デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 択善会・東京銀行集会所
■綱文

第7巻 p.130-137(DK070017k) ページ画像

明治42年5月5日(1909年)

銀行倶楽部第七十四回晩餐会開カレ来賓トシテ司法大臣岡部長職等出席ス。栄一一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK070017k-0001)
第7巻 p.131 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年
五月五日
午後六時銀行倶楽部ニ抵リ晩餐会ニ出席ス、岡部司法大臣同次官及司法部ノ官吏多ク来会ス、卓上種々ノ演説アリ、夜十一時散会帰宿ス


銀行通信録 第四七巻第二八四号・第八四三頁〔明治四二年六月一五日〕 銀行倶楽部第七十四回晩餐会(DK070017k-0002)
第7巻 p.131 ページ画像

銀行通信録  第四七巻第二八四号・第八四三頁〔明治四二年六月一五日〕
    ○銀行倶楽部第七十四回晩餐会
銀行倶楽部にては五月五日午後五時三十分より司法大臣以下東京区裁判所監督判事に至る各司法官を招待して第七十四回会員晩餐会を開きたり、当日出席者は来賓岡部司法大臣、河村次官、横田大審院長、松室検事総長、長谷川東京控訴院長、平沼民刑局長、正親町秘書官の外会員五十余名にして食後渋沢委員長起て一場の挨拶を述べ之に続て岡部司法大臣及横田大審院長の演説あり、夫より席を別室に移し一同歓談の上午後十時散会せり


銀行通信録 第四七巻第二八四号・第八一四―八二〇頁〔明治四二年六月一五日〕 銀行倶楽部晩餐会演説(五月五日)(DK070017k-0003)
第7巻 p.131-137 ページ画像

銀行通信録  第四七巻第二八四号・第八一四―八二〇頁〔明治四二年六月一五日〕
  ○銀行倶楽部晩餐会演説(五月五日)
    ○渋沢男爵の挨拶
閣下、諸君、今夕の当倶楽部の晩餐会には、司法大臣及び司法部の諸閣下の尊臨を請ひ上げました、幸に皆様の御臨場を辱うしましたのは当倶楽部のため此上もない光栄でございます、私は此倶楽部を代表致して大臣及び臨場の諸公に先づ謝意を申上げます
此倶楽部は吾々銀行者だけの寄合でありますから、諺にいふ「我仏尊し」で、打寄りましても同じ色だけで自ら井蛙の見の嫌がございまして社会のことに自然疎くなる、世間が狭くなるといふ虞がございます況や銀行者は当に錙銖の利ばかり争つて、得手勝手が強いなどゝいふ世間からの批評がございますから、成るべくだけ見聞を広くし、所謂他山の石で琢磨を加へねばなりませぬ、故に折々此晩餐会に他の方面の珍客をお招きして、愚説を述べ名説も伺ふといふことが、此倶楽部に取つて大なる利益と存じ、今夕は玆に司法部の諸公の尊臨を請ひ上げました次第でございます、殊に吾々商売人は司法部の方々とは甚だ御会話若くは御討論を致す機会が乏しうございます、独り今日に於てではございませぬ、昔からして兎角商売人と法官の方々とは、甚だ情意の疏隔を来す弊があつたと思ひまするで、どうぞさういふことは将来追々に排除して往かねばならぬと思ひます、併し其由て来る原因がどういふ点にございまするか、自ら慣習の然らしむる所も大なりと申さねばならぬでございませうけれども、もう一つは吾々共の司法部を見上げる所、又司法部の方々の商売人を御覧なさる所、或は此情意の通じ兼るといふ所があるではなからうか、殊に吾々法律の眼を持たぬ者から考へますると、或は人の之を運用することの悪いのか、又は法の未だ十分熟さぬのであるか、兎角に吾々が法律を見ると総て理窟が多いとのみ感ずると同時に、法官の方々が吾々を見るのは、反対に唯利益にのみ拘泥するといふやうに見られるではないか、是を以て両者の意思の相一致せぬことが時々生じはせぬかと虞れるのでございます
 - 第7巻 p.132 -ページ画像 
殊に此劃一の制度からして、人といふと何れも同じやうに御看做になるといふやうなことは、尚更に其疏隔を強める虞がありはせぬか、是等は成るべくだけ取除くことに常に御注意を願はねばならぬことゝ私は考へます、詰り申すと此商工業に従事する者、殊に銀行者などは、法律の精神が乏しい、法律上に心の用ゐ方が少いといふことは、自らを責めねばなりませぬが、是と同時に法律に従事の方々が成るべく吾吾共と常に御説をお闘はせ下され、又足らざる所は教へて下されて、努めて経済と法律とを密着して進むやうにならなければ、真正の国家の富強は致し兼ることではございますまいか、吾々は平生さういふ所に憂を持つて居りまするで、折もあつたら、司法部の方々の尊臨を請うて吾々の考へ及ばぬ所をば御遠慮なう御懇話を頂戴し、又御攻撃も蒙りたいと思ひまするで、今夕玆に御案内を申上げた次第でございます、幸ひに閣下諸君の御臨場を蒙つて、玆に十分の談話を為し得られる機会を得ましたことは誠に喜ばしく存じまする、玆に臨場を辱うしました閣下諸君の健康を祝します(起立乾盃)
    ○岡部司法大臣の演説
委員長、諸君、本夕は図らずも吾々御招待を蒙りまして、趣味多き御饗応に預りましたことは誠に感謝に堪えませぬ、此処で御答を致すに司法部を代表してお答をするのであるか、或は個人としてお答をすべきものであるか、是は少し迷ふ所である、併し先づ司法部を代表してお答を致す積りであるが、いつの間にか肩書を取つてしまふかも知れぬ(笑)
唯今委員長から懇篤なる御挨拶の中に社会と司法部との間には或は解りさうなものであることが、思の外解らぬことがある如くであるといふやうに承つたのであるが、之れは委員長の僻みであるだらうと思ふ吾々司法部の人間としては能く解つて居る積りである、又解らなければ決して司法部の職務を執行することは出来ないのである、併ながら如何に信じて居つてもそれは自ら信ずる所であるから、他から判断を下せば或は欠点もあるといふことは、是は人間として止むを得ぬ其間のことは御互に斯の如き宴会其他談話等所謂意思の疏通に依つて円滑に且つ厳粛に――円滑と厳粛といふことは伴はなければならぬ、厳粛を欠いたる円滑はいけない、円滑を欠いたる厳粛もいけない、円滑と厳粛を欠かざる交際に於て、能く意思の疏通を図つたならば、そこらの欠点は互に見出し互に矯正することが出来るだらうと思ふ
私は数日前各地方の司法官即ち判事検事の監督官たる者及典獄の総てを召集致して、色々執務上のことに就て協議を致させた、既に其用向は終つて最早各々任地に帰つたのであるが、其会同の第一回の日に於て、司法大臣と致しての意見を示しました、其大体は各新聞に掲載されて居る様に聞き伝へて居る、勿論一々新聞を読んだ訳ではないが、少くも一二の新聞には大体が掲載してある、但し其新聞が自分の発表致した意見の要領を十分に掲載して居るや否やといふことは詳に知りませぬが、どうか委員長並に御主人たる諸君に於かれては其の会合の当初に於て判検事の監督官並に典獄等に対して如何なる訓示を下したかといふことに就ては、宜しく御承知置きを願ひたい、彼の訓示は私
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は句々字々精神を籠めた積りである、委員長は御多用の御身でありますから未だ之れを御通読にならなかつたであらうと御察し申しますが諸君にして幸に私が判検事並に典獄に向つて訓示致したる意見を全部御熟読下さいますれば、今委員長の吾々に向つて御求めになつたやうな主意は、既に発表して居るといふことを御諒解下さるであらうと思ひます、其筆記印刷は本省にも沢山はありませぬから兎に角委員長の御手許まで差上げますからどうか御覧を願ひたい、其主意にして委員長並に諸君の御希望に尚足らぬことがあるならば、更に御注意を下されば誠に幸であると思ひます、是までは肩書附の御挨拶と御聴を願ひたい(拍手)
是から暫く私は肩書を取つて個人として一言申します(笑)唯子爵岡部長職として御礼を申上げますが、誠に今晩は御鄭重なる御宴会に御招待を蒙りまして何とも御礼を申上げる言葉もない、実は銀行倶楽部と云へば銀行家の有数の人がメンバーとなつて居らるゝ所の倶楽部である、銀行家の有数の人がメンバーとなつて居る倶楽部であるならば一の岡部子爵は会員の資格はない、今夕は肩書のあるために玆に御饗応に預ることを得たことゝ思ひます、けれども私は子爵の個人としてもま此御饗応に預つたことを誠に喜んで居ります、私は他日職を辞しましたことがあつても、銀行倶楽部の晩餐会に矢張一の岡部子爵として来賓の中に御加へ下さることを希望します(笑)併しそこは御主人の御考であるから御招待下さらぬからと云つて、是に向つて法律的の訴を起すことに至るは少し不穏当でありますが、徳義問題としては能く御考を願ひたい(笑)私が墓の中に這入てしまつた後はいざ知らず兎に角娑婆の中に生息して居る以上は、矢張岡部子爵は職を辞しても必ず御忘れ下さらぬことを希望するのであります(笑)少し公私混淆の様であるが併ながら此処は絶対的の公でもない、公の中に既に個人的といふ意味も含んで居る、又私の間に公の意味も含んでいる、若し公ばかりの宴会であるならば、委員長が此処で号令を下してエーオイといふに相違ない(笑)公の間に私がある、私以外に公のあるといふために非常なる趣味があるのだらうと私は考へる、マアこんな講釈をするには及びませぬが――何を言つて宜いか解らなくなつて来ましたが(笑)唯余程嬉しい、私は全体斯ういふ主義を持つて度る、此主義は諸君能く御同意下さることを希望する、御同意下さらぬならば、なぜ御同意下さらぬかと攻撃しなければならぬ、私の宴会に対する主義が私が主人にならうが又客にならうがそれは問はぬ、宴会に出席した以上は先づ自ら喜ぶ、自ら喜ぶといふのが私の主義である、御客さんが喜んでも喜ばぬでも御主人がおこつても何でも、そんなことは構はぬ先づ自ら喜んで唯自分の考を述べる、自分の言つたことが人の気に入つて始めて喜ぶなんといふ、そんなことはない、先づ自ら喜んでさうして話をする、反対であつたら反対の意見として喜んで聴けば宜しい賛成であれば賛成の意見として喜んで聴けば宜しい、人間は百人百色で、面の変るだけ意見も違つてゐなければならぬ、自分の意見の如く尽く皆同じならば社会は死んでしまふ、勿論自分の意見が間違つて居るかも知れぬ、併ながらそんなことを心配して居つては心細くて立
 - 第7巻 p.134 -ページ画像 
つて居られない、互に長を助け短を補うて始めて社会といふものは成立つ訳であるから、唯賛成反対の問に嫌味の無いだけのことを願ひたい、私は嫌味を持つてゐないといふことだけは慥に信じて居る、そんなことは自分の話でありますが、それで又少し公といふ方に戻りますが、私が一番正客だから先づ御挨拶を申しましたが、次には横田君、是は次席であるだらう、次席である以上には、私が御挨拶を申上げたから、それで来賓を代表し終つたとは言へない、私の御挨拶に大に光彩を添へやうとすれば、どうしても横田君に何か後をつけて貰はなければ物にならぬやうな心地がする、併し横田君が果して立たれるや否や同君の随意に任さうと思ふ、私は此間或る検事長から詩を与へられたに就て其詩に次韻をしたことがある、委員長の御許を得て玆に一つ御礼のため朗吟しまして諸君の御健康を祝しませう
  放懐自在是天真  山水有心余亦人
  休説世情多苦楽  満觥清酒玉無塵
                      (拍手)
    ○横田大審院長の演説
渋沢男爵閣下並に諸君、今晩は非常なる御饗応に預かりまして其御礼は最早司法大臣より申上げましたから、私は先づ簡単なる御礼を申上げると云ふことに止める、渋沢男爵閣下の御言葉に司法部と実業界とは仲好く互に相助け合ふ処がなければならぬ、司法部では法を主とし又実業界は情を固執するでもありますまいが、先づそれに依つてもう少し情を酌みさうなものだ、先づ私の聴取りました所は其点が重なることのやうに考へる、それで是に付いて一言申上げたうございます法律家が法律の事を言ふのは余り面白くございませぬが、私が熟々此法律の傾向に付て世の中はどう云ふ風になつて来てをるものであるかと云ふことを考へるに、此十九世紀より二十世紀に移りますまで、其状態と云ふものが頗る変つて来てをるやうに見えます、勿論二十世紀になつたから俄に変つたとか、さう云ふ訳ではございませぬ、矢張前から次第々々に変つて来をるやうに思ふ、其変つて来をるのは何が変つて来をるかと云ふと、此法律と云ふものが最初は斯ふ何か一種別段の道理の有るものゝやうに思つて居つた、それが次第々々に政略の方に傾いて来た、政略と云ふのはどうか、改策とも言ひますが、今世間で謂ふ所の党派とか何とか云ふさういふ意味ではない、国家の政策、其方に傾いて来をるやうに思ひます、それで以前は刑法にしますると応報即ち正義と云ふことを重にして居つた、カントあたりは正義ばかりのやうに思ふた、それが今日は大変異つて来て居る、それは正義といふものと目的といふものを併せて折衷説といふやうなものを拵へ、それから又今は却て正義の方は切棄てゝしまふと云ふ位の勢になつた是に付いて込入たる昔話は申上げませぬ、又民事にしましても以前は何か理屈と云ふものが別にある、此世の中の事より別に立つて居る、それは神法とか天然法とかの如く何処に往つても変らぬと云ふやうなものがあると思ふてをつた、それで其時代であると、正義とか何とか云ふても閻魔の代りでもやるやうな考になつてしまふ、民事にしたところが是は神様の法に依らねばならぬと云ふやうな風になる、それが
 - 第7巻 p.135 -ページ画像 
次第々々に今日ではモウ全く――まだ悉くとは参りませぬけれども、此刑事政略と云ふものが近頃日本にも流行つて居る、それで商事は勿論民事にも実は政略の這入つて居るのである、斯様に変化して来まする以上は総ての事が便利とか便益とかいふことの方にズツト傾いて来ることだらうと思ふ、傾き居るのぢやと私は思ふ
是に付て甚だ玆にむづかしい事がある、むづかしい事とはどんな事かと云ふに、法と云ふものは必ず左なら左に行けと斯う云ふでございませう、ところが左と云ふ方に行けば必しもそればかりが便利と云ふものぢやない、間には不便利なものもある、それで渋沢男爵の仰せられるのも尤なことであるが、裁判官を余りにそれは咎められぬ、咎められぬのはどう云ふ訳かと云ふに、裁判官に向つて法律は左なりと斯う命じて居る、若しそれを裁判官が情を酌んで、是は右なりと斯う裁判をしますると、裁判をさう受けた方は嬉しがりませうが、一方からは必ず法律に間違つて居ると、斯う言ふでありませう、又法律ばかりに従へば一方からはどうも此裁判官は情を知らぬと斯うなる、そこで此事に付ては今の問題ではない、私は六七年前より之を考へて居るのでございます、それで世界の法律も無論其辺を調和するために但書を加へたりイロイロ裁判官に権力をヒドク委任して置く、是は先づそれを救ふ一つの手段ではある、併ながら全くさうなつてしまふと、もうトント頼る所はドツチか分らぬ、ドチラでも宜いといふ風になるから、是も甚だ気遣はしい、それで先日上野に於て私が情実裁判所と云ふものを設けて、先づ之をどうか救ふ方法を考へずばなるまいと言つて、弁護士並に新聞記者諸君に御相談申上げた、玆にチヨツト中間の御話をします、其間今の続きをサラリと脇へ除けて置くことに御承知を願ひたい
今迄は道理と云ふものは何か一筋のやうに考へて居るが、決してさう云ふものでない、イヤ斯うさへ法律を極めて置けばそれで宜いものであると思つて居つたが、さうでない、之を言ひ釈くことが甚だ私はむづかしい、それで有形上の事に譬を取つて言ふと、玆に一尺の長さの物がある、此一尺の長さの物を三つに割る、一と云ふ数を三に割ると云ふことは先づ出来ぬことで、スツカリ割切ることは出来ぬことである、日本では三一三十の一、三一三十の一、何処まで行つても三三三である、西洋の算術でも矢張其通で分数である、が、諸君、実地は是がスツカリ割れるがどうぢや、此手巾の長さを一尺と見まして之を斯うしますと(手巾を三つに折りて示す)三つに平等に割れる、実際是が割れるのに、どうして算盤で割れぬか、何故に理屈では割れぬか是は尺竹と云ふ極まつたものがある故に割れない、尺竹と云ふものは作り物ぢや、之を諸君、私がスツカリ道理上で割つて御覧に入れやうか、算盤上でそれはどうすれば割れるか、此長さの物を三尺にして御覧なさい、尺竹を改造して御覧なさい、尺竹を改造してやれば是が三尺あるから一人一尺づつといふことになる、そこで諸君、此理外の理と云ふことは私も認むるが、此老子とか禅の方で理外の理といふけれども、其理外の理と云ふことは理外の理ではない、理内のものであると云ふことを老子でも禅でも気が着かぬのである、それまで往かない往かれぬ訳である、
 - 第7巻 p.136 -ページ画像 
それで此処に居られる早川さんなどは禅学の御嗜があるが、少しむづかしい事を言ふやうになりますが、儒者が五常と云ふものを拵へた、之を老子がそんなことでは真の道になら《(な脱)》い、それは先づ仁と云ふこと仁と云ふことがあるからして斉の田氏が百姓に物を遣るに大きな桝でやり取るに小さな桝で取つた、其実仁望を得て斉の国を奪ふ詐術であつた、或は宋襄の仁、それで老子が道之可道非常道といふこと云ふたそこで私が思ふに、禅を学ぶ者にしても、先づ初学の人を言ひますと土台一と云ふものを三には割れない、仕方がないものは仕方がない、と云ふ位が先づ悟道かとおもふてをる、其次は実際割れるといふことを悟るに至る是が善智識だ、併し割れることは悟るけれども割れる理が解らぬ、理が解らぬといふことを私が何故言ひ放つかと云ふに、其主義とする所で直ちに解る、禅の以心伝心とか老の玄とか云ふことは言ふことが出来ぬのである、若し理が解るならば言ふことが出来る、それで事々物々研究して見れば理のないものはない、唯其理の研究が六かしい、故に諸君の御商売上御得意なる算数の例を以て有形的に真理の一端を申述べたのであります
それで又元に復りまして、情実裁判所を設けるが宜いと云ふことを私は言ふた、是に付て一つ私は銀行倶楽部に向つて望む、其望むのは私は決して今出来やうとも思はぬが、どうも訴訟といふものは一体善いものではありませぬ、一体成るべく為すべきものではない、それでどうぞ斯う云ふ事をして貰ひたい、それは何かと云ふに、此銀行倶楽部部に私立裁判所を拵へて貰ひたい、私立裁判所と云ふのは是は即ち仲裁裁判でも何んも宜い、今でも各銀行に法律家を雇込んである所もございませう、又外国に往つて見ると皆雇込んである、それをどうか一諸に纏めて、えらい人を置いて、何れ平生は何の事はどうしませうとか云ふて、先づ相談の用に供するも宜しい、それから又互の間に争ふやうな事があつたならば先づ其処へ持て行つて裁判を受けるが宜い、是は矢張先日情実裁判所を構へるが宜いといふたのと、先づ似たことでございますが、殊に此銀行などは金もあるし、人を雇込んでさうして実際家も交つてやつたならば、事々に旨く、前に申上げた譬の通り、一件々々に尺竹を拵へて行くやうなことが出来るであらうと思ふ、さうすれば独り銀行の為め《(の脱)》みならず、裁判所に向つても、どうぞ斯う云ふ事は此方が宜いと思ふから、斯う云ふ風にして呉れとかどう云ふ風にして呉れとか言ふ、成程と云ふ所で裁判所も亦追々改正する所もありませうし、又商事裁判所を建てるが宜いか悪いかと云ふやうな議論も出ませう、さうして官にてもそれに係つて居る人を雇ふやうなこともありませう、先づ是れが迚も出来もしますまいけれども、出来ぬことにせよ言うて置けば幾らか為めにならうと思ひます(拍手)
是で措けば宜いがもう一つ言ふ、もう一つは決して時事に就いて言ふのではございませぬ、それは予め御承知を願ひたい、曾て渋沢男爵閣下に、どうぞ閣下御自身も其他の諸君もどうぞ自分に孔子とか釈迦とか云ふやうな御心持で、此商業社会を御引立を願ふと云ふことを申したことがあります、其時分に男爵閣下に向つて私は斯う云ふ事を御尋した、それは自分はどうも西洋に居て幾分か商法の事も稽古をして見
 - 第7巻 p.137 -ページ画像 
たけれども、一向先づどつちかと云へば解らぬ、又商事の実際のことは尚分らぬが、自分が独逸に久しく居つて考へたのに、独逸の商人の仕方は百円持つて居る者が五十円の事をする、一万円を持つて居るならば五千円、必しもさうでもあるまいが、マアさう云ふ模様が自分には見える、ところが日本人はさうでなくして、百円ある者ならば五百円六百円或は千円の事柄をやる、是はどう云ふものであらうかと男爵閣下に御尋した、所が男爵の言はれるには、それは独逸ばかりではあるまい英吉利あたりもさうであらう、併ながら亜米利加はさうでないやうに思ふ、斯ふ云ふ御答でありました、それで私は今にそれに付て頭に疑を持つて居る、どうもドチラが宜いとも悪いとも言ふことが出来ませぬ、併ながら日本は新に開ける国でございますから何んでもサツサとやれ、冒険をやれ、ヤア濠太刺利に往けとか何処に往けとか大変な事を企てる、それを奨励して居る、それから又一万円持つて十万円の仕事をするとゑらい奴ぢやと大変に褒める、とマア私は思ふ、けれどもが能く考へて見ますると、民信無くんば立たず――此の民信無くんば立たずの中にしても、商人位に信無くんば立たずの者はあるまいと斯う私は思ふ(拍手)そこで大変な事をして今の秀吉になるとか那破翁になるとか云つた所で、さういふ者になれる者が幾人あるか、商人なら三菱の岩崎弥太郎、何もなれぬことはあるまいと云ふやうな事を言つて俄かに金持になつた人を羨んで居る、是は宜いではありませうが、併ながら此為に私は信用と云ふものが非常に薄くなるぢやらうと思ふ、誰も人を信用するのが薄くなります、どうも彼の男は一万円持つて居るといふが、十万円の仕事をやる、どうも危険ぢや、斯ういふやうな心が世間一般に生じて居りはせぬかと斯う思ふ、それで私は必しも日本主義に依ることを悪いとは申しませぬが、どうか此手堅く就中最早成立つて居る会社、金持の如きは、どうぞさう云ふ風な向きにならぬ方が宜くはないか、さうして世の中の信用と云ふものを繋ぐやうにしたい、併し是は局外者から見ましたところの、全く自分一個の見でございまして、唯玆に提出して諸君の御参考に供するだけのことでございます、イロイロ何んとか斯とか跡始末を言ふのでございますが、最早是で御免を蒙ります(拍手)