デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
1款 東京株式取引所
■綱文

第13巻 p.596-615(DK130059k) ページ画像

明治21年9月10日(1888年)

新農商務大臣井上馨、本邦取引所制度ノ即時改正ニ意ナシ。然ルニ大阪取引所、已ニ前当局ヨリ創
 - 第13巻 p.597 -ページ画像 
立ノ允可ヲ得、開業ノ準備モ成レルヲ以テ、当局ノ方針変更ヲ肯ンゼズ。ヨツテ是日、井上馨、各地新旧取引所ノ代表ヲ農商務省ニ招キ、大阪取引所ノ始末ニツキ懇談会ヲ催ス。栄一マタ招カレシガ出席セズ。是日議決セズ。翌十一日、更ニ藤田組支店ニ会シ、大阪取引所ノ創立費用ハ東京・大阪両株式取引所並ビニ両米商会所ヨリ弁償スルヲ以テ、同所ノ開業ヲ旧取引所ノ営業期限又ハ取引所条例改正ノ日マデ見合ハスコトニ妥協シ、同三十日大阪取引所総会ノ決議ヲ経タレバ、翌十月三日、東京株式取引所他三取引所ノ営業ヲ明治二十四年六月三十日マデ延期スルノ許可発令サル。


■資料

明治商工史(渋沢栄一撰) 第一一四頁〔明治四四年三月〕(DK130059k-0001)
第13巻 p.597 ページ画像

明治商工史(渋沢栄一撰) 第一一四頁〔明治四四年三月〕
 ○第五章 経済機関の起源
    六 株式取引所
○上略
取引所組織の変更 取引所の組織は株式会社と為すより寧ろ会員組織に変更すれば、多少其弊害を減ずべしと主張せしが、事実に於て行はれず、其何れが最も適当なりやの論議ありて井上侯爵農商務大臣たりし時、南貞助氏をして特に其調査の為め渡欧せしめたることありしも遂に明治二十四年陸奥宗光氏の農相時代に於て株式組織に確定せり、爾来漸次拡張せられ以て今日に至れるものなり


青淵回顧録 上巻・第四七八―四七九頁〔昭和二年八月〕(DK130059k-0002)
第13巻 p.597-598 ページ画像

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中外物価新報 第一九三六号〔明治二一年九月九日〕 ○農商務大臣相場会所の役員を招く(DK130059k-0003)
第13巻 p.598 ページ画像

中外物価新報 第一九三六号〔明治二一年九月九日〕
    ○農商務大臣相場会所の役員を招く
昨日午後三時過吉田商務局長より東京株式取引所頭取谷元道之・同副頭取中野武営・東京米商会所頭取中村道太・同肝煎小川為次郎・東京取引所創立委員渋沢栄一・大坂取引所理事長藤田伝三郎・大坂株式取引所頭取磯野小右衛門の諸氏へ宛て親展書を寄せ、農商務大臣が直々面談致され度義有之候に付来る十日午後一時迄に農商務省へ出頭相成度云々との旨を伝へられし由、右ハ多分兼て出願中なる営業延期に関する御用談なるべしとの噂あり


中外物価新報 第一九三七号〔明治二一年九月一一日〕 ○新旧取引所折合の協議会(DK130059k-0004)
第13巻 p.598 ページ画像

中外物価新報 第一九三七号〔明治二一年九月一一日〕
    ○新旧取引所折合の協議会
前号に記せし如く井上農商務大臣にハ昨日渋沢・藤田・谷元・大倉・中村・田中・小川・磯野の諸氏を農商務省へ招き新旧取引所折合の協議会を開かれしが、渋沢氏ハ差支へありて出席なく、其他にハ横浜の西村喜三郎・名古屋の米商会所旧頭取奥田正香の両氏にも参会あり、花房次官・吉田商務局長・佐野同次長列席の上午後三時頃より右の協議会に取掛り彼此と協議を尽されしが容易に纏りかねしと見え、大臣を始め孰れも夜食の弁当をも使ハずして相談に時を移し漸く夜十時過る頃散会したる由、当日の協議の随分六ケ敷事ハ兼て我々の想像せし所なるが仄に伝聞する所に依れば大坂より出京の役員と当地の役員の間にハ双方なかなかに喧ましき議論もありて容易に其協議も決せざりしかば、尚ほ明十二日中村道太氏の宅に於て相談を遂ぐる筈なりとか


中外物価新報 第一九三七号〔明治二一年九月一一日〕 取引所に対する井上農商務大臣の処置は如何(DK130059k-0005)
第13巻 p.598-600 ページ画像

中外物価新報 第一九三七号〔明治二一年九月一一日〕
    ○取引所に対する井上農商務大臣の処置は如何
回顧すれば昨年五月十四日と覚ゆ、我が政府ハ業に已に現在相場会所の組織不完全にして、到底我が商売社界全般の発達に不適当なるを察し、且つ之を世の実業家に質し以て其弊害の存する所を看破し、区々の異論ありしにも拘らず断乎として取引所条例を公布せられ、会社専売の制を廃して会員共同の新制を興し、取引所を以て衆商の市場と為し売買取引をして売買者の合意約束に任じ売買者各自其取引上の責任を負担するの仕組とハ為したり、玆に於て全国各地方よりして取引所
 - 第13巻 p.599 -ページ画像 
設立の特許を出願するもの甚だ多く、已に其特許を得たるものも十ケ所に及びたりと雖も現に新条例の下に営業せるものハ僅に神戸取引所と数日前に開業したる佐賀取引所の両所あるのみ、其他ハ互に遅疑して唯々空天の雲行を眺むるものに似たる処あるのみならず、此の取引所に就てハ一番鎗の功名を博したる桑名の如きハ一旦解散したる米商会所を再び開始して現に営業するに至れり、之を以て世の所謂非ブールス論者ハ頻に之を喋々し、是れ取引所条例の実際に不適当なる確証なりとて種々の口実を設け得意に論弁するものありたりと雖も、要するに其論鋒たる新取引所の本体即ち其根本の組織に対するにあらずして寧ろ概ね其枝葉に渉り、彼の施行細則及び規約標準の如きハ常に彼等が新制を非難するの具となりしハ蓋し掩ふべからざるの事実なり、夫れ斯の如く一方に於てハ頻りに新制の非を鳴らして政府に訴ふる折柄、尚ほ他の一方を顧みれば当局主務者にハ屡々更迭ありて取引所に対する政府の方略も其更迭毎に多少其趣を異にし、申さば商業社界に緊要なる取引所の仕組丈けハ生れたるも傍より之を養成して真に有用の機関たらしめんと力むるものなきが為めに未だ活働の妙を現ハさず其効力をも発揮する能ハざるの趣あり、加之世の実務家ハ窃に政府の政略を疑い折角起らんとしたる有用の取引所も為めに中絶せんとするの有様に陥りたり、則ち会員組織の新取引所ハ或る一種の情実と当局主務者の更迭との為めに憐むべし渾沌たる暗黒の中に埋没せられ、再び我が商業社会に発生する能ハざらんとする程の悲歎を呈するに至れり、吾輩ハ最初より斯かる難情のあらんことを、窃に予期したりと雖も、今日の如く其得失論の枝葉に渉りて為めに其本体迄も埋没するに至るべしとも思ハざりしなり、然れども此困難の時機に際して独り取引所条例を確信し其精神に依遵し以て公共の取引市場を開き全般の福祉を進めんと熱心計画せしものハ唯夫れ大坂取引所あるのみ、左れば大坂取引所規約に対する其筋の指令に就てハ世上種々の論難を加へ、或ハ其指令を目《(脱アルカ)》するものなりとて頻に之を駁撃する者ありしと雖も、吾輩ハ唯之を一笑に附して只管大坂取引所の開業を速にし、他の模範たらしめんと窃に希望を属したり、然るに井上伯が再び内閣に入て農商務大臣となられし以来ハ世上又々様々の風説を流布し、伯ハ非ブールス家なり現在の相場会所ハ万々歳なるが如くに唱道し嘗て一ケ年の営業延期を与へられたる米商株式両所も更に営業延期を出願すべしとの気勢に連れてにや、彼の大坂の如きハ已に新取引所の開業に垂々とせるにも拘らず旧取引所の営業延期を出願する抔、実に世の実業家をして徒らに其の途方に迷ハしめんとするに至れり、豈歎ずべきの至りならずや
然れども兼ても報じたる如く吾輩の聞く処を以てすれば井上伯ハ決して非ブールス家にあらざるが如し、何となれば伯ハ今日の如く株式より組織せられたる相場会所を以て商業取引上便利とハ思れず、故に斯かる組織ハ早晩之を改正し之に代ゆるに会員組織の取引所を以てせざるべからずと雖も、唯急劇の改革を行ふときハ株主の損害を醸し、商業上に混乱を来すの恐れあるを以て情理の許す限りハ一時其営業の延期を与へ可及的円滑の手段に依つて旧より新に移らしめ、且つ売買取
 - 第13巻 p.600 -ページ画像 
引法の如きハ可成的自由に放任せんと決心せられたるものゝ如くなればなり、されば世人が伯を以て非ブールス家と評するハ未だ伯の真意を得たるものにハあらざるべき歟、何れにしても情理混合の此の難問題を整理して世の疑団を解き併て前途の障碍物を除き速に我実業家の安心を得せしめ以て、全般の実利を増進するの貴《(責カ)》ハ実に農商務大臣たる井上伯の宜しく任ずべき処なり、井上伯ハ果して如何なる方略に依て此事を処理さるゝ乎ハ吾輩の得て知る所にあらずと雖も区々たる情実の為めに百年の大計を忘れ、又条例細則中設令ひ一点の不完全なる箇処あればとて之が為めに其全体を放却せんとするが如き或ハ又世の実業家をして其前途の方向に迷ハしむるが如きハ決して国家の得策にあらず、故に事情の許す限りハ種々の便法を案出して旧株主の損害を軽減し且つ其安寧を得せしめ、又他の一方に於てハ新条例及其細則等にして実際不適当の箇条あらばサツサツと之を刪除して実際的のものとなし、以て真に商業社界の機関たらしむるに何の憚る所あるべき、吾輩ハ斯くありてこそ至当の処置とハ申すべけれ唯之を処理するに当り彼の繁雑なる箇条を設け売買取引法を厳制するが如き事の之れ莫らんことを希望するのみ、何となれば凡そ売買取引法なるものハ物品の種類性質に由り多年経験上繁を去り簡に就き最も便利なる方法を求めて其取引を為すものなるが故に若し法律を以て之を厳制するときハ為めに自然の発達を害し商業の進歩を妨ぐるの結果あればなり、況んや其制限法にして商業の実際に適せず他に之より便利なる方法の行ハるる以上ハ其規定の手続を去り実際便利のものに就て取引を為すに至るハ是れ自然の人情なるに若し夫れ既に制限法を設けあるからハ其方法に背き即ち実際便利なる手続に依て取引する者ハ之を犯則者として罰せざるを得ざるに於てをや、嗚呼井上伯ハ果して如何なる手段に依て此の難件を整理さるゝ乎、新旧取引所の運命ハ如何成行くべき乎、是れ諸者の刮目して其雲行に注意すべき所なり


中外物価新報 第一九三九号〔明治二一年九月一三日〕 ○新旧取引所役員協議余聞(DK130059k-0006)
第13巻 p.600-601 ページ画像

中外物価新報 第一九三九号〔明治二一年九月一三日〕
    ○新旧取引所役員協議余聞
去る十日新旧取引所の役員諸氏が農商務大臣の面前に於て協議会を開きし由ハ兼て報道に及び置しが谷元道之・中野武営・小川為次郎・磯野小右衛門の四氏ハ一昨日午前より京橋区鞘町なる中村道太氏の宅へ集り前夜協議の件に付て尚色々打合を為し、午後三時頃より一同にて築地二丁目なる藤田伝三郎氏の寓所へ赴きて又々種々談合を遂け同七時過に退散し、昨朝ハ又小川為次郎氏一人にて井上農商務大臣の邸へ推参して何か具申したる由、然るに今回の事件たる新旧両取引所に掛り合ある人々に取りてハ利害の関係あること実に容易ならざる次第なれば我れ先に其模様を聞んとて前夜協議に与りたる人々の宅ハ勿論其出先迄も跡を逐ひて問合に来る人多く、又協議に与りたる人々も成るべく速に其事実を報道して衆人に安堵を為さしめんと思へども、如何せん今度の協議は落着迄之を他人へ語るべからずとの誓約あれば、心苦しくも漫りに之を告るを得ず、併しなから秘事ハ却て洩れ易しとの諺の如く、時としてハ廟堂の機密も民間に洩れ聞ゆることあり、何程
 - 第13巻 p.601 -ページ画像 
秘密々々と云ふも其幾分ハ必らず世間に聞ゆるを免かれず、加之何事にても余り秘密に過れば却て虚報を伝ふるの恐れあるより右の趣を其筋へ申立て、其筋の認可を得次第公けに報道する手順のよしにて、東京株式取引所にてハ取敢へず昨日午前十一時より株主総代・相談役・仲買委員等の諸氏を招き正副頭取より右等の事由を述べし上、多分今十三日午後三時頃迄にハ其筋の許可もあるべければ其上忌憚なく詳細の御話を為すべしとの旨を披露したる由


中外物価新報 第一九三九号〔明治二一年九月一三日〕 ○役員協議の模様(DK130059k-0007)
第13巻 p.601 ページ画像

中外物価新報 第一九三九号〔明治二一年九月一三日〕
    ○役員協議の模様
去る十日農商務省に於て開きたる協議会の余談として谷元・中村・磯野・中野・小川の五氏ハ一昨日中村氏の宅に会合したる後、藤田・田中の両氏を築地の藤田組に訪ひ新旧取引所折合の事に付き彼此と相談を為したる由なるが、今右諸氏が藤田・田中の両氏へ対して申込みたる要領を聞くに、是迄大坂取引所にて創立準備前の為めに要したる経費一万六千余円は大坂株式取引所及米商会所(仮令東京の米商・株式両所にも其幾分を負担するにもせよ)より新取引所へ弁償するに付大坂取引所の開業ハ大坂米商株式の営業期限迄若くハ取引所条例改正の日まで見合ハす抔取計ハれたしと云ふにある趣なれど、此等の事に付きてハ藤田・田中の両氏とも大坂会員の承諾を得る筈にて一個の料見にては何とも計ひ難しと申居る由なれば、今回好し藤田・田中の両氏丈けが其事を承諾するも大坂取引所会員の意見次第にてハ又如何に成行くものにや


中外物価新報 第一九四〇号〔明治二一年九月一四日〕 ○農商務大臣懇話の顛末(DK130059k-0008)
第13巻 p.601-602 ページ画像

中外物価新報 第一九四〇号〔明治二一年九月一四日〕
    ○農商務大臣懇話の顛末
去る十日午後一時より農商務省に谷元道之・中野武営・中村道太・小川為次郎・渋沢栄一・大倉喜八郎・藤田伝三郎・田中太七郎・磯野小右衛門・西村喜三郎・奥田正香の諸氏を招かれ、現在米商株式両会所と新取引所との間柄に付大臣自ら懇話をせられたる旨は前号の紙上に連載せり、同日ハ渋沢氏の参席を待合せ凡そ二時間余も談話を見合せられたれども同氏ハ遂に出頭せざるを以て、三時過より開席に及ばれたる由なり、然るに右関係諸氏ハ此事に付世上に推測の訛伝を為す者あらんを恐れ、昨十三日東京株式取引所へ各新聞社員を招き当日談話の詳細を説話せられたれば玆に其顛末を掲載し諸者に報ず
井上農商務大臣ハ当日参席の人々に対し、先づ召集の趣意を演べて曰く、今日諸氏を此席に招きたるハ彼のブールス一条の始末方を相談せん為にあり、尤も此事に付てハ諸氏の中に従前の行掛りもあり、議論の異同もあるべけれども、今日ハ其等の当否を論じ、銘々の持説を吐露せしめんとの趣意にあらず、唯此事ハ現に世間の一苦情と相成り居り、其衝に当る我農商務省も迷成《(惑)》する而已ならず特に差当り非常に陥りおるハ大坂の藤田なり、依て本日ハ先づ議論ハ止めて諸氏の間に懇話熟談を遂げ、如何にせば此目下の困難を救ひ得らるゝ歟、其方便を発見して貰ひ度しとの一義なく《(り)》、願くは諸氏此趣意を中心に銘して談
 - 第13巻 p.602 -ページ画像 
話せられん事を希望す」扨是よりハ予が予て懐抱せる意見を少々申述べて諸氏の心得とすべし、元来予が考ふる所にてハ決してブールスハ其目的に於て不可なるものに非ず、現に商業の進歩したる欧羅巴諸国の相場所ハ大体此ブールスの組織を用ひるを見ても知らるべし、即ち其善なる所以ハ之を組織する会員ハ皆自ら商業取引に従事して他の利益を分配する会社の如き組織に非らざるを以て自ら売買上の経費を減じ物貨取引の上に利益を与ふる事なり、譬へば株券一枚の売買に是迄ハ三十銭の手数料を徴収したるもブールスにてハ十五銭にて足ると云ふ如き結果ハ必ずあることなり、是れ此組織となれば役員の給料と所中の雑費とを支弁する金額丈けにて他に贅費なければなり、我邦と雖ども何時までも今の儘にて居るわけにハゆくまじ、商業上の事も日進月歩の運に向ひ居ることなれば早晩この目的の場所に達せざればならぬことなり、先般来発布せる取引所の施行細則規約標準など云ふものハ皆政府が人民の営業に余り深く立入り過ぐる所あるが如し、而して此干渉も果して当を得たるときハ差支もなきことなれとも、干渉と適当とハ古来未だ嘗て両立する処にあらず、その細則標準の如きハ此儘実地に行ハんとするときハ固より干渉の誹ハ免れす、此事の実際営業と背馳し取引を妨くるハ当然の結果なり、実業者が之に向て苦情を唱へ営業の運動なり難しと云ふハ必ず真実の事なるべし、凡そ此の如く政府が法律規則を作りて人民の営業を規定干渉するハ所謂法律を以て人民の営業を追ひ廻ハすこととなり、其極や人民不都合を知りつゝ此法律規則に曲従するに至るなり、譬へば今日の大坂取引所の規約の如き又従来の米商会所の規則の如き、皆この曲従の実あるものと云ふべし、然して営業者となればかく逐ひ廻ハさるゝ事実ハ知りながらも其営業ハ己れの生活上必要なるに付是非なく之に曲従するに至るハ亦已むを得ざる所にして深く尤むるに足らず(以下次号)


中外物価新報 第一九四一号〔明治二一年九月一五日〕 ○農商務大臣懇話の顛末(前号の続)(DK130059k-0009)
第13巻 p.602-605 ページ画像

中外物価新報 第一九四一号〔明治二一年九月一五日〕
    ○農商務大臣懇話の顛末(前号の続)
然れども已むを得ざるの曲従者ハ遂に反則者となるハ数の免かれざる所なり、而して其結果や警官ハ其法規を寸法として営業場所へ踏み込むハ其職権なり、営業者ハ珠数繋ぎとなりて警察署へ引致せられ、其中にハ罪に当りて監獄へ送致せらるゝものも出来るべし、かくなる時は或ハ罪囚の入費を増加し、或監獄の建増も入用となり結局縁もゆかりもなき禍を此方の経済上に迄波及するに至る、又其罪に罹れる一個人の事情を究むれば、之が為めに営業の大本を失ひ、身代破滅妻子離散し、社会の経済上に如何計の害を生ずるか測りがたく、斯く意外なる所にまで影響を及ぼすも畢竟ハ干渉の過度より起る弊にして、其元ハテーブル上の議論之が根底を為すと云ふべし、特に現今の規則に於てハ空相場を厳禁せんとせり、何さま空相場ハ善からぬ物に相違なし欧米の政治家・経済家も此事に付てハ頗る首を疚しむる所なり、されども空相場なるものハ元と実物の売買に伴随して生ずるものにして、是れのみを取除かんとするも到底為し得ざる所なり、売買の実際に於てハ始めの実物売買も後にハ空取引にて終ること少なからず、実と空
 - 第13巻 p.603 -ページ画像 
とハ其間髪を容れず迚も其境界を区画せんことハ人力の及ばざる所と云んも不可なし、斯る性質なるに拘はらず強て全く之を禁絶せんとせば終に人生必要の商売を自然に発達するを妨害すること予想の外にあり、故に其弊を知りつゝも彼の大利を残ハさらん為に此小害を忍び其甚しきに至るを制する迄に止めて然るべし、但し斯く云へばとて今の米商株式を以て決して完全無欠のものとするにあらず、弊もあり害もあることなれバ必ず改正せざるべからざるハ勿論なれども、唯其の改正を為すに今日の如き趣向にてハ迚も実効あるべからず、されば今の相場所の事を真正に改正し実地に適当なる法律の類を制せんことを望まば宜しく実地に経験あり実業に練熟なる人を広く公正なる手続を以て招集に及び、之に顧問し其考案より成立つ方案を聚合して改正の原案と為すべきなり、其方法の端緒を云ハヾ夫の商法会議所・商工会の類に改正を加へ、之れを真正の商工業熟練者の集合体たらしめ、其中の推撰に従ひ政府の顧問に備はる委員の如きを作り、すべて農工商に係る法律規則の制定改正ハ、此の顧問委員に其法律規則の実業者当時の現況に適するや否を質問し、充分究覈して着手せば或ハ間違なきに至らん歟、依て将来の事柄ハ何卒斯る道行に押し進めたく考ふるなり更に前言を総括すれば都て農商工に関する法律規則は政府部内より天降るものにハ幾回の制定改正を為すも其結果ハ前日と一般決して改良の真面目を開くまじ、必ずや人民即ち実業家の考案を尽したるものが天上するに非ずんば実際の効益を為すべからず、是れ今日の取引所に関する規則中実業者の苦心を生じたる所以にして、則ち新設取引所を速に設立せんと切望する各人も、猶此準則規約にてハ営業行ハれずと明言するにあらずや、是れ将来之を改正する事あらば如斯き手続きに依り改正なし《(マヽ)》との希望なり」さて又目今の米商会所・株式取引所を不完全なるものとし其改正を必要とするも之に付ては其順序を慎重にすること緊要なり、其順序を慎重にすることハ他なし、十分に前後左右を顧みて社会の損害を引起さゞるやう其手続を尽すことなり、今諸氏試みに米商会所条例・株式取引所条例創定の当時に溯りて考へ見よ、当時政府にも人民にも果して今日に至りブールスを設立するの予見ありしや否や、実に此等の事ハ双方とも夢想にも思ハざる所なりしならん、故に当時にありてハ条例に記載せる営業の期限ハ単に区限りを示すものとのみ了解し、官民とも其時にハ継続し得らるゝものと理解し得たるなり、斯る理由に因て成立ちたる会所なれハ之が株主たるものハ営業期限に至れば此方の請願次第にて再び五ケ年の営業継続ハなるべき事と確信して其資本を投したるに相違なし、さればこそ最初百円の株券も分配利益金と世間融通金利の割合に応し三百円乃至三百五十円の価格を以て売買取引したるにあらずや、乃ち今日の株主ハ此等の価格を以て株式を所有する者にて其中の一二ハ最初よりの株式を所有する者あらんとも実際かゝる高価を有せる株式を所有するものなり、然るに今や相場所の改正を必要とする事情に到達したりとて此等の損失をも顧みず其期限の文字を強く論じて一時に取消し改正を為さんとするハ経済社会信用を破壊するの一端となるハ必然たり、是れ独り株主一個の損害を来すのみならず之に由て社会へ与ふる損失ハ幾許なる
 - 第13巻 p.604 -ページ画像 
か測るべからず、かゝる損害は救済せらるゝ丈の手段を尽し果して其手段なくば拠なし、若し其手段あらば十分救済すべきことなり、況んや行政上の法律規則の改正にハかゝる余地なき処分を用ゐるを最も忌むべきことゝす、一例を挙ぐれば鉱山の借区主が莫大の資本を投じて盛山に到りたる際借区期限の満ちたればとて条例の明文に照らし之を返納せしめば当人の不服ハ云ふに及ばず世論も之を何とか謂ハん、今の相場所改正の処置も之を以て類推すべし、且又現在の相場所も成る程完全の物とハ云ひがたけれども、さればとて是非に今日西洋のブールスの粋を抜き美を集めたる制度を新創し之を以て即時に改正せされハ相成らずとまで切迫したる商業の事情もなしと信ず、故に予か考案にてハ、一方にてハ実際不適当なる法律規則ハ前に申述たる如き適当なる手続を以て改正を為す事とし、其間一方にてハ現在相場所の営業を継続せしめ株主の損失を自ら処理せしむるハ時宜に於て至極然るべき方案と思考するなり、かくすれば一個人の財産にも疵付かず社会の経済にも差響かず円滑に改正の目的を達するを得べし、但し其時間とて永久無期限と云ふに非ず、大凡の度を測りて之が定限を附くることなれば決て之が為に社会商業の進歩を沮むこともあるまじ、以上ハ現在相場所を処置する大要なり」さて此より少しく全体に渉りて申すことあり、既に諸子も知らるゝ如く政府ハ市町村制を発布せられ地方自治の基礎を立てられぬ、此事は満天下一の不同意を唱ふるものハなきことなるべし、然しながら実際行政上共同に関する自治ハ充分成立し能ふと雖も人民各自営業上の自治鞏固完全に歩を進めざれば折角政府の恩賜も其精神を貫徹し好結果を将来に望む可らず、市町村ハ未だ一個人の集合体に過ぎざるを以て一個人の自治全ければ市町村の自治も完全なる筈なり、而して一個人自治の源ハ生活にあり、生活の源ハ営業にあり、されば国政上の自治よりも寧ろ営業上の自治の大切なることハ論を待たず、然るに此大なる営業上の事に付役人ハテーブル上の議論を以て法律を作り之を以て実業家を追廻すやうにてハ到底自治の本源ハ立たざるものと云ふべし、是れ予が深く鑑みて憂ふる処なり、是を以て前にも申述ぶる通り都て実業に関することハ何事に拘らず常に其道の人の意見に因りて組み上げたるものを政府にて認可するが如き実際に押し進め行かば営業上の自治も是に於て乎確立する者となるべし、而して其度に応じて改良を加へ之を全くする実ハ農商工者其人の職務なり、何ぞ政府の仕向けをのみ待て之を為すへきものならんや抑も自治の精神より起り時としてハ人民の側よりも方案を提出し而して政府ハ全体経済上を考案して法律と実業とを密着せしめ得て始めて社会経済の原理に基き自然の発達を得へきなり、此事ハ全般に付現今と未来に渉り大関係大利益あることゝ信す、何卒諸子等閑に聞き流すことなかれ、畢竟予が取引所の始末に付主眼とする所ハ此一点にありて彼の株主救済の事の如きハ十分の一二に過きず、諸子予か衷情の在る所を察せられよ」さて玆に又奥向の相談に立戻れハ夫のブールス一条に付てハ当省も困り大坂取引所則ち藤田も困り又現在大坂の株式も困るといふ有様なり、而して当局者たる予に於てハ前に言ふ意見を懐きおるために大坂取引所ハ開業の運びをなすこと出来ず、然る時ハ前
 - 第13巻 p.605 -ページ画像 
前よりの行掛りを以て当省に向つて苦情を鳴らす実に困つたものなり唯幸に東京ハ右に関する準備もせざるに付苦情を訴ふるに至らざるのみ、就てハ本日来会の諸子に於て何とか適当の方案を考へ出し、一同熟議の上大坂の始末方を付けられんことを、尤も此際諸子の間に彼我の区別ありて我れハ現在相場所方、否予ハ新取引所の人抔といふ偏見ありてハ然るべからず、只々官民一致して差迫りたる困難を解くといふことに相談を押し進められんことこそ望ましけれ、但し予ハ此事に付コウせよアヽせよと言ふ如き命令ハ毛頭下すにあらす、予が農商務大臣の考案を以て之を処置せば実に易々たるものなれども前言の如く期《(斯)》る処置ハ実業者を追ひ廻す事にして予の本旨に背くことなれば特に諸子を煩ハして其熟議を請ふ次第なり、諸子此意を瞭察して幾重にも懇談を尽し円滑なる結果を示されんことを望むのみと申されたり(畢)


中外物価新報 第一九四二号〔明治二一年九月一六日〕 ○新旧取引所協議の顛末(DK130059k-0010)
第13巻 p.605-608 ページ画像

中外物価新報 第一九四二号〔明治二一年九月一六日〕
    ○新旧取引所協議の顛末
 去十日新旧取引所役員の前に於て井上農商務大臣が懇話の顛末ハ已に前号に記せし如くにて、右ぎ大臣の談話終りたる後参席の諸氏ハ交々其見込を陳弁したるが、何にせよ三年越の一大問題にして其間にハ種々の事実を経歴し来りたることなれば、其所説も数端に渉り中にハ激論も出たる様子なりしが、此等を一々列挙するは煩に堪へざれば其内必要の点を摘載して之を読者に報道すること左の如し
大坂取引所(藤田・田中両氏)の説ハ曰く、私共の取引所創立に関係せし来歴にも様々の事情ありて一々之を陳弁せば頗る時間を費し却て御迷惑なるべければ之を省くべし、唯是迄の来歴を一言に纏むれば私共ハ最初より取引所の仕組を公益ありと信じ、其後当局者の勧誘に由て此事に着手したりと云ふにあり、尤も私共も斯る重大の事柄なれハ良しや当局者の勧誘あらんとも直に応と答へたるわけにハあらず、其間にハ念に念を入れ突留むる丈の事ハ十分に突留て諸般の運ひを付けたる次第なり、さてかゝる道行に依り準備も整ひたるに付き遂に大坂取引所ハ本年九月一日より開業の筈に決定したることなり、然るに其間際に至り図らずも農商務大臣の交迭ありて世上にて新大臣ハ旧会所へ営業の延期を与へらるゝやの風説盛んに起れり、されどかゝる事ハ従前よりの行き掛りに於て決してあるべき事柄とも思ハれざれば初の程ハ更に心にも留めず一時の訛説とのみ思ひ居りしに、先頃に至り旧会所よりハ延期の願書を上呈し、一方に旧会所の株券騰貴し、其様子如何にも風説の偽ならぬを示すが如し、依て夫々取調の手段を尽したるに全く風説ハ事実の如くに見ゆるに付き、さてハ棄て置き難しと焦慮せる折柄、大坂取引所の会員等ハ此事を聞き、是迄の事実あるに拘ハらず今更左る事ありてハ不都合も亦極れりとて憤懣激昂して止まず遂に私共に迫て出京の上其筋へ其不都合を上申せんことを要望せり、私共も固より黙止すべき場合にあらざれば早速に上京し、偖大臣に拝謁し不都合の次第を上申し又大臣の御主意を伺ひたるに、先刻御懇話の通りの事にて、其中相場所改正に付き旧株主の損害を避くる一事の如きハ取引所計画の以前に在て一個なる藤田より当局者に申上たるも
 - 第13巻 p.606 -ページ画像 
同一にて至極公平の御考へ、一個の藤田伝三郎としてハ感服仕る外言葉なし、然しなから一個の藤田が感服し奉ると同時に大坂取引所理事長なる藤田が大坂取引所の始末を如何せば宜しからん歟、啻に感服して止む訳にハまいらざるなり、元来私共の取引所を設立するハ条例の御主意を遵奉し、且何事も其筋の御指示に拠り為し来りたる今日に及び、一方の旧会所に営業延期の御許可ありてハ到底新取引所の成立も期しがたきなり、依て何んでも此上ハ行立つ様に願ハねばならぬ、尤会員等ハ私共に迫りて出京の上ハ其筋に上申して旧会所の延期御差止を願ふべし、若し御差止を願ひても御聞届なき時ハ是迄の費用を其筋より賠償せられんことを請願すべしと申聞けたれども、出京の上段々親しく大臣の御主意を承りて見れば二つなから孰れも行ハるべくとも思ハれず、依て熟ら考ふるに今更旧会所の延期も御中止相成るわけにもまゐるまじ、さりとて取引所の開業を見合する事ハ毛頭出来がたき場合に付き、是に於て方法も尽きたりと云べき歟、乍併唯一脈の通路と云ふハ更に双方共両立して行く方法を取るの一事なり、然るに是れ迚も先般認可相成りたる規約の性質にてハ売買上の検束甚しく到底旧会所と併立ハなしがたきを以て、今回其不便の廉を上申し、之に由て更に更に規約を改正し而して営業を為すに至らば或ハ双方共並び行く事出来て稍々会員を満足せしむるに足らん、私共の考にてハ是等決して上策とハ思ハざれども他に方法なき為め已むを得ずこの中策を取りし訳にて其迷惑実に写し出すに言葉なきことなりとて、更に規約改正の事を許可せられたしと主張せられたり
大坂株式取引所(磯野氏)ハ曰く、大坂取引所ハ已に規約の認可も済みて九月一日より開業の筈に成り居れり、然るに今回農商務大臣の御思召より社会の利益を謀らんため旧会所に延期を与へられんとするに臨み更に新らしき要求を為し其規約を数層自由寛裕の者に改正なしたしと云ふハ甚だ解せぬことなり、且其改正を望む箇条を聞けば殆ど旧会所の仕方を丸取りにすると同様にて、之に加ふるに取引所の方ハ税則等の定めなければ、若し此事の許可せらるゝ暁にハ旧会所の迷惑ハ測り知るべからず、さすれば大臣の所謂大体の経済上より新旧転換の手続を慎重にせられ、社会の損害を避くるの御主意も水泡に属するに至らん、要するに新取引所が旧会所の延期せらるゝハ迷惑なりと云ふハ取りも直さず旧会所が新取引所の規約を改正せらるゝハ迷惑なりと云ふ苦情と同一なるべし、則ち一方の利ハ一方の不利なりとて大坂取引所新□旨の旧会所に取りて迷惑なる次第を陳弁したり
米商会所・株式取引所(谷元・中野・中村・小川諸氏)ハ曰く、我々ハ旧会所の役員なれど同時に東京取引所の創立委員並に起草委員なれば先づ東京取引所の事柄に付て一言開陳仕るべし、東京取引所に於てハ創立委員全体一致の意見を以て本年三月に取引所規約標準に対する意見書を其筋へ上呈せり、其意見の主点を挙ぐれば会員を精撰して入会せしむる方法を設くる事、会員に公然他人の委托物を取引せしむる事、仲買人の補助員に代務を許す事、貨物の売買に立会法を用ゐる事貨物の売買に銘柄を用ゐる事、売買者に一定の証拠金を差入れしむる事、転売買戻の方法を自由にする事、損益金決算の方法を設くる事、
 - 第13巻 p.607 -ページ画像 
違約処分の方法(即ち売買の保険の方法)を設くる事(其他ハ省く)等なり、然るに去る七月二十一日前農商務大臣より創立委員の中一名を御呼出し相成り、此意見書に対する附箋を下付せられ、意見書中の事柄に付き採否の在る所を示し、之に由て速に実施の運に至らんことを訓諭せられたり、依て同月二十七日創立委員等集会を催し、附箋の次第に由り採否の点を吟味したるに一同の意見に曰く、我々が兼て上呈したる意見ハ我邦今日の商業上に適当なりと信ずる所にして之に非ずんバ取引所の実行ハ出来難し、且つ其箇条ハ尽く連関するを以て此を用ゐ彼を捨つることを得ざるなり、故に此の意見書の通りに万事御許可あるにあらずんば到底取引所を創立するも実行覚束なしとの決議にて委員中の重立ちたるものに之を委托し置きたり、尤右の意見書中の事柄ハ取引の真に成立ち得べき方を主眼として調べたるものなれば事柄中或ハ今の条例にてハ如何哉と疑惑の所なきにあらざれども、此等ハ其筋へ属する事にして我々ハ唯適実と確信したる所を上申したるまでなり、さて又只今大坂取引所の御話を聞けば兼て許可を受けたる規約を今回尚幾層自由寛裕のものに改正せんと情願せらるゝ由なり、元来取引所の法律御制定の御主意ハ曩に其筋より内見を許されたる取引所条例註釈並に同施行細則註釈を見、其他同条例制定の御主意なりとて世上に伝称する風説に拠るも知らるゝ如く全く其要旨ハ二あるが如し、即ち現在相場会所の組織を改むる事及び現在相場会所の売買法を改むる事是れなり、而して又施行細則及び規約標準ハ条例の真意を実際事実の上に表し出す手続にして、之を条例の注脚と見做すも差支なかるべき物なり、而して今此二個の要旨を以て細則及ひ標準の箇条に照すときハ恰も符節を合するが如し、さすれば規約標準の箇条ハ全く条例の真意を実行の上に顕ハす方法を示したるものなるや論を待たず、斯る物たるに付き其中の箇条今日の実際に不適当のものありて当業者より其改正を願出で幸にして其筋に於て之を許可せらるゝことありとも、是れ唯一時の権道に過ぎず、決して永久の事とハ云ふべからず、其一例ハ先頃大坂取引所より出願したる規約標準と《(に)》関する願書に対する御指令の一箇条を伝聞するに「米穀に限り当分の内銘柄売買を許す」とありし由なり、則ち此文中に特更《(殊)》に当分の内と云ふ文言を加へられたるを見ても其事の一時権宜の御処置に出たるを知るに足れりされば此上再び規約の改正を出願し此又幸にして其筋の御許可を得るとするも元の条例の御主意変更することなき間ハ矢張一時暫且の事に属し決して永久不易のものにあらざるを以て、取引所ハ之に依て営業を為す折柄其筋にてハ最早本来の御主意通り引直すも差支なしと見込み、何時に元の厳重なる方法に御引戻相成るや測りかたし、蓋し取引所の事に付てハこの二年計の間に此の如き事例ハ随分ありしやうに思ハる、依て将来と雖ども決してなき事とハ断言すべからず、斯く将来の事を深く慮る時ハ良しや今回の大坂取引所の願意採用せられ今の物より幾層も自由寛裕なる規約によりて営業を為し得るとするも、猶ほ之に由て取引所の営業を開始するハ殆んど砂上に大厦を築くか如き想ありて頗る憂慮に勝へざるなり、故に万一大坂に対し今回の願意御許可ありて其後東京の取引所にても之れに傚ひ開業せんとの説あるに至
 - 第13巻 p.608 -ページ画像 
らば之を黙過する事我々の義務として甚だ不深切に当るを以て其利害を十分に勧告せんと思ふことなり、尤も東京取引所の創立委員等ハ兼てより東京に旧会所の存する間ハ徳義上新取引所を開始することハ出来かたしと申し合へることなり、又前に開陳したる如く東京の取引所ハ其意見書並に決議の通りにて到底只今の場合にてハ創立するの運に至ること能ハずとの旨意を述られたり」右の如く各々自説を陳述し中中果しもなき有様なりしが兎に角に大臣御談話の御主意ハ皆承服する所にして、之れに対し各自の意見のみを主張するハ恐入る事に付き其間段々折合話も出で来りたれども、何分にも藤田氏ハ自説を固執して動かず、其中に夜ハ次第に深更に及び、大臣に対し益々恐縮を重ぬる事ゆゑ、更に翌日十時より中村氏の宅へ参会し今晩の折合話中一二を基礎とし再び協議を開く筈に為し、之を大臣へ上申して遂に参席の人人ハ十日の夜十時半頃に退散したる由なり、さて翌十一日ハ約束の時刻より谷元・中野・磯野・小川の諸氏中村氏の宅に集り、藤田・田中両氏の来会を待ち合せたるに、十二時を過くるも来会なきに付き、使を馳せ促したるに、田中氏一人参られ、藤田氏ハ病気にて臥牀せられ居り出席なしがたく、又藤田氏ハ双方の協議の事ハ明十二日の事と思ひ居られたる等の行違ありしにつき、直に藤田氏の宅に到りて協議を謀ることこそ便利ならめとて、車を並へて築地なる藤田組の支店に赴き、藤田氏の寝所に於て午後の一時頃より夜の七時頃まで相談に及ばれたる由なり、而して折合話の中にハ藤田氏一人ハ是にて承諾されんとする模様も見えたれど、何分にも一己にて決する事柄にあらざるを以て確然たる決答ハ帰坂の上なすべしとのことにて先づ一段の局を結びたるものゝ如し、而して今後如何なる折合話しに落着する乎ハ尚ほ追て報道する時あるべし


中外物価新報 第一九四六号〔明治二一年九月二一日〕 ○弁償金支出の割合(DK130059k-0011)
第13巻 p.608 ページ画像

中外物価新報 第一九四六号〔明治二一年九月二一日〕
    ○弁償金支出の割合
久しく世上の問題たりしブールス始末方の義に付き東京大坂等の新旧両取引所の役員等ハ過日井上農商務大臣の面前に於て充分の協議を遂げ、互に数歩を譲合ひて新取引所の方ハ条例細則中実地不都合の点を改正するの必要もあり、かたかた旧会所取引所の営業中ハ其開業を一時見合するに付き、旧より新なる大坂取引所に対してハ是迄其創立準備の為めに要したる経費一万六千有余円を弁償すべしとの事にて一先づ落着せしハ嘗て報じたる処なるが、聞く所に拠れば右金員負担の割合ハ大坂株式取引所(七千円)同米商会所(三千円)東京株式取引所(二千五百円)同米商会所(二千円)京都株式取引所(一千五百円)宛合計一万六千円を支出して之か弁償の途に充つる筈なりと云ふ


中外物価新報 第一九五四号〔明治二一年一〇月二日〕 ○大坂取引所総会決議(九月卅日午後九時発)(DK130059k-0012)
第13巻 p.608-609 ページ画像

中外物価新報 第一九五四号〔明治二一年一〇月二日〕
    ○大坂取引所総会決議(九月卅日午後九時発)
大坂商法会議所に於て今三十日午後二時より大坂取引所会員総会を開き、藤田理事長及田中常置委員が東京大坂の旧相場会所役員と東京に於て為したる折合の協議顛末を演述して一同の意見を問ひたるに、藤
 - 第13巻 p.609 -ページ画像 
田理事長の予約通り創立以来諸経費金一万六千円を旧会所より受け取て開始を見合すことに決定せり


中外物価新報 第一九五四号〔明治二一年一〇月二日〕 ○新旧取引所の協議整ふ(DK130059k-0013)
第13巻 p.609 ページ画像

中外物価新報 第一九五四号〔明治二一年一〇月二日〕
    ○新旧取引所の協議整ふ
久しく世間の一大問題たりし新旧取引所の処分事件ハ去月十日東京大坂の新旧取引所役員諸氏が井上農商務大臣の面前に於て折合の懇談を遂げし末、現立米商会所・株式取引所より大坂新取引所に対し創立以来の諸入費金一万六千余円を交附して同取引所の開始を見合すことに略ほ約束整ひたれど、何分此事ハ理事長及委員等の一存にも執計難ければ兎に角帰阪の上今度懇談の顛末を披露し、会員一同の意見を聞たる上何分の確答を為すべしとの事にて、藤田伝三郎・田中太七郎の両氏ハ去月廿日陸路帰阪の途に就きしが、右両氏ハ同月廿六日大坂に帰着するや否、翌廿七日他の理事常置委員等へ協議の事情一通りを物語尚一昨三十日午後二時より会員一同を大坂商法会議所へ招集して曩に東京に於ける折合協議の詳細を演述し、且将来の処置方法等ハ如何なすべきやとて一同の意見を問ひしに、本紙第二面電報欄内に記する通り創立入費金一万六千余円(但分担割合金七千円大坂株式取引所、金三千円大坂米商会所、金二千五百円東京株式取引所、金二千円東京米商会所、金一千五百円京都株式取引所)を米商会所・株式取引所より受けて開始を見合すことに決定したる由、尚又此件に付きてハ一昨夜九時大坂発電報を以て藤田氏の許より東京株式取引所並東京米商会所役員へ宛て「予約の通り今暁総会に於て可決せり」との通知あり、又同夜九時五十分磯野大坂株式取引所頭取よりの電報にハ「取引所及株式取引所総会約束通り可決した」云々とありし由、左れば衆人の挙て注目せし新旧取引所の始末も玆に始て円滑に其局を結びたれば、右に関係の人々より早速其旨を主務大臣へ上申すべく、而して主務大臣より現立各地の株式取引所・米商会所等へ対し営業延期許可の指令を下付さるゝも蓋し本週中にあるべしとの噂なり


中外物価新報 第一九五六号〔明治二一年一〇月四日〕 ○米商・株式両所の延期許可(DK130059k-0014)
第13巻 p.609-610 ページ画像

中外物価新報 第一九五六号〔明治二一年一〇月四日〕
○米商・株式両所の延期許可 新旧取引所折合の協議ハ已に全く整いたれば現立各地の米商会所・株式取引所等より兼て其筋へ出願中なる営業期限延期の義ハ多分本週中に許可あるべしとのことハ本月二日発刊の中外物価新報へ記載し置きしが、果して井上農商務大臣ハ昨日午前東京株式取引所頭取谷元道之・東京米商会所肝煎小川為次郎・大坂米商会所頭取玉手弘通・名古屋米商会所頭取松沢与七の諸氏を農商務省へ招喚し、吉田商務局長立会にて曩に差出し置たる願書に聞届の指令を附して下渡されたり、即ち其文意ハ「願之趣特別の詮議を以て来明治廿四年六月卅日限り営業延期を聞届く」と云ふにあり、而して大臣より右諸氏に向ひて簡短なる演説ありし由なるが、其要旨を聞くに去月十日其許等初め新旧取引所関係の人々を招集して懇談会を開き、其際決議の主旨を採り特別の詮議を以て今度愈よ願出の通り明治二十四年六月迄営業延期を許可したる訳なれば、各自に於ても宜しく予が
 - 第13巻 p.610 -ページ画像 
曩に演説したる趣旨を理解し、右期限内に於て成るべく株主の損耗とならざる様適宜の方法を立て申出すべし云々と云ふにありとぞ、又大阪株式取引所・京都株式取引所・赤間関米商会所等よりも同様営業延期の出願あるを以て是等ハ電報にて許可の沙汰を伝へられたりと聞く兎に角三年越にて世間の一大難題たりし新旧取引所の始末方も玆に始て円滑に其終局を告ぐるに至りたれば、現立株式取引所・米商会所の役員及仲買人諸氏も先づ安堵して営業に従事することを得、随て市場取引の隆盛を見るハ期して待つべければ株主諸氏に於てハ左こそ満足ありつらんと察せらるゝなり


諸願伺届 明治二一年中(DK130059k-0015)
第13巻 p.610-611 ページ画像

諸願伺届 明治二一年中 (東京株式取引所所蔵)
    明治廿一年 月 日
  営業延期上願書
                東京株式取引所株主総代
                      渡辺治右衛門
                         外四名
                東京株式取引所仲買総代
                      天矢正剛
                         外四名
    営業延期上願書
東京株式取引所株主総代仲買総代等謹テ上願仕候、客年勅令第拾壱号ヲ以テ取引所条例御発布相成、従前ノ株式取引所ハ満期ト共ニ廃止セラレ候儀ニ相成一同ノ痛苦措ク能ハサル次第ニ付、客年七月当所株主並ニ仲買人共ヨリ来ル明治廿四年六月迄営業延期ノ義上願仕候処、明治廿二年五月三十一日迄満一ケ年間延期ノ御指令ヲ蒙リ、今日ニ至ル迄継続罷在候義ニ御坐候得共、新旧興廃ノ為メニ私共被ムル所ノ損害ハ実ニ容易ナラサル義ニシテ一同痛嘆罷在候、而シテ新取引所条例モ実施上往々困難ヲ感スル廉之ナキニアラサルヲ以テ未俄ニ仲買人共営業ヲ彼レニ移ス能ハサル事実モ有之候ニ付、何卒民間ノ状態深ク御洞察ノ上最前上願ノ通名古屋株式取引所営業満期乃チ明治廿四年六月迄営業延期被成下度奉願候、然ル上ハ株主仲買人両ツナカラ政府ノ御仁慈ニ浴シ一同ノ仕合無此上感戴仕候儀ニ御坐候
右之次第ニ御坐候間何卒特別ノ御詮議ヲ以テ願ノ通来ル明治廿四年六月迄営業延期ノ義御許可被成下度、此段一同謹テ奉上願候 以上
                東京株式取引所仲買総代
  明治廿一年             鶴岡長次郎(印)
                    片桐起太郎
                    井上兵蔵(印)
                    諸葛小弥太
                    天矢正剛(印)
                東京株式取引所株主総代
                    岡本善七(印)
                    平松甚四郎(印)
                    山中隣之助(印)
 - 第13巻 p.611 -ページ画像 
                    平沼専蔵(印)
                    渡辺治右衛門(印)
    農商務大臣 伯爵 井上馨殿
(朱書)
願之趣特別ノ詮議ヲ以テ来ル明治廿四年六月三十日限リ営業延期ヲ聞届ク
  明治廿一年十月三日 農商務大臣 伯爵 井上馨


第二一回半期営業実際考課状[半季営業実際考課状] 第四頁 明治二一年自七月至一二月(DK130059k-0016)
第13巻 p.611 ページ画像

第二一回半期営業実際考課状[第二一回半季営業実際考課状] 第四頁 明治二一年自七月至一二月
                 (東京株式取引所所蔵)
       東京府下日本橋区兜町四番地 東京株式取引所
    ○営業事務ノ事
一当取引所株主総代渡辺治右衛門外四名同仲買総代天矢正剛外四名ヨリ農商務大臣閣下ヘ宛テタル当取引所営業延期ノ上願書ニ当取引所頭取ノ副申書ヲ付シ、七月三十日東京府庁ヲ経由シテ農商務省ヘ進達セル上願書ニ対シ、十月三日ニ至リ大臣閣下ヨリ特別ノ御詮議ヲ以テ来ル明治廿四年六月三十日限リ営業延期聞届ク旨ノ御指令ヲ付セラレタリ、仍テ翌四日之ヲ東京府庁ヘ開申セリ



〔参考〕世外井上公伝 第四巻・第六三―七八頁 〔昭和九年五月〕(DK130059k-0017)
第13巻 p.611-614 ページ画像

世外井上公伝 第四巻・第六三―七八頁〔昭和九年五月〕
 ○第八編 第一章
    第五節 取引所問題
 「井上伯の未だ宮中顧問官に官するや、世人は信ずらく、伯はブールス賛成者なりと。然るに一度農商務に就くや、伯は忽ち非ブールス家たるの真相を示したり。」とは、曩に公に対する一部の論評として掲げた所である。世人の信ずる所の公がブールス賛成者であるといふ言の当否は姑く之を措き、当時このブールス問題は経済界に於て頻りに論議せられ、その決著如何によつてはその影響する所実に甚大なものがあつた。それを公はブールス反対の意見を以て之を処理し、無事にこの問題を解決して経済界の混乱を免れしめたのである。
抑々この問題は十九年九月頃にその端を発してゐる。先に十一年五月に定められた株式取引所条例は、取引所の設立を株式組織としたものであつたが、年と共にその弊が生じて来たので、政府はこれを矯正しようとして欧米に於ける事情を研究調査する所があつた。十九年に至つて政府はその組織を一変して会員組織とするとの説が漸く世に伝播されたので、既設各取引所の株式は非常な打撃を被り、その価格が暴落して、株式市場は頗る恐慌に陥つた。かくて二十年五月に所謂ブールス条例が発布された。こゝに於て旧条例によつて設立した各取引所は、その営業が満期に至れば当然廃滅に帰することとなつた。新条例発布後政府は東西の有力な実業家を勧誘し新取引所の設立を促したので、大阪の藤田伝三郎の如きは主としてその創立を斡旋し、紳商を網羅して発起者とし、各種の商業家を加入させて役員を選任し、市場を堂島三丁目に建設して開場準備を急いでゐた。大阪に於ける新取引所の創立がかくの如くであり亦各地に於ても漸次その歩を進めて来た
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ので、旧取引所側は非常に狼狽した。かくて東西各取引所は互に連繋して反対運動を試み、時の東京株式取引所頭取河野敏鎌は建議して、新定の取引所条例は変革急激で、実情に適応しないものであることを訴へ、且つその営業期限の繰延を稟申した。政府もその事情を酌量し二十二年五月迄満一箇年の営業延期を允許することにした。併し新取引所条例は依然として存在するので、若しその儘で経過すれば、東京株式取引所はその営業満期に至つて之を解散し、更に新条例に従つて新組織の取引所を設けねばならぬ。而も一方に於ては既に新条例によつて、取引所の設立許可を得たものが、右に述べた大阪の藤田等を始め、全国を通じて十箇所の多きに達してゐたので、此等の多くは種々の支障によつて取引を開始する迄に至つてゐなかつたものの、東京株式取引所を始め旧組織の取引所側の打撃が増すのみであり不安が一層募るのみであつた。
 公が農商務大臣となつた頃の取引所問題は、右のやうな状態であつた。公は予て新取引所条例が発せられる際、「其趣意ハ良なれども、之を今日に新設せしむる時は、旧取引所の始末は如何するぞ。」との説を唱へたことがあるので、旧取引所の連中は公に請願して来る二十二年五月三十一日を以て期限とされた営業年限を、延期して貰はうとした。当時東京に於ける新旧取引所の間は既に和解し、延期請願に一致してゐたが、大阪に於ては大いに事情を異にし、新取引所を実地設立に著手してゐたので、東京に延期請願の事あるを耳にし、理事長藤田伝三郎を上京せしめて、飽くまで条例の趣旨を貫徹して旧取引所の延期を喰止めようとした。然るに大阪の旧取引所関係者は、藤田の上京を聞くや、続いて株式取引所よりは磯野小右衛門を、米商会所よりは玉手弘通を上京せしめて、藤田の運動を沮止し、且つ東京株式取引所に応援させることにした。かくて新旧両取引所の運動者は、右より左より公に迫り、公が磯部に赴けば之を追うて磯部に到り、公が鎌倉に転ずれば亦鎌倉に従ひ、公の暑中休暇もこれが為に犠牲に供せねばならなかつた程請願運動に悩まされた。依て公はこれを処置するため、九月十日に農商務省に谷元道之・中野武営・中村道太・小川為次郎・渋沢栄一・大倉喜八郎・藤田伝三郎・田中太七郎・磯野小右衛門・西村喜三郎・奥田正香等を招きて懇話する所があつた。この会合は各自より意見を徴して是非の決著をつけようとするものではない。取引所問題の為に差当り非常の困難に陥つてゐるのは藤田であつて、如何すればこの目下の困難を救ひ得られるか、その方便を発見しようとしたもので、公が事件の真相に触れ、政府の意嚮のみで圧服的に処置することを避け、取引所関係者と懇談的に処理しようとしたのである。当日、渋沢は出席しなかつたが、他は孰も出頭して意見の交換が行はれた。席上公の試みた談話は、公が所謂ブールス問題に対する意見を明かにしたばかりでなく、公が事件の真相に直面して処理せんとする施政の態度を知ることが出来る故、その要点を摘記しよう。
   ○摘記ノ部分ハ、前掲「中外物価新報」記事ノ中、本巻第六〇二頁上段第一行「元来………」ヨリ第六〇四頁上段一七行「………大要なり」マデト同ジニツキ略ス。
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以上は、取引所問題に関する公の意見の大要であるが、公はこれと共に、この始末をなすに当つても自治の精神に基づく要あるを説き、そして尚、「夫のブールス一条に付てハ、当省も困り、大阪取引所則ち藤田も困り、又現在大阪の株式も困るといふ有様なり。而して当局者たる予に於てハ、前に言ふ意見を懐きたるために、大阪取引所ハ開業の運びをなすこと出来ず。然る時ハ前々よりの行掛りを以て、当省に向つて苦情を鳴らす。実に困つたものなり。唯幸に東京ハ右に関する準備もせざるに付、苦情を訴ふるに至らざるのみ。就てハ本日来会の諸氏に於て、何とか適当の方案を考へ出し、一同熟議の上、大阪の始末方を付けられんことを。尤も此際諸氏の間に彼我の区別ありて、我れハ現在相場所方、否予ハ新取引所の人抔と云ふ偏見ありてハ然かるべからず。只々官民一致して差迫りたる困難を解くと云ふことに相談を押し進められん事こそ望ましけれ。但し予ハ此事に付、コウせよ、アヽせよと云ふ如き命令ハ毛頭下すにあらず。予が農商務大臣の考案を以て之を処置せバ、実に易々たるものなれども、前言の如く斯る処置ハ実業者を追ひ廻す事にして、予の本旨に背くことなれバ、特に諸子を煩ハして其熟議を請ふ次第なり。」井上侯爵家文書と述べてゐる。かく全く権勢によらず実状に即せんとし、胸襟を披いて懇談した態度は、農商務大臣として曾て見ざる所にして実に円熟した手法といふべきである。こゝに於て一同は公の趣意に従ひ、和衷協議を重ね、大阪新取引所は暫く設立を中止し、旧取引所の延期を黙視することに決し、その代償として大阪新取引所設立に要した費額一万六千円を東京・大阪両旧取引所より共同支弁することに内定した。
 かくて藤田・磯野等は帰阪して株主総会の承認を得、右の内定事項を履行することになつたので、紛紜も漸く解決し、決議の趣を公に上申して旧取引所営業延期を請願に及んだ。公がこれに対する許可の方針は、十月一日に各省大臣の廻覧に供した左の意見書に詳かである。
    米商会所及株式取引所営業延期ノ件公文雑纂
  米商会所・株式取引所ノ義、曩ニ閣議ヲ経、其本年中ニ営業満期ヲ告グルモノニハ各一ケ年ノ延期ヲ許可シ候処、其後東京・大阪ヲ始トシ、各所相続テ再ビ延期ヲ願出候ニ付、之ヲ審按スルニ、客年発布相成候取引所条例又細則規約ハ往々干渉ニ過ギ、実際ニ適セザル廉少カラズ。商業ヲ開暢セント欲シテ、却テ之ヲ阻格スルノ虞アルハ米商株式両所ノ者ノミナラズ、新取引所ノ創立ニ従事スル者モ亦比々其改正ヲ請求スルニ由テ視ルモ瞭然ニ有之、若シ強ヒテ之ヲ行ヒ、人民ヲシテ曲従セシメバ、其極法ニ触レ規ニ戻ル者相踵グニ至ルハ必然ノ勢ニシテ、取引所条例ヲ設ケラレタル旨趣モ亦竟ニ水泡ニ帰スルヤモ難測。就テハ之ガ改正ヲナシ、真ニ衆商共同自営ノ市場タラシメ、交通ノ道ヲ便ニシ候義緊要ト存候。然ルニ其改正ヲナスニハ、広ク当業者ニ諮ヒ、深ク事情ヲ察セザレバ其宜キヲ得難ク、是ガ為若干ノ年月ヲ要シ、到底既ニ許可シタル営業期限マデニ新旧両取引所接続ノ運ニ至リ兼可申、且此条例ノ変更ニ由リ旧会所及取引所ノ損害ヲ蒙レルハ今更喋々ヲ俟タザル所ニ候得バ、可成其損害ナカラシメンコトヲ勉ムルハ政府ノ責任ニ可有之、
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尤モ其損害ノ有無ニ拘ラズ、急ニ閉業セシメザルベカラザルノ理由アルニ於テハ致方無之候得共、別段其理由モ不相見、旁之ニ若干年ノ延期ヲ仮シ、其間新取引所条例規則ノ改正ヲ謀リ、又旧会所取引所ヲシテ自ラ其損害ヲ弁済セシメバ、一ハ新取引所ノ興立ヲ完全ニシ、一ハ旧会所取引所ノ廃止ヲ円滑ニシ、一挙両得ト存候。因テ現在米商・株式両所中営業期限最遠キモノ、即チ明治二十四年六月ヲ以テ最終ノ期トナシ、既ニ延期ヲ出願セルモノ及今出願スル者ハ皆其月限ノ延期ヲ許シ、其満期ヲ以テ旧ヲ廃シ新ニ移ラシメ以テ其局ヲ完了セントスルノ意見ハ、九月十四日、内閣ニ於テ陳述致置、各位ニ於テモ既ニ御悉知トハ存候得共、尚為将来其理由ヲ開陳シ書面ヲ以テ供貴覧置候也。
  明治廿一年十月一日 農商務大臣 伯爵 井上馨
    内閣総理大臣 伯爵 黒田清隆殿
この意見書は内閣の承認を経て閣議を通過したので万事公の予期の如く纏つた。そこで公は同月三日に東京株式取引所頭取谷元道之・東京米商会所頭取中村道太・同所肝煎小川為次郎・大阪堂島米商会所頭取玉手弘通・名古屋米商会所頭取松沢与七等を農商務省に召集し、特別の詮議を以て二十四年六月三十日まで営業延期の許可を与へた。
 二十二年六月に公は商務局次長南貞助を海外に派遣して、各国取引所の実況を調査せしめ、又東京の新旧両株式取引所に慫慂して、視察員を英・米・独・仏等に派遣せしめた。その調査完了して帰朝したのは、二十三年八月頃であつて、公が既に農相を辞した後であつた。その調査を参考して我が国の新取引所条例の成案を得るまでには相当の歳月を要するので、同九月に政府は更に旧株式取引所に二十七年六月迄の営業延期の許可をした。かくしてさしも紛争を極めた同問題も、公の英断によつて数年後には円満に落著を見るに至つたのである。
井上侯爵家文書・伊藤公爵家文書・公文雑纂・明治商工史・伊藤博文秘録


〔参考〕自明治十一年至同四十年沿革及統計 (東京株式取引所編) 第九―一一頁〔明治四一年一一月〕(DK130059k-0018)
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自明治十一年至同四十年沿革及統計 (東京株式取引所編)
                     第九―一一頁〔明治四一年一一月〕
    東京株式取引所ノ起原及沿革
○上略
当時偶々欧米取引所ノ組織ニ倣フテ「ブールス」設立ノ風説漸ク世ニ伝播セシヨリ当取引所及横浜株式取引所・東京米商会所株式ノ如キハ其影響トシテ価格大ニ動揺シ市場殆ント恐慌ノ状ヲ呈セリ、斯クテ翌明治二十年五月ニ至リ新定取引所条例発布セラレ、旧条例ニ遵拠シテ設立シタル取引所ハ各其営業満期ニ至リ廃滅スルコトヽナレリ、是レ実ニ我株式取引所ニ向テ一大打撃ヲ与ヘタルモノナリ
然ルニ時ノ頭取河野敏鎌氏ハ新定取引所条例ハ変革急劇ニ失スルカ為メ株主ト仲買人トニ非常ノ損害ヲ蒙ラシメ、取引所ノ営業ニ多大ノ激変ヲ与ヘ従テ市場ノ取引ヲ撹乱スルノミナラス、会員組織ノ取引所ハ本邦ノ商習慣ニ背戻シ人情風俗ニ適応セサルモノナルカ故、斯ル急劇ノ変革ハ力メテ避ケサル可カラサルコトヲ当局者及ヒ一般社会ニ訴ヘ併セテ我取引所ノ営業期限ヲ明治二十四年六月迄延期センコトヲ稟申
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スル等大ニ尽ス所アリシ、其結果時ノ農商務大臣黒田伯ハ其事情ヲ酙酌シ願意ノ幾分ヲ採納シテ二十二年五月迄満一ケ年間営業延期ヲ允許セラレタリ、是レ実ニ明治二十年十月ナリトス
○中略
明治二十年五月発布ノ取引所条例ニ遵拠シテ設立ノ許可ヲ得タル取引所ハ東京・大阪其他通計十箇所ノ多キニ達シタルモ、実際上種々ノ支吾ヲ生シ、且ツ危険ヲ慮リテ取引ヲ開始スルニ至ラス、実地開業シタルモノハ僅ニ神戸及ヒ佐賀ノ両取引所ノミナリシ、状況斯クノ如クナルヲ以テ二十一年七月井上伯入リテ農商務大臣トナルヤ、取引所問題ニ就テハ一層攻究ノ必要アリトシ、同年十月更ニ我取引所ニ向テ二十四年六月迄営業延期ヲ許可セラレタリ
明治二十二年六月我政府ハ取引所問題調査上参考ノ為メ時ノ商工局次長南貞介氏ヲ海外ニ派遣シテ各国取引所ノ実況ヲ視察セシムルコトヽナリ、同時ニ東京ノ新旧取引所モ亦相当ノ人ヲ派出シテ調査ヲ遂ケシムヘキ旨ノ訓諭ニ接シタルヲ以テ、東京株式取引所即チ新取引所ハ発起人中ヨリ小川為次郎氏ヲ、我取引所ハ肝煎相良剛造・株主総代小野友次郎ノ両氏ヲ派出シ、両氏ハ英・米・独・仏等重ナル取引所ノ実況ヲ視察シ、翌二十三年八月前後ニ於テ共ニ帰朝シタリ
既ニシテ政府ハ取引所改善ノ調査ニ着手セラレタルモ其功容易ニ挙ラス、然ルニ一方ニハ我株式取引所ノ営業年限漸ク満期ニ迫ラントスルヲ以テ二十三年九月九日、尚二十七年六月迄三ケ年延期ノ願書ヲ提出シ、翌十日ヲ以テ農商務大臣ノ允許ヲ得タリ、但シ本願ヲ為スニ付テハ取引所営業上改善ノ条項トシテ左ノ数件ヲ附セラレタリ(第一)取引所ニ仲裁機関ヲ設クル事(第二)明治二十四年七月以降仲買人身元保証金ヲ弐千四百円(従前ハ四百円)ニ増加スル事(第三)毎決算期ニハ通常積立金ノ外ニ利益金十分ノ二ヲ別途ニ積立ツル事(第四)当取引所ノ株式ヲ市場ニ於テ売買セサル事(第五)各種売買約定ノ平均相場ヲ定ムル方法ヲ改正スル事等即チ是ナリ
○中略当時世間可否ノ議論囂々タリシ夫ノ会員組織取引所問題未タ決定ニ至ラサルカ為メ、各取引所前途ノ運命如何ヲ慮リ為メニ人心大ニ動揺シタルノ結果相場ニ乱調ヲ及ホスノ傾向ナキニアラス、大江卓氏頭取ニ就職スルヤ深ク之ヲ憂ヒテ速カニ穏当適切ノ処分アランコトヲ計リ、屡々各地同業者ト会同商議シテ大ニ尽ス所アリキ
明治二十五年十二月政府ハ取引所法案ヲ帝国議会ニ提出シ、議会ハ翌二十六年二月ニ於テ之ヲ協賛シ、尋テ三月三日法律第五号ヲ以テ公布セラレ、同時ニ従来ノ米商会所条例・株式取引所条例・取引所条例等ハ同日限リ全然廃止セラル、是ニ於テ多年経済社会ノ一大問題タリシ難件モ亦始メテ終局ヲ見ルニ至レリ
我取引所ハ新定ノ取引所法ニ遵拠シテ、更ニ定款及ヒ営業細則ヲ改定シ、同時ニ資本金ヲ参拾万円(従前ハ弐拾万円)ニ増額シ二十六年八月五日ヲ以テ営業継続ノ認可ヲ得、同十月一日ヨリ新法ノ下ニ其業ヲ開始シ又役員ハ株主総会ノ決議ニ依リ総テ旧役員ヲ以テ之ニ充テ其互選ヲ以テ大江卓氏ヲ理事長ニ推挙シタリ
○下略