デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
5款 大阪堂島米商会所
■綱文

第14巻 p.234-236(DK140020k) ページ画像

明治13年2月-3月(1880年)

紙幣ノ濫発ニ伴ヒ米価ノ騰勢甚シキヨリ、五代友厚等政府ノ意ヲ受ケ大阪堂島米商会所ニ於テ定期米ノ売抑ヲ試ミシモ失敗ニ終リシコトアリ。栄一モ之ニ関与セルカ。


■資料

東京経済雑誌 第四八号・第一〇八三―一〇八五頁〔明治一三年一二月二五日〕 【○去る十五日午後二時…】(DK140020k-0001)
第14巻 p.234-235 ページ画像

東京経済雑誌 第四八号・第一〇八三―一〇八五頁〔明治一三年一二月二五日〕
○去る十五日午後二時堂嶋米商会所頭取芝川又平・副頭取玉手弘通・理事角田富三郎の三氏は、大坂裁判所撿事局より拘留となり、同所の米商浜崎伊七・松下庄太郎は帳簿を徴集されたるが、此事件は本年三月堂島米相場の乱高下なりたる時同会所は規則に照らして相場を中止し売買双方より増証拠金を取りたるに、買方はその証拠金を出す能はずして身許金を没収されしものを不当の処分なりとて大阪裁判所へ出訴せしに、原告の申分立ず、依て代言人小島忠里氏に委任して上等裁判所に扣訴せしも同じく申分相立ずとの裁決を受けたれば、小島氏は之を不当とし大審院へ上告せり、然るに同院に於ても遂に上告状を却下せられしかば、原告方は代言人茂手木慶信氏と謀り堂島にて日々の相場気配状を印刷する二三の者に依頼し中止当日の気配状中に記載ある中止時間を故らに改ためさせ、猶規則改正済ありし時間を米会所より増証拠金云々の掲示をなせし時間より後れたる体にこしらヘ、是を原告方へ受取り則ち証拠ものとして撿事局へ差出したるより漸く受理せられて、米会所役員を取調らべありしに、米会所にては該気配状の真正ならざるを覚り、之を当日発兌の分に照し各地方へ存在せしものをも取寄せますます偽物たるを認め直ちに発兌人に就て尋問せしかば発兌人は遂に原告方の依頼を以て故らに印行し遣わしたる旨の書面を出したるより会所役員は其段撿事局へ申立し趣き、右に依て同局にては其時間の前後実際を取糺さるゝが為め斯くは着手ありしならんか、また同時に、社長本庄氏の宅へも何等御見合せの為めにや書類臨撿として大阪府警察御用掛岡田某外二名出張され、堂嶋諸問屋よりの相場報告書並に東京・兵庫・久留米等の来信中米の字の付たるものと、瓊江義塾にて昨年冬至易に天下の形勢を占筮したる書付とを取纏めて持帰られたりと大坂新報に見ゆ、又た大坂日報の記する所によれは、堂島米商会所頭取芝川・副頭取玉手・理事角田の三氏か許多の人を苦しめし報ひ終に撿事局へ拘留せられたる始末は、去る九月代言人茂手木より芝川等を相手取り撿事局へ告訴せし砌り本紙に掲載したれども、尚ほ此に関したる事柄を記し彼の奸譎の徒をして其肝胆を寒からしめんとす、芝川外二人の撿事局へ拘留せられたるは午後三時頃にて警察本署よりは同時に探偵吏を諸方に派出せり、抑も本年三月彼米相場の乱高下を為さしめ遂に今日の獄を起さしめたる者は五代友厚・本荘一行氏等の計に成り、殊に五代氏の意を承け尤も力を尽し尤も利を得たるは本荘一行氏にして、芝川等は五代・本荘の意に成りたる改正申合規則を執行し、其規則によりて五代・本荘等売方の狡計譎謀を逞ふせ
 - 第14巻 p.235 -ページ画像 
しめ、他の一方の金を捻ぢ取て其慾を厭かしめたるなり、左れど責は元帥に在り、公許会所の頭取役員にして如此事あらしむる者は争てか之を逃るゝを得ん、進んて売方の奸黠手段と乱高下を致したる始末を記さんに、彼の五代氏等の仲間は本年一月以来頻りに三月限りの米を売出したるに、米価は売れば売る程登貴し其失敗容易ならざる勢なるより、五代氏は堺県下商法会議所の議員等に説き援兵となし、堂島にては仲買人某等を引き込み益々売出さしめたれとも紙幣下落に付て米価の高直なれば俄かに売り下くへくもあらず、又正米を買入れ三月限は現米にて受渡さんと計り現米買入に着手したれとも、当時府下には三四万石よりあらず、売出の高に対して四五分一にも足らざれば此計も出来可くもあらす、是に於て又一策を按出し、本荘は申合規則改正追加の按を草し窃かに五代其他の売方と相議し五代・広瀬二氏は早くも府下の銀行へ手を廻し廿五日以後の入金は悉く日歩を附して縛り置き、五代等は斯く其用意を十二分に整へ廿九日の早天より寄付八円三十銭より売出し竟に六円五十銭まで引下たり、左れとも買方数十名は尚屈せす撓まず買込たるが、兼て本荘と打合せたりけん時分はよしと此会所は今日乱高下は穏かならざるなりとし相場を中止し、彼の改正規則に依て買方を一撃の下に失敗せしめたりと」又大坂の或局より東京の其筋へ電報を以て当時当地にある五代友厚氏呼出しの儀を掛け合はれしよし」右に付きては随分関係人も有之、中には逃け匿れして身を晦ますものもある由に聞けり、何れにせよ近頃の一大事なり、然るに諸の風説区々紛々にして未だ確たる報道を得ざれば猶詳しき事は聞き得て後に記すべし


団々珍聞 第一五五号 〔明治一三年四月一〇日〕 安猫女三絃の調子を合す(DK140020k-0002)
第14巻 p.235 ページ画像

団々珍聞 第一五五号 〔明治一三年四月一〇日〕
    安猫女三絃の調子を合す
「栄ちやんが渋い声で孝ちやんが益々三味せんの調子を附けても、堂島仕入の唄は二上りて面白くないから三下りより四下りに為様と思つてネエ友ちゃん「ホンに五つもとは規則を変へ、三人が調子を合せて遺たんだけれども三下りには何様しても成らないんだヨ、夫だから四限りを切らしては往けないンだか百性のお客が脹れた懐中を売ないから自烈たい程困るんだワ、最かう成ちやあ四限りにおせじを売つて売つて売たふし、仮令去年のお座しきの儲けが安部こべに損と成うが罰金を取られ様が後前構はず大安売をしてお客を引かなけりやあ成らないンだヨ、まづまづ最が済んだら百性のお客は甘口に見えても空米ネエ


日本取引所論 (田中太七郎著) 第一〇二―一〇四頁 〔明治四三年三月〕(DK140020k-0003)
第14巻 p.235-236 ページ画像

日本取引所論 (田中太七郎著) 第一〇二―一〇四頁 〔明治四三年三月〕
 ○第二章 沿革
    第三十節 西南戦役後ニ於ケル経済界ノ乱調
明治十年西南ノ乱起ルヤ、政府ハ之力軍費ヲ支弁センカ為メ一億余万円ノ不換紙幣ヲ発行シタルト是ヨリ曩キ国立銀行条例ノ改正ニ依リ数千万円ノ不換銀行紙幣ノ発行アリシ為メ忽チ物価ニ影響シ、十一年頃ヨリ漸次物価ノ昂騰ヲ現ハシ、輸出入貿易ハ権衡ヲ失シテ正貨ノ流失
 - 第14巻 p.236 -ページ画像 
夥シク、漸ク其欠乏ヲ告クルニ至リテ一円金貨ハ紙幣二円以上ニ価ヒシ、一円銀貸ハ紙幣一円五六十銭ニ価ヒスルニ至レリ、随テ戦役前ニハ五円台ナリシ米価モ明治十三年ノ交ニ至テハ十一円台ニ騰貴セリ、而シテ斯ノ如ク物価変動ノ甚シキ時代ニ際シテ投機売買ノ熾盛ヲ来スハ自然ノ情勢ナレハ、米ト金銀貨トノ別ナク定期市場ハ非常ノ旺盛ヲ現ハセリ、是ニ於テ政府当局者ハ以為ラク、銀米ノ騰貴ハ紙幣濫発ノ結果ナリトスルモ、投機者流カ勢ニ乗シテ頻リニ買煽ルカ如キモ亦必ス其一大原因タラスンハアラスト、是ヨリ大ニ投機売買抑圧ノ政策ヲ行フニ至レリ、当時大阪商界ノ牛耳ヲ取レル五代友厚氏ハ某々紳商等ト相謀リテ政府ノ意ヲ迎ヘ、明治十三年二三月ノ交堂島定期米ノ売抑ヘヲ試ントシ、其売込高数十万石ノ多キニ上リシモ市場ハ益々反抗ノ状ヲ呈シ相場ハ愈々騰貴シテ底止スル所ヲ知ラス、為メニ非常ノ苦境ニ陥リシヨリ会所役員(当時磯野氏等ハ已ニ辞職シテ会所ノ実権ハ五代派ノ手ニ移リ芝川又平氏頭取ニ任シ玉手弘通氏副頭取「後頭取トナル」ニ兼松房次郎氏肝煎トシテ、常務ヲ執レリ)ニ嘱シ売買ヲ中止シテ臨時増証拠金ノ差入ヲ命シ、買方ヲシテ金融ニ窮迫セシメ解合ノ手段ニ依テ辛フシテ多大ノ損失ヲ免カルコトヲ得タリ、斯ノ如キ状勢ナルヲ以テ軈テ売買ノ中止ヲ解クヤ相場ハ倍々奔騰シテ止マサルヨリ、同年四月政府ハ全国取引所ニ命シテ金銀貨ト共ニ米ノ定期売買ヲ停止スルニ至レリ
 因ニ云フ当時政府ハ米価ノ平準ヲ計ル為メ大蔵省内ニ常平局ヲ設置シテ毎ニ米穀ノ売買ニ関係セリ、常平ノ方法ハ米価ノ廉ナル地方又ハ時期ニ於テ多額ノ買入ヲナシ、之ヲ高価ナル地方又ハ時期ニ売出ニアリ、故ニ多ク九州又ハ東北ノ如キ産地ニ求メテ大阪・東京ノ如キ消費地ニ放出シ、時トシテハ外国ニ輸出スルコトモアリシナリ、而シテ当時各米商会所ハ此常平局ノ管理ニ属セリ