デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
17節 汽車・自動車製造業
2款 汽車製造株式会社[汽車製造合資会社]
■綱文

第12巻 p.133-136(DK120020k) ページ画像

明治32年7月5日(1899年)

是日汽車製造合資会社大阪本社ニ於テ開業式ヲ行フ。栄一之ニ臨席シ一場ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三二年(DK120020k-0001)
第12巻 p.133-134 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三二年
七月三日 曇
此日大坂ニ赴クトテ午前六時二十分ノ滊車ニテ新橋ヲ発ス、今村清之助・毛利男爵・川上謹一等ノ諸氏同車ス、大磯ニ抵リテ井上伯同行セラル、車中談論頗ル盛ナリ、午後十時過大坂ニ着ス、大坂支店○第一銀行支配人田中元三郎・伊藤与七・中川浅七等来リ迎フ、停車場附近ナル伝法屋ニ投宿ス
七月四日 曇
○上略午前十時井上伯・今村清之助等ハ共ニ島屋村滊車製造会社ニ抵ル井上勝氏ニ面会シ、明日会社開業式ニ関スル手続ヲ協議シ、工場ヲ一覧ス、井上伯ノ注意ニヨリテ明日ノ開業式ニ於テ井上社長演説ノ原稿修正ノコトヲ托セラル○中略夜滊車製造会社々長ノ演説原稿ヲ草ス○下略
七月五日 晴夕雨
午前六時大原氏・和泉氏来話ス、社長演説原稿成ルヲ以テ大原ニ交付ス○中略午後二時梅田発ノ滊車ニ搭シ滊車製造会社ニ抵ル、毛利男爵・藤田伝三郎・今村清之助其他数名同行ス、此日合資会社ハ種々ノ装飾ヲ為シ楽隊ヲ招キ烟火ヲ打揚ケ用意頗ル周到ナリ、四時頃ヨリ来客頻リニ集合シ、井上社長案内シテ工場ヲ巡覧シ、午後五時一同食堂ニ会シテ井上ヨリ一場ノ謝辞ヲ演説ス、畢テ菊地大坂府知事・田関西鉄道会社々長ヨリ祝詞ヲ演ヘラル、祝詞済ミタル後一応ノ挨拶ヲ為シ、夫ヨリ立食ノ洋食ヲ饗ス、畢テ午後七時十五分ノ滊車ニテ伝法屋ニ抵リ直ニ八時十四分ノ滊車ニ搭シテ西京ニ抵リ、鴨涯井作ノ家ニ投宿ス、此夜中川京都支店○第一銀行支配人及佐田・竹川ノ三氏来訪ス
 - 第12巻 p.134 -ページ画像 
  ○右井上社長ノ演説草稿汽車製造株式会社ニ求メテ得ズ、井上子爵家亦所蔵セズ。


竜門雑誌 第一三四号・第四八頁〔明治三二年七月二五日〕 【青淵先生 には去る七月…】(DK120020k-0002)
第12巻 p.134 ページ画像

竜門雑誌  第一三四号・第四八頁〔明治三二年七月二五日〕
○青淵先生 には去る七月三日出立大阪へ赴かれ、同五日大阪汽車製造合資会社開業式に臨場の後、帰途七日正午横浜に於て社長○渋沢篤二の発途を見送りて、同日午後帰京せられたり


中外商業新報 第五二二二号〔明治三二年七月二日〕 渋沢栄一氏の大阪行(DK120020k-0003)
第12巻 p.134 ページ画像

中外商業新報  第五二二二号〔明治三二年七月二日〕
    渋沢栄一氏の大阪行
渋沢栄一氏が大坂なる滊車製造合資会社の開業式に臨む為め、今二日午前六時新橋発の滊車にて同地に赴かるゝよふ前号の紙上に記載したるも、都合により明三日午前六時出発せらるゝことになりしと云ふ、但し帰京は来六日夜か七日の朝なる由なり


中外商業新報 第五二二四号〔明治三二年七月五日〕 汽車製造合資会社の事業(DK120020k-0004)
第12巻 p.134-136 ページ画像

中外商業新報  第五二二四号〔明治三二年七月五日〕
    滊車製造合資会社の事業
滊車製造合資会社は今五日を以て大阪本社に於て開業式を挙げ、爾後一般の注文を受け事業を開始することなるが、同社創立以来の模様及現況を左に叙述すべし
△井上勝氏の創意 鉄道事業の発達に伴ひ機関車・貨車・鉄路其他鉄道用材の需用著く増加せるに拘らず、其材料中僅に枕木を除く外は尽く外国の供給を仰ぎ、特に機関車の如き材料を輸入するも其製造組立等に至りては鉄道局附属工場外二三鉄道会社所属工場を除けば之を能くするものなく、加ふるに是等の工場と雖も辛じて其組立を為し得る位にして、各自の需用をすら完全に充実し得ざる実況にして、到底一般公衆の需用に応ずるの余裕なきより、鉄道事業には最も経験多き前の鉄道局長官井上勝子は本邦鉄道業の前途に鑑み、機関車及鉄道用品を製造して汎く公衆の需に応し得る会社を設立するの考案を起し、其調査に着手したるは実に去明治廿六年の事なりしと聞く
△毛利・前田両家及実業家の賛助 井上子が専心調査に従事したる結果遂に成案を見るに至りたるも、氏は会社を株式組織と為すことを欲せず、合名又は合資組織たらしめんとて親近の有力者を説き居りしが偶ま征清の役起りし為め会社の設立を見るに至らざりしも、越えて廿九年に及び渋沢栄一・岩崎弥之助等の諸氏井上子の計画を賛成して大に助力する所あり、其外毛利・前田の両家を始め京坂実業家中氏の企図に同意するもの多く、同年七月同志の人々会合し、九月七日を以て今の滊車製造合資会社を創立するに至れり
△会社の位地及出資者 本社及工場は共に大坂西成郡川北村大字嶋屋(其後市に編入せらる)、即ち西成鉄道安治川停車場の西北に接近せる土地二万坪を所有者住友吉左衛門氏より譲受け、内一万坪は埋立を為し、本社及工場の建築に着手したり、而して当初の資本は六十四万円にて其出資者左の如し
 (五万円宛)黒田長成・前田利嗣・毛利五郎・岩崎久弥・住友吉左
 - 第12巻 p.135 -ページ画像 
衛門(三万円宛)渋沢栄一・安田善次郎・今村清之助・川崎八右衛門・大倉喜八郎・広田理太郎・原六郎・藤田伝三郎・田中市兵衛・松本重太郎・井上勝・真中忠直・田島信夫
△出資者の異動及役員 其後、蜂須賀茂韶氏(五万円)、森村市左衛門(三万円)、田辺貞吉(三万円内二万円は住友氏より譲受)三氏新に加入し、平岡熙氏は田嶋氏の出資額を譲り受け、資本総額七十三万円と為りたり、然るに本年六月更に十七万円を増資せしを以て、現今の総資本は九十万円(六十九万三千五百円払込済)なり、同社の役員は創業の当時井上子専任業務担当社員と為り、毛利・渋沢・真中・松本四氏は業務担当社員、原・田中両氏監査役たりしが、本年六月会社契約を改正し、重役改選を行ひ、社長井上勝、副社長平岡熙、監査役渋沢栄一・田辺貞吉の諸氏上任したり
△工場其他の設備 事務所(本社)は煉瓦二階建百坪余にて三十年五月起工し翌年春竣成し、工場は全部平家造鉄屋にて木工造車工場等に於て板敷に木材を用ひある外は殆んど木片を見す、構造簡潔にして規矩整然たるは他の工場には稀に見る所なるへし
工場の建築材料は、英国グラスゴー、アルロル氏所有工場の製造に係り、昨年四月組立に着手し年末に竣成したる由なるが、工場の種類及坪数は左の如し

  種類   棟数    建坪
               坪
 木工及造車  四   六一二・五〇
 旋盤及仕上  三   四五〇・〇〇
 塗工場    一   一五〇・〇〇
 鍛冶及鋳物  二   五〇〇・〇〇
 製缶     三   三三〇・〇〇
 滊缶車組立  一   二三七・三〇
       ―――――――――――
   計   一四 二、二七九・八〇

各工場共数棟を聯結して一工場を形造り、現今は二十馬力の滊缶二台備付ありて各工場の動力需用に応じ居れり、此外倉庫及木材貯蔵所数棟の建物あり、孰れも充分の設備を為せり
△職工及人夫 現在使用し居る職工は百五十余名にて、其賃銀は最高日給一円十銭最低三十銭にて平均一人五十銭前後に当る、又昨今使用し居る常雇人夫は平均一日七十人位の由なるが、今後本式の工事に着手する時は職工人夫共尚ほ増加する筈なり
△諸会社の製作依頼 同社創立の当時は、事業開始後少くも二三年間は到底会社の経費を補ふ程の収入なかるべしとの覚悟なりしに、今春来局部工場に於ける諸般の設備成るに従ひ漸次工場必要品其他の試験的製作を開始するや、四月頃より漸次一般の注文来り、今日にては既に数十万円の巨額に達したる由なるが、工場に依り未だ機械の完備せざる分もあり旁々創業の際なれは諸事可成控へ目になし、期限の短かき注文は謝絶し居るといふ、亦以て同社事業の有望なるを推知すへし
△現今の製作品 滊缶車の製造に着手するは数ケ月の後なるへしとのことなるが、現今製造し居れるは、客車・貨車・土運車其他の鉄道材料・滊缶・諸機械・建築材料等にして昨今は貸車百輛、神戸桟橋会社
 - 第12巻 p.136 -ページ画像 
の吹抜倉庫建築材料及九州鉄道会社のポイント、クロツシング数十組の製造中にて、先頃は某所の土運車二十輛を十日間に製造し了りたる由なり


中外商業新報 第五二二五号〔明治三二年七月六日〕 汽車製造合資会社開業式(DK120020k-0005)
第12巻 p.136 ページ画像

中外商業新報  第五二二五号〔明治三二年七月六日〕
    滊車製造合資会社開業式
滊車製造合資会社は予定の如く本日午後四時より大阪市安治川口の本社に於て開業式を挙行し、先づ来賓一同を事務所なる本館に通し、午後四時三十分より社員先導して各工場を巡覧せしめ、夫れより式物《(場)》なる滊車組立工場に誘ひ、午後五時式を挙げ、先づ井上社長起ちて会社の沿革より将来に関する意見を述べて来賓に挨拶をなし、田関西鉄道社長は来賓に代りて祝辞を述べ、次に渋沢栄一氏一場の演説をなして式を終へ、夫れま《(よ)》り立食の饗応あり、会社は祝意を表する為め来賓に記念として帛紗を贈り、一同歓を尽して散会したるは午後七時過なりき
本日会社は門前に杉葉を以て機関車が数台の客車を曳きて橋上を進行する様の飾付をなしたり、来会者は大附近《(阪脱カ)》の各鉄道会社役員及市内の紳士紳商等無慮五百名なりき