デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
4款 大日本紡績聯合会
■綱文

第10巻 p.461-466(DK100043k) ページ画像

明治29年7月1日(1896年)

是ヨリ先、明治二十八年二月、日本郵船株式会社ハ孟買航路二関スル印度タタ商会トノ共同契約ノ解除ヲ行ヒ単独ニテ同航路ヲ営業シタリシカ、栄一此間当聯合会ト日本郵船会社ノ結合ニ一層尽力シ、遂ニ競争会社英国彼阿会社ヲシテ我外務省ヲ通シテ妥協ヲ申出デシム。即チ是年五月六日日本郵船会社ハ彼阿会社外二社ト孟買東洋間航海ノ運賃合同計算契約ヲ締結シ、是日ヨリ実行ス。之ニ因リテ聯合会加盟会社ハ四会社ノ何レノ船ニモ棉花ヲ塔載スルノ利便ヲ得タルモ、尚其後モ日本郵船会社トノ特約ヲ継続シ、栄一又ソノ間ニ種々斡旋スル所少カラズ、我国印度棉花輸入ハ順調ニ進捗ス。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第一〇一四―一〇一九頁 〔明治三三年六月〕(DK100043k-0001)
第10巻 p.461-462 ページ画像

青淵先生六十年史 (再版) 第一巻・第一〇一四―一〇一九頁 〔明治三三年六月〕
 ○第十九章 綿糸紡績及織布業
    第一節 緒言
○上略
印度棉花ノ輸入巨額ニ上ルヤ其運搬ヲ外国船ニ於テスルハ頗ル不利ナルヲ以テ、紡績業者聯合シテ一手ニ之ヲ内国ノ汽船会社ニ托シ運賃ヲ割引セシムルノ利ヲ考ヘ、又我ヨリ石炭其他ノ物品ヲ印度ニ送リ、彼ノ棉花ト交易スルトキハ彼我双方貿易ノ利開ケ、航運上ニモ便利少ナカラス、先生則チ紡績業者ト日本郵船会社ノ間ニ立チテ協議ヲ纏メ、又孟買ノ豪商タータート約束シ終ニ孟買航路ノ開通ヲ見ルニ至レリ、後ニ至リターターハ契約ヲ解キ彼ヨリ船ヲ造ルコトハ止ミタリ、又外国汽船会社彼阿等ハ委員ヲ我邦ニ派遣シ、郵船会社及先生ニ向テ孟買航路ノ開始ヲ中止セシメンコトヲ試ミタルモ、先生ハ之ト応接談判シテ其説ヲ論破シタリ、為メニ一時運賃ノ競争ヲ見ルニ至リタルモ、我ノ聯合鞏固ニシテ屈セサルニヨリ彼モ終ニ競争ヲ止メタリ

図表を画像で表示棉花輸入表(其一)

  以下p.462 ページ画像 棉花輸入表(其一) 年次                  清国                          印度             数量            価格             数量          価格                  斤               円            斤           円 明治十三年    一、四四六、一五六     一六九、八一九・四五〇            〇           〇 同 十四年    一、六五八、四八一     一九六、七二〇・八七〇            〇           〇 同 十五年    三、二六三、二二三     四五九、一六五・八六〇            〇           〇 同 十六年    二、一〇六、二六一     二四七、五〇五・五九〇            〇           〇 同 十七年    四、四〇六、一八六     五四二、八八二・二七〇      一三一、四〇〇      一七、七三〇・〇〇〇 同 十八年    八、一〇五、四五七     七五〇、一二〇・二一〇    一、五三二、七九二      五八、九二九・四〇〇 同 十九年    五、九六一、三三三     六六七、二〇二・四一〇      六六八、〇三四      二七、四九六・八〇〇 同 二十年    八、六二〇、三七九     八二六、四二八・九一〇    二、〇二〇、八九三      八六、一五〇・〇一〇 同 二十一年  二〇、五四〇、三四一   二、〇五五、八二一・七六〇    三、二七三、〇八四     一三七、九五六・三〇〇 同 二十二年  六〇、五八八、三一〇   五、四三二、九二二・一八〇      五五四、九二三      五九、四七六・六七〇 同 二十三年  三九、八七〇、九五八   三、七六四、五五八・八四〇    七、五〇六、三二一   一、一一四、五八〇・二七〇 同 二十四年  四五、九九六、〇一六   三、六九七、〇四一・七一〇   二六、五六四、〇九〇   三、三八二、〇六一・〇八〇 同 二十五年  六六、一八二、五七八   六、〇六三、九一八・四六〇   三六、二一三、一九一   四、六九一、七七〇・三二〇 同 二十六年  七一、三三六、三八五   八、六二二、三三五・一八〇   三六、五九二、四〇六   六、〇五二、〇四七・七七〇 同 二十七年  六二、一三九、九八一   八、五六一、九三五・四六〇   四四、六一八、三三七   八、一四四、二六四・四七〇 同 二十八年  九〇、七六八、七六三  一四、一六〇、三〇一・七四〇   五一、七四三、六五四   八、二二九、六一七・〇五〇                  担                            担 同 二十九年     四九六、一八三   八、四五九、三〇九・三九〇    一、〇七〇、〇六六  一九、六二一、二〇二・三二〇 同 三十年      五一三、二〇七   九、六三五、九七六・八〇〇    一、四二七、六六四  二六、四三八、九六八・六八〇 同 三十一年     二九五、五九二   五、〇二一、〇九九・一七〇    一、四七一、一五七  二五、五七四、八七四・一三〇 



図表を画像で表示棉花輸入表(其二)

 棉花輸入表(其二) 年次                米国                         其他諸国                        合計            数量           価格              数量        価格             数量           価格                  斤           円               斤        円                 斤           円 明治十三年            〇           〇          一五、〇〇〇      八二〇・〇〇〇     一、四六一、一五六     一七〇、六三九・四五〇 同 十四年            〇           〇               〇        〇         一、六五八、四八一     一九六、七二〇・八七〇 同 十五年            〇           〇          四六、五七三    八、〇八三・〇〇〇     三、三〇九、七九六     四六七、二四八・八六〇 同 十六年            〇           〇               〇        〇         二、一〇六、二六一     二四七、五〇五・五九〇 同 十七年            〇           〇           四、九三六      六五〇・〇〇〇     四、五四二、五二二     五六一、二六二・二七〇 同 十八年            〇           〇             一六八       二二・九五〇     九、六三八、四一七     八〇九、〇七二・五六〇 同 十九年          四一五          五六・九三〇       六、〇〇〇      三三〇・〇〇〇     六、六三五、七八二     六九五、〇八六・一四〇 同 二十年        八、一三一       一、二七〇・〇七〇       三、三二三      一一八・四六〇    一〇、六五二、七二六     九一三、九六七・四五〇 同 二十一年      六三、三五一      一二、七〇六・九七〇     一九九、七〇〇   一五、二八三・八〇〇    二四、〇七六、四七六   二、二二一、七六八・八三〇 同 二十二年      七一、五八三      一三、四三九・二二〇   三、二四八、五四九  一六二、九九九・九七〇    六四、四六三、三六五   五、六六八、八三八・〇四〇 同 二十三年   一、七七九、〇二二     三五一、八七五・五二〇   二、九八五、四五一  一三四、一三八・四八〇    五二、一四一、七五二   五、三六五、一五三・一一〇 同 二十四年   五、三〇四、四二二   一、〇一一、五一八・三二〇   二、二一九、五八五  一〇八、六三〇・一〇〇    八〇、〇八四、一一三   八、一九九、二五一・二一〇 同 二十五年   九、一八五、二九〇   一、四三五、八六二・〇三〇   一、七六七、一六一  一三三、一〇三・九六〇   一一三、三四八、二二〇  一二、三二四、六五四・七七〇 同 二十六年   六、一六〇、三四〇   一、二七三、四二一・二四〇   一、七四二、六四五  二〇三、七六六・〇五〇   一一五、八三一、七七六  一六、一五一、五七〇・二四〇 同 二十七年  一二、〇五六、八一六   二、六八〇、六七一・三二〇   一、一六〇、〇五一  二二三、八八九・二七〇   一一九、九三一、一八五  一九、六一〇、七六〇・五二〇 同 二十八年  一一、九九六、一一五   二、三三八、一七七・四一〇     六四四、一九六   九四、〇〇一・〇九〇   一五五、一五二、七二八  二四、八二二、〇九七・二九〇                  担                           担                          担 同 二十九年     一八七、〇三九   四、二五二、三九八・二六〇      一二、二六二  二四〇、四四二・二二〇     一、七六五、五五〇  三二、五七三、三五二・一九〇 同 三十年      三四七、七三七   七、二七三、二二一・六九〇      一〇、〇三五  二七二、〇四七・一四〇     二、二九八、六四三  四三、六二〇、二一四・三一〇 同 三十一年     七七〇、一七四  一四、七五一、一九九・九一〇      一六、六六三  三九七、一九八・〇四〇     二、五五三、五八六  四五、七四四、三七一・二五〇 



 - 第10巻 p.463 -ページ画像 

大日本紡績聯合会月報 第一三四号・第二―六頁 〔明治三六年一〇月〕 ◎大日本紡績聯合会沿革史(十一)(DK100043k-0002)
第10巻 p.463-466 ページ画像

大日本紡績聯合会月報 第一三四号・第二―六頁 〔明治三六年一〇月〕
    ◎大日本紡績聯合会沿革史(十一)
此頃大日本農会附属棉作奨励会は米国棉種子数石を購ひ、之を全国各棉作地へ配付し其裁培《(栽)》を勧誘したり
清国棉の水気を含有するか為め之を使用する紡績業者の損害少なからさるにより、曩に之を排除するの目的を以て堅く約する所ありしに拘はらず、清国農民は棉花の量を増すか為め水気を含ましむるのみならす、仲買人等は最も狡譎にして、又其量を増さんか為め詐術を講するを以て其弊除くを得す、大阪附近の紡績会社は竟に棉花品評会を設立し、其排斥を庶幾し、内地に於ける撿定を厳にすると共に、上海総領事に通知して清国の当路者に注意し、部内に暁諭を強ひんことを求めたり
東京商業会議所も亦外務農商務の両大臣に向ひ意見を開陳し、水気棉排除の処置を請望したり、然るに二十八年七八月の交棉価下落の際売買を約したる者は、爾後其昂騰するに方り予約の履行に苦しみ、結局水気を滾入して量目を増加し以て引渡を了せんと希図し、奸商は又其廉価なるを奇貨とし、買収に奔走するありて其弊一層甚しきを覚へたり、而して上海より輸出する棉花七十四万担の内、五十万担を需用する我紡績業者の損失を顧みては最早上海総領事も之を坐視するに忍ひす、同年十二月二十四日道台黄祖絡に知照して部民の悪弊を矯正せんことを迫り、道台をして厳重に諭達せしめたり
聯合会は亦水気棉排除に対する態度を定めしか為め、明治二十九年六月第九回聯合会に附議せり、然るに該規則は紡績業者に取りては最も緊要事たれは軽卒に議了すへきにあらされは、充分に之を調査し然る後決する所あらんか為め委員七名を設け調査修正せしめ、審議の上之を可決し本年八月一日より実施することゝせり、於是水気清国棉排除会なるもの起り、清国棉を取扱ふ内外棉商は之に加盟せされは清国棉を紡績会社に売渡すことを得さらしめ、内商を第一賛成会員と称し外商を第二賛成会員と名け、撿査所を横浜・大阪・神戸・長崎の四港に設け撿査人を置き施行細則を定め厳密に撿査したれは、紡績業者は多年其疾みたる工技上の弊害に対し較々之を除くを得たり、当時大阪・神戸に於ける清商の手に在りし支那棉花は、総計三万俵に達したりしか、其二万七八千俵は確かに水気を含有せる不良品なりしを以て、我商人中之を買取る者なきにより空しく倉庫に蔵するか或は一々之を乾燥せさるを得さらしめたり、即清商は此等不正品を売捌くの途なく保持に窮すること甚しくして切に輸入の不利を悟り、自然其輸入を減すると共に品質を精撰するに至りたり
聯合会の存立既に多年、然かも之に要する経費は年々各社分担醵出する所ありしか、曩きに相互火災保険の費に充て又は英印糸と競争の用に供するか為め、又他面に於て両税免除を得たる紀念として共同積立金を為し、其権利は出金高に応するものとせんとの協議ありしに基き、斯業界多幸の此際之を徴収して他日に備へんか為め、聯合会積立金規則案を此会に提出したり、然るに其金額多くして為めに会社の営
 - 第10巻 p.464 -ページ画像 
業にも影響を及ほし、殊に各社の定款にも背戻するのみならす、聯合会費は此種資金の利殖によらさるも、其都度徴収して可なりとの説ありて否決せられたり
又聯合会事務所新築案は三重外五会社の提出する所に係り宿題となり居たるも、時機尚早の説は多数を占め、来期の通常総会まて延期することゝなりたり
嘗て聯合会ハ各社使役職工の争奪を制せんか為め、職工取扱規程を定め之を施行したりしも故ありて之を歇め、中央棉糸紡績同盟会をして代りて之を掌らしめ、同盟会は聯合会附属として専ら之に当りたりしか、是に至りて之を合併せんとの内議あり、規約改正案を提出せしも、既に各社は職工に就き各其利害を異にする上、其会社の如きは聯合会に聯盟するも中央同盟会に加盟するを肯せさるあり、且其長文にして一朝一夕に調査を了すへきにあらす、聯合会の憲章として之を議定するには最も慎重なるを要すれば、此歳八月を以て開会せらるへき臨時会に於て決議することゝなし、之を延期したり
常務委員は従来無報酬にして全然名誉職たりしか、此会に於て委員長に三百円、他二名の委員に壱百円の報酬を贈ることに決し、又孟買委員の労を多とし慰労として金壱千五百円を贈与することとなし、其分配方を同委員に一任せり
日本郵船会社は二十六年来約四年間独力を以て孟買棉花回漕の任に膺りしか、印棉の需用は歳を逐ふて其盛を加へ同社船のみを以て之を回漕すること能はす、往々荷物の停滞を告け紡績業者の営業に関係する所少なからさりしか、同社も玆に見る所ありて競争者たる彼阿会社、墺国ロイド、伊太利郵船の三会社と聯合契約を結ひ、此年七月一日より之を実行したり、於是本会々員は爾後四会社の何れの船にも棉花を搭載するを得、甚た其利便を増すに至れり、先是本年一月、十日会に於ては前年の米棉不作は、必然の勢として印度棉花の輸入を増加すれは、予め孟買航路の船隻を増加し之に備へんことを郵船会社へ照会せんことを聯合会に建議したるを以て、聯合会は其意を領し郵船会社に交渉する所あり、郵船会社の此挙蓋し亦因由する所あるなり、然れとも聯合会は前次の精神を革めす必らす日本郵船会社と相終始せんと欲し特約を継続するの意あり、会社も亦之に酬ゆるの意ありて政府より助成金を受くるときは其内若干の割合を聯合会に致さんことを約し居たりしかは、此会に於て左記三池紡績株式会社代表者永江純一氏の建議を容れ之か交渉を孟買委員に托したり
    建犠
 此度日本郵船会社と彼阿外二箇の外国滊船会社と同盟の約を締結したるに就ては、孟買棉は爾来右同盟中の船なれは何れに積むも運賃に差違なきに至れりと聞く、然れとも本会は矢張前同様の精神を以て尚ほ日本郵船会社と現在の特約を継続致し度、而して又日本郵船か政府より助成金を受くるときは其内若干の割合を本会へ譲与する筈なれは、此際其割合を定め而して出来得へくんは此際尚ほ其譲与を受る年限を協定して、其年間の譲与額を精算して一時に日本郵船会社より受取り、其金員は之れ迄該孟買航路のことに就て共に尽力
 - 第10巻 p.465 -ページ画像 
し、共に艱難したる所の本会員に於て之を分配いたし度事
此際永江氏は又一建議案を提出して曰く
 下の関条約に因て追々清国に紡績工場の起るに就ては我邦は必らす大に其影響を被るならん、果して然れは今後我邦の紡績事業は如何の方針を取りて然るへき乎、其辺の利害得失を調査いたしたき事
蓋し下の関条約の結果として邦人は清国内地に於て工業を興すの特権を獲て、東華紡績は大阪に於て上海紡績は東京に於て各有力者間に計画せられたり、然れとも此権利たる、素より各国民の均霑する所なれは、各国相率ひて有利なる紡績事業を我紡績糸の唯一輸販地たる清国内地に起さは我製糸の販路に影響する絶大なるは固より言を該《(俟)》たす、是を以て聯合会は曩に山辺・金沢の二氏を労して上海に出張し視察する所あらしめしか、戦後に於て新紡錘四十余万を算ふるに至り製糸販路の前途最も関心すへきものあり、去れは之か利害得失に関しては覈査の上、或は政府に向ひて稟請し或は議会に向ひて請願せさるへからさる所あるへきを以て、本件は聯合会に於て深く之を調査攻究し、来る八月の臨時会に於て更に評議することに決したり
実に戦後の事業界は大に膨脹し到る処大小会社の創設せられたるを見る、殊に我紡績事業は多年の経営に係り有利の事業たるを証明したれは、之に傚ふもの甚た多く二十八九両年に於て既に左記三十三社の創立を見たり
  ○表略ス。
然れとも玉石混交は他の事業に於て屡々目賭する如く斯業に於ても之を免れす、且経済界膨脹の時機に於ては往々企業熱に翻弄せられて投機的に設立に着手したるもの少なからす、去れは是等諸会社の内基礎成りて営業を開始したるもの其半に過きす
此歳八月に至り臨時聯合会を開き規約九章九十四条を議定し大に之を改め、十一月一日より施行するに決したり、是れ六月第九回聯合会に於て決議を延期したるものにして此頃改正の最も著しきものは、職工に関し一章二十二条を付加したること是なり、其他常務委員三名の外評議員五名を置き、更に法律顧問を常聘することゝしたるか如き亦異色となす所なり、蓋し時勢の推移事爰に至りたるに過きさるなり、而して大阪紡績会社は複撰の結果旧に仍り委員長の職に就きたり
理事菅沼政経氏は明治二十五年以来推されて其職に就き、棉花輸入税及棉糸輸出税免除の請願に関しては其身の党籍に在りたるの故を以て最も便宜を得、朝野政治家を歴説したる結果遂に議会の議を傾け聯合会をして両税免除の幸福を享受するを得せしめたり、於是功成り名遂け固く辞職を乞ふ、委員長は之を惜むといへとも、其曾約あるを以て抑留するを得す、更らに之を議場に洵《(詢)》り終に其請を聴すことゝせり、其後を襲ひたるものは神戸出張所詰渡辺牧太氏にして九月四日を以て就任せり
聯合会規約の改正は八月に在りて未た数月を閲せさるに、実施の暁に於て不幸にも鐘淵紡績会社兵庫分工場職工誘拐事件あり、大阪附近二十九社は聯合して之に抵り争鬩延ひて三十年一月に及ひ、終に日本銀行総裁岩崎男爵の居中調停せらるゝに会し、事全く平穏に帰したり
 - 第10巻 p.466 -ページ画像 
  ○他ノ関係記事ハ本資料第八巻所収「日本郵船株式会社」明治二十七年三月六日ノ項(第一八四頁)ニ収ム。