デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
26節 倉庫業
6款 渋沢倉庫部
■綱文

第14巻 p.348-366(DK140034k) ページ画像

明治30年3月30日(1897年)

是日、渋沢倉庫部開業ス。栄一ハ営業主ニシテ長男篤二部長タリ。始メ渋沢商店及山崎繁次郎之ニ加盟シ匿名組合組織ナリシモ、明治三十六年一月以後ハ之ヲ解キ独立経営ニ改ム。


■資料

青淵先生六十年史 (再版) 第二巻・第三一三―三一四頁 〔明治三三年六月〕(DK140034k-0001)
第14巻 p.348 ページ画像

青淵先生六十年史(再版)第二巻・第三一三―三一四頁〔明治三三年六月〕
  第五十章 倉庫業
    第一節 渋沢倉庫部
倉庫業ハ銀行業・保険業・運送業ト相待テ商業上欠クヘカラサル必要機関ナリ、故ニ倉庫ノ設備充分ナルト否ト其保管習慣ノ善良ナルト否トハ大ニ商業ノ盛衰ニ関スルモノアリ
我邦旧来ノ倉庫業者ハ其規模甚タ小ナリシカ東京ニ於テハ三井・三菱ノ倉庫業興リ、各地ニ於テハ株式組織ノ倉庫業起リ、近年大ニ改良発達ニ向ヘリ
青淵先生ハ倉庫業ニ付テハ大ナル関係ナシ、尤モ渋沢倉庫部ト称スルモノアリ、東京深川ニ於テ最モ紀律正シク此ノ業務ヲ営メリ
今渋沢倉庫部ノ起源ヲ按スルニ、深川福住町渋沢邸内ニハ巨多ノ倉庫アリ先生之ヲ他ニ貸付セリ、先生一夕子弟ヲ集メ人間処世ノ心得方並経済運用ノ途ニ付テ語ル、談偶々倉庫ノ事ニ及フ、先生坐中ヲ顧ミテ曰ク、此ノ倉庫ヲ以テ倉庫業ヲ営ムモ以テ役員・労働者数十人ノ口ヲ糊シ尚ホ相当ノ利益ヲ挙クルニ足ルヘシト、依テ又、長男篤二ヲ顧ミテ曰ク、汝尚幼ナリト雖モ乃父ノ志ヲ継クノ考アラハ試ミニ坐中ノ子弟ト共ニ其経営ノ方案ヲ立テ来レ、予レ汝ニ資ヲ給シ其業務ニ従事セシムヘシト、是レ渋沢倉庫ノ初ナリ
渋沢倉庫部ノ開業ハ明治三十年三月三十日ニアリ、同倉庫ノ容積ハ福住町ノ分(十六棟六十九戸前)七百七十八坪五合、万年町ノ分(十一棟五十九戸前)五百七十二坪五合及ヒ永代町ノ分(四棟二十戸前)百八十三坪ニシテ、一箇年ノ物品出入高ハ明治三十年三月三十日ヨリ同三十一年三月二十九日間ニ、入庫高七拾九万三千六百九拾九個、出庫高七拾弐万弐百七拾六個ナリト云フ


青淵先生公私履歴台帳(DK140034k-0002)
第14巻 p.348-349 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳 (渋沢子爵家所蔵)
    民間略歴(明治二十五年以後)
  明治三十年
○中略
一渋沢倉庫部ヲ設立ス
 商估及銀行ノ便益ヲ謀リ一般商品ノ庫預リ業ヲ開始シ常業所ヲ深川ニ設置セリ
 - 第14巻 p.349 -ページ画像 
○中略
  以上明治卅三年五月十日調


渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編)序・第一―二頁〔昭和六年九月〕 【序 取締役会長 渋沢篤二】(DK140034k-0003)
第14巻 p.349 ページ画像

渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編)序・第一―二頁〔昭和六年九月〕
    序
○上略元来当社の起は拙生が若い頃深川の渋沢の家に先住者より継承した三・三の土蔵が相当にあつて、同姓故渋沢作太郎君の廻米店渋沢商店に提供して使つて貰つて居た昔風の蔵を、同君の諒解を得て、其当時第一銀行取締役兼支配人であられた佐々木勇之助君の指導の下に、青淵翁が拙生に多少共実業界の仕事の一端を覚えさすと云ふ目的で、渋沢倉庫部と称する極く小規模ながら一つの店形のものを開き之に附与し、蔵預営業を開始したのに始まり、夫が追々発展して今日に及んだ次第である○中略
  昭和五年七月
              取締役会長 渋沢篤二


渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編)第三―四頁〔昭和六年九月〕(DK140034k-0004)
第14巻 p.349 ページ画像

渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編)第三―四頁〔昭和六年九月〕
○渋沢倉庫部時代
    二、渋沢倉庫部の創設 附第一回報告書概要
 当会社の前身なる渋沢倉庫部は明治三十年三月三十日を以て深川区福住町五番地に営業を開始す。
 営業主渋沢栄一、倉庫部長渋沢篤二、支配人布施藤平なり、倉庫の所在地は渋沢家の外廓にして、前面は道路を隔てゝ西大島川支流の河岸に面す、同所は元米問屋近江屋喜左衛門の宅跡なりし故に、同河岸は近江屋河岸と称したり。
 同倉庫は倉庫部開設迄は横浜生糸問屋渋沢作太郎商店の経営にかゝる東京廻米問屋なる渋沢商店及山崎繁次郎(山崎は元渋沢商店員なりしが後ち独立して蔵ボーシとなりたるも、廃業して東京廻米問屋となる)の両店に貸渡しあり、尚其他の関係上倉庫部開業後、明治三十五年末迄六ケ年間は匿名組合の形式を以て、三名の所有倉庫を出資と看做し、各自の坪数に応じ、一定の借庫料を支払ひ、且つ期末決算の利益金は従業員の賞与を引去り、残額を三名の出資坪数に割当て配当金とす、尚山崎分に対しては坪数に対する倍額の配当を為す定めなりし其出資坪数は左の如し。
渋沢家    六十九戸前   七七〇坪
渋沢商店   五十八戸前   五五三坪
                            借庫料一ケ月一坪三十五銭の割
山崎繁次郎   二十戸前   一八三坪
   計          百四十七戸前 一、五〇六坪
     外に
                    借庫料一ケ月一坪
 借庫 二十一個所 八十九戸前 八三八坪 最高 五十五銭六厘
                     最低 二十七銭八厘
                     平均 四十四銭八厘
○下略

 - 第14巻 p.350 -ページ画像 

渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編)前付折込ミ〔昭和六年九月〕(DK140034k-0005)
第14巻 p.350 ページ画像

渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編)前付折込ミ〔昭和六年九月〕

明治参拾年三月渋沢倉庫部創立当時ニ於ル渋沢本邸及倉庫所在之図 此使用倉庫六十九戸前七百七拾坪五合

 - 第14巻 p.351 -ページ画像 


渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編)第六―一〇頁〔昭和六年九月〕(DK140034k-0006)
第14巻 p.351-352 ページ画像

渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編)第六―一〇頁〔昭和六年九月〕
○渋沢倉庫部時代
    三、倉庫部開業当時の状況
○上略
 倉庫前面の川は現時と大差なきも、洵に地名に相応はしき深川にして、現在よりは清流なりしなり、北側に一丁余の入堀あり、此横堀には坂田橋なる架橋ありて伊沢町に通ず、横堀に面せる倉庫も前面と同一に船着きの便ありたり、(横堀は大震火災の区劃整理上土地不足の為め埋立られ、其一部は当倉庫換地として割当てられ、現在最北方の倉庫敷地となれるは之なり)表通りの道路は河岸に面して間口約八十間、横堀に面せるは約五十間位にして、表道路に向ひ六条の蔵前通路あり、内一条は渋沢邸正門と共通にして其幅約三間半、其他は二間若くは一間半位なり。又横堀道路及河岸に向け一筋の蔵前通路と二筋の小路とを設けありたり。
 古来より深川は廻米委託販売問屋の米雑穀類の貯蔵所として、各倉庫とも土蔵造り一戸前九坪に仕切られ、大なる一棟は十戸前位にして入口は両通路に向ひ背中合せに建築せらる、敷地の外廻りには木造黒渋塗の高塀を建廻し、各蔵前通路口には大小の門を設け、其門内片側には小住宅あり、倉庫部事務室は其一を使用せるなり、横堀の曲り角に渋沢商店あり、其他は関係者借宅せり。
 表通り及横堀の河岸側並に各蔵前の通路には古くより大なる柳の樹を多数に植附けあり、蓋し日避けと風致上よりならむ、故に早春の猫柳、新緑季の翠色は水鏡に反映し、長き糸は垂れ下りて微風に委せ、又夕刻には多数の小漁船此河岸に塒を求めて苫屋根より炊烟を揚けるに至る、尚、樹蔭に三々伍々鶏群の時々こぼれ米をあさりつゝある如き、閑静にして古雅なる風趣の調和に其頃土橋なりし福島橋上よりの眺めは今日の比にあらず、慥に一幅の広重ものなりしなり。
 事務室は在来の住宅を幾分改造して間口三間の内九尺は元の木格子の儘とし、九尺を四枚の引違ひ硝子戸として出入口とし、其内は六畳位の土間なり、其正面と横は各六畳の畳敷なり、其奥に台所附属す、土間に向ひ帳場格子を立て其内に机を置き、各掛員は坐して仕事をなし且つ受附をなす、故に其頃は洋服を着する者なく、和服の前垂れ懸けなり、受渡方(今の現場助手)は印袢天を着せり、事務室の二階を店員の合宿所とす。其頃主もなる貨物の米雑穀類は今の如く産地に於て品質及俵装の検査もなく、故に容量俵装とも一定せず、各産地慣行の儘桝入も区々にして三斗、三斗二升、三斗四升、四斗、四斗二升若くは三升入にして大なるは五斗俵等なりし。
 其頃穀物類の多くは担保として銀行に提供せられ、又然らざる物も出庫の際総て代金取立を要し、其都度廻米問屋市場にて寄託者の発行する売附切手に依り、各買人より見積代金を徴し(此売附切手の日附より五日以内は其儘出庫に応ずるも、五日以上経過の場合は売人につき日附を訂正せしむ、其場合売人は相場の如何により該切手に金利倉敷等の徴集方を記入する事あり、又各売人に於て即時見積代金を受領
 - 第14巻 p.352 -ページ画像 
することあり、此場合は切手面に○の内に並の字ある朱印を押捺す之は並切手と称して代金取立を要せざる記号なりし)実物出庫の際、売買双方の小揚立合の上、桝廻しを定め、後ち其桝廻切符により前徴集の見積金を以て其過不足を精算す(買人は貨物運搬の馬方或は船頭に現金を託して見積金決済迄取扱はしむ)而して古米時に及びては相当減量せる物多く、故に買人より元入桝通りの見積金徴集には困難を感ずる場合多かりし。
 倉庫に於ては毎日右取立代金を以て、各寄託者の銀行借入金を返却し、其他運賃諸掛等の立替金を控除して、残余は寄託者取引銀行の当座口に振込み、後ち寄託者に報告書を廻附す、故に倉庫は毎日相当多額の現金取扱を要したり。而して是等の出庫受附は、潮時の関係上、早暁より店頭に殺到して開店を迫るに至る、故に毎日々出時を以て受附開始を余儀なくせらる、但し各倉庫共例年夏季酷暑の時期に際しては、約二ケ月間営業を正午限りと定めたり。
 寄託者は穀類の入庫に先だち、正米市場の売附切手、又は銀行の荷為替手形期日通知状、或は船荷証券其他鉄道貨物引換書等を持参し、銀行金融の斡旋方を、倉庫に依頼し来るを普通とす、之は古くより蔵ボーシの行ひ来りし慣習にして、倉庫は入庫貨物の多量を欲する必要上、此金融の紹介斡旋に奔走尽力する事を要し、従つて寄託者は貸出割合の多額と、利息の低廉を切望して、他の倉庫又は蔵ボーシの振合を喋々するため、各特約銀行に交渉して、其出会点を求むるに困難を極むる場合多く、又定期取引受渡の場合は、其金額多額に昇り、一層困難を感ずる場合多かりしなり、其頃の特約銀行は第一・十五・二十各銀行本店及市内支店・横浜正金銀行東京支店・住友銀行東京支店等なり。
○下略


渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編) 第三〇頁〔昭和六年九月〕(DK140034k-0007)
第14巻 p.352 ページ画像

渋沢倉庫株式会社三十年小史(利倉久吉編) 第三〇頁〔昭和六年九月〕
 ○渋沢倉庫部時代
    一〇、倉庫部の独立
 前掲の如く当倉庫部は開業より六ケ年間匿名組合事業として組合員に借庫料及利益金の分配を行ひ来りしも、明治三十五年末の契約満期を以て解約し、三十六年より独立したる渋沢家の事業となり、倉庫部は爾後一定の借庫料を元方に支払ふのみ、其余の利益金は総て倉庫部に保有することゝなれり。
   ○倉庫部ノ記章ハソノ創業ノ際、渋沢家ノ記章ヲ其儘用ヒシモノニシテ同家ニ於テハ之ヲ古クヨリチギリ(膝)ト称シタレドモ、倉庫側ニテハ之ヲリフゴ(輪鼓)ト称シ一般亦リフゴ蔵又ハリフゴ何番蔵ト呼称シテ渋沢倉庫ヲ指セリ。(「渋沢倉庫三十年小史」第二二八―二二九頁)


(渋沢倉庫部)営業報告 第一回明治三〇年六月三〇日(DK140034k-0008)
第14巻 p.352-355 ページ画像

(渋沢倉庫部)営業報告 第一回明治三〇年六月三〇日
                  (渋沢倉庫株式会社所蔵)
  営業報告
                      渋沢倉庫部
 - 第14巻 p.353 -ページ画像 
    営業ノ景況
当倉庫部明治三十年三月三十日開業以降同六月三十日ニ至ル営業ノ成績ハ、左項及別表ニ詳ナリト雖モ、玆ニ其概況ヲ述ベンニ、当倉庫部ハ三月三十日渋沢商店ヨリ米参万五千余俵、山崎倉庫ヨリ米八万七千余俵・雑穀弐万四千余俵・雑貨弐千余個、都合拾四万八千余個ヲ引継デ営業ヲ開始シ、四月中ハ三月限定期買付米壱万弐千石ノ引取ト各地ノ廻米五万俵ノ蔵入トニヨリ、正米ノ好況ニテ五万俵ノ蔵出アリタルモ、在荷拾八万余個ノ好況ニ達シ、五月ニ入リテハ四月限定期買付米壱万石ノ引取ト各地ノ廻米四万俵ノ蔵入アリタルヲ以テ、六万俵ノ蔵出アリタルモ、其間在荷常ニ拾七八万個ノ辺ヲ往来セシト雖モ、当時金融不如意ニシテ五月限定期買付米ヲ引受ルヲ得ズ、各地ノ廻米ハ已ニ一般ニ出越ノ姿、旁消費地ノ高直ヲ享ケテ相場騰貴シ、其結果買付ノ不引合トナリ、廻米誠ニ少ク弐万俵ノ蔵入ニ対シ、六万俵ノ蔵出アリ、六月末ニハ在荷遂ニ拾四万余個ニ下ルニ至レリ、蓋シ深川在米減少ノ割合ニ比較セバ、亦已ヲ得ザルベシ、要スルニ、毎年四五六ノ三ケ月ハ深川在米出入頻繁ノ季節ナルヲ以テ、其間金融ノ不如意アリシニ拘ハラズ、開業間際ノ割合ニハ、幸ニシテ応分ノ利益ヲ挙グルヲ得タリ
然レトモ七月以後ハ株立タル廻米ノ見込ナク、今後正米ノ売行模様ニヨリテハ、日ナラズシテ在荷意外ノ減少ヲ来スニ至ルベシ、幸ニ開業以来稍雑貨ノ新華主ヲ得タルヲ以テ爾後勉メテ雑貨ノ蔵入ヲ増加シ、兼テ之ニ対スル金融ノ滑ナルヲ図ルハ、蓋シ目下ノ急ナルベシ
    深川諸倉庫在米雑穀対照倉庫保管米雑穀出入比較表

図表を画像で表示倉庫保管米雑穀出入比較表

 摘要             米              比較割合               雑穀             比較割合          諸倉庫   [img 図]〓倉庫           諸倉庫     [img 図]〓倉庫 四・五・六月  蔵入合計   五六五、五〇九  一六七、四九三      二割九分六リ一   二一八、四三八   三、八一九         一分七リ四  蔵出合計   八一一、一七六  一五六、四五一      一割九分弐リ八   二八一、五〇七  一九、八二九         七分〇四 蔵入一日平均    七、一五八    二、一二〇      二割九分六リ一     二、七六五      四八         一分七リ四 蔵出一日平均   一〇、二六七    一、九八〇      一割九分二リ八     三、五六三     二五一         七分〇四 



   貨物出入内訳表
米(内地米・外国米)○表略
雑穀(豆・麦・粟・蕎麦・糠・洋粉・豆粕)○表略
雑貨(セメント・麻糸布・綿・紡績屑糸・更紗・紙・靴用革・書籍)○表略
   貨主訳出入表
渋沢商店○外六十名出入表略
   倉庫表
六拾九戸前此坪七百六拾九坪五合
五拾八戸前此坪五百五拾三坪壱合
弐拾戸前此坪百八拾三坪
   計百四拾七戸前壱千五百五坪六合(仮設一戸前九坪ニ換算此戸前数百六拾七戸前弐八八)
   倉庫使用料仕払明細表
 - 第14巻 p.354 -ページ画像 

倉庫所在地 蔵印     戸前数   坪数   一ケ月倉庫料  倉庫料一坪平均
                    坪 合    円       厘
福住町   六九  七六九・五 二六九・三二五 、三五〇
万年町   五八  五五三・一 一九三・五八五 、三五〇
東永代町  二〇  一八三・〇  六四・〇五〇 、三五〇
同町    一三  一一七・〇  五五・二五〇 、四七二・二

 ○外二〇個所七六戸前略ス
 計   廿四      二三六 二三四三・六 九〇二・五六〇 、三八五・一一
               戸     坪     円       厘
 内訳  手蔵      一四七 一五〇五・六 五二六・九六〇 、三五〇・〇〇
     借蔵       八九  八三八・〇 三七五・六〇〇 、四四八・二一
   損益勘定表
一金五千九円五拾四銭弐厘 保管料
一金四百五拾六円弐拾五銭九厘 手数料
一金参百弐拾参円八拾銭壱厘 受渡料
一金弐百四円弐銭七厘 散米売代
一金五拾六円四拾六銭也 収入利足
一金参円弐拾壱銭也 雑益
 合計金六千五拾参円弐拾九銭九厘
   内
  金千四百円拾五銭五厘 蔵敷料支払
  金五百八拾参円五拾銭也 給料
  金四百九拾弐円七拾銭九厘 雑費
  金参百弐拾五円八拾九銭壱厘 人夫賃
  金拾九円九拾銭六厘 火災保険料
   計金弐千八百弐拾弐円拾六銭壱厘
 差引
   金参千弐百参拾壱円拾参銭八厘 利益金
     〆
右之通ニ御座候也
 明治三十年六月卅日            渋沢倉庫部(印)
   ○渋沢倉庫株式会社ハ関東大震火災ニヨリソノ襲蔵セル旧倉庫部当時ノ記録書類ノ大部分ヲ焼失シ、渋沢倉庫部営業報告書ハソノ第一回ノモノヲ現存スルノミ。従ツテ爾来ノ営業成績ノ進展ヲ詳察スルヲ得ザレドモ、渋沢倉庫株式会社三十年小史ニ拠レバ、倉庫部事務所ハ明治三十七年ニハ同構内二番地ニ新築移転シ、倉庫モ亦在来土蔵倉庫ハ漸次瓦葺木骨煉瓦半枚積ニ改築セラレ、同三十八年八月深川渋沢邸引払三田綱町新邸ニ移転後ハ旧邸敷地全部ハ倉庫部構内トシ、庭池ヲ毀チ倉庫ヲ新築スルニ至レリ。
    又市内ハ日本橋区葺屋町九番地(明治三〇年開設)京橋区霊岸島町六番地(明治三四年開設)ニ各出張所ヲ設ケ、更ニ明治四十一年二月ニハ日本橋区南茅場町十六番地ノ元日本郵船荷捌所ヲ買収出張所トシ、同四十二年ニハ深川ニ鉄筋コンクリート倉庫ノ竣工ヲ見ル等発展ヲ遂ゲタリ。
    明治四十二年二月末ノ貸借対照表(渋沢倉庫株式会社所蔵「渋沢倉庫部書類」ニ綴込)ニハ次ノ如キ計上アリ。
     資本金  一五〇、〇〇〇円
     積立金   三八、五四五
     地所   一〇〇、〇〇〇
     倉庫及建物 三四、九四〇
 - 第14巻 p.355 -ページ画像 
    右ノ数字ハ同年七月組織変更セル際ニ最モ近キモノトシテ参考スベシ。
    コノ間対外的ニハ栄一営業主、篤二倉庫部長タリ、内部ニ於テハ栄一ヲ元方総長、篤二ヲ次長ト称ス。(渋沢倉庫部営業旬報ニ拠ル)支配人ニハ布施藤平・伊藤半次郎・諸井四郎・八十島親徳等歴任セリ。


中外商業新報 第四五三三号〔明治三〇年三月三〇日〕 ○渋沢倉庫部の開業(DK140034k-0009)
第14巻 p.355 ページ画像

中外商業新報 第四五三三号〔明治三〇年三月三〇日〕
    ○渋沢倉庫部の開業
渋沢栄一氏は今回深川区福住町に倉庫部を設け愈々今三十日を以て米穀其他諸商品蔵預り保管の営業を開始し、同倉庫部の業務は久しく倉庫業に従事し居たりし(倉庫)山崎繁次郎氏をして担任せしめ、努めて貨主の利便を計らしむべしと云ふ


中外商業新報 第四六九二号〔明治三〇年一〇月三日〕 ○渋沢倉庫部の組織、主任の更迭(DK140034k-0010)
第14巻 p.355 ページ画像

中外商業新報 第四六九二号〔明治三〇年一〇月三日〕
    ○渋沢倉庫部の組織、主任の更迭
去三月三十日開業せし以来倉庫堅牢にして倉敷料亦割合に低廉なるの所以を以て愈々繁昌せる渋沢倉庫は、元来渋沢栄一氏の営業に係るものにして、同倉庫は渋沢作太郎氏所有のものを借用せるものゝ由なるが、同倉庫を利用せんとする時に当り山崎繁太郎《(山崎繁次郎)》(元渋沢商店の使用人)と云へる人其幾分を利用せるに就き、山崎氏を同倉庫部の支配人とし、更に渋沢氏は布施藤平氏を監督として同倉庫に関する万般の事を処理せしめ、以て今日の繁昌を来せることなるが、右支配人山崎氏は病気(開業早々病気に罹り爾来業務に従事せしこと稀なりしとか)の為めに辞任したるに就き、同倉庫の監督たりし布施氏自ら支配人となり、益々奮励して顧客の便利を計ることに決定せし由なり
 因に記す、同倉庫部中に紛擾起りしか如く伝ふるものあるも、事実は唯々支配人の交迭ありしに過きすとなり


中外商業新報 第四七一六号〔明治三〇年一〇月三一日〕 ○深川諸倉庫の現状(DK140034k-0011)
第14巻 p.355-356 ページ画像

中外商業新報 第四七一六号〔明治三〇年一〇月三一日〕
    ○深川諸倉庫の現状
東京の在米は各地よりの輸送米絶へ且新米の出後となりし為め日々に減少し一時九万余俵となり、昨今東海道九州地の新古米漸く出廻りて十万俵以上となりたるも、猶昨年の同時期に於ける六十一万俵に比すれば非常の少額にして、且つ雑穀も昨今の在高七万六千俵にして、昨年の同時期に於ける二十一万九千俵に比すれば殆んと三分の一に過ぎず、其他塩の如きも昨年当時に比すれば遥に少額にして、其他一般の商品皆金本位の実施と共に相場低落すへしとの見込を以て仕入を扣へたる傾ありし為め、輸入薄く商品の売行は捗々しからすと雖も、必要筋は弗々売行くを以て、倉庫に存在する商品は昨年に比して大に減少せざるはなく、而して斯の如く米穀諸雑貨の在高減少したる結果は一般に深川諸倉庫の不景気を来し、東京倉庫会社の如き米穀の保管額は他の諸倉庫に比して多額にして一時二十万俵内外を出入せしもの昨今に至り三四万俵に減し、一方に於ては倉敷料に収益を減し他方に於ては銀行部の割引を減少せしむるに至りし由なり、尤も同倉庫に於ては他の雑貨に於ゐて非常の減少はなき様子なるが、三井倉庫部の如きは
 - 第14巻 p.356 -ページ画像 
昨今倉庫在高二万俵となり、倉敷料は勿論貸付割引に於て大に減少し一時百二十万円以上の貸付割引ありしもの昨今に至りては三十五六万円に減少し、米倉庫会社に於ける昨今の保管高亦三四万俵に止まり倉敷料の減少せるは明にして、渋沢倉庫其他一個人の営業に係る倉庫に於ても皆此影響を蒙らさるものなき有様なりといふ
之を要するに深川諸倉庫は昨年の同時と比較すれば、倉敷料に於て直上ありしに拘らず収益に於ては非常の差違なきを得さるへく、昨今に於ける米のみの倉敷料は一ケ月千百七十二円(百俵一ケ月一円十銭)なるも昨年の同時は五千五百廿五円(百俵一ケ月九十銭)なりしかば即ち四千三百五十三円程の利益を減する筈にて、其他の商品に対する倉敷料を合算せば其減額頗る多かるべし、況んや此等の商品に対する貸付割引の減少せるに於ておや、然れとも今や各地より新古米の出廻頻繁とならんとすれば、今後倉庫業は稍々繁昌の域に進むならんかといふ


中外商業新報 第四七三七号〔明治三〇年一一月二七日〕 ○深川諸倉庫漸く振ふ(DK140034k-0012)
第14巻 p.356 ページ画像

中外商業新報 第四七三七号〔明治三〇年一一月二七日〕
    ○深川諸倉庫漸く振ふ
深川諸倉庫は正米端境の頃非常の不振を極めたるか昨今は追々新米期節となり米穀漸く東京に集まらんとし、現に在米も次第に増加して二十万俵台となりたれば各倉庫共米穀の蔵入多く、貸付割引及再割引等何れも増加してさしも悲境に陥ゐりし諸倉庫業者は漸く愁眉を開くに至り、殊に年暮に近きて商品の仕入も漸く増加したる振合あり、従て各地よりの輸入多く商品の蔵入も自然多きを加へ、或る倉庫の如きは木炭其他粗雑なる商品に対しては蔵入を謝絶する所もあり、又た三井倉庫の如きも従来日本郵船会社へ貸与したる倉庫を本月限り回収する噂もありて、只管新米其他一般商品の蔵入を待ちつゝあり、尤も昨今米穀の荷主は小口のもの多く未だ纏まりたる持主なきか如く米種も東海道米多きを占め居る有様なりといへり
兎に角期節柄として今後米穀の輸入は多かるべく、又他の商品の輸入も多かるべきも、一方に於ては本年末乃至明年初迄には倉庫の増築頗る多く、現に三井倉庫には五百坪の増築を為し、已に半落成せりと云ひ、東京倉庫会社の清住町に於ける倉庫千五百坪の工事も着着其歩を進め、東京米穀取引所牡丹町の倉庫三千五百坪の工事も余程其歩を進めたれば前途之に応する荷物あるや否やは疑問と云ふべし


中外商業新報 第四七四四号〔明治三〇年一二月五日〕 ○渋沢倉庫部の業務拡張(DK140034k-0013)
第14巻 p.356-357 ページ画像

中外商業新報 第四七四四号〔明治三〇年一二月五日〕
    ○渋沢倉庫部の業務拡張
従来深川区福住町なる渋沢倉庫部にては盛に米雑穀及肥料等の蔵預保管を営めるが、今回更に綿糸・棉花・洋反物・呉服・太物・和洋紙其他各種雑貨の蔵預保管をも亦営業せんとし、同倉庫部とは因縁浅からす且又業務確実を以て綿糸・棉花及木綿等の当業者に厚き信用を得たる日本橋区葺屋町なる東京綿糸合資会社と聯絡を通し、同会社内に渋沢倉庫部出張店を設け、同出張店の直接取扱に係るものは勿論、同会社の委托売買に係るもの亦其蔵入及之に対する金融の便利等を与ふる
 - 第14巻 p.357 -ページ画像 
に努めんとし、既に去一日より開業せりと云ふ、各貨主に取りては定めて大なる便利を得ることなるべし


竜門雑誌 第一一五号・第六五頁 〔明治三〇年一二月一五日〕 雑報 渋沢倉庫部の近状(DK140034k-0014)
第14巻 p.357 ページ画像

竜門雑誌 第一一五号・第六五頁〔明治三〇年一二月一五日〕
  雑報
    ○渋沢倉庫部の近状
渋沢倉庫部は渋沢元方の直轄事業として本年三月三十日より開業せられたるものなるが、証券に対しては第一銀行より金融の便を開き、支配人布施藤平氏以下店員一同協力勉励の結果、旧来の諸倉庫に劣らざる盛況に達せしが、此程日本橋区葺屋町に出張店を設立し、東京綿糸合資会社の諸井時三郎氏本業の傍ら雑貨蔵預の周旋の任に当り、本店出張所共益々顧客の便利を図るといふ


竜門雑誌 第一一五号・第七七頁・広告〔明治三〇年一二月一五日〕 出張店新設広告(DK140034k-0015)
第14巻 p.357 ページ画像

竜門雑誌 第一一五号・第七七頁・広告〔明治三〇年一二月一五日〕
   出張店新設広告
       深川区福住町五番地    渋沢倉庫部
                     電話浪花三百〇二番
十二月一日より業務拡張の為左に出張店を置き御便利に雑貨の蔵預保管を取扱申候間此段広告仕候
       日本橋区葺屋町九番地
                 渋沢倉庫出張店
                   電話浪花三百十五番
右渋沢栄一氏の倉庫部出張店新設に付き特別の約束を結び左記物品の蔵入精々御便利の取扱且従来の委托売買一層勉励仕候間倍旧の御引立奉希候
       日本橋区葺屋町九番地  東京綿糸合資会社
                    電話浪花三百十五番
                   業務担当員
                      諸井時三郎
綿糸・綿花・洋反物・呉服太物・和洋紙・其他雑貨


渋沢倉庫部営業案内(DK140034k-0016)
第14巻 p.357-359 ページ画像

渋沢倉庫部営業案内 (渋沢倉庫株式会社所蔵)
  渋沢倉庫部営業案内
    第一 倉庫
倉庫は深川区福住町万年町永代町及日本橋区内等便利の場所に有之、孰れも構造堅牢にして地所高燥、船附便利に候間、貨物の保管には至極安全にして、蔵入蔵出には頗る好都合に有之候
    第二 金融
金融は第一銀行と特別の聯絡を通し、精々御便利に紹介致候得共、尚他の銀行へも便宜引合可申上候
    第三 保管料
    保管料割合表(火災保険附)
  内国米    百俵ニ付一ケ月    金壱円拾銭
  外国米    同          金壱円四拾銭
 - 第14巻 p.358 -ページ画像 
  大麦     百俵ニ付一ケ月    金壱円四拾銭
  小麦     同          金壱円参拾銭
  竹林麦    同          金壱円参拾銭
  大豆     同          金壱円四拾銭
  小豆     同          金壱円参拾銭
  黒豆     同          金壱円参拾銭
  隠元豆    同          金壱円参拾銭
  古綿     評価金百円ニ付一日  金四銭五厘
  繰綿     同          金壱銭
  亜米利加綿  同          金六厘
  孟買綿    同          金六厘
  支那綿    同          金壱銭
  麻糸     同          金六厘
  紡績糸    同          金六厘
  木綿糸    同          金六厘
  毛糸     同          金五厘
  綿布     同          金六厘
  洋反物    同          金六厘
  メリヤス   同          金壱銭
  綿フランネル 同          金九厘
  和紙     同          金八厘
  洋紙     同          金九厘
  菜種     同          金弐銭
  和洋茛    同          金壱銭弐厘内外
  莚類     同          金壱銭弐厘
  獣皮     同          金七厘
  洋酒     同          金壱銭弐厘
  白砂糖    同          金壱銭
  黒砂糖    同          金壱銭四厘
  舶来砂糖   同          金九厘
  米利堅粉   同          金壱銭参厘
  セメント   同          金参銭
  糠      同          金参銭五厘
  鯡粕     同          金壱銭参厘
  干鰯     同          金弐銭
  丸釘     同          金壱銭
  銅鉄類    同          金八厘内外
右は無比の廉価にして、猶貨物の容積と評価とを見計ひ、精々相働き可申候
    第四 取扱事項
一般倉庫業相営候に付、左に其要点列記仕候
 一貨物の保管は金融の有無に拘はらす取扱可申候
 一保管貨物御売却に付蔵出の際、引換に代金の取立をも取扱可申候
 一保管貨物の内渡は勿論、銀行への内入金とも便利に取扱可申候
 - 第14巻 p.359 -ページ画像 
 一定期市場に於て売買の場合には、取引所に対する代金の受払及貨物の受渡等総て取扱可申候
 一地方より当地又は当地より地方宛、荷為替に対する為替金の受払及貨物の受渡等総て取扱可申候
 一保管貨物に対しては確実の火災保険会社と特約あれば、御望により相当の火災保険相附可申候
 一御協議により蔵敷料にて貸庫をも可仕候
 一貨主御所有の倉庫へ出張、保管の御相談可仕候
    第六 営業時間
一般休日の外は毎日早朝より日没迄業務取扱候得共、尚貨主の御都合によりては、休業日又は日没後と雖も蔵入蔵出可仕候間、多少に拘はらす何時にても御通知有之度、直に店員罷出、精々御便利に御用向相務め可申候
  明治三十一年三月
              東京市深川区福住町五番地
                 渋沢倉庫部本店
                    電話浪花三百二番
              同市日本橋区葺屋町九番地
                 渋沢倉庫部出張店
                    電話浪花三百十五番
   ○右営業案内ハ縦四寸横三寸表紙共六頁ノ小冊ニ印刷セラル。渋沢倉庫株式会社三十年小史第一二―一七頁ニ「初回保管料割合表」ト題シ「創業当時は内部の標準記に止まり公表すべき印刷物を有せざりしが、追々同業者の間の競争激甚を極め且つ雑貨の勧誘上割合表印刷の必要生じたるに依り、次の如く印刷発表せり、之れ倉庫部として初回の印刷物なれば左に掲ぐ」トテ明治三十二年六月十六日付保管料割合表ヲ掲グ。蓋シ上掲営業案内アリ、保管料割合表等ヲ掲ゲタレバ同書ノ「初回の印刷物」云々ハ誤リナルベシ。


渋沢倉庫部営業規則(DK140034k-0017)
第14巻 p.359-360 ページ画像

渋沢倉庫部営業規則 (渋沢倉庫株式会社所蔵)
    渋沢倉庫部営業規則
第一条 当倉庫部ハ物品ノ保管及ヒ倉庫ノ賃貸ヲ以テ営業トス
第二条 受寄物ノ種類ハ随時之ヲ定メ、店頭ニ掲示シ、又ハ保管料割合表ニ記載スヘシ
第三条 物品ヲ寄託セントスル者ハ、予メ其種類品質個数数量荷造ノ種類記号価格及ヒ保管期間ヲ記載シタル書面ヲ以テ当倉庫部ニ申込ムヘシ、遠隔ノ地方ニ在リテ物品ヲ寄託セントスル者ハ、東京市内ニ住居スル代理人ヲ置クヘシ
第四条 寄託物ノ保管期間ハ六ケ月以内トス
第五条 当倉庫部ニ於テ受寄物ノ入庫ヲ為シタルトキハ、寄託者ノ請求ニヨリ預証券及ヒ質入証券ヲ交付スヘシ○第六条略
第七条 預証券及ヒ質入証券ハ裏書ニ依リテ之ヲ譲渡シ又ハ質入スルコトヲ得、但当倉庫部ノ便宜ニ因リ裏書ヲ禁シタルトキハ此限ニアラス○第八条ヨリ第一〇条マデ略
第十一条 当倉庫部ニ於テ受寄物ニ付弁償ノ責ニ任スルハ、雨漏窃盗
 - 第14巻 p.360 -ページ画像 
及ヒ紛失ノ場合ニ限ル、天災事変強盗其他抗拒スヘカラサル事由、鼠喰虫入受寄物ノ性質気候ノ変遷荷造ノ不完全等ニ因リ生シタル損害ハ、当倉庫部其責ニ任セス○第一二条ヨリ第一九条マデ略
第二十条 倉庫ノ賃借ヲ求ムル者アルトキハ、当倉庫部ハ物品ノ種類ヲ特定シ、倉庫ヲ区劃シテ其貸渡ヲ為スヘシ○第二一条ヨリ第二四条マデ略
  明治三十二年六月十六日
   ○右営業規則ハ縦四寸横三寸表紙共十頁ノ印刷小冊ナリ。渋沢倉庫株式会社三十年小史第三四頁ニハ「初回営業規則」ト題シ「倉庫部には営業規則としては内規なる筆写草案に止まりしが、改正商法実施によりて証券は預証券と質入証券の二枚を発行する関係上初めて制定印刷し、明治三十四年七月一日改正として左記の如く発表す」トテ、明治三十四年七月一日改正ノ「渋沢倉庫部営業規則」ヲ載ス、商法中倉庫業ニ関スル事項ノ施行セラレタルハ明治三十二年六月ニシテ、ソノタメ前掲営業規則ノ印刷セラレタルヲ見レバ、同書記載ノ「初回云々」ハ誤リナルベシ。


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK140034k-0018)
第14巻 p.360 ページ画像

渋沢栄一日記 明治三三年
六月九日 晴
○上略四時頃深川宅ニ立寄リテ倉庫部ノコトヲ篤二ニ談話シ、且尾高老人ノ病ヲ訪ヒ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK140034k-0019)
第14巻 p.360 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三三年 (八十島親義氏所蔵)
二月廿五日 快晴暖 日曜
朝八時半頃晩起、本日ハ同族会議アリ、且其前農場及倉庫部ノ件ニ付評議アルニ付、午前十時ヨリ出勤ス
主人公別宅ヨリ午後帰邸後モ来客アリシニ付、四時頃ヨリ布施氏ニ倉庫部創立ノ大趣旨、即渋沢家ノ利益ヲ図リツヽ第一銀行ノ機関タルヘキ主意ニ背カザル様注意シ、即渋沢家ノ利益ノミヲ主トシ不知不識ノ間第一銀行ノ競争ノ側ニ立チ主人ノ本意ニ背ク様ノコトナキ様諭サレ且向後ハ布施氏モ月一両回ハ元方ハ無沙汰セズシテ来訪シ、又予モ主人ノ代理トシテ一日一回位ハ倉庫部ヲ見回リ、以テ相当事情ノ疎通スル様可致ト被命
○下略
   ○中略。
九月三日 晴 残暑甚シ九十度
九時出勤ス、本日ハ青淵翁風邪ニテ別宅ヨリ外出ナキニ付少閑也、依テ三時ヨリ倉庫部ヲ視察シ○中略夫ヨリ深川邸ニ至リ、若主人夫婦ト晩餐ヲ共ニシ十時帰ル


竜門雑誌 第一五三号・広告 〔明治三四年二月二五日〕 広告(DK140034k-0020)
第14巻 p.360-361 ページ画像

竜門雑誌 第一五三号・広告〔明治三四年二月二五日〕
                  深川区福住町五番地
                渋沢倉庫部
                    電話浪花三〇二番一九二二番
                  日本橋区葺屋町九番地
                同出張所
                    電話浪花三一五番
 - 第14巻 p.361 -ページ画像 
                  京橋区霊岸島町六番地
                同出張所
                    電話浪花二八七四番
当倉庫部ハ米・雑穀其他諸雑貨等専ラ信切ト確実ヲ主トシ極メテ低廉ノ保管料ヲ以テ一般寄託者ノ需メニ応シ、且左ノ各銀行ト特約アリテ金融ノ紹介ヲナシ、又内入金ヲ以テ貨物内出ノ便法アリ
○下略


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK140034k-0021)
第14巻 p.361 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三四年
四月十七日 晴
○上略伊藤半次郎来リテ倉庫部営業ノ概況ヲ述フ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三四年(DK140034k-0022)
第14巻 p.361 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三四年 (八十島親義氏所蔵)
十一月三十日 晴
出勤如例、今夕兜町事務所ニテ同族会議催サレ、青淵翁・夫人・篤二氏・夫人・穂積氏・夫人、及阪谷氏来会、問題ハ深川ヘ煉瓦倉庫建築(倉庫部用トシテ)ノ一案ナリシカ再調ニ附スコトトナル、十時帰宅


(八十島親徳) 日録 明治三五年(DK140034k-0023)
第14巻 p.361 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三五年 (八十島親義氏所蔵)
十一月十五日《(二)》 晴
朝男爵ノ命ニ依リ永田町ノ桂総理大臣ノ官邸ニ至リ男爵ニ面会、午前十一時兜町ヘ出勤○中略五時半ヨリ深川邸ニ招カル、今夜ハ元方ヨリ尾高・松平及予、倉庫部ヨリ伊藤・利倉参集、若主人ト倉庫部組合契約今年限リ満期(渋沢作太郎及山崎繁次郎トノ)ニ付其以後ノ処理法ニ就テ協議ス、軈テ男爵同邸ヘ帰リ来ラレ、十二時過マテ男爵ノ方ヲ《(ノカ)》用ヲ達シ帰ル


(八十島親徳) 日録 明治三六年(DK140034k-0024)
第14巻 p.361 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三六年 (八十島親義氏所蔵)
一月廿八日 雨
○上略夕刻ヨリ深川邸ニ至ル、若主人ガ本年一月一日以後倉庫ノ規程、計算向、及ヒ元方トノ関係等ニツキ伊藤ト予ト松平トヲ招キ、晩餐ヲ饗シ乍ラ協議セン為也、十二時帰宅
   ○中略。
六月十六日 晴
九時出勤、午後ヨリ若主人ニ伴ハレ倉庫部ニ至リ、伊藤支配人等ヲ合手ニ帳簿ノ撿査ヲナス○下略
   ○中略。
七月七日 雨
○上略
今夜倉庫部ノ件ニ付梅謙次郎博士及弁護士ノ宮田四八氏ヲ深川邸ニ招カレシニ付予モ陪席ス、其他ハ伊藤半次郎・利倉久吉ノ二氏也、倉庫証券ノ荷物内容価格等ニ関スル件其他ニ付種々教ヲ仰キタリ、支那料理ノ饗応後三光堂ノ蓄音器、円右ノ落語等アリ、賓客ノ退散後興ニ乗シ予等モ共ニ吹込ミ等ヲナス、予ハ十二時過帰ル
 - 第14巻 p.362 -ページ画像 


(八十島親徳) 日録 明治三七年(DK140034k-0025)
第14巻 p.362 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三七年 (八十島親義氏所蔵)
十二月六日 快晴
○上略夕五時深川邸ノ招宴ニ応ス、今夜ハ倉庫部ガ第一銀行諸氏ヲ招クノ宴会ニシテ、石井録三郎・早乙女等以下十数名也、支那料理ノ食事後篤二氏書卸シノ滑稽喜劇三幕、不相変第一銀行員村瀬・大須賀ト及三味線引豊市ノ演スル所ニ係ル、帰宅セシハ十二時ニナレリ


(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK140034k-0026)
第14巻 p.362 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三八年 (八十島親義氏所蔵)
三月三十一日 少雨 暖
例刻出勤○中略放課後深川邸ニ至リ若主人ニ病床ニテ面会ス、寺田由衛費消事件及倉庫部紛紜事件等ニ付種々談合
   ○中略。
五月一日 雨
○上略夜尾高・松平二氏ト共ニ若主人ニ招カレ深川邸ニ至ル、晩餐ノ饗応旁倉庫部将来ノ新築及業務発展ノ一般計画及ヒ伊藤支配人ノ適不適等ニ関シ協議アリ、十一時帰宅ス
   ○中略。
九月四日 快晴 暑 但強風 八十七度
○上略夕五時帰宅、入浴更衣ノ上小山渋沢邸ニ至ル、尾高氏ト共ニ倉庫主任ノ更任、増築拡張等ノコトニ付テ相談アリシ為メナリ、夜十時過帰宅ス
   ○コノ年六月深川区ニペスト猖獗ノ兆アリ。渋沢篤二、六月二日ヲ以テ深川邸ヲ立退キ三田小山町ノ借宅ニ移転ス。(八十島親徳日録、明治三八年六月二日ノ項ニ拠ル)
   ○中略。
十一月廿二日 晴
○上略
夕若主人ヨリ招カレ吾妻亭ニ至ル、此度倉庫部ノ伊藤半次郎辞任、諸井四郎後任トシテ入リシニ付其送迎会ニシテ、元方員・倉庫員等一同二十余名ヲ招カレタルナリ、食事及主客ノ挨拶等終リテ貞水ノ講談ナドアリ、十一時帰宅○下略


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK140034k-0027)
第14巻 p.362 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三八年
十二月七日 雨 風寒
○上略六時帝国ホテルニ抵リ、倉庫部ニ於テ催シタル宴会ニ出席ス○下略


(八十島親徳) 日録 明治三八年(DK140034k-0028)
第14巻 p.362 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三八年 (八十島親義氏所蔵)
十二月七日 終日雨
○上略
夕帝国ホテルニ於倉庫部支配人更任披露ノ宴会アリ、取引銀行タル第一・正金・二十・住友・十五等ノ役員ヲ主トス、主客卅二人、男爵ノ挨拶、川島忠之助氏ノ謝辞アリ、余興ハ小三、十時半帰宅


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK140034k-0029)
第14巻 p.362-363 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
 - 第14巻 p.363 -ページ画像 
二月六日 晴 軽暖
○上略十二時深川邸ノ倉庫部事務所新築ノ移転式ニ出席シ、部員ニ対シ一場ノ訓戒演説ヲ為シ、午飧ヲ共ニシ、帰途銀行倶楽部ニ抵リ、戸田氏ニ談話シ、午後一時半瓦斯会社重役会ニ出席ス○下略


(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK140034k-0030)
第14巻 p.363 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三九年 (八十島親義氏所蔵)
二月六日 晴
○上略渋沢倉庫部事務所新築落成、今日移転式ヲ行フ、男爵始尾高氏及予臨席ス、外ニハ田中長兵衛手代(之ハ大得意先トシテ)・上原豊吉・山崎繁次郎・綾部玉三郎等ノ来賓アリ、階上広間ヘ店員ヲ集メ、男爵ヨリ、倉庫ノ業体ガ商業ノ補助的機関トシテ重要ナル事業ニシテ半バ公共的ノモノ故、従事員亦大ニ其心得ヲ以誠実事ニ当ラサルヘカラサル旨ヲ訓諭シ、且祝意ヲ陳ヘラル、終テ赤飯弁当ニテ祝盃ヲ挙ケ解散ス、従来ノ狭宅ヨリ移リシコトナレハ中々立派ニ見ユ
○下略


渋沢栄一 書翰 諸井六郎宛(未発)(明治三九年)三月二八日(DK140034k-0031)
第14巻 p.363 ページ画像

渋沢栄一 書翰 諸井六郎宛(未発)(明治三九年)三月二八日
                    (八十島親義氏所蔵)
○上略
  三月廿八日                 渋沢栄一
    諸井賢契
        梧下
尚々当地一同無事御省念可被下候、四郎兄ハ拙宅之事務即ち倉庫部担当之事ニ相成引続き尽力せられ候○下略
   ○白耳義国アンベルス府滞在中ノ諸井六郎ニ宛テ、当時洋行セントセル服部金太郎ニ持参セシメントセシモ用ヰザリシガ如シ、封筒ニ「不用ニ帰ス」ト記セリ。


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK140034k-0032)
第14巻 p.363 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年
六月二十四日 曇冷 起床六時三十分就蓐十二時
○上略七時帰寓、夫ヨリ花月楼ニ抵リ、韓国漢城銀行・天一銀行・農工銀行及倉庫会社等ノ催ニ係ル饗宴ニ出席ス、酒間一場ノ演説ヲ為ス、本邦経済界ノ沿革ヲ叙シテ大ニ韓国ノ人士ニ訓戒ス、夜十二時宴散シテ帰寓ス
   ○栄一ハ六月八日東京発韓国ニ旅シテ此ノ日京城ニ在リ。
   ○中略。
六月三十日 曇 蒸暑
○上略午後三時漢城銀行ニ抵リ行務ヲ一覧ス、更ニ倉庫会社ニ抵リテ同シク事務ヲ視ル、午後五時帰寓○下略


(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK140034k-0033)
第14巻 p.363-364 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治三九年 (八十島親義氏所蔵)
九月十三日 終日雨 冷気六十余度
○上略
倉庫部支配人諸井四郎、新設ノ東亜製粉会社ニ専務トシテ入ラント柿
 - 第14巻 p.364 -ページ画像 
沼等ヨリ勧メラレ、倉庫辞任ノ申出アリ、男爵甚不満足ニ感セラルヽモ本人ノ意大ニ動ケルヲ見、断然請ヲ許ルサレントス
○下略
   ○中略。
十二月廿七日 晴
○上略午後五時ヨリ同族会議開会○中略倉庫支配人諸井四郎後任ハ脇田勇可然カト話合○下略



〔参考〕銀行通信録 第四二巻第二五〇号・第一七九―一八一頁〔明治三九年八月一五日〕 東京市場に於ける倉庫改良の必要(渋沢倉庫支配人諸井四郎)(DK140034k-0034)
第14巻 p.364-366 ページ画像

銀行通信録
第四二巻第二五〇号・第一七九―一八一頁〔明治三九年八月一五日〕
    東京市場に於ける倉庫改良の必要
                (渋沢倉庫支配人諸井四郎)
東京に於ける商業の中心地日本橋区堀留附近より鎧橋沿岸に至る一帯の地は、所謂土一升金一升といふへき有数の土地なるに係らず、各商店は其店舗の外別に倉庫を有し専ら其商品保管の用に供す、思ふに此高価なる土地に於て倉庫を所有すること営業上既に引合ふべからざるに、其建築の方法も多くは旧式にして地坪を用ゐること極めて冗漫に失し、何れより見るも経済上其不利益なること玆に言を俟たざるべし聞く処に依れば其倉庫使用の方法は多くは蔵番を置かずして其店員をして兼ねしむるも、保管の貨物及之に対する帳簿整理の為め少なくも二三の人員を要し其手数と費用とは甚だ少なからず、而して是等の店員は兼務として蔵入蔵出の取扱を為すが故に昼間其本務を終りたる後之が整理に従事し時としては深更に及ぶことあり、殊に商品の出入頻繁なるに従ひ実際の在高と帳簿の残高と符合せざることあるのみならず往々荷物の紛失することなしとせず、又多数の商品を貯蔵する場合には其整理の行届かざるより自然在荷の銘柄を忘れて同一の品物を仕入るゝことあり、又在庫品にして価格の下落したる場合には直接に蔵敷料を支払ふことなきが故に実際金利と保管料との加はりて原価の一層高まるを算当せず、之を売却して他の有利の方法に使用するの時機を失することあり、且是等の商品に対しては火災保険に付せざる場合もあるが故に万一不慮の災あるときは其全部に対する損害を蒙ることなしとせず、又在来の倉庫は多くは旧時の建築に係り甚だ不完全にして老朽其用に堪えざるものもあり、危険の之に伴ふものなきを保し難しといふ、倉庫使用の方法も不完全なること亦斯の如し、商業の発達未だ幼稚にして取引の僅少なる時代に於ては店舗と倉庫とは相接すること便宜なるべしと雖ども、漸次取引の頻繁となり取扱の額も亦増加するに及び、商業の取引と商品の保管とは全く分科して、既に倉庫業の発達を見たる今日に於て、小売を業とせざる卸売問屋にして此不利益なる従来の方法を固守するは果して如何なる理由に基くものなりや察するに昔時商家は其商品を保管する為め倉庫の設備を要したるもの漸次取引の膨張して之を増設するに及び、遂に大なる倉庫と多量の商品を有するとは其商店の大なるを示すものとし之を以て名誉と為し、自己の商品を他人の倉庫に託するは質屋に対して典物として入るゝ場合に限る之れ不名誉なりとの観念に基きしものなるべし、近来漸く此
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旧思想の否なるを覚りしが如しと雖ども、因襲の久しき未だ断乎として之を改良するの勇気に乏しく、躊躇逡巡尚旧慣を墨守するものといふべきなり
今や戦後に於ける商業上の大発展は斯かる旧思想の残存するを容れず大いに取引の方法を改良し、商品の取扱を整理し、其規模を拡張し、其面目を一新すべき機運に際会せり、遠く泰西の例を言ふを俟たず、近く阪神地方に於て夙に倉庫業を利用し商品の授受は単に一片の書面を以て了するに至りたるに、独り東京のみが之を完全に利用するに至らざるは誠に遺憾なりといふべきなり、然しながら東京は阪神地方の如く貨物の集散地にあらずして消費地なり、換言すれば大なる卸売市場に非ずして大なる小売市場なり、其商品の取扱は出入の割合に小額なるが故に、商店と倉庫の距離の遠隔なるは運搬其他の費用を要する点に於て著しき関係あるを以て、成る可く倉庫は商店の附近に在るを便宜とすること疑を容れず、然れども単に此理由を以て現状に於て甘んずるは甚だ謂はれなしといはざる可からず
然らば之が改良の策如何、思ふに現在各自の倉庫は之が使用を止め、更に此附近に於て尤も交通至便なる地点を撰び、最小の地坪に於て成る可く高層の倉庫を建設し、機械力を利用して貨物の出入を為し、之が取扱は挙げて倉庫業者に托するにあり、而して在来の倉庫は店舗と為すか又は取毀ち他の有利の方法に用ゆべし、玆に正確なる統計を有せざれども、概算に依れば現在箇々の倉庫は通じて千五百坪乃至二千坪に達す可し、今仮りに五百坪の地坪に於て三層建の倉庫を作るものとせば千坪の余剰を生ずることとなる、随て従来に比し頗る僅少なる地坪に於て同額の建坪を得ることゝなり、土地と建物とを経済的に使用し其利益する処蓋し少からざる可し、若し此方法にして直ちに行はれずとせん乎尚他に一策あり、即ち現今各自の倉庫を挙げて倉庫業者に貸与し、同時に其商品の保管を委托し、倉庫業者は一定の保管料を受け一定の倉庫料を支払ひ、其貨物は貸主所有の倉庫に於て出入を為し、而して差支なき限りは倉庫は彼我相通じて使用することゝせば、一方には不足を生じ一方には剰余ある等の不平均を来すことなく、全体に之を利用することを得べし
何れの方法に依るも商品を倉庫業者に依托するとせば、商店に於ては其倉庫を管理し商品の出入を為すの必要なきが故に、店員を減少し得るか少くも之をして特別に勤務せしむるの労を省き手数と費用とを節するのみならず、商品の棚卸を為すことなくして員数は常に明瞭なるべし、而して之に対する一切の責任は挙げて倉庫業者の負担に帰するが故に手を下さずして安全に其貨物を保管することゝなる可し、若し夫れ貨物の出入の如きは通帳其他極めて簡便なる方法を以て如何なる小数にても之が取扱を為すべきは勿論、成るべく最少の費用と手数とを以て最大の便宜を与ふべきは倉庫業者の義務たる可し
之を要するに先づ貸庫の方法に依り現在の倉庫を統一し、之を完全に利用するの便宜を知りたる後に於て、始めて倉庫を一地に集め経済的に設備するを以て自然の順序なりと信ず、孰れにもせよ商業上の趨勢は永く現状を維持すべきものに非ず、早晩其必要に迫るべきや疑を容
 - 第14巻 p.366 -ページ画像 
れず一日早ければ一日の利あり、之れ単に同処に於ける市場の利益たるのみならず又公益の一端なれば玆に之を論ずる所以なり