デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第7巻 p.39-54(DK070006k) ページ画像

明治40年11月26日(1907年)

銀行倶楽部第六十三回晩餐会開カル。栄一出席シ一場ノ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第四四巻第二六六号・第七九五頁〔明治四〇年一二月一五日〕 銀行倶楽部第六十三回晩餐会(DK070006k-0001)
第7巻 p.39 ページ画像

銀行通信録  第四四巻第二六六号・第七九五頁〔明治四〇年一二月一五日〕
    ○銀行倶楽部第六十三回晩餐会
銀行倶楽部にては十一月二十六日午後六時より松方侯爵及過般海外より帰朝せる三井三郎助、益田孝の両氏を招待して第六十三回会員晩餐会を開きたり、当日松方侯は差支の為め又益田孝氏は病気の為め出席なかりしも会員の外当時出京中の大阪住友銀行支配人志立鉄次郎、馬関百十銀行頭取室田義文両氏の出席あり、一同会食後早川委員長起て一場の挨拶を述べ、之に対して三井三郎助氏の答辞あり夫より渋沢男、豊川良平、添田寿一、志立鉄次郎、室田義文の諸氏各一場の演説をなし、最後に目下の金融に関する松尾日本銀行総裁の演説あり、終て別室に移り各自款談の上午後十時散会せり


銀行通信録 第四五巻第二六七号・第二六―四〇頁〔明治四一年一月一五日〕 銀行倶楽部晩餐会演説(昨年十一月二十六日)(DK070006k-0002)
第7巻 p.39-54 ページ画像

銀行通信録  第四五巻第二六七号・第二六―四〇頁〔明治四一年一月一五日〕
 - 第7巻 p.40 -ページ画像 
  ○銀行倶楽部晩餐会演説(昨年十一月二十六日)
    ○早川委員長の挨拶
諸君、私は来賓の御健康を祝すに当りまして、一言申訳をしなければなりませぬことがあります、即ち今夕は松方侯爵に御来臨を願いて置きました、○中略 所が拠ない差支があるに依つて出られぬといふことでありました、○中略 斯ふいふことでありまして誠に諸君に御案内の修正を致す暇もありませぬで唯今に至つた訳であります、実に今日の如き財政問題、又国家経済に関する問題、共に吾々は多少心痛をすべき点があるやうにも感じられる際でありまして既に戦争後二十三億以上の国債を持つて居る之を如何に償還するか、又四十一年度の予算が編製せられつゝあるといふ場合に於て其予算の上に公債の募集未だ結了せざる分が一億何千万円あるといふやうに伺つて居ります、其他亜米利加の金融上の混雑といひ又其影響を蒙つたる所の英吉利並に欧羅巴大陸に於ても随分経済上種々の出来事がある、又最も我国に近い所の清国営口或は漢口等に於ても大商人の破綻といふことがある際でありますが、幸に我国の経済といふものは未だ何等の変調を認めない、○中略 今のやうに財政上に於ても経済上に於ても随分色々重大なる問題のある際でありますから、此時に当つて松方侯爵の如き数十年来財政経済の枢機を握られたる所の御方の御臨席を得まして御話を伺ひますれば大に吾々は利益する所ありましたらうと考へます、○中略 今夕御出席を得なかつたといふことに就て吾々一同の甚だ遺憾といふことを一応申述べる次第であります。
又益田孝氏は先般来三井三郎助氏に随行致しまして欧米を廻つて先頃帰られましてございますが○中略 実は昨夜来発熱致しましてどうしても無理をしてゞも出る筈でありましたが、○中略 今晩は無理をせず欠席することになりました、是は委員として御報告すると同時に同僚として皆さんへ御失望を与へましたのは甚だ済まぬといふことを申上げなければなりませぬ
さて今夕の来賓たる三井三郎助氏は即ち三井家に於きましては鉱山会社の社長をして居られますので即ち先般○中略 欧洲大陸、英吉利、引続いて亜米利加の方へ参られまして今度帰られた訳であります此の欧米行は主として欧米の経済事情を視察するといふ趣意で参られましたので○中略 必ず此行や日本の経済界に対し将来幾分貢献せらるゝ所があるぢやらうと信じまするので諸君と共に同氏の健康を祝したいと思ひますさてもう一言申上げたいのは先刻申上げまする通り松方侯爵又益田孝君、共に出席を得ませぬことは甚だ遺憾でありますが、幸に今夕松尾総裁にも御臨席を得まして親しく色々御話を申上げることが出来ましたのです、又丁度馬関の百十銀行の頭取たる室田義文君も御上京でありまして今夕御招待申上げました所が是亦幸に御出席を得まして親しく御話を伺ひまするのは幸であります、此処に又大阪に於て最も有力なる所の志立君が二三日前から御上京でありまして是亦この席へ御案内することを得まして誠に幸の訳であります、それで私は委員長として申訳を致しまする代りに、是等の諸名士、又渋沢男爵も余り近頃は御話も承りませぬのでありますからどうか新聞には出ないやうにして
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腹臓ない御意見を御洩しになるやうに御願ひ申したいと思ひます、又添田君其他諸君も多々御出でありますからどうぞ今晩は御客様は御一名でありますが、准御客と申上げて宜しうございますが松尾さんなり室田さんなり志立さんなりどうか私に同情を寄せらるゝならば松方侯爵閣下並に益田氏に代つて十分なる御話を願ひたいと思ひます(拍手)、尚豊川さんも居りますで必ず此会は賑々しくするといふことに願ひたいと思ひます、併せて之を委員長から御願致します(拍手)
    ○三井三郎助君の答辞
今夕は当晩餐会に御招を戴きまして甚だ名誉の至りに存じます殊に諸名士の方より色々御話を承はることを得るのは幸福の至りであります謹で御礼を申上げます(拍手)
    ○渋沢男爵の演説
唯今委員長から今夕の晩餐会に最も希望する正賓の松方侯爵が余儀ない御差支から御臨場を得ないということの御申聞けがございましたのは吾々ども実に遺憾千万に存じまするのでございます、幸に三井三郎助君は御臨場を得ましたけれども益田君の御所労の為に御出席されないのも是れ亦残念千万でございます、唯今委員長の述べられた通り、御互に金融界に従事する者共が、外に内に未来の財政経済を考察して見ますれば、大に憂慮せねばならぬ点もあるやうに思はれまする、斯る場合に財政界に重きを置かるゝ侯爵が御臨場下すつて吾々に十分の御説明を下さるは金玉の言葉として拝聴したいと思ふたのでございます、又益田君の海外の御視察は定めし種々なる点もあらうと思ひまする、今夕之を聴くを得ざるは甚だ残念でございます、尤も室田君、志立君抔の遠来の方々から大阪若くは其他の地方に於ける景況又は経済上の御意見も御述でございませうから先づ以て吾々聊か慰するには足りまするけれどもどうも委員長が今晩は半札的の御催しであつたやうで(笑) 何だか真打の御欠席に就て前座が討論会を開くやうな有様がございますけれども、先づ以て仲間同志で極く腹蔵の無い一の討論会として私が或は此席の年長かも知れませぬから第一の前座を勤めて見やうと思ひます
私の玆に申上げたいと思ふことは矢張国家の経済事情でございまして是から先を如何にして宜いか、是れまでは如何なる有様であつたか、御互にどう経営し来つたか、会同した御人々に就て多少の違ひはございませうけれども、仮に渋沢だけの意見を申上げて見たならばそれは大に間違つた、それではいかぬといふことの御批評を蒙ることも出来ませう、既往の過失を知るは将来過ちを再びせぬ利益がございまするで十分の教を乞ひたいと思ふのでございます
元来国家の進んで行くといふのは唯車の片廻りの如くに一方だけが能く行くといふことの決して出来るものではない、古諺にも鐘ばかりでは鳴らぬ、撞木ばかりでは鳴らぬ、鐘と撞木の合が鳴るといふことは俗言ではございますけれども千歳不易の言葉で、総て世の中の事は色色の権衡平仄が揃うて進んで行くと言はねばならぬ、政治のみ進んで行つて決して其国が文明とは申されぬ、軍事のみ発達するからといふて其国が強大と自慢は出来ないであらうと思ふ、果して然らば此経済
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……経済といふ中にも大別しますれば自ら二つに区別を立て得られると思ひます、能く財政経済と一口に唱へますけれども私が文字の講釈をするも如何でございますが、経済といふ字を財政と分けて一方は政府のこと一方は民間のことゝいふやうに解釈するも可笑しうございますが、詰り此両者は自然に成立する、而して権衡が宜くなければ真正の国の経綸は進まぬと思ひます、且つ此財政経済は国家に変化のある場合、国力の拡張する場合に悪くすると其適度を失することがある、或は不権衡を来すといふことがございます、夫れ迄は程よい調子に経過して参つた国柄であつても或る一の事変に際して其権衡を失ふといふことが間々あるやうに見えまする、若し其権衡宜しきを失ひますれば所謂車の片廻りとなりて一方に沈衰を惹起するやうになるは是まで事実に徴して幾度もあつたことゝ思ひまする、我邦の三四十年の歴史に於てすら尚然りですから、若し欧米の経済事情を精しく取調べましたならば一層明瞭に之を証拠立ることが出来るであらうと思ふのでございます、それで自分等は此経済財政の調和を考へますると成るべく経済の方に力を向けて財政の力をして経済に打勝つて片廻りがするといふやうにならぬことを希望して居ります、(拍手)経済の方の力が進んで行つたら財政は自然に進んで行くに相違ない、財政の膨張から経済を衰耗させるより経済の発達から財政を拡張して行くやうにしたいといふことを始終希望して居りますのです、私は明治二十八年に東京商業会議所の会頭をして居りましたに就て丁度日清戦争の終りに於て名古屋の商業会議所に開かれた聯合会に出席して一の建議を致しました、其趣旨は日清戦争は連戦連勝の結果実に名誉ある利益ある講和が調うて喜ばしい、併し此喜ばしいと同時に将来財政経済が如何に変化するとかいふことを想像せねばなるまいと思ふ、若し此喜びに乗じて余り不相応なる財政を計画されたならば遂には経済に沈衰を来すといふことなきを保たぬではなからうか、幸に各商業会議所の諸氏同意ならばどうぞ商工業者の力に依つて此財政上に注意を与へたいと思ふ、是は唯素町人の泣言と謗らるゝものではなからう、故に此聯合会に於て調査委員を挙げて充分に取調をするが宜からうといふことを申したことがございます、併し其事は十分なる効を奏したとは申し得られないやうでありました、但し聯合会は此建議を至極尤もとして其調査を為し、各地の会議所より其意見を提出しましたけれども二十九年の財政計画は吾々の予想よりは少しく過超した様でありました、故に私は三十九年のことに就きましても同じやうな杞憂を抱いて居りましたけれども三十九年の財政は戦後早々の際であるから戦後経営とは言へぬといふ有様であつたから、其以後は充分整理する様に注意があることであらうと今尚ほ期待しつゝあるのでございます、若し今日の如き有様で財政が果して経済と適応するものであるか、吾々の経済社会が現在の大負担を能く咀嚼し能く耐忍して決して維持に差支ないものであるかといふことは臨場の諸君とともに御互に十分之を考究して深く考察を加へて見ねばならぬことではなからうかと思ふのでございます、帝国議会も近々開けるのでありますし、四十一年度の予算も既に重なる御評議は済んだと聞きまするけれども、併し政府の予算は単に四十
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一年度に止まるものではなからう、四十一年度の予算は四十二年度の予算を包含して居るものと思ひますると、其如何に定まるかといふことは吾々共余程考慮を要することではなからうかと考へるのでございます、それと同時に又吾々経済界は是から先どういふに心を用ゐて宜いか、唯世の中を心配ばかりしてそれは困るあれは困ると悲観にのみ終つたならば社会は益々沈衰するといふ虞を持たぬとも申されますまい、殊に銀行者がさういふ考であつたならば其響きは愈々強くなつて遂には憂ふべき結果を惹起さぬとも限らぬ、故に或る場合には随分勇気を鼓して唯悲観にのみ終るといふやうな有様にはどうぞさせともないと思ひまするけれども、悲観させまいと思ふ為に財政如何に膨張しても吾々は多々益々負担する、決して心配はございませぬと申して財政の一方にのみ重きを加へるといふことになりましたならば、事実の上に困難を惹起すといふことがありはしないかと恐るゝのでございます、是等の懸念は幸に松方侯が今夕出席せられたならば、自分は斯う思ふと判然明言せられぬ迄も其御演説に依つて思ひ半ばに過ぎることがありはしまいかと楽しみに致して居りましたが、前に申します通り師匠を失ふた弟子が解らぬ文字を之は何と読むか此木扁があつて造りに文の字があるは枚と読むのか牧と読むのか、どつちも似たやうな字だといふやうな疑が起きはしないかと思ひますから、此差違を御互に討論してさうして師匠に御清書を直して戴くといふことにしたいと思ふのでございます
三井君の欧羅巴御旅行に対しましては定めて種々な御観察があるであらうと思ふのでございます、同君は丁度明治五年と記憶します、亜米利加へ御出になつて殆ど半年余も御滞在であつたやうに思ひます、然るに殆んど三十有余年を経て欧米に喧伝する三井といふ御家の名を以て御自身の旅行は、日本の名誉を欧米に伝播させたと吾々の喜ぶ処でございます、同君は大勢の中に出て演説することを御好みないやうですから私が代言するやうに聞えまするけれども必ず此御旅行中には種種適切なる観察もあらつしやいませう、又種々面白い御談話もあるに相違ないと思ふのでございます、欧羅巴、亜米利加に於て三井といふ名は著く行渡つて居ります、其三井の御一人が而も益田君を御同行で御旅行なされたといふことは日本の経済界を海外に紹介なすつて下すつたといふても宜い様で私共最も喜んで其御帰京を歓迎するのでございます、吾々は其中に又晩餐会を催して益田君より種々なる観察談を聞くことも決して遠くなからうと思ひまするが先づ財政経済に関する自分の愚見としては今日の有様に付て頗る疑念を持つて居りまするので若し私に忌憚なく此疑を言へといふならば成るべくだけ財政の重みを減じて貰ひたいといふに躊躇致しませぬ、若し自分の意見が誤つて居るといふならば臨場の諸君御腹蔵なく御討論なり又御反教を御願ひ申します(拍手喝采)
    ○豊川良平君の演説
私は三井さんの御旅行を或る方面から非常に御立派な御旅行と祝したいと思ひます、日本の一番年長者の欧洲漫遊は重野博士、其次は松方侯、渋沢さん、又川崎さんも御出になりました、若い御方は沢山御出
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でありますがどうも西洋人の日本へ来る人は家族同伴の人が多いやうでありますが日本人の欧米漫遊をする者は御家族一緒といふことは余り無いやうであります、此度三井さんが奥さんとお嬢さんをお連れになつて五箇月の旅をなされたといふことは誠に新例を開かれたことで若し東京に御出たなら、夏の中は伊香保とか或は大磯あたりにグヅグヅして在つしやるだらうと思ひます、然るに今日長い御旅を奥さんとお嬢さんと御一緒になされたといふことは非常に結構な話で、此度首尾好く欧米を一周して御帰りになりたといふことを第一に祝します、次には昨年から本年の春へ掛けまして何か事業を起せば外資輸入、何時でも無利息の金が這入て来るやうに唱へて居つた、所が何ぞ図らん其金には四分とか五分とか利を払つて其上に手数料も割引も払はなければならぬ、併し六分でも七分でも金を借りて来てそれが又八分にも九分にも廻るといふやうな事業があれば宜しい、之が出来ると思つて居つた所がナカナカ昨今の様子では出来さうでない、けれども世間ではもう半季経つたら出来るだらう、もう一年経つたら昨年のやうになるだらうといふことを皆思つて居るやうです、果してどうなるものか吾々には解らぬ、所が添田さんは先達て満洲鉄道会社の金を四千万円御借りになつて大変成功して御帰りになつた、即ち外資輸入といふことに就ては添田さんは実地に当つて来られたのでありますから未来の想像が附きませうと思ひます、私は呼出奴ではございませぬが(笑)遠来の御方の室田さん志立さんが御出であるが、其前に未来の想像を一つ御話を願ひたいと思ふ、聞けば何処か他の場所で御話があつたさうでありますが吾々と此席で度々食事をして居られまする以上はどうぞ今月は十一月で明けると四十一年になりますから来年に持越さぬやうに、過去の御話又未来の御話を吾々に御聴かせ下さることを偏に希望致します(拍手喝采)
    ○添田日本興業銀行総裁の演説
会長並に諸君、唯今豊川君の御呼出に依りまして私も已むを得ず愚見を開陳致さねばならぬ訳になりましたのでございますが、実は外の処で話して此処で言はぬといふ御言葉がございませぬければ黙して止む積りでございましたが、何か故らに諸君を疎外するやうに聞えましては甚だどうも相済みませぬ、故に已むを得ず一言申上げることに致しましたのでございます
外資輸入といふことに就きましては私よりはまだ御経験のある御方も沢山おありになるのでありますが、最近其事に関係を致して居りました故に御参考までに申上げて置きます、丁度私が彼地へ参つて居りまする頃から、亜米利加の市場に変動の起ることは具眼者は多少予測致して居りましたのです、而して外資の取引の中心は矢張り倫敦にあつて、これは動きませぬやうでございます、諸方より倫敦に外資を所謂仕入れに来る、即ち資本を求めに来る者は甚だ少なからぬのでありまして、既に私の滞在中発表せられんとして止みましたのはトランスバール政府の公債である、之は五千万円と号して居りましたのであります、其トランスバール政府の公債は、英国政府がトランスバールに対して或る交換問題として英国政府の保証を以て倫敦で低利で募つて遣
 - 第7巻 p.45 -ページ画像 
るといふことになつて居つたのであります、然るに亜米利加に向て多少の警戒を加へなければならぬといふ必要があり、又近来日本其他の為めに巨額の公債が発行されて、公債に向ふべき資金を大分吸収せられたのである、此事に就きましては英国では財政家並に経済家も余程迷惑を感じて居るといふやうな状況で有まする位に、資金の欠乏を告げて居つた有様でございます、随てトランスバール政府公債も容易に売出すといふことべ困難で、甚だ躊躇されて居つて無理にトランスバール政府公債を出した所が成功が六づかしからう、然ればとて何とか決定せねばならぬ事になり、遂に見合せになりまして、英国大蔵大臣の答弁として英国議会に於てトランスバール政府公債は当分発行しないといふことを発表せらるゝに至りました、其為に幾分か英国の「コンソルズ」の価を回復したといふ位に英国の市場が迫逼して居つたのであります、尤も短い期限の金は多少余裕がありますけれども、長期の公債とか社債とかに向ふべき資金は余程欠乏致して居つたのであります
前申上げまするトランスバール公債ばかりでなくブラジル政府も公債を発行するの計画を持て居つた、其金額は五千万円でありましたがそれも矢張此南満洲鉄道会社の社債発行の為にトウトウ出端を失ひまして一時見合することになりまして、御承知でもございませうが此の頃ブラジルでは三千万円といふ金額に減少して発表されたといふことを聞きましたが其発行価格は九十五と申す事であります、果して然りとすれば南満洲鉄道の九十七に較ぶれば差があるやうでございます、何にせよ発行の結果も能く発表せられぬ位でございますから如何でありませうかといふ疑念を抱かざるを得ませぬ、其他にも英国の地方債発行の計画がありましたが、之亦英国政府の監督の及ぶ限り英国政府は年内は市場に出現させないという明言を議会に向て致しました、尤も英国政府の監督の及ばざる所の地方債などはボツボツ出たものもありますし、又出んと致して居るものもありました、又英国殖民地公債も何億と号するものが出んとして市況を伺ひつゝあるといふ状況でございます、故に余程公債若くは社債を出しまするといふ上に於ては、競争者のあるといふことを覚悟せんければならぬ、今日の場合であります、加之遂に予測せられて居りましたる米国の破綻は大に欧羅巴、亜米利加の市場を騒がして居りまする、故に市況の回復せざる限り容易なことでは外資輸入といふ目的を達することは如何あらんかと思ふのであります
既に御承知ではございませうが仏蘭西といふ国は所謂外資を供給する立場に居るのです、其然る所以は仏蘭西国民は非常に勤倹貯蓄の精神に富んで居りまして一銭の微と雖ども之を空しくしませぬ、仏蘭西に年々海外の人が或は遊びに或は品物の購買に散布致しまする所の金額といふものは何億を以て数へるのでありまして、其降る所の金は仏蘭西人が成るべく一銭と雖ども多く貯蓄するといふ仕組になつて居りまする為に、仏蘭西は常に資金が蓄積せられて余りあるといふ地位に居るのであります、故に若し仏蘭西市場との関係が密接になりますれば必ずしも外資輸入といふ事は何時までも困難であるといふ断言は少し
 - 第7巻 p.46 -ページ画像 
く如何あらんかと思ふのであります
先刻渋沢男爵より財政の将来、経済の将来に就ての御提議がございましたが、私はそれに向つて斯うでありますあゝでありますと、愚見を申上げるだけの勇気と智識はございませぬ、然し折角の御提議に対し私が外国に居りまする間に外人の申して居りますことを代つて御取次を致しまして、御参考の一端に供したいと思ふのでございます
公債に就きましては前申しました如く高利の誘導を以て倫敦其他の市場より日本に資金を吸収せらるゝといふことを幾分か迷惑に感じて居るやうな事情もあります、英国「コンソルズ」の如く低利なるものがそれが為に段々価格を失ふといふことになるのは内心随分困つて居るといふことも暗にホノメカされたのでございます、其困つて居る為めのみでなく、誠心誠意に出て居るとは思ひまするが、成るべく日本政府が此際濫りに公債を欧羅巴なり――亜米利加は殆んど問題にならぬ位でありますが、海外市場に持出さるゝことは暫くの間は考へものではないかといふことは屡々承りました、それで寧ろ日本の経済の発達の為めには或は生産用公債社債或は其他実際産業に用ゐらるゝものを以て、欧羅巴なり亜米利加の市場に臨まるゝ方が得策ではないかといふ話を聴いたこともあります
それから大に問題に屡々なりました所の事柄は、何が故に日本政府は非常なる大戦争の後に於て、又非常に国費が今後多端に赴くべき際に於て、軍備に重きを置かれるかといふことであります、先方の申しまするには成程戦時中の欠陥を補足するのであるといふ説明を屡々承はる、然れども其欠陥といふことは旧の程度まで持つて行かなければならぬといふ必要がなければ欠陥補足の必要は生ぜぬではないか、即ち日露交戦前に必要でありし所まで持つて行かなければならぬ事情があるならば、欠陥を補足するといふことは聞える、然れども日露交戦の為に世界の大勢は一変致した、又日本の立場も変つた、要するに平和の希望といふものは日露交戦以前と以後に於ては大なる差異がある、例へば日英同盟の更に強められたる如き、或は日露協商の成立の如き或は英露協商の如き、皆世界の平和を益々確実ならしむる所以である然らば以前の程度まで軍備を持つて行かなければならぬといふことは疑問ではないか、して見れば其以前までの程度に欠陥を補なつて行かなければならぬといふ必要は少しく了解に苦む所である、要するに日本の軍備に重きを置かれる所以は何か他に目的がありはせぬかといふのであります、此の事は屡々尋ねられました故私は極力弁明を何れの場合に於ても試みましたのでございます、けれどもどうしても私の弁明の悪いのか智識の足らぬのか知りませぬけれども先方を承服せしめ得なかつたといふ遺憾なる状況で終るの外はなかつたのであります、それで尚進んで申しまするには、日本が無暗に軍備に重きを置くといふことゝなれば日本を軍事上恐れて居る結果、列国が又軍備を拡張する、して見れば今度又其権衡上日本が軍備を拡張するといふことになれば、徒らに不生産的事業に世界の資金といふものを擲つといふ結果になるといふことは、実に考へものではないかといふまで極言する位であります、それで私は前申上げまする通り可否の判断は下さずに唯
 - 第7巻 p.47 -ページ画像 
聴いたまゝを申上げるに止めます
今一つの事は此前もこれは確かに此席で申上げたと思ひまするが、日本は軍事上に於ては外人の大に賞賛を得て居ります、然るに日本の経済の立場、経済の根拠、経済の組織に就ては随分非難の声を聞きましたのであります、それで余程親切に日本の将来を考へる人の言葉でありまするが日本を非常に尊敬する、又殊に軍事に於ては模範とも見るのであるけれども、所謂商業道徳といふ点に於ては甚だ遺憾である、殊に先づ甚だ其人の言ふに躊躇したことではありますけれども、支那人にすらも此点に於ては劣つて居るといふことを屡々聞くが、どうか是等の点に就ては大に改めて貰ひたいといふ事は一度ならず承はりました、それから又日本を視察して帰つて来た人の話も屡々聴きましたが其言葉の中に、日本は最新の機械又学術の応用などに於ては各国の長所を採用するに躊躇しない、実に其迄は敬服である、然るに大に遺憾に感じたといふ点は此労力を尊重しないといふ点である、労力者を殆んど機械の如く見て幼者婦女子を唯賃銀の廉いといふ点に迷つて盛に使用せられて居るが、これは英国の実験を以て御注告申せば将来非常なる大害を醸すといふ事柄ではないか、それで所謂賃銀の廉いといふことは必ずしも労力の効果の多いといふことゝは伴はないのである弊害の未だ甚しからざる内に注意せられぬと遂には日本に於ける労力といふものは其供給を幾らか失ふといふことになりはせぬか、甚しきは所謂人種の劣悪となり健全なる労力者の減少となるといふ結果は産業上に非常なる害を及ぼすのであるからして、是等の点に就ては英国の既に誤つた所に顧みられて未だ弊害の甚しからざるに先だつて相当注意せらるゝ位のことは機敏なる日本の御方に於てはなされべきことであらうと思ふのであるけれども実際其希望通りでないのは実に不思議である、他の制度に於ては随分欧羅巴なり亜米利加の長所を採つて欠点を避けて居るに拘はらず、此点だけはどうも矢張弊を踏襲せられつゝあるといふことが解らぬといふ言葉を聴きましたのであります
余り外国人の取次話のみでも恐縮でございますから少しく自分の考を附けて申上げたいと思ひますが、本邦の労力に関しては此際に相当の考案を運らさるゝといふことは私も必要であらうと思ふのです、それで兎に角所謂工業の基礎となるべきものは御承知の如く労力、資本、原料の三者であります、其中で資本は或は之を外に仰ぎ或は内に於て御互銀行業に従事して居る者が貯蓄を奨励して参りますれば其供給も益々今後増加するであらうと思いまする、又増加させなければなるまいと思ひます、又原料は或は国内に生ぜざるものは外に仰ぎ、就中棉の如きは成るべく我が勢力の及ぶ朝鮮等に於て供給を得るといふやうなことも努めなければなるまいと思ひますが、これは已むを得ずんば其他から仰ぐとしても、労力だけは余程尊重致しまして其将来を慮り所謂目前の利益、眼前の小利に迷はずして永遠の策を講ずるといふことは我国の産業の基礎を確実ならしむる上に於て大に必要があると私も信ずるのであります
それで今一つ終りに希望を述べますれば、又彼地に於て見ましたることを申上げますれば驚きまするのは外国の軍人でも矢張産業なり経済
 - 第7巻 p.48 -ページ画像 
なり貿易なりのことに重きを置いて居る人が少なからぬ、外交官は勿論であります、詰り貿易なり国内の商業なり工業なり農業なり要するに産業の為に軍備も外交も内政も教育も総て其為に存して居るといふ念を以て事を執つて居るやうに見受けましてございます、此根本を一つ改めまするといふことは我国の今日の先刻会長の仰せらるゝ増加したる負担に堪へる為め、又将来の経済上の発展の為めに最も必要なることであります、軍人は経済のことは顧みずとも宜い、商売のことはどうでも宜い、貿易はどうでも宜いといふやうな立て方では到底国家富強の大目的を達することは如何あらんかと思はれるのであります、それで軍人でも外交官でも行政官でも総てが経済の為に尽す何事も経済の発展の為に存して居るといふ精神になつて貰ひたいといふことが御願でありまして、又財政経済上の根本的解決を為す所以ではなからうか、然し私の話が余り長くなりますと志立君の御話の時間を蚕食するやうになりますから此辺で止めて置きます(拍手喝采)
    ○志立鉄次郎君の演説
私は御礼を申上げます、大阪から聊か用事がございまして此方へ参りましたが今日は早川委員長から此晩餐会があるから出て来ないかといふ御招を蒙りまして全く主人役として罷り出た訳でございます、図らずも准御客様に列せらるゝの光栄を得まして誠に有難うございます、私は皆様の御名説を承りました上に於て何も附加へる言葉は無いのでございまして唯今夕の御鄭重なる御饗応に対して御礼を申上げるの外はないのであります、此方へ参ります殆んど度毎に此銀行倶楽部に参つて御同席の栄を得まするのでございますが段々委員長其他皆様の御尽力の結果として倶楽部は益々完全の域に進みまするのは誠に銀行家として深く喜ぶ所でございます、是は誠に卑近なことでございますけれども軽くないことゝ思ひまするでどうか益々御馳走が出来ますやうに委員長其他皆様の御尽力を願ひたい、唯御馳走を戴きまするのみならず、今夕の御催の如き国家の元勲又民間実業界の元勲の方々の御話を承りまするやうな機会を得ますることは私共後進の最も喜ぶ所でございまして、銀行家が財政経済界に於て益々重きを置かるゝといふことも此辺からして起りませうと思ひます、これは私が又聴きでございますから事実確かには判りませぬが、将来は財政の基礎方針を此銀行倶楽部に於て国務大臣が御演説になるといふやうなことも承つて居るのであります、実は私は今夕あたりさういふ御催がありはしないかと思ふて出掛けて来た所が、少し失望致しましたが必ずさういふ有様に到達するだらうと思ひます、先達て阪谷大蔵大臣が貨幣試験の為に大阪へ御出になりまして、其際私が希望を述べましたら快く御承諾に相成りまして将来は必ず自分が大阪へ出て来る、今までは次官などを出したが将来は必ず自分が出て話をするといふ御約束を承つたのであります、誠に大阪の銀行家は阪谷大蔵大臣が胸襟を開いての御約束を歓迎して居るのであります、東京の銀行倶楽部に於きましてもどうか将来は国務大臣、財政当局の御方々が御出になつて予算の方針、財政の御話を承るやうな機会に遭遇することは最も希望する所でありましてどうか此点も私が田舎から出た序でに御願をして置きまするで、必ず
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来年頃は御実行の運びに至ることを希望するのであります
段々銀行家の責任も亦重くなりまするので私は此際に於きまして吾々銀行家の健康を祝して置きたいと思ひます、唯今申上げまするやうに段々銀行者に向つて国務大臣あたりも御話をして下さるやうな機会に遭遇しますれば矢張吾々銀行者も自ら其身を重じて行かなければならぬ、其責任の軽くないことを自覚しなければならぬと思ふのでございます、或は直接銀行に関係のある法案の如きものが議会に出ましたならば、当局者或は議院の委員会に於て銀行家を招いて其意見を聴かれ、銀行家に諮問をされて其意見に依つて始めて法案を確定するといふ如き順序に至らんことを希望するのであります、御承知の通り英吉利あたりは既に数十年来此先例があるのでありますが、悲しいことには日本には未だ嘗て銀行家が直接自己に関係ある法案の諮問を受けたといふことは無いやうであります、渋沢男爵あたりは固より直接間接御心配になるでありませうけれども、衆議院の調査委員が直接銀行家を呼んで質問したといふことは未だ無いやうに承知致して居るのであります、どうか将来は此辺までも発達致したいといふことを吾々は希望を属して居るのであります、要するに世間が銀行家を未だ重く見ないといふこともありませうけれども、亦吾々銀行者も自ら幾分の責任を分たなければならぬかと思ふのであります、どうか私は此席に於きまして皆様と盃を挙げて銀行家の健康を祝したいと思ふ、銀行者の実力を養いたい、実力といふことは決して競争して預金を吸収するとか貸出を殖するとかいふ意味ではないのでありますが、要するに健全に発達するといふことは其本分を養ふといふ一点に外ならぬのであります、どうか私は諸君の御賛成を得まして吾々自身の健康を祝したいと思ひますから諸君の御賛同を乞ひます(起立乾盃)
    ○室田義文君の演説
諸君、私は全体三四日前に東京に参つたのであります、丁度早川君にお会ひ申しましたら今夕は松方侯爵が御出になつて財政上の御話がある、且つ三井君並に益田君が欧米を巡視されて定めし益田君から精いお話もあらう、旁々此晩餐会に列したらどうかといふお話であつたのであります、私は実に此上もないことゝ存じてどうかお願ひ致しますといふて末席に加はることをお頼みした訳であります、で今晩出ましたら豈図らんや松方侯爵は御出がなし、又予て能弁博識の聞えある益田君のお話を聴くことを私は一層楽みにして出ましたのでございますが、此御方もお出がなし、甚だ失望を致したのであります、然るに渋沢男爵閣下及添田君其他諸君から段々此経済上のことに就てお話を伺ひましてこれで前の失望は消滅しまして大に満足致した次第であります、私は唯今のやうな次第で別に諸君に対つてお話するやうなことも無論腹案もありませぬし、殊に私は実は此経済上のことに就て楽観とか悲観とかいふやうな点に就て皆さんにお話するやうな資格はないものであります、で唯私は諸君に対つて今夕の御好意を御礼申します
私は馬関の小さい銀行を預つて居ります、唯諸君の御参考の為に今日の関門間の有様を僅かにお話しやうと存じます、此関門間の商売は段段此席にも御承知のお方もありませうが唯今より四五年前までは甚だ
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微々たるものであつたのであります、現に私が参つて丁度六年間になります、其六年間の間に発達しましたことは実に著しいことであります、丁度近頃私の調査致します所に依りますと日清戦争其後日露戦争に続いての発展は恰も五六年前から見ますると総ての点に於て五倍の進み方であるのであります、是は即ち銀行家で扱ひまする所の資金の運転其他に就て五倍は確に増して居るので、此一の証拠を申しますれば丁度四年前までは此朝鮮方面から馬関に参る所の生魚であります、之が漸く一箇年に二十万円位のもので其前までは多くは漁船で博多へ参つて居つたのであります、其博多へ参つて居つたのが、山陽線の接続と共に多く馬関へ来るやうになつたのであります、此二十万円程であつたものが僅か四年の後には八十万円になつて居るのであります、二十万円時代には馬関に参つた生魚が九州方面とか若くは中国に送りましたけれども、漸く柳井津、岩国あたりに止つて居つたのであります、之が当年の春頃から広島、岡山、姫路、京都、既に此夏後は名古屋まで進んで居るのであります、恐らくは此冬中には東京方面まで及ぼすことにならうと思ひます、之が此八月中までの調べて見ますと昨年八十万円であつたものが今年は百万円に無論達して居るであらうと想像されるのであります、即ち四五年前よりは此一物に就ても五倍の高を増して居るのであります、それから又御承知の通り関門間には生産物といふては至て乏しいのであります、多くは内地の諸方面からの貨物の集散地になつて居ります、此集散の中で著しいものを申しますると、砂糖、石油、麦粉、之が三年前より五倍の高に上つて居るのであります、斯の如き発展でありますから今後満洲並に韓国南清地方の連絡がもう一層着きましてそれに唯今政府でも馬関海峡の水道調査をされつゝあるのであります、是等の調べも出来まして、尚唯今申す方面に一層の連絡が着きますれば愈々益々発展するのであらうと考へるのであります、其他別に申上げることもなし、現に私は先年此御席で少しく考へたことを申して其為に行違を生じて、豊川君に非常の御迷惑を掛けたこともあります、故に其他別に申上げませぬ、馬関の事実をお話しまして諸君に厚く御礼を申上げます(拍手喝采)
    ○松尾日本銀行総裁の演説
私は今晩亭主役の方でありまして御客様ではない積りで御亭主の総代は会長がなされて下さることゝ心得て居り且又松方侯爵、益田君が御出になつて財政上、経済上の御話、欧羅巴の御土産の有益なる御話も伺はうといふ考で出ましたのでございます、豈図らんや此処に坐つて食事をして居りまする中に、いつの間にか御客様の一部分に加へられましたやうでございます、それで既に亭主方としては会長が代つて御挨拶を下されてもう事足つて居りまするのに、何かもう一応起て御挨拶をしろといふ御請求で已むを得ず一言申上げて御客様の部分の御礼を申上げたいと存じます
財政上経済上の御希望等のことは既に渋沢男爵より懇々詳しく御話がございまして誠に私共同感のことでございます、其他又欧羅巴より資金の入り来りますることに就きましては、添田君が実地を御覧になつた御話、並に外国人が好意を以て注意して呉れたこと等も詳しく伺ひ
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甚だ参考になる有益の御話を承はりました、唯此処に一つ御注意の為に幾分御報告的且つ銀行家として御考を幾分煩はして置きたいと思いますることは米国の恐慌より其影響が倫敦、欧洲大陸に及びました大要、並に其害を我国に受けつゝあり受けんとしつゝあるの点でございます、之に対して御互銀行業務に従事して居りまする者は幾分か注意をして置かなければならぬことであると存じますから詳しく申上げますれば大変長いことになりませうし、又詳しく申上げませぬでも皆様も既に新聞其他に依て御承知のことでございますから其必要もございますまいと存じます、私の得て居りまする所の報告の大要に依りますといふと、本年の十月十九日、紐育の或る銅地金の仲買人が閉店を致しまして、引続いてそれと関係のある銀行が取付に遭うて遂に閉店をする、それが導火となりまして続々銀行の取付が始まりまして遂に一時紐育全市の騒ぎになりました、其際に米国政府は救済の策を講じて国庫金を数千万円各銀行に預入をしたり、又富豪家が銀行の救済資金を融通したりしまして二十三日頃には幾分か和らぎて参りましたから大抵治まることゝ思ひました所が豈図らんや再びそれが燃え立ちまして、今度は米国全洲に此恐慌が波及致しまして、今日では実に余程偏鄙の所まで残りなく恐慌の害に罹つて居りまする有様でございます
さういふことになりました原因は何であるかと申しますると、重に紐育でございますが、昨年の七月以後本年の六月迄の間に新らしい事業の計画せられました高を合計して見ますると、紐育其他二三の都府丈に於て稍二十億弗、即日本の貨幣に致しますと四十億円の計画が出来て居ります、日本にも其時分にはナカナカ沢山計画が出来ましたけれ共、中には一夜造りの計画が沢山出来まして事実金を使ふといふのは或は六分か七分位のもので後の三四分は其計画を立てゝから後に事実の調査をするといふ様なことでありまして、縦し日本のは実際に之を施行するといふても事実金を支出するのは年月を要しますることでございますが、亜米利加の方は常に大抵事業の調査をして居りまして之を創立するといふことになりますと余り時日を籍さずに実際の仕事に着手するといふ様な都合になつてあるさうでございます、故に如何に亜米利加の財源が鞏固或は富力が多くございましても、兎に角二十億弗の事業を遂行せんとしまする上に就ては、資本と事業の為に要求する金額とは平均を失ひまする訳になります、動もすると金融上に一の変動を起しはせぬかといふことは、業に既に心配を致して居りましたことの様でございます、先刻添田君の御話にも亜米利加の今日の恐慌は添田君が彼地へ御出の時分に欧羅巴でハヤ心配して居つたといふ御話でございましたが、誠にさういふ様な状態でありましたさうでございます、之が一の大なる原因であるさうでございます
次には是は大なる障りにはなりませぬか知りませぬが、銀塊の下落といふことも因を作して居ります、一番近く導火線になりましたのが銅地金の下落でございます、即ち前に申しました通りに百二十磅して居りましたものが五十とか六十といふ非常の下落になりました為に、銅地金の仲買人が一番先に破産を致し、それが導火となつて今日の大騒動を惹起しましたやうなことださうでございます、而して之を救済す
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るに、どうしてするかと言ひますると誠に悲しいことは亜米利加の金融機関といふものが聯絡して居りませぬ、国立銀行が個々独立して居りまして之を総括して緩急相応じ、有無相通ずるといふやうな中央機関がありませぬ、故に一方に遊金がございましても隣りの方では店を閉めなければならぬといふやうなことにも立至り、救済の道を講ずるには甚だ不便で、一は此金融機関の組織が完全して居りませぬが故に此燃え掛けた火を防ぐことが出来ない、今一つは政府の歳入出が歳入が多くして歳出が少いので随分巨額の金を徴収しまして大蔵省に死蔵しまするので、世間にあります所の現金を政府へ引上げて大蔵省の庫に貯蔵する間は市場の融通に甚だ不便を与へるといふやうな嫌がございます、先づ之を救済するといふには即ち市場で必要なる所の金を政府の庫に死蔵して居るのでそれが為に市場の不便を来すのでございますから、其庫を開けて死蔵してある金を市場へ出して融通させぬければならぬといふので、第一に大蔵省は其庫を開けて死蔵してある金を市場に流通せしむるといふやうな手段を採りました様子でございますけれども常に此屈伸自在に且つ有無相通ずるといふやうな道がございませぬから、唯大蔵省にある金を一時出しただけで長くそれを世の中の金融上の助けにするといふやうな効果を得ませぬ、それが為に銀行では支来《(払)》を停止する所も沢山ありまするし又現金を引出す者は二千弗以下の者に限る、二千弗以上の現金を引出すことは出来ぬ、又現金を引出さうといふ人は百分の三の打歩を出せ、併しながら交換所を経て交換せらるゝ所の手形の受払は幾らでも出来るといふやうな一の応急策を講じました、どういふやうな法律に依つてさういふ自由の事が出来ますか其辺の調べは未だ彼地から報告して来ませぬから詳しく知りませぬけれども、事実さういふことを行ふて一時の急を免かれました又桑港あたりには銀行休業といふことをする、休業といふて戸を閉めて休んで居るかといふと、矢張開けて居る、開けて居つて支払を請求して来た時分には休業でござるといふて渡さずに済む、渡さうと思ふ人には渡すことが出来るといふやうな自由な休業、さういふやうなこともして居ります、其他各人の「ポツケツト」に銀行から引出して入れて居る金を世の中へ出さんが為に大蔵省証券を発行して、さうして之を金融市場に融通しや《(う脱)》といふやうな策も立て、其他或は公債を募集して以て其死蔵してある金を金融市場に出さう、色々様々の方法を講じて施行しつゝあるのでございます
それから一方は倫敦、独逸、仏蘭西あたりの金を吸収するの策を講じて居ります、さういふやうな方法を講じて英吉利、欧羅巴大陸の金を引寄せんとしつゝあるものでございますから、今度英吉利の方ではどうしたかと云ひますと、遂に英蘭銀行の利息を七分にまで引上げて、さうして亜米利加へ出る金の途を止めつゝあるのであります、又仏蘭西は三分五厘の利息を四分に引上げ、伯林は七分半に利息を引上げて何れも国外に金の出る途を塞ぎつゝあるのでございます、それにも拘はらず倫敦から……倫敦ばかりではございませぬ、巴里もございましたらう、欧羅巴から亜米利加に出て既に現在亜米利加に積込みました金が一億幾千弗といふのですから日本の貨幣にしますと二億円以上の
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現金が亜米利加に流入して居ります、それでも足りませぬから段々仏蘭西の方などへも相談して、今度は仏蘭西銀行の方から亜米利加の手形に仏蘭西の確実なる人の裏書をしたものを以て仏蘭西の中央銀行で割引してそれに対する金は現金で亜米利加へ積出すといふことを、幾分か制限を附けて許したといふ報告も得て居ります、斯の如く亜米利加の方では種々雑多の方法を以て現金を吸収せんとし、又欧羅巴の方では之を防ぐ為めに金利を上げて防禦をして居るのであります、其防禦も絶対に効を奏したといふ訳には見えませぬけれども、兎に角非常の方法を取つて其金の出るのを止めて居ります
然るに日本に対する影響はどういふものか申しますると、幸と云ひまするか或は又一方から云ひますと不幸と云ひまするか知れませぬが、地形が偏在して居りまするが為に、且つ以前よりは交通運輸の便も着いて居りまするけれども矢張大西洋の運輸交通の便に較べては太平洋の方が自ら不便でありますから、倫敦や巴里のやうな直接な酷い影響は受けては居りませぬ、受けては居りませぬけれども、随分金は取出されるのでございます、此点に就て欧羅巴のやうに利息を上げて積出さぬやうにすることが出来るか、斯う云ひまするとナカナカさうはいきませぬ、利息を上げて此金を積出すことが止まるかと斯う申すと、どうも此地形且つ取引の聯絡がさうは着いて居りませぬからして無論多少は響くでありませうけれども、金利引上の影響と金の出ないやうにする高とを比較して見て、何れが利益であるといふ点は余程考へなければならないので、併し金の出て行きます筋は日本の銀行家の方では亜米利加へ持つて行けば百分の三の打歩が附くから早く持つて行つて亜米利加へ貸して遣らう、といふやうなことの働きをせらるゝ所は一もないのであります、唯外国の銀行の方では是は固より有無相通ずるのですから敢て非難するではありませぬけれども、自分の手許に紙幣が廻りますれば、直に正貨に引換えて亜米利加へ持つて行く、亜米利加へ持つて行けば為替其他のものを別にして詰り百分の三は利益になる、利益のある所へ仕事を仕掛けるといふことはそれは何も不思議な事ではございませぬから、さういふやうな順序になつて居るのであります、でありますから今私が申しまするやうにしますると、此先どうなるであらうといふやうなひどく心配せらるゝことがなきにしもあらずですけれども、前申しまする通り地形上といひ取引の聯絡といひ今日の所では先づ暫く状況を見送りつゝある場合であります、殊に米国の恐慌の為に生糸の売口も米国行は殆ど絶えて居るやうな次第でございます、搗てゝ加へて此銀の下落の為に支那貿易、即ち重に綿布棉糸のやうなものゝ売行も或は如何あらんか、必ず幾分の渋滞を見ることであらうと存じます、旁々日本の内の出来事でなくして斯ういふ影響を受けて居る所でございますから、貿易に関係せらるゝ所の直接の当事者は勿論注意せられんければなりませぬが、従て御互銀行を営みまする者は是等の事を十分御考慮になつて何卒此国の為に金融上の鞏固、自衛的のことを共に倶に御講じ下されんことを希望し、此点に就きまして御考慮を煩はしたいと存じまして一言此事を申上げて置きまするのでございます
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今日は私が准御客様になりましてございますから誠に御鄭寧なる御馳走に預りました段は厚く御礼を申上げます(拍手喝采)