デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
7款 北海道炭礦鉄道株式会社
■綱文

第8巻 p.671-685(DK080060k) ページ画像

明治25年3月24日(1892年)

同会社其敷設線路ノ予定ヲ政府ノ認可ヲ経ズシテ変更セル廉ヲ以テ、是日社長掘基罷免セラレ、栄一後任者推薦ニ奔走ス。四月四日常議員高島嘉右衛門社長ヲ命ゼラル。


■資料

北海道炭礦汽船株式会社沿革資料 一(DK080060k-0001)
第8巻 p.671 ページ画像

北海道炭礦汽船株式会社沿革資料 一
               (北海道炭礦汽船株式会社所蔵)
    鉄道線路変更願
室蘭港ヨリ空知ニ達スル鉄道及同線路ヨリ岐レテ夕張炭礦・空知炭礦ニ達スル両支線ハ、本会社創立ノ当時即チ明治二十二年八月九日附ヲ以テ線路図面添ヘ出願ノ上御認可相成居候処、実地施工ニ際シ線路位置変更ヲ要シ候廉尠カラス候、即チ別図ノ通リ変更ノ義御認メ被成下度此段奉願上候也○別図略ス
  明治二十五年二月二十九日 北海道炭礦鉄道会社
                 社長
    内務大臣宛
   ○当初出願ノ敷設線路中夕張線ハ、事情ニ因リ変更シ其工事ニ着手ス。然ルニ北海道庁長官渡辺千秋ハ、同庁ノ許可ナクシテ工事ニ着手シ、後日ニ至リ上掲変更願ヲ提出シタルヲ以テ、其不都合ナル廉ヲ詰ル。其結果社長堀基ハ引責辞任ノ止ムナキニ至ル。詳シクハ日本鉄道史(上篇第八九三頁参照。
   ○右ハ社長掘基ヨリ内務大臣品川弥二郎ニ宛テタル願書写ナリ。


北海道炭礦鉄道会社第五回報告 明治二五年五月(DK080060k-0002)
第8巻 p.671-672 ページ画像

北海道炭礦鉄道会社第五回報告 明治二五年五月
○社長理事解任及就任 ○中略社長堀基氏ハ三月二十四日解任セラレタ
 - 第8巻 p.672 -ページ画像 

   ○同会社正副社長及ビ理事ハ官選ナリ。掘基ノ罷免ハ北海道庁長官渡辺千秋ヨリ発令、明治二十五年三月二十六日附官報第二六一九号ニ之ヲ載ス。


北海道炭礦鉄道会社第六回報告 明治二五年十月(DK080060k-0003)
第8巻 p.672 ページ画像

北海道炭礦鉄道会社第六回報告 明治二五年十月
○社長及常議員更迭 常議員高島嘉右衛門氏ハ本年四月四日北海道庁長官ヨリ社長ヲ命セラレ、又常議員堀基氏ハ同四月三十日辞職セタレタリ
○会計撿査 本年六月四日ヨリ北海道庁ニ於テ本社創業以来ノ会計撿査ヲ執行セラレ、九月二十七日ニ至リ全ク結了セリ


中外商業新報 第三〇一五号〔明治二五年四月一日〕 炭礦鉄道会社善後策の成行(DK080060k-0004)
第8巻 p.672 ページ画像

中外商業新報 第三〇一五号〔明治二五年四月一日〕
    炭礦鉄道会社善後策の成行
 前々号の本紙上に記したる如く、北海道炭礦鉄道会社の重役員等は去二十六日に開きし協議会の議決に従ひ、爾後引続き奔走尽力到らさる処なき由なれども、渡辺長官は今回の断行に出るの当時に於て決意したる如く、此際適当の官撰社長を挙て任命せんとし、同会社重役員は、株主先づ候補者を選挙し、其撰択任用を懇願して止ます、遂に昨日に至る迄は孰れにも決せずして止しが、多分本日は重役員の懇願通り、其好結果を見るに至るの傾ありとなり。


中外商業新報 第三〇一七号〔明治二五年四月三日〕 炭礦鉄道会社の重役会議(DK080060k-0005)
第8巻 p.672 ページ画像

中外商業新報 第三〇一七号〔明治二五年四月三日〕
    炭礦鉄道会社の重役会議
 頃日来渋沢栄一氏等を始め炭礦鉄道会社の重役員は、袂を聯ね或は交はる交はる渡辺長官を訪問して請願する処あり、引続毎日築地飯田町なる同支社の楼上に会合協議中にて、未だ請願通りに纏るべき運びにも立至らざる由なれども、其協議の結局は、今後同会社の善後策に就ては総て北海道庁長官の意向に随ひ、其命令を遵守する事に一決したるが如くに洩れ聞けり。


時事新報 〔明治二五年三月二七日〕 (二)社長免職の前後に就て;(三)炭礦会社の要求拒絶せらる;(四)渋沢、田中両氏の周旋(DK080060k-0006)
第8巻 p.672-673 ページ画像

時事新報 〔明治二五年三月二七日〕
○上略
(二)社長免職の前後に就て
 炭礦鉄道会社々長堀基氏の職を免じたるに就ては渡辺北海道庁長官も種々善後策を運らし後任その他の事に関し略ぼ成案もある由なれども、其辺の事は徳義上株主と相談したる上定めざる可からずとて同会社の理事園田実徳、評議員渋沢栄一、重立ちたる株主北村英一郎の三氏を招きその意見を述べて目下右に関する相談中なりと云ふ
(三)炭礦会社の要求拒絶せらる
 北海道炭礦鉄道会社長堀基氏は社長を免ぜられたるに就き善後の手段として、一昨日重役会議を開き、其結果として社長副社長丈は株主の公選と為し、理事は此迄の如く官選と為さん事に内定し、渡辺北海道庁長官の認諾を受け置かんとて、重役の一人なる渋沢栄一氏は渡辺長官を訪ひ其旨を陳述せしに、容易に承諾する色なかりしと
 - 第8巻 p.673 -ページ画像 
(四)渋沢、田中両氏の周旋
 堀基氏が炭礦鉄道会社長を免ぜられるゝに依り、其後任者に就き株主の意見を示さん為め、渋沢栄一・田中平八の両氏は、一昨夜松方総理大臣・副島内務大臣・白根内務次官を歴訪して、社員の後任には貴族院議員湯地定基氏を官撰されん事を企望する旨内願したりと云ふ


郵便報知新聞 〔明治二四五年月二日〕 渡辺長官と渋沢氏等の会見(DK080060k-0007)
第8巻 p.673 ページ画像

郵便報知新聞 〔明治二四五年月二日〕
    ○渡辺長官と渋沢氏等の会見
渡辺長官は、炭礦会社の善後策に関し、重役に意見あらば聞きたき旨を、渋沢・園田等の諸氏に促したるを以て、渋沢氏等は一昨日長官を訪問せしも、行違ひて面会せず、昨日午前再び訪問して長官に面会して、更に湯地定基氏を副社長に挙げ度き旨を申請したり、長官は固より参考に聞きたるに止まり、其裁決は一に長官の職権内にあることなれば、之に対して別に可否の意見を述べず、此上は充分熟慮して適任と信する人物を任命せんのみとて、諸氏と袂を分ちたる由なり、長官の辞色によりて推すれば、其意見は確として動かず、最早躊躇する所なく其信する所を断行せんとの模様充分に現はれをり、而して世人が氏の為めに危み居たる雲上の風向きも、今日は全く定まりたりとも云ふ。


中外商業新報 第三〇一八号〔明治二五年四月五日〕 炭礦鉄道会社長の任命及其次第(DK080060k-0008)
第8巻 p.673 ページ画像

中外商業新報 第三〇一八号〔明治二五年四月五日〕
    炭礦鉄道会社長の任命及其次第
 堀社長解任以来十有余日亘りて決せざりし其後任も、一昨日を以て愈よ、同会社常議員高島嘉右衛門氏に任命ありたり、今其次第を聞くに、湯地定基・高島嘉右衛門両氏の内を挙げて副社長に任命ありたきとの事は、堀氏解任後間もなく重役諸氏の協議を以て渡辺長官に懇願したる処なりし、其後荏苒久しく採用の沙汰無かりしかば、去る二日渋沢・園田・北村の諸氏より再応予て推挙せし処の人物中より一日も早く副社長の選任あらん事を願ひ出たるに、同長官は一昨日午後二時頃高島嘉右衛門を召し、社長任命の辞令を渡されたり、高島氏は之を領したるも、直ちに受書を差出す事に躊躇し、他の重役に謀り然後此の任命を受けたれども、老朽の身を以て此重役に当らん事如何にも気遣はしく、且本社は北海道に在る事なれば本社に赴任する事も案じらるればとて種々協議したるに、重役一同は命さへ受れば努力は敢て惜まざる処、且本社は北海道にあるも是迄の例に依るも要務は大抵東京にて弁する事なれば、赴任の事も左程心配に及ふましとて就任を請ふこと切なれば、終に高島氏も決心して、昨四日午前十一時請書を長官の手許へ差出したりといふ、而して重役よりは副社長とて願出てたりし人物を採用して社長に任命ありしは、重役諸氏も意外とする処にして、満足此上なきものゝ如くなるが、長官には予て他の意中の人物ありと聞きつるに、其意中の人物を斥けて重役の願意を採用せられしものは、其意果して那辺に存するものにや。

 - 第8巻 p.674 -ページ画像 

高島嘉右衛門自叙伝 (石渡道助編) 第一八八―一九一頁〔大正六年五月〕(DK080060k-0009)
第8巻 p.674-675 ページ画像

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植村澄三郎氏談話(DK080060k-0010)
第8巻 p.675-677 ページ画像

植村澄三郎氏談話 (竜門社所蔵)
    北海道炭礦鉄道に関聯しての青淵先生と私
○中略其れから会社の経営も無事に経過して行つて居た処が、明治二十五年二月に至つて大事件が起つた。と云ふのは堀社長が官命によつて職を免ぜられたのである。此時分の補給会社は、今日の特殊銀行会社の如く、社長常務等の重役を株主が選挙しても、官の許可がなくてはならなかつたので、一種の官選であり、従つて任免権は官で持つて居た。即ち堀社長は職を免ぜられたから、臨時に社長代理として高島嘉右衛門氏が主宰することになつたが、それが為に社内は甚だしく混乱した。社長罷免の表面の理由は、「線路を濫りに変更した」と云ふにある。しかし事実はさうでない、堀と云ふ人は明治維新の際薩摩の有志として国事に奔走し、後北海道の開拓に心を用ゐて居たから、所謂北
 - 第8巻 p.676 -ページ画像 
海道開拓使廃止後、其地が他の府県と同様に取扱はれるやうになつたことを非常に遺憾とし、それでは開拓が十分に出来なくなるだらう、故に北海道は特別の扱ひとして総督府を置き、皇族を総裁に仰ぎ、そして開拓の規模を大きくする要がある、又さうしなければ聖旨に添ふを得ないであらう、と云ふことを常々論じて居たが、遂に之を時の山県総理大臣に建議したのである。扨て当時の内務大臣は品川弥二郎氏であつたが、此事を頗る憤慨し「北海道は内務大臣たる自分の監督下にあるものだ、然るにそれに対し私立会社の社長ふぜいが嘴を出し、而も一度廟議で定つた行政事項に関して、かれこれ云ふのは不都合である、よろしく斯くの如き人物は其職を免ずべし」と云ふ訳で、官選重役の堀社長は免ぜられたので、「濫りに線路を変更した」と云ふのは、後に至つて理由に窮した結果の口実であつた。但し当時の鉄道行政の如きも、今日の如く厳密なものでなく、例へば北海道へ鉄道を敷設するに就ての出願の如きも、簡単なる図面に朱線を以て線路の予定を書き込む程度のもので、たゞ其の位置を示すに過ぎなかつた。山・川・沼等の位置の如きも殆んど判らぬ。単に起点を示し、直線で以て終点を表した。それで十分許可されて居たのである。そして北海道炭礦鉄道も同様の形式を採つたに過ぎないが、其監督官は松本勅任技師で、此人の指揮によつて工事を進めて施行して行つた。然る処、夕張炭山に赴くには馬追山の西側を通るやうに線路の出願図面は成つて居たが、実際では東側を通るのが便利であつたから、東側を監督官の指揮を受けて通らせた。だから線路を濫りに変更した訳ではないが、内務省では之を口実としたのである。斯くの如くであるから、堀社長の免職と共に世論は喧しくなり、社長重役には罪はない、又北海道開発の建議は国民として行つたとて決して不都合でない、如何に官選とは云へ、濫りに免職する内務省のやり方が宜しくないと議論せられ、中にも時事新報にては、福沢諭吉氏が此の問題で政府を手いたく攻撃したのであつた。されば政府としてはどうしても会社の不始末を摘発しなければならぬ、でないと免職の理由を証拠だてることが出来ない羽目になつた。そこで二月中旬北海道庁の官吏、内務省の官吏等が手分けして、北海道の本社及び東京出張所、各炭山等へ一斉に赴き、金庫並に帳簿等を取調べだした。従つて最も困難したのは、私の担当して居た経理事務で、さし向きの会計検査には何等不都合はなかつたが、たゞ一つ、重役の供託株一人当り百株宛を会社へ提出して置かねばならなかつたものが提供してなかつたので、命令違反の行為であると宣告せられ、毎年下附して居た二十五万円の補助金を停止すると云ふ命令書を受けるやうな始末になつた。全く私の不行届から斯くの如き事態を惹起したので、直ちに高島社長代理に自分の不注意を謝し、如何にすべきかを相談した処、たゞ単に驚くばかりで思案がない、而も他の重役は免ぜられた後とて致方なく、私は青淵先生の処へ出掛けて、事の詳細を御話申し、自分の不注意を謝すると共に、如何にすべきかの処置に就ての御意見を求めた処、先生は曰く「供託株の提供をしなかつたことは、会社からこれを要求しなかつたのもよくないが、提出しなかつた我々にも責任がある、それが為め二十五万円の補給が停止
 - 第8巻 p.677 -ページ画像 
されたことは問題である。他に特に不都合な点があるのではないか。若し他に顧みてやましい点がないとすれば、此の命令は無理であるから、心配することはない、不肖ながら私が引受けませう」と断然と云はれた。私は予て青淵先生の実業界に於ける盛名を聞き、且又屡々謦咳にも接しては居たが、此の日の如き感銘を受けたことはなかつた。
実に会社危急の場合に際し、事を一身に引受け、その困難を救はうとするが如きは、凡庸の徒のよくする所でない。私は始めて其の志のある点を知り心中先づ驚き、敬慕の念に堪へなかつた。従つて此方に頼つて行つたならば、何事も成就することが出来るであらうと感じた次第である。
 此時代の会社の状態如何と云へば、開業以来未だ二ケ年余に過ぎず鉄道の敷設も、炭山の開発も完成に至らず、信用も薄く、多額の借入金なども出来ぬ有様であり、尚且社長の免職から会社の信用は地に墜ち、経営最も困難な際であるから、私等は日夜如何にすべきかに苦慮して居た。其の時右の如き先生の一言を承つたのは、真に一大福音を得た心地がしたのであつて、又困難の際に斯くの如き言葉を吐かれる先生は成る程偉い人だと感じた。
 その話があつてから後十日ばかりして、会計検査官から『さきに出した利子補給金中止の命令書は都合があるから返してくれ』と云つて来たが、蓋し内務省のこの命令書の撤回は、青淵先生が内務大臣なり総理大臣なりへ直接談合せられた結果であると思ふが、先生は少しも自分の尽力の結果であると云ふやうなことを云はれなかつた。いや今に至るまで云はれない。他の重役も先生の力であると悟り且つ云つて居たが、斯くして事なく事件も落着するを得た。○以下明治二五年五月二五日ノ項所引ニ続ク
   ○山県内閣ハ明治二十二年十二月二十四日ヨリ二十四年五月五日マデニテ、同月松方内閣代リ立ツニ及ビ品川弥二郎内務大臣トナル。植村澄三郎談話中山県内閣当時ノ内相ヲ品川氏トスルハ誤ナリ。(品川弥二郎ハ二十五年三月十一日辞職シ副島種臣内務大臣トナル)


北海道炭礦鉄道株式会社沿革資料 一(DK080060k-0011)
第8巻 p.677 ページ画像

北海道炭礦鉄道株式会社沿革資料 一
              (北海道炭礦汽船株式会社所蔵)
指令第一〇七号
                北海道炭礦鉄道会社
                  社長 高島嘉右衛門
本年二月二十九日付鉄道線路変更願ノ義ハ、当初政府ノ認可ヲ経ルノ手続ヲ怠リ不都合ナリト雖モ、其事実ニ於テハ実際不得止適当ノ変更ニ属スルモノヲ認ムルヲ以テ、今度限リ特ニ認可ス
  明治二十五年九月二十八日
          逓信大臣 伯爵黒田清隆


北海道炭礦鉄道会社明治二十五年十月臨時総会速記録(DK080060k-0012)
第8巻 p.677-678 ページ画像

北海道炭礦鉄道会社明治二十五年十月臨時総会速記録
              (北海道炭礦汽船株式会社所蔵)
○上略
○渋沢栄一君 今ノ建議者ニ伺ヒマスカ、只今ノ官選法ハ命令書ニ指
 - 第8巻 p.678 -ページ画像 
定ツテ居ルノデゴザリマス、ソレデ是レハ過去ツタ御話デ、今御答弁致スノデハゴザリマセヌガ、当春前社長ガ免ゼラレマシテ新社長ノ出来マス頃ヒニ、私共モ常議員トシテ、株主一般其希望ヲ有チマスル、是非是レハ一ケ条ダケノ命令ハ御直シヲ願フト云フコトヲ、前ノ開拓長官ニ懇々申立テタコトガゴザリマス、併シ其節ハ常議員ダケノ意見トシテ申シタノデ、株主一体ニ御協議ガ左様デアツタトハ申シマセンダノデゴザリマスガ、折カラ即チ今社長交迭ノ際デゴザリマスカラ、前長官ノ云ハレルニモ、社長ノ官選ヲ止メルト云フコトハ、今此命令書ノ重ナル件デアリマシテ、私ガ長官トシテ直グサマ株主ガ希望シテ来タナラ、北海道庁ハ承諾スルデアラフト云フコトハ明言出来ヌ、併シ其希望ハ一応道理アル希望ト思フカラ、其中株主一体ノ希望デモアルト云フコトナラバ、申シ出シテ見ルノモ悪クモ無カラフト云フコトデアリマシタ、ケレドモ命令書ノ変更ト云フコトハ成ルベクシナイガ宜イノデアリマス、極必要デシナケレバナラヌモノヽ外ハ致シタクナイガ、会社モ道庁モノ考ヘトシナケレバナリマセヌ、即チ其命令書ノケ条デアリマス、且ツ重要ノ事デアリマスカラ、拙者ニ於テハ当分六ツカシカラフト考ヘニ斯フ云フ答弁ヲ得マシタ○下略
   ○右ハ明治二十五年十月二十五日ノ北海道炭礦鉄道会社臨時総会ニ於テ、株主馬場郁太郎ヨリ、社長官選ノ廃止ヲ請フベシトノ建議案出テタル時ニ、議長タル栄一ヨリ答ヘタルモノ。社長官選廃止建議ハ、同年十一月二十五日ノ臨時株主総会ニ於テモ議題トセラレシガ、否決サル。(同総会速記録ニヨル)



〔参考〕松方家文書 第六〇号之一八(DK080060k-0013)
第8巻 p.678-683 ページ画像

松方家文書 第六〇号之一八 (大蔵省所蔵)
 本年三月廿四日北海道庁長官渡辺千秋ガ基ノ北海道炭礦鉄道会社長ヲ免シタルハ、実ニ不当ノ処分ニシテ、基カ名誉ヲ毀損シ、会社ニ損害ヲ与ヘ、施テ北海道拓殖事業ノ妨害ヲ為シタル者ト確信仕候、是レ基カ慨嘆措ク能ハサル而已ナラス、国家ノ為メ黙々ニ付スル能ハス、玆ニ其事情ヲ別紙ニ詳悉シ、基カ冤ヲ雪キ、渡辺長官ノ不法ヲ鳴ラシ、謹テ涜御清聴、閣下幸ニ条理ノ在ル所ヲ明ニセラレ、速カニ公平ノ処断アランコトヲ懇祷ス
   明治廿五年四月廿三日         堀基(印)
     内閣総理大臣 伯爵 松方正義殿
   ○日附四月廿三日ノ三ノ字訂正ノ痕アリ。

(別紙)
三月廿三日午後八時渡辺北海道庁長官ハ随行属ヲ使トシ、基ニ即刻出頭ス可シトノ命アリ、然ルニ当日ハ基三男ヲ喪ヒ、葬送ヲ営ミ疲労甚シク且微恙アルヲ以テ、明朝出頭ス可シト答ヘタルニ、同属官ハ再ヒ来リ、長官ハ弔詞ヲ兼ネ自ラ来訪ス可シトノ報アリ、既ニシテ午後九時長官来臨、先ツ今夕ハ道庁長官ニ非スシテ渡辺千秋一個人ノ資格ヲ以テ談話ス可シトテ、語ヲ継テ曰、炭礦鉄道会社当初ノ工費予算書ニハ、百零三万円ヲ以テ室蘭ノ埠頭ヲ建設ストアルニ非スヤ、基曰然リ、氏ハ曰、空知鉄道最終点ハ空知川向ニ達ストアルニ非スヤ、基曰
 - 第8巻 p.679 -ページ画像 
然リ、氏ハ曰、然ラハ則チ線路ニ変更ヲ為シ、其手続ヲ為サヽリシハ閣令ニ違背シタル者ナリ、社長ハ其責ヲ辞スヘカラス如何、基曰、線路変更ノ出願ヲ遅滞セシメタルノ責ハ辞ス可クモアラス、然レトモ線路ノ変更ヲ致シタル所以ハ、道庁ヲ代表シテ工事監督ノ任ニ当レル工学博士松本荘一郎氏ノ設計ト指揮トニ依リテ定マリタル者ナレハ、同氏ニ詳細ヲ諮問セラル可シ、氏ハ曰、松本ハ技師ノミ、責任貴下ト異ナリ、兎ニ角社長ハ其責ヲ負ハサル可ラス云々、基ハ深ク其好意ヲ謝シ、渡辺氏ハ勿卒辞シ去レリ、既ニシテ午後十時依願北海道炭礦鉄道会社長ヲ免ストノ辞令書ニ接シ、怪訝ニ堪ヘス、思ヘラク、渡辺氏ハ談話ノ冒頭ニ於テ一私人ノ資格ナリト断言セリ、基ハ一私人ニ向ヒ辞職ヲ出願スヘキ筈モナク、又出願シタルニ非ス、必ス事ノ誤謬ニ出テタル者ナル可シトテ之ヲ返戻セシニ、更ニ依願ノ二字ヲ刪リ、再ヒ解任ノ辞令ヲ回付セラレタリ
是ヨリ先キ、会社ハ線路変更願書ヲ差出(二月中)シタレトモ、何等ノ沙汰ナキヲ以テ、基ハ三月十日渡辺長官ヲ高輪ノ邸ニ訪ヒ、其願意ノ速ニ聞届ラレンコトヲ企望スルノ意ヲ述ヘシニ、長官ハ問フテ曰、夕張岐線ニ於テ線路変更ノ為メ予定哩数ヲ延長シタルハ、新設鉄道資本ニ利子補給アルヲ以テ、多費ヲ要スルヲ顧ミス、独リ炭礦部ニ於テ利益ヲ出サント計リタル者ナリトノ風説アリ、是等ノ質議議会ニ出ツレハ面倒ナリ、事実如何ト、基ハ之ニ答ヘテ曰、予定線路八哩ヲ延長シタルハ、地勢ノ険悪ヲ避ケテ平夷ニ就キタル結果ナレハ、工費ハ之レカ為メニ増加セス、而シテ将来ノ営業上ニ就テハ、勾配少キヲ以テ非常ニ滊缶車ノ牽引力ヲ増シ、又哩数ノ多キ丈鉄道運賃ノ収入ヲ多クトルモ、炭礦部ハ石炭ノ運送費ヲ増シ、却テ不利ヲ生スト、長官ハ十分ニ了解シタル旨ヲ答ヘラレタレトモ、基ハ猶語ヲ継キ、線路変更ノ理由ハ基只其大体ヲ説明スルノミ、当事者ナル工学博士平井晴二郎ヲ出京セシメタレハ、同人ヲシテ詳細ニ書面ニ認メシメ、御参考ニ供セント、然ルニ長官ハ最早ヤ貴下ノ弁明ニテ充分ナリ、平井氏ハ該件ノミニ関シ滞京スル者ナラハ、速ニ帰札セシメラレ然ルヘシト、基ハ又御都合ニ依リ松本博士ニ御尋問アラハ、別ケテ明瞭ス可シト陳ヘシニ是亦必要ナシト答ヘラレタリ、爰ニ於テ基ハ不日願意ノ認許セラルヽ者ト思料シ、平井ハ同十二日出発帰社セシメタリ、是レ基カ炭礦鉄道会社長ヲ免セラレタル顛末ノ大要ナリ
以上ノ顛末ナルカ故、基カ社長ヲ免セラレタルハ、重ニ室蘭埠頭及鉄道線路ノ変更ニ原由スルカ如シ、是レ詳カニ之ヲ説明セサル可ラス、室蘭埠頭ハ会社創立ノ当初即チ明治廿二年八月九日会社創立願書ニ添ヘ、工費予算書及其略図ヲ具シ、官ノ裁可ヲ得タルモ、明治廿三年二月勅令第七号ヲ以テ、室蘭港ハ第五海軍区鎮守府位置即チ軍港ト定メラレタルニ依リ、該港ニ於ケル会社ノ設計ハ已ムナク変更セサルヲ得サルニ至リ、同年十一月四日該港桟橋着手ノ節ハ、図面及設計書ヲ添ヘ届出ツヘキ旨指令セラレタリ、同港ハ鎮守府位地ト定メラルヽモ、未タ実地ニ之ヲ設置セラレサルカ故ニ、今後市街ノ位地形勢等モ如何ニ変化スヘキヤ測ラレサルニ、叨リニ停車場ノ位置ヲ定ム可ラス、桟橋ノ如キモ之ニ伴ヘル者ナレハ、今日ノ処仮設桟橋ニ依リテ之レカ便
 - 第8巻 p.680 -ページ画像 
宜ヲ計レルノミ、而シテ予算書ノ埠頭ナル者ハ必スシモ之ヲ全廃セシニ非サルナリ、又鉄道線路変更ノ事タル、会社ガ擅ニ之ヲ為シタルニ非ス、既ニ前陳セル如ク、実ニ道庁監督技師松本荘一郎氏ノ指示設計ニ従ヒタル者ナリ、廿二年十月基ハ本会社創立委員長ノ資格ヲ以テ道庁ニ出願シテ曰、炭鉱鉄道建設工事ハ大体ノ設計ヲ始メ技術員ノ配置等一切松本技師ノ指示ヲ得テ着手候様仕度云々、尋ヒテ同十一月廿二日ニハ右ノ願意ニ基ツキ、左ノ如キ要領書ヲ添ヘ、重ネテ願書ヲ呈出セリ
一布設工事ノ設計ハ監督技師之ヲ定ムル事
一布設ニ従事セシムル技術員等ヲ進退及分掌ハ監督技師ノ指示ニ基キ之ヲ施行スル事
一布設ニ要スル材料ノ準備購入及配給並ニ其手続等ハ、監督技師ノ指示ニ従ヒ、之ヲ施行スル事
一布設工費ノ計算整理ハ監督技師ト協議スル事
一布設工事実施ノ為メニ既成鉄道運輸及器械等ニ関スル用務アルトキハ、監督技師ヨリ直接ニ夫等主任者ヘ指示施行スル事
然ルニ同廿三年一月十三日ニ至リ、道庁長官ハ左ノ如キ指令ヲ与ヘラレタリ
 明治廿二年十一月廿二日付出願鉄道建設工事着手ニ付松本一等技師派遣ノ件及監督上ニ係ル要領共許可ス
爾来松本技師ハ実地ヲ跋渉シ、地形ノ険夷線路ノ利害ヲ考査シ、以テ工事ノ計画ヲ定メラル、殊ニ夕張支線ノ如キハ十余里間一ノ人烟ヲモ見サル山谷深阻ノ地ナルカ故、寧ロ定例ノ手続ヲ後ニスルモ、速ニ開通ノ功ヲ奏シ、運輸交通ノ便ヲ開ヒテ殖民事業ヲ補翼スルニ如カストハ、独リ松本技師ノ意見ノミナラス、北海道庁当局官ニ於テモ切ニ希望セラレタル所ナリ、故ニ線路ノ如キモ従ツテ測定スレハ従ツテ工事ニ着手スルノ有様ニシテ、当時会社カ一々其願書ノ認許ヲ待ツカ如キコトアレハ、中途ニシテ工事ヲ休止シ、為メニ其進捗ヲ遅滞セシムルノミナラス、徒ラニ冗費ヲ加フルヲ免カレス、殊ニ此変更ハ前ニ云ヘルカ如キ次第ニシテ、道庁ヲ代表シタル監督官カ其必要ヲ認メテ設計サレタル者ナレハ、工事完成ノ上其手続ヲ為スモ不可ナカルヘシト、会社ハ其際監督官ニモ協議シタルコトアリキ、渡辺氏ハ松本ハ一技師ノミト云フト雖モ、同氏ハ本会社鉄道工事設計監督ノ為メ鉄道庁部長ヨリ特ニ北海道庁一等技師ヲ兼任シ、道庁ニ於テモ諸般計画上一切ノ事ヲ委任シ、此工事ニ就テハ純然タル道庁ノ代表者タリシナリ、而シテ空知線路ノ如キハ工事竣成ノ上、其施工ノ監査及運輸営業ノ開始ヲ出願シ、客歳七月二日本年一月八日ノ両度ニ開業免許状ヲ下付セラレ爾来運輸業ニ従事セル者ナリ、然ルニ監督ノ責ニ当レル長官ハ、当時一言ノ疑問モナク運輸営業ノ開始ヲ黙視シ、今日新ニ過失ヲ発見シタル如ク、罪ヲ社長ニ帰シ、剰ヘ如斯事歴アルヲモ顧ミス、遽慌唐突夜半ニ免職ノ沙汰ニ及フトハ、果シテ長官ノ処置トシテ其当ヲ得タル者ト謂フ可キカ、要スルニ線路変更ノ事タル、道庁ノ代表カ之ヲ設計シタル者ニシテ、会社カ擅ニ之ヲ為シタルニ非ス、道庁長官ノ委任ヲ受ケタル監督技師ノ指示ニ成リタル者ニシテ、会社カ命令ニ背キタルニ
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非ス、若夫レ線路変更ハ閣令ニ依リ、主務大臣ノ外之ヲ専行ス可キ者ニ非ストセハ、長官ト社長ト其罪孰レカ大ナルヤ、云ハスシテ知ルヘシ、然ラハ則チ基カ突然ノ処分ニ遇ヒシハ他ニ理由ノ存スルアルカ
如聞基免職ノ報札幌ニ達スルヤ、在札幌ノ株主篠森泰度外廿七名ハ電信ヲ以テ長官ニ其理由ヲ尋ネ、基カ復職ヲ請願シ、札幌有志者一同ハ対馬嘉三郎ナル者ヲ惣代トシ、同シク基カ復職ヲ懇請セリ、然ルニ長官ハ各返電シテ曰、堀基ハ政府ノ命令ニ背戻シタルノミナラス、帝室御財産及株主ニ対シ、将来会社ノ維持上容易ナラサル不都合アルヲ以テ復職聞届ケ難シト、株主等ハ尚之ニ甘ンセス、更ニ不都合ノ廉一々明示ヲ乞フ旨電報セシニ、長官ハ更ニ返電シテ曰、堀基ガ政府ノ命令ニ背戻セントハ、擅ニ鉄道線ヲ変更シタル如キハ其重大ナル理由ニテ将来ノ事由ハ説明ノ限リニ非スト、又頃日府下ノ各新聞ハ長官談話ノ筆記ナリトテ掲載シテ曰、堀基ノ職ヲ免シタルハ鉄道線路変更ノ事ノミニ非ス、其実解職ノ理由ハ他ニ種種アリ、線路変更ハ唯理由中ノ一分子ニ過キス、之ヲ細言スレハ、堀氏ノ私徳ヲ訐発セサル可ラス、故ニ述ヘス、又曰、会社カ百五拾万円ノ不始末ヲ来セシハ、余其事実ヲ知レリ、如斯不都合ノ猶存スルトセハ、今日ノ断実ニ已ムヲ得サルナリ、又曰、炭礦鉄道会社モ製糖会社等ト同様ノ宿痾ニ罹レリ云々ト、抑モ鉄道線路ノ事タル、基カ擅ニ之ヲ変更シタルニ非サルハ既ニ之ヲ述ヘタリ、帝室御財産及株主ニ対シ将来会社ノ推持上容易ナラサル不都合トハ果シテ何ヲ指スカ、解職ノ理由ハ他ニ種々アリトハ如何ナル事実ノ存スルヤ、漠然謾然タル無根ノ言ヲ放チ世人ヲ瞞着シテ基カ名誉ヲ傷ケントスルニ過キサルノミ、之ヲ質スレハ則曰、私徳ヲ訐発スルカ故ニ述ヘス、曰説明ノ限リニ非スト、基ヲシテ之ヲ分疏シ之ヲ説明シテ其冤ヲ雪クノ途ヲ得サラシム、何ソ事ノ公明ナラサルヤ、次ニ百五拾万円ノ不始末云々トハ何ノ謂ヒソヤ、想フニ長官ハ既成鉄道払下及其改良費等ニ充ツヘキ固定資本百拾万円外ニ炭礦部流動資本四拾万円追募ノ事ヲ云フカ、抑モ既成鉄道ニ関スル費用ハ、会社創立ノ際ニ於テ、其金額ヲ予算スル能ハサルノ事情アリタルカ為メニ、他ノ資本金ト同時ニ之ヲ募集スル能ハサリシナリ、故ニ其際即明治廿二年九月十三日ノ発起人会ニ於テハ、一時社償《(債)》ヲ以テ之ヲ支弁シ、営業収益ノ内ヨリ漸次償却スルコトニ決議セルナリ、然ルニ今日ニ在ツテハ凡テノ工事完成ノ期ニ迫リ、漸ク之ヲ募集スルノ場合ニ赴キ、且ツ採炭事業ヲ益拡張ノ望アルヲ以テ、之レカ資本モ補充スルノ必要ヲ生セリ故ニ当務者ハ之ヲ総合シ、社債或ハ増株ノ内孰レニスヘキカヲ株主総会ニ付スル事ニ就テ、客年十二月十七日及本年一月十八日ノ常議員会ニ相談セシコトアリタルナリ、抑モ会社カ創立ノ始メヨリ総体資本ニ対シテ一割以上ノ純益配当ヲ為シ、他ノ同業会社ニ類例ナキ利益ヲ得タルハ、単ニ此既成鉄道ノ払下ヲ受ケタルト、其改良ヲ為シタル結果ニシテ、年々三拾万噸ノ石炭ヲ運出スルニ至リタルモ、亦此線路ノ改良ニ依レリ、之ニ向ツテ応分ノ資金ヲ投スルハ、会社ノ利益ヲ保全スル上ニ於テ素ヨリ正当ノ事ナリ、特ニ炭礦部ノ流動資本ヲ増加スルハ重ニ将来ノ用途ニ供スルノ目的ニ出テタル者ナルニ、渡辺長官ハ是等ノ事実ヲ深クモ調査セス、叨リニ之ヲ指シテ会社ノ不始末ナリト公言
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シ、以テ其信用ヲ傷ケントス、豈監督ノ責ニ任スル者ノ行為ナランヤ其他長官カ炭礦鉄道会社モ製糖会社同様ノ宿痾ニ罹レリト云フニ至ツテハ、其何ノ故タルヲ知ラス、抑モ製糖会社ガ非常ノ失態ヲ顕ハセシト云フハ、一時社会ノ耳目ヲ驚カセシ彼ノ不正株券ノ濫発、資本金濫用ノ嫌疑事件ヲ指セシ者ナランカ、炭礦鉄道会社モ之レト同様ノ宿痾アラハ、事体容易ナラスト云フヘシ、会社果シテ如斯事実アリ、役員果シテ如斯行為アルニ於テハ、長官ハ監督ノ責ヲ全フセンカ為メニ、之ヲ法律ニ訴ヘテ仮借スル所ナカル可キナリ、若シ爾カセサルモ、之ヲ明言スル以上ハ之レカ確証ヲ挙クヘシ、挙クル能ハスンハ是レ誣ナリ罔ナリ、基ハ会社ノ為メ一身ノ為メ、飽迄モ之ヲ不問ニ付スル能ハサルナリ
夫レ炭礦鉄道会社ハ帝室御財産ヲ始メトシ、幾百人ノ株主ヨリ組成シ其事業ハ殖民拓地ニ北門警備ニ密接ノ関係ヲ有シ、政府ヨリ特別補給ノ恩典アリ、之レカ社長タル者其任実ニ軽シトセス、故ニ基ハ其職ニ在ルヤ、常ニ其過失ナカランコトヲ期シ、殊ニ創業以来屡北海道庁ノ検査ヲ受ケ、又会計検査院ノ検査ヲ経タルモ、未タ不整理不殆末等ノ非難ヲ受ケサルニ係ハラス、基ハ猶其整備ヲ求ムルノ衷心ヨリシテ、渡辺長官ト会見スル毎ニ、会社統理上不行届ノ点アラハ、事細大トナク之ヲ指摘シテ注意ヲ与ヘラレンコトヲ企望ストノ意味ヲ以テ説話セシハ、啻ニ一再ニ止マラサリシナリ、然ルニ長官ハ就任後一ケ年ニ垂垂トスルノ間、一事ノ摘指ヲ為サス、一言ノ注意ヲ与ヘスシテ、今日ニ至リ不加之事ノ理非ヲモ糺サス、株主ノ輿望ヲモ察セス、重役ノ意見ヲモ問ハス、軽忽ニモ其社長ヲ免スルコト一雇吏ヲ免スルカ如クセシハ果シテ何事ソヤ、之レカ為メ株主ハ不安ノ念ヲ生シ、会社ハ信用ヲ世上ニ失ヒ、株式相場ハ低落シテ振ハス、社員傭人ハ錯愕危疑シテ業務挙ラス、且夫レ炭礦ノ開採ニ鉄道ノ布設ニ未タ創業ノ区域ヲ脱セス、其着手ノ順序施設ノ綬急等独リ社長ノ胸算ニ存シ、未タ形迹ニ顕ハレサル者多シ、是等ノ事情ニ察スル所ナク、叨リニ会社ノ進路ヲ妨ケ、会社ノ損害ヲ顧ミサルノ処置ヲ為セシハ、譬令長官ノ職権上妨ケナキニセヨ、監督保護ノ実何クニ在ルヤ
抑モ北海道ハ土地広大水陸ノ遺利甚タ多ク、真ニ国家ノ富源タルニ拘ハラス、開拓殖民ノ業未タ長足ノ進歩ヲ為サヽルハ何ソヤ、蓋シ巨額ノ資金ヲ未開ノ地ニ投スルハ普通人情ノ難ンスル所タル而已ナラス、一ハ同道ノ実情ヲ知ラサルヨリシテ、内地有力者ノ興業ヲ企図スル者少キニ職由ス、故ニ道庁長官タル者ハ管下人民ノ安寧ヲ保維スルハ論ナク、利ヲ興シ害ヲ防キ、勉メテ内地人民ヲシテ同道ノ移住起業心ヲ喚起セシムルノ方法ヲ施シ、殊ニ既立保護会社ノ如キハ之ヲ監督シ、之ヲ誘掖シ、内ニ過失ナク外ニ悪評ナカラシメ、以テ創業模範ノ実ヲ示サヽル可ラス、然ルニ何ソヤ、臆測ヲ逞フシ、事実ヲ捏造シ、名ヲ線路変更ニ仮リ、枉ケテ管下ノ民タル基ヲ構陥シ、基ノ名誉ヲ傷ケントス、是豈全道ノ秩序安寧ヲ保ツノ道ナルカ、軍事殖民及帝室ノ御財産ニ関係アル会社ヲ罵ツテ弊害アリ不殆末アリト公言シ、勉メテ会社ノ信用ヲ傷ケ、直接間接ニ非常ノ損害ヲ被ラシメテ顧ミス、是レ豈会社ヲ保護シ監督シ其発達ヲ全図スルノ道ナルカ、内地人民ヲシテ北海
 - 第8巻 p.683 -ページ画像 
道ハ姦獪弊害ノ巣窟ニシテ、資ヲ投シ業ヲ起スヘキノ地ニ非ストノ誤想ヲ懐キ、以テ其移住心ヲ杜絶セシム、是豈拓殖事業ヲ奨励進歩セシムルノ道ナルカ、基ハ此ニ至リ北海道庁長官渡辺千秋氏ノ言行ハ其職責ヲ全フセル者ナリヤ否、又其徳義ニ背カサル者ナリヤ否ヲ断言スルノ要ナシ、賢明ナル政府諸公ハ、北海道事業ノ国家経済上ニ利害ヲ有スル重事ナルト、近来ニ於ケル同道民心ノ向背如何ヲ洞察シ、渡辺長官ノ言行ト責任ヲ詳カニシ、速ニ至当ノ処分アルヘキハ、基ノ確信シテ疑ハサル所ナリ、如何トナレハ、之ヲ断スルハ諸公ノ責ニシテ公明ノ道理ナレハナリ


〔参考〕時事新報 〔明治二五年三月二七日〕 渡辺北海道庁長官ノ談話(DK080060k-0014)
第8巻 p.683-684 ページ画像

時事新報 〔明治二五年三月二七日〕
○渡辺北海道庁長官ノ談話
北海道炭礦鉄道会社々長堀基氏免職ノ件ニ就テハ、取敢ヘズ昨日ノ紙上ニ聞クガ儘ヲ記載セシガ、尚右ニ関シ渡辺北海道庁長官ノ談話ナリト云フヲ聞クニ
 北海道改革ノ手始メトシテ、先ヅ此処分ヲナシタルモノノ如シ、即チ其大要ヲ記載センニ、余(長官)ハ明治十年鹿児島ニ戦争ノ起ラムトスル前、即チ肥後ニ於テハ已ニ戦端ヲ開キタル頃、乏シキヲ承ケテ鹿児島県知事トナリ、同県ニ赴任セシ処、間モナク鹿児島モ兵馬倥憁ノ巷トナリ、施政上万端ノ困難少カラズ、既ニシテ兵乱モ治マリシカド、鹿児島ハ古来ノ雄藩ニシテ其風土習俗モ亦自ラ他ト異ナル処アルヨリ、県治上ニモ随分容易ナラザル事アリシハ、今モ尚記憶シテ離レサル処ナリ、然ルニ又過般誤リテ北海道庁長官トナリ任ニ彼ノ地ニ赴キタル処、ソノ施政ノ困難ナル事情並ニ一般社会上ノ模様ハ、固ヨリ鹿児島ト比スベクモアラズ、却テ更ニ一層ノ困難ヲ感セリ、左リナガラ苟モ其任ニ当リタル以上ハ、物ノ更ムベキハ更メ、弊ノ除クベキハ除キ、熱心以テ北海道ノ福利ヲ計ラサルベカラズ、就テハ坐ナガラ事ヲ断ズベカラズト、遂ニ北海道全道ノ巡視ヲ思ヒ立チ、数月ヲ費シテ親シク全道ノ実況ヲ視察シタルニ、案ニ違ハズ殆ンド余ガ想像シタル有様ナリシカバ、是ニ於テ余ハ益々改良ノ容易ナラザルヲ知ルト共ニ、何トカ相当ノ処置ヲ施サザルベカラザル事ノ必要ヲ感ゼリ、北海道ノ一大切ナル事ハ今更云フヲ要セザル次第ナレドモ、熟々維新当初ヨリ我政府ガ北海道ニ対スル方針ヲ察スルトキハ、其重キヲ置クコト云フ迄モナク、拓地殖民ノ事ハ外交ノ問題ト共ニ我維新以来ノ国是ト云フモ可ナリ、然ルニ其大切ナル北海道ガ今日尚斯ル有様ニテハ、啻ニ政府ノ初志ニ背クノミナラズ、国家ノ為メニモ甚ダ慶スベキノ事ニアラズト思ヒ、着々改良ノ方針ヲ執ル事ニ決心セリ、而シテ拓地殖民ノ事業ヲ挙ゲ、以テ益益北海道ノ富源ヲ開カントスルニハ、内地ノ資本ヲ彼ノ地ニ注入セザルベカラズ、之ヲ注入スルニ就而ハ経済社会ノ弊ヲ矯メ、内地ノ資本家ヲシテ十分ニ北海道ニ向ツテ信ヲ置カシメザルベカラズ、然ルニ今日迄ノ有様ニテハ、未ダ以テ其信用ヲ買フコト能ハサルノミカ、動モスレバ危険ナリトノ感想ヲ起サシムルコトナキニアラズ、彼ノ札幌製糖会社ノ如キモノ是ナリ、左レバ今日ニ於テハ宜シク先
 - 第8巻 p.684 -ページ画像 
ヅ其辺ノ改革ヲ施ササルベカラストシテ、差向急要ナルハ炭礦鉄道会社ナリ
 同会社ハ世人モ知ル如ク製糖会社ト等シク道庁監督ノ下ニ立ツモノナレバ、予ジメ之ガ注意ヲナスベキハ当局者タルモノノ任務ナリ、今更之ヲ云フモ詮ナキ事ナレドモ、彼ノ札幌製糖会社ノ如キモ早ク手ヲ下シテ療治ヲ施シタランニハ、必ラズシモ今日ノ如キ有様ヲ見ザリシナラント思ハル、故ニ余ハソノ安全ナル時ニ於テ注意スル事ノ必要ナルヲ認メタル結果トシテ、同社長堀基氏ノ職ヲ免ゼリ
 尤モ今度ノ処置ヲナシタルニ就テハ、余(長官)ニ三個ノ理由アリ、第一ハ株主タル一個人ノ資本ヲ安全ニシ、第二ハ炭礦鉄道会社ト称スル一ノ法人体ノ財産ヲ鞏固ニシ、第三ハ内地資本ノ信用ヲ失ハサラン事ヲ期シタルナリ、但シ之ヲ断行スルニ就テハ種々ノ忍ビ難キ事情モナキニアラザレドモ、国家百年ノ長計ヲ思フ時ハ、ソノ忍ビ難キヲ忍バザルベカラズ、是レ即チ余ガ這回ノ処置ヲナシタル大体ノ決心ナリ、若シ夫レ堀氏免黜ノ手続云云ニ至リテハ、幸ニシテ余ハ堀氏ト従来相知リタル間柄ナルヲ以テ、私交上ヨリ堀氏在職中ノ社務ニ就テ愚見ヲ述ベ、其責任ヲ明カニシテハ如何トノ勧告ヲナシタル処、堀氏モ余ガ勧メヲ容レ、辞職シテ尤ヲ引クベシト迄返答シタル故、余モ亦喜ンデ其手続ヲナシタリ
 然ルニ昨今世間ニ堀氏ハ辞職ノ意ナキニ強イテ之ヲ免職セシメタリ云云ノ風説アレドモ、斯ル折ニハ種々ノ浮説モ行ハルル故、余ニ於テハ固ヨリ意トスルニ足ラズ、殊ニ此処分ヲナスニ就テハ、最初ヨリ余モ亦決心スル処アリタルヲ以テ、堀氏ノ意中ハ固ヨリ問フ処ニアラズ、左リナガラ平生相識ノ間柄ナルヲ以テ、一応ソノ意ヲ通ジタル上、炭礦会社ニ対スル監督上ノ職権ヲ施シタルニ過ギズ、勿論這般ノ処分ヲナス時ハ、株券ノ市価ニモ関係シテ、此際株主ノ喜憂ヲ起ス位ノ事ハ余ト雖ドモ知ラザルニアラズ、左リナガラ病ヲ未然ニ防ギ、百年ノ安全ヲ計ラムトスルニハ、一時ノ痛苦ハ忍ビザルベカラズ、何ヲ云フニモ六百五十万円ト云フ大資本ノ会社ナレバ、其会社ノ安否ハ啻ニ北海道ノミナラズ、日本ノ経済社会ニモ大関係アル故ニ、軽々ニ処分スベカラザルハ云フ迄モナケレバ、今後ノ処置ニ就テハ重立チタル役員ニ対シテ意見ヲ述ベ、相談ノ上成ルベク温和ニ事ヲ処スル考ナレバ、不日其落着ヲ告グル事ナラン云云
                      (長官談話終)


〔参考〕時事新報 〔明治二五年三月二七日〕 (五)堀基氏の免職について(DK080060k-0015)
第8巻 p.684-685 ページ画像

時事新報  〔明治二五年三月二七日〕
○上略
(五)堀基氏の免職について
 炭礦鉄道会社々長堀基氏が、突然免職の汰沙と為りたる理由に就ては、世上に伝説する所も多けれど、要するに北海道庁長官は堀氏を以て其任に非ずと為し、同社の整理を図らんが為め斯くは断乎たる処置を為したりと云ふものの如くなるが、今又久しく該地に在住せる某氏の話なりと云ふを聞くに、余は素より今回の役職に関して如何なる内部の事情あるや否を知らざれども、想ふに此事たる決して
 - 第8巻 p.685 -ページ画像 
一朝一夕に湧出でたるものには非ざるべし、北海道には多年因習の久しき隠然薩人の勢力を有するは何人も能く知る所にして、其後永山屯田兵司令官が道庁長官を兼務するや、益々其勢力を助長せしめたるが如き姿なきに非ざりし折柄、永山司令官は屯田兵の専任と為りて、渡辺氏が長官の後任を襲ぐ事と為りしが、渡辺氏の就任するや、大に同道の宿弊を洗滌せんと決心したるものゝ如く、其第一着先づ同庁の高等官は藤田理事官と他の技術官とを除くの外は、一切新陳を交代せしめて予め情実の本源を切断したる上、着々他の施政上の宿弊に及ぼさんとするが如き様子に見受けしも、此の第一着の改革が偶ま以て一種の有力なる反対者を作り出したるのみならず、一方には屯田兵司令部を始めとして諸会社等の有力なる薩人を控へ諸事に就て自ら掣肘するの傾きありて、頗る施政の難渋を来すが如き模様あるより、大に渡辺長官の頭悩を剌戟したるものゝ如く、堀氏は同道に取りて最も有力なる薩人なりと云ひ、且つ渡辺氏は兼て炭礦鉄道会社を始めとし、各保護会社の整理上に関し特種の意見を有し居たりと云ひ、到底一刀両断の処置に出でざるべからずと決心し第一着に斯る処置を為したるものなるべし、左れば此決心は決して今日俄に湧出でたるにはあらすで《(マヽ)》、渡辺氏が昨年上京したる時に在るべく、若し品川子にして其儘在任したらんには、或は尚早く其決行の時期を早めしには非ざるか、免に角岩村氏の時すら着手する能はざりし事に向て、斯る断乎たる処置に出でたるは、渡辺氏自身にも大に決心する所あるは勿論、他に又頼るべき一の後援もあるなるべし云々と語れり、其事実の如何は知らざれと暫く聞くが儘に記しぬ