デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
25節 取引所
6款 東京商品取引所
■綱文

第14巻 p.249-264(DK140024k) ページ画像

明治27年10月1日(1894年)

農商務省ノ施策宜シキヲ得テ、協調裡ニ東京商品取引所開業ス。栄一開業式ニ列シテ祝辞ヲ述ブ。又栄一、友人ノ依頼ヲ受ケ、同所株主タリシコトアリ。


■資料

青淵先生六十年史 第二巻・第三一七―三一八頁 〔明治三三年二月〕(DK140024k-0001)
第14巻 p.249 ページ画像

青淵先生六十年史 第二巻・第三一七―三一八頁〔明治三三年二月〕
 ○第五十一章 取引所
    第二節 商品取引所
明治二十七年奥三郎兵衛・浜口吉右衛門・柿沼谷蔵等東京商品取引所ヲ創立ス、青淵先生友人ノ依頼ニヨリ其株主タリ、後チ之ヲ止ム、同取引所ハ塩・雑穀・砂糖・油・肥料・綿糸・棉花・木綿・金属・蚕糸等ノ取引ヲナスモノナリ


中外商業新報 第三七七七号 〔明治二七年一〇月二日〕 ○東京商品取引所の開業(DK140024k-0002)
第14巻 p.249-251 ページ画像

中外商業新報 第三七七七号 〔明治二七年一〇月二日〕
 - 第14巻 p.250 -ページ画像 
    ○東京商品取引所の開業
府下有名の実業家諸氏が経営苦心して成りし東京商品取引所は愈よ昨一日の吉辰を卜してその開業式を行へり、客春取引所法の発布あるや本邦西部の商業中心市場と目せられたる大阪を始め横浜に神戸に全国到る処の要地に於て各種商品取引所の設立を見るも、本邦東部の商業中心市場たり、而も我商業社会の覇権を握れる東京市に於て未だ商品取引所の設けなかりしは吾々の窃に遺憾とする処、而して東京商品取引所創設の計画成るを聞くやその開業の期到るを待つものこゝに久し然るに今やこゝにその開業の祝典を挙ぐるに逢ひ始めて我商業中心市場の機関具はるに至る、吾々は東京商品取引所の開業を祝すると同時に我商業中心市場の機関具はり各地商品取引所と呼応関聯しその機関の効用愈よ大なるものあるを賀せずんばあらず
偖当日は両三日来の淫雨濛々として晴れ遣らざるにも拘はらず、予ねて定めの時刻到れば、榎本農商務大臣・金子同次官・山県東京府書記官・渋沢東京商業会議所会頭等を始め重なる銀行会社及取引所役員等六百有余名の来賓車を聯ねて参集し、午後一時を以て設けの式場に於て開業の祝典を挙行す
    祝典
同商品取引所理事長銀林綱男氏先づ開業の式辞を陳ぶ、右式辞畢はるや榎本農商務大臣は場の中央に進んで祝辞を述ぶ
 本日東京商品取引所開業式を挙けらるゝに方り特に余の臨場を需めらる、余欣然需に応じ此の好機を利用し聊か一言を陳べて以て祝意を表し併せて所員諸子に告ぐる所あらんとす、夫れ取引所は売買物件需用供給の関係を極めて敏捷に極めて円滑に調和包含して市価の標準を立る所にして物件の売買上実に緊要欠くべからざるの機関たり、客歳十月取引所法実施以降各地相競ふて各品の取引所を設立し目下全国中既にその業を開きたるもの八十三箇所の多きに至り、為に滞貨を融通し商機を円滑にし公衆に便利を与ふること実に尠からず、然るに東京市は全国の首府にして百貨輻輳の区たるに拘はらず単に米穀・株式の二取引所あるに過ぎざりしが、今や諸子の尽力に依り更に東京商品取引所を設立し、塩・砂糖・油・肥料・綿糸・綿花・木綿・諸金属・雑穀等重要物品の売買取引を開始するを見るに至れるは我実業上の為め洵に慶賀すべきに属す、凡そ此九品の如きは何れも人生必需の物件にして日常多額の売買取引を要すものたるは固より論を俟たざるを以て、必ずや諸子にして諸法例を恪遵し其運用を誤ることなくんば啻に商工業の発達を裨補し社会に一大便益を与ふるのみならず全国各取引所の模範となるに至るべし、此れ蓋し諸子の希望する処なる可く而て余の祝意を表する所以も亦実に此に存せり、然りと雖も取引所員の所為は取引所の損失公衆の利害に関する所極めて大にして、加ふるに利のある所は即ち弊の存する所たれば、余は偏に理事者の能く意を此に留め鄭重事に従い確実に其本務を執行せられんことを望む、方今軍国多事費用不貲、聖語に所謂益生殖を進め以て富強の源を培ふは誠に目下の急務にして実業者諸子は実に直接に其衝に当るものたり、諸子其れ奮発興起以て邦家
 - 第14巻 p.251 -ページ画像 
の為に竭す所あれよ
尋で三浦府知事の演辞(山県書記官代読)あり、夫より渋沢商業会議所会頭の懇篤なる演辞、米倉米穀取引所理事長、原横浜蚕糸外三品取引所理事長及発起人総代・仲買人総代等の祝詞あり、畢はりて銀林理事長場の中央に進んで謝辞を陳べこゝに目出度開業の式を終る
    初立会
目出度開業の式を終る――やこゝに綿糸・木綿・金属・砂糖・油・棉花・雑穀等順次に九種の初取引を行ふ、その立会の巧拙は暫らく之を問はず、売買双方とも入り乱れて声勇ましく手を振りその取引の盛んなる、多くの来賓をして思はず同取引所の繁盛を謳はしめたり、午後四時目出度その初立会を畢はるや、来賓一同を柳橋の亀清・柳光亭、向両国の中村楼等に導きて盛宴を開き、余興として落語・手踊り等あり、各自興を尽して退散せしは同八時過頃なりし


中外商業新報 第三七七八号 〔明治二七年一〇月三日〕 ○商品取引所初立会の相場概評(DK140024k-0003)
第14巻 p.251-253 ページ画像

中外商業新報 第三七七八号 〔明治二七年一〇月三日〕
    ○商品取引所初立会の相場概評
御祝儀商内の相場は高きに定まりし者、されば東京商品取引所初立会の相場に就てその高低を評するは稍や早計に失するの譏ありと雖も、都鄙一般の実業者が同取引所に重きを置くだけそれだけその相場にも亦注意する処あるを以て、初立会終りを告げその相場の広く世に伝播するや、之に就てその高低を評するの声は到る処各種商估の間に起れり、その評の当れるや否やは素より吾々の保する処にあらずと雖も、暫くその聞くがまゝを掲げて明日以後の立会相場にその当否を卜せんと欲す
  (一)砂糖
 和黒一等新甫十二月限寄付四円四十三銭、同引四円五十銭
 和白一等新甫十二月限寄付八円四十五銭引
 外国赤二等新甫十二月限寄付四円六十銭、同引四円五十銭
 香港再製一等新甫十二月限寄付五円六十銭
 評 何れ至当の相場にして実際露盤より割出したるものなるが如くこの相場にては売るにも買ふにも一番思案ものなり
  (二)木綿
 甲三河十月限三十二銭五厘引、乙三河十一月二十銭三厘引
 甲埼玉十一月限三十五銭五厘引、乙埼玉新甫十二月限三十銭引
 評 先づ至当の相場なり、されども仲買口銭だけは高し
  (三)油
 地廻種水新甫十二月限九円三十五銭引
 地方種水新甫十二月限九円四十五銭引
 和石油新甫十二月限一円六十銭引
 石油ホーキ新甫十二月限一円八十一銭引
 同チヤスター新甫十二月限一円八十一銭引
 同錙新甫十二月限寄付一円八十一銭、同引一円八十二銭
 同扇新甫十二月限一円七十六銭
 評 流石は従来売買取引所に慣れたるもの他に大に原因あるにあら
 - 第14巻 p.252 -ページ画像 
ざれば敢て明日以後に変動を見るが如きことなかるべく、尤も地方種水の相場こゝに維持せんには或る手筋は売出さん、又石油錙印この相場に売るものあれば或る手筋は買を試むるに至ることあるべし
  (四)綿糸
 左二十手新甫十二月限八十七円引
 左右二十手新甫十二月限八十六円引
 評 御祝儀商内としても何としてもこの相場はその当を得ず、既に同日大阪糸綿木綿取引所に於ける三軒屋二十手新甫十二月限は八十三円六十銭の安直なり、一俵二円四十銭の差異は高き運賃を払ふて遠く大阪より売掛るも多分の利益あり、現に一昨日同地にこの高値の入電あるや続々或る手筋に向て売注文到達するとかや、況んや府下のあらゆる手筋は此高直の買手に向つては飽迄も売掛るべし
  (五)綿花
 上海器械繰二等新甫十二月限十七円五十銭引
 評 若しこの高値に維持することを得ば或る手筋は大に売掛ることあるべし、さりとてこの二等の銘柄を国華・九華・玉芙等に限らでは到底多数の売りは出されまじ
  (六)金属
 並丁銅新甫十二月限寄付十八円九十銭、同引十九円三十銭
 評 御祝儀商内としても十八円九十銭はその当を得ず、十九円三十銭又更に当を得ず、若し之を九十銭に買ふものあらば売掛るものは定めて多からん、又三十銭に売るものあれば買ふて之を大阪銅鉄取引所に売掛るも面白し
  (七)肥料
 鰊粕三等新甫十二月限寄附二円二十五銭、同引二円三十一銭
 評 この三等は普通売買の中物にして即ち目下その建直は四貫六百目なり、されば仮りにこの寄附引直のマゼは恰も四貫三百目位に相当し之に仲買口銭を加ふるも随分高値に売買されたるものなり、若夫こゝ等にこの相場維持するを得んには遠き北海道より売注文可なり到達するに至らん歟
  (八)塩
 赤穂新甫十二月限寄付二十五円七十銭、同引二十五円八十銭
 本斎新甫十二月限寄付十六円八十銭、同引十六円九十銭
 新斎新甫十二月限寄付十六円五十銭、同引十六円八十銭
 評 御祝儀商内として愛嬌は見へず、所謂真剣の売買にして浜元より多くの売注文到達するにあらずんば、此相場は敢て変動するが如きことなかるべし、但し新斎の十六円八十銭と言ふ一ト直は大に愛嬌あるを覚ふ
  (九)雑穀
 大麦二等新甫十二月限寄付三円八十六銭、同引三円八十二銭
 評 軍馬の糧食として之を供給するものなるに過ぎざれども近時多くの需用ある今日に当りこの相場は稍や安きが如し、或る手筋はこれより十銭方高く買進まんとしたれども、斯る高直を出しては田舎にその相場伝播し、少数の取組に多数の相場を変動せしめんことを
 - 第14巻 p.253 -ページ画像 
憂ひ、これを押へてこの相場に売買したりとの噂あり、素より之れはその当を得たる商略なりと想ふ


中外商業新報 第三七七九号 〔明治二七年一〇月四日〕 ○東京大阪商品新甫売買の比較(DK140024k-0004)
第14巻 p.253-254 ページ画像

中外商業新報 第三七七九号 〔明治二七年一〇月四日〕
    ○東京大阪商品新甫売買の比較
東京商品取引所開業当日に於て砂糖・木綿・油・綿糸・棉花・金属・肥料・塩・雑穀等九品の新甫売買相場は現はれたるも、元是御祝儀商内たるに過ぎず、さればこの相場を以て業に既に定期売買に熟し又人気一定せる大阪各種商品取引所に於て生したる新甫売買相場に比較するは稍やその当を失するの嫌ありと雖も、取敢へずこゝにその相場を比較対照して以て参考の資に供せんとす、但し本場立会新甫発会売買の止相場なりと知るべし

  東京商品取引所          大阪商品取引所
   新甫発会             新甫発会
  各百斤        ○砂糖   各一斤
黒一等十二月限 四円五十銭   黒一等十二月限 五銭一厘九毛
白一等同    八円四十銭   黒二等同    四銭九厘八毛
白二等同    七円七銭       …………
香港再製同   九円六十銭      …………
赤一等同    五円十三銭      …………
赤二等同    四円六十銭      …………
  各一反        ○木綿  各百反
常磐晒十二月限  二十二銭   伊予並巾一等十二月限 十六円七十五銭
乙埼玉同     二十九銭三厘    …………
  石油一函、種油一樽   ○油  石油一函、種油一石
地廻種水十二月限 九円三十五銭 菜種十二月限  二十二円六十銭
地方種水同    九円四十五銭 石油上松同     一円八十銭
和石油 同    一円六十銭     …………
石油ホーキ同   一円八十一銭    …………
石油チヤスタ同  一円八十一銭    …………
扇印タンク同   一円七十六銭    …………
  各一俵        ○綿糸  各一俵
左右二十手十二月限 八十六円 左撚二十手十二月限 八十三円四十五銭
  各百斤          ○綿花  各百斤
上海器機二等十二月限 十七円五十銭  プローチ一等十二月限 十九円四十銭
     …………          チン子ベリー一等同  十七円六十銭
     …………          ミツドリング一等同  二十一円十銭
  各百斤       ○金属  各百斤
並丁銅十二月限 十九円三十銭 並丁銅十二月限二十一円五十七銭
              ○肥料
鰊粕三等十二月限 二円三十一銭 相場未だ立たず
  各百俵        ○塩   各十石
赤穂十二月限   廿六円八十銭 赤穂古浜十二月限 七円二十五銭
本斎同      十六円九十銭 赤穂角赤同    五円二十三銭
 - 第14巻 p.254 -ページ画像 
新斎同      十六円八十銭 東讃真塩同    五円五十七銭
  各一石         ○雑穀  各一石
大麦二等十二月限 三円八十五銭  裸麦二等十二月限 四円九十五銭
大豆二等同    八円二十銭      …………




〔参考〕明治商工史 (渋沢栄一撰) 第一一四―一一五頁〔明治四四年三月〕(DK140024k-0005)
第14巻 p.254 ページ画像

明治商工史 (渋沢栄一撰) 第一一四―一一五頁〔明治四四年三月〕
 ○第五章 経済機関の起原(男爵 渋沢栄一)
    六 株式取引所
○上略
 米穀及商品取引所 次に米穀取引所は前述せし如く初め商社と称せしが、漸次実物を売買するに至りて今日に至れるものなり、後ち商品取引所も設立せられたり、是等は予の深き関係を有せざる所なれば創立当時の事情等は今玆に述ぶることを略すべし。


〔参考〕中外商業新報 第三五六八号 〔明治二七年一月二四日〕 ○九品派専任委員榎本大臣に面陳せんとす(DK140024k-0006)
第14巻 p.254 ページ画像

中外商業新報 第三五六八号 〔明治二七年一月二四日〕
○九品派専任委員榎本大臣に面陳せんとす 九品派(一名実業派)商品取引所専任委員諸氏は本日午後一時農商務省に出頭、親しく榎本新任大臣に面謁して、商品取引所発起当初の計画より今日に至る顛末を具さに陳述する筈なりと云ふ


〔参考〕中外商業新報 第三五六九号 〔明治二七年一月二五日〕 ○九品派商品取引所発起専任委員(DK140024k-0007)
第14巻 p.254 ページ画像

中外商業新報 第三五六九号 〔明治二七年一月二五日〕
○九品派商品取引所発起専任委員 同委員は昨日農商務省に出頭、榎本新任大臣に面謁して同取引所発起当初より今日に至るその顛末を陳述し、一刀両断の処分を仰ぐべき筈なりしも都合に依り之を本日に延引せしとなり


〔参考〕中外商業新報 第三五七〇号 〔明治二七年一月二六日〕 ○九品派委員農商務大臣を訪ふ(DK140024k-0008)
第14巻 p.254 ページ画像

中外商業新報 第三五七〇号 〔明治二七年一月二六日〕
○九品派委員農商務大臣を訪ふ 東京商品取引所九品派専任委員は昨日正午より同事務所に集り、午後三時頃一同打揃ふて農商務省に至り榎本新大臣に面会を請ひし処最早退省の後なりしかば、尚本日午前十時迄に一同築地精養軒に集り夫れより農商務省に出頭し、是迄の成行を親しく陳述する筈なりと云ふ


〔参考〕中外商業新報 第三六一二号 〔明治二七年三月一七日〕 ○東京商品取引所設立許否の処分如何(DK140024k-0009)
第14巻 p.254-255 ページ画像

中外商業新報 第三六一二号 〔明治二七年三月一七日〕
    ○東京商品取引所設立許否の処分如何
後藤前農商務大臣はその職を辞するに当り各地方より競ふて出願したる米穀及諸商品の取引所は大概その設立を許可したり、当時皆な同大臣の処分に驚かざるはなかりし、然るに同大臣は斯る勇決果断を以てその設立許可の処分をなしたるに拘らず独り東京商品取引所設立許否の処分に至りては敢て之を問はずしてその許否を決せざりし、こゝに於てか吾輩その勇決果断に驚くと同時に又大に之を疑ふ
後藤大臣既に去り今の榎本大臣その後任を襲ふに至るや同取引所設立発起人等親しく同大臣に面して、発起以来の顛末を細大漏らさず陳述
 - 第14巻 p.255 -ページ画像 
し、尚ほ同取引所設立の必要なる所以を詳細陳弁し以てその許否の処分を要願したるにも拘はらず、荏苒その処分を決する処なくして今日に至る、而して窃に伝聞する所に依れば、同大臣は現今の情勢未た取引所を設くるの急要あるを見ず、仮令取引所の設なきも為めに商業上敢て不利不便を感ずることなし、故に同取引所設立の許否はその急要あるを見るの時運に至りて之が処分を決すべしとの意見を懐けりと云ふ、然れどもこれ真に風説のみ、故に吾輩漫に斯る風説を信ずるものにあらずと雖も、若果して同大臣にして斯る意見を懐けるが為めにその設立の許否を決せざるものなりとすれば、吾輩大に之を疑はざるを得ず
それこの都下に商品取引所設立の必要なる素より多弁を要せず、畢竟その営業者にして既に同取引所の設なくんば商業上不利不便を感ずるの憾あるが故に、古来未曾有の熱心と団結力とを以て之が設立を冀望するものなり、而して既に大阪に糸綿木綿取引所起り又油取引所起り銅鉄諸金属の取引所も将に起らんとするあり、其他各地に油及食塩等の取引所起れり、是を以てこの都下に商品取引所の設立更に必要となるのみならず、今日にこの設立なくんば都下幾多の営業者不利不便を感じ、又既に此種の取引所設立ある地方の営業者更に不利不便を感ずべきなり、大阪の糸綿木綿取引所の開始以来予想の如くその売買取引の盛ならざるもの素よりその因由する処種々之れあるべしと雖も、その主因する所はこの都下に未だその取引所の設なく随て東西の大勢に応じてその相場を定むることを得ざるのみならず、大阪の営業者にして同地の取引所に買ふたるもの之を東京の取引所に売繋ぐの便を得ず東京の営業者にしてその取引所に売りたるもの之を大阪の取引所に買繋ぐの便なきに因れりと聞く、而してこの不利不便は大阪の営業者のみに止らずして全国各地方の営業者皆な等しくこの不利不便を感ずるを思はざるべからず、果して然らば東西の取引所相呼応し相関聯し以て始めてその売買の盛を見ることを得、而してその商業機関の功用を完ふせしむるものなるを知るに足るべきなり
この都下に商品取引所の必要なる如く又既に他に商品取引所起れるが為めに更にその設立の必要を増したること斯の如し、然るに榎本大臣は之を是れ察せざるが如くにしてその設立許否の処分を遅々す、吾輩その意の在る処を知るに苦しむ、吾輩素より漫に斯る取引所の設立を許可せんことを冀望するものにあらず、然れども我が商勢上既にその設立の必要あり、而もその設立の有無如何は以て既設取引所の盛衰に関係するが如き事実あるを見るに至りては、その設立の許否寧ろ速にその設立の許可を与へんことを望まざるを得ず、彼の後藤大臣と同じく或る事情に纏綿せられてその処分を遅々することの如きは吾輩断じて榎本大臣の為めに取らざる処なり


〔参考〕中外商業新報 第三六五二号 〔明治二七年五月五日〕 ○浜口吉右衛門氏の意見(DK140024k-0010)
第14巻 p.255-256 ページ画像

中外商業新報 第三六五二号 〔明治二七年五月五日〕
○浜口吉右衛門氏の意見 東京商品取引所九品派中硬派の聞へある浜口吉右衛門氏は目今郷里紀州に帰省中なるを以て、同派発起専任委員中の某氏電報を発して三品九品両派合併に対する氏の意見を質しける
 - 第14巻 p.256 -ページ画像 
に、之に答ふる書面は左の如き趣旨なりしと云へり
 某日御発の電報到着、昨今両派合併談に就て御協議相成候由承知仕候、然る処小生の意見は兼々御覧察の通り紳士・実業両派の合併は到底取引所繁昌を望む事出来不申、若し委員諸氏の多数合併相成候御意見に候はゞ小生は遥に高野山より其成行を眺望いたし居可申候云云
浜口氏の意見相変らず硬派なり


〔参考〕中外商業新報 第三六五二号 〔明治二七年五月五日〕 ○農相九品派の委員を説かんとす(DK140024k-0011)
第14巻 p.256 ページ画像

中外商業新報 第三六五二号 〔明治二七年五月五日〕
    ○農相九品派の委員を説かんとす
昨日早川農商務大臣秘書官は東京商品取引所九品派発起専任委員浜口吉右衛門氏に対し、左の如き書面を発して榎本大臣の命を伝へたり
 農商務大臣より可被申達義有之候条来土曜日(五日)午前十一時より十二時迄に其許始め九品商総代一同当省へ出頭可有之、農商務大臣の命に依り此段得貴意候也
  明治二十七年五月四日 農商務大臣秘書官 早川鉄治
    浜口吉右衛門殿
想ふに曩に九品派発起専任委員より榎本農商務大臣に対し同取引所設立許可処分の義に就て質問したるものに答へんとするが為めならん、而して必すや同大臣はその処分に就て農商務省の方針を示すと同時に三品九品両派の合同を説くことあらんとは早くも同委員等の想察する処なりとかや


〔参考〕中外商業新報 第三六五三号 〔明治二七年五月六日〕 ○農相三品九品両派の合同を説く(DK140024k-0012)
第14巻 p.256-257 ページ画像

中外商業新報 第三六五三号 〔明治二七年五月六日〕
    ○農相三品九品両派の合同を説く
早川秘書官が榎本農商務大臣の命を伝へて東京商品取引所三品九品両派委員の出頭を促しけるに依り昨日午前十一時九品派よりは専任委員渡辺治右衛門・柿沼谷蔵・鳥海清左衛門・児島喜三郎・小池佐一郎・田村利七・伊井吉之助・西川宗兵衛・中田武左衛門(浜口吉右衛門氏代理)三品派より雨宮敬次郎・矢島平蔵氏等出頭したり、榎本大臣は両派の委員一同を同時に引見して曰く
 今日本大臣が諸君の出頭を求めたるは余の義にあらず、兼て出願に係る商品取引所設立許可処分の一事なり、今や全国百有余箇の取引所設立を許可したるにも拘はらず最もその設立の必要なる我が首都に之を許可せざるものは畢竟諸君等より三品九品両派相分れて之が設立の許可を出願せられたるに因るものなり、一地区内に同種の物品を売買する取引所法の許すべき限りにあらず、故に両派相和熟して之が出願を為さんには本大臣は進んで許可すべきなり、尤も両派合同に就て三品は既に相譲りてその合同を望む、然るに九品派は頑としてその合同を望まざるやに承る、是本大臣の最も採らざる処、若し九品派にして忍ぶべからざる事情あるを忍んで相合せんには本大臣直にその出願の許可を与ふべし、本大臣は切に九品派の合同せんことを望む
榎本大臣が説く処概ね右の如し、こゝに於てか九品派専任委員は
 - 第14巻 p.257 -ページ画像 
 貴命の趣謹て承る、乍併我々発起専任委員に於てのみ直に貴命に応ずることは為し能はさる処、何れ発起委員一同に貴命の趣旨を伝へ篤とその意見を質したる上何分の答申を仕らん
と答へて一同退出せしとなり
〇東京商品取引所発起委員会 榎本農商務大臣より別項記載の如く三品九品両派合同の説諭ありしに就ては、九品派発起委員はその意見を定めて諾否の答申を為すべき筈なれども、両三日中に専任委員等今一応会合熟議を遂げたる上、発起委員会を開きてその意見を確定する都合なりと云へり


〔参考〕中外商業新報 第三六五六号 〔明治二七年五月一〇日〕 ○商品取引所発起委員の会合(DK140024k-0013)
第14巻 p.257 ページ画像

中外商業新報 第三六五六号 〔明治二七年五月一〇日〕
○商品取引所発起委員の会合 東京商品取引所九品派発起委員が一昨日午後日本橋倶楽部に会合して彼の合同に関する協議を為したること既に前号の本紙上に記したる処なり、然るにその儀は発起委員のみを以て決すべきものにあらずと決定し、近々発起人総会を開きて愈よ合同の諾否を決することとなれり


〔参考〕中外商業新報 第三六五八号 〔明治二七年五月一二日〕 ○九品派並三品派の合同愈成る(DK140024k-0014)
第14巻 p.257 ページ画像

中外商業新報 第三六五八号 〔明治二七年五月一二日〕
    ○九品派並三品派の合同愈成る
東京商品取引所九品派並三品派の合同に付ては、此程より両派の委員夫々協議中なること已に報道せし如くなりしか、三品派は已に両三日前より協議纏り居りたれとも、九品派は是迄の行掛りもあり旁々専任委員中商用等の為め不在のものもありしが故に、去八日日本橋倶楽部に開きたる委員会に於ても其組合を代表する専任委員中に欠席者あり元来如斯重大の事件を議するに当て一組合にても其代表者即専任委員の欠席ありては議定する訳に至らずとて、更に近々発起人総会を開き議決する筈になり居りしが、一昨日に至り専任委員より右組合に合同の可否を照会せし処皆異存なき旨の回答を得たるに付き、遽に一昨十日午後六時より富沢町の川文に委員会を開き種々協議する処ありしが終に九品派従来の資本金三十三万円に三品派の為に十万円を増加し資本金は四十三万円とし、三品派は昨日を以て予て主務省に提出しある願書は取下け、更に九品派より追願書として双方発起人調印の上主務省へ願出つることゝなり、玆に久しく対陣の姿なりし両派の合同も全く結了せり、而して右追願書は両三日中に提出する筈なりと云ふ


〔参考〕中外商業新報 第三六六〇号 〔明治二七年五月一九日〕 ○東京商品取引所(DK140024k-0015)
第14巻 p.257 ページ画像

中外商業新報 第三六六〇号 〔明治二七年五月一九日〕
○東京商品取引所 同取引所合併談判纏りたる後目下設立願書の調印中なるが、九品派の方にては発起人百五十五名の調印漸く了り、三品派発起人の調印も亦両三日中には終了すべき筈なりと云ふ


〔参考〕中外商業新報 第三六六六号 〔明治二七年五月二二日〕 ○商品取引所設立許可の出願(DK140024k-0016)
第14巻 p.257-258 ページ画像

中外商業新報 第三六六六号 〔明治二七年五月二二日〕
    ○商品取引所設立許可の出願
東京商品取引所三品九品両派の合同成り設立許可請願の調印も亦全く了りしを以て、愈よ昨朝その願書を農商務省に呈出する筈なり、想ふ
 - 第14巻 p.258 -ページ画像 
に今明両日中には許可の指令を得るに至らん歟


〔参考〕中外商業新報 第三六六七号 〔明治二七年五月二三日〕 〇東京商品取引所の創立発起認可(DK140024k-0017)
第14巻 p.258 ページ画像

中外商業新報 第三六六七号 〔明治二七年五月二三日〕
    〇東京商品取引所の創立発起認可
三品九品両派合同して創立発起認可の出願を為したる東京商品取引所は愈よ昨二十二日午後農商務大臣の認可を得たり


〔参考〕中外商業新報 第三六六八号 〔明治二七年五月二四日〕 【本月廿二日農商務大臣…】(DK140024k-0018)
第14巻 p.258 ページ画像

中外商業新報 第三六六八号 〔明治二七年五月二四日〕
本月廿二日農商務大臣より当取引所発起認可相成候間此段公告候也
  明治二十七年五月
                 株式会社 東京商品取引所発起人


〔参考〕中外商業新報 第三六七五号 〔明治二七年六月一日〕 ○東京商品取引所の創業総会(DK140024k-0019)
第14巻 p.258 ページ画像

中外商業新報 第三六七五号 〔明治二七年六月一日〕
○東京商品取引所の創業総会 同取引所の創業総会は来る五日日本橋倶楽部若くは築地館の中に於て開会することに粗ほ決定し、両三日中に創立委員より各発起人へ通知する筈なりと云ふ


〔参考〕中外商業新報 第三六八五号 〔明治二七年六月一三日〕 ○商品取引所の移転(DK140024k-0020)
第14巻 p.258 ページ画像

中外商業新報 第三六八五号 〔明治二七年六月一三日〕
○商品取引所の移転 東京商品取引所は昨日南新堀の創立事務所を引払ひ蠣殻町の春風館へ移転したり


〔参考〕中外商業新報 第三六九一号 〔明治二七年六月二〇日〕 ○東京商品取引所の設立認可出願(DK140024k-0021)
第14巻 p.258 ページ画像

中外商業新報 第三六九一号 〔明治二七年六月二〇日〕
○東京商品取引所の設立認可出願 東京商品取引所は諸般の準備全く整頓したるを以て定款其他の書類を取纏め一昨十八日設立認可を農商務省へ出願したり


〔参考〕中外商業新報 第三七〇六号 〔明治三七年七月七日〕 ○東京商品取引所創業の準備(DK140024k-0022)
第14巻 p.258-259 ページ画像

中外商業新報 第三七〇六号 〔明治三七年七月七日〕
    ○東京商品取引所創業の準備
  設立認可の期日
東京商品取引所の設立は今方さに申書中にして何日認可さるべきや素より予知すべからずと雖も、想ふに本日か遅くも明後日頃には認下の指令之あるべき歟
  仲買員の選択
同取引所仲買人の人員は一部十五名にして都合百三十五名なること既に報道したる処なり、然るにその後仲買員たらんとして申込を為す者はその数甚だ多く随て適当の人を選択することも困難なるより、各部より選出されたる理事之を担任し目下親しくその人選中なり
  仮市場の修築
同取引所市場は今の春風館を採用し同館中舞台に用ひたる部分を平土間とし之を二分して同時に二立会を為さしめ、又事務室は同館の傍に新築せんとし、明日頃より之に着手し本月初旬を以て成就せしめんとする筈なり
  開業の期
同取引所開業の期日は素より未定なれども、多分来九月上旬頃なるべ
 - 第14巻 p.259 -ページ画像 
き歟
  立会時間
同取引所各種売買立会は従来の慣習に随ひて之を開かず、午前八時より午後四時までの間に悉く本場後場とも立会を為さしむる筈なり


〔参考〕中外商業新報 第三七一三号 〔明治二七年七月一五日〕 ○東京商品取引所の設立認可(DK140024k-0023)
第14巻 p.259 ページ画像

中外商業新報 第三七一三号 〔明治二七年七月一五日〕
    ○東京商品取引所の設立認可
東京商品取引所にては兼て其設立及役員認可の儀を其筋へ申請中の処昨日其筋の認可となりたり


〔参考〕中外商業新報 第三七一六号 〔明治二七年七月一九日〕 ○商品取引所発起申請の衝突(DK140024k-0024)
第14巻 p.259 ページ画像

中外商業新報 第三七一六号 〔明治二七年七月一九日〕
    ○商品取引所発起申請の衝突
東京商品(九品)取引所の発起あるや他の商売中三々五々相提携し各種の商品取引所を設立せんとして頻りに計画する処あり、或は石炭取引所を設立せんとし、或は清酒取引所を設立せんとし、或は織物取引所を設立せんとし、或は薪炭・茶・紙・煙草等の取引所を設立せんとしたり、然るに機熟するに至らずして発起申請の事なかりしも、頃日来各品種取引所発起申請は一時に湊合し来りぬ
浅野総一郎・伊藤増吉・竹内明太郎・西村亮蔵(以上石炭商)佐久間貞一・白井練一(以上紙)鈴木亮蔵・高柳利兵衛(以上薪炭商)千葉松五郎・岩谷松平・土田安五郎(以上煙草商)河野直次郎・中井忠兵衛(以上茶商)園田実徳・山中隣之助・小野金六・真中忠直・星松三郎・高山権次郎・小倉万次郎氏等の発起に係る石炭・紙・薪炭・茶・煙草の五品取引所は此等よりその発起申請をその筋に呈出し
辻粂吉・伊井吉之助氏等の一団体は紙・木炭・薬品取引所を設立せんと欲してその筋に発起申請を為し
説田彦助・酒井秦氏等の一団体は清酒取引所を設立せんと欲してその筋に発起申請を為し
真中忠直・星松三郎・小倉万次郎・高山権次郎氏等一派も亦清酒取引所を設立せんと欲してその筋に発起申請を為せり
然れども取引所法第二条には一地区内に同種の物件を売買を許さゞるの制規あるが故に到底双方の願意聞届けらるべくもあらず、依て三浦東京府知事は先づその申請書を農商務省に進達するに当り此等発起申請の衝突する向は双互交渉を遂けしめ、なるべく一致結合して之を申請せしむる事に尽力中なりと言へり


〔参考〕中外商業新報 第三七三二号 〔明治二七年八月一〇日〕 ○東京八品取引所(DK140024k-0025)
第14巻 p.259 ページ画像

中外商業新報 第三七三二号 〔明治二七年八月一〇日〕
○東京八品取引所 真中忠直氏外百余名の発起に係る新設商品取引所は最初石炭・薪炭・紙類・製茶・煙草の五品なりしが、其後木材及樽類を加へ七品として既に処更に《(脱アルカ)》醤油を加ふる事となり都合八品とし此程追願に及びたれば、近日の内発起認可となるべきを以て、発起人中の各部委員は一昨夕木挽町厚生館内の創立事務所に集会し、種類を以上八品に限る事、開業前後に於ける総ての準備及諸内規等を協議決定する由にて、同所は株式会社東京八品取引所と名称を附する由
 - 第14巻 p.260 -ページ画像 

〔参考〕中外商業新報 第三七七三号 〔明治二七年九月二七日〕 ○東京商品取引所営業規定(DK140024k-0026)
第14巻 p.260-261 ページ画像

中外商業新報 第三七七三号 〔明治二七年九月二七日〕
    ○東京商品取引所営業規定
来月一日より開業する同取引所の営業規定中必要の箇条を掲げて営業者の参考に供す
    営業時間
市場は休業日を除き毎日左の時間に於て開閉、但毎月末日及十二月廿六日は売買約定の受渡のみを為すものとす
  直取引延取引 自午前九時至午後三時
  定期取引   本場 自午前九時至午前十一時 後場 自午後一時至午後三時
    証拠金割合
本証拠金割合定率左の如し
 品銘 定期取引本証拠金   延取引本証拠金  直取引本証拠金
 塩  売買金高百分の十   同 百分の十五  同 百分の十
 砂糖 黒玉 同 百分の十  同 百分の十   同 百分の五
    白玉 同 百分の八  同 百分の八   同 百分の五
 油  種水 同 百分の七  同 百分の七   同 百分の三
    石油 同 百分の十  同 百分の十   同 百分の三
 綿糸    同 百分の五  同 百分の五   同 百分の三
 綿花    同 百分の五  同 百分の五   同 百分の三
 木綿    同 百分の五  同 百分の五   同 百分の三
 肥料    同 百分の七  同 百分の七   同 百分の五
 金属    同 百分の五  同 百分の五   同 百分の三
 雑穀    同 百分の六  同 百分の六   同 百分の十
延取引及直取引手数料割合定率

      延取引                 直取引
    取引所手数料  仲買人口銭 客方手数料 取引所手数料 仲買人口銭 客方手数料
 砂糖 売買金高万分七 同万分十  同万分十七 同五     同八    同十三
 油  売買金高万分廿 同万分卅  同方分五十 同二     同八    同十
 綿糸 売買金高万分六 同万分十五 同万分廿一 同三     同十二   同十五
定期取引一と口の売買に対する手数料仲買口銭は左の如し

    証拠金既入分(売買高百円に付)

 品銘   取引所手数料 仲買人口銭 客先より受取分
 塩    万分の三十五 万分の七十 千分の十
 砂糖   同 十七   同 十七  万分の三十四
 油    同 二十   同 三十  万分の五十
 綿糸   同 十五   同 十五  万分の三十
 棉花   同 十五   同 十五  万分の三十
 木綿   同 十五   同 廿三  万分の三十八
 肥料   同 二十五  同 四十五 万分の七十
 油粕・糖 同 十五   同 三十  万分の四十五
 金属   同 十五   同 十七  万分の三十
 雑穀   同 十五   同 十五  万分の三十

    証拠金未入分(即日売買戻しの分)(売買高百円に付)
 - 第14巻 p.261 -ページ画像 

 品銘   取引所手数料 仲買人口銭  客先より受取分
 塩    万分の二十八 万分の五十六 万分の八十四
 砂糖   万分の十四  万分の十四  万分の二十二
 油    万分の十六  万分の二十四 万分の四十
 綿糸   万分の十二  万分の十二  万分の二十四
 綿花   万分の十二  万分の十二  万分の二十四
 木綿   方分の十二  万分の十八  万分の三十
 肥料   万分の二十  万分の三十六 万分の五十六
 油粕・糖 万分の十二  万分の二十四 万分の三十六
 金属   万分の十   万分の十四  万分の廿四
 雑穀   方分の十二  万分の十二  万分の廿四



〔参考〕中外商業新報 第三七八一号 〔明治二七年一〇月六日〕 ○商品取引所の現状を叙して将来の一大振起を望む(DK140024k-0027)
第14巻 p.261-262 ページ画像

中外商業新報 第三七八一号 〔明治二七年一〇月六日〕
    ○商品取引所の現状を叙して将来の一大振起を望む
東京商品取引所に於ける各種商品の売買取引は各仲買店に向て可なり売買注文の到達せりと云ふにも拘はらず、開業三日目の取引を為すに至るも人気未だ振はず、随て売買手合となるもの案外に尠きやの観あるを免かれず、是果して何の為めか、今吾々が親しく見聞する処に依りてその取引不振の事因と認むべきものを記さんに概ね左の如し
其一 場立師未だ売買立会に熟練せざる事
立会の現況を見るに二十名近くの場立師中売買立会に熟練せりと認むるものは兜町・蠣殻町の両所より廻はりたる三四名にして他は概ね未だその売買立会に馴れず、手を振らんとし声を起てんとするも意の如くならず、買玉を持ち売玉を持つも他に向ひ他の声に応して之を手合するの機会を得る能はざるの観あり
其二 場立師売買立会に冷淡の観ある事
九品中の或る一種を売買する営業者より出せる仲買と雖も強ち或る一種のみの売買を取扱ふものにあらずして九品中何種の商品にても之が売買を取扱ふものなり、然るに或る品種の売買立会中は他の品種を売買する場立師は全然その売買に関知するものならずとして場の片隅に散し、場面の気配をして自から冷かならしむるものあるに似たり
其三 仲買員の人数少数なる事
商品の多き割合に仲買員の人数甚だ尠なきが如し、素よりこの人数尠なきものは身元金の多きに過き或は開店の経費を要する者ある等種々の事情あるに依る
其四 仲買未だ売買の注文を受るに馴れざる事
砂糖商にして砂糖売買の注文を受け油商にして油売買の注文を受く素より難しとする処にあらす、然れとも砂糖商にして金属売買の注文を受けんとし、油商にして綿糸売買の注文を受けんとするに当りては、未たその営業に馴れざるもの自然に躊躇して進んでその売買を取扱ふこと能はざるものあらん
其五 各産地より売注文未だ多く到達せざる事
開業以来場面に現はるゝもの多くは買声にして之に応ずる売声なし、之れ気配強く売るものなきが為に然るにあらずして、今現に各仲買に
 - 第14巻 p.262 -ページ画像 
達せる注文は府下を始め各需用地方の買注文にして各製産地方の売注文未だ尠なきに依る、而してその売注文尠なきものは開業の日猶ほ浅きに依る
其六 各品種受渡の規定製産者の意志に適合せざる事
こゝにその一例を掲けんに塩の売買は古来俵を以てするもその受渡に至りては目方を以てす、然るに東京商品取引所受渡の規定に依れば売買は依然俵を以てするもその受渡に至りては桝目を以てす、目方を以てすると桝目を以てするとは則一割の差違あり、桝目は買ふに利なるも売るに不利なるが故に、既に西国筋より或る仲買人に多くの売注文到達し居たりと雖もその受渡に桝目を以てするの一事を聞きて俄に之が取消を申来りしとなり
其七 各種銘柄の狭少なる事
売方に最も不利を感ぜしむるものは売買銘柄の狭少なるに在り、仮令へば泉州木綿を松竹梅に限り参河木綿を白字付のものに限り又参字付のものに限りたるが如き、又上海棉花の一等を雲錦・雲竜・雪錦等に限りたるが如き、何れも品の受渡を為すに頗る窮窟を感ずる嫌あるを免かれず
此等の事因を一々摘示せんには一二にして足らずと雖も、要するに売買双方ともに未だ場に馴れず意気相投合せざるに在りと言はざるべからず、而して東京商品取引所がその売買銘柄を撰定し又受渡規定を編製したるもの漫然拙速を貴んで之を定めたるものにあらずして、各部撰出の理事等頭を鳩めてその利害を調査しその得失を研究しこゝに始めてその編製を見たるものなり、仮令その規定中取引不振の事因に指を屈せらるゝも、亦他に之を比較して却て益する処のものあり、一利一害一得一失は得て免かるべからさる処、然れども苟もその不便とし不利とするものにしてその取引を不振ならしむるの虞あるものは、取りて之を除き改めて之を正すに努めざるべからず、是れ同取引所の繁昌を望み我商業社会の機関をしてその効用を益々大ならしめんとする所以なり、吾々がその取引不振の事因と認むる処のものをしてこゝに掲げて示す所以のものも亦之に外ならざるなり、今日の不慣れは他日の熟練を胚胎し今日の不振は他日の一大昌盛を胚胎するものなり、東京商品取引所の前途豈亦多望ならずや


〔参考〕中外商業新報 第三七八二号 〔明治二七年一〇月七日〕 〇九品中四種の手合の行はれさる事因(DK140024k-0028)
第14巻 p.262-264 ページ画像

中外商業新報 第三七八二号 〔明治二七年一〇月七日〕
    〇九品中四種の手合の行はれさる事因
吾々は昨日の中外商業新報に「商品取引所の現状を叙して将来の一大振起を望む」と題し、東京商品取引所に於ける各種商品の売買取引は各仲買店に向つて可なり売買注文の到達せりと云ふにも拘はらず人気未だ振はず、随て売買手合となるもの案外に尠なきは(其一)場立師未だ売買立会に熟練せさる事(其二)場立師売買立会に冷淡の観ある事(其三)仲買人の人数少数なる事(其四)仲買員未だ売買の注文を受くるに馴れさる事(其五)各産地より売注文未だ多く到達せさる事(其六)各品種受渡の規定製産者の意志に適合せざる事(其七)各種売買銘柄の狭少なる事等概ね之が事因となるを説けり
 - 第14巻 p.263 -ページ画像 
而して塩・砂糖・油・肥料・綿糸・棉花・木綿・金属・雑穀の九品中特に棉花・綿糸・肥料・金属の四種その売買取引行はれず、その手合を見る能はざるものは素より尚ほ他に大に原因する処なくんばあらず今吾々がその当業に就て之が事因たるべきものを聞くに、その語る処の概要は左の如し
棉花商は曰く
 空売買の弊を避けて実取引を盛んならしめんとするに就ては努めて銘柄を窮窟にし以て可成的空売買に流れざらんことを防がざるべからず、然れども外国棉花を売買するが如き場合に当りては強ちその銘柄を窮窟にするを利とせざるのみならず却て大に不利とする虞あるを免かれず、即ち東京商品取引所の営業規定に拠れば上海綿機械繰一等を雪錦・雲竜・雲錦の三種に限り、同二等を国華・九華・玉芙蓉の三種に限り、将又同三等を慶大・隆発・振玉・王桃・天吉の五種に限れるが如きその不利の大なるものなりとす、例せば同取引所は雪錦を一等の部類に編入せりと雖も、現に上海棉花市場に於ては雪錦は則ち一等品にあらずしてその実は二等に属するものなり、この事実を知らずして売買すればその品質の良悪殆んと無差別なりと雖も、その情を詳にするものは之を一等品として受取る事は之を買ふの不利なるを知る、而して同取引所が二等の部類に定めたる、国華と言ひ九華と言ひ玉芙蓉と言ふも同品位同品質中数多きその中の一少部分に過ぎず、然るにその同等の品種中一少部分の銘柄を撰んで之を定むるに於ては、若しこの銘柄の品棉花市場に払底を告ぐるが如きことあるに当り、之を売りたるものは他にその同等の品種を有するにも拘はらず之が受渡を為すことを得ず、これ之を売るの不利なるを知る、されば之を買はんとするも之を売らんとするも同じく不利の点あるを以て、売買取引完全なるを得るの時あるを待て然る後盛んにその売買に着手せんとす
綿糸商は曰く
 綿糸の売買は之を銘柄売買にす甚だ不可なり、之を等級売買にす尚ほ未だ可なりとせず、然るに東京商品取引所の規定はその利の大にしてその害の最も少なき標本売買を以てしたりと雖も「引力」に最低定限を置きたるにも拘はらず「撚度」平整としてその度を示さゞるが故に、ネヂリの強きを望む関東地方の需用者にはネヂリの弱き大阪地方の製品を受取るを欲せず、又ネヂリの弱きを好む関西地方の需用者にはネヂリの強き東京地方の製品を望まず、然るに受渡の区域甚だ広く随てその取引自由なるが如くなれども、ネヂリの数一吋中十三あるもの撚度平整なれば一吋中十二半あるも亦撚度平整、尚又一吋中十三七分あるも撚度平整なるにあらずや、されば同等同格に位するものゝ中、唯々撚度強弱の一点のみに就てその好悪を異にし又その取引を難からしむ故に、この点定り売買取引完全なるを得るの時あるを待て然る後盛にその売買に着手せんとす
肥料商は曰く
 東京商品取引所営業規定中鰊粕・小鰊粕・樽舞鰮粕等各組合せありその取引受渡に於て敢て不都合を見ざるが如くなれども、その建直
 - 第14巻 p.264 -ページ画像 
は三等にして則ち現実売買に係る中物に相当せるを以て上等の品質のみを有するものは進んで之を売る能はず、又下等の品質のみを有するものも進んで之を売る能はず、故に実際言ふべくして到底望むべからざることなれども、若夫格付売買に付することを得んには自由に売買することを得べしと雖も、要するに今の規定に依りては進んで之が売買に着手することを得ず
金属商は曰く
 東京商品取引所営業規定中単に洋鉄板とあれども英国産か、仏国産か、将た独国産か之を判別すべからず、而してその品質にも亦BもあれはB.Bもあり又B.B.Bもありて各差違あるが故に同一を以て見るべからず、されば之を売るにも之を買ふにも見当を付くること能はざるなり
この四種当業者の語る処未だその要領を得る能はず、故にその趣旨未だ以て吾々の同意する能はざる処のものありと雖も、現時その九品中四種商品の特に売買取引行はれず、その手合を見るに至らざるものは蓋し斯る事因あるを以ての故なるを知るに足る、敢て玆にその聞くが儘を掲げて同取引所売買取引振起策を講ずるものゝ参考に資せんとす


〔参考〕新修 日本橋区史 下巻・第七四〇頁 〔昭和一二年一〇月〕(DK140024k-0029)
第14巻 p.264 ページ画像

新修 日本橋区史 下巻・第七四〇頁 〔昭和一二年一〇月〕
 ○第九章 商工業 第三節 取引所の発展
    東京米穀商品取引所
○上略
東京商品取引所は明治二十七年奥三郎兵衛・浜口吉右衛門等の創立にかかり、同年十月一日を以て開業し、塩・雑穀・肥料・砂糖・油・金属・棉花・綿糸等の直取引・延取引・定期取引を行ひ、二十九年十月より蚕糸を追加し、三十七年一月より油・金属・砂糖の三品を削除したもので、ここに米穀取引所との合併が成立し、資本金百五十万円を以て、株式会社東京米穀商品取引所となり、米穀の外これ等商品の取引をも行ひ、更に四十四年三百万円に増資した。