デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
1節 綿業
6款 紡績職工誘拐事件仲裁
■綱文

第10巻 p.528-541(DK100048k) ページ画像

明治30年2月15日(1897年)

是ヨリ先、中央綿糸紡績業同盟会ト鐘淵紡績株式会社間ノ職工誘拐事件解決セザルニ、合名会社三井銀行ハ鐘淵紡績会社ニ左袒シテ同盟会ニ当リ、事態愈々紛糾ニ及ビタレバ、日本銀行総裁男爵岩崎弥之助ソノ調停ニ立ツニ至レリ。ココニ於テ栄一等相謀リテ該事件仲裁ヲ同男爵ニ一任スルニ決シ、是年一月二十三日、岩崎ハ該事件当事者ヲ日本銀行ニ招キ紛議ヲ裁断シ、調停成立セリ。同日職工取締規約ノ設定ニ付キ、栄一・金子堅太郎・前田正名等八名ヲ委員ニ選任シ之ヲ作成セシメ、是日成ル。


■資料

新聞集成明治編年史 第一〇巻・第一六頁 〔昭和一一年二月〕(DK100048k-0001)
第10巻 p.528 ページ画像

新聞集成 明治編年史 第一〇巻・第一六頁 〔昭和一一年二月〕
  三井銀行同物産、鐘紡に左袒し
    同盟紡績会社の糧道を断つ
      同盟側又之に対抗し財界の大喧嘩始まる
〔一、八○明治三〇年報知〕三井銀行大阪支店は鐘淵紡績会社に左袒し、三井物産会社と提携して、糧食断道の策に出で、同盟各紡績会社及び関係個人に対する割引貸附を拒絶したるのみならず、同盟各社の株券を所持せるものに対しても同一の方針を取り、且貸附期限の近きもの凡そ百五十万円余を回収せんとするに至れるより、中央同盟会に於て飽くまでも之に対抗せんとて、新に事務所を設け、臨時委員十五名の外に運動委員として大阪・摂津・平野・天満・尾張・岡山・三重・郡山の七社を撰定し、激烈なる運動中なるが、同委員等は、対三井策として、従来取引を拒絶せる三井銀行、三井物産会社は勿論、三井呉服店の商品は同盟会員及び株主中に於て一切買取らざることに決定し、各社よりそれぞれ株主に通知したりと云ふ。右の如く其影響金融界に波及し商業の秩序を紊さんとするものあるより、岩崎日本銀行総裁も捨置き難しとて、新任副支配役伊藤欽亮氏を同地に派遣し現に実況を調査中なりとぞ。


東京経済雑誌 第三五巻第八五九号・第五八―五九頁 〔明治三〇年一月一六日〕 ○鐘淵紡績会社職工誘拐事件(DK100048k-0002)
第10巻 p.528-530 ページ画像

東京経済雑誌 第三五巻第八五九号・第五八―五九頁 〔明治三〇年一月一六日〕
    ○鐘淵紡績会社職工誘拐事件
 - 第10巻 p.529 -ページ画像 
本件は鐘淵紡績株式会社の兵庫なる分工場に於て使役する職工は、多くは大阪地方各紡績業者の職工を誘拐したるものなりと云ふに在り、被誘拐者たる大阪地方の紡績業者等は曰く、我が紡績業の盛衰は一に精練熟達の職工を得ると否とに在り、依りて自分等は職工の養成を謀り、社員を数十里外に派出し、旅費を給し、手当を与へ、無経験者を募集し、数年の伝習を為して之を使用し、年々其の養成の為め費す所の金額職工一人に付少きも十円、多きは四十円に及ぶ、然るに今回兵庫に設置したる鐘淵紡績株式会社の分工場は、自ら職工を養成するの費用と時日とを厭ひ、自分等の職工を誘拐し、若くは職工と知りて使用し、甚しきは同社員なる工業学校卒業生を米屋の手代に扮せしめ、或は書記職工等を仲買売薬商等に装はしめて、穏密《(隠)》に職工誘拐に従事せしめたり、現今同分工場に使用する職工三千余名の内過半は自分等若くは同業者が時日金銭労力の三者を費して養成したる職工なりと、鐘淵紡績株式会社は之を駁して曰く、鐘淵紡績株式会社は曾て職工誘拐の意なし、大阪方は鐘淵紡績株式会社兵庫分工場に於て使用する職工の過半は、大阪方の各会社より誘拐したるものなりといふと雖も、今日兵庫分工場に使用する募集職工中、東京の本社にて伝習せし員数は合計一千二百五人にして、是皆兵庫分工場の成るに際し、大日本綿糸紡績聯合会の規約により、大阪紡績会社にて伝習せしむべき予定の募集職工を鐘淵紡績会社が中央同盟会に加入せざるの故を以て東京の本社自ら養成することゝなりたる人員なりと、蓋し鐘淵紡績株式会社が果して大阪地方紡績業者等の養成せし職工を誘拐したるや否やは疑問たるを免かれずと雖も、大阪地方紡績業者等の職工が鐘淵紡績株式会社の工場に転ずるは自然の勢なるべし、何となれば試みに昨年七月より同十月に至る四ケ月間に於ける職工賃銀を比較するに、両者の間には左の如き差違ありと云へばなり
           男工      女工
            銭       銭
    鐘淵    二六・四五   一六・五八
    三重    一八・二八   一一・七〇
    名古屋   二二・四八   一一・七〇
    尾張    二〇・五二   一〇・九六
    姫路    一八・六二   一〇・八〇
    尼ケ崎   二〇・七〇   一三・四八
    倉敷    二〇・四五   一二・二五
    玉島    二一・二〇   一三・四八
    朝日    一九・九二   一三・二八
    平野    一八・三一   一〇・二五
    摂津    一九・二六   一三・七二
    大阪    一八・八二   一三・五二
抑々方今我が邦に於ける、職工と雇主との契約は、独り紡績業のみならず、何れの工業製造業に於ても、概して甚だ不完全にして、譬へば雇主は職工に対し賃銀及び雇期限を契約せるにも拘はらず、其の職工の技倆にして予期の如くならざらん乎、契約の賃銀を給与せざるのみならず、直ちに之を解雇して毫も顧慮する所なし、随ひて職工等は他
 - 第10巻 p.530 -ページ画像 
に多額の賃銀を給する雇主あれば直ちに之に転ずることなり、故に前記誘拐事件の如きも全く職工と雇主との契約完全ならざるが為にして被誘拐者は之に懲りて将来を戒むるの外あるべからざることなり、然りと雖も鐘淵紡績株式会社にして、果して他の養成に係る職工を誘拐したりとせば、仮令職工の同社に転ずるは自然の勢なるものにせよ、同社の所為は徳義に背きたるものと謂はざるべからず、故に大阪地方紡績業者等が之を非難するは可なりと雖も、綿糸(東京府下を除く)棉花、石炭、油類、包装品、紡絃、帯革、木管及鉄冶工類に付鐘淵紡績株式会社と取引関係ある商人に対し取引を拒絶するに至りては、亦決して正当なる処置と謂ふべからず、夫れ鐘淵紡績株式会社の不道徳を非難する豈に其の道なしとせんや、然るに斯る広告を新聞紙に掲げて顧みざるに至りては、全く社会道徳の制裁を無視せるものにして、鐘淵紡績株式会社の不道徳よりも一層甚しと謂はざるべからざることなり、而して此の広告の出づるや、鐘淵紡績株式会社と最も密接の関係ある合名会社三井銀行にては左の決定を為せり
 (一)大阪紡績会社外四十三箇の紡績会社に対しては貸付取引とも一切為さゞる事
 (二)同会社等に関係ある重役に対する金融も亦会社同様金融取引を謝絶する事
 (三)同会社等株券の抵当に対しては何人より金融の申込あるも断じて之に応ぜざる事
 (四)既に此等の会社及重役等に対して貸付若くは手形の割引を為したるものは期限満了次第之が取立を為し決して其契約を継続せざる事
蓋し斯の如き対抗を為すに方りては、逸して不法の所為に陥るは往々免かるべからざる所なりと雖も、内実は兎も角表面何等の関係なき三井銀行が之に干渉して取引を謝絶するに至りては、言語に絶えたる不法の所為と謂はざるべからず、余輩は反覆す、三井銀行は是に至り社会の害物にして、吾人国民の公敵なりと、而して彼三井銀行が斯る不法有害の手段を取りたるは、要するに其の策士等の無学無識に坐するものにして、三井家の為めに気の毒の至なりと雖も、同家は到底之が責任を免かるべからざるものなり


東京済経雑誌[東京経済雑誌] 第三五巻第八六〇号・第一二〇頁 〔明治三〇年一月二三日〕 ○紡績事件の調停(DK100048k-0003)
第10巻 p.530 ページ画像

東京済経雑誌[東京経済雑誌] 第三五巻第八六〇号・第一二〇頁 〔明治三〇年一月二三日〕
    ○紡績事件の調停
大坂附近聯合紡績会社対鐘紡会社紛議事件は騎虎の勢、遂に非常の場合にまで奔りしかば、藤田伝三郎・外山脩造諸氏は之を憂ひ、過般岩崎弥之助氏に謀る所あり、其後藤田・外山両氏は鐘紡反対の各会社重役諸氏に勧告する所ありしに、諸氏は直に之を容れ、今回の紛議事件の仲裁を無条件にて岩崎氏に一任する事に決し、委員長金沢仁兵衛、副委員長難波二郎三郎、相談役田中市兵衛・松本重太郎の四氏は既に出京して岩崎氏と交渉する所あり、而して渋沢栄一氏も岩崎氏と共に調停の労を取る由なれば、不日円滑の結局を見るならんと云ふ

 - 第10巻 p.531 -ページ画像 

東京経済雑誌 第三五巻第八六一号・第一四〇―一四三頁 〔明治三〇年一月三〇日〕 ○鐘淵紡績会社職工誘拐事件紛議の調停(DK100048k-0004)
第10巻 p.531-532 ページ画像

東京経済雑誌 第三五巻第八六一号・第一四〇―一四三頁 〔明治三〇年一月三〇日〕
    ○鐘淵紡績会社職工誘拐事件紛議の調停
鐘淵紡績株式会社職工誘拐事件より同会社及び三井銀行と、中央綿糸紡績業同盟会との間に生じたる紛議の事実及び評論は前々号の紙上に掲載せしが如し、本件の紛議調停に関しては井上伯・渋沢栄一・藤田伝三郎の諸氏周旋尽力せらるゝ由なりしが、終に日本銀行総裁岩崎弥之助男に仲裁を委任することとなり、同男は之を承諾して去る二十三日午後一時三井銀行総長三井高保、鐘淵紡績株式会社専務取締役朝吹英二、綿糸紡績聯合中央同盟会臨時委員長金沢仁兵衛、同副委員長難波二郎三郎の四氏を日本銀行楼上に会同せしめ、三野村日本銀行理事、三田秘書役其の席に参座し、岩崎男は起て仲裁の辞を述べ、抑々今回の紛議たるや、聯合紡績会社が為したる取引拒絶広告の如き商業上甚だ好ましからざることにして、若し多数の勢力を以て斯ることを為さんか、其弊の極まる処遂に如何の状態に陥ゐるやも知るべからず又三井家の如きは数百年来の名門にして、我国商業界の仰視する所なるも、近頃本件に関する銀行の所為に至りては甚だ穏当を欠けりと謂はざるべからず、尤も事の此に至りしは双方軋轢の余り已むを得ざるの結果なるべきも、我国商業界の為め斯の如きことは須らく之を戒めざるべからず、然るに今や幸に双方の各位より余に此の紛議仲裁を委任せられたるを以て、余は此に仲裁の裁断を為すべしとて、左の如く裁断せられたり
  ○裁断書ハ「青淵先生六十年史」引用資料ニアルヲ以テココニ略ス。
抑々中央綿糸紡績業同盟会が、鐘淵紡績株式会社の職工誘拐事件に対し、直ちに綿糸(東京府を除く)棉花・石炭・油類・包装品・紡絃・帯革、木管及び鉄冶工類に付同社と関係ある諸商人に向ひて取引拒絶の決議を為し、又三井銀行は鐘淵紡績株式会社と密接なる関係あるの故を以て、右取引拒絶の決議に報ふるに大阪紡績株式会社外四十三社其の株券及び重役に対する金融取引の拒絶を以てしたるの不当不都合なること余輩の夙に明言せし所なり、而して今や岩崎男は之を非難して取消廃止せめたり、蓋し至当なる裁断と謂ふべきなり、若夫れ本件紛議の原因たる職工取締の規約に至りては、岩崎男は敢て自ら之を指示せず、委員を推選して之に一任し、双方共に委員の決議に従ふべき旨を令せり、而して其の委員は八名とし、岩崎男の指名に一任することゝなり、其の委員は渋沢栄一・金子堅太郎・前田正名の三氏、及日本銀行より植村俊平、鐘淵紡績会社より中上川彦次郎・朝吹英二の両氏、中央同盟会より砂川雄峻外一氏(難波二郎三郎・金沢仁兵衛二氏の内帰阪協議の上決定すべしといふ)と定まり、去る廿六日を以て第一回委員会を岩崎男の私邸に開きたりと云ふ、抑々我が邦職工問題に大関係を有するものは、実に此の規約如何に在り、委員の定むる所果して如何、余輩は可憐なる職工等の為に恬目《(刮)》して之を監視せんとするりものなり
本件紛議の調停を得たるは固より慶賀すべき所なりと雖も、其の調停を得たる次第を観察すれば寧ろ笑止に堪へざるものあり、全権仲裁の
 - 第10巻 p.532 -ページ画像 
委任書に曰く
 鐘ケ淵紡績株式会社及び合名会社三井銀行は昨年以来中央綿糸紡績同盟会と紛議を生じ、今尚抗争中に在りて双方の勢其底止する所を知る可らず、斯の如くして紛争の間に歳月を経過するは其の当局者に於ても頗る遺憾とする所にして到底公平なる仲裁者を得て事局を結了するの得策たることを信ず、而して此仲裁の任に当りて双方に満足を与ふべき者は閣下実に其人なるを以て下記の紡績会社及び銀行は此事件の調停を挙げて閣下に一任せんことを請ふ、幸に閣下此請を容れ双方の間に立て仲裁の任に当らるゝを得ば拙者等の本懐之に過ぎず、一に閣下の裁断に遵ひ事局を結了し異日其裁断に対して異議を唱ふるが如きことなきは勿論将来誓て斯る紛議を復び生ぜざるべし、右仲裁全権及御委任候也、敬具
  明治三十年一月廿三日
        鐘ケ紡績株式会社専務取締役《(淵脱)》 朝吹英二
        合名会社三井銀行総長         三井高保
 中央綿糸紡績同盟会は去年以来鐘ケ淵紡績株式会社及合名会社三井銀行と紛議を生じ、今尚ほ抗争中に在り、双方の勢其底止する所を知る可らず、斯の如にして紛争の間に歳月を経過するは其当局者に於ても頗る遺憾とする所にして到底公平なる仲裁者を得て事局を結了するの得策たることを信ず、而して此仲裁の任に当りて双方に満足を与ふべき者は閣下実に其人なるを以て拙者等の代表する同盟会は此事件の調停を挙げて閣下に一任せんことを請ふ、幸に閣下此請を容れ双方の間に立て仲裁の任に当らるゝを得ば拙者等の本懐之に過ぎず、一に閣下の裁断に遵ひ事局を結了し異日其裁断に対して異議を唱ふるが如きことなきは勿論将来誓て斯る紛議を復び生ぜざるべし、右仲裁全権及御委任候也
  明治三十年一月
       中央綿糸紡績業同盟会臨時委員 金沢仁兵衛
       同              難波二郎三郎
是れ双方ともに其の無気力を告白せるものにあらずして何ぞや、夫れ武士は食はずに高楊子と云へり、彼等の武士を以て見るべからざるや論を俟たずと雖も、一旦決定せし事件は飽までも之を遂行するの気力なかるべからず、然るに忽ちにして其の決定を放棄し、如何なる仲裁裁断にも従はんとす、是れ児戯にあらずして何ぞや、無気力を証するものにあらずして何ぞや、余輩は本件紛議の調停を得たるを喜ぶと同時に、我が邦実業家等の無気力なるを慨嘆せざるべからざることなり


青淵先生六十年史 (再版) 第二巻・第九〇八―九一五頁 〔明治三三年六月〕(DK100048k-0005)
第10巻 p.532-535 ページ画像

青淵先生六十年史(再版) 第二巻・第九〇八―九一五頁 〔明治三三年六月〕
 第五十九章 雑事
    第二十一節 仲裁
○上略
一明治二十九年十二月東京鐘ケ淵紡績会社兵庫分工場ト大阪関西四十七ノ紡績会社中央同盟会トノ間ニ職工誘引ノ事ニ付紛議ヲ生シ、三井銀行ハ鐘ケ淵紡績会社ト関係浅カラサルヲ以テ之ニ加担シ、反対
 - 第10巻 p.533 -ページ画像 
ノ紡績会社ニ対シ資金ノ融通ヲ拒絶シ、反対ノ紡績会社ハ商品販売及運送業者ニ向テ鐘ケ淵ト取引ヲ拒絶セシムル等、事体甚タ穏カナラス、其紛議結テ解ケス、翌年一月ニ及テ双方ヨリ日本銀行総裁岩崎弥之助ニ仲裁ヲ申出タルヲ以テ、弥之助ハ先生ト計リ、一ノ委員ヲ組織シ、双方関係ノ重立タル人及ヒ先生並農商務次官金子堅太郎等ヲ其委員トシ、争論ノ要点タル職工取締規約ヲ設定セシムルコトトシ、平穏ニ和解セリ、其裁断書及委員ノ報告ハ左ノ如シ
   中央綿糸紡績業同盟会鐘ケ淵紡績株式会社及ヒ合名会社三井銀行ノ紛議ノ仲裁々断書
 今回中央綿糸紡績業同盟会鐘ケ淵紡績株式会社及ヒ合名会社三井銀行ノ間ニ生シタル紛議ハ、我国ノ経済上ニ尠ナカラサル影響ヲ及ホスヘキヲ以テ、余ハ大ニ之ヲ憂ヘタリ、右紛議ノ当局者モ亦其国家ニ利ナラサルノ故ヲ以テ、之カ調停ノ道ヲ得ント欲シ、余ヲ挙ケテ全権ヲ有スル仲裁者トナシ、一ニ余ノ裁断ニ由テ事局ヲ収結セントスル誠実ナル意思ヲ表サレタリ、依テ余ハ不肖ヲ顧ミス其請ニ応シ仲裁ノ任ニ当ルコトヲ承諾シタリ
 右紛議ノ原因及ヒ其今日ノ形勢ニ至リタル次第ハ、今玆ニ之ヲ叙スルノ要ナキヲ以テ、余ハ直チニ、前記同盟会及三井銀行ノ行為ニ対シ、余ノ所見ヲ略述センニ、右同盟会カ職工移動ノ事ニ関シ、先ツ穏カニ鐘ケ淵紡績株式会社ニ照会シテ、其局ヲ収ムルノ道ヲ講セス直チニ其同盟ノ力ニ依リ、取引拒絶ノ手段ヲ取リテ、鐘ケ淵紡績株式会社及ヒ之ト取引ノ関係アルモノニ臨ミタルハ、余ノ遺憾トスル所ナリ、又三井銀行カ経済社会ノ要処ニ居リナカラ、金融ヲ円滑ナラシムヘキ本分ヲ恪守セスシテ、鐘ケ淵紡績株式会社ニ与ミシ、他ノ一方ニ対スル取引ヲ拒絶シタルモ、亦余ノ等シク遺憾トスル所ナリ、若シ夫レ鐘ケ淵紡績株式会社ト右同盟会トノ間ニ蟠レル職工取締ニ関スル件ノ如キハ、工業上ノ一問題ニシテ、事頗ル錯雑ニ渉ルヲ以テ、之ヲ決裁スルハ別ニ適任ナル委員数名ヲ推挙シ、其審査決議ニ一任セントス、依テ余ハ此ノ争局ノ一日モ早ク平穏ニ収結センコトヲ希ヒ、左ノ如ク断案ヲ下ス
  一中央綿糸紡績業同盟会ハ鐘ケ淵紡績株式会社ト取引スル者ニ対シテ発表シタル取引拒絶ノ決議ヲ取消スヘシ
  一三井銀行ハ中央綿糸紡績業同盟会及之ト関係アルモノニ対シテ実行スル取引拒絶ヲ廃止スヘシ
  一今回中央綿糸紡績業同盟会ト鐘ケ淵紡績株式会社トノ間ニ生セシ紛議ノ原因タル職工取締ニ関スル規約ノ設定ハ、特ニ委員ヲ推挙シテ之ニ一任スヘキヲ以テ、各当事者ハ其決議ニ従フヘシ
右之通裁断候也
  明治三十年一月       全権仲裁者 岩崎弥之助
    紡績業規約設定委員会決議
紡績業規約設定委員ハ今回ノ論争ヲ調停シ、傭主相互ノ関係ヲ円滑ニシ、且ツ傭主ト職工トノ情義ヲ親密ナラシメ、以テ我邦紡績業ノ基礎ヲ鞏固ニシ将来ニ於ケル斯業ノ隆盛ヲ計ル為メ玆ニ決議スルコト左ノ如シ
 - 第10巻 p.534 -ページ画像 
第一条 中央綿糸紡績業同盟会ハ左記ノ旨趣ニ依リ、其規約ヲ修正加除スヘシ
 一第五十五条ニ規定スル職工ノ傭使約定期限ハ満二箇年ヲ超ユ可ラス
 一未熟ノ職工ヲ新規傭入ルヽ場合ニハ、其約定期限ハ満三箇年ヲ超ユ可ラス、但職工トシテ一箇年間傭使セラレタルモノハ、未熟ノ職工ト見做スコトヲ得ス
 一会員ハ他ノ会員ノ傭使約定期限内ノ職工ヲ傭使スルコトヲ得ス、之ヲ背クモノハ左ノ規定ニ従フヘシ、但傭主ニ於テ約定ノ給金ヲ其職工ニ給与セサルトキハ、之ヲ解傭シタルモノト見做ス
 (一)情ヲ知ラスシテ他人ノ職工ヲ傭使シタルモノハ、最終傭主ヨリ解傭ノ請求ヲ受ケタル日ヨリ三日以内ニ之ヲ解傭スヘシ、若シ右期限内ニ解傭セサル者ハ、最終傭主ヘ職工一人ニ付損害賠償トシテ金拾円以上三拾円以下ヲ支払フヘシ
 (二)情ヲ知テ他人ノ職工ヲ傭使シタル者ハ、前項ノ規定ニ従フノ外、不当ニ之ヲ傭使シタル所為ニ対シテ、別ニ最終傭主ヘ職工一人ニ付金五円以上弐拾五円以下ノ損害賠償ヲ支払フヘシ、但最終傭主カ其傭使約定満期後ニ至リ、不当傭使者ヲ知リタル場合ト雖モ、右満期前ニ傭使シタル所為ニ対シテ、本項ノ規定ヲ適用ス
 一規約第六十四条第二号ニ該当スル職工ノ傭使ハ、傭使約定期限内ノ例ニ傚フ、但其職工ヲ傭使シタル者又ハ傭使セントスル者ハ、解傭者ヲ対手トナシテ解傭ノ当否決定ノ私裁ヲ請求スルコトヲ得
 一第六十四条第一号及第二号ハ前記ノ旨趣ニヨリテ之ヲ修正シ、同条第三号及第五号ハ之ヲ刪除スヘシ
 一第八十四条ノ規定ニ依リ情ヲ秘シテ自己ノ職工ヲ他ノ工場ニ入場セシムルコト、及第八十九条ノ規定ニヨリ会員外ノ同業者職工ヲ誘導スル場合ニ於テ施行スル臨機ノ処置ハ、総テ之ヲ廃止スヘシ
第二条 鐘ケ淵紡績株式会社兵庫支店ハ前記決議ノ如ク修正加除シタル規約ニ従ヒ、中央綿糸紡績業同盟会ニ加入スヘシ
第三条 中央綿糸紡績業同盟会規約中今回改正スヘキモノト決定シタル条項以外ニ於テ、右改正ノ旨趣ニ適セシムル為メ、他ノ条項ヲ変更スルヲ相当ナリト認ムルトキハ、同盟会ニ於テ之ヲ改正スヘシ
第四条 中央綿糸紡績業同盟会員又ハ鐘ケ淵紡績株式会社カ遵奉スル他ノ申合規則中、前記改正ノ旨趣ト抵触スル廉アルトキハ、之ヲ改正スルコトニ尽力スヘシ
第五条 紡績業者ハ各自単独ニ若シクハ互ニ協同シテ将来我国紡績業隆昌ヲ計ル為メ一層注意ヲ厚クシ、特ニ左記ノ事項ヲ実施拡張センコトヲ切望ス
 一職工ヲシテ其身元保証金ノ代用トシテ毎月一定ノ義務貯蓄ヲナサシメ、傭主モ亦職工保護ノ為メ少クトモ之レト同額ノ義務支出ヲナシ、之ヲ共同貯金トシテ確実ナル利殖方法ヲ計リ、左ノ規定ニ依リ之ヲ処分スルコト
  左ノ場合ニ於テハ共同貯金ヲ職工ニ付与ス
  (一)正当ノ事由ニヨリ就業シ能ハサルカ、若クハ傭主ノ都合ニ
 - 第10巻 p.535 -ページ画像 
依リ解傭シタルトキ
  (二)傭使約定期限ヲ無事ニ満了シタルトキ
  (三)死亡シタルトキ
  左ノ場合ニ於テハ共同貯金ハ傭主ノ所得トス
  (一)職工カ傭使約定満期以前ニ於テ漫リニ業務ヲ離レ又ハ逃亡シタルトキ
  (二)犯罪又ハ不正ノ行為ヨリ解傭セラレタルトキ
 二職工病傷ノ場合ニ於テハ容易ク其医療ヲ得ルノ方法ヲ設ケ、本人若クハ家族ノ為メ其生計ノ幾分ヲ扶助スルコト
 三職工ノ父母重患ニ罹リタルトキハ、其休業帰省ヲ許スコト
 四職工其職務ノ為メニ死去シタルトキハ、相当ノ金額ヲ給与スルコト
 五女工及幼年職工ニハ過当ナル業務ヲ課セサル事
 六幼年ノ職工ニハ簡易適切ナル教育ヲ受ケシムルコト
右之通決議候ニ付及報告候也
  明治三十年二月十五日   紡績業規約設定委員
                金子堅太郎   中上川彦次郎
                難波二郎三郎  植村俊平
                前田正名    朝吹英二
                渋沢栄一    砂川俊雄《(砂川雄峻)》
    全権仲裁者男爵岩崎弥之助殿


中上川彦次郎君伝記資料 第二五―三三頁 〔昭和二年一〇月〕 【中上川彦次郎氏伝記(武藤山治氏寄)】(DK100048k-0006)
第10巻 p.535-537 ページ画像

中上川彦次郎君伝記資料 第二五―三三頁 〔昭和二年一〇月〕
    中上川彦次郎氏伝記(武藤山治氏寄)
○上略
 当時我国には鐘淵紡績会社を除き大阪地方紡績会社の発起にて中央同盟会なるものを組織し居れり。其目的は相互の間に職工の争奪を防ぐに在りと称するも、実は此機関によりて雇主の団結を鞏固にし、以て一般職工賃銀の騰貴を制する手段を採り来りしかば、勢ひ全国各紡績会社を網羅するの必要を生じ、夙に明治二十三・四年の頃より屡鐘淵紡績会社にも入会を勧誘し来りしが、中上川氏は常に人道を重じて雇主と職工との利害は相一致するものなりとの主義を唱へ是等同業者の態度を擯斥せることゝて其都度此勧誘を拒絶し、自己の所信に拠り只管職工の待遇を改善し益其賃銀を引上ぐるに努めたれば、其結果尾勢地方の紡績会社に従事せる職工数名は鐘紡が職工を優待し且つ其賃銀高を聞き込み遥々逃れて同社に入れり。是に於てか其関係会社は之を大阪中央同盟会に訴ふるに至りしが、同盟会に於ても鐘紡が同会の会員に非らざるを以て之を如何ともなす能はずして此問題は泣き寝入りに其終局を告ぐるに至れり。然るに其後明治二十七年同社が兵庫に分工場を設置するに至るや、既に同社の職工優待に怖気付きたる大阪地方の紡績会社は此近接の地に大敵の現はれし事とて、恐慌一方ならず、更に中央同盟会入会の事を勧誘し来りしが、固より根本に於て其主義を異にせる事とて、到底同会員と行動を共にし難きを以て前同様
 - 第10巻 p.536 -ページ画像 
断然其入会を拒絶したり。
 然るに二十九年八月に至り同分工場の作業を開始するや玆に愈大阪中央同盟会との間に一大衝突を見るに至れり。
 鐘紡兵庫工場は此問題発生以前より、同業者と職工の事に関し争を惹起するを好まざるを以て運転開始一年前より全国各地に於て職工募集に着手し、其募集せる無経験職工は順次東京工場に送りて作業を伝習せしめ、努めて他会社に従事せる職工の使用を避けたりしが、何分二千余名の職工を使用する工場の事とて日々採用する職工に就き一一之を調査するは甚だ困難なるのみならず、之を調査するも其の事実を告げざるにより多少大阪地方の同業会社に従事せるものゝ来り投ずる者ありしならんも、是等は固より少数にして数ふるに足らず。然るに中央同盟会が事を好み斯かる騒動を惹起するに至りしは殆んど了解に苦しむ所なるが、同会をして其の方向を誤らしめたる直接の原因とも見るべきは、当時大阪地方の紡績会社にては多く其の職工係に無教育なる無頼漢を使用し、盛んに男女職工を威圧せしめ、偶々其の待遇に不満を抱きて退社せんとする者あるときは腕力を以て之を防止するを常用の手段としたりしが、此輩は此両者の紛擾を見て奇貨措く可しとなし、昨日は何会社にて鐘紡の為め職工幾名を横奪せられたり、今日又幾名ありしなど針小棒大の流言蜚語を放つて上役を動かし、日々虚構の事実を捏造して運動費を貪るを唯一の目的となしたりしかば、中央同盟会の役員等は、是等無頼漢の権謀に誤られ、日々諸所に集会を催して謀議を凝らすに至りしが、終に同年十二月突如として全国諸新聞に広告し、公然鐘紡に対し開戦を宣言せり、而して劈頭先づ運漕業者、棉花商に檄して、鐘紡との取引中止を要請し、次で同会運動委員等は大阪静観楼に各取引商人を招待し、席上金沢某は起つて、其趣旨を演説して曰く、『抑三井家は維新の際倒産すべき筈なりしも、政府の保護により辛ふじて其災厄を免れたるものなるに、吾々が苦心経営したる国家的事業を妨害するは、不都合も亦甚し。吾国紡績業が斯の如き発達を遂げたるは全く我国職工の賃銭低廉なるに基因するを以て吾等は中央同盟会を組織して将来一層職工の取締をなさんとするにも不拘、鐘紡は明治二十六年以来本会再三の勧誘を排して入会を拒絶したり。其の所為たるや実に国家的事業を妨害するものと謂はざるべからず、依て制裁を加へ其反省を促すの要あり、幸に諸氏に於ても吾等の意を諒とし爾後鐘紡と一切の取引を中止せられん事を望む』と、而して各商人に対し一々鐘紡と取引中止に関する懇談をなしたるが其結果需用品製造人中にては木管製造者先づ第一に賛成し、其他棉商、糸商等は或は重役会を開きて後回答せんと言ひ、又或は総集会を開く必要ありと叫ぶ者あり、又支那商人の如きは本国の本店に問合せて後ならでは返答し難き旨答ふる者、条件付なれば承諾せんと言ふ抜け目なき者等ありて結局有耶無耶の裡に散会せり。
 是に於てか鐘紡亦応戦の策を講ぜざる可からず、依て中上川氏は直に日本郵船会社及取引棉花商人に対し、同盟会社の広告文を添へ、当社との取引は依然継続さるべき哉否哉一々照会の書面を発したるに、日本郵船会社は事業の性質上毫も運送を拒絶するの要を見ざれば勿論
 - 第10巻 p.537 -ページ画像 
之を継続する旨回答し、又棉花商人は大阪方に属するものゝ中には多少其回答を躊躇したる者ありしも、棉花の供給には三井物産会社あり外国商人ありて何等の支障を見ず、又需用品を供給せる小商人に至つては斯る時に売込て将来の好得意を得んと窃かに売込み来る者甚だ多く、此の方面に於ても亦鐘紡は何等不便を見る事なかりき。斯くて同盟会社が一挙にして我社を降服せしめんとせる第一の策戦は玆に全く失敗に終るに至りしかば、彼等は更に第二策として大阪の侠客某に依頼し其力を借り、暴力を以て圧迫せんとし、同盟会社出張員は其事務所を諏訪山中常盤に置き、又多数なる侠客の部下も出張所を設け、盛んに工女の誘出に努め、鐘紡の経験工女一人を連れ来りたる者には金五円、本人へは金壱円、無経験者を連れ来りたる者には金参円、同じく本人には金壱円を与へしかば、通勤工女の内日々五・六名の誘拐せらるゝ者を生ずるに至れり。
 斯くして大阪市に寄宿所を設け一時分工場より奪ひたる工女百余名に達したりと称せらるゝも、中にはマツチ工場通ひの工女を紡績工女と称して売りつくるなど不正行為も其の間に行はれたれば、此の第二策も亦結局失敗に帰するに至れり。然れども斯の如く互に相争ふて徒らに時日を経過するは彼我共に其被る可き損害決して少からざるを以て、中上川氏は速かに事を終結せしめんと欲し、其一策として、三井銀行の各支店に命じ、同盟会社と関係せる人々に対し貸出を拒絶す可しと命じたり。此の命令は直に大阪の物議を招き、大阪実業界の頭領等は直ちに奪起《(奮)》して応戦するに至り、鐘紡対同盟会社の争は恰も三井対大阪実業家の紛争の如き感を呈するに至りしが、終に大阪側より時の日本銀行総裁岩崎男に仲裁を依頼せしかば、同男より中上川氏の意嚮を問ひ合せ来り、氏も固より平和の解決は其欲する所とて直に之に同意を表し本件の仲裁々断に関する一切を男爵に一任する事となし、玆に漸く此紛争も其結末を告ぐるに至れり。
  ○仲裁々断書略ス。
 斯くて此裁断の趣意に従ひ、渋沢栄一・金子堅太郎・前田正名・植村俊平・中上川彦次郎・朝吹英二・難波二郎三郎・砂川雄峻の八氏を紡績業者規約設定委員となし、新に規約を制定して大に斯業界の面目を刷新すると同時に、一面大に職工の味方として其地歩を高め、其の利益を擁護し以て文明の事業をして正式に準由せしめたるは、全く氏が確固たる信念の下に終始強硬なる態度に出たる結果なりと言はざる可からず。



〔参考〕東京経済雑誌 第三五巻第八六四号・第二六三―二六五頁 〔明治三〇年二月二〇日〕 ○紡績業規約設定委員会の決議(DK100048k-0007)
第10巻 p.537-539 ページ画像

東京経済雑誌 第三五巻第八六四号・第二六三―二六五頁 〔明治三〇年二月二〇日〕
    ○紡績業規約設定委員会の決議
先きに日本銀行総裁岩崎男爵の鐘淵紡績会社職工誘拐事件の紛議を仲裁し、中央綿糸紡績業同盟会の発表せる取引拒絶の決議を取消さしめ三井銀行の実行せる取引拒絶を廃止せしめ、紛議の原因たる職工取締に関する規約の設定は、特に委員を推挙して之に一任することに決し金子堅太郎・中上川彦次郎・難波二郎三郎・植村俊平・前田正名・朝
 - 第10巻 p.538 -ページ画像 
吹英二・渋沢栄一・砂川雄峻の八氏を委員に指名するや、余輩は抑々我が邦職工問題に大関係を有するものは実に此の規約如何に在り、委員の定むる所果して如何、余輩は可憐なる職工等の為に恬目して之を監視せんとするものなりと述べたりしが、今や委員諸氏は五ケ条を決議して之を全権仲裁者岩崎男爵に報告せり、其中央綿糸紡績業同盟会相互の関係に関し規定する所左の如し
 一、第五十五条に規定する職工の傭使約定期限は満二ケ年を超ゆべからず、未熟の職工を新規傭入るゝ場合には其約定期限は満三ケ年を超ゆべからず、但職工として一ケ年間傭使せられたるものは未熟の職工と見做すことを得ず
  ○以下ノ規定前出ニ付略ス。
鐘ケ淵紡績株式会社の兵庫支店は、右決議の如く修正加除したる規約に従ひ、中央綿糸紡績業同盟会に加入せざるべからざるものなり、岩崎男爵此の決議を採用すれば、仲裁の全権を委任したる中央綿糸紡績業同盟会員は凡て之を遵奉せざるべからずと雖も、元来此等の規約は徳義を俟ちて円滑に行はるゝものなれは、互に徳義を尊重すること最も肝要なり、利益を競争せる彼等果して能く徳義を尊重するや否や委員は職工の利益を保護する為に左の決議を為せり
 紡績業者は各自単独に、若くは互に協同して、将来我国紡績業隆昌を謀る為め、一層注意を厚ふし、特に左記の事項を実施拡張せんことを切望す
 一、職工をして其身元保証金の代用として毎月一定の義務貯蓄をなさしめ、傭主も亦職工保護の為め少くとも之と同額の義務支出をなし、之を共同貯金として確実なる利殖方法を謀り、左の規定に依り之を処分すること
 左の場合に於ては共同貯金を職工に附与す
  (一)正当の事由により就業し能はざるか、若くは傭主の都合に依り解傭したるとき
  (二)傭使約定期限を無事に満了したるとき
  (三)死亡したるとき
 左の場合に於ては共同貯金は傭主の所得となす
  (一)職工が傭使約定満期以前に於て漫りに業務を離れ、又は逃亡したるとき
  (二)犯罪又は不正の行為により解傭せられたるとき
 二、職工病傷の場合に於ては容易に其医療を得るの方法を設け、本人若くは家族の為め其生計の幾分を扶助すること
 三、職工の父母重患に罹りたるときは其休業帰省を許す事
 四、職工其職務の為めに死去したるときは相当の金額を給与すること
 五、女工及幼年職工には過当なる業務を課せざること
 六、幼年の職工には簡易適切なる教育を受けしむること
是れ委員決議の最も価値ある所にして、斯る規定は私利一片の同盟会には到底望むべからざる所なるべし、然れども是亦同盟会員の善意を俟ちて行はるゝものなれば、社会は可憐なる職工の為に之を監視せざ
 - 第10巻 p.539 -ページ画像 
るべからざることなり


〔参考〕大日本紡績聯合会紀要 職工傭使上の取締(DK100048k-0008)
第10巻 p.539-540 ページ画像

大日本紡績聯合会紀要
    職工傭使上の取締
我国に於けるる洋式綿糸紡績業の起原は久しと雖も、明治十三・四年の頃殖産興業の趣旨を奉して各地に経始せられたるを以て第一勃興期とす、而して職工は各工場に於て適宜技師を迎へて之を養成したるも猶ほ事実創始の時代たるを免れざれば熟練なる技術者を得る能はず、其業全体に通じては甚だ振はざりしなり、乃ち十五年八月紡績聯合会を組織するに至り、首として相互職工を貸借し、又はその伝習を承諾すべき協約をなし共同進歩の挙に出でたり、尋て十九年に至り財界の順潮は世間の企業熱を促し、紡績業も爰に其第二の勃興期を形成し甫めて斯業に於ける職工争奪の端を啓きたり、当業者は去就常なき職工を擁して営為上恒に一喜一憂その労苦に勝へざらんとす、是に於て二十一年聯合総会に於て規約を議するに方り、併せて此弊を除かんと欲し、為めに全条三十六則中、職工傭使上の事を載する者実に八ケ条の多きに上りたり、而して同盟者中職工の欠乏に苦しむものに対しては幹事に於て、其情を案じ、相互貸借按配するの権あるものとなしたれば、同盟者は等しく其恵に頼り始めて安意するを得たり、然れども雨後の春筍に似たる紡績工場の設立は、倐ち又幾多同盟外の同業者を生じ、渠等は或は威を以て、或は利を将て職工を誘拐したれば其結果として同盟者傭使の職工中、同盟罷工を企つる者を生ずるに至りたりしかば、二十二年規約を修正し同盟外の工場より職工の斡旋若くは伝習の依嘱あるも一切之に応ぜざることとし、若し之に応ずる者あるときは犯則者と見做し、相当の処分を行ふこととなし、新設工場をして同盟外に在るの不利を自覚せしめたり、於是一旦職工の争奪を絶つを得たるのみならず、新設工場は其計画と共に早く已に聯合会員として盟約するの習例を啓きたり
共後第三勃興期の初端たる二十五年に入るや、我製糸は新に孟買糸に勝ちて内地より之を斥攘し、輸出の額も漸く増加せんとし、紡績界の生気頓に勝り増錘をなすもの甚だ多く、新設工場を見ること亦四五に上りたれば、爰に又職工の不足を来し、争奪の端漸く滋く聯合規約を無視するもの相踵くに至る、於是大阪・浪華・摂次《(津)》・天満・泉州・平野・金巾・堂島・尼崎の九社は大に鑑みる所あり、廿五年七月別に摂泉紡績業同盟規約なるもの四十条を協定し、事務所を聯合会事務所内に置き、同盟役場と称し、以て職工の進退を節制し、紛議を予防せんことを期し、八月聯合総会に於て之を推拡して全国同業者全般に行施せんことを求めたりしかば、聯合会は之を容れ、修正加除の上規約付則として之を規定し、九月一日より実施したり、是より職工に関する係争は咸な私裁に付し法を執ること甚だ峻厲なりしかば、新設会社は加盟の後往々此規約及附則に照らし過去の事跡を検挙せらるゝことありて甚だ便ならず、為めに故らに盟外に在りて営業するの状あり、同業者利害共同の本義に悖り且該付則は経験上全国画一の制を施能《(す脱)》はざるを証したれば、二十六年四月総会に於て職工取扱準則九章三十二条を定むると共に規約に於て一地方を限り同盟者の利害に関する規約を
 - 第10巻 p.540 -ページ画像 
定むることを許したれば、大阪に中央綿糸紡績業同盟会なるもの起り同業者間の職工に係る事務を取扱ひ以て聯合会に隷属したり
尋て同盟会は懇話会なる者を組織し、各工場職工係員を一堂に会し談笑の間規約の応用を円滑にし、且職工の遷善を図ることとせり、廿八年に至り、本会の組職改革と関聯し同盟会の分合を決せんとの議ありしも、未だ直に之を断ずる能はず、廿九年八月規約改正と共に職工に関し一章廿二条を制定し、聯合会の全然掌理する所となし、且其厲行を期したり、蓋し此頃戦後の形勢事業大に振ひ、紡績業も亦第四勃興期に入り、職工の争奪例に依りて大に斯業界を擾さんとする状ありたればなり、然るに図らざりき其実施の暁に至り、鐘淵紡績会社兵庫分工場に於て職工誘拐事件あり、大阪附近廿九社連衡して之に抵り、争鬩延ひて翌卅年一月に及び、日本銀行総裁岩崎男爵の居中調停に依り鎮静せり、此事ありたるが為め同盟会は依然其事務に鞅掌したり
三十一年中央綿糸紡績業同盟会を解散し、翌年に及び中央紡織同盟会なるもの新に大阪に組織せられ、東海紡織同盟会なるもの亦名古市屋《(屋市)》に起り中国各紡績会社は相結んで交詢会を岡山に創設し、各々地方の便宜に従ひて職工の争奪を監督し、其事務を措弁し、以て今日に及べり、然れども聯合会は職工事務と相絶ちたるにあらず、其規約第廿一条に職工取締上の大要を規定し、之に対する責務あることを表示し、実際事ある毎に起つて企画折衝せること今猶昔の如し


〔参考〕田村正寛翁伝(新田直蔵編) 第一六六―一六八頁 〔昭和七年九月〕(DK100048k-0009)
第10巻 p.540-541 ページ画像

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