デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

2章 交通
2節 鉄道
21款 函館馬車鉄道株式会社
■綱文

第9巻 p.308-311(DK090029k) ページ画像

明治30年12月(1897年)

函館馬車鉄道会社ハ函館地方有志者ノ創立ニ係リ、栄一地方人士ノ依頼ニ依リ当社株主ト為ル。是月当社開業ス。


■資料

青淵先生六十年史 第二巻・第三二三頁 〔明治三三年二月〕(DK090029k-0001)
第9巻 p.308 ページ画像

青淵先生六十年史 第二巻・第三二三頁〔明治三三年二月〕
    第九節 函舘馬車鉄道会社
函館馬車鉄道会社ハ明治三十年一月函館地方有志者ノ創立ニ係ル、資本金拾五万円、其目的ハ函館区内ニ馬車鉄道ヲ布設シ以テ運輸ノ業ヲ営ムニアリ
同社ハ後チ函館鉄道株式会社ノ所有ニ係ル函館湯ノ川間ノ鉄道布設権ヲ譲受ケ事業ヲ拡張シタリ、青淵先生ハ地方人士ノ依頼ニヨリ同社株主ノ一人ナリ


帝国電力株式会社所蔵文書(DK090029k-0002)
第9巻 p.308-310 ページ画像

帝国電力株式会社所蔵文書
 内務省指令甲第二二三号
           北海道渡島国函館区東川町二百八十八番地
                   函館馬車鉄道株式会社
明治三十一年十二月九日願函館湯ノ川間及亀田湯ノ川間馬車鉄道敷設特許権譲受ノ件聞屈ク
  但命令書第二十六条中左ノ通リ更改シ其ノ他ハ前命令書ヲ準用ス第二十六条営業年限満期に至リ又ハ中途廃業シノ下ニ「又ハ会社解散シ」ノ七字ヲ加フ
   明治三十二年三月一日
            内務大臣 侯爵 西郷従道
     ○
(写)
道甲第二九号
    特許状
             亀函馬車鉄道株式会社
            渡島国亀田郡下湯ノ川村字滝ノ沢四番地
                     佐藤祐知
            同国同郡同村字寺野三十三番地
                     沢村慎徳
            同国函館区鶴岡町四十六番地
                     浅見嘉兵衛
            同国同区恵比須町十九番地
                     石川藤助
            同国同区寿町六番地
 - 第9巻 p.309 -ページ画像 
                     松岡陸三
            同国同区船見町六十六番地
                     久保熊吉
            同国同区大町十八番地
                     高倉儀兵衛
            東京芝区公園内十一番地ノ八号
                     西岡逾明
            渡島国函館区仲浜町十一番地
                     林菊次郎
北海道函館区海岸町ヨリ若松町鶴岡町地蔵町末広町大町弁天町ヲ経テ台場町ニ至ル間、及ビ末広町ニテ分岐シ恵比須町ヲ経テ蓬莱来町二十五番地々先ニ至ル間、東川町六十九番地々先ヨリ東雲町三十五番地ニ至ル間、別紙命令書ヲ遵守シ馬車鉄道ヲ布設シ運輸ノ業ヲ営ムコトヲ特許ス
  明治二十九年五月十八日
           拓殖務大臣 子爵 高島鞆之助

    命令書
第一条 今般別紙特許状ニ記載シタル軌道営業ハ北海道函館区海岸町ヨリ若松町鶴岡町地蔵町末広町大町弁天町ヲ経テ台場町ニ至ル間、及末広町ニテ分岐シ、恵比須町ヲ経テ蓬莱町二十五番地々先ニ至ル間、及東川町六十九番地々先ヨリ東雲町三十五番地ニ至ル間、国道及里道ノ上ニ鉄道ヲ布設シ一般運輸ノ業ヲ営ムモノトス
第二条 軌道営業年限ハ営業開始許可ノ日ヨリ起算シ満三十箇年トス
○中略
  明治二十九年五月十八日
           拓殖務大臣 子爵 高島鞆之助
     ○
北甲第二七号
    特許状
           北海道渡島国亀田郡下湯川村字滝ノ沢四番地
                      佐藤祐知
  北海道亀田郡下湯川村字寺野ヨリ同村字柏野湯川通及亀田村字千代ケ松ケ岱ヲ経テ函館区東雲町三十五番地前ニ至ル間、別紙命令書ヲ遵守シ軌道ヲ布設シ一般運輸ノ業ヲ営ムコトヲ特許ス
  明治三十一年四月五日
           内務大臣 子爵 芳川顕正

北甲第二七号
    命令書
第一条 今般別紙特許状ニ記載シタル佐藤祐知ニ対シ特許シタル軌道ハ北海道亀田郡下湯川村字寺野ヨリ同村柏野湯川通及亀田村字千代ケ松ケ岱ヲ経テ函館区東雲町三十五番地前ニ至リ、在
 - 第9巻 p.310 -ページ画像 
来ノ里道ノ上ニ鉄軌ヲ布設シ、一般運輸ノ業ヲ営ムモノトス
第二条 営業ハ営業開始許可ノ日ヨリ起算シ満三十年トス
○下略
  明治三十一年四月五日
            内務大臣 伯爵 芳川顕正


斎藤又右衛門氏談 昭和一二年八月三一日於自宅(DK090029k-0003)
第9巻 p.310-311 ページ画像

斎藤又右衛門氏談 昭和一二年八月三一日於自宅
    函館地所合資会社に就て
 たしか明治卅年か卅一年頃でしたか、函館馬車鉄道会社の成立と前後して、渋沢さんは後の、函館水電株式会社の監査役となつた梅浦精一さん(当時石川島造船所の重役として活躍し、明治卅五年に青淵先生と英国に赴きし等、先生と深き関係ありし人)等と共に函館に地所合資会社と云ふものをつくつて、之に出資した様におぼえてゐます。此の合資会社はよく分りませんが、此の梅浦さんが後で函館馬車鉄道会社を買収した事や、函館水電の監査役になつた事や、当時馬車鉄会社の支配人をしてゐた沢村慎徳さんが此地所会社の買収する土地を斡旋した事等と思ひ合せて、どうも馬車鉄と関係の深かつた様におぼえてゐます。私は渋沢さんが函館馬車鉄会社と関係のあつた事は貴方(石川)より伺つて初めて知つた様な次第ですが、もし本当に関係があつたとしたらこんな方面から関係されたのではないかと思ひます。函館水電があとで馬車鉄を買収して梅浦さんが監査役になつたこと等を考へますと、此地所合資会社に渋沢さんが梅浦さんと一緒に出資なさつたのはどうしても馬車鉄と無関係だとは思へない様です。それはさておきまして此地所合資会社の目的は結局は函館の土地開発にあつたものでして、湯の川方面の土地も買収したとおぼえてゐます。
全体の資金は殆ど第一銀行の資金を融通した様でして、必要な市内外の土地を買収して、之に種々の手入れをし、住宅地や鉄道やその他の要求に向く様にして、之を売却したのです。此会社の土地を売却するに付きましても代金は第一銀行で受付け、すべての金の出し入れは第一銀行が受けもつた様でした。然し実際に此会社の土地を買取つたのは当時札幌だかに住んでゐた土地ブローカーの佐藤見鶴と云ふ人で、此人が一手に会社の土地を、買取りました。売人の代人は当時第一銀行函館支店長であつた、大塚磐五郎と云ふ人だつたと思ひます。たしか地所合資会社が卅一年の中頃かに出来て、買収した土地をすつかり此佐藤と云ふ人に売り払つてしまつたのはそれから四、五年位後だつたと思ひます。其後佐藤見鶴氏は買とつた土地を分細して馬車鉄や市民等に売却した筈ですが、佐藤氏自身は随分投機的な人だつたので、何時の間にか何処かに行つて今では誰も覚えてゐません。然し渋沢さんが馬車鉄との関係であれ、此地所合資会社をつくつた事は函館市の開発には仲々役立つたと思つてゐます。
    函館馬車鉄道会社に就て
 私は一昨年卒中で一度倒れてからすつかり昔の記憶を失つて殊に昔の年月日等は一切覚えてゐません。
函館馬車鉄に渋沢さんが関係なさつてゐたとは今初めてお聞きした様な次第で、私には全然覚えがありません。おそらく先程御話した様に
 - 第9巻 p.311 -ページ画像 
地所合資会社に出資された関係等から、馬車鉄道にも一寸した株主になられた位なものでせう。函館水電株式会社の創立者は御存知かも知れませんが園田実徳、牟田口元学、大井卜新、中野武営氏らの東京の人達に、地元の函館の実業家では、阿部興人、佐野定七、岡本忠蔵等がゐました。
合併直後の社長は園田実徳氏でしたが、合併当時の社長は、馬車鉄道の方の社長であつた松山吉三郎氏ではなかつたかとおぼえてゐます。此の函館に小熊幸一郎と云ふ古い草分けの実業家がゐますから此人に聞けば馬車鉄道の創立当時の事情等もいくらか分るかもしれません。当時の文書は明治四十年の函館の大火で殆ど焼けてしまひましたし若干、函館水電に残つてゐたものでも、昭和九年の大火ですつかり焼けてしまひ、今は何一つ残つてゐません。此間の大火前迄は函館水電の本社は私の店にあつたので、私自身も大分函館水電の古い文書や、馬車鉄買収当時の事情を書いたもの等あつめてゐましたが、此間の火事で全部焼失しました。従つてもう函館馬車鉄に関しては資料としては全く残つてゐないと断言してよいと思ひます。ですからお聞きになりたければ先の小熊氏か又、函館水電の後身、今の帝国電力の人にお会ひして誰方か昔の事を知つてる人をお尋ねになつたらよろしいかと思ひます。
   ○斎藤又右衛門氏は昭和十二年現在、七十六才、明治廿四、五年頃函館に移住せる函館草分けの実業家の一人にして函館商業会議所その他の公務に重任した外幾多の産業会社の重役をつとめ、一昨年中風になられてより引退して、現在函館春日町の自宅に隠居しておられる。
   ○昭和十二年八月卅一日、石川正義、同氏を訪問し、主として函館馬車鉄道株式会社に就てお尋ねしたが本文の如き答を得たに過ぎぬ。次いで斎藤氏の示唆により、もとの函館水電株式会社の後身帝国電力株式会社函館営業所を訪ひ、函館馬車鉄に関しては東京本社の現総務部長、本間伊平次氏が若干知つておられる由の答を得て辞去した。小熊幸一郎氏は時間の都合で遂に訪問しかねた。(石川正義記)