デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.6

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
4款 大日本紡績聯合会
■綱文

第10巻 p.368-394(DK100034k) ページ画像

明治26年2月20日(1893年)

是ヨリ先、明治二十五年十二月一日、第四帝国議会召集ニ先立チ、理事菅沼政経及ビ請願委員等免除請願書ヲ貴衆両院ニ提出ス。理事菅沼政経ハ前理事岡田令高ノ歿後、ソノ後任トシテ栄一ノ推薦ニヨリ就任シタルモノナリ。

是日棉花輸入税免除法律案ハ衆議院ニ於テ第三読会ヲ結了シ貴族院ニ廻附サル。因リテ請願委員等貴族院議員ヲ歴問シテ運動スルニ及ビ、栄一ソノ
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間ニ周旋シ、該案ノ貴族院通過ニ尽力ス。是月二十二日該法律案ハ貴族院特別委員付托ニ決シタルモ、会期切迫シテ遂ニ通過ヲ見ズ。


■資料

第六回定期聯合会決議要領 附同報会要件(大日本綿糸紡績同業聯合会明治廿六年四月廿日開会、同廿四日閉会)(DK100034k-0001)
第10巻 p.369-370 ページ画像

第六回定期聯合会決議要領 附同報会要件
          (大日本綿糸紡績同業聯合会明治廿六年四月廿日開会、同廿四日閉会)
    一、請願ニ関スル報告ノ件
○上略
明治二十五年一月在京委員時々相会シテ請願上ノ協議ヲナス、理事岡田令高死去セシヲ以テ常任者ナク、常務措弁ノ支障少ナカラザルニ依リ、岡田氏ノ後任者ヲ得ント欲シ各地ノ委員ニ照会スル所アリ、此月ヨリ大蔵省主税局ニ於テ免税ニ関スル諸種ノ諮問アリ、委員数回出省シテ陳弁シ且ツ答案ヲ出セリ、三月十五日各委員一同上京、岡田理事ノ後任トシテ請願上ノ常務ヲ委任センガ為メ菅沼政経氏ヲ聘ス、之ヨリ委員ハ各大臣及板垣・大隈両伯、品川子其他代議士ヲ歴問シ第二期議会ニ対スルノ準備ヲ為セリ、四月上旬書記及二三員ヲ各棉作地ニ派遣シテ産額及作益等ノ実際ヲ調査セシメ、関税免除ト棉作トノ関係ト題スル冊子ヲ調製シテ朝野ノ人士ニ頒布シ、以テ免除保護ノ得失ヲ詳悉セリ、五月七日両関税免除請願書ヲ衆議院ニ、同九日貴族院ニ提出ス、其紹介者ハ衆議院ニ於テハ浮田桂造君外十四名、貴族院ニ於テハ増田繁幸君外二名ナリ、此月請願理由書ヲ訂正増補シ更ニ数百部ヲ印行シテ貴衆両院議員諸氏ニ頒ツ、六月一日板垣伯及ビ大隈伯ニ向テ実業奨励ノ第一着手トシテ今回ノ両関税免除按ノ通過ヲ希望スルノ申請書ヲ送ル、同八日輸入棉花税免除法律案賛成者七十七名ノ署名ヲ以テ衆議院ヘ提出セラレタリ、此日事務所ヲ京橋区加賀町十八番地ニ移転ス、同十三日免税法律案始メテ議事日程ニ上リシモ其議ニ及ハスシテ散シ、十四日ノ日程ニ移レリ、然ルニ当日モ亦タ他ノ緊急問題起リ為メニ該法律案ハ遂ニ此開期中ニ於テ議決ヲ視ルコト能ハサリキ、六月三十日事務所ヲ引払ヒテ各委員帰国ス
同年八月定期同業聯合会ヲ大阪ニ開ク、是ニ於テ委員ハ従来経過シ来リタル請願事件ノ大要ヲ報告シ、今後ノ方針ヲ全会ニ諮リタルニ、総テ是迄ノ順序ニ従ヒ更ニ二名ノ委員ヲ増加シテ益々運動スべキノ議ニ決セリ、増選委員ハ則チ左ノ如シ
      尾張紡績会社    奥田正香
      三重紡績会社    伊藤伝七
十月二十七日理事菅沼政経上京、事務出張所ヲ京橋区三十間堀三丁目三番地ニ設置ス、之レヨリ岡山紡績会社谷川達海ヲ除ク外委員悉ク上京請願事務ニ従事ス、十二月一日貴衆両院ヘ免税請願書ヲ提出シ、更ニ理由書数百部ヲ増補印行シテ貴衆両院議員ニ配布ス、同八日自由党及ヒ改進党ト他団体ヨリ各輸入棉花関税免除法律案ノ提出アリ、則チ一方ノ提出者ハ岡田孤鹿・江原素六ノ二君ニシテ賛成者三十三名、他ノ一方ノ提出者ハ加藤政之助・浮田桂造ノ二君ニシテ賛成者三十二名ナリ、同月十二日輸入棉花関税免除法律案衆議院ノ議ニ上リ大多数ヲ以テ特別委員付托ニ決ス、同月廿二日貴族院ニ於テ請願委員ノ報告ア
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リ、全会一致ヲ以テ本会請願綿糸輸出税免除ノ件ヲ政府ニ建議セリ、廿三日大蔵大臣・農商務大臣ヘ両税免除請願書ヲ呈出ス
明治廿六年一月十七日免税法律案衆議院議事日程ニ上リシモ、適々予算査定案ノ件ニ付五日間議会休会ニ決シ、本按復タ議ニ掛ラズ、同月廿三日議会二月五日マデ停会セラル、是ニ於テ委員ハ議会解散ノ不幸ニ至ランコトヲ恐レシモ幸ニシテ議会ノ無事開会ヲ見ルニ至リ、稍愁眉ヲ開クヲ得テ一層ノ尽力ヲ為セリ
二月十六日衆議院ニ於テ免税法律案特別委員ノ報告アリ、多数ヲ以テ其第一読会ヲ可決セリ、同二十日八十六ニ対スル八十八ノ多数ニテ第二読会ヲ可決シ、尚ホ進ンテ九十六ニ対スル百〇七ノ多数ヲ以テ第三読会ヲ結了シ、玆ニ始メテ我請願ノ旨趣衆議院ニ採用セラルヽコトヲ得タリ、是ニ於テ委員ハ貴族院議院《(員)》ヲ歴問シ殊ニ渋沢君ノ如キモ親ラ奔走ノ労ヲ執リテ熱心此間ニ周旋セラル、同月廿二日貴族院ニ於テ免税法律案ノ討議ヲ開キ大多数ヲ以テ特別委員付托ニ決ス、然ルニ議会ノ開期ハ僅カニ六日ノミニシテ、而シテ此間予算案ノ議事アリ、或ハ其議ニ上ラザルノ感ナキニアラザリシモ、委員ハ数年来ノ願意其貫徹スルト否トハ実ニ此瞬間ニ切迫シタルヲ以テ、日夜特別委員ハ勿論、其他ノ議員緒氏ヲ訪問シテ請求スル所アリシモ、時日ノ許サヾル所之ヲ如何トモスルコト能ハズ、遂ニ又タ免税法律案ハ独リ衆議院ヲ通過シタルノミニシテ空シク貴族院ノ委員机上ニ止マルニ至レリ
三月五日事務所ヲ閉鎖シ、委員各帰途ニ就ケリ
右請願事務ノ大要報告候也
  明治廿六年四月
                       田村利七
                       谷川達海
                       奥田正香
                       荒井泰治
                       田村正寛
                       野田卯太郎
                       小松原慶太郎
                       伊藤伝七
    以上


大日本紡績聯合会月報 第一三〇号・第一四―二一頁 〔明治三六年六月〕 ◎大日本紡績聯合会沿革史(七)(DK100034k-0002)
第10巻 p.370-376 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一三〇号・第一四―二一頁 〔明治三六年六月〕
    ◎大日本紡績聯合会沿革史(七)
此年 ○明治二四年 十月廿八日の大地震は美濃国根尾谷村を中心として起り、其附近は土地の陥没、家屋の倒壊到る処皆然らさるはなく、其余動大阪に及ひ我聯合会員中、尾張紡績会社・浪華紡績会社の如き非常の災害を被り、工場は大半崩壊し職工の死傷数百人に上り其惨状筆紙の能く尽す所にあらす、三重・泉州.大阪・名古屋諸紡績会社も亦其害を免かれす、但前者の如く甚しからさるのみ、然れとも各紡績会社をして工場の建築に一層の注意を払ふに至らしめたるは震後の事実なり、而して同業者は又是等死傷職工に対し矜愍の情に禁へす、各々捐醵して之を救助したり
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震災は既に我同業者の一部に痛害を与へたり、而も窮陰に及んて天は理事岡田令高氏の命を奪ひ、聯合会員をして斉しく涙を灑かしめたり氏は夙に実業に志し、最も紡績事業に注意し、明治八年米国費府博覧会事務官となりて之に赴き、帰朝以来は殊に其熱心を加へ、斯業者中の狂を以て称せらるゝに至る、十二年挙けられて愛知紡績所々長心得となり、親しく斯業に関係することゝなり、模範を同業者へ示したること少なからす、我紡績聯合会の如きも実に氏か主唱に因りて成りたるものなりと云ふ、廿三年十一月推されて理事となりてより日夜鞅掌事務日に挙り、規約厲行せられて反跡漸く絶ち、従来指議の府は変して倶瞻の京となり、氏か豊富なる紡績上の智識経験は或は筆端に露はされ或は口頭に上りて同業者を警醒したること少からす、氏か誠実にして才幹ある、議事ある毎に議長となり、請願に就ては毎に其中枢となり、大に同業者の信頼する所たりしか、金城客中半夜夢覚めて脳痛少時復た起つ能はす、同業者訃に接して悼惜せさるものなし、氏か易簀は啻に聯合会に好理事を喪ふたるのみならす、実に我紡績業の不幸なりしなり
岡田氏逝て後、事務所に理事なく委員長及委員中にて其の監理を為す事となり、為めに事務規定数条を設けたり
此頃大阪府下各紡績会社の販売主任者は協同して販路の拡張を謀り、同業の隆盛を保たんか為め月曜会を組織し、毎月第一・第三の月曜日を期して聯合会事務所(伏見町二丁目)に会合し、各地方会社の入会を促したり、是れ前年五日会と酷似するも目的は自ら異なるものあるを見る、然るに又一方には紡績技術者の会合ありて技術上の智識を交換し、兼て其の親懇を結ひたり、此二種の会合が斯業の発達に資益したるも決して尠なからさりしなり
先是請願委員は人を各棉作地に派遣し産額及作業の実際を調査せしめ「関税免除と棉作の関係」と題せる冊子を纂述し、朝野の人士に頒布し以て棉税蠲除棉作保護の得失を示したりしか、聯合会に於ては此頃又本邦棉作の状態を詳密に調査せしめんか為め、其要項教条を記して広く博識老農に問ふ所ありたり、蓋し我国棉は未た紡績界と相離るゝ能はす、之か混合の有無は直に声価に関し、其不足を告くるや遂に支那棉を漂白して之を代用するに至りたる等、実に本邦棉圃の伸縮は紡績業者に取り多少喜憂せしむるを免れす、従て未た全く奨励の意を脱する能はさりしなり、豈独り請願の用にのみ資すと言はんや、而して得る所の報区々一模ならすと雖も到底属望するに足らさるを了したり然れとも亦之を看過する能はす、更らに棉業調査費を供へ其調査に従事したり、此の時に当り我紡績事業は竺糸競争の余勢を引ひて英糸競争の域に入り、更に進んて清国市場に外糸と競争を試むるの機に接到したるは、前きに説く所の如くにして内部の基礙《(礎)》は既に鞏固となり、只外部起因の消長に伴ひ益進捗するの状勢あり、会々経済界の景況は春来生気を揮ひたるを以て拡張の計画漸く熟し、増錘を決議するの会社少からす、今宮紡績会社は再興を唱へ、長崎紡績所は復業に志せし等寧ろ異徴とすへきものなれとも、亦以て其気運をトするに足るへきなり、斯くて興業熱の再熾は更に紡績事業の新設を促し、所在敷地の
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踏査、発起人総会の開催ありて斯業界益々多事ならんとせり、然るに世人中前日の困弊を挙指し咽下忘熱を以て我紡績業者に擬するもの少なからす、農商務大臣の如き各地方庁を経て紡績業者に諭告を与へ、之を戒しめたりと云ふ
而して此等新設又は増錘は直ちに職工の不足を来し、争奪の弊を醸し再ひ当業者の信用を墜し、施ひて業務の衰頽を来すに至らんとするの恐あり、且聯合会の規約あるも従来各社の挙動は往々眼外に逸せられ徒法たるの憾なきにあらされは府下の同業九社は大に鑑みる所あり、別に摂泉紡績業者同業規約四十条を協定し、以て職工の進退を節度し紛議を予防せんことを期し、事務所を聯合会事務所内に仮設し同盟役場と称し、天満紡績会社を挙けて幹事となし、又法学士砂川雄峻氏に法律顧問の任を嘱し九月一日より実行することゝなりたり(翌廿五年十月浪華対平野紡績会社の争議を以て私裁の嚆矢とす)
棉糸輸出税及棉花輸入税免除請願の件は、曩に一旦農商務大臣より之を閣議に上ほされたりしか、大蔵省関税局は本会に向て孟買輸入棉糸の原価及内地製糸の工費、又は両糸上海運送上諸費の比較等に係る三項十三目の諮問案をなし、其答弁を求められたり、本会は正確なる材料蒐集の上、之を編成し廿五年三月中旬を以て同省に差出したり、斯くて免税の請願は委員の熱心なる運動に加へ渋沢栄一・益田孝両氏の之を幇助したる等に由り、政府も多少其意を動かす所ありしか潜思すること深く、未た全く我に聴かす、此時衆議院にては請願委員会に於て之を採納すへきものとなし、棉糸輸出税免除の如きは議長星亨氏より総理大臣松方正義伯に其意を通牒せり、独り輸入綿花税の蠲免は事重大なれは委員会に於て再調査することゝなしたり、然れとも我委員は請願の功を収むるの遅きを看取し、議案として提出せられんことを望み奔走の結果共に法律案として提出せらるゝの好運命に接したり、是等両法律案は、此年○二五年六月八日付を以て議院に提出せられ、同十三日の議事日程に上りしも次の緊急問願の為め之を議するに及はす、再ひ翌十四日の議事日程に上りしも予算案に就き、両院交渉の為め之を議了する能はす、議会は其儘閉会となりたるを以て次期議会を待たさるへからさるに至りたり
然れとも大勢既に卜すへきものあり、畢竟委員の労甚た多とすへきものありしを以て、此年○二五年八月二十日第五回定期総会に於て劈頭其尽力を謝する為め議事録に特筆することを決議したり、而して委員は外出日既に久ふして社務稽滞するもの多きの故を以て、其任を辞したれとも之を許さす、猶ほ其運動の活溌にして遺憾なからんことを期する為め、二名の請願委員を増加することゝなし尾張及三重の両紡績会社を撰挙したり
此会に於て大阪・浪華・摂津・天満・泉州・平野・金巾・堂島・尼崎の九社は大阪・浪華・天満の三社を代表者として、盟約実行に係る同業規約の範囲を推拡して同業者全般の間に行はんことを建議し、鐘淵紡績会社の荒井氏の如きは関東四社を代表し其関係の薄き斯る制裁を受くる能はさることを極論したりと雖も、終に議場の同意を得て修正委員七名に托し、加刪修正の後廿六条を案定し、付則として聯合会規
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約第三条乃至第六条の約件を補足することゝなれり
日印の貿易は出入其宜を得す、従て恒に逆為替を免れす、殊に棉花輪入の盛期に方りては外国銀行在神代理店に於て全く其取組を拒絶することにあり、平素と雖も荷為替の円滑期し難く同業者の事業経営に影響すること浅からす、然るに我国に於て外国為替を取扱ふものは独り横浜正金銀行あるのみ、同行も私に日孟間の貿易に付き考慮する所ありたるものゝ如く、此頃に至り忽ち株主総会に於て支店設置の議を決したりと伝へたれは、我聯合会は現時中絶の状態に在る為替の渋滞を訴へ、支店又は出張店設置の着手を促さんとの決議を為し、後委員長をして同行に交渉せしめたり、同行は取調の上回答せんことを約し長崎剛十郎氏を擢んて視察員となしたり、氏は途次大阪紡績会社に就き巨細諮る所あり、着後視察に従事し之が設立の要と利とを領し帰朝の上復命せり、之が為め竟に支店の開設を見るに至りたり、爾来我同業者は為換上の憂慮を絶ち棉花輸入の便利と円滑を得以て今日に及へり
前項と相並んて双関たり聯壁たるへきものは領事館の設置なり、蓋し日印通商の関係の疏通するは独り正金銀行支店の設置にのみ待つ能はす、必らす政府の他面に拠りて之を按排するを要すれはなり、乃ち本項も亦其手続を委員長に托し政府又は帝国議会へ請願せしむることゝなしたり
紡織月報は従来紡績事業に関する学術上の記事を主とし、傍ら諸般の報告を載せ世に頒ちたりしか、毎月一回の発兌にして棉糸花の商況其他斯界の風潮等に付ては、会員一ケ月を越へて始めて之を識るを得るに過きす、以て商機に資するなく而も斯業は漸く進歩して敏活の通信を要すること従て切なりしを以て、月報を廃刊し、毎月一回聯合会報を印行し、緊急事件あるときは臨時聯合会報告を発兌することゝなし同業者の義務購読を廃したり、之と共に編輯主任を罷め理事自から之を担任したるを以て、之に係る規約の一節を改正したり
例に仍り常務委員を改撰し、大阪・天満・摂津の三社当選し大阪紡績会社を推して委員長となし、同社取締役佐伯勢一郎氏其任に膺りたり又予算は前年度決算と共に提出するの議は前回に於て之を定めたりしか、此会に於て爾後予算には参考書又は説明書を付し、之を提出することに定めたり
岡田氏逝きて以来理事席を空ふし聯合会庶般の事務は専ら委員の処弁に委したりしか、此回に於て更に撰任することに決し、金巾・岡山・尼崎・尾張・三重・倉敷・泉州七社の撰定にて菅沼政経氏を挙けて理事となしたり、氏は政党員として名声夙に揚りたるも実業に関しては其縁故寧ろ薄しと雖とも、春来棉花輸入税及棉糸輸出税免除請願に関し委員の代務者として聘用し、東奔西走政党者間に歴説せられたるの結果、該請願の竟に法律案として衆議院の議事日程に上りたるか如き其功労の已に多とすへく、今後に於ても亦同氏の力を藉らさるへからさるもの少なからされは、氏か将来の尽力を強ひて其就任を求めたりしなり、氏の就任するや首として本会事務施行規定を草定し事務の分担を定め、此年九月十六日より之を実施したり
棉花輸入税免除及棉糸輸出税蠲免と相並んて鼎定たりし棉糸輸入関税
 - 第10巻 p.374 -ページ画像 
増率の件に就ては、其筋に於て前年已に調査せらるゝ所あり、現税率百斤に付一分銀五個に対し或は原価の八分乃至一割を課せんとの議あり、此春議会に提出せられたるも議に上らすして已みぬ、民党は之に対し或は一割二分を唱へ或は一割五分を可とする等、輿論未た定まらす、大阪商業会議所は亦之を一定し且政府に建議するの意ありて聯合会に左の数条を照会せられたり
 (一)現今の海関税率にて内国産棉糸は能く外品と競争し得へきや、若し増税を必要とせは其割合如何
 (二)賦課法は従量従価何れを可とするや
 (三)若し従量税を可とせは現今の如く糸の細大を論せす同一の税率にて可なるや、区別を必要とせは其区別法及各税率如何
 (四)細糸の内地製出少なき原因及其救済法如何
聯合会は乃ち十日会々員の意見を徴し、之を補述して応答する所あり尋て又棉糸輸出税蠲免請願趣意書と題し輸出税免除に関する一文を其筋に呈出したり、其請願書は本会報告第四号にあり
数年沈衰せる紡績事業は此頃一陽来復して其利潤亦遽に増加したるものゝ如し、廿四年下半李に於て無配当なりしもの廿五年上半李に於ては八分の配当をなし、三四分のもの一割二三分の配当をなし、其好成蹟を挙けたるものに至りては弐割七分の配当を為したるものあり、此の順潮豈に徒過せんや、咸な之に乗して為す所あらんとし旧工場中此二半季間に増錘を終へ、又は其計画に着手したるものは摂津・平野・尼崎・泉州・三重・和歌山・名古屋及鐘淵の諸会社にして、其新設に属するものは甑原・福山・伝法・甲斐棉糸・岸和田・堺・味野・伊予富山・高岡・山陽・郡山・八尾・高田等の各紡績会社なりとす、斯くて据付を了したる新錘数は僅に一年を経て十二万本を算ふるに至りたり、特に大阪細糸の四十二手を紡かんとして創立せられたる既に斯業界に一異色を発したるものたるを疑はす、日本紡績の六十手及八十手の瓦斯糸を紡かんと欲して壱百五十万円の資を投して発起せられたるか如き、我紡績業の進歩に一段階を加へたるものなりとす、而も同業者は前年の国幣《(困カ)》に警戒し当季に於て各幾分の積立金を為したるは、我紡績業の基礎をして倍々鞏固ならしめたるものと謂ふべし
大阪府は是に前年我紡績事業の勃興を制限せんことを政府に稟議したるもの、今此形勢を観て中心悶々たるものありしにや、聯合会に対し棉業に関する左の数条を諮問せり
 第一 紡績事業現時の景況及将来盛衰の見込
 第二 将来増錘の適否及其理由
 第三 販売の現況及将来拡張有無の見込
 第四 棉業は現今沈滞し居るや否や及其起因
 第五 輸入棉糸は現時増進の傾向なるや及将来増減の見込
蓋し当時事業界の規模皆な小にして僅に内国を以て究極の市場と為し別に国外無限の需用あるを知らさりしかは、我紡績業も往々斉入をして其前途を杞憂せしめたるなり、聯合会は一々之に答弁し最も遺憾なきを期したり
此頃英国「ランカシヤー」に於て紡績業者は棉価の逐次昂騰するに拘
 - 第10巻 p.375 -ページ画像 
はらす綛糸相場は比較的騰貴せす、殊に其主販地たる東洋諸国との取引は銀賃下落《(貨)》の為め申込市価低廉の割合となり、損益相償はす為めに売捌を為すにより其困難益々甚しく、竟に同業者協議の上職工賃銀百分の五を減することゝして職工組合に交渉したり、組合は之に異議を唱へ妥協を得す、結局五万三千人の職工は同盟罷工し紡績所は閉鎖の已むを得さるに至り、壱千八百万本を休錘せり(全英国紡錘の三分の一)実に此休錘と罷工は十八週の久を経て三月廿三日に至り始めて調停せられたり此間米棉七十万俵の需用を減したりと云ふ、而して孟買紡績事業の状態如何を観るに、原棉の高価に加へ貨幣制度の釐革ありて是亦一層の困難を感し、聯合会は其救済策として二ケ月間毎週日曜日及祝祭日の外、二日宛休業の決議を為したり、然るに支那市場に於ける孟糸は日々益々下落し香港の輸入商の如き愈々支持に窮し、再ひ其操業短縮を請求し又上海に於ては一時英糸の跡を絶つに至りたり
如此我好敵手たる両国の紡績業は其不振寧ろ憫れむへきものあるに拘はらす、我独り順勢に拠りて斯業拡張の計画を為す多幸と云ふへし、之を以て彼を衝く洵に策の得たるものにして同業者の夙志成るに幾しと雖とも、未た旗幟整はす漫に金鼓を鳴らすを得す、機は前頭に在りなから之を逸せさるへからす、脾肉の嘆竟に之を免かるゝ能はさりしなり、独り大阪紡績会社は半田綿行の手を経て其製糸(十二手十四手及十六手各一梱宛)を上海に輸出し、平均一梱八十五六円に売却したり、元来我紡績業者は多少の余地あれは決して外輸を懈るものにあらす、又清国に於ても我製糸は、孟糸に比し常に一二円方上位に在りしも、諸般の障碍は未た国人直輸の自由を許さす、徒らに内に煩悶したるに方り本年に入りては廉価なる原棉の持越あり、又為替相場の変動ありて我に好機を仮したるも、猶ほ大に動く能はす、時々在留外商の手によりて多少輸出せらるゝのみ、大阪紡績会社此回の挙の如き寧ろ毅然の所為と謂ふへし、其の好声価を得、夥多の注文を受けたるや他社之に傚ふもの漸く加はり、八月中旬に及ひては上海市場に幾堆の日本棉糸を見るに至りたり、然るに独逸の製糸若干俵は此際始めて見本として我国に輸入せられ、其の細麗人を驚かし其価亦廉なるを以て好評藉々たり、於是我同業者の一部は実に一新敵手に会したるなり、蓋し英国は多年の熟練と湿気多き気候とに依り、製糸上大なる便利を有し細美の糸縷を製するに就ては殆んと専売権を有し居たりしか、独逸は広大なる規模と井然たる分業を以て其特色となし、漸次高番の糸を製し英糸の輸入を防遏せり、殊に千八百七十六年の関税則の如きは独逸に需要多き細美なる棉糸製造業の振興を容易ならしめ、撒遜の紡績所は千八百七十九年以来百号に達する細糸を紡出し、此頃に及ひては既に百二十号の細糸を製出するを得たりしなり
外攻内守事漸く難くして夙望貫徹の要日に切なりしかは、理事菅沼氏は二十五年十月廿七日上京、事務出張所を京橋区三十間堀三丁目に移し、請願委員の上京を待ち十二月一日を以て免税請願書を貴衆両院に提出したり、退ひて待つこと旬日十二月十二日に至り輸入棉花関税免除法律案は衆議院に於て特別委員附托となり、尋て棉糸輸出税免除は貴族院に於て全会一致政府に建議せらるゝに会したれは、更に大蔵農
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商務の両大臣へ両税免除請願書を提出したり、然るに衆議院に於ては二月二十日 ○二六年 を以て特別委員の報告に対し、第三読会を結了したれは委員は一意貴族院議員を歴問し、渋沢氏も親しく奔走の労を執り熱心此間に周旋せられ、同月 ○二六年二月 廿二日を以て同法律案は特別委員附托に決したりしか、会期の切迫せる、該案は亦不幸にして依然上院委員の机上に横はり、独り空しく衆議院通過の栄を贏ち得たり
輸入棉花税免除に対し意外にも反対の声を唱導したるものは、前きに改進新聞あり国家経済会ありしか、爰に至り農学会は該免除案は一層の惨害を棉作者に与ふるものなりとて大に反対し、両院以外汎く世上に其説を発表せり、然れども当時我紡績業上原棉の内国棉と相関すること日に疎薄なりしは掩ふへからさりしなり、勢既に然るに拘はらす摂河地方の棉作者は免除案の衆議院特別委員会を通過すると聞くや、急遽周章して非免除陳情書を政府及貴族院に提出したりと雖とも時已に後れたり、是を以て彼等数百名は隊をなして大阪府庁に迫り勢を作して挽回の途を万一に求めたり、此際彼等は免税反対論者東尾平太郎氏に感謝状を贈りたりと云ふ、亦滑稽の沙汰にあらすや
商法の発布せらるゝや同業者中、平野紡績会社は首として之に則とり平野紡績株式会社と改称し、鐘淵紡績会社は亦之に之に拠りて定款を制定し他各社の範を作りたり


田村正寛翁伝 (新田直蔵編) 第一三四―一四〇頁 〔昭和七年九月〕(DK100034k-0003)
第10巻 p.376-378 ページ画像

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棉花輸入綿糸輸出 関税免除請願理由書 (印刷出版著者兼発行者 丹羽平馬) 第一―五二頁 〔明治二五年一一月二五日〕(DK100034k-0004)
第10巻 p.378-386 ページ画像

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海外棉花輸入関税ニ関スルノ意見 第一―二三頁 〔明治二六年一二月二日〕(大日本農会報号外大日本農会編)(DK100034k-0005)
第10巻 p.386-392 ページ画像

海外棉花輸入関税ニ関スルノ意見 第一―二三頁 〔明治二六年一二月二日〕
                    (大日本農会報号外大日本農会編)
    海外棉花輸入関税ニ関スルノ意見
我国ノ棉作業ハ端ヲ数百年前ニ発キ、爾来連綿トシテ継続シ今猶ホ特有ノ一農産タリ、唯其労力ヲ要スルコトハ他ノ耕作業ヨリモ多カラサルニ非ストイヘトモ、其事業ハ以テ我耕作者ヲ利益セシメサルニ非サリシナリ、其産額ハ以テ我全国人民ヲ依被セシムルニ足ラサルニアラサリシナリ、然ルニ王政維新一タヒ棉花輸入ノ端ヲ発キシヨリ其数量次第ニ多キヲ加ヘ、次テ紡績企業者輩出スルニ至リ当時ハ我産棉ヲ以テ原料ニ供セシモ、紡績業ハ其進ムニ随ヒテ単リ多額ノ棉花ヲ要スルノミナラス、漸ク繊細ナル綿糸ヲ出スニ至レルニ我産棉ハ之ニ当リ難キ所アリ、産額モ亦之ヲ充スニ足ラス、加フルニ綿糸輸入ノ為ニ漸次衰退ヲ来スニ至レリ、是ヲ以テ外産棉花ノ輸入開ケ随ヒテ紡績工場ノ増設ヲ促シ、紡績工場愈々増シテ棉花ノ輸入益々加ハリ、遂ニ今日棉花輸入関税免除ノ議起ルニ至レリ、蓋我国今日ノ棉花ハ其産額固ヨリ全需用ヲ充足スヘキニアラス、其品質モ亦全ク紡績業ニ適当スヘキニアラスト雖モ、之ヲ増加シ之ヲ改良スヘキノ望アルコトハ近時数多ノ実験上コレヲ確示セルアリ、究竟我棉作業ハ多年殆ト放棄ニ委スルモ幸ニ存続セシモノナルヲ以テ、之ヲ奨励誘掖スルノ方法ヲ施設スルハ今日ノ急務ナルニモ拘ハラス、却リテ外産ノ輸入ヲ増加シテ内産ヲ圧倒スルニ至ラシメントス、豈浩歎スヘキコトナラスヤ
凡ソ一国ノ物産ニシテ国家ノ経済ニ多少ノ関係ナキモノアラサルヘシ
 - 第10巻 p.387 -ページ画像 
ト雖モ、就中其国ノ独立ニ関スルモノ及其国家経済ノ基礎ニ関スルモノニ至リテハ、国家ハ永遠ノ目途ヲ定メテ之ヲ保護スルノ方途ヲ謬ルヘカラス、若シ之ヲ謬ラストセハ其物産ノ独立発達ニ害ヲ加フヘカラサルハ理ノ最モ覩易キモノタリ、若夫レ名ヲ一時ノ経済現象ニ托シテ偏見ヲ主張シ後日ノ患ヲ慮ラサルカ、若クハ一部利害ノ為ニ公平ヲ失シ延テ物産ノ独立ニ害ヲ加フルカ如キコトアラハ、国家ハ勉メテ之カ排除ノ方策ヲ厳ニセサルヘカラス、況ンヤ其事、海外トノ関係アルモノナランカ、一旦事ヲ誤ルトキハ国家ノ独立ヲ損シ国家経済上千万歳ノ長計ヲ謬リ、後来智者出ルト雖モ亦如何トモスルコト能ハサルニ至ラントス、豈深考熟慮以テ事ニ従ハスシテ可ナランヤ
我国綿糸紡績業者ハ海外輸入ノ原料棉花ニ賦課セラルヽ関税ヲ免除セラレンコトヲ第二議会ニ請願セリト聞ケリ、然レトモ当時吾人ハ何人カ是等ノ事ヲ採用スルモノアランヤト実ニ度外視セシニ、第四議会ニ及ヒテ衆議院之ヲ可決スルニ至ル、斯ノ如キハ実ニ意外ノ変態ナリ、畢竟一方ノ言ニ偏シテ他未タ其真理ノ在ル所ヲ主張セサルノ過ナリ、然リト雖モ事ノ爰ニ至リタルハ経済一時ノ現象ニ謬ラレタルモノト云フベシ、今其所以ヲ陳ヘ以テ当業者ノ反省ヲ求メ、併セテ当路者ノ意ヲ之カ講究ニ傾ケラレンコトヲ冀ハントス
彼レ紡績業者ノ理由トシテ謂フ所、其要五項ト為ス、然レトモ其一ハ本邦紡績業ノ来歴ヲ序述スルニ止マリ、其二ハ輸入棉糸ト競争勝敗ノ前途ヲ予想スルニ過キス、其五ハ外国政略ノ結果ト題シテ国ノ貧富ヲ一ニ棉政略如何ニ帰スルモノヽ如ク、自家ノ空想ニ架空ノ臆説ヲ加ヘ宛モ緑色ノ眼鏡ヲ掛ケテ乾坤一碧ナリト談スルニ均シク、倶ニ弁ヲ費スノ価値ナシ、但其三ハ国家経済上ノ損益ト題シ、其四ハ棉花輸入税免除ト内地棉作保護ノ得失ト題シアレハ、最モ利害得失ヲ講究スヘキ必要ノ頃トス、本会豈弁ヲ好マンヤ、玆ニ云々スル所以ノモノハ他ナシ、国ノ独立国家千万歳ノ経済ヲ謬ラレンコトヲ恐レテナリ
請願理由ノ「三」ニハ国家経済上ノ損益ト題シ、国家ノ患フル所ハ原料素品ノ乏シキニ非スシテ造出力ノ乏シキニアリトシ、其例ヲ英国ニ取リ、而シテ其製造工業ノ発達ヲ計ル方法トシテ保護税策ヲ希望シ、且云ク条約改正実行ノ後ニアラサレハ得テ其実践ヲ視ルコト能ハス、故ニ先ツ原料素品ノ輸入税ヲ蠲除シ我工業ノ発達ヲ助成セサルヲ得スト、曰ク欧米諸国ニ棉花輸入ニ関税ヲ徴スルモノ幾許カアル、偶々一二貧弱国ニ存スルアルモ僅ニ税目ヲ存スルノミニシテ、其国ハ紡績工業ノ発達ヲ助成スルニ関係ナキモノノミトナリト
曰ク原料棉花ノ低廉ナルハ、取リモ直サス自然綿糸ノ価ヲ低廉ナラシメ、一方ニ於テ外国輸入綿糸及綿織物ヲ防遏スルノ国益アルト同時ニ他ノ一方ニハ我内国ノ需用者ヲシテ低廉ナル衣服ヲ購買セシムルノ利益アリト
以上ノ辞柄ハ一時ノ巧言ノミ、一方ニハ保護税策ヲ希望スト云ヒナカラ忽チ関税免除ヲ請願シテ自家撞着ノ説ヲ主張シ、又経済上ニ来ルヘキ変象ヲハ毫末モ之ヲ観察セス、蓋若シ一度此観察ヲ為サハ自家ノ論旨ハ忽チ滅裂ニ帰スヘケレハナリ、試ニ思ヘ条約改正ノコトハ我国二十余年来上下挙テ熱血ヲ瀝キ、今ヤ殆ント其極ニ達シ、第四議会ニ衆
 - 第10巻 p.388 -ページ画像 
議院ハ畏クモ其遂行ノコトヲ上奏セシニ非スヤ、然ルニ保護税策ヲ希望シナカラ条約改正ノコトハ得テ望ムヘカラサルモノトシ、主義ヲ転シテ先以テ原料輸入税蠲除策ニ依頼スト説ク、其立言ノ甚薄弱ナルヲ表示スルニ足ラン
欧米諸国棉花ニ輸入税ナキノ諸国、即チ独・仏・英ノ例ヲ挙ケ以テ其論旨ヲ助ケントス、然レトモ元ト是等ノ国々ハ位置北方ニ偏スルカタメ「其温度到底棉作業ニ適セサルノ国」ナレハ、之ニ輸入税ヲ課セサルハ固ヨリ当然ノ事ナルノミ、焉ンソ自国ニ産出ノ望ナキ原料品ニ輸入税ヲ課スルカ如キコトヲ為スモノアランヤ、之ニ反シ露西亜等ノ国ニ在リテハ一部ノ方面ニ棉作シ得ルノ地アレハ、其大部ハ棉作ニ不適ノ地ナルニモ係ハラス、乃チ輸入税ヲ課シテ棉作ヲ保護スルニ非スヤ内国ノ需用者ヲシテ低廉ナル衣服ヲ購買セシムルト云フカ如キハ一ノ辞柄ナルカ如シト雖モ、退キテ考一考スレハ経済上ノ現象ハ最モ変更推移シ易キカ故ニ、万一紡績業者ノ説ニシテ実行セラレタルノ暁一朝経済上ニ大ナル変態ヲ顕ハスコトアランカ、忽チ我内国ノ需用者ヲシテ高価ノ衣服ヲ購買セシムルニ至ルモ知ルヘカラス、何トナレハ一旦輸入税ヲ免除セハ我国ノ棉作業ハ愈々益々経済上ノ困難ニ沈淪シ究竟継続スル能ハスシテ次第ニ廃滅ニ帰スルヘケレハナリ、況ヤ関税ナルモノハ一旦全ク廃スルニ於テハ再ヒ必用アリトモ之ヲ起スハ容易ノ業ニ非ス、若シ又全国棉作業ノ衰滅セル場合ニ際会シ一朝国際上ノ争ヲ生スルコトアランカ、若クハ紡績業者カ企望セル如ク我紡績業大ニ発達シテ英国等ノ販路ヲ奪フカ如キ実勢アルニ至ラハ、彼レ必ス其原料ノ供袷ニ故障シ、或ハ過重ノ輸出税ヲ課スルノ挙ヲ為サスシテ止マンヤ、又或ハ然ラサルモ前年北米合衆国南北戦争ノ時ニ方リテ英国ノ紡績業者及綿織物業者カ原料ノ供給ナキニ困難シ、数万ノ職工カ忽チ飢寒ニ陥リタルガ如キコトアラハ今日唯一ノ辞柄トシテ唱道セル経済上ノ現象ハ、恰モ正反対ノ変状ヲ呈シ我国民ヲシテ凍寒ノ悲境ニ陥ル、ノミナラス、紡績業者自ラモ臍ヲ噬ムテ悔ユルノ日臻ラン、之ヲモ慮ラスシテ漫然ニ放語ヲナス、豈誠意ニシテ然ランヤ
請願理由ノ「四」ニハ、棉花輸入税免除ト内地棉作保護ノ得失ト題シテ、棉作ハ緯度ヲ以テ線別スレハ凡ソ三十五度以内ニ適当スヘキ植物ナリトシ、我国ニ在リテハ常ニ烈風ニ妨ケラレ常ニ十分ノ棉作ヲ得ル能ハストシ、而シテ二十四年度農商務省ノ調査ニ係ル全国府県別ノ棉作表ニ二十年度調査ノ府県別壱段歩収穫表ヲ附掲シ、全国中実綿十万貫以上ノ産額アルハ二十三県ニ過キス、其他ハ僅々ノ産額自家用等ナリト軽視シ、畢竟棉作等ノ如キハ米麦ノ副作物ナリト論定シ且棉作ハ他ノ作物ニ比シ失敗多キヲ以テ、海外諸国ト拮抗シテ将来ノ発達ヲ期スルコト頗ル難事ナリトナセリ
曰ク本邦ノ棉産額ハ全国人民ノ消費額ニ対シ纔ニ四分ノ一ヲ充スニ過キス、此事実ヨリ断定セハ内国ノ産棉ハ全国民ヲ衣被スルニ足ラス、且棉作ニ利益アリトスレハ何故ニ農家カ進ンテ他ノ作物ヲ棄テヽ棉作セサルカ、蓋農家ハ近年棉作ノ他ニ米桑茶等ノ比較上利益多キ農作物ニ赴クノ状勢アリト、而シテ其表ヲ示セリ
又外国棉種即チ繊緯細長ノモノヽ必用ヨリシテ大ニ試作ヲナセシコト
 - 第10巻 p.389 -ページ画像 
アリト称シ、試作ノ結果トテ明治七年ヨリ十一年ニ至ル勧農局試験ノ次第ヲ当時ノ月報ヨリ摘録シテ、試作ノ成蹟斉シク空望ニ属セリト証明ニ充テタリ
又本邦産棉ト外国産棉トハ性質用途ノ異同アルヲ以テ、輸入税ヲ免除スルモ本邦棉作者ニ害ヲ与ヘスト断定セリ
又棉作ト紡績工業トノ経済上ノ較差トテ、我国ハ将来工業上東洋ノ英国タルハ決シテ難キニアラサルヘシト論シ、就中綿物ハ人生必須欠クヘカラサル重要品、此業ノ盛衰ハ国家経済上ノ得喪ニ関スルト云フモ過言ナラサルカ如シト弁シ、此業ヲ安全堅固ニ赴カシメ外国工業ノ侵凌ヲ防キ、其実力ヲ我ニ専有シ、其工費ヲ我ニ収メテ国我ヲ富マスヘシ、全国田畑合計四百九十二万九千八百六十六町歩ニ過キサル農産物ノミヲ株守スルハ国家経済ノ許サヽル所ナリトシテ、暗ニ会農業モ工業ノ一部即チ紡績業ニ如サルカ如クニ論セリ
曰ク棉ヲ高価ニ売リテ利益スル農ノ数ヨリモ、綿及綿織物ヲ廉価ニ買フテ利益スル者ハ幾数倍ノ多数ナリト、之ヲ重出論弁セリ
曰ク外国ノ棉作ハ実ニ著シキ進歩ニシテ、其産額ノ増加スルト同時ニ漸次価格ノ低落スルハ理勢ノ免レザル所ナリ、此間ニ投シテ本邦ノ少額ナル産棉ヲシテ単ニ関税ヲ以テ保持セントスルハ万国ヲ通観スル眼ナキ者ニシテ、経済ノ要旨ヲ得タルモノニアラサルヘシ、実ニ多産地ノ外国ヨリ供給ヲ仰キ安価ナル製造原料ヲ得テ、工業ヲ活溌ニシ国ノ造出力ヲ増加スルノ利ニ如カサルナリト、之ヲ結論セリ
以上ノ論旨ヲ玩味スルニ皆其要ヲ得ス、我国ハ棉作ノ適産地ニ非スト云フモ彼レカ所謂適不適トハ海外各国ト比較上ノ論ノミ、然ラサレハ数百年来我国ノ産物トシテ我同胞ニ暖ヲ取ラシメ得タル物産ヲ何ニ因リテ適セストスルカ、方今漸次需用ノ額ヲ増スニ其産額ハ全国民ヲ衣被セシムルニ足ラストシテ、此物産ニ重キヲ置カストハ抑々何等ノ暴論ソヤ、若夫レ本国ノ全需用ヲ充スニ足ルノ物産ニ非サルヨリハ他国ノ産品ヲシテ圧倒セシムルヲ国家経済ノ上策ナリトセハ、我国ニ於ケル砂糖ナリ煙草ナリ藍ナリ麻ナリ悉ク皆棉作ヲ擯斥スルト其揆ヲ一ニセサルヘカラス(巻末ニ掲クル輸入重要農産表ヲ参看スヘシ)宇宙間国ヲ立ルモノ豈斯ノ如キ暴論ヲ容ルヽノ地アランヤ、且夫レ物産ノ増進其度ヲ超ヘ国家経済上ニ不利益ナルアレハ、時アリテ之ヲ制スルノ政略ヲ執ルコトアリ、已ニ北米合衆国ハ棉作縮少ノ政策ヲ執ラントスト聞ケリ
惟フニ海外各国殊ニ紡績業者カ欽慕シテ文明国富強国ト称賛スル欧米諸国ニ在リテハ、苟クモ其国ニ適スヘキ物産ハ産額ノ多少ト経営ノ困苦トヲ厭ハス之ヲ自国ニ起サント企図セサルハナシ、遠クハ仏国ノ甜菜糖及綿羊ニ於ケル、近クハ印度ノ棉及茶ニ於ケル、皆其実例ノ顕著ナルモノナリ、而シテ前者ハ英国ト事アルノ日国家独立ノ企図上ヨリ起リ、後者ハ国家経済上ノ観念ヨリ起ル、其他斯ル例ヲ各国ニ求ムレハ実ニ枚挙スルニ遑アラス、又我国ニ棉作地ノ増スヘキモノナシトハ何ノ憑拠アリテ爾カ云フカ、是レ畢竟農界ノ事ニ通セサルニ出ルノ言論ニ非サルヲ得ンヤ、我国棉作ノ経済上ニ不利ナルハ、近年ノ現象ナリ、然レトモ之ヲ十数年前地租改正ノ当時ニ遡リテ経済ノ現象ヲ顧ミ
 - 第10巻 p.390 -ページ画像 
レハ思ヒ半ニ過クルモノアラン、世人ノ普ク知ルカ如ク地租改正ノ当時ニ在リテハ棉作ヲ以テ畑作中第一等ノ利益作ナリトシ、棉作地ノ収穫ヲ最多量ニ見積リシニアラスヤ、方今米・桑・茶ノ比較上利益アリト紡績業者ノ示スハ方今ノ現象ナリ、但其中茶ハ方今ト雖モ棉作ヨリ利益アルノ農作物ニハ非ス、然リ而シテ農作物ハ単ニ経済上ノ現象ヨリ見解ヲ下シテ其利益アル作物ニ転セヨト勧告セルモ決シテ之ニ応スル能ハサル事情アリ、第一農業者ニハ其業ノ熟練ヲ要ス、棉作ニ熟練ナルモノ必シモ藍作ニ熟練ナラス、第二風土ノ適否アリ棉ノ適地ハ必シモ麻ノ適地トスヘカラス、第三販路其他ノ関係ハ積年ノ慣行アリ俄ニ移スヘカラサルモノ多シ、斯ル次第ナルニモ係ハラス強テ経済ノ現象ヲ逐フテ年々歳々農作物ヲ変易センカ、所謂影ヲ逐フテ其形ラ捉フル能ハサルノ愚態ニ陥ラン、紡績業者ニシテ果シテ之ヲ望マハ何ソ自ラ経済ノ現象ニ随ヒテ其利アルヲ逐ハサルヤ、憶ヒ起ス、今ヲ距ル三五年以前紡績業ノ不振ハ殆ント其業ヲ継続シ能ハサラントセリ、何カ故ニ其当時比較的ニ利益アル他種ノ工業ニ移ラサリシソ、世ニ工業ハ農業ヨリモ転業シ易シト称セラル、而シテ自ラハ之ヲ実行シ能ハスシテ難キヲ他人ニ責ム、之ヲ徳義上ヨリ観察セハ、夫レ将タ何トカ言ハン、明治十年前後迄ハ我国ノ農学未タ発達セス政府ノ事業モ百事創始ニ属セリ、其当時ノ試験ニ係ル報告ヲ以テ之ヲ現今ニ牽強セントス、事実自ラ杜撰ニ流レサルヲ得ス、近数年間政府以外ニモ農学士及実業家等ノ丹誠以テ試験ニ従事セシモノ比々アリテ、今ヤ米国種陸地棉ノ我国ニ適スルノ成蹟ヲ示セリ、若シ紡績業者知ラスシテ言フトナラハ其杜撰モ亦甚シカラスヤ、輸入税ヲ免除スルモ本邦ノ棉作ニ害響ヲ与ヘストハ何等ノ言ソヤ、現ニ彼レハ我棉作ノ衰頽ヲ作付段別表ニ顕シテ辞柄ノ材料トセリ、此衰頽ハ即チ外国産原料輸入ノ影響ニ非スシテ何ソヤ、輸入ノ影響已ニ然リ、況ンヤ関税全廃ニ於テヲヤ、斯ル国家重大ノ事件豈ニ之ヲ黙シテ止ムヘケンヤ
棉作ノ人生必須ナルヲ説クヤ好シ、其国家経済上ノ得喪ニ関スルヲ弁スルモ其語ハ可ナルカ如クニシテ其事実ハ誤レリ、此業ヲ安全堅固ナラシメンコトヲ望ムヤ好シ、然レトモ是レ猶ホ我戦具ヲ全廃シテ敵ニ哀ヲ請ヒ以テ安全堅固ヲ図ラントスルニ異ナラス、是ヲモ安全堅固ナリトセハ何事カ安全堅固ナラサルコトアラン、全国田畑四百九十二万九千八百六十六町歩ヲ軽視スルモ我国ノ経済我国ノ政費ハ何ヲ以テ其大部ヲ保テルカ、工業上東洋ノ英国云々ト云フ其抱負ヤ大ナラサルニ非ス、然レトモ其目的豈容易ニ達スヘケンヤ、彼ノ英国ノ今日アルハ百折撓マサル国民ノ気慨ト数百年前ニ先鞭ヲ着ケ勧倹以テ資本ヲ増殖シ、精励以テ業務ヲ発達セシメタルノ結果ニアラサルハナシ、是豈ニ容易ニ筆舌ヲ以テ弄スヘキモノナランヤ、是ヲ之レ省ミスシテ他ヲ羨望ノ余リ本邦数千年来ノ国本タル農業ヲ軽ンスル、斯ノ如クナルハ軽卒浅見亦甚シト謂フヘシ
重出シ来リテ説キテ曰ク、棉ヲ高価ニ売リテ利益スル農ノ数ヨリモ綿及綿織物ヲ廉価ニ買フテ利益スルモノハ幾数倍ノ多数ナリト、是レ紡績業者唯一ノ辞柄ナルカ何ソ其レ浅見ナルノ甚シキヤ、曩ニモ陳フルカ如ク経済上ノ現象ハ変更推移シ易キヲ常トス、若シ此浅薄ナル辞柄
 - 第10巻 p.391 -ページ画像 
ニ惑ハサレ本邦ノ棉作ヲ衰滅セシメ、単ニ米国・印度等ノ原料ヲ需用スルコトヽナラハ、異日人生必需ノ綿物ニ対シテハ手ヲ拱シテ英米等ノ制御ヲ受ケサルヘカラサルハ火ヲ覩ルヨリモ明カナリ、所謂戦具ヲ全廃シ敵ノ歓心ニノミ依頼シテ、而モ隠然敵ヲ害セントスルモノト何ソ択ハン、英米何ソ其術策ニ陥リ已レノ工業ヲ縮退シテモ単リ我紡績業者ニノミ利ヲ専ラニセシムルノ理アランヤ
外国ノ棉産額年々ニ漸ク増加スルノ故ヲ以テ本邦ノ棉作ヲ無視シ、単ニ無視スルノミナラス本邦ノ棉作ヲ保持セントスルモノハ、万国ヲ通観スルノ眼ナキモノトマテ極言シテ憚ラス、竟ニ多産地ノ外国ヨリ供給ヲ仰キ安価ナル製造原料ヲ得ルヲ以テ工業ヲ活溌ニシ国ノ造出力ヲ増加スヘシトセリ、是我戦具ヲ全廃シテ一途ニ敵ノ歓心ニ依頼シ我望ヲ達セントスルモノト謂ハサルヘケンヤ
由此観是ハ紡績業者ノ論旨ハ多端ナルモ、究竟海外緒国ニ原料ヲ仰クコトノミヲ識リテ我国ノ棉作ヲ無視スルモノナリ、他国ノ盛況ヲ示シテ我国家独立ノ要素タル日常必需ノ固有物産ヲ維持スルニ足ラストスルモノナリ、我数百年来固有ノ物産ハ衰亡スルモ自家目前ノ利益ヲ得レハ足レリトスルモノナリ、国家民人ヲ犠牲トナストモ目下経済ノ現象ニ馳突セントスルモノナリ、斯ノ如キハ識リテ之ヲ為スカ将タ識ラスシテ之ヲ為サントスルカ、実ニ国ヲ戕フモノト謂フヘシ、若夫レ紡績業ヲ発達セシメ海外ニ販路ヲ拡張セントナラハ、綿糸等ノ輸出税ヲ免除シテ可ナリ、豈斯利益アル紡績業者ノ為ニ尚ホ輸入税ヲ免除シ従来困難ノ地ニ臨メル多数ノ農民ヲシテ、愈々益々困難ノ境ニ陥ラシムルノ理アランヤ
今ヤ我国ノ棉作業ハ将来愈々其産額ヲ増加シ其品質ヲ精良ナラシムルノ望アリ、各地篤志者ノ経験実績ニ拠ルモ甚確例ニ乏シカラスシテ決シテ空想ノ事ニアラサルナリ、唯従来ハ之ヲ勧誘スル適当ノ方法ヲ得サリシカタメ他ノ進歩ニ伴フ能ハサリシノミ、然ルニ今若シ輸入関税免除ノ議ニシテ、万一ニモ可決実行セラルヽカ如キコトアルニ至ランカ、前陳ノ如ク我棉作業者ノ困難ハ益々困難ヲ累ネ、斯ク其産額ヲ増加シ其品質ヲ精良ナラシムルノ望アルニモ拘ハラス、輸入関税免除ノ声ハ忽全国ノ棉作衰亡ノ声トナルノ実ヲ見ルニ至ルモ知ルヘカラス、輸入関税免除ノ我棉作業ニ害響スル此ノ如シ、然リト雖モ我棉作業ハ唯輸入関税免除ノ実行セラレサルノミヲ以テ満足スルモノニアラス、其作業ヲ奨励誘掖スルノ方策ヲ設クルニアラサレハ棉作業者ハ決シテ将来ノ活達ヲ望ムヘカラス、要スルニ本会カ切望スル所ハ紡績業者ニ向ヒテハ大ニ関税免除ノ非ナルニ省念ヲ促シ、棉作業者ニ向ヒテハ努メテ作業改良ノ急ナルノ注意ヲ喚ヒ与ニ共ニ国家的観念ヲ以テ大ニ猛省奪励スル所アラシメ、而シテ当局者ニ向ヒテハ我棉作業ノ現状ニ照シ輸入棉花トノ関係ニ就キ深考熟慮以テ之ニ相当ノ施設アラムコトラ望ムテ已マサルナリ、本会カ我棉作業ノ改良進歩ヲ企図スルヤ久シ、其方法手段ニ於テハ劃策一二ニシテ止マラスト雖モ、今ヤ関税免除ノ説其声日ニ高キヲ以テ情勢黙過スル能ハス、因リテ抱懐ノ一斑ヲ陳ヘテ深ク当路者ノ注意ヲ冀ハント欲スルモノナリ
  明治廿六年十二月二目
 - 第10巻 p.392 -ページ画像 
                    大日本農会
    明治二十五年輸入重要農産表
                  円
 棉花      一二、三二四、六五五
 砂糖       九、六〇四、三五〇
 綿織糸      七、一三一、九八〇
 豆類       二、七一二、〇四四
 米        二、〇五二、九〇一
 皮革類      一、一九九、三八三
 油槽         八二四、六五二
 毛糸         四二七、九九三
 アルコール      三九二、五四一
 烟草類        三一三、三九〇
 羊毛         三〇二、五〇一
 麦粉類        二七八、七三七
 苧麻         二一三、二一七
 其他ノ農産    一、八三八、一六五
  合計     三九、六一六、五〇九
  ○明治二十五年十一月出版ノ大日本紡績同業聯合会ノ意見タル「棉花綿糸輸出入関税免除請願理由書」ニ対シテ一年後ノ明治二十六年十二月ニ国内棉作ノ利益ヲ代表シテ、大日本農会ガ関税免除反対ノ意見ヲ発表シ、直接聯合会ノ理由書ヲ対象ニシテ論駁セリ。然レドモ論理的ナ一貫性ト当時ノ国内ノ状勢カラ推シテ、前者ガ遥ニ卓越セルコトハ何人ニモ一目瞭然タリ。
  ○参考トシテ次ニ掲ゲタル明治二十五年十一月五日ノ「東京経済雑誌」ノ外明治二十六年七月十六日出版ノ「輸入棉花輸出綿糸関税免除論纂」中ニハ国民新聞以下二十大新聞雑誌ノ両関税免除賛成並促進ノ論説、集録サレテアリ。コノ紡績資本ノ免除運動ニハ改進新開外一二ノ新聞ヲ除イテ、当時若干トモ自由主義的ナリシ諸新聞雑誌ハスベテ挙ツテ賛同ノ論説ヲ掲ゲテ支援シタルヲミテモ、当時ノ国内ノ趨勢ヲ察知シ得べシ。



〔参考〕東京経済雑誌 第六四八号・第六五〇頁〔明治二五年一一月五日〕 ○棉花の輸入税免除すべし(DK100034k-0006)
第10巻 p.392-394 ページ画像

東京経済雑誌 第六四八号・第六五〇頁〔明治二五年一一月五日〕
    ○棉花の輸入税免除すべし
綿糸の輸出税廃止に対しては異論なしと雖も、棉花の輸入税免除に関しては国家経済会の熱心なる反対あり、立憲自由党も亦た終に反対に決したるが如し、反対の理由如何、蓋し左の一事に過ぎさるなり
 棉花の輸入税は僅少に過きすと雖も、之を免除するときは我か内地の棉作は其影響を蒙むりて、忽ち外国棉花の為めに圧倒せられずんばあらず、故に不可なり
然り而して反対論者は今や米国棉種は到底我が邦に移植すへからざる乎、米国棉種移植すべからざれは印度棉種は如何、又た支那棉種は品質極めて我が邦所産のものと近きに、何か故に我か邦所産のものを凌て滔々輸入する乎、是れ其価格低廉なるに由る乎、抑々別に其の故ある乎、若し其価格低廉なるに由らば、我が棉作を改良して其価格相同しきを得せしむへからさる乎、此等の事皆官力を仮るに非らざれは究明すべからずと云へり、故に論者は未た事実の講究をも為さずして漫
 - 第10巻 p.393 -ページ画像 
然反対を唱ふるものと知られたり、余輩は其の挙措の甚た軽忽なるに驚くと同時に、論者の妄りに官力を仮らんとするを惜まさるへからず、夫れ此等の事何ぞ必ずしも官力を仮らざれば究明すること能はざるものならんや、請ふ先づ左の一表を見よ
     紡績所数    錘数       繰綿需要高       内地繰綿産額
 十九年  二〇   六五、四二〇本    八八八、一一二貫    ………
 廿年   一九   七〇、二二〇   一、三三三、六九五   八、〇一五、一八七貫
 廿一年  二四  一一三、八五六   一、八〇七、〇七六    ………
 廿二年  二八  二一五、一九〇   三、八五九、四六四    ………
 廿三年  三〇  二七七、八九五   六、〇二九、九〇三    ………
 廿四年  三六  三七七、一六二   八、五七七、四八〇   四、六一三、二五四
我内地の紡績所に供給するに内地所産の繰綿を以てすれば、海関税を徴収せられず、船賃及び保険料等の負担もなきを以て、我内地の繰綿は最も好地位に立てるものなり、然かるに近年我か内地に紡績所相尋で起り、錘数及び繰綿の需要前表の如く増加せりと雖も、我内地繰綿の産額は却て非常に減少し、外国繰綿の輸入は滔々として増加せり、是れ何を以て然る乎、蓋し余輩の調査する所を以てすれば其の原因大約三あり、一に曰く
 各紡績所に於て需要する所の綿は概して我が内地の綿と其の品質を異にせり
熟々輸入綿糸の種類に就いて其の輸入の消長を査察するに、近年我が内地に於て紡績業の発達せし結果として、印度糸の輸入高は廿四年を以て廿一年に比すれば八割一分一厘を減少したりと雖も、英国糸の減少は四割五分に過ぎず、是れ英国糸は印度糸より細きが為めなり、然り而して各紡績所をして益々英国系と競争し、以て其の輸入を杜絶せしめんと欲せば、勉めて細糸を紡績せしめさるべからずと雖も、我か内地所産の棉花は其品質細糸を紡績するに適せず、細糸を紡績するに適するものは独り英国系の原料たる「シーアイランド」若くは「アツプランド」と称する米国所産の棉花のみなりと雖、之を我が邦に移植するときは兎角成熟の期遅延し好結果を得るの見込なしと云ふ、然らば則ち我内地繰綿産額の紡績所の発達に伴ひて増加せさるもの何そ怪むに足らんや、二に曰く
 日本綿の価格は、外国綿よりも高価なり
我内地所産の繰綿を以て外国所産の繰綿に比較すれば、我が内地の繰綿は常に高価の傾向あり、故に各紡績所は好て外国の繰綿を購求し内地の繰綿を嫌へり、然り而して外国所産の繰綿中に在りても印度産は最も低廉なるを以て輸入繰綿中第一位に居れり、是れ我内地繰綿産額の紡績所の発達に伴ひて増加すること能はざる所以なり、若し夫れ我か内地の綿作を改良して其価格を低廉にし、以て外国所産と競争するを得べきや否やに至りては請ふ下文を見よ、三に曰く
 我が邦は綿作に天賚少なし
熟々我が邦綿作の一段歩当り産額を査察するに左の如し
       貫         貫          貫
 大坂  三五、七  京都  一六、二  石川  一〇、七
 茨城  一七、二  島根  一三、〇  東京  一四、三
 - 第10巻 p.394 -ページ画像 
 埼玉  二三、三  新潟   九、〇  高知  一一、五
 愛知   七、八  群馬  一二、九  鹿児島  四、二
 広島  二一、三  山口  一三、三  大分  一一、五
 奈良  三三、八  和歌山  九、八  山形  一三、三
 千葉  一九、四  滋賀  二三、三  佐賀   二、三
 静岡  一九、四  香川   七、九  宮崎   六、二
 岡山   九、二  長野  一五、四  福岡   三、四
 山梨  二一、二  愛媛  一三、七  長崎   二、三
 兵庫   八、八  福井  一一、六  徳島   八、一
 鳥取  一一、九  熊本   九、六  富山  一〇、五
 栃木  一二、九  神奈川 一〇、九  三重  一七、二
 福島  一〇、七  平均  一六、四
左れば方今我か邦に於ては殆んと棉花を産せさるの地なしと雖も、一段当り三十貫以上の収穫あるものは大坂府及び奈良県のみにして、二十貫以上の収穫あるものと雖も、僅に四県に過ぎず、而して平均産額は十有六貫余なり、其の価格の低廉ならさる其の産額の増加せさる固より当然のみ、蓋し棉花は元来熱帯作のものにして、且つ最も地質と関係を有せり、故に東北の如き寒冷地は到底棉作に適すへからず、九州は気候温暖なりと雖も、惜いかな其の地質棉作に適せず、独り畿内地方は我か邦に在りて最も棉作に適せりと雖も其の地域狭小なるを奈何せんや、尤も鋭意改良を施さば多少の産額を増加せしむるを得へきや論を俟たすと雖も、到底大に望を属するに足らさるや亦た論を俟たさるなり
之を要するに内地棉作の衰頽は、以て外国棉花の輸入税免除に反対するに足らさるなり、然かるに論者は之を察せず、更に左の如き方案を立てたり
 紡績の業は固より之を助くべし、然れども棉花輸入税の蠲除は今日聴許することを得す、必らず已むを得されば輸出綿糸に対して原税払戻の法設けんのみ
余輩は一旦輸入せられたる貨物か其の儘にて輸出せらるるときは、其の輸入税を払戻すことあるを知る、然れども粗製品にて輸入せられ製造品となりて輸出せらるるに当り、粗製品の輸入税を払戻すことあるを聞かず、蓋し斯の如きことは実際に於て行ふこと能はさるか為めなるべし、嗚呼論者の方案は如何にも新案なり、唯々其の実行すへからさるを奈何せんや
  ○本資料第二編第一部「東京商業会議所」明治二十七年六月二十七日ノ項ヲ参照。