吾々の耳の悪るかつた為めか分りませぬが何やら謝絶を受けた様でございましたが謝絶をされつゝ頻に拍手喝采をしたのは蓋し辞令の巧妙なる為めであらうと思ひも《(ま)》す(笑)、どうぞ銀行者諸君は両君に倣うて嫌な取引先が来た時に拒絶しつゝも拍手されまするやうな巧妙なる辞令に御習ひあれかしと希望に堪えませぬ(拍手)、吾々の此晩餐会と云ふものは誠に無味単調なもので殊に銀行者は何時も同じやうな仕事を繰返し繰返し錙銖の利を争ふて室内に齷齪して居る者であります、せめて月に一回づゝ耳目を千里の外か万里の外か分りませぬが馳せるやうな方法を講じたいと云ふことが即ち此倶楽部晩餐会の企てられた所以でございます、段々に其方面が広くなつて既に今夕の如きは我版図中でも北は樺太から南は台湾迄、甚だしきは所謂火虫氷を見ず、氷のある方の者は汗を見ず、汗のある方の者は氷を見たことが無いと云ふ御方が一室に集まつて御互に御話が出来ると云ふことでございまして是程愉快なことはございませぬ、又或は暹羅に御勤務の御方が今度は西班牙に御出でになるとか或は亜米利加に御在勤の御方が巴西に御出でになるとか云ふやうな種々方面の変る御話を一室に相会して伺ふと云ふことは、実に吾々共此上も無く喜ばしいことゝ考へます、稲垣公使は先刻来頻に戦争は唯一度に勝つたので満足とは言はれなからう、其最終の美を済して始めて真に戦争に勝つたのである、故に今日の経済力の勃興は之を能く整理したならば即ちそれが第三期の戦争の終局である、砲煙弾雨の間に勝を制するばかりが戦争の大勝とは言へぬのである、而して第二、第三の戦争は吾々商工業者の職責であると云ふことを御誡め下さいましたが、御説の如く今日は吾々に取りては恰も旅順の攻撃と言はうか、奉天の大衝突と言ふ《(マヽ)》うか、若く
 - 第7巻 p.28 -ページ画像 
は黄海或は対馬海峡の海軍の時期と一同苦心しつゝ居ります訳であります、唯其間に於て若しも蹶躓と云ふことがありはせぬかと気遣ひますけれども、転ぶは即ち進むと云ふことに伴ふの弊で、其間多少の躓き転ぶと云ふことは免かれませぬと思ひます、転ぶのが嫌だと言つて進まずに居る訳にも参りませぬと云ふことは人の世に処する常でございますれば、是亦拠所ないことと思ひます、稲垣公使は壮者は未来を説くと言はれましたが、私共銀行者は実は其中間に居つて或る場合には既往を談じ、又或る場合には未来を説きたいと思ふのでございますまだそれ程に白髪になつたとは自分は思はないのであります、諸君は知りませぬが私は両方面に在りたいと思ふのでございます、頗る卑猥な比喩を取るやうでございますが私は或る点から傍らの老婆から黒毛を抜けと言はれ、又一方の少女からは白毛を抜けと言はれるのであります、即ち或は国運の進歩を急速せねばならぬと云はれ、或は危険極まる足下の為に余計に世間が騒々しくなると斯う言はれます(拍手)、甚だ繰言でございますけれども、自らも尚ほ迷ふと云ふやうな場合でございます、併し真成の拡張発達はどうしても此苦境を切抜けねばならぬ、既往に依つて考へますると将来も左様と思ひます、今日は種々なる事業に就いて先づ相当と思ふことを経営しつゝありまするのですどうぞ稲垣君の御示しの如く第三期の戦争で都合好く大勝利を制したいと思います、それに付きましても斯く皆様に尊臨を請ふて耳新らしい事を聴かして載くことは平日単調の吾々に取つては最も有益なることゝ考へまする、で、玆に難有く来賓諸君に対して謝辞を申述べまする次第でございます
終りに臨みまして昨年来私が委員長として此倶楽部に勤務したことを新委員長から御挨拶を得まして却て恥入ります次第であります、新委員長に於ては先づ開会第一に斯の如き好配剤を以て所謂五味の調和宜しきを得た所の御料理を下さいました、併し杯盤の御料理は御褒め申す訳には参りませぬが、私は併せて委員長の御尽力を謝し上げまする
                           (拍手)