公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第10巻 p.394-400(DK100035k)
明治26年5月(1893年)
明治二十二年孟買綿業視察ノ結果印度棉花輸入ノ道開ケ、爾来大ニ其量ヲ増加シタルモ、当時日印航路ハ英国彼阿会社ノ独占ニシテ運賃甚ダ高価ナリ。明治二十四年印度ノ綿商タタ・アンド・サンス商会ノ一員アール・デ・タタ来朝シ、栄一ヲ訪ヒ印度棉花輪入ノ事ヲ談ジ、議船腹問題ニ及ビシモ纏マラズシテ帰印ス。是月同商会ノ首領ゼー・エヌ・タタ来朝シ、栄一ヲ訪ヒ同問題ニツキ熟議ス。栄一乃チ当聯合会並ニ日本郵船会社トタヽ商会ノ間ヲ斡旋シ、七月十三日タタヲ同道シテ日本郵船会社ヲ訪ヒ、重役ト会シテ孟買航路開設ノ事ヲ決ス。
掲載ページ 資料No. | 資料名 |
第10巻 p.395-396 (DK100035k-0001) | 本邦綿糸紡績史 (絹川太一編) 第四巻・第四一八―四二三頁 〔昭和一四年二月〕 |
第10巻 p.396-398 (DK100035k-0002) | 綿業時報 第一巻・第九号 〔昭和八年一二月〕 我国綿業と印棉輸送孟買航路開設経緯(一) |
第10巻 p.398-400 (DK100035k-0003) | 〔参考〕東京商業雑誌 第二巻第二三号・第三九頁 〔明治二四年七月五日〕 本邦の紡績業に関し孟買紡績業者タタ氏の演説 |