デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2023.3.3

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
1節 海運
3款 日本郵船株式会社
■綱文

第8巻 p.213-236(DK080009k) ページ画像

明治29年3月15日(1896年)

同会社日清戦争後海外航路開発ノ輿論ニ応ヘ、欧・米・濠ノ三大航路ヲ開設セントス。是日先ヅ欧洲航路第一船土佐丸横浜港ヲ出帆ス。尋デ、此年八月米国航路及ビ十月濠洲航路ヲ開始ス。是ヨリ先、第八回帝国議会ハ航路拡張・船舶保護ノ建議案ヲ可決シ、東京商業会議所亦海運振張ノ方法ニ付建議書ヲ政府ニ提出シ、尚是月航海奨励法ノ発布アリテ此気運ヲ助長スル所アリタリ。栄一同会社取締役並ニ東京商業会議所会頭トシテ尽力スル所多シ。


■資料

東邦協会々報 第一五号・第七八―八七頁〔明治二八年一〇月〕 戦後の海運拡張の方針及程度(渋沢栄一君演説)(明治廿八年十月十三日東邦協会臨時総会に於て)(DK080009k-0001)
第8巻 p.213-217 ページ画像

東邦協会々報  第一五号・第七八―八七頁〔明治二八年一〇月〕
    戦後の海運拡張の方針及程度(渋沢栄一君演説)
        (明治廿八年十月十三日東邦協会臨時総会に於て)
○上略
偖て是より、戦後の海運をどれ程に進めて宜いか』どれ程の程度にせねばならぬか』と云ふが、最も重要な問題と考へまするが、此事に就
 - 第8巻 p.214 -ページ画像 
きましては世間にも種々の説がありまして、私も従事致して居る、東京の商業会議所も、昨年来委員を立てまして十分なる取調を致し、其意見は業に既に其筋へ進達を致してあります。而して其最初の調査委員会を開いて居る頃より、東京新聞等に出てありまするから、諸君の中で或は御覧に成つたこともあるであらうと思うのであります、殊に私は不肖ながら会頭も致して居りますので、共に論じ共に議して、其決案を私の名を以て其筋へ申立てゝあると云ふ次第でありますから、私が此所で申述べまするも、商業会議所の希望は即ち自分の意見であると申さゞるを得ませんのであります、此商業会議所の意見と申すものは、大別して海運の拡張を三段に別けまして申立てゝあります、即ち海員の養成、造船の保護、航海の奨励、の三者であります。実に此海運を進めて行かうと云ふには、単独に唯だ航海だけを奨励するのでは満足とは申されますまい、其船を造ると同時に乗手を養成すると云ふことは必要欠くべからざる務めと考へます、又今日の有様では造船は日本の仕事に果して適応すると云ふことは申されません、申されぬからと云ふて、船と云ふものは日本では到底出来ぬもので他の国から買はねば船に乗ることがならぬと云ふ如き有様は、日本一国として決してあるべからざることであります。故に日本の造船業も是非とも他の国に負けぬ程の程度に進むと云ふ希望は、持たねばなるまいと思ふのであります。然らば、此海運と云ふ問題中に、海員の養成と造船の保護と云ふことは共に論ぜねはならぬものであらうと思ふ。商業会議所は此海員の養成を二段に分けました、即ち船長機関手の種類と水夫火夫の種類とを各別に養成訓練する方法を述べました。』
又此造船の保護に就ても、凡そ噸数は千噸以上のものに保護して宜からう、如何となればそれより小さいものであつたならば、海外で拵へる程の必要が生ぜぬであらう。又保護する程の価値がなからう。』
航海奨励法に於ても何れの距離何れの程度を以て定めてよからうと云ふ、凡その道筋を立て意見を呈して置きました。此等の三要点は私も勿論同意でありますが、私は一歩進んで、此調査の後に更に玆に希望致して置きたいと思ふ考案があるのであります、其考案は何かと申しますと、此商業会議所の意見は海員の養成、造船の保護、一般の航海奨励と云ふものに止るのでありますが、私が今玆に未来の海運の希望を申述べますのは、唯だ此一般の奨励のみでは海運をして満足せしむることは出来ないと云ふ想像であります。』一般の奨励は勿論宜い。宜いが単に其だけに止めて置くと云ふことで此未来の海運を満足に発達させて行けるかと云ふことは甚だ疑はしい、言を換へて之を申すならば、必要なる線路は相当の方法を以て是非定期航路として開くと云ふ道を求めねば、決して十分な進歩を見ることは六かしからう。商業会議所も此奨励法に就て、未来に望む所の線路を七つ目的を立てゝ申してあります、即ち天津の線路、上海の線路、浦潮斯徳線路、支那海の線路、濠洲線路、欧洲線路、米国線路、『是は目下に於てどうしても開かれたいと云ふ場所である』と斯う想像しましたのであります。一般奨励法でも是等の必要の線路に決して船が行かぬと云ふことはないのでせう、ないのでありませうが、今私の申上けたのは、単に一般の奨
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励であつたら、或は行く或は行かぬと云ふ有様にて、真に自国の商売を誘導幇助するだけの助けを持つことは六ケしからう、故に私は即ち商業会議所の評議に一歩を進めて、玆に一の適法なる特別奨励を与へねば十分海運の拡張を為すことは出来ないと考へる。殊に其中でも私の最も希望するは欧羅巴線路、濠洲線路、又一方には亜米利加線であります。扨其第一たる欧羅巴線の如きは、現在在る所の船では迚もいけますまい。どうしても、更に一艘に五十万六十万の金を掛けた船を造らねば相成りますまい、凡そ六艘の船が無うては相当な定期を立てることは出来得ぬのであります。併し追々に商売の接続が着いて参つて居りますから、初めの間は苦しうありませうけれども、若し此相当な船を備へて定期航路を開て行くやうになつたならば、欧羅巴と日本とは商売の繋ぎを確かにして、他国人の船に拠らずに付けることはさう難いことでもなからうと思ひます』。又第二に、濠洲線路是はそれ程立派な船で無うても、或は現に今郵船会社若くは他の社に在る所の相当なる船でも航路を開くことが出来るであらうと思ふ、而して日本は向後工業でも進めて行かうと云ふには、濠洲は大に関係ある土地と思はれます、又こちらから品物を送出すと云ふ仕事も随分見付け次第あらうと思はれる場所です、亜米利加の線路は商売の点からは、或は今申上ける二つの場所に続くとは申せぬかも知れませぬが、時機迫つて居ると考へます、此線路は日本に於て是非一着を占めたいと云ふことは、一国としての観念で私は最も切望されるやうに考へる、即ち横浜より亜米利加のタコマ又はセアトル抔の土地へ接続して(例へは大北鉄道会社或は運漕事業を心掛けて居る者よりも、種々なる方法を以て或筋へ申して参つてありますから)、日本に其望みがあるならば、相当なる契約を致すことも出来ると思ひます。」併し此線路の船と云ふものは、どうしても今太平洋に浮んである船に一層増す所の船にして、儼然たる巡洋艦たらざるを得ません、其船に対する費用は容易な金高では行けますまいと思ひます、故に是等の航路は商売的の考へのみでは開得られぬでありませうが、国と云ふ観念から行つたならば是非繋きを付けたいと思ふのは、独り私が望むばかりではない、諸君にも此の御企望が生ずるであらうと思ひます、私は是非此の巡洋艦二艘を海軍省で造りて、平時には他に貸与して斯う云ふ航路に供して商業交通の発達を謀り、戦時には軍国の用に供するのが一番国家に取つて大利益であらうと思ふ。左様な方法にして行つたならば、さう大層な金を国家が費さいでも、此航路を開くことが出来やうかと思はれます。』尚ほ続いて希望致したいのは、今の三線の外に、支那南部の地を経て台湾に接続する航路であります、甞て台湾に就ては日本郵船会社も人を出して取調べたことがあります、是れは未た戦争最中でありましたから、其調査は極存分とは申されません、又唯だ一人の人が見て参つての報告に止まりますなれども、私共が聞きました所に依ると、台湾と云ふ場所は、直接に日本から支那の南部を経て繋ぐのには、台湾其物の周囲を一周する沿海の航海を設けて、それと他方より往復するものとの接続を付けるのが、台湾の商品の運漕に就ては一番便利な方法ではなからうかと云ふ考案も承つたことがあります。是等は未だ十
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分な調査を経ませぬから、其航路に就て確乎とは申されませんが、果して支那南部と連絡して台湾の航路と云ふものも、切要な場所にならうと考案を致しますのであります、若し果して私が今申す如き方法を執りましたならば、商業会議所は保護と航海の奨励とにて一ケ年に九十万円以上の金が要ると云ふ予算を立てましたが、私は迚もそれ位の金ではいけぬと申さねばならぬ、如何となれば今の三線路と云ふものは、どうしても定期としなければ行けないと考へる、玆に細かい算盤を以て五厘も引けないと云ふが如き勘定を言ひ明すことは出来ませぬが、少くも今の三つの航路を完全にやつて行くと云ふには、私は国家が二百万円以上の金を出さねば出来得まいかと想像される。極々々大数の申分で、果して幾程であらうか、調査の上でなければ分りますまい、けれどもが、国家が、玆に海運は必要だ是非之れを相当に伸ばすと云ふことを思ふならば、唯だ漫然たる一般の奨励のみで此海運の発達を望んで居るのは、或は仏を造つて眼開かぬと云ふ嫌ひがありはしないかと恐れるのであります。』私は此海運の将来に対する希望を玆に申上けますが、商業会議所の申出しました所は全く同意である、但し更に是に加へて隴を得て蜀を望むと云ふことを申すのであります、且其叙述した線路の中の二三は、唯だ一般奨励法に拠つてのみ発達を求めると云ふことは、甚だ望みが薄からう、故に国家は相当なる方法を以て、是に定期の航路を設けて更に進むことを務めなければ行まいと思ふ。』其線路の重もなる場所は、今申す欧羅巴線路、濠洲線、亜米利加線である、殊に亜米利加線の如きは例へば相当の保護を与ふると云ふても、其船までも営業者が造ると云ふに至つては、甚だ為し難いことである、故に国家が相当な巡洋艦を造つて、之を契約上から貸し与へてやると、至極宜いではなからうかとまで思はれます。』戦後の経済と云ふものは実に種々様々なることがございますで、唯た航海だけ進めてそれで足れりとは申しますまい、左りながら今玆に申上げるのは『其の経済上の進みに就いて、最も重要なる問題は船であらう、海運であらう、其海運は如何なる程度、どう云ふ方針で進んだらよからう、』と云ふのは、渋沢栄一の考へます所は、今申述べる如き点までに進めたいと思ふ、若し果してそれだけに行かなかつたならば、此海運は稍々進んだと云ふとは或は申し得られぬものではないか』と恐れます。前にも日本の歴史を申上げましたが、日本の海運は大に進みはした、大に進みはしたけれども静かに之を考へて見ますると、誠に其区域が狭い、稀れに欧羅巴へ日本の船が国旗を翻して行くことはありますが多くは是は商売船ではない。故に前に申した三十余万噸の商船が日本にあるとは云ふものゝ、海外に出るのは実に近海ばかりであります。近頃印度に新航路を開いたのも、郵船会社が非常の勇気を出して僅に之を維持して居るといふに過ぎない、其他は皆な唯だ此小さな島国の周囲に跼躅して、甲乙相争ふて居ると申しても宜い有様で、他に向つて十分な航路を開きて、大に規摸立つた進みを為すと云ふこと今日の所では一つも見ることが出来ないのであります。戦後の経済上に於て、此海運が甚だ重要なものであると思ふたならば、今日の現況と見合せましたら、甚だ歎はしいと言はざるを得ぬやうに思ふであり
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ます』○下略


法令全書 明治二九年三月二三日 法律 第十五号 航海奨励法(DK080009k-0002)
第8巻 p.217-218 ページ画像

法令全書  明治二九年三月二三日
 法律 第十五号
  航海奨励法
第一条 帝国臣民又ハ帝国臣民ノミヲ社員若ハ株主トスル商事会社ニシテ、自己ノ所有ニ専属シ帝国船籍ニ登録シタル船舶ヲ以テ帝国ト外国トノ間又ハ外国諸港ノ間ニ於テ貨物、旅客ノ運搬ヲ営業トスル者ニハ、此ノ法律ノ規定ニ依リ其ノ船舶ニ対シ航海奨励金ヲ下付ス
第二条 此ノ法律ニ依リ航海奨励金ヲ受クヘキ船舶ハ、総噸数一千噸以上ニシテ一時間十海里以上ノ最強速力ヲ有シ、逓信大臣ノ定ムル造船規程ニ合格シタル鉄製又ハ鋼製汽船ニ限ル
第三条 航海奨励金ヲ受ケムトスル船舶ノ所有者ハ、其ノ船舶ニ対シテ予メ逓信大臣ノ認許ヲ受クヘシ
第四条 左ノ船舶ハ航海奨励金ヲ受クルコトヲ得ス
 第一 此ノ法律施行以後帝国船籍ニ登録ノ際製造後五箇年ヲ経過シタル外国製造ノ船舶
 第二 製造後十五箇年ヲ経過シタル船舶
 第三 帝国政府ノ命令ニ依レル航路ニ使用スル船舶
第五条 航海奨励金ハ総噸数一千噸ニシテ一時間十海里ノ最強速力ヲ有スル船舶ニ対シ、総噸数一噸航海里数一千海里ニ付二十五銭ヲ支給シ、総噸数五百噸ヲ増ス毎ニ其ノ百分ノ十、最強速力一時間一海里ヲ増ス毎ニ其ノ百分ノ二十ヲ増給ス、但シ総噸数六千五百噸以上又ハ最強速力一時間十八海里以上ノ船舶ニ対シテハ、総噸数六千噸又ハ最強速力一時間十七海里ノ船舶ニ対スル割合ニ依リ支給ス
 航海奨励金ハ製造後五箇年ヲ経過セサル船舶ニ対シテハ全額ヲ支給シ、五箇年ヲ経過シタル船舶ニ対シテハ一年毎ニ其ノ百分ノ五ヲ逓減ス
 航海奨励金ヲ算定スルニハ一噸未満一海里未満ノ端数ヲ算入セス
第六条 航海里数ハ各港間ノ最近航路ニ依リ之ヲ算定ス
 帝国各港ヘ寄港シ外国ヘ発航スル船舶ニ在テハ最終ノ寄港地ヲ起点トシ、又外国ヨリ発航シ帝国各港ニ寄港スル船舶ニ在テハ最初ノ寄港地ヲ終点トシテ其ノ航海里数ヲ算定ス
 航海里数ヲ証明スルニハ寄港地官庁ノ寄港証明ヲ以テスヘシ
第七条 逓信大臣ハ命令ヲ発シ相当ノ金額ヲ給与シテ第三条ノ認許ヲ受ケタル船舶ヲ公用ノ為ニ使用スルコトヲ得
 船舶所有者前項ノ給与金額ニ対シ不服アルトキハ、其ノ通知ヲ受ケタル日ヨリ三箇月以内ニ裁判所ニ出訴スルコトヲ得
 前項ノ出訴ハ使用ヲ停止セス
第八条 第三条ノ認許ヲ受ケタル船舶ノ所有者ハ逓信大臣ノ命令ニ依リ、左ノ割合以内ニ於テ其ノ費用ヲ以テ航海修業生ヲ該船舶ニ乗組マシメ同大臣ノ定ムル手当ヲ支給スヘシ
    総噸数一千噸以上二千五百噸未満    二人
    総噸数二千五百噸以上四千噸未満    三人
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    総噸数四千噸以上           四人
第九条 第三条ノ認許ヲ受ケタル船舶ノ所有者ハ逓信大臣ノ許可ヲ受クルニ非サレハ、外国人ヲ其ノ本支店ノ事務員若ハ該船舶ノ職員ト為スコトヲ得ス、但シ外国ニ於テ死亡其他止ムヲ得サル事故ニ因リ船舶職員ニ欠員ヲ生シタルトキハ該地官庁ノ公認ヲ経テ之ヲ補フコトヲ得、此ノ場合ニ於テ該船舶ノ所有者又ハ船長ヨリ直ニ逓信大臣ノ許可ヲ請フヘシ
第十条 第三条ノ認許ヲ受ケタル船舶ノ所有者航海奨励金ヲ受ケ航海スル場合ニ於テハ、逓信大臣ノ命令ニ従ヒ該船舶ニ郵便吏員ヲ無賃乗船セシメ及該船舶ヲ以テ郵便物、小包郵便物、郵便用品及小包郵便用品ヲ無料ニテ逓送スヘシ
第十一条 第三条ノ認許ヲ受ケタル船舶ノ所有者及其ノ承継人ハ、航海奨励金ヲ受ケ航海スル期間並其ノ航海ヲ終リタル日ヨリ三箇年間其ノ船舶ヲ外国人ニ売渡、貸渡、交換、贈与、質入、書入スルコトヲ得ス、但シ其ノ船舶ノ既ニ受ケタル航海奨励金ヲ償還シタルトキ又ハ天災其ノ他抗拒スヘカラサル強制ニ困リ航行ニ堪ヘサルトキ若ハ逓信大臣ノ許可ヲ得タルトキハ此ノ限ニ在ラス
第十二条 逓信大臣ハ此ノ法律ニ依リ船舶所有者ノ義務ニ属スル事項ニ付テハ直ニ其ノ代人若ハ船長ニ命令ヲ下スコトヲ得
第十三条 詐偽ノ行為ヲ以テ航海奨励金ヲ受ケタル者又ハ第十一条ノ規程ニ違背シタル者ハ、一年以上五年以下ノ重禁錮ニ処シ二百円以上千円以下ノ罰金ヲ附加ス
 前項ノ罪ヲ犯サムトシテ未タ遂ケサル者ハ刑法未遂犯罪ノ例ニ依リ処断ス
第十四条 此ノ法律ニ依リ逓信大臣ノ発スル命令又ハ第九条ノ規程ニ違背シタル者ハ、二十円以上五百円以下ノ罰金ニ処ス
第十五条 此ノ法律ヲ犯シタル者ニハ刑法数罪倶発ノ例ヲ用ヰス
第十六条 詐偽ノ行為ヲ以テ航海奨励金ヲ受ケタル者ハ其ノ因テ得タル金額ヲ償還セシメ、第十一条ノ規程ニ違背シタル者ハ其ノ既ニ受ケタル航海奨励金ヲ償還セシム
第十七条 船舶所有者此ノ法律ヲ犯シタルトキハ逓信大臣ハ航海奨励金ノ下付ヲ停止スルコトヲ得、第十二条ノ場合ニ於テ其ノ代人又ハ船長ノ犯シタルトキ亦同シ
第十八条 前数条ノ罰則ハ商事会社ニ在テハ其ノ各条ニ掲クル行為ヲ為シタル業務担当ノ任アル社員若ハ取締役ニ之ヲ適用ス
第十九条 此ノ法律ハ明治二十九年十月一日ヨリ施行ス


明治史第五編 交通発達史(「太陽」臨時増刊)第二三四―二三五頁〔明治三九年一一月〕(DK080009k-0003)
第8巻 p.218-220 ページ画像

明治史第五編 交通発達史(「太陽」臨時増刊)第二三四―二三五頁〔明治三九年一一月〕
    一二 航業保護法の制定
 之より前政府は屡々航海奨励法案を議会に提出し、民間亦其希望を以て運動する所ありしも、恰かも官民の衝突其頂点に達し居たる時なりしかば、衝突に亜ぐに解散を以てし、久しく其目的を達する能はざりしが、第八議会に至りて自由党員の西山志澄等の航路助成に関する建議案、河島醇等の提出にかゝる船舶保護に関する建議案、小室重弘
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等提出にかゝる海員養成に関する建議案等総て現はれ、一般貿易界の趨勢亦一層保護政策を進めむことを促がして止まざりしかば、政府は改めて更らに第九議会に航海奨励法、並に造船奨励法の二案を提出するに至り、議会に於ても固より異議なく、直ちに協賛を与へたれば、両案は同年三月を以て発布せられ(航海奨励法は法律第十五号、造船奨励法は同第十六号に於て)何れも同年十月一日より之が実施を見ることゝなれり。
 航海奨励法の要旨は、帝国臣民のみを社員若くは株主とする商事会社にして、自己の所有に専属し、帝国船籍に登録したる船舶を以て、帝国と外国との間又は外国諸港の間に於て貨物旅客の運搬を営業とす者にるは、総噸数一千噸以上にして一時間十海里以上の最強速力を有し、逓信大臣の定むる造船規程に合格したる鉄製又は鋼鉄汽船に限り船齢十五ケ年に達する迄、総噸数一噸、航海里数一千海里に付き二十五銭の奨励金を支給し、総噸数五百噸を増す毎に其百分の十、最強速力一時間一海里を増す毎に其百分の二十を増給し、総噸数六千五百噸以上、又は最強速力一時間十八海里以上の船舶に対しては、総噸数六千噸又は最強速力一時間十七海里の船舶に対する割合により奨励金を支給するものと定め、其計算方法は製造後五箇年を経過せざる船舶に対しては全額を支給し、五箇年を経過したるものに対しては一箇年毎に其百分の五を逓減することゝし、且つ此奨励金を受くる船舶には郵便物・郵便用品・小包郵便用品等は何れも無料にて逓送すべき義務を負はしめ、又た其船舶は奨励金を受け航海する期間並に其航海を終りたる日より三箇年間は之を外国人に売渡、貸渡、交換、贈与、質入等を禁じ、又其受領者の費用にて各船の航海修業生を乗組ましむるの規定を設けき。
 造船奨励法は前同様の商事会社にして、逓信大臣の定むる資格を具ふる造船所を設け船舶を製造するものには、其製造船舶に対し総噸数七百噸以上一千噸未満のものに在ては、船体総噸数一頓に付十二円、一千噸以上に在りては一噸に付二十円の奨励金を下付するものとし、又其機関を併せ製造したる場合に於ては、一実馬力に付金五円増給す(外国工場に於て機関を製造せしめたるときと雖とも、予め逓信大臣の許可を得たるときは亦同じ)るものと定めたり、而して此法律の施行期限は、明治二十九年十月一日の実施日より向ふ十五箇年となしたり。
 此年より又中央政府の特定命令航路を拡張し、新たに濠洲、孟買、浦塩斯徳及コルサコフの四線を政府の特定航路となし、廿九年度には二十八万三千二百七十八円余、三十年度以後は四箇年間毎年五十六万六千五百五十七円余の限度内にて、特別助成金を下附することゝ定めたれば、航運発展の気運益々加はり、郵船会社は同年六月を以て従来の資本金八百八十万円を二千二百万円に増加し、従来毎月一回の欧洲航路を毎月二回に改めて、之れが為めに大船十二艘を新造することゝし、同年八月には進みて更らに米国航路(香港を起点とし、横浜・布哇を経て合衆国シルトルに至る)を開始し、十月又濠洲航路(香港・メルボルン間)を開始し、之れが為めに別に又六隻の新造船を造るこ
 - 第8巻 p.220 -ページ画像 
とゝ為し、東洋汽船会社の創立亦此間に於てし、其他北海道炭礦鉄道会社も亦大船舶を購入して其石炭を海外に輸送するの業を兼ねむと企て(後中止となる)三井物産会社又同様の計画を進めて大船の新造を企つるに至りたり。
 新たに特定航路となれる、一、濠洲線(横浜・神戸・長崎・香港・木曜島・タウンスビール・ブリスベン・シドニー・メルボルンを経てアデレートに至るもの及、二、孟買線(神戸・新嘉坡・コロンボ等に寄港す)の二線は、何れも毎月一回双方を発するものとして郵船会社其命を受け、三、新潟浦塩斯徳線(冬期を除き毎月一回)及び四、函館コルサコフ線(同上)は何れも大阪の大家七平其命を奉じ、第一は廿九年十月十三日より、第二は同十日より、第三は同一日より、第四は同十九日より各其定期航路を開始したり。


日本郵船株式会社所蔵書類 命第一七号ノ三(DK080009k-0004)
第8巻 p.220-222 ページ画像

日本郵船株式会社所蔵書類 命第一七号ノ三
管第五八三号
    命令書
                     日本郵船株式会社
第一条 其会社ハ明治二十九年十月一日ヨリ明治三十四年三月三十一日ニ至ル四箇年六箇月間、郵便物逓送及旅客貨物運搬ノ為メ、本命令書ニ定ムル航海ニ従事スヘシ
第二条 其会社ノ従事スヘキ航海線路ハ左ノ如シ
 一横浜「アデレード」線 本線ハ往復トモ神戸、長崎、香港、「サースデー」島、「タウンスヴヰル」、「ブリスベン」、「シドニー」、「メルボルン」ニ寄港スヘシ、但往航ニハ門司ニ寄港スルコトヲ得
  ○中略
 二横浜孟買線 本線ハ往復トモ神戸、香港、新嘉坡、「コロンボ」ニ寄港スヘシ、但往復共「チユーチコリン」ニ寄港スルコトヲ得、又往航ニハ門司ニ寄港スルコトヲ得
第三条 第二条ニ記載スル各線路ニ使用スル船舶並ニ航海度数ハ左ノ如シ
 一横浜「アデレード」線 ○中略
 二横浜孟買線 本線ニハ総噸数三千噸以上平均速力一時間十海里以上ノ船舶三艘以上ヲ用ヰ、毎月一回横浜孟買双方ヲ発船セシムヘシ
第四条 第二条ニ記載スル各線路ニ於ケル往復航海時間ハ左ノ如シ、但各港碇泊時間ヲ包含ス
 一横浜「アデレード」線   百日
 二横浜孟買線        九十日
第五条 其会社ハ第三条ノ船舶ヲ定メ、予メ逓信大臣ノ認可ヲ受クヘシ、其之ヲ変更セントスル場合亦同シ
 前項ノ船舶ハ其会社ノ所有ニ専属シ、船齢十五年未満ニシテ二重底ヲ有シ、検査官吏ノ検査ニ合格シタル鉄製又ハ鋼製汽船ニ限ル
 逓信大臣ハ検査官吏ヲシテ随時第一項ノ船舶ヲ検査セシメ、其成蹟ニ依リ修繕ヲ命シ若クハ認可ヲ取消スコトアルヘシ、此場合ニ於テ
 - 第8巻 p.221 -ページ画像 
ハ其会社ハ逓信大臣ノ指定スル期限内ニ於テ修繕ヲ加ヘ、若クハ相当代船ヲ以テ之ヲ補充スヘシ
 其会社ハ第三条ノ船舶ノ外、総噸数三千噸以上平均速力十二海里以上船齢十五年未満ニシテ二重底ヲ有シ、検査官吏ノ検査ニ合格シタル鉄製又ハ鋼製汽船三艘ヲ所有スヘシ
第六条 其会社ハ本命令書ニ規定スル業務ヲ実施スル前一箇月ニ於テ各線路ニ於ケル発著日時表ヲ調製シテ逓信大臣ノ認可ヲ受クヘシ、但其変更ヲ為サントスルトキハ、少クモ二週間前ニ届出、逓信大臣ノ認可ヲ受クヘシ
 逓信大臣ハ公益上必要ト認ムルトキハ、前項ノ発著日時表ヲ変更セシムルコトアルヘシ
第七条 其会社ハ第三条ノ船舶ヲ以テ運搬スル旅客貨物ニ対シ徴収スル運賃表ヲ調製シ、予メ逓信大臣ニ届出ヘシ、其之ヲ変更セントスル場合亦同シ
 逓信大臣ハ公益上必要ト認ムルトキハ、時限並ニ品名ヲ指定シテ、前項ノ運賃定額ヲ低減セシムルコトアルヘシ
第二十八条 逓信大臣ハ本命令書有効期限中、左ノ割合ヲ以テ航海補助金ヲ支給スヘシ
 一横浜「アデレード」線 年額金参拾四万八千九百六拾円
 二横浜孟買線 年額金拾九万弐千百八円
 前項ノ補助金ハ一航海ヲ終リタル毎ニ年額十二分ノ一ヲ支給スヘシ第三条ノ船舶ヲ以テ第二条ニ記載スル各地ヲ航行セス、依テ航海里数ヲ減縮シタルトキハ、左ノ割合ヲ以テ補助金額ヲ減スヘシ
 一横浜「アデレード」線 壱海里ニ付 金弐円
 二横浜孟買線           同金壱円四拾銭
 第三条ノ船舶ヲ以テ第二条ニ記載スル各地以外ニ航行シ、航海里数ノ増加スルコトアルモ、之ニ対シ補助金ヲ支給セス
○中略
第三十九条 其会社ハ本命令書ニ定ムル義務履行ノ保証トシテ、各線路毎ニ左ノ割合ニ依リ通貨又ハ政府ノ公債証書ヲ以テ保証金ヲ差出スヘシ
 一横浜「アデレード」線   参万五千円
 二横浜孟買線        弐万円
○中略
  明治二十九年八月廿六日
            逓信大臣 白根専一 
  ○明治二十七年九月金沢ニ開催セラレタル第三回商業会議所聯合会ニ於テ、堺商業会議所ノ提出ニ係ル「航海奨励法制定ノ件」ヲ議題ニ上ス。其要旨ハ、第六回帝国議会ニ於テ、政府ヨリ提出セラレタル航海奨励法案ヲ基礎トシ、之ニ修正ヲ加ヘ、以テ航海奨励法案ヲ制定シ、航路ノ拡張ヲ奨励セラレンコトヲ農商務・逓信両大臣ニ開申シ、且ツ貴族・衆議両院ニ請願スベシト云フニ在リ。即チ之ヲ会議ニ附シタルニ、其大体ヲ可決シ、其細目ハ次回聯合会ニ於テ之ヲ審議継続スルモノトセリ。然ルニ其必要ナキニ依リ次回聯合会ニ於テハ議題トセザリキ。第二編第一部第七章経済団体中ノ「東京商業会議所」明治二十七年六月二十七日ノ項参照。
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  ○右聯合会ノ決議ニ基キ、東京商業会議所ニ於テハ、海運振張ノ方法調査委員ニ其調査ヲ附託ス可キコトニ決シ、後綢査委員之ガ調査報告ヲナス。之ニ依リ、明治二十八年八月十七日附ヲ以テ建議書「海運振張方法ノ儀ニ付建議」ヲ会頭渋沢栄一ヨリ、大蔵大臣松方正義、農商務大臣榎本武揚・逓進大臣渡辺国武宛各一通ヲ上呈ス。本書第二編第一部第七章経済団体中ノ「東京商業会議所」明治二十八年八月十七日ノ項参照。
  ○明治二十九年十月第一回農商工高等会議第四日目ノ会議ニ於テ、栄一之ニ出席シ、此年三月発布シ十月一日ヨリ施行セラル可キ航海奨励法ヲ政府ニ於テ確実ニ実施セラレ、且ツ同法施行規則及ビ造船規程ヲ簡明ニナサンコトヲ本会ニ建議ス、依テ其後当該建議ハ特別委員ノ審議ニ附託セラレ、栄一其委員ニ選バル。而シテ第七日目ノ会議ニ於テ議題ニ上程セラレ、其一部ヲ可決ス。本書第二編第一部第八章政府諸会中ノ「農商工高等会議」明治二十九年十月二十二日ノ項参照。
  ○孟買航路・濠洲航路ニ対スル特定助成ニツイテハ本款明治三十二年一月二十四日ノ項(本巻第二三七頁)参照。


日本郵船株式会社五十年史 第一三五―一三六頁〔昭和一〇一二月〕(DK080009k-0005)
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日本郵船株式会社五十年史  第一三五―一三六頁〔昭和一〇一二月〕
 輿論と其趣旨 日清戦役の終了するや臥薪嘗胆の声と共に海外航路開始の急務を論ずるもの漸く多く、就中二十八年二月七日第八帝国議会は航路拡張・船舶保護の建議案を可決し、又同年八月十七日東京商業会議所は海運拡張の建議書を政府に提出し、其筋より該建議に関し当社の意見を徴せられたる如き著明なるものなり。
 当時海外航路開始を急務としたる理由左の如し。
  一、兵事上の目的 日清戦役の経験に徴するに、本邦の海運力は戦時に於て約四十万噸の欠乏あるを証し、特に兵馬軍器の輸送上大船巨舶を要する最も急なり
  二、商事上の目的 明治二十七年に於ける本邦出入貿易船の噸数は外国船八十八に対し邦船は十二の割合、其搭載貨物の数量は外国船九十に対し邦船は十の割合、又其運賃は外国船の取得分弐千弐拾七万円に対し邦船の分は約其十六分の一なる百弐拾五万円に過ぎず
  故に速に海外航路を拡張して、一面兵事上の目的を達成すると同時に、海運収入を我に回収せざるべからず。
 依て当社は国家公益上年来の方針に基き、欧・米・濠の三大航路を開始するの意を決し、政府の補助は之を他日に期し、取り敢へず欧洲航路を開き、尋で米・濠の二航路に及ぼすことと為せり。
 資本金の増加 時に当社は此一大難事の遂行を助くる好機因に逢著せり。其一は日清戦役に於ける御用船の利益金を臨時に積立て得たるを以て其中より相当額を該費途に利用し得ること、其二は航海奨励法の公布あり、之に由り新航路開始の為め生ずべき欠損額を塡補し得ることとなりたること是れなり。而して三大航路に配用すべき汽船十八艘(欧洲航路十二艘・米国航路三艘・濠洲航路三艘)の新造資金壱千壱百八拾七万余円は資本金を増加して之に充当することとなし、明治二十九年六月十日臨時株主総会を開きて従来の資本金八百八拾万円に更に壱千参百弐拾万円を加へて弐千弐百万円と為すことを決議し、以て三大航路開始の目的を達したり。以下序を追ふて三大航路創設に関し略叙すべし。○下略
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東京済経雑誌[東京経済雑誌] 第三二巻第八〇三号・第九二三―九二四頁〔明治二八年一二月七日〕 日本郵船会社海運拡張の方針(DK080009k-0006)
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東京済経雑誌[東京経済雑誌]  第三二巻第八〇三号・第九二三―九二四頁〔明治二八年一二月七日〕
    ○日本郵船会社海運拡張の方針
去月三十日開きたる日本郵船会社の株主総会に於て、近藤社長の演説せし海運拡張の方針は左の如し
 海運振張の国力発達の要素にして、就中海外航路拡張の急務なるは今更喋々を竢たざるなり、然るに其事たる、莫大の資本を要し、且つ幾千の損失を免れず、畢竟其目的とする所国家の公益を謀るにありて、当業者の利益を主とするものにあらざるを以てなり、凡そ海運隆盛の国必らず国家涵養の力に因らざるはなく、我国に於ても輿論既に定り、趨勢の嚮ふ所航路拡張の方策を劃するの機運に会せるを以て、其実施を見るの日は蓋し遠きにあらざるべし、実に航路拡張は国家公益の事業にして、一私人若くは一会社独力の企て及ぶ所にあらずと雖ども、資力の許す限り着々之が準備を為し、以て其の発達を謀るは、蓋し又当業者の責任たり、当会社の如き国家保護の下に起ち、夙に海運業の先達を以て自ら任じ、殊に御用船の為に臨時配当をも為し得べき幸運に際する今日に在ては、其余裕は挙て之を公益の事業に注入し、及ぶ限りの力を尽し、進んで海外航路拡張の地歩を成し、以て国家の恩眷に報ゆる所なくんばあらず、故に当会社は夙に執り来る所の海外航路拡張の方針に基き、益々進んで之が地歩を成さんとす、抑国家公益上開設を必要とする海外諸航路の内、国力発達の誘導線として最も緊急欠くべからざるものは、欧洲線、米国線及び濠洲線の三大航路とす、其米国線は鉄道聯絡の関係ありて一日も猶予すべからざる航路なりと雖も、之に使用する船舶は巡洋艦にも代用すべき大速力の船舶ならざる可らず、欧洲線・濠洲線は今に於て速に着手せざるべからざる切迫の状況に陥れり、殊に欧洲線最も重要且急務なりとす、蓋し此三大航路拡張の事たる、急務の状況は各其趣を異にすと雖も、要するに機会切迫失ふべからざるものあり、今に於て国家後援の都合に拘泥し、徒に遷延時日を消すときは、忽ち投ずべきの時機を失し、噬臍及ばざるの歎を招くに至らんとす、故に国家の後援は之を他日に期し、最も重要なる欧洲線の着手は片時も猶予すべきにあらざるを以て、完全なる郵便線路の前駆として、当会社は自ら進んで先づ汽船六艘を以て、毎月双方発着の定期航路を開かんとす、此事たる、当会社年来の素志なりと雖も、造船の資年々の損失等、費途の給せざる亦如何ともするなく空しく今日に及べり、然るに今や機会益々切迫の秋に際し、幸に国家の思眷に因て御用船利益の在るあり、之を斯る公益の事業に注入し、国恩に報ゆるの実を挙ぐるは、最も適当の処置たるを信じ、御用船勘定に於ける臨時積立金の内、及来期の御用船利益は挙て之に供用するものとし、時機切迫の欧洲航路を開設することに決定し、既に之が準備に着手せり、思ふに国家的の観念を有し、国家の恩眷に均霑して臨時配当を受けらるヽ当会社の株主諸君は、歓で此趣旨に賛同せられんこと、敢て疑ひを容れざるなり
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東京経済雑誌 第三三巻第八二六号・第九〇七頁〔明治二九年五月二三日〕 ○日本郵船会社の航路及び増株に関する議(DK080009k-0007)
第8巻 p.224 ページ画像

東京経済雑誌  第三三巻第八二六号・第九〇七頁〔明治二九年五月二三日〕
    ○日本郵船会社の航路及び増株に関する議
日本郵船株式会社は去る二十日の重役会議に於て左の諸件を可決し、来月を以て開くべき臨時株主総会に提出する筈なりと云ふ
 一毎月一回の欧洲航《(路脱)》を増して二回と為んが為め、現に注文中なる大船六艘の外に尚六艘を新造する事
 一更に六艘を新造して米濠二洲に新航路を開き、三艘宛をして毎二箇月一回往復せしむる事
 一右に付資本金八百八十万円を増して二千二百万円と為す事


東京経済雑誌 第三三巻第八二九号・第一〇五〇―一〇五一頁〔明治二九年六月一三日〕 ○日本郵船株式会社増資其他の議決(DK080009k-0008)
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東京経済雑誌  第三三巻第八二九号・第一〇五〇―一〇五一頁〔明治二九年六月一三日〕
    ○日本郵船株式会社増資其他の議決
日本郵船株式会社は、去る十日神田区美土代町なる青年教会の会堂に於て臨時株主総会を開き、左記三議案を悉く原案通り可決せり
(第一号議案)資本金増加の件
 当会社現在の資本金八百八十万円へ更に一千三百二十万円を増加し新に株券を発行する事
   理由説明
 当会社は国家公益上海外航路の拡張を必要なりとし、夙に計画企図する所の航路一にして足らず、今其主要なるものを挙ぐれば、欧洲、濠洲に達するもの各一航路、米国に達するもの三航路、及南亜米利加ブラジル国を経て北亜米利加合衆国紐育港に達する航路等是なりとす、而して之に用ゆる船舶は、各航路の状況に従ひ其種類を異にし、船数凡三十余艘を要し、孰れも斬新快利なる大形の汽船ならざる可らず、随て其造船の資金のみにても無慮四千万円の鉅額に上るべし、是を以て此目的を一時に達せむとするは固より容易の業にあらず、須らく序を逐ひ機に応じ、他日の大成を期せざる可らず、乃ち先づ此目的を達するの第一着手として、既に開始せる欧洲航路の運漕力を倍数に拡張し、又米国三航路の内最も急務とする一航路及濠洲航路を開始し、漸次其歩武を進めむとす、蓋し国運の拡張に応し、中外運輸交通の機関たる当会社の任務として執るべき至当の順序なりと信ず、依て玆に右新事業に充つべき資金を増加するの必要を認め、本案を提出する所以なり、其用途の大要左の如し
 欧洲航路 此航路は漸次完全なる郵便線路と為すの計画なるも、先づ其前駆として、旅客貨物兼用の汽船六艘を以て毎月一回定期航海を為さしむるものとし、其船舶は曩に新造に着手し、落成に至るまで姑く在来の船舶及雇船を以て之を開始せり、然るに実際の状況に於て到底今日の規模に安ずること能はざるものあるに由り、更に六艘を新造し、都合十二艘を以て毎二週間一回の定期航海に進めむとす、而して其船舶は凡総噸数五千八百噸、最強速力十四海里、船価一艘に付平均英貨凡八万磅、此換算金一円に付二志二片二分の一の割にて金七十二万四千五百二十八円、此十二艘分金八百六十九万四千三百三十六円を要す
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 米国航路 此航路は北亜米利加大陸を横断する諸鉄道と連絡して東西球の大貫線なるが故に、予定航路の内少くも一航路は旅客の運送を専らとする速力構造共に巡洋艦に代用すべき最優等の大船ならざるべからず、然れども今第一着に開始せむとする航路は、旅客貨物兼用の船舶も用ゆるものとし、凡総噸数四千五百噸、最強速力十四海里のもの三艘を新造し、外に在来の船舶三艘を加へ、都合六艘を以て毎月二回米国と香港の間に日本を経て定期航海せしめむとするに在り、其新造すべき船価一艘に付英貨凡六万二千磅、此換算金一円に付二志二片二分の一の割にて金五十六万千五百九円、此三艘分金百六十八万四千五百二十七円を要す
 濠洲航路 此航路の目的は旅客貨物双ながら之を占むるに在り、従て其船舶も亦之に応じて旅客貨物兼用に適するものならざるべからず、仍ち其程度は大抵現在支那濠洲の間に航行する汽船に数等優るべきものとし、凡そ総噸数三千噸、最強速力十五海里のもの三艘を新造し、外に在来の船舶三艘を加へ、都合六艘を以て毎月二回本邦と濠洲間に定期航海せしめむとす、其新造すべき船価一艘に付英貨凡五万五千磅、此換算金一円に付二志二片二分の一の割にて金四十九万八千百十三円、此三艘分金百四十九万四千三百三十九円を要す以上新船築造に要する資金一千百八十七万三千二百二円とす、此外に造船設計上臨時変更を要する場合及為替相場の変動並に回航費等に充つる予備として、金百三十二万六千七百九十八円を備へ置くを要す、但し此種の費額は実際に臨み自然余金を生する場合には臨機他の新船を築造するの資金に供用することあるべし
(第二号議案)臨時積立金処分の件
 第一項 現在の臨時積立金百三十五万千五百六十一円三十九銭四厘の内九十二万四千円(現在株一個に付金五円二十五銭の割)を明治二十九年八月三十一日午後四時株主名簿閉鎖の時現在の株主に割賦し同時に之を第一号議案新株募集規定第四項に於ける増加新株式に対する引受保証金(割当て新株一個に付金三円五十銭に当る)に転用する事
 第二項 前第一項臨時積立金残金四十二万七千五百六十一円三十九銭四厘は当半年度通常営業勘定に属する繰越金に繰入れ、又当半年度以後に於ける御用船勘定は之を通常営業勘定に移す事
   理由説明
 現在の臨時積立金は本年五月株主総会の決議に基き、海外航路拡張の費途を主とし御用船修理費等に供用すべきの処、其の主要たる航路拡張費は今回の増資を以て之に充つるものなるに由り、増資の議可決せらるゝ上は該積立金全額を存置するの必要を認めず、依て此際臨時積立金百三十五万千五百六十一円三十九銭四厘の内九十二万四千円を株主に割賦し、同時に之を増加新株式に対する引受保証金に転用し、以て株主の便益を図らんとす、而して其残額四十二万七千五百六十一円三十九銭四厘は当半年度通常営業勘定に属する繰越金中に繰入れ、又当半年度は御用船僅に数艘に過ぎざるに由り、其勘定は通常営業勘定に移し、以て本年三月以後開始せる欧洲航路の
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損失と御用船修理の費用とに充用するものとし、玆に臨時積立金を処分せむとす、是れ蓋し株主の便利上及当会社の経済上相当の処置と認むるに由る
(第三号議案)定款変更の件
 第四条中「八百八十万円」とあるを(二千二百万円)と改め「十七万六千株」とあるを(四十四万株)と改む
第七章追加
 第四十七条 増加資本金一千三百二十万円の払込は之を四回に分ち明治二十九年九月二十五日限りを第一回とし、第二回以後は明治三十五年十二月二十五日以内に於て、取締役の必要と認むるとき三箇月以前の通知を以て払込むものとす
   理由説明
 定款変更の理由は今回海外航路拡張の為め現在の資本金八百八十万円を二千二百万円に増資すべき第一号議案可決せらるる上は、其の結果として第四条を変更、随て第七章第四十七条を追加を要するあるに由る


東京経済雑誌 第三三巻第八二七号・第九三一―九三二頁〔明治二九年五月三〇日〕 ○日本郵船株式会社の資本金増加に就て(DK080009k-0009)
第8巻 p.226-227 ページ画像

東京経済雑誌  第三三巻第八二七号・第九三一―九三二頁〔明治二九年五月三〇日〕
    ○日本郵船株式会社の資本金増加に就て
日本郵船株式会社は去る廿日を以て開きたる重役会議に於て資本金千三百二十万円を増加し、之を従来の資本金八百八十万円に加へて総計二千二百万円と為すことに議決せり、其の理由は欧洲の航路を拡張し現に月一回の航海を改めて二回となすに付、目下注文中なる六艘の外更に六艘、且新に米国航路・濠洲航路を開く為め各々三艘、都合十八艘の船舶を新造せんとし、一艘の製造費凡そ七十万円内外を要すと云ふにあり、而して此の議の起るや、同社の株券は鰻昇りに騰貴し、終に九十円台より百二十円台に達せり、左れば株主等の巨利を僥倖せるや論を俟たず、随ひて右重役会議の議決が来月十日を以て開くべき株主臨時総会の協賛を得べきや疑ふべからざることなり
抑々日本郵船株式会社の収入は明治廿七八年の戦役以来頓に増加したりと雖も、其の以前に在りては極めて僅少にして、殆ど一分内外の収益に過ぎざりき、而して今や戦役既に終り、日本郵船会社の事業も亦方に平常に復せるの時に於て、前陳の如き好景況を呈するものは何ぞや、是れ要するに政府保護金の増加に望みを属するの致す所たらずんばあらざるなり、報知新聞記者は先頃日本郵船株式会社の保護金を計算して曰く
 帝国議会の協賛を経たる航海奨励法は十月一日より実施さるゝに就ては、日本郵船会社が同法第五条によりて国庫より支給を得べき航海奨励金を概算するに(第一)欧洲航路は同会社所有の西京丸、威海丸等の如き大船六艘を用るものとし平均一艘四千百三十噸、速力平均十一「ノツト」のものとせば、門司より倫敦に至る航路一万七百二十海里にして、其奨励金は四万千百五十四円六十二銭四厘となるに依り、一往復は八万二千三百九円二十四銭八厘となるべく、即ち之れが六回分は四十九万三千八百五十五円四十八銭八厘なり、(第
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二)然るに若し同会社の目的通り将来土佐丸同様若くは其以上のものを用ふるに及はは、噸数平均五千七百八十九噸、速力十一「ノツト」として一回往復十三万四千六百一円十九銭六厘八毛、此六回分即ち十二航海は八十万七千六百七円十八銭八毛なり、尚此外に濠洲航路一年三十五万円、孟買航路一年十九万円、浦塩コルサコフ航路一年六万円、合計六十万円の特別航路助成金の下附せらるゝあるを以て、此額を(第一)の概算に合すれば、金百九万三千八百五十五円四十八銭八厘となり、又(第二)の概算に合すれば金百四十万七千六百七円十八銭八毛となる、更に此額に従来より下附せられつゝある同会社保護金八十八万円に積算せば左の如き巨額に至るべし
 (第一)の分 百九十七万三千八百五十五円四十八銭八厘
 (第二)の分 二百二十八万七千六百七円十八銭八毛
此の計算の正否は余輩の保証する所にあらずと雖も、兎に角日本郵船株式会社の保護金が今後大に増加すべきことは疑ふべからず、而して前記の計算は今回増株以前の計算なるを以て、今回の計画を実行するに於ては更に増加すべきことなり、余輩は先に航海保護と題する一文を草し、我が邦現在及び将来に於ける航海保護法を観察し、其の益々区々不同となるを慨し、且一般航業者の大に驥足を伸ぶることを能はざるを嘆じたりしが、日本郵船株式会社が資本金を増加せんとするを聞き益々此の嘆息を深くせざるべからざることなり


東京経済雑誌 第三三巻第八一六号・第四三二―四三三頁〔明治二九年三月一四日〕 ○土佐丸欧洲発航の祝会(DK080009k-0010)
第8巻 p.227-228 ページ画像

東京経済雑誌  第三三巻第八一六号・第四三二―四三三頁〔明治二九年三月一四日〕
    ○土佐丸欧洲発航の祝会
日本郵船株式会社にては愈々来る十五日を以て欧洲航路に向ひ、土佐丸を解纜せしむるに付き、去八日午後二時より各国公使・各大臣・領事・議員其他内外朝野の貴顕紳士を横浜港繋泊の同船に招待して祝意を表したり、近藤社長の演説中、土佐丸の来歴及び本船を指揮して欧洲に航行する船長の姓名等は、他日の参考ともなるべきものなれば、左に抄記す
 本船土佐丸は千八百九十二年、即ち我明治廿五年十二月愛耳蘭のペルフアストに於て製造し、原名イスラムと称したりしを、去る明治廿七年我郵船会社に購入したるものに係り、其総噸数五千七百八十九噸、登簿噸数三千五百八十九噸、長四百五十英尺七吋、幅四十八英尺二吋、最も深き所にて二十九英尺六吋あり、其機関は聯成にして双螺旋の推進器を具へ、最高速力十四海里、平均速力十二海里を走るに足る、原来其構造は荷物船たるを以て、船客を乗せ得る数甚だ少なく、即ち上等十人、中等八人、下等凡そ百人許りに過ぎず、尤も其準備をなすに於ては、移民或は兵士の如きは先づ二千人位は之を積むに余りあり、其代り荷物を積み得る高に至りては頗る巨大にして、重量なれば七千五百噸、軽量なれば九千噸を載するの力あり、原と此船を我社に購入したるは、近時海外出稼人の数漸く多を加へ、従来の船舶にては其狭小を感ずるを以て、主として此出稼人運搬用に充てんとするに在りしなり、是を以て其初彼地に於て之を修補するに当りて、勉めて此目的に適せしめんと欲し、空気流通の
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方法等も頗る之を十分になし置けり、然る処其修補功を竣り、将に我国に向て出帆せんとせし時は宛も一昨年の夏、即ち日清の戦漸く将に酣ならんとする日に際せしを以て、英国政府は之を軍隊輸送の用に供するものと認め、中立国の義を守り、堅く其出帆を差止め、我日本政府より其然らざる旨を保証して、漸く纜を解いて我国に回航するを得たりしなり、而して其之を土佐丸と称するに至りしは、我海運業の率先者たる故岩崎弥太郎氏が土佐より起りたるに因みたるものなり
 此土佐丸に就ての概要は上来陳ぶる通りにして、此度本船を指揮して欧洲に航行する船長は、ジエー、ビー、マクラミン氏《(ジエー、ビー、マクミラン)》と称し、初め本船を受取りて日本に回航し来りし其人にして、欧洲並に濠洲の洋海には多年の経験を有する熟練家なり


東京経済雑誌 第三三巻第八一七号・第四七七頁〔明治二九年三月二一日〕 ○土佐丸の解纜(DK080009k-0011)
第8巻 p.228 ページ画像

東京経済雑誌  第三三巻第八一七号・第四七七頁〔明治二九年三月二一日〕
    ○土佐丸の解纜
欧洲航路開始の第一着手として、日本郵船会社の土佐丸は予期の如く愈々去十五日正午横浜を解纜して初航の途に上りぬ、同船は神戸・香港・コロムボ・チユチコルン・孟買・ポートサイドを歴航して倫敦及びアントワルプに向ふ予定なり、土佐丸の此行は我日本国の為めに万丈の光燄を吐く一大快挙なり、余輩豈に邦家の為めに同船の発程を祝せざるべけんや


東洋経済新報 第二八号〔明治二九年八月一五日〕 ○第三三―三四頁 ○日本郵船、英国彼阿両汽船会社の懇親/○第三四頁 ○欧洲航路第一回船の帰還(DK080009k-0012)
第8巻 p.228 ページ画像

東洋経済新報  第二八号〔明治二九年八月一五日〕
 ○第三三―三四頁
    ○日本郵船、英国彼阿両汽船会社の懇親
英国彼阿汽船会社は、去六月十九日倫敦に於て、日本郵船会社取締役荘田平五郎氏を始め、小川・根岸・ジェームス等の諸氏と、加藤公使・小寺書記官・林領事・正金銀行役員等を招きて饗宴を張り、主人たる彼阿社長スザーランド氏杯を挙て日本の繁栄を祝し、次に千島鑑事件の無事落着して永く日英両国の紛紜とならざりしを慶賀し、加藤公使之に答へ、荘田氏亦謝辞を述へ、和気靄々の裡歓談時を移して散会したりと云ふ
 ○第三四頁
    ○欧洲航路第一回船の帰航
欧洲航路の第一回船土佐丸は、去三月二十二日神戸を発し、六月一日英国ミズルスボローに着し、之にて往航を果し、帰途白耳義国アントワープ港にて欧洲航路開航式を挙行せしに、非常の盛会なりし、而して帰航の積荷は鉄材四千数百噸毛布及棉花にて、同船容載量の七分を占めたりしと云へり


東京経済雑誌 第三四巻第八四一号・第四一九頁〔明治二九年九月五日〕 ○土佐丸欧洲航海の結果(DK080009k-0013)
第8巻 p.228-229 ページ画像

東京経済雑誌  第三四巻第八四一号・第四一九頁〔明治二九年九月五日〕
    ○土佐丸欧洲航海の結果
先きに欧洲各港を巡回せし土佐丸の収支結果如何を聞くに、今回の航
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海に就て同船の損失と為りし総額は凡そ三万円程なりしと云ふ、是より先き日本郵船会社にては同船は初航海のことゝ云ひ、且は其披露として所々に招待会を催ふす等のことあるため、其損失少くも五万円位ならんとの予算を為せしに、実際之を計算すれば僅に三万円に過ぎざりしを以て、何れも其損失の案外なりしを喜び合へりとぞ、尚来る十月以後は航海奨励法の結果として、凡そ五万円許の奨励金を受くることゝなるが上に、二回三回以後に至れば益々信用を得て、荷物乗客の数を増すべければ、結局差引一航海に就て二三万円以上の利益を得るに至るべしと云ふ


東京経済雑誌 第三四巻第八三六号・第一八九―一九〇頁〔明治二九年八月一日〕 ○日本郵船会社の米国航路開始(DK080009k-0014)
第8巻 p.229-230 ページ画像

東京経済雑誌  第三四巻第八三六号・第一八九―一九〇頁〔明治二九年八月一日〕
    ○日本郵船会社の米国航路開始
日本郵船株式会社に於ては本年三月十五日を以て欧洲航路を開始したるが、更に本日を以て米国航路を開始するに至れり、同社が此の航路を開始する為に人を米国に派して大北鉄道会社と海陸連絡の商議を為さしめたることは既に報道せし所なるが、其の航路は毎月一回本邦神戸と米国ワシントン洲シヱトル港とを出帆して、本邦横浜及び布哇国ホノルヽ港に寄港し、米国シヱトル港に於ては荷物船客とも大北鉄道会社の汽車に接続して、米洲大陸の各地方へ輸送するものなり、而して其の第一船として、本日正午神戸を発船せるは三池丸なり、蓋し此の航路は先きに日本郵船株式会社の株主総会に於て決定せし米国線を開始せるものにして、同線は英領香港を起点とし、横浜布哇を経て合衆国シヱトルに到るの線路にして、総噸数四千五百噸、最強速力十四海里の汽船三隻を新造し、之に在来の船舶三隻を加へ、毎月二回即ち一ケ年二十四回の航海を為すの見込なりと云へり、左れば本日を以て開始せる米国航路は、他日其の起点を香港に延長し、且航海度数をも毎月二回に倍加せんことを期するものにして、其の好結果を得て所期の目的を達すべきは、欧洲航路の成蹟に徴するも敢て疑なかるべきなり、余輩は国家の為にも将た日本郵船会社の為にも共に之を慶賀するものなり
昨年十一月三十日を以て開きたる日本郵船会社株主総会に於て、近藤社長は、外国航路拡張の必要を演説し、日清戦役に際し、国家の恩眷に拠りて博取せる特別利益金二百廿五万円を以て外国航路を開始するの承諾を得たり、故に日本郵船会社が欧米に航路を開始するを得たるは、実に国家の恩眷に基けるものにして、而して同社が敢て此巨額の資金を賭して之に従事せるものは、是れ実に航海奨励法(当時制定の事確然たり)を後援とせるものなり、抑々方今日本郵船会社には大約八万五千八百七十一噸余の船舶あり、其内三万五千噸は政府の命令に拠れる十二航路に使用すべき船舶にして既に毎年八十八万円の助成金あるを以て、航海奨励法に依りて奨励金を受くること能はずと雖も、爾余五万八百七十一噸余の船舶は苟も造船規程に合格して、逓信大臣より奨励金下附の認許を受くるときは、奨励金を下付せらるゝことなり、故に愈々航海奨励法の実施せらるゝに至れば、造船規程に合格すべき良好なる船舶は皆命令航路を去りて、命令航路に存在するも
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のは良好ならざる船舶のみとなるべきは、今より想像するを得べきなり、而して日本郵船会社八十八万円助成金の漠然たる方法にして速に改正せざるべからざることは、敢て航海奨励法の制定を俟ちて起りたるにはあらずして、第四議会に於て既に衆議院は其の改正を政府に建議したりしが、政府委員は航海奨励法案の委員会に於て右助成金の処分に関し左の如く述べたり
 ○政府委員(佐藤秀顕君)御答を致します、第四議会の衆議院の建議以来、政府も外国航路の拡張をしなければならぬと云ふことを認むると同時に、あの方法を改正するが穏当であると云ふことを認めまして、曲折会社と熟議を遂げたのでありますが、何日も其相談が纏らなくして、要するに双方契約の結果であるから、是非改正したいもの、又するが穏当であると云ふことを認むるに拘らず、それを実行することが出来ないのであります
 ○委員長(西山志澄君)尚推して御尋を致しますが、今の御答は郵船会社其者が承諾をしないと云ふことになりますか
 ○政府委員(佐藤秀顕君)左様でございます
日本郵船会社の助成金は純然たる契約なるを以て、双方の合意を得ざれば改正すること能はずと雖も、輿論既に其の改正すべきを主張し、政府会社共に其の改正の理由あることを認めたる以上は、日本郵船会社は速に改正に応ずべきなり、而して来る十月一日航海奨励法の実施は実に之を改正すべきの時期なり、故に余輩は同日までに日本郵船会社の改正に同意せんことを促さゞるべからざるなり


東洋経済新報 第二八号・第三四頁〔明治二九年八月一五日〕 日本郵船会社と大北鉄道会社の契約(DK080009k-0015)
第8巻 p.230-231 ページ画像

東洋経済新報  第二八号・第三四頁〔明治二九年八月一五日〕
    ○日本郵船会社と大北鉄道会社の契約
日本郵船会社か去五日を以て第一回航海を開きしシヤトル線は、同地に於て加奈陀の太北鉄道会社の鉄道に連絡するものにて、両社の間に取結ひし契約は左の如しと云へり
 一亜米利加合衆国ワシントン州シアトル港若くはピユウジヱツト、サウンド湾内に於て両社協定すべき安全なる一港を経て、布哇、日本、(支那香港を含む)、台湾、朝鮮若しくは日本海沿岸の露領及びフヒリツピン群島、ストレートセツトルメント、濠州並に其他東洋に於て、郵船会社が通航する諸航路と亜米利加合衆国加奈太領地及沿海諸洲(マリタイム、プロビンス)並に欧羅巴諸港との間を通じ、毎月一回宛日本郵船会社に於て日本よりも米国よりも東西相向ふて抜錨せしめ、荷物、小包、旅客、運搬の航海を為すこと、及び郵船会社は大北鉄道会社との契約に背かざる範囲に於て尚ほ途中の寄港に力を加ふべし
 一ピユウジヱツト、サウンドに於て、郵船会社の船舶が常に碇泊するに十分の深さある所に於て、一個又は数個所の桟橋を郵船会社の指定により大北鉄道会社に於て無賃にて桟橋を架設し、其他郵船会社が将来右港の何れかに支店を開設する場合には特別なる尽力を為すべし
 一郵船会社及び大北鉄道会社は互に各関係地へ向け、通し貨物並に通
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し切符の類を出すことを得べし
 一大北鉄道会社は郵船会社と契約したる事項を完行するに就ては、場合に依り米国政府に必要なる保証の手続きを為すべし
 一日本帝国が参与したる戦争の起りたる場合には、郵船会社は大北鉄道との契約を、戦争中一時中止するか若しくば代用船を以て継続することを得べく、而して戦争終局後は前契約を継続すべし
 一郵船会社及び大北鉄道会社は互に契約の継続中は他人と同様なる契約を為さゞる可し
 一両会社が訂結せる此契約は十ケ年を以て通常期限と為す
 一大北鉄道会社は郵船会社の代理人としてワシントン州シアートル港若くばピユウジヱツト、サウンド湾内に於て両社の協定する個処に事務所を設け、支配人及必要なる書記を置く可し
 一此他尚ほ両社の協定する適当なる個処に於て代理店を設くることを得べし


東京経済雑誌 第三四巻第八四三号・第五〇六―五〇七頁〔明治二九年九月一九日〕 ○海外定期航路の開始(DK080009k-0016)
第8巻 p.231 ページ画像

東京経済雑誌  第三四巻第八四三号・第五〇六―五〇七頁〔明治二九年九月一九日〕
    ○海外定期航路の開始
先頃逓信省にては横浜・アデレード線及び横浜・孟買線の定期航海を日本郵船会社に○中略命令せられたるが、今其発航寄港地を聞くに左の如し
  航路                   発航
 横浜・アデレード線            毎月一回双方発
  本線は往復とも神戸・長崎・香港・サースデー島・タウンスヴヰル・フリスベン・シドニー・メルボルンに寄港す、但往航は門司に寄港することを得、尚当分の間航路をメルボルンに止ることを得
 横浜、孟買線               毎月一回双方発
  本線は往復とも神戸・香港・新嘉坡・コロンボに寄港す、但往復ともチユーチコリンに、往航には門司に寄港することを得
○中略
 右各線路の初航海は横浜・アデレード線は本年十月三日、横浜・孟買線は同月十日○前略なりと云ふ


日本郵船株式会社五十年史 第一三七―一五四頁〔明和一〇年一二月〕(DK080009k-0017)
第8巻 p.231-235 ページ画像

日本郵船株式会社五十年史  第一三七―一五四頁〔明和一〇年一二月〕
 欧洲航路開始の顛末 本航路は明治二十年の頃本邦より米穀を輸出し、欧洲より鉄物類を輸入する目的を以て、当社は之が開始の意図を抱き調査する所あり。次で二十五年白耳義国より日・白共同航路開設の提議ありしも、時機熟せずして実現を見るに至らず、然るに日清戦役を経るや、前記の如く兵商両途の目的上所要の大船巨舶を配する最も適当なる三大航路中本航路を第一に開始することと為し、年来の宿志を実現するの端を開きたり。
 六艘四週一回の暫定定期 当社は開航の準備として、二十八年末取締役荘田平五郎氏を倫敦及び欧洲大陸に派遣して諸般の施設を講ぜしむると共に、六千噸級新船十二艘(内十艘は英国、二艘は本邦に於て建造)の竣工するま
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で暫定として、汽船六艘を以て本邦・欧洲間毎月一回双方発船の定期を践行することとなし、明治二十九年三月十五日土佐丸(船長ジヨン・バスゲート・マクミラン氏)を第一船として、横浜より神戸・下ノ関・香港・古倫母・孟買・坡西土経由、倫敦・安土府向け出帆せしめたり。実に我国海運界に於ける劃期的の一飛躍と為す。
 此日当社は関係要人を土佐丸に招請して、其行色を壮にし、近藤社長は感激の語・軒昂の調を以て其発航を祝福し、本船は海国民の全意思を表示したる万歳声裡に波を蹶て首途に上りたり。
 土佐丸の初航海に方り、関係地たる横浜・神戸・下ノ関各地官民諸氏が寄せられたる熱誠は当社の永く感銘に堪へざる所なり。
○中略
 本船の倫敦に著するや、当社名 "Nippon Yusen Kaisha" の頭文字N.Y.Kの社名は、忽ちにして揚がり、英のP.&O.若しくは仏のM.M.等の社名と肩を比べて、新聞紙上に讃へられ、欧洲著名の各雑誌は勿論、同業会社又は官辺の当社に対する論評噴々たるものあり。
同時に二引の旗章は世界稀有の好意匠として、欧人の眼に深き印象を与へたり。
 爾後、第二船和泉丸(横浜出帆四月十八日)・第三船アガパンザス号(同五月十五日)第四船鹿児島丸(同六月二十四日)・第五船バルモラル号(同七月二十日)・第六船旅順丸(同八月八日)の順を以て孟買寄港を省きて夫々就航せり。
 土佐丸出帆以後暫らく海外同業各社と競争の結果、往航運賃激落を示したれども、其後英国に於て極東(往航)同盟の各社と交渉の結果、優秀貨物たるマンチヱスター製綿布類積取の端を開きて信を外商の間に博したり。
 新船完備と二週一回定期 使用新船十二艘の相踵で竣工するに及び、三十一年五月十四日横浜出帆の神奈川丸を初頭として、従来の四週一回の定期を二週一回に進め、六千噸級の新船博多丸・河内丸・若狭丸・鎌倉丸・讃岐丸、因幡丸、丹波丸・備後丸、常陸丸・佐渡丸・阿波丸逐次就航し、全然其面目を一新せり。
 明治三十二年二月以降復航倫敦寄港を開始し、更に同年八月従来倫敦に於ける蒐貨を取次人に託し居たる制を改めて、同地支店をして之に当らしめ、玆に本航路業務の一進歩を見たり。又同三十二年中南阿戦争・翌三十三年中の北清事変は本航路の収益に好影響を与へたり。
○中略
 米国航路開始の顛末 本航路は適切に謂へばシヤトル線なり。然れども今暫らく開始当初の称に従て米国航路と呼ぶ。
 当社が本航路を開く以前夙に日・米間の航海を営みしものは、米国のオー・オー汽船会社及び太平洋郵船会社の二社にして、孰れも桑港を起点として日本及び東洋の要港間を往復したり。明治八年中右両社は、三菱会社と横浜上海線を争ひしも遂に之より撤退したるは、既に説けるが如し。
 当社は夙に桑港線に著眼し、明治二十一、二年の交オー・オー汽船会社が其業務を廃止せんとするを聞知し、之を譲受けんと試みたれども機熟せずして止みたり。其後同社は方針を変じて営業を継続するこ
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ととなり、其親会社たるセントラル・パシフイツク鉄道との海陸連絡の便宜を利用して、其発達観るべきものあり。一方太平洋郵船会社は南太平洋鉄道会社と海陸連絡を保ち、是れ亦頗る優勢の地歩を占めたり。
 されば当社は、桑港を終端とする鉄道会社と海陸連絡の便宜を得ざるに、右両社の航路に割込みて成績を挙げんことは容易ならざるものと認め、他日ニカラグワ運河開通後桑港経由紐育に到る航路開設の機会を待つこととし、先づシヤトル線の開航を撰べり。
 シヤトル線の開航 明治二十九年二月、米国の北部を貫通する大北鉄道会社《グレートノーサーン》の社長ジエームス・ジエー・ヒル氏はキャプテン・ジエームス・グリフヰス氏を其代表として我国に派し、同鉄道の西端華盛頓州シヤトル市に向つて日本より航路を開き、紐育方面に到る船客・貨物を相互に接続せんと欲するの提議を当社に致したり。
 当時シヤトル市は人口六千の一小市に過ぎざれども、該鉄道は米大陸横断鉄道の中、最も短距離のものにして、且つ設備も整頓せるを以て、当社はヒル氏の提議に応じて、シヤトル線が日本・紐育間の交通上桑港線に比して大圏航路に於て一日余の時間を短縮するの利あるに依り、他日必らず其長所を発揮するの時あるべきを信じ、支配人岩永省一氏・法律顧問増島六一郎氏を派し商議を尽し、二十九年七月十八日を以てヒル氏との間に連絡に関する契約調印を了し、愈々シヤトル線を開くことに決したり。
 三艘月一回の定期 斯くて当社は大北鉄道会社をシヤトルに於ける当社の代理店に選定し、同地に於て旅客貨物を互換し海陸通し運送を為すの便法を協定し、汽船三艘を以て毎月一回香港、シヤトルの両端港を発船し、下ノ関・神戸・横浜・布哇(六月より九月まで寄港を省く)に寄港することとし、二十九年八月一日神戸出帆の三池丸(船長クリストフアー・ヤング氏)を第一船として就航せしめ、以下山口丸・金州丸の順序を以て毎月一回の定期を践行せしめたり。
 シヤトル市民三池丸を歓迎す 初め当社が本航路を開くに方り、桑港を採らずして無名のシヤトル市を択びたるは、同市民の深く徳とせし所なり。されば第一船三池丸が同年八月三十一日午後三時同港に入港せる時の如き二十一発の祝砲轟き渡り、帝国領事斎藤幹氏・市長ウツド氏・商業会議所議員・及び新聞記者団等相携へて汽艇に搭じて来り迎へ、埠頭に於ける群衆の歓呼と相和して具さに歓迎の熱意を表したり。爾来シヤトル市は日進月歩の盛運を以て繁栄を呈し、最近の人口実に三十六万余に上り、即ち過去四十年間に於て六十倍に達したり。素より此驚異すべき発達は幾多の原因に負ふ所あるべしと雖も、最初之を誘導したるものは正に大北鉄道会社と当社とに外ならず。さればシヤトル市民が、常に大北鉄道の父と日本郵船の母とに依りて此市は養育されたりと語るも洵に宜なりと謂ふべし。
○中略
 本航路業務の概況 本航路は元来米国より東洋に輸出する棉花・麦粉類の復航出貨潤沢なるを常とし、特に大北鉄道会社は非常の好意と尽力とを以て蒐貨に努めたる為め、時としては臨時船を差立たるこ
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とありしも、往航貨物に至ては極めて乏しく、毎航大凡船腹の三分の二を剰すを例とし、開航三年の後好況を呈せる時すら猶ほ船腹の三分の一を剰したることあり。此僅少なる往航貨物に対し関係各社互に蒐貨を争ひたる結果、三十三年には運貨暴落して底止する所を知らざるに至り、同年四月海陸連絡関係の各汽船会社及び各鉄道会社相諜りて運賃協定会議を桑港に開き、当社亦之に参加し、香港及び支那太平洋運賃同盟を作り辛うじて競争の弊を矯むるを得たり。
 明治三十年中布哇移民の上陸拒絶・及び同三十三年中米国及び加奈陀に到る移民制限等の為め、船客業務は鮮なからざる打撃を蒙れり。
 二週一回の定期 斯の如く本航路の業務は一張一弛ありと雖も、大休に於て漸進の調を失はず、明治三十四年五月より政府命令以外に汽船三艘を自由船として増配し、合計六艘を以て毎二週一回の定期航海を実行し、且つ往復共に上海に寄港せしむることとせり。
 日露戦役直前明治三十六年に至り、使用船六艘の中四艘を六千噸級の新船と為し、同業会社に対し遜色なく特に船客業務に意を用ゐ大に好評を得たり。然れども此年支那商船会社の香港・桑港間に進出するあり、各社と競争を惹起し延いて曩年締結せる運賃協定は破れ、各社は相共に競争に憊れつつ、降て明治四十年九月香港に於ける新同盟成立の時に迨べり。
○中略
 濠洲航路開始の顛末 本航路は当社が遠洋航路中第一に著眼し夙に臨時配船を試みたるは既に述べたるが如し。加之此地方の航海に熟達したる船長マクミラン氏を聘して講究する所あり、又日清戦役当時日本移民輸送の好機を得て二、三回の試航を行ひ、欧米二航路に先んじて之が開始を企画したり。而して其理由は主として左の如し。
 一、木曜島、ニユー・カレドニヤ島、及び北部濠洲クヰンスランドに於ける日本移民の状勢に徴し、将来濠洲は日本人移住の好適地たるべき見込充分なること
 二、濠洲には我国の需要すべき羊毛・皮革を始め諸原料品を産し、又本邦産の生糸・絹布・及び雑貨は彼の必需品なるに依り、将来彼我の貿易は相当発達の見込あること
 三、日・濠間の距離は他の遠洋航路に比して比較的短かきこと
 四、日本観光客の濠洲より渡来する者漸次増加の見込なること
 五、日・濠間には未だ定期船を往復せしむるものなきこと等。
 乃ち当社は逸早く綿密なる調査を遂げ、相当の規模を以て日・濠間に定期航路を開かんと欲したれども、偶々日清戦役に際会せる為め其機を得ざりしが、平和克復後海外航路拡張の急務を痛感するの時勢となり、当社は明治二十九年六月十日開催の臨時株主総会の決議に基き愈々本航路開始に著手せるものなり。
○中略
 四週一回の定期践行 本航路は毎月一回横浜、アデレード双方発船の命令なれども、貨物の都合に依り其筋の認可を得てメルボルンに止むることを得るを以て、暫らく横浜、メルボルン間の航海となし、二十九年十月三日横浜出帆の山城丸(第一)(船長ジエームス・ジヨーンズ氏)を第一船
 - 第8巻 p.235 -ページ画像 
とし、近江丸・東京丸の二船相続いて就航せり。
 明治三十一年十一月以降は、英国に於て新造せる春日丸・二見丸・八幡丸(各約三千八百総噸)の三艘を配して其面目を一新せり。
 二見丸は明治三十三年八月中不幸にて馬尼剌近海に於て難破喪失し一時新船信濃丸或は「ろせつた」丸を配し其欠を補ひしが、翌三十四年十月新船熊野丸(五千七十六総噸)竣工・就航するに及び、大に好評を得たり。
 明治三十六年一月より従来毎月一回・一年十二航海の定期を四週一回・一年十三航海に改む。
 業績概略 本航路の業務は先づ移民事業に於て大に予想に反して曩時第一の希望を空しうしたるは甚だ遺憾とする所なり。即ち本航路開始後間もなく、濠洲に於て白人濠洲主義を標榜して東洋移民を排斥するの声起り、帝国外交当局者の交渉努力も其効なく、明治三十二年の春に至り、濠洲聯邦政府は本邦移民に対して峻烈なる制限規定を設け、三十五年に入りては事実上入国禁止同様の状となり、尚ほ禁止移民が脱船入国する場合には其船舶を抑留するの厳法を布くに至れり。之が為め渡航移民の搭載及び之に関する業務は、殆んど廃絶に帰したり。
 又貨物業務に於ても予期の如くならず、日本・香港よりの往航出貨は相当の量に達したれども、復航貨物に至ては甚だ乏しく、鉛・羊毛類の若干量を得るに過ぎず。
 偶々新造の優良船三艘を配船したる時に際し如上の不況に直面し、到底既定の助成金を以てしては其損失を償ふ能はず、依て請願の末三十二年四月以降助成金の増加を得ると同時に、往復共に馬尼剌寄港を開始し、極力蒐貨に努め局面を打開せんと試みたり。然るに明治三十三年七月以後北独逸ロイド社は志度尼・香港間に二艘の客船を配して定期航海を開き、又同十月には聯邦政府に於て新関税法を発布し、為めに船客・貨物共に影響を受くること鮮なからず。更に三十五年に入りて濠洲に稀有の早魃あり、往復航共に一段不況を告げたり。加之当社か本航路開始以来協調を保ち来りたる支那航業会社及び東濠汽船会社との運賃協約破れ、同年七月以降熾烈なる競争を惹起して容易に熄まず、其儘日露戦役時に入れり。而して当社の本航路使用船三艘及び新に竣工したる優秀客船日光丸は就航に先だち皆軍用に徴せられたる為め、遂に戦時を通じて本航路の定期航海を中止するの已むなきに至れり。



〔参考〕東京経済雑誌 第三二巻第七九四号・第五二三―五二四頁〔明治二八年一〇月五日〕 ○戦後の海運策如何(DK080009k-0018)
第8巻 p.235-236 ページ画像

東京経済雑誌  第三二巻第七九四号・第五二三―五二四頁〔明治二八年一〇月五日〕
    ○戦後の海運策如何
海運と雖も一の営利的事業たるに過ぎざるものなり、然るに世人は妄りに海運業を誇張して曰く、海運業を盛にするにあらざれは、外国貿易の隆盛は期すべからず、多数の船舶を有せざれは、国家有事の日に当りて大敗を招くべし、故に国家は航海造船共に保護金を与へて其の発達を諜らざるべからずと、余輩は海運業の隆盛を希望する点に於て
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毫も異議なし、何となれば農工商業の隆盛なると同じく、海運業の隆盛も亦国家をして殷富ならしむべき一原因たればなり、然りと雖も、船舶は戦争一たび破裂すれば、御用船は勿論のこと、商船と雖敵艦の為めに捕獲せらるゝを以て、船舶の増加するに随ひて巡洋艦をも亦増製して之を保護せざるべからざることなり、左れば妄りに保護金を与へて船舶を増加せしむるは、寧ろ国家の為に不利なりと謂ふべし、故に海運業も他の営業に於けるが如く、之を放任して其の自然にして健全なる発達を俟つ外あるべからずと雖も、日清戦争の為めに頓に増加せし船舶は如何にか之を処分せざるべからず、是れ戦後海運策の方今世上の一問題となれる所以なり
抑々日清戦争の為めに昨年以来増加せし汽船は合計八十七艘十三万二千九百六十三噸余にして、之を開戦前即ち昨年の五月末現在の汽船総数四百十六艘十八万千六百五十九噸余に比すれば、其の噸数増加の割合は六割七分に当れり、勿論我が邦汽船の噸数は平時に於ても増加する所にして、既往七ケ年の事実に徴すれば毎年平均一割二分宛増加せるを以て、之を控除せざるべからず、而して之を控除せし残余、即ち五割五分は全く日清戦争の為めに増加せしものにして、此等の船舶は台湾の戦争落着せざると、遼東半島及び威海衛に我が軍隊の駐屯せる為めに、未だ普通の海運上には増加の結果を示さずと雖も、他日御用船の任を解くに至れば其の結果を示さずんばあらざるなり、更に船舶の大小に就て既往七ケ年間平均増加の割合と、昨年以来増加の割合とを対照するに左の如し
 種類         昨年以来増加の割合 既往七年間増加の割合
 二百噸未満           一・一〇        ・八〇
 二百噸以上五百噸未満       ・九〇       一・六〇
 五百噸以上一千噸未満       ・八〇       一・一〇
 一千噸以上二千噸未満      二・二〇       一・七〇
 二千噸以上三千頓未満     一七・九〇        ・二〇
 三千頓以上          三八・五〇         ……
  平均             六・七〇       一・二〇
故に日清戦争の為めに増加せし船舶は重に二千噸以上の大船にして、千噸以下の小船に至りては、平時の増加にも及ばざるなり、換言すれば海運上自然の発達に依りて増加すべき小船は多く増加せずして、増加を要せざる大船のみ多く増加したることなり、而して小船は近海に用ひ、大船は遠洋の航海に使用すべきものたるを以て、遠洋航路を開通するは即ち日清戦争の為め頓に増加せし船舶に用途を与ふるものなり、然らば則ち遠洋航路開通の方法は如何、日本郵船会社副社長近藤廉平氏は「日清戦争前後に於ける海運業の景況」に於て述て曰く、外国航路の拡張強敵のあるありと雖も、我が郵船会社は奮て之に当らんとすと、蓋し日本郵船会社は国家の保護に浴すること既に久くして且厚ければ、斯くの如き奮発は為さゞるべからず、但し之が為に近海航路をは他に譲らしめて可なりと雖も、更に保護金を加重することは余輩の希望する所にあらざるなりとす