デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
10款 筑豊興業鉄道[株式]会社(筑豊鉄道株式会社)
■綱文

第9巻 p.10-16(DK090002k) ページ画像

明治30年3月22日(1897年)

筑豊鉄道株式会社ト九州鉄道株式会社トノ合併機運熟スルヤ、是日栄一合併条件ニツキ案ヲ提示シ、以後協定成立ニ努メ、同年十月一日両社合併トトモニ筑豊鉄道相談役ハ解任トナル。


■資料

中外商業新報 第四五二七号〔明治三〇年三月二三日〕 九州・筑豊鉄道の合併談(第一会合)(DK090002k-0001)
第9巻 p.10-11 ページ画像

中外商業新報 第四五二七号〔明治三〇年三月二三日〕
    九州・筑豊鉄道の合併談(第一会合)
予記の如く、九州・筑豊両鉄道の合併談は、昨二十二日午前十一時より、帝国ホテルに開かれたり、筑豊鉄道会社より渋沢栄一・荘田平五郎・堤猷久・麻生太吉・安川敬一郎等諸氏、九州鉄道会社よりは高橋新吉・今村清之助・井上保次郎・坂井等・鹿野淳二・田中市兵衛・小河久四郎・斎藤美知彦諸氏会合、先づ渋沢氏等が公平無私に案出せし合併の条件に就て(合併条件は既に之を知れるも、事秘密に属するを
 - 第9巻 p.11 -ページ画像 
以て特に姑らく之を掲けす)双方の意見を陳述し、当日は唯々顔合のみに止め、今二十三日は双方単独の協議を凝らし、第二の会合は更に交渉の上期日を定めて開くことゝなり、同三時頃散会せり


中外商業新報 第四五二八号〔明治三〇年三月二四日〕 九州・筑豊両鉄道合併に関する双互単独の協議(DK090002k-0002)
第9巻 p.11 ページ画像

中外商業新報 第四五二八号〔明治三〇年三月二四日〕
    九州・筑豊両鉄道合併に関する双互単独の協議
一昨二十二日帝国ホテルに開かれたる九州・筑豊両鉄道合併談に関し昨二十三日は双互単独の協議会を催し、九州鉄道会社重役(高橋新吉・今村清之助・井上保次郎・田中市兵衛・阪井等・鹿野淳二・小河久四郎・斎藤美知彦)諸氏は今村銀行に、筑豊鉄道会社重役(渋沢栄一・荘田平五郎・仙石貢・堤猷久・麻生太吉・安川敬一郎)諸氏は三菱合資会社に会合、双互合併の条件に就て熟議する所ありし由なり


中外商業新報 第四五二九号〔明治三〇年三月二五日〕 九州・筑豊両鉄道の合併案如何(DK090002k-0003)
第9巻 p.11 ページ画像

中外商業新報 第四五二九号〔明治三〇年三月二五日〕
    九州・筑豊両鉄道の合併案如何
九州・筑豊鉄道の合併談開始せるゝや、其如何なる条件の下に合併なるべきかは世人の注意する所なるも、事頗る秘密に属せるを以て、未だ之を公にすべからざることなるが、結局九州鉄道会社の既払込株券(旧株四十一円、新株二十円)と筑豊鉄道会社の既払込株券(旧株五十円、新株十五円)とを基礎とし、之に両鉄道株現今の市価を計較し而して筑豊鉄道株一株に対し九州鉄道株幾何を与へて後者に合併せしめんとするに在るか如く、其概算は局外者と雖も之を立つるに敢て難からざるべきも、其他の条件に至りては重役及社員の始末に関係するか如きことにして、双互株券の市価に影響を及ほすものにあらず、又合併談の進行は頗る有望なるものある由なり


中外商業新報 第四五三〇号〔明治三〇年三月二六日〕 九州・筑豊両鉄道合併談の成行(DK090002k-0004)
第9巻 p.11 ページ画像

中外商業新報 第四五三〇号〔明治三〇年三月二六日〕
    九州・筑豊両鉄道合併談の成行
九州及筑豊両鉄道の合併談は、昨二十五日も双互の重役等単独に会合協議する所ありしか、第二会合の期日は猶未定なりと雖も、こゝ四五日中には首尾よく談判整ふべき形勢あるが如し


中外商業新報 第四五三三号〔明治三〇年三月三〇日〕 九州・筑豊両鉄道の合併議成る(DK090002k-0005)
第9巻 p.11-12 ページ画像

中外商業新報 第四五三三号〔明治三〇年三月三〇日〕
    九州・筑豊両鉄道の合併議成る
去二十二日以来、双互の重役等日夜交渉協議中なりし九州及筑豊の両鉄道合併談は、同二十七日に至り大略左の条件を以て協議整ひし由
 一九州鉄道会社新旧株券三十三万株及筑豊鉄道会社新旧株券九万七千株を挙げて九州鉄道会社に合併する事
 一九州・筑豊両鉄道合併後、九州鉄道会社は四十二万七千株の外更に両鉄道会社の計画に係りし事業の拡張を実行するが為めに、新株券十七万三千株を増加して都合六十万株とし、而して其完成を期する事
 一新株券十七万三千株の分配方法は、九州鉄道会社新旧株券三十三万株に対して十万株を分配し、筑豊鉄道会社新旧株券九万七千株
 - 第9巻 p.12 -ページ画像 
に対して七万三千株を分配する事
 一九州鉄道会社は更に重役五名を増加し、而して其選挙は筑豊鉄道会社重役中の人を以てする事
 一九州・筑豊両鉄道会社は、来月二十日を期し、双互の株主に向て其合併の協賛を求むる事
而して双互の重役は昨二十九日仮合併約定書に記名調印し、更に同日午後九州鉄道会社重役は築地の柳花苑に、又筑豊鉄道会社重役は浜町の常盤に、各在京大株主を招きて合併談の顛末を報告すべしと伝ふ
この二大鉄道会社重役が両鉄道の合併談を開きしは、去廿二日帝国ホテルの会合を以て其第一回とし、爾後日夜交渉協議する所ありしが、元来この両鉄道は其利害を同ふすべき関係ありと雖も、こゝに之を合併せんとするに就ては、各自其株主の利益を擁護するに専ならざるべからず、而して九州鉄道会社重役は、筑豊鉄道の株券払込金額は九州鉄道会社の株券より多きのみならず、目下収益の割合亦更に多きに拘らす、近時専ら学者間に唱道せらるゝ百年後の寿命甚た計り難き石炭の運搬を以て其目的とするものなるが故に、素より永く九州地方の繁昌と運命を同ふする九州鉄道と同一視すべきにあらず、として対等の合併を主張し、又筑豊鉄道会社重役は、百年後石炭の寿命計り難しといふも、是れ畢竟想像に止まるの説にして、俄に信を置くべきにあらず、其鉄道の性質敢て九州鉄道に異なる所なきのみならず、既に其株券の払込額は九州鉄道会社の払込額よりも多く、且目下の収益更に同鉄道よりも多きが故に、対等の合併望むべきものにあらず、として之に対する相当の利益を得んと主張し、一時談判将に破れんとするの危機に切迫したるが如きことありしも、鉄道事業に堪能の聞ある仙石工学博士(筑豊鉄道会社)等双互鉄道の性質及将来の運命等に就き諄諄として説く所あり、双互の重役再三熟考を加へ、終に譲歩の結果、ここに首尾能く合併談整ふに至りしものなりと聞く、双互鉄道会社の株主も此合併を利とし、且其談判に当りし各重役の功労を多しとすへきなり


中外商業新報 第四五三五号〔明治三〇年四月一日〕 九州・筑豊両鉄道合併条件の追加(DK090002k-0006)
第9巻 p.12 ページ画像

中外商業新報 第四五三五号〔明治三〇年四月一日〕
    九州・筑豊両鉄道合併条件の追加
 九州及筑豊両鉄道会社の合併条件は、去る二十九日の本紙上に記せしが、尚同条件に左の件々を追加したる由なり
一筑豊鉄道の株券は旧株(五十円払込)七万四千株と新株(十五円払込)二万三千株は、合併前に九州の新株と同額即ち廿五円の払込と為し、九州鉄道株券同額と引換ゆる事
一筑豊鉄道の社債四十六万五千円及ひ借入金其他筑豊の権利義務は、現在の儘九州鉄道に移転する事
一来七月六日現在を以て合併を実行し、新株の分配も同日現在の株主に由る事


九鉄二十年史 第二二―三五頁(DK090002k-0007)
第9巻 p.12-14 ページ画像

九鉄二十年史 第二二―三五頁
筑豊鉄道株式会社は、初め筑豊興業株式会社《(マヽ)》と称し、資本金壱百万円
 - 第9巻 p.13 -ページ画像 
を以て若松・直方間、直方・小竹間、直方・金田間、小竹・飯塚間、小竹・幸袋間、飯塚・臼井間、約四拾哩の鉄道を布設するの計画にて明治二十二年七月、即九州鉄道創立の翌年、本免状の下附を得たり、然るに経済界不振の為め株金の払込遅滞し、工費に差閊へたるを以て二十三年十月に至り、第一国立銀行其他より金弐拾五万円の借入を為し、以て一時の急を救ひたる程なりしが、其後愈々資本の不足を認め翌年十二月臨時株主総会を開き、左の議案を決議せり
一資本金を二百五拾万円と為すこと
二定款追加
 本会社資本金壱百五拾万円に対する新株には、株主配当金の内より先つ以て年八朱に相当する金額を配当し、次に旧株に年八朱に相当する迄を配当し、尚余剰あるときは新旧株式に平均して之を配当するものとす
 但し新株主三分の二以上の同意を得、配当の手続は変更することを得ると雖も、新株へ先取の配当八朱の額は増加することを得ず、又万一純益金少額にして八朱の配当に不足を告くるも、其純益額に止り、別に補償せさるものとす
三株金払込未済中支出に差支を生する場合に方り、本会社の鉄道及諸建物等全体の財産を抵当とし、重役会の議決を以て借入金を為すことを得
右第一の理由は、二十二年十月起工以来満二ケ年余の長日月を費したるに拘らす、二十四年八月漸く若松・直方間の開業を為すに止まり、其他の工事を落成する能はさる所以は、畢竟当初予算の当を失したると、一は金融必迫の影響を受けたるに職由するものにして、事情已むを得さるなり、然るに赤池・飯塚の両工事を落成するときは、相当の利益を得るの望あるを以て、此際増資し、以て速かに残工事と延長線を落成せんとするにあり、第二の理由は、予定の工事は前述の事情により旧株払込の金額を以て落成する能はざるのみならず、巨額の負債を為し、其返済は勿論利子を支払ふさへ困却する有様なるを以て、新株を募集し、以て社債を償却し、予定の工事を竣へ、利益を見るに至るの基礎を立つるに付ては、純益金配当に於て新株に年八朱の優先権を与ふるは、事実上又道理上至当と認む、然れとも配当先取の八朱の額は、当初募集の際契約あるを以て、決して変更することを得さるものと定めたる所以なり、又第三の理由は、今後延長線路及残工事に着手するに際し、株金払込延滞の為め工費の支払に差閊を生すへき恐ありしによる、以て当時の苦境を察知すへし
先是、重役の俸給及旅費規則を改正し、課係の廃合をなし、或は係員を淘汰し、大に経費を節減して業務の刷新を企て、又増資に対する株金の払込を促し、或は社債を起し、或は諸般の設備を完ふすることに努め、一方には若松・直方間の営業収入も次第に増加したるにより、二十五年十月の株主総会に於ては初めて新株八朱、旧株二朱二厘二毛の配当を決議することを得たり、斯くて次期に入りては、直方・小竹間、直方・金田間、小竹・飯塚間の建築工事竣工し、営業益繁盛となり、収入殆んと前期に倍加したれは、更に業務を拡張せんとして、同
 - 第9巻 p.14 -ページ画像 
年十月の臨時株主総会は左記の各項を決議せり
一幸袋線布設(四哩四拾五鎖) 工費予算 金拾弐万参千五百九拾円
一臼井線布設(五哩) 工費予算 金拾弐万九千円
一新入・筑前植木間、中間・折尾間複線布設
      (参哩五拾弐鎖) 工費予算 金六万参千八百弐拾参円
一飯塚駅より原田駅に至る延長線及山家駅より甘木町を経て吉井町に至る分岐線仮免許状下附出願の件
一社債金八拾万円の内未募集金弐拾万円の募集を見合せ、株金壱万六千株を募集すること
一資本金を参百万円に増加し、定款を改正すること
爾来沿線の炭坑漸次増加し来りたれは、更に二十七年四月の臨時株主総会に於て、直方・小竹・折尾・若松間の複線工事、若松・折尾・直方・小竹各駅構内の改良機関車炭車の増加を可決し、一層業務拡張の方針を取りて進みつゝありしに、偶々韓山の風雲急を告くるに逢ひ、炭価俄に暴騰し、筑豊の出炭未曾有の盛況を呈すると共に、其収入は驀然として増進し、配当率も八朱より九朱となり、終に一割に上るに至れり、三十九年小山改蔵氏《(二)》は此全盛を見て退き、仙石貢氏其後を受けて社務の整理を謀り、常に好景況を以て三十年の合併に達せり
○中略
三十年四月両会社○九州鉄道ト筑豊鉄道は各臨時総会を開き、合併案を決議するに至れり。
○中略
両会社は右決議に基き、同年四月二十三日附にて左の契約を締結し、同二十八日を以て、筑豊鉄道株式会社の全線路を本会社の延長線とし其の財産一切を引受くるの件を逓信大臣に出願し、八月二十六日認可を得、十月一日合併を了せり
   ○筑豊鉄道解散ニヨリ栄一ノ同社相談役ハ解任トナリタルガ、同社ノ大株主タリシヲ以テ合併ニヨリ新株割当ヲ受ケ、九州鉄道ノ大株主ノ一人トナリタリ。本章第二節第二十款九州鉄道株式会社明治三十年四月二十三日ノ項(本巻第二二六頁)参照。



〔参考〕日本鉄道史 中篇・第四二五―四三〇頁〔大正一〇年八月〕(DK090002k-0008)
第9巻 p.14-16 ページ画像

日本鉄道史 中篇・第四二五―四三〇頁〔大正一〇年八月〕
    第十一 筑豊鉄道
筑豊興業鉄道ハ石炭運搬ノ目的ヲ以テ明治二十二年創立セラレ、若松港ヲ起点トシテ線路ヲ直方ニ延キ、二十五年十月直方ヨリ小竹ニ至リ二十六年二月直方ヨリ分岐シテ金田ニ至リシカ、同年七月三日小竹ヨリ飯塚ニ至ル五哩五鎖開通シタリ
明治二十五年以降若松駅構内海岸ニ船積場九箇所ヲ設備シ、又二十六年三月炭積用桟橋架設工事一部竣功シ之ヲ使用シタリ、同月金田駅構内艜入場開鑿工事竣功シ、石炭積込ヲ開始シタリ、二十七年二月一日ヨリ若松駅構内桟橋ノ使用料ヲ使用者ヨリ徴収セリ
二十五年七月一日九州鉄道トノ接続切符ヲ発売シ、旅客及手荷物ノ接続取扱ヲ開始シタリ、二十六年六月折尾ニ於ケル九州鉄道トノ共有接
 - 第9巻 p.15 -ページ画像 
続線三十三鎖ノ敷設工事竣功シ、貨物列車ヲ通シタリ、又二十七年度ニ至リ九州鉄道ト協定シテ、風波ノ為船舶若松ニ入港セザルトキハ、石炭列車ヲ門司ニ赴カシムルコトトセリ
明治二十七年七月二十五日小竹ヨリ分岐シテ、筑前穂波郡大谷村大字幸袋ニ至ル支線敷設ノ免許ヲ受ケ、十一月二日飯塚ヨリ分岐シテ嘉麻郡碓井村大字下臼井ニ至ル支線敷設ノ免許ヲ受ク、十二月二十八日小竹・幸袋間三哩四十二鎖開通シ、二十八年四月五日飯塚・臼井間四哩二十七鎖亦開通セリ
是ヨリ先明治二十六年十二月二十日底井野・植木間複線開通シ、二十七年十二月二十一日折尾・中間間及植木・直方間複線開通ス、二十九年四月二十九日若松・折尾間複線亦開通シタリ
明治二十八年度末ヨリ若松駅ニ改良及拡張工事ヲ施シ、三十年度ニ於テ石炭船積用ニ供スル水圧「ホイスト」一基(英国「アームストロング」社ノ製作ニ係ル)水圧「クレーン」一基(英国「タンネットウオーカー」社ノ製造ニ係ル)ヲ建造シ、水圧機械室及転車台二箇ヲ建造シタリ、又二十八年度以降植木・直方・小竹・飯塚・金田等ノ各駅改良工事ヲ起シ、二十九年度末ニ於テ直方駅ニ給水工事ヲ施シ、嘉麻川附近ニ水源井ヲ掘鑿シ、鉄管ヲ以テ引水シ、喞筒ヲ据付タリ
会社ハ、創立ノ際会社ノ位置ヲ直方ニ定メ、出張所ヲ東京ニ設ケタリシカ、明治二十六年四月之ヲ若松駅構内ニ移シ、六月東京出張所ヲ廃シタリ、同年十二月若松駅構内ニ新設シタル会社家屋落成シ、二十六日会社ノ位置ヲ之ニ移シタリ、二十七年八月会社ハ社名ヲ改メ、筑豊鉄道株式会社ト称セリ
会社ハ、明治二十五年、資本金ヲ増加シテ二百五十万円ト為シタリシカ、二十七年七月複線工事、幸袋線敷設工事並機関車・炭車購入ノ為三十五万円ヲ増加シ、同年十一月複線工事、各駅改良拡張工事及機関車・炭車購入並臼井線敷設工事ノ為八十五万円ヲ増加シ、二十八年十二月若松・直方・植木・小竹・飯塚等ノ各駅拡張工事及遠賀川橋梁複線工事並車輛増加ノ為一百十五万円ヲ増加シ、総額ヲ四百八十五万円トセリ、二十九年五月尚ホ十四万円ヲ増加シタリシカ、払込ヲ為スニ至ラズ
会社ハ、明治二十七年七月飯塚ヨリ筑前原田又ハ肥前鳥栖ニ至ル線ノ仮免状ヲ受ケ、二十九年一月目論見書ヲ変更シテ免許状ヲ申請セシモ、三月願書却下セラレタリ、又筑紫郡山家ヨリ分岐シ筑後生葉郡吉井ニ至ル線ノ仮免状ヲ受ケタリシカ、二十九年一月之カ廃止ヲ決シタリ、是ヨリ先、二十八年十月金田ヨリ豊前田川郡香春村ニ至ル線ノ仮免状ヲ申請シタリシカ、翌二十九年五月願書却下セラル、同月金田ヨリ田川郡糸田村ニ至ル線ノ仮免状ヲ受ケタリシカ、十月之カ廃止ヲ決シタリ、同年五月金田ヨリ豊前田川郡伊田ニ至ル線ノ仮免状ヲ、同月九日臼井ヨリ筑前嘉穂郡熊田村下山田ニ至ル免許状ヲ、同月下山田ヨリ上山田ニ至ル仮免状ヲ、七月筑前遠賀郡石峯村ヨリ戸畑ニ至ル線ノ仮免状ヲ、三十年五月飯塚ヨリ嘉穂郡穂波村長尾ニ至ル線ノ仮免状ヲ受ク
明治三十年会社ハ九州鉄道株式会社ト合併ヲ遂ケタリ、其起因ヲ繹ヌ
 - 第9巻 p.16 -ページ画像 
ルニ、会社ノ事業ハ採炭業ノ発達ト共ニ益々繁栄ニ赴キタルモ、九州鉄道ト拮抗ノ姿勢ニ入ラントスル傾向ハ免ルヘカラズ、然ルニ会社ノ株主中ニハ同時ニ九州鉄道ノ株主タルモノ尠カラザルヲ以テ、将来競争ノ不利ナルヘキヲ顧慮シ、之ヲ避ケンニハ両社合併ノ外ナキヲ唱道スルモノ続出シタリ、是ニ於テ両社ノ協定ト為リ、三十年四月双方ノ各株主総会ニ於テ合併案ヲ決議シタリ、其要件ハ九州鉄道ニ於テ新株二十七万株ヲ発行シ、内九万七千株ト引換ニ、筑豊鉄道会社ハ鉄道及附属物件ヲ九州鉄道ニ引渡スモノトシ、残十七万三千株ヲ七月十日現在ノ筑豊鉄道ノ株主ニ七万三千株、九州鉄道ノ株主ニ十万株ヲ割当テ尚ホ九州鉄道ハ筑豊鉄道ノ債務一切ヲ引受ケ、又筑豊鉄道ノ役員五名ヲ九州鉄道ノ役員ニ選定スルコト等ナリ、是ニ於テ両社ハ、四月二十三日合併契約ヲ締結シ、八月二十六日九州鉄道ハ筑豊鉄道ノ全線ヲ延長線トスルノ許可ヲ受ケ、十月一日両社ハ一切ノ授受手続ヲ了シ筑豊鉄道株式会社ハ解散シタリ
明治二十九年度ニ於ケル会社ノ営業状態ヲ検スルニ、資本金ハ四百八十五万円ニシテ、其払込額ハ三百八十七万六千百四十三円ニ達シ、四十四万円ノ社債金ヲ有シ、開業線路ハ三十八哩四十七鎖ニシテ(未開業三哩余アリ)機関車三十輛・客車二十二輛・貨車一千二十二輛ヲ有シ、建設費ハ三百八十八万八千七十五円ニ上リ、旅客七十六万千二百六十三人、貨物一百四十一万二千百四十二噸(貨物噸数ノ約九割五分ハ石炭トス)ヲ輸送シ、営業収入ハ七十五万九千二百一円、営業費ハ三十四万四千六百十一円ニシテ、益金ハ建設費ノ一割七厘ニ相当シ、払込株金ニ対シ一割ヲ配当セリ、同年度末ノ人員ハ専務取締役以下一千二百二十一人ヲ算ス
明治二十六年二月取締役磯野七平辞シ、四月本山彦一ヲ補欠トシテ選挙ス、二十九年十月監査役安川敬一郎辞シ、金子辰三郎ヲ補欠トシテ選挙ス、十一月取締役小山改蔵・徳弘為章辞シ、工学博士仙石貢・安川敬一郎ヲ補欠トシテ選挙ス、又互選ヲ以テ仙石貢ヲ専務取締役トス