デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
1節 海運
3款 日本郵船株式会社
■綱文

第8巻 p.237-242(DK080010k) ページ画像

明治32年1月24日(1899年)

是ヨリ先、日本郵船会社特定航路ニ関シ大隈伯・山県侯ニ乞フトコロアリシガ、是日栄一芳川逓信大臣ニ面会、同会社欧米特定航路命令ニツキ頼願ス。後、屡々同会社重役会ニ出席、同問題ニツキ議ス。三月第十三帝国議会ニ於テ特定航路助成金法案成立シ、七月十日ニ至リ同会社欧米航路ハ特定航路トシテ助成金交附ノ命ニ接ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三二年(DK080010k-0001)
第8巻 p.237 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三二年
一月七日 少曇 西風強ク寒気甚シ
○上略 更ニ大隈伯爵○前内閣総理大臣邸ヲ訪ヒ、彼ノ韓国ニ対スル教育ノコトヲ談話シ、他日伊藤侯ニモ詢リテ一会ヲ催スヘキニ約ス○中略近藤廉平氏来リ会ス、郵船会社特定航路ノコトヲ話ス、岩崎弥之助男モ来リ会シテ時事数番ヲ話ス、午後三時頃大隈邸ヲ辞シ、山県侯爵○内閣総理大臣ノ小陶庵ヲ訪フ、不在ニテ逢ハス
一月九日 晴
○上略 午前十時山県侯爵ヲ訪ヒ、郵船会社特定航路ノコト、商工業者間着実ノ団体組織ノコト、興山公身上ニ関スルコト等ヲ請願ス○下略
一月廿四日 曇 寒甚シ
○上略 午後二時逓信省ニ抵リ、芳川大臣ニ面会シテ、海上保険会社ヘノ下付金及日本郵船会社欧米船特定航路命令ノコトヲ頼願ス○下略
二月八日 朝曇 午後ヨリ快晴
○上略 午後四時過、日本郵船会社ノ重役会ニ列ス、欧米特定航路ノコトヲ協議ス○下略
二月十一日 晴
○上略 夜九時兜町帰宿、十時浅野総一郎氏来リ、特定航路ノコトヲ内話ス、此夕書ヲ裁シテ近藤郵船会社長ニ急送ス○下略
二月廿二日 曇
○上略 午後三時郵船会社重役会ニ列席ス、特定航路ノコトヲ議ス○下略
二月廿三日 雨
○上略 午後二時過郵船会社ニ抵リ、加藤氏ニ面会シテ特定航路ノコトニ付テ伊藤侯爵ニ依頼ノコトヲ協議ス、蓋シ此日ホテルニ於テ同侯爵ニ面会セシヲ以テナリ○下略
三月八日 晴
○上略 午後二時日本郵船会社ニ抵リ、特定航路ノコトヲ談ス○下略


日本郵船株式会社五十年史 〔昭和一〇年―一二月〕 ○第一四二―一五一頁(DK080010k-0002)
第8巻 p.237-238 ページ画像

日本郵船株式会社五十年史  〔昭和一〇年―一二月〕
 ○第一四二―一五一頁
 特定助成命令 二十九年三月航海奨励法発布あり、同十月一日より実施せらる。当社本航路○欧州航路使用船は翌年三月出帆の金州丸より逐次同法に拠る補助を受くることとなれり、然れども該法は一般遠洋航
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海に従事する船舶に対する奨励法にして、船齢五年以後は奨励金額を逓減するの制なれば、国家報効の為め定期航海を践行し鉅額の損失を忍びつつある本航路及び米国航路の如きに対しては不充分の憾あり。
仍て当社は船齢に依り補助金額を逓減せらるることなく、航路其のものに対し毎年一定の金額を下附せられんことを数回に亘りて稟請したる結果、明治三十二年三月第十三回帝国議会に於て、欧・米二航路共に特定助成航路となすの議案成立し、三十二年七月十日を以て逓信大臣より欧洲航路に対し三十三年一月以降十箇年間特定航路として補助金を交附せらるることとなり、玆に一段其基礎を鞏固にせり。
 斯くて本航路の信用漸く厚く、往航には本邦輸出品特に生糸の如き優良貨物の積載多きを加へ、三十五年一月より上海寄港を開始し、復航には帝国政府御用物積取の命を受けたる如き、大体に於て順調の発達を見て日露開戦に及べり。
○中略
 特定助成命令  本航路○米国航路は欧洲航路と倶に、国家貢献の念願を主として開始したるものにして、一般奨励法の下に航海するの困難なる事情を具し特定航路に指定せられんことを請願し、明治三十二年七月十日を以て政府より明治三十三年一月以降四十二年十二月に至る十箇年間特定航路として助成金交附の命に接せり。而して総噸数六千噸以上・最強速力十五海里以上の新船三艘を使用すべき義務あるに依り、該船の竣工するまでは暫らく航海奨励法の下に航海に従事したりしが、六千噸級の新船信濃丸(三十三年八月回着)・加賀丸(三十四年五月竣工)・伊予丸(三十四年十一月竣工)の整備するに及び在来船と入替を行ひ、三十三年八月以降順次特定助成命令の下に就航せり
○中略
 特定助成命令 折柄政府に於ても亦本航路○濠洲航路開始を急務なりとし、明治二十九年八月二十六日を以て、孟買航路と共に同年十月一日より三十四年三月三十一日に至る四年六ケ月間、郵便物逓送及び旅客貨物運搬の為め特定助成航路として総噸数二千五百噸以上・平均速力十二海里以上の船舶三艘を以て、毎月一回横浜・アデレード双方を発船せしむべき旨命ぜられ、玆に多年の懸案を解決し得たり。実に欧米航路の受命に先だつこと約三年なり。

日本郵船株式会社五十年史 〔昭和一〇年―一二月〕 ○六〇五―六〇六頁(DK080010k-0003)
第8巻 p.238-239 ページ画像

 ○六〇五―六〇六頁
 特定航路助成  航海奨励法は、主として船舶の改善と海外進出とを目標としたる一般奨励法にして、定期船たると不定期船たるとに論なく其恩典に均霑せしめたり。然れども当社経営の孟・濠・欧・米四大航路の如く、一定の航路に拠り、一定の賃率を守り、一定の日時に発著し、以て国家的交通機関たる重任を負ふ遠洋定期航路を助成するには不充分なる憾あり。斯かる事情の下に政府は、航海奨励法の実施と相並んで特定航路助成の方法を採用し、当社の孟買及び濠洲の二線に対しては、同法実施の日即ち明治二十九年十月一日より同三十四年三月三十一日に至る四年六箇月間、郵便物逓送及び貨客運搬の為め、毎年航海里数に応じ助成金を交付せらるることとなれり。而して其補助金は、孟買線は年額拾九万弐千余円以内、濠洲線は年額参拾四万八
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千余円以内なり。
  ○因に記す、濠洲航路に対する補助は其後命令の満期毎に更新の上、遠洋航路補助法の実施せらるるに及び同法に基く補助に振替へられたるが、孟買航路補助命令は明治三十九年三月に至りて止む。
 欧・米両航路は暫く航海奨励法の下に、定期に践行したりしが、濠洲・孟買両航路の助成に遅るること三年にして、明治三十二年七月に至り特定航路として助成命令を受けたり。両線に対する命令は、翌三十三年一月より十ケ年間実施の定めなりしが、米国航路は英国に注文せる新造船の工事遅延の為め命令実施の猶予を請ひ、明治三十四年十一月より命令航海に従事せり。而して其補助金は、欧洲航路は年額弐百六拾七万三千余円以内、米国航路は年額六拾五万四千余円以内なり


東京経済雑誌 第三九巻第九六八号・第三九五―三九七頁〔明治三二年三月四日〕 ○欧米航路の特別補助と航海奨励法の改正(DK080010k-0004)
第8巻 p.239-241 ページ画像

東京経済雑誌  第三九巻第九六八号・第三九五―三九七頁〔明治三二年三月四日〕
    ○欧米航路の特別補助と航海奨励法の改正
政府は航海奨励法中改正法律案並に欧米航路特別補助及び濠洲航路、楊子江航路特別補助の改正に関する契約案を衆議院に提出せり、其の航海奨励法中改正法律案は左の如し
 第五条第二項の次に左の一項を加ふ
  明治三十二年十月一日以後帝国船籍に登録する外国製造の船舶には前二項の規定に依り支給すへき航海奨励金の半額を支給す
 第十九条中「十月一日より」の下に「十八箇年間之を」を加ふ
即ち航海奨励金を全額支給するものは内国製造の船舶に限り、外国製造の船舶には半額を支給するに止め、且其の支給年限をも現行の無年限を改めて十八ケ年間に止めんとするものなり、航海奨励法は造船規程に合格すべき良船舶の我が船籍に入りて海外航海に従事することを奨励する為に制定せしものにして、其船舶は無限に購求せらるゝも、支給すべき奨励金には自から限あるを以て、今日の財政上に於て之を制限するは已むを得ずと雖も、一方に於ては日本郵船会社が濠洲航路に使用せる船舶の如き、造船規程に合格すべき資格を有せざる老朽船に向ひて、特別補助金を支給し、而かも今回之を増額せんとするは余輩の驚かざるへからざる所なり、即ち濠洲航路は去二十九年度より三十三年度迄五年間補助金を下附することゝなり居りしも、現行金額にては収支相償はず、終には航路の廃絶を見るに至るべしとて、政府は更に三十二年度より五十二万五千六百五十七円六十銭宛を下附し、其航路横浜アデレート間を横浜メルボルン間に止めんとせり、又日本郵船会社の八十万円の補助に属する船舶の如きも、悉く老朽船にして殆ど国家戦時の用に供すべきものなし、是れ宜しく其補助を削減しても航海奨励金をは削減せずして良船舶の我が船籍に入ることを奨励すべきなり
政府は欧米航路を特定し、之に下付せんとする補助金額は総計四百三十四万一千八百四円十八銭四厘にして、其の内訳は左の如し
                    円
 濠洲線       二、六七三、八九四・一八四
 シヤートル線      六五四、〇三〇・〇〇〇
 桑港線       一、〇一三、八八〇・〇〇〇
 - 第8巻 p.240 -ページ画像 
濠洲線及びシヤートル線は日本郵船会社に、桑港線は東洋汽船会社に下付せんとするものにして、之が為に締結すべき契約の条項は左の如しと云ふ
 一欧洲線は総噸数六千噸以上最強速力一時間十四海里以上のもの十二艘を備ふること
  香港桑港線は総噸数六千噸以上最強速力一時間十七海里以上のもの三艘を備ふること
  香港シヤートル線は総噸数六千噸以上最強速力一時間十五海里以上のもの三艘を備ふること
 一欧洲線は毎二週一回一箇年二十六航海とす
  香港桑港線は毎四週一回以上一箇年通して十四航海とす
  香港シヤートル線は毎四週一箇年十三航海《(一回)》とす
 一右の航路に使用すべき船舶は、契約実施の日に於ける船齢四年未満にして、造船規程に合格し、且当該契約者の専属にして、逓信大臣の認可を受けたるものに限ること
 一以上の航路により逓送すべき郵便物は無賃たるべきこと
 一契約者は本航路に於ても航海奨励法第七条の義務を負担し、且各船舶には逓信大臣の命令に従ひ、契約者の費用を以て航海修業生五名以内を乗組ましめ、同大臣の定むる手当を支給すべきこと
  政府は非常事変の際に於て本航路の船舶を使用することを得、但此場合には相当の使用料を支給すること
 一補助金は現行航海奨励法の規定に照し各使用船舶の当然受くべき金額(船齢五年未満の率に依る)を十年通して支給すること、但契約に規定したる各地に航海せず、随て航海里数を減縮したるときは、其里数に応じ補助金を減ずること
 一契約者の都合に依り代船を使用したるときは、航海奨励法の規定に合併《(格)》したる船舶に限り、相当船舶の受くべき金額以内に於て相当の金額を支給すること
 一航海度数を欠きたるとき、相当船舶を使用せざるとき、契約期限中船舶の修繕又は補充をなさゞるとき、故なく航海時間を遅延したるとき、起点終点の両港に於ける発着日時を変更したるときは一日又は十二時間未満若しくは一回毎に、所為の軽重により相当の金額を徴収すること
 一契約者義務を他人に移転し、若しくは船舶を売譲し、又は一年三回以上航海を停止したるときは契約を解除し、航海補助金の交付を停止し、当該年度内已に執行したる航海に対する補助金を返納せしめ、予て差出さしめ置く所の各線路補助金年額の約一割に相当する保証金を没収すること
航海奨励金は船齢十五年迄支給するものにして、五年迄は全額を支給し、其以後は毎年百分の五を逓減すべし、然るに欧米航路特別補助金は、船齢五年未満の率に依りて十年間同額を支給するものなれば、会社は逓減の損失を免かるべし、唯々十年以後は特別補助金を支給せられずと雖も、航海奨励金を受くるの権利は同時に再生すべきを以て特別補助金は全く航海奨励金以上の保護を与ふるものなり、一方に於
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ては航海奨励金を制限減額せんとしなから、他方に於ては其の以上の特別補助金を契約せんとするものは何ぞや、且夫れ欧米航路を二会社に独占せしむるときは、我が邦一般の航業は之に依りて其進歩を妨害せらるべし、故に余輩は極力之を排斥せざるを得ず


東京経済雑誌 第三九巻第九六九号・第四七一頁〔明治三二年三月一一日〕 ○欧米航路助成金法案の衆議院通過(DK080010k-0005)
第8巻 p.241 ページ画像

東京経済雑誌  第三九巻第九六九号・第四七一頁〔明治三二年三月一一日〕
    ○欧米航路助成金法案の衆議院通過
特別航路助成金法案は愈々去七日の議に上れり、航海奨励金を減じて特定航路を保護し、十ケ年間四百余万円の巨額を支給するの法案は七十八に対する百六十五の多数を以て通過したり、聞く所に由れば郵船東洋両汽船会社より支出したる運動費総額十五万円にして内某党百二十頭顱に均分されたるもの五万円なりと、知らず一頭の価幾何、又知らず首領株の手数料幾何


東京経済雑誌 第三九巻第九七二号・第六五一頁〔明治三二年四月一日〕 ○航海奨励法中改正法律の発布(DK080010k-0006)
第8巻 p.241 ページ画像

東京経済雑誌  第三九巻第九七二号・第六五一頁〔明治三二年四月一日〕
    ○航海奨励法中改正法律の発布
帝国議会の協賛を経たる航海奨励法中改正法律は去る二十九日の官報を以て公布されたり、其の要は外国製造の船舶に限り、所定航海奨励金の半額を支給することを定め、且つ法律の効力を去る二十九年十月一日より向ふ十八ケ年に限れるものなり
今や其の可否を論ずるは已に晩しと雖も、補助すべき船舶は限りなくして国庫には限りあり、素より無限の需には応ずべからず、故に奨励金の額非常に増加するに於ては適当の制限を加ふるの必要蓋し已むを得ざることなり、然りと雖も内外船舶に付て区別を設くるは未だ今日に於て尚早しと云はざる可からず、何となれば今日に於ける造船業は決して船主の希望を達し得るものに非ず、縦令時日及び費用の損失を忍ふと雖も、我が造船業は決して船舶製造の需に応ずる能はざるべし、次に内国製造船舶に限りて多額の奨励金を与ふるは恰も内国の造船業を保護すると同様の結果を有し、造船業は造船奨励金の外更に新規の特典を蒙ることとなるべし、其の弊害は必や仏国に於けるが如くならん、故に来期議会に於ては須らく造船奨励の改正を行はざる可からざるなり


明治史第五編 交通発達史(「太陽」臨時増刊)第二三五―二三六頁〔明治三九年一一月〕(DK080010k-0007)
第8巻 p.241-242 ページ画像

明治史第五編 交通発達史(「太陽」臨時増刊)第二三五―二三六頁〔明治三九年一一月〕
 航業保助法《(マヽ)》の発布は如斯く日清戦役後の事業勃興の気運を享け頗る新航運を刺戟したるが為め、実施初年航海奨励法によりて奨励金を受くるの資格を備へたるものは、僅かに郵船会社の土佐丸ありしのみなりしに、超えて一年後の三十年度に於ては郵船会社は忽ち十隻(総噸数五万七千六百四十五噸)に上り、大阪商船亦一隻之れに加はり、三井物産は四隻(九千三百五十八噸)の奨励金を受領することゝなり、三十一年には更らに進みて船数二十七隻、噸数十二万六千百八十二噸(内郵船十六隻九万一千七百余噸、大阪商船四隻六千七百余噸、東洋汽船三隻一万八千三百余噸、三井物産前同様)、三十二年には又た二十九隻、十三万三千七百十八噸(郵船十八隻九万五千八百余頓、大阪一
 - 第8巻 p.242 -ページ画像 
隻千六百余噸、東洋汽船同上、三井物産五隻一万三千四百余噸、三菱合資二隻四千四百余噸)に増加し、政府が当初奨励金に予算せる金額よりも多きに上ること十倍の余に出でたり、為めに政府は此年法律第九十六号を以て本法中に改正を施し、十月一日以後、帝国船籍に属する外国製造の船舶に対する奨励金を従来の半額に減することゝし、同時に又施行期間は従来無期限なりしを(十八箇年、三十九年十月一日《(二)》より)と限定することゝしたり。
 爾来船齢漸く傾きて、新造船の外国注文を手控ゆるに至りし為め、資格を失ふもの漸く多く、一般運輸に任ずる船舶よりも寧ろ三井・三菱等の石炭船が比較的多額の奨励金を攫得するの変体を生じ、奨励法の成績は甚だ疑はしきものとなれり、左の表を見よ。
       日本郵船      大阪商船   東洋汽船 三井物産      三菱合資      合計
      舶数    噸数  船数    噸数    船数   噸数   船数  噸数   船数   噸数
三十三年度  五 二二、八八一  ―      ― ―  五 一三、六三一  二 四、四一六 一二 四〇、九一二
三十四年度 一〇 四三、七六六  一  一、六六九 ―  五 一三、六三一  一 一、七一七 一七 六〇、七七九
三十五年度  五 二四、一五三  一  一、六六九 ―  五 一三、六三一  三 七、二八六 一四 四六、七三九
三十六年度  七 二九、〇三九  一  一、六六九 ―  四 一一、五八八  三 七、二八六 一五 四九、五八二
三十七年度  ―      ―  一  一、六六九 ―  一  二、〇二九  一 二、七九五  三  六、四九三
 奨励法によりて享くる所の恩典は、かくの如き次第にて増減常なく長期の計画に対しては、余り当てにならぬが上、曩きに勢に乗じて奮つて独力欧米航路及び米国航路を開くの快挙に出でたるも何れも多数の競争者あるのみならず、創業の際とて未だ世界列国の貨客に十分の信用を置かしむる能はず、其収入は相償はざるに至りしかば、郵船会社は開航後間もなく、此二航路をも他の孟買線・濠洲線と同じく政府の特定航路となさむことを請ひ、政府亦其請を諒とし、第十議会に於て之れに対する特別助成案を提出したり《(し)》が、異議多くして通過せず、其年度に於ては会社は利益配当を為す能はずして、大に株主間に物議を醸したりしが、後ち引続いて旺むに運動を試みたる末、欧洲線は三十三年一月より四十二年十二月までの期間特定航路となり、シヤトルも亦三十四年十一月より四十二年十二月迄の命令航路となり、多額の助成を攫取することゝなれり。
 又郵船会社八十八万円の補給は、三十三年九月を以て満期となり、更らに同年十月より向ふ五箇年間内海及東洋近海航路に対し、毎年六十七万七千三百三十一円以内の航海補助金を下附することゝ《(衍)》に改められたり。