デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
2款 三重紡績株式会社
■綱文

第10巻 p.168-174(DK100022k) ページ画像

明治38年8月5日(1905年)

日露戦後ノ財界情勢ハ群小諸会社ノ合併集中ヲ促進シ、尾勢地方ニ於テモ亦紡績業合同ノ議起ル。依リテ当社ハ栄一ノ奔走ニヨリ尾張・名古屋両紡績会社ヲ合併スルコトトナシ、是日株主総会ニ於テ之ヲ議決ス。翌年更ニ西成・津嶋両紡績会社ヲ買収ス。


■資料

伊藤伝七翁(絹川太一編)第一八六―二〇〇頁〔昭和一一年八月〕(DK100022k-0001)
第10巻 p.168-174 ページ画像

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渋沢栄一 日記 ○明治三八年(DK100022k-0002)
第10巻 p.174 ページ画像

渋沢栄一 日記
 ○明治三八年
四月六日 晴 風ナシ
○上略 正午第一銀行ニ於テ午飧ス、三重斎藤恒三氏来話ス○下略
四月七日 晴 風ナシ
○上略 午後二時兜町事務所ニ抵リ、尾勢紡績会社合併ノコトニ関シ奥田花井・斎藤三氏ト協議ス○下略
七月四日 晴 暑強シ
○上略 伊藤伝七氏来リ三重紡績会社ノコトラ談話ス
七月五日 曇 軽暑
○上略 十二時第一銀行ニ於テ午飧シ、伊藤伝七氏ニ会話ス○下略
七月八日 晴 風涼シ
○上略 十一時農商務省ニ抵リ三重紡績会社合併ノコトニ関シ、奥田・花井・伊藤諸氏ト共ニ大臣ニ会見シテ将来ノコトヲ依頼ス○下略

渋沢栄一 日記 ○明治三九年(DK100022k-0003)
第10巻 p.174 ページ画像

 ○明治三九年
一月十五日 晴 風ナシ 起床七時就蓐十二時
○上略 正午第一銀行ニ於テ午飧ス、三重紡績斎藤恒三氏来話ス○下略



〔参考〕東京日日新聞 第一〇一三二号 〔明治三八年三月二二日〕 ○尾勢紡績の合同協議(DK100022k-0004)
第10巻 p.174 ページ画像

東京日日新聞 第一〇一三二号 〔明治三八年三月二二日〕
    ○尾勢紡績の合同協議
尾張・伊勢地方六紡績大合同の問題は過日来各社代表者間に研究せられたる結果、遂に去十九日第一回の協議会を開く事となれり、当日列席せしは三重・桑名・津島・尾張・名古屋の各社重役にして、知多は当日迄賛否の議決せざりし為出席せざりしも大勢に従ふ事とせり、斯くて当日の協議会は各社利害の関係上秘密に附せられて詳細を知るを得ざるも、大体に於て合同を否定せざりしは事実にして唯一二会社より時機尚早説出でたるも、若し此際合同問題の解決を見ざるに於ては又再び発議の機を失すべきのみならず、今日に於て尾勢紡績の態度を一定し夫の錘淵紡績が上海各紡績と提携せんとするに対し、尾勢地方の紡績業者は同地方特種の物産なる機業の関係より織布を専らとし、以て清国市場に輸出するの図を為すは焦眉の問題なりと云ふに帰着せるものゝ如く、愈此交渉にして成立の暁は約十八万錘の三分の二を以て織布に充んとの方針にて合同の主眼たる此点に就ては各社一致せりと云ふ、而して合同成立の上は三井物産が名古屋に於て十五万円の資本を以て将に着手せんとする豊田式織布も又其一部となるべき内談あるやにて尚不日第二回協議会を開きて合同条件等に就き協議すべしと