デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

3章 商工業
28節 貿易
10款 聯合生糸荷預所
■綱文

第15巻 p.80-99(DK150005k) ページ画像

明治14年11月2日(1881年)

是日栄一、益田孝ト共ニ、米国公使ノ周旋ニヨリ外国商人ウヰルキン及ビウオルシト会食シ、和解ノ方法ニツキ熟談ス。


■資料

青淵先生六十年史 (竜門社編) 第一巻・第八四九頁 明治三三年六月再版刊(DK150005k-0001)
第15巻 p.80-81 ページ画像

青淵先生六十年史 (竜門社編)  第一巻・第八四九頁 明治三三年六月再版刊
 ○第十六章 開港場貿易習慣改良
    第三節 生糸聯合荷預所
○上略
荷預所ト外国商人トノ紛議ハ久シク結テ解ケス、其間貿易ハ殆ト中止ノ姿トナリ双方ノ不利少ナカラス、時ノ米国公使大ニ之ヲ憂ヒ両者ノ間ニ周旋スル所アリ、明治十四年十一月二日公使ハ先生及益田孝ト横
 - 第15巻 p.81 -ページ画像 
浜在留外国商人ウヰルキン及ウオルシヲ招キ会食シ和解ノ方法ニ就テ熟談シ、先生及益田ヨリ中央市場設置案ヲ提出セリ、中央市場トハ共同倉庫即チ「ウエヤハウス」ノ方法ナリ、ウヰルキン及ウオルシモ之ニ同意シ、其設立ニ至ルマテハ従来ノ取引法ニ多少改良ヲ加ヘ従前ノ如ク外商館ニ於テ取引スルコトニ決シ、此ノ趣旨ヲ以テ紛議ノ和解ニ尽力スルコトヲ約シタリ


中外物価新報 第四四九号 明治一四年一一月五日 【横浜生糸商の紛紜に…】(DK150005k-0002)
第15巻 p.81-83 ページ画像

中外物価新報  第四四九号 明治一四年一一月五日
 横浜生糸商の紛紜に関し、去る二日米国公使館に於て渋沢栄一・益田孝両氏とウヰルキン、ウオルシ両氏と談話の筆記を得たれハ、左に記載して読者諸君の瀏覧に供す。
渋沢・益田両氏曰く、我か聯合生糸売込問屋の主眼とする所ハ両君の既に知了せらるゝ所なれは、今日の談話を以て我か商人も外国商人も共に満足すへき落着に至らんことを冀望す。
ウヰルキン氏曰く、聯合生糸商人の外国商人に対せる不平の内、一二を除きてハ甚た正理とも思われされと、荷物を買方の倉庫に引込みて永く差置く事を不平とするも、其手続に於て売方の満足を求むへき手段なきにはあらさるへし、其ハ是迄の如く荷物を引込むとも、之れに対する十分の証書を製して売買双方之れに記名調印せハ、売方に於て更に危疑することなく其不平も消滅すへし。
渋沢氏曰く、其手段ハ必す行ハるべけれと我商人ハ買方の倉庫に生糸を止め置く而已を不平とするにあらす、一体の売買手続に於て不平を懐くものなれハ、売買双方に便利なる中央市場即ち倉庫《ウエーアハウス》を設立して、相互に同等の商権を有することを要望するなり、故に前の手段を以て十分の調理とハ謂ふへからさるなり。
ウヰルキン氏曰く、其ハ現時の議にあらされハ姑らく他日に譲り、若し倉庫《ウエーアハウス》を建設して売買の整理を望むとせハ、恐らくは一年乃至二年の時日を要すへし、今我か陳述せし手段ハ、商売の復旧を希望せしものにて、明日にも実行し得へき所なり。
当下渋沢氏ハ今日商売復旧の事を後にし、中央市場の設立ハ一般に生糸商人の便利とならさるか否や、ウヰルキン氏の意見を質したり。
ウヰルキン氏曰く、其ハ或ハ便利なるへし、併し今日の談にあらす、現在自己の住所に生糸の撿査に設けたる場所あるに、故らに買品撿査の為め他に行かさるを得さるとせハ、実に其不便を主張せさるを得さるなり。
益田氏曰く、余は今互に異にする所の意見を合同せしむへき公平の方法あるへしと信す、其ハ中央市場即ち公同倉庫《ゼネラルウエーアハウス》の設立なり、此設立あらハ、独り生糸の改良を促すのみならす、其商事も大ひに改進に趨く可し。
ウヰルキン氏曰く、益田君よ、是迄生糸取引上の経験を以て観るも、日本商人ハ決して正直なりとの信用を外商に与へしことなかりしにあらすや、而して今日の談話ハ今日紛紜中なる生糸の商売を再行すへき方便を考案するにあれハ、夫等の談ハ到底無益なるへし。
益田氏曰く、現今商売再行の議は容易なるへしと雖も、我か聯合商人
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が期する所ハ公同倉庫の設立を定むるに在れハ、此点の決せさる間ハ現今の事に就きて言を発するも亦無益なり。
ウヰルキン氏曰く、公同倉庫とハ如何なるものか。
益田氏曰く、公同倉庫ハ各買主に安心を与へ、其建築地所も居留地の内外を問ハす買主の出入に便利なる地位を撰むへく、又生糸撿査の間ハ撿査室の鎖鑰を買主自ら所持し、又番人を置くを必要とする時ハ、自ら人を撰で之を置くを得へし、特に我商人か争ふ所の主眼ハ、右の如き倉庫に於て撿査を行ひ、受渡の際其実量の代価を領収するの点に在るなり。
ウヰルキン氏曰く、聯合商人ハ能く其同志を束縛し得るも、我外国商人ハ如何なる約束をも為し能ハさるへし。
益田氏曰く、公同倉庫ハ外商の同意を得ハ、適応の建築者を依頼し、外国商人とも協議の上之を建築すへく、又保険をも付して各を安心せしむへし、天秤ハ双方撿査の上之を用ひ、直段を定めし時ハ無遅滞速かに之を撿査し、風袋は現量を算すへし、代価ハ受渡の節直ちに払ふものとし、始めて売買双方公平且便利なりと謂ふへく、果して事此に至れハ生糸商売の改進に赴くや亦疑ふへからす。
ウオルシ氏曰く、益田君の説の如くなれハ、唯に買主にのみ歩を譲らんことを求めらるゝか如く甚た不公平ならん、売主の方にても亦多少歩を譲りてこそ公平なるべし。
ウヰルキン氏之を敷衍して曰く、買主も売主と同様の安心を有せさるへからす、今益田君の説を聞くに相互の安心にあらす、唯買主のみに歩を譲らしめ、一の専売所を設けて商業の進歩を妨る所為なれハ、売主及ひ製糸家にも買主たる外商と同しく不便を与ふへし、商業を繁盛ならしめんと欲せハ、仮りにも進歩を妨る所為を為すへからす。
益田氏曰く、我か前説の如きハ双方共に安心にして乃ち便利なるへきを信す、現に此中央市場の設立を要望するハ、独り横浜商人のみならす、実に全国の製糸家が挙つて要望する所なり。
(此間余談あれど略す)
渋沢・益田両氏曰く、余等ハ我が聯合商人より嘱托を受け、代理人たるの資格を以て今日の談話を為すにあらざれバ、或ハ意見の異なる事なきを保せされど、外国商人が中央市場設立の一点を是とするに一決せバ、余等も仮りに倉庫へ引込みて、買主より荷物預り証書及火難保険証書を交付すと云ふ手段を以て、従前の売買手続を改良し、一時是迄の如く商売を為さしめんことを、我か聯合商人に誘導するを勉むへし。
ウオルシ氏曰く、売主をして見本と一様なる糸を蒐集して渡さしめんに如何なる証を立るか、又売主の之れに背く時ハ如何なる所置を施すや。
益田氏曰く、不同の品ありし時ハ其劣品ハ、減価せしむるか、若くハ全く破約するも妨けなし、我々両人とも中央市場を設立するにあらざれハ、此等の弊害ハ一掃して跡を絶つに至らさるへしと信す。
於是ウオルシ、ウヰルキンの両氏ハ中央市場設立迄は倉庫へ引込み、預り証書・火災保険証書を交付して商売をすへきに予定し、外商惣会
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に於て中央市場を可決すへきに勉むへしと云ひ、渋沢・益田両氏ハ、外商に於て中央市場の設立を可決する以上は、我が聯合商人を誘導して中央市場設立迄ハ倉庫に引込み証書を取るの便宜方を以て商売せしむへきことに勉力せんと云ひて此談話を了りたり。


東京日日新聞 第二九七四号 明治一四年一一月九日 生糸ノ紛議(DK150005k-0003)
第15巻 p.83-85 ページ画像

東京日日新聞  第二九七四号 明治一四年一一月九日
    生糸ノ紛議
横浜ニ生糸荷預所ヲ設立シタルニ由リ内外商人ノ間ニ起リタル紛議ハ去八月十五日ヨリ今日ニ至ルマテ葛藤シテ解ケズ、幾ンド一百日ノ光陰ヲ経過セントスルニ至レリ、凡ソ横浜ヨリ輸出スベキ今年ノ生糸ハ屑物トモ合セテ二万梱ニ上ルベシ、一梱ヲ極低価ニ見積リテ其価ヲ六百弗トスルモ其総額千二百万弗トナル、之ヲ紙幣ニ改算シテ亦洋銀相場ノ極低価ナル見積ニテ一弗ヲ以テ紙幣一円五拾銭トスルトキハ千八百万円トナル、幾ンド二千万円ノ取引ナリ、而シテ現ニ横浜ニ在ル所ノ生糸ハ一万二千梱余ニシテ、概算スルニ紙幣一千万円ニ超過スル所ノ貨物ナリトス、初メ此紛議ノ起ルニ方リテ外商ハ以為ク、日本商人ノ事ナレバ仮令聯合シタリトテ久シク耐忍スベキニアラズ一週間モ維持スルコト覚束無シト、日本商人モ亦外商ガ団結シタリトモ、其本国ヨリ生糸相場ノ次第ニ騰貴シタル電報モアリ、彼レ是レ以テ目前ノ利ヲ棄ルコトハ成シ難キモノナレバ容易ニ瓦解スルニ相違ナシト以謂ヘリ、然ルニ双方共ニ其胸算スル所ノ如クナラズ意外ニ強剛不撓ノ気力ヲ示メシ、最早今日トナリテハ相互ニ騎虎ノ勢トナリ、塁ヲ高クシ溝ヲ深クシ睨合ノ形状ナレバ其結局ハ果シテ如何ナルベキカヲ知ル能ハズ、如此ナルガ故ニ生糸産出人即チ荷主ハ之ヲ沽ラント欲シテ沽ルヲ得ズ、外商ハ之ヲ買ハント欲シテ買フ能ハズ、金融ノ壅塞スルヲモ顧ルニ暇マアラズ、眼前ノ利益アルモ之ヲ取ルニ由シナク、日ヲ曠クシ久キヲ持ス、実ニ今回ノ紛議ハ貿易市場ノ一大変動ト謂フベシ
此事ニ就テハ吾曹ガ本日ノ紙上ニ於テ中外物価新報ヨリ抄録シタルガ如ク、去ル二日ニ渋沢栄一・益田孝ノ両氏ガ横浜ナル米国公使館ニ於テウヰルキン、ウオルシノ両氏ト生糸ノ事ニ就テノ談話ノ末、ウヰルキン、ウオルシ二氏ハ中央市場ヲ設立スルマデハ倉庫ヘ引込ミ、預リ証書・火災保険証書ヲ交付シテ商売スル事ト予定シ、外商総会ニ於テ中央市場ヲ設クル事ト可決スルコトヲ努力スベシトイヒ、渋沢・益田両氏ハ外商ニテ中央市場ノ設立ヲ可決スル以上ハ我ガ聯合商人ヲ誘導シテ中央市場ノ設立マテハ倉庫ニ引込ミ、証書ヲ取ルノ便宜法ヲ以テ商売セシムベキ事ニ努力セントノ対談ニテアリシトイヘリ、左レバ今日トナリテハ此中央市場ヲ設ケテ紛議ノ局ヲ結ブノ外ニ良策アルベシトモ思ハレズ、然ル上ハ速カニ中央市場設立ノ事ヲ可決シ此媾和ノ行ハルヽニ至ランコトヲ望ムニ切ナリ
抑モ最初外商ノ生糸荷預所ニ就テ頗ル凝恠シタル所以ノ者亦全ク其因由無キニ非ラズ、則チ商権ヲ恢復スルトイフノ意味ヲ誤解シタルニ在リ、元来所謂商権トハ如何ナル義趣ゾヤ、彼ノ商売ノ権利ノ謂ニアラズ唯商売ノ掛引ヲ支配スルノ義ナリ、然ルヲ商売ノ権利ヲ日本商人ニ専有セントスルガ如クニ解釈シタルヲ以テ、外商ハ頗ル疑ヲ此点ニ抱
 - 第15巻 p.84 -ページ画像 
キシモノヽ如シ、左レバ従来ノ振合ヲ以テセハ商売ノ掛引全ク外商ノ壟断スル所トナリシガ如ク、然ルヲ今マタ日本商人ガ取テ之ニ代ハリ掛引ヲ日本商人ニ於テ之ヲ支配シ、而シテ外商ノ今マデ壟断シタルガ如クセントスル趣意ニハ非ズ、内外商人ノ今マデ掛引上ニ軒輊アリシモノヲシテ平衡ヲ得ルニ至ラシメ、相互ノ商売ノ掛引ヲ為スニ至ルヲ望ムニ外ナラザルガ、即チ当初生糸荷預所ヲ設立セル目的ナリ、然ルトキハ中央市場ノ設立アルニ至ラバマタ互ニ権衡平等ナルヲ得ベケレバ、彼此共ニ利アリテ害無キ所ノ良法ナルベシト思ハル
然ルニ外商ヲシテ此中央市場ヲ設立スルコトヲ承諾セシムルヲ得ルト否トハ日本商人ノ団結ヲ以テ最モ緊要ナリトス、外人ハ頗ル結合ノ力ニ富ムモノナリ、吾曹ガ嘗テ謂フガ如ク日本人ハ最モ辛抱ノ力ニ乏シトハ是也、視ヨ生糸荷主ト商人トノ為メニ他ノ生糸ニ関係ナキ商估マデモ此紛議ニ就テ金融ノ壅塞セリトノ怨言ナク、ミナ此結局外商ニ屈セザルニ至ランコトヲ望ミタリ、啻ニ此ノミナラズ各地ノ商法会議所ハ孰モ奮テ斯挙ヲ賛成シ、各地ノ銀行ハ金ヲ聯合荷預所ニ貸与シ聯合外ノ者ニ貸スコトヲ承諾セザルベシトイヒテ其急ヲ済スニ汲々シ、各地ノ新聞演説ハマタ之ガ声援ヲ為スニ孜々タリ、各地ノ有志者ハ各力ヲ尽シテ金ヲ用達ベシト申込ミタリ、其協力一致シテ之ガ応援ヲ為スモノハ斯ク愕クベキホドニシテ、実ニ日本人ガ奮テ団結ノ力アル此如ナルヲ中外ニ示ス唯此時ヲ然リトス、左レバコソ金融ノ塞ガリテ幾ンド商売ノ取引ヲ為シ難キホドナレトモ敢テ此紛議ニ向テ怨言ナキハ、ミナ一己ノ私利私欲ヲ捨テヽ一国ノ公利公益ヲ思フガ故ナリ
生糸ニ関繋ナキ傍観者ニテ猶如此、而シテ其局ニ当ル荷主ニシテ辛抱スルヲ難ムジ、動モスレバ銀貨下落其他ノ事ヲ辞柄トシテ売急ギヲ為シ、或ハ密カニ款ヲ外商ニ送リ、或ハ聯合ノ約ヲ破リテ外商ニ売込マント謀ルガ如キモノアルハ抑モ何ゾヤ、是ハ一人一己私利私欲ノ為ニ天下ノ公利公益ヲ害スルノ所行ト謂フベキモノニシテ、半途ニシテ約ヲ破ルナラバ寧ロ聯合ノ盟ニ与カラザルコソマシナラン、然ルニ一旦聯盟ノ列ニ加ハリ公利公益ノ為ナリト颺言シナガラ、陰ニ一己ノ私利私欲ヲ逞クセントスル実ニ人ヲ欺キ自ラ欺クニ非ズヤ、世上ニ信ヲ失フノ徒ナリ、之ヲ殆ンド国ヲ売ルニ同シト謂フモ不可ナカルベシ、何トナレバ一人朝タニ違約シテ盟ヲ破リ、二人夕ベニ違約シテ約ニ背カバ、至竟日本商人ノ団結ハ土崩瓦解シテ媾和ノ談判モ之レガ為ニ成ラズ、遂ニハ従来ヨリモ甚キ待遇ヲ外商ニ受クルノ不幸ナル成績アランコトハ必然ナリ、故ニ生糸荷主ト其商人トガ外人ト由ナキ紛議ヲ起シ我々ガ商売ニマデモ影響ヲ金融ニ生ジテ困難ナリトイヒ、或ハ今日ノ形状ナレバ寧ロ聯合ノ盟約ニ加ハラザルベシトイヒテ傍ヨリ此団結ヲ破ラント試ムルモノアリトモ、気ヲ鋭クシ志ヲ励マシテ之ヲ禦ガザルベカラズ、然ルヲ却ツテ自カラ之ヲ破ル事ヲ為シ折角ノ団結一致十旬ノ久キニ及ビシ辛労ヲシテ水泡ニ帰セシメントスルハ、豈ニ国ヲ売ルニ同シト謂ハザルヲ得ンヤ、故ニ今日ニ於テハ最モ耐忍セズハアルベカラズ、策ヲ決シテ行フ以上ハ那処マデモ其策ヲ行ヒ遂グルコトヲ期スベシ、前ニ福島県下ノ荷主ガ違約シテ四拾梱ヲ外商ニ売込ムコトヲ謀リ、千葉・茨木ノ有志ガ態ト横浜ニ到リテ痛ク論ジタリト聞キシガ
 - 第15巻 p.85 -ページ画像 
頃日マタ同県ノ遠山社ニテモ違約ヲ謀ラントスト聞ケリ、吾曹ハ従来一己人ノ所為ニ干渉セズトイヘトモ、斯ル挙動ニ至リテハ自今直筆シテ憚カル所アラザル可シ、生糸荷主、生糸商人タル人々ハ国ノ為メニ鞠躬努力セヨ


中外物価新報 第四五〇号 明治一四年一一月九日 【○前号に掲載せし渋沢…】(DK150005k-0004)
第15巻 p.85 ページ画像

中外物価新報  第四五〇号 明治一四年一一月九日
○前号に掲載せし渋沢君及本社々長か外商ウヰルキン、ウオルシ両氏と米国公使館に於て談話せし筆記の内に一項の脱漏あり、其を本号にて補塡すへきなれと一体該筆記幸ひに我々か手に入りたれと事未秘密に係れは新聞紙上に公示することを禁しられたれと、既にメール新聞に掲載して江湖に明示したれは最早妨けなかるへしと信し早きを逐ひ直ちに之を掲けたれど、此は両君より新聞紙上に公示せさるの約ありし由なれは、謹んて玆に其文を抹殺し併せて記者粗漏の罪を謝す


中外物価新報 第四五〇号 明治一四年一一月九日 【○又聞所に拠れハ渋沢…】(DK150005k-0005)
第15巻 p.85 ページ画像

中外物価新報  第四五〇号 明治一四年一一月九日
○又聞所に拠れハ渋沢・益田両氏のウヰルキン、ウオルシ氏両氏と談話せられし媾和の件に付き、外国商人聯合の委員は本日集会して明日之れを惣議に掛けんと其手段を運はるゝ由、吾々は此媾和の点の極めて公平なるを信すれは外国商人も之に対して決して異議を容るる勿るへきを知れは、生糸の一大葛藤も最早十日を出ですして完全なる結局を見るに至らんと想像せり、一体此事たる一途に外国商人の専横のみを責むるものあれと、我か商人にも亦多少の弊なきにあらされは、果して完全なる結局を見るに至らは、我か弊事も勿論一洗して彼我相互に公平を以て心とし、将来の交誼を厚ふし益々貿易を隆盛ならしめんことを切望する所なり


中外物価新報 第四五〇号 明治一四年一一月九日 【○横浜生糸荷預所に出…】(DK150005k-0006)
第15巻 p.85-86 ページ画像

中外物価新報  第四五〇号 明治一四年一一月九日
○横浜生糸荷預所に出頭して諸般の協議に与かる各地方荷主総代は、去る一日惣集会に於て議決せし生糸糶市場設立の件を商議し其要項を決して荷預所役員へ出したり、其要旨は此糶市場に於て売買する者は生糸聯合同盟の者に限り同盟外の日本商人と売買することを禁し、外国商人は彼の徒党内外を問はす買はんと欲するものは此場に於て売渡すこと日本同盟中の商人と異なることなく取扱ふへし、尤外国商人の番頭手代たりとも日本人にて聯合外の者なれは決して取引を為すへからすとの趣意なり、此糶市場設立の趣意は既に前号にも記せし如く、直輸出を謀るに就ては品位等級を均一に区分せさるを得さるに付、小数の荷物を有する荷主に至りては是非とも他に売り渡して荷高を相当に纏るか、或は他の荷を買取りて輸出に適する丈けに纏めるか、孰れにせよ交互貿易の途なければ、実際差閊多けれは其便利を得せしめん為めの設けにて、全く聯合中の為めなれは若し聯合外の日本商人に売渡す時は其を以て直ちに外国商館へ売込等の弊害あるを慮り、斯く聯合外の日本商人を厳に拒絶せしものにして、又外国商人の此糶市場に来りて取引するを許すは、素糶市の事なれは即時目前にて撿査も斤量掛改も直組も為して代価と引換に取引するものゆへ更に聯合本旨に触
 - 第15巻 p.86 -ページ画像 
るゝことなきを以てなりと云ふ、而して荷主惣代は此議決を荷預所にて可認せし上は本日にも之れを設立せんと運ひ居り、荷預所にても是れを是認したれは直ちに取引手続の規約を定め実施することに決したりと云へは、一両日中には必す開設に至るへく、其場所は税関の倉庫を借り受る由、此設立は啻に直輸出の便利に止らす幾分か凝結せし荷物の分離も付き、又外国商人も全く普通糶市場買の便利を得れは今日の際に当りては最も有益なる便方ならん


中外物価新報 第四五〇号 明治一四年一一月九日 【○右に記する如き好摸…】(DK150005k-0007)
第15巻 p.86 ページ画像

中外物価新報  第四五〇号 明治一四年一一月九日
○右に記する如き好摸様なるにも拘らす、昨今横浜市中にてハ今にも我聯合ハ破れんとするか如き風説ある旨続々報道あるを以て、甚た訝かしき事なれは尚ほ探訪するに、上州・武州の荷主中二三名の者荷預所へ対し不服を訴へ三四ケ条の請求を為し、其事諧はされは同盟を脱し銘々勝手に取引を為すへしとの事なり、然れとも其不服は全く邪推揣摩に出て大ひに実際に齟齬、又請求の件々は一も穏当の事なく所謂出来なひ相談の難題にて、唯銘々謂れなく脱盟すれは売国の奴として爾後共に歯ひするものなきに至らんこと必然なれは、固辞付理屈を案し出し荷預所に難僻《(癖)》を付け之を辞柄として反旗を翻へさんとするものにて、荷預所は之に対して如何なる回答を為すやは知らざれと多分衆議の末へ回答するならんとの説あり、其信偽は吾々保証せざれと是れぞ該市中にて危殆を懐きし原因なるへしと思わる、併し各地の重も立たる荷主惣代等の摸様を聞くに却て左程にもなく、斯く数十日の籠城となれは譜代恩顧の郎党と雖も或は敵に誘はれて反伏し、或は一身を謀りて亡命するは古昔の実例に間々あることにして、況して只一の義に由る云はば烏合の勢なれは、忍耐力の薄く廉恥を知らす野鄙の鼠輩が眼前の利慾に掩れて一己の利益を謀るに至るは実際防く可からさるものなれは、是等は敢て歯牙に掛るに及はす断然擯斥して聯合を除名し、全く義に由て此目的を貫かんとする者は益々不撓の精神を攉揮し団結を固ふせんと頗る奮激の摸様ありと云へり、実に此際に当り斯る卑劣の挙動を為し又之れを流布して世人を瞞着せんとするものあるはいと歎かはしき事なりと雖も敢て憂ひとするにも足さるへし


東京日日新聞 第二九七六号 明治一四年一一月一一日 生糸紛議(DK150005k-0008)
第15巻 p.86-87 ページ画像

東京日日新聞  第二九七六号 明治一四年一一月一一日
○生糸紛議 一昨九日発行の中外物価新報に曰、横浜生糸荷預所に出頭して諸般の協議に与かる各地方荷主総代ハ、去る一日惣集会に於て議決せし生糸糶市場設立の件を商議し其要項を決して荷預所役員へ出したり、其要旨ハ此糶市場に於て売買する者ハ生糸聯合同盟の者に限り同盟外の日本商人と売買することを禁じ、外国商人ハ彼の徒党内外を問ハず買はんと欲する者ハ此場に於て売渡すこと日本同盟中の商人と異なることなく取扱ふべし、尤も外国商人の番頭手代たりとも日本人にて聯合外の者なれバ決して取引を為すべからずとの趣意なり、此糶市場設立の趣意ハ既に前号にも記せし如く直輸出を謀るに就てハ品位等級を均一に区分せざるを得ざるに付、少数の荷物を有する荷主に至りてハ是非とも他に売り渡して荷高を相当に纏るか、或ハ他の荷を
 - 第15巻 p.87 -ページ画像 
買取りて輸出に適する丈けに纏めるか、孰れにせよ交互貿易の途なけれバ実際差閊多けれバ其便利を得せしめん為の設けにて全く聯合中の為めなれバ、若し聯合外の日本商人に売渡す時ハ其を以て直ちに外国商館へ売込等の弊害あるを慮り、斯く聯合外の日本商人を厳に拒絶せしものにして、又外国商人の此糶市場に来りて取引するを許すハ素と糶市の事なれバ即時目前にて撿査も斤量掛改も直組も為して代価と引換に取引するものゆゑ、更に聯合本旨に触るゝことなきを以てなりと云ふ、而して荷主惣代ハ此議決を荷預所にて可認せし上ハ本日にも是れを設立せんと運ひ居り、荷預所にても是れを是認したれバ直ちに取引手続の規約を定め実施することに決したりと云へバ、一両日中にハ必ず開設に至るべく、其場所ハ税関の倉庫を借り受る由、此設立ハ啻に直輸出の便利に止らす幾分か凝結せし荷物の分離も付き、又外国商人も全く普通糶市場買の便利を得れバ今日の際に当りてハ最も有益なる便方ならん
又聞所に拠れバ渋沢・益田両氏のウヰルキン、ウオルシ両氏と談話せられし媾和の件に付き、外国商人聯合の委員ハ本日集会して明日之を惣議に掛けんと其手段を運バるゝ由、吾々ハ此媾和の点の極めて公平なるを信すれバ外国商人も之に対して決して異議を容るゝ者勿るべきを知れバ、生糸の一大葛藤も最早十日を出ずして完全なる結局を見るに至らんと想像せり、一体此事たる一途に外国商人のみを責むるものあれど、我商人にも亦多少の弊なきにあらざれバ、果して完全なる結局を見るに至らバ、我が弊事も勿論一洗して彼我相互に公平を以て心とし、将来の交誼を厚ふし、益々貿易を隆盛ならしめんことを切望する所なり」右に記する如き好摸様なるにも拘ハらず○下略


東京経済雑誌 第八六号・第一二八七頁 明治一四年一一月一二日 生糸商媾和の談判(DK150005k-0009)
第15巻 p.87 ページ画像

東京経済雑誌  第八六号・第一二八七頁 明治一四年一一月一二日
    ○生糸商媾和の談判
横浜内外生糸商の葛藤は余りに長く和熟せす、世の識者の私に之を憂ふるものあり、余輩亦た其の速かに和議に帰せんことを望ミたりしが此件に付去る二日米国公使館にて渋沢栄一・益田孝の二君はウヰルキン、ウヲルシの両氏と親しく談話せられたり、今ま其筆記を得たれば左に掲ぐ
  ○「筆記」ハ前掲「中外物価新報」記事(第八一頁)ト同ジニツキ略ス。


東京日日新聞 第二九七七号 明治一四年一一月一二日 生糸荷預所株主の集会(DK150005k-0010)
第15巻 p.87-89 ページ画像

東京日日新聞  第二九七七号 明治一四年一一月一二日
○生糸荷預所株主の集会 彼の紛議に付き、兼て彼此の間に仲裁したる引取商来栖・中村・木村・堀越・竹岡を始め十五名の人々へ向け海岸三番館ウヰルキンスより去る九日に左の意見書を贈りたり(尤も此意見書を贈る迄に様々の行違もありたれども其ハ今日記すに及バず、次号に折あらバ録すべし、又左の書面はウヰルキンス一個人の資格を以て寄せたるものにして聯合外商の会長を以てなしたるに非ず)
    覚書
一現今ノ売買方法ヲ改良スルモノナレバ生糸売込法ハ何等ヲ問ハズ総テ拙者自己ニ之ヲ賛成スルモノナリ
 - 第15巻 p.88 -ページ画像 
一右改良ハ共同倉庫ノ建築ニ由ツテ為シ得ルナラバ拙者之ヲ賛成ス可シ
一便利ナル場所ニ於テ便利ナル倉庫築造ヲナスノミナラズ、売買人双方ノ権利ヲ保全スルニ於テ双方充分ナル満足ヲナスベキハ甚タ緊要ナル義ニシテ、就中見本ト均一ノ品ヲ渡サヾレバ無用ニ属スベシ
一右ノ整頓ヲ了ル迄即チ現今ノ間ハ左ノ通リニテ可然ト存候、生糸撿査ノ為メニ外国人ノ倉庫ニ齎ラシ外国買人ハ撿査ヲ全ク畢ル迄蔵切手及ヒ火災保険ノ証書ヲ渡スベシ、是ハ外国銀行ニ行ハルヽ所ノ法ナリ
一売買人双方ノ記名シタル約定証書ヲ取換ハセ其書面ニハ代価其他ノ約束及ビ撿査ノタメ許シタル時間ヲ記載スベシ、又売込人ハ適当ナル品位ノ生糸ヲ渡スベキモノトス
一貫目改メノコトハ容易ニ協議相整フベシ
一目方ハ「コンテイシヨン」方法(里昂ニ行ハルヽモノ)約束ヲ以テ売渡スハ最良ノ法ナレトモ行レザルベシ
 依テ思フニ買入人ハ秤リ戻シヲ込メテ全量ヲ受取ルベシ、之レハ諸方ニ於テノ風習ニシテ良法ナラン、若シ全量ヲ受取ラザルトキハ幾分カ直段ヲ下直ニ買入メルヲ得ズ
 右ノ如ク売買双方ノ為ザ便利ナル慣習ヲ作ルベシ、然レトモ取引売買人ノ間ニ尚別ニ約束ヲ設ケ相互ノ自由ニ任スベシ
 紛議ヲ生ジタルトキハ一人若クハ両人ノ裁断人ヲ撰ムベシ
  十一月九日                ウヰルキンス
荷預所株主ハ此意見書を得て一昨十日に総集会を開き、此事に対して今後の処置ハ如何にすべきと議したるに、会員の一名子安峻氏(扶桑商会)より左の議案を出されたり
 生糸販売営業ノ為メ外国人ト売込問屋ノ間ニ取結ブ約定左ノ如シ
第一条 生糸販売ノ為メニ是迄当市場ニ行ハルヽ不適当ノ習慣(荷物ヲ外国商館ヘ引込ミ拝見ヲ受ケ取引スル等ノコトヲ云フ)ヲ全廃スル事
第二条 生糸売込問屋ハ各自ノ店頭ニ於テ販売取引ヲ為ス事
第三条 生糸問屋ノ勝手ニ依リテハ荷物ヲ買入館内或ハ他ノ場所ニ引込ヲ為スコトアルヘシ、然ル場合ニ於テハ左ニ記載スル如キ確タル証書ヲ買入人ヨリ問屋ヘ相渡スヘシ
第四条 第二条ニ於テ店頭販売ノコトヲ定ムト雖モ、生糸撿査所等ノ設ケナキ問屋ニ於テハ差向差閊ヲ生ジ到底行ハレ難キ掛念アルニ付、不得止第三条ヲ加フルナリ、故ニ問屋ニ於テ成ルベク速ニ撿査所ノ設ケヲ為スコトヲ勉ムベシ
    引込約定証書ノ箇条
一撿査ノ日数ヲ定ムル事
一荷物ヲ外商館ニ止メ置ク間火災保険ヲ為サシムル事
一或ハ証拠金トシテ荷物価額ノ幾分ヲ受取リ置ク事
一荷物ノ斤量ヲ公平ニナス事
此議案ハ今迄の長き対持《(峙)》に辛抱甲斐なく草臥果たる売込屋の株主中にハ其意に投じたるものなりしか、或ハ自から他の原因をも含みたるか
 - 第15巻 p.89 -ページ画像 
ハ知らず、第一に速水堅曹・高木三郎(同伸会社)・渋沢与三郎を始め此れを賛成する者甚だ多く、決議を問ふ時荷預所の役員五名と若尾・外村と都合七名の外ハ総起立にて遂に取引ハ己が儘となり是迄の聯合も解体の姿とハなれりける、然バ会員中にハ折角の思ひ立も又々水泡に属したり抔独語く人もありしか共決議なれバ詮方なく、其夜此旨を各地方の荷主総代へ通じたるに、荷主方の騒動ハ大方ならず、直さま集会して怒るあり、慨くあり、斯る言甲斐なき事こそなけれとて、夜の明るをも待たず即夜左の書面を荷預所へ贈りたり
 過刻開示セラレタル聯合同盟中、子安君ノ提出セラレタル建議ノ義ハ此聯合ノ精神ヲ失フモノニシテ、其名ハ従来ノ取引上ノ弊害ヲ矯正シテ幾分カ商権ヲ我ニ恢復スルモノトナスモ、其ノ実ハ却テ従前ニ比スレバ売買上甚シキ弊害ヲ醸成スルノ議ナリト見認ムルガ故ニ飽迄モ我々地方総代共ハ前説ヲ主張シ、中央市場ノ方法ニ由リ此聯合ノ目的ヲ貫徹センコトヲ切望スルノ外他ニ志念ナキナリ、依テ右建議ハ再議ノ上速ニ刪除アランコトヲ切望ス
  十四年十一月十日            各地方荷主総代
    聯合荷預所御中
夫に付き荷預所にてハ又々昨十一日に今回ハ売込屋と総代と混同の会を開き十分の討議を尽したるに、各自の店にて売買すると中央市場を建るとの両議左右に分れて、甲是乙非一時ハ会場も湧返る程の勢ひなりしが、遂に売込屋ハ全敗を取り荷主方の勝利となりて、ウヰルキンスの意見書第三項に便利なる場所に於て便利なる倉庫を築造し、売買人双方の権利を保全するに於て双方十分なる満足を受ん云々との議に決し、此夜中にウヰルキンス方へ貴下意見書の趣旨に一決したれバ其館とのみの取引ハ以来差支あるべからず(他館ハ未だ約束なければなり)との返書を贈りたり、然るに同館にてハ此報を得るが否や、渇者の飲を得たる思ひして其夜より荷預所にて取引を始めたるが、他の商館も三番に後るべきにあらずとて続々取引の申込あれバ今日ごろハ定めて愉快なる手合せあるべしと云へり、扨て昨夜の会議にて聯合維持法に熱心なりしは下仁田の有賀、前橋の竹内・岩崎、甲州の依田、信州の成沢の人々なりしよし、其後の摸様ハ次号に又た報ずべし


東京銀行集会所所蔵文書(DK150005k-0011)
第15巻 p.89-90 ページ画像

東京銀行集会所所蔵文書
一翰啓上仕候、然者横浜港生糸紛議ニ付荷預所ヘ応援之為メ当地各国立銀行ニても臨時小集之上応分之出金方申談夫々見込相立候得共、尚荷預所維持之為メニハ勉テ資金供給を相望候場合ニ付、貴地御同業之各御行よりも御応援被下度段先頃小生共より田中・山中・□田之三君へ申上、三君より貴方へ御通被下御集議之末金三拾万円丈ケ御取纏相成候との義ハ、爾来再三之電報ニて拝承仕御尽力之段拝謝之至ニ候、然処其後荷預所之模様或ハ和解ニ可相成又ハ聯合中ニ異議を生し瓦解ニも可相成等之風聞貴方へ相達候より、右集合之金額当地へ御振込之事も暫時御見合相成居、且先日田中君より不取敢半額丈ケ御振込之義御通知相願候ニ付、其電文之意味或ハ貴方之明解を得兼候哉却而御疑念を生し候事共有之、終ニ昨日ニ至リ尚又田中・山中両君へ御打合申
 - 第15巻 p.90 -ページ画像 
上何分御都合出来候義なれハ至急御振込之義御電報被下度と申上即其手順ニ御取計被下候間、近日現金当方へ御廻送被下候歟又ハ為替にて御振込相成候事と存候
右様御振込金之都合ニ於て彼是と御答混雑仕候も、既ニ風聞ニも御聞込之如く荷預所之実際ニ於ても時々変化有之より相生し候義ニて、其実荷預所之一分ニ於てハ別ニ其主義ニ変化ハ無之候得共、或ハ聯合中にも異説を生し、又ハ外商之模様も時として相違有之候故、今日ハ果して目的を達し得へきとするも明日ハ極て危頽ニ相見へ候情況有之候而して去ル十二日《(一カ)》を以英商ウヱルキン氏壱人とハ我目的ニ従て取引相始候も全く引取商総代之中裁夫々申出候義ニ付、尚其後追々外商聯合之者右ウヱルキン氏之所為ニ做ひ同意を表し候哉否ハ難測候得共、目今荷預所及地方荷主之企望も是非今少し耐忍し外商各店をウヱルキン氏之如く同意せしめ度見込ニ付、其間辛抱いたし候用意として貴方御集合之資力ニ御依頼申上度見込之旨荷預所よりも申聞候義ニ候
右様之都合ニ付向後之成否確乎申上候事ハ仕兼候得共、外商も今日ハ総会之由ニ付何とか相分り可申、而して多くハ彼ノ聯合中ニも分離説を主張し当方之企望ニ応し候者も多少有之候事と存候
過頃田中君と半額ニ減却云々之義御打合之節ハ彼ノ聯合ハ未タ分離之徴候も無之、我レ之実力ハ甚乏敷相見へ候間田中君より実効如何之御詰問ニ対し何とも発輝と申上兼候ニ付不得已半額と相願候義ニ候、右ハ現今荷預所之景状聊前日と相違之廉も相生し候ニ付右等も御含迄ニ申上度、且時節柄別段御高配被下御応援相成候義陳謝旁近情詳細申上候、宜御諒知可被下候 匆々敬白
  (以下別筆墨記)
  明治十四年十一月十五日
                    臨時委員
                      三名ヨリ
    大坂
      銀行集会所宛
  ○「東京、第一国立銀行」ト印刷セル片面十三行ノ青罫紙ニコツピーインクヲ以テ筆記セリ。栄一ノ筆跡ナリ。


東京日日新聞 第二九七九号 明治一四年一一月一五日 生糸ノ葛藤将ニ解ケントス(DK150005k-0012)
第15巻 p.90-92 ページ画像

東京日日新聞  第二九七九号 明治一四年一一月一五日
    生糸ノ葛藤将ニ解ケントス
生糸売込ノ事ニ付キ我商ガ横浜ニ於テ外商ニ向テ其商権ヲ争ヒシヨリ正ニ二ケ月ニ近シ、而シテ其今ヤ正当ノ約定ニ由リテ和解ノ緒ニ就キタルハ吾曹ガ最モ中外ノ為ニ喜ブ所ニシテ、殊ニ聯合同盟ノ荷主問屋諸氏ニ対シテ其績ヲ賞シ其効ヲ賀スル所ナリ、抑モ聯合生糸荷預所ヲ新創セシニ当リ外商結合シテ之ヲ拒マンコト初ヨリ覚悟ノ事ニテアリケレバ、吾曹ハ飽マデモ我ガ聯合同盟ニ於テ所謂辛抱力ノ耐忍ニ依リテ目的ヲ維持シ、其譲ルベキモノハ之ヲ譲リ、譲ルベカラザルモノハ之ヲ譲ラズ、以テ全勝ヲ前途ニ占メンコトヲ望ミタリシニ、遂ニ其望ヲ達スルヲ得タルハ全ク同盟諸君ノ力ナリト云ハザル可カラズ
現ニ外商中ノ重立タル若干名ハ、現今ノ生糸売買方法ヲ改良センコトハ同意ナリ、其改良ハ共同倉庫ノ建設ニ由テ為シ得ルハ賛成スル所ナリ、中外双方ノ為ニ便利ノ地ニ便利ノ倉庫ヲ建テ以テ双方ノ権利ヲ保
 - 第15巻 p.91 -ページ画像 
全スベシ、見本ト均シキ品ヲ渡スベシト云フヲ以テ前途ノ予約トナシ現今ノ処ニテハ其共同倉庫ノ未タ整頓セザルヲ以テ、差向キ生糸撿査ノ為ニハ外商ノ倉庫ニ持込ムトモ、其撿査全ク畢ル迄ハ蔵切手及ヒ火災保険証書ヲ渡スベシ、約定証書ヲ取換シ代価其他ノ約束及ビ撿査ノ為ニ許スベキ時間ヲ記載スベシ等ノ約定ヲ立テヽ已ニ取引ヲ初メタレバ、其余ノ外商モ亦尽ク此ノ例ニ拠リテ正ニ取引ヲナスベキノ状勢ナリト見受ケラル、是レ実ニ聯合同盟ノ目的ヲ充分ニ達シ得ルノ約定ナリ、何トナレバ外商ノ共同倉庫ト云ヘルハ即チ取引所即チ荷預所ノ事ニシテ現地ハ外商居留地ニ不便ナルガ上ニ手狭ナレバ、外商ニシテ此取引所ニ於テ請渡ヲナスヲ肯セバ便利ノ場所ニ便利ナル倉庫ヲ建テ設ケンコト同盟ノ明言セシ所ナレバナリ、去レバ其名ハ共同倉庫ト唱フルトモ若クハ取引所若クハ中央市場ト唱フルトモ整頓ノ上ハ其処ニテ取引請渡ヲ為スコトヲ得バ即チ我ガ目的ハ達スルヲ得ルモノナリ、夫迄ノ処ハ上ニ云ヘル如キ約定ニテ持込マンニハ著ク従前ノ風ヲ一変シ其弊害ヲ除キ去ルヲ得ベシ、然バ則チ此約ハ中外ノ為ニ共ニ至当ナリトシテ是ニ依テ葛藤ヲ解クコト寔ニ双方ノ得策タルヲ疑ハザルナリ
原来コノ取引所ノ制ハ公平便利ノ制ニシテ売買双方ノ権利ヲ保全スルニ足ルモノナレバ、実益ヨリ論ズルモ道理ヨリ議スルモ之ヲ非難スベカラザル者ナリ、既ニ去年広東ニテハ外商ヨリ望ミテ争論ノ末遂ニ此ノ取引所ヲ設ケタル程ナレバ、横浜ノ外商ノ却テ之ヲ嫌ヒタルハ其意ヲ得ザル義ナリト曾テ吾曹ノ開陳セシトキニ、横浜ガゼツト新聞ハ痛ク吾曹ヲ非議シ、横浜ノ荷預所ト広東ノ取引所トハ霄壌懸隔ナリ、彼ハ公平ヲ旨トシ此ハ壟断ヲ主トスルガ故ニ外商ノコレヲ嫌フハ当然ナリト、サモ傍若無人ニ論弁セシガ、今日ニ至テハ其見果シテ当レリヤ否ヤ、上海ナル北清日報《ノルスチヤイナデーリニウス》(十月廿九日)ノ社説ニ云ク、今ヤ日本ニ於テ中外ノ糸商ノ間ニ起リタル紛議ハ、其主義ヲ問ヘバ近時曾テ広東ニ起リタル主義ニ異ナル所ナシ、広東ハ凡ソ日本ニ比シキ生糸ノ輸出港ナリ、其港ニシテ清商ニ向テ取引所ヲ望ミタルハ外商ナリ、横浜ニテ外商ニ向テ之ヲ望ミタルハ日本商ナリ、広東ニテハ清商コレヲ嫌ヒタレトモ公平ノ理ヲ推テ遂ニ之ヲ建設シ、此ニ依リテ取引ヲ為サシムルニ至レルニ、然ルニ此ノ公平至便ノ取引所ヲ設ケント申出シタル日本人ニ向テ、横浜ナル外商ノ之ヲ擯斥スルハ抑モ何ノ理ゾヤ甚ダ解スルコト能ハザル所ナリトアリ(此全文ハ之ヲ訳シテ次号ニ載スベシ)以テ吾曹ガ欺カザルヲ証スルニ足ルベキナリ
然レトモ横浜ノ外商ミナ尽ク壟断ヲ好ムノ輩ノミニハアラズ、公平至当ヲ主義トスルノ人モ亦多ケレトモ、一ハ旧慣ヲ俄ニ変スルヲ好マザルト、一ハ未ダ日本商ニ充分ノ信ヲ置カザレバ、聯合ノ為ニ或ハ専圧ヲ被ルノ弊アランコトヲ恐レテ一旦ハ之ニ拮抗シタルナラン、而シ其中ニテ今ハ我商ノ聯合頗ル堅固ニシテ破ルベカラザルヲ知リ、又取引所ノ制ハ双方ニ便利ナレバ之ヲ拒絶スベカラザルヲ覚リ、正理ノ存スル所ニ由リテ首トシテ和ヲ媾シタル若干名ハサスガニ紳商タルニ背カザル輩ナリト云フベシ、尤モ初ヨリ此ノ媾和ニ尽力シタルハ引取商来栖・中村・木村・堀越・竹岡ノ諸氏ニシテ、善ク彼此ノ間ニ介シテ今日アルニ至ラシメタルハ称賛スベキノ功績ナリ、而シテ渋沢・益田ノ
 - 第15巻 p.92 -ページ画像 
両氏モ亦東京ヨリシテ此ノ仲裁ニ従事シ、米・英・仏ノ諸公使ノ如キモ間接ニ葛藤ノ早ク解ケンコトヲ希ヒ、取引所ノ制ハ理ニ於テモ実ニ於テモ公平至当ナレバ之ニ依リテ媾和スルノ適当ナルヲ説諭セラレタリト聞ケバ、是等ノ周旋マタ与リテ力アリシト思ハルヽナリ、聯合ノ同盟ハ信ニ堅固ニシテ能ク耐忍シ得タリシカトモ、本月上旬ヨリシテ稍々防守ニ倦ムノ色ヲ顕ハシ、已ニ売込商某姓ノ如キ某商会ノ如キハ直輸出ノ為ニ外商ニ全委セント言ヒ出シ、又荷主某々ハ其会社総代ノ名ヲ以テ此ノ結合ヨリ分離セント論ジ、已ニ去ル十日ノ売込問屋総会議ニテハ扶桑商会ノ案ニ同意ノ多クシテ全会殆ド之ヲ賛成シ、折角ノ防守モ此ノ為ニ落城スベキ危キ有様ナリシガ、幸ニ各地方ノ荷主総代中ニハ有賀・竹内・岩崎・依田・成沢ナンド云ヘル諸人ヲ初トシ、孰モ皆奮発シテ前説ヲ主張シ、中央市場即チ取引所ノ制ニ由リテ此ノ聯合ノ目的ヲ貫徹センコトヲ切望スルノ外ニ志念ナケレバトシテ翌日ノ再議ヲ促シテ討論ヲ尽シ、遂ニ売込問屋ノ前議ヲ破リテ地方荷主ノ勝利トナリ、以テ聯合ヲ正ニ破レントスルニ維持セシハ吾曹ガ尤モ感服スル所ナリ、此勢力ニ乗ジテ取引所ヲ建ルノ機ヲ失ハズ我商人ノ全勝善後期シテ俟ツベキ也


東海経済新報 第四四号・第一六一四―一六一五頁 明治一四年一一月一五日 【横浜生糸荷預所の紛紜…】(DK150005k-0013)
第15巻 p.92 ページ画像

東海経済新報  第四四号・第一六一四―一六一五頁 明治一四年一一月一五日
○横浜生糸荷預所の紛紜を起したるより已に七十余日の久きに弥り其事の関係する重且大なるを以て種々の事情もありしかど、去る十一日の惣集会にて大方局を結ふに抵れり、其顛末は左の如し、看官宜しく意を注かれよ、此の紛議に付き、兼て彼此の間に仲裁したる引取商来栖・中村・木村・堀越・竹岡を始め十五名の人々へ向け海岸三番館ウヰルキンスより去る九日に左の意見書を贈りたり(尤も此意見書を贈る迄に様々の行違もありたれども其ハ只今記せす、又左の書面ハウヰルキンス一個人の資格を以て寄せたるものにして聯合外商の会長を以てなしたるに非す)
○中略
荷預所株主は此意見書を得て去る十日に総集会を開き、此事に対して今後の処置は如何にすべきと議したるに、会員の一名子安峻氏(扶桑商会)より左の議案を出されたり
○下略


東京日日新聞 第二九八〇号 明治一四年一一月一六日 外商生糸ノ紛議(DK150005k-0014)
第15巻 p.92-94 ページ画像

東京日日新聞  第二九八〇号 明治一四年一一月一六日
    外商生糸ノ紛議
横浜ナル外商(生糸買入外商)聯合ノ会長タリ委員タルウヰルキンス氏ガ、一個人ノ資格ヲ以テ本月九日ニ於テ其意見覚書ヲ仲裁売込商《(引取カ)》ニ寄セ送リタルヨリ、翌十日ニ於テ直ニ我聯合トウヰルキンス氏トハ解合ト相成リテ取引ヲ初メタルコト吾曹ガ去十二日ノ紙上ニ報道セルガ如シ、然ルニ外商中ニテ他ノ委員タルバビール、トーマス、キンドムノ三氏ハウヰルキンス氏ノ挙動ニ満足セズシテ書ヲ寄セテ痛ク之ヲ駁セシニ、ウヰルキンス氏モ亦事理ノアル所ニ拠リテ之ニ答弁シ、併テ彼ノ聯合ヨリ退去センコトヲ申込ミタル即チ本日ノ雑報欄内ニ訳出ス
 - 第15巻 p.93 -ページ画像 
ルガ如シ、此ノ本文ハ載テ横浜ノ西字諸新聞ニアリテ殊ニガゼツト記者ノ如キハ頻ニ筆鋒ヲ揮テウヰルキンス氏ノ所為ヲ論非セリト雖トモ吾曹ガ視ル所ヲ以テスレバ氏ノ挙動ハ固ヨリ間然スベキ所ナク、私ヲ棄テヽ正ニ就キ天晴レ紳商タルニ愧ヂザルノ挙動ナリト称賛セザル可カラズ
初メ我生糸商ガ聯合シテ設立セル荷預所ノ目的ハ外商ノ為ニ其商権ヲ壟断セラルヽノ弊害ヲ除却センコトヲ望ムニ出ルニ外ナラザルナリ、而シテ現時荷預所々在ノ地ハ外商居留地ニ遠隔ナリ其倉庫モ手狭ニシテ撿査ニ便利ナラザレバ、以テ買主タル外商ノ望ヲ満足セシムルニ足ラザレハ、我聯合モ亦初ヨリ之ヲ察知シタレバ苟モ外商ニテ此制ノ大主義タル請渡ハ売買双方ノ権利ノ及ブ所ニ於テスベシト云フコトヲ承諾セバ、便利ノ地ヲトシテ便利ノ倉庫ヲ建築センコト勿論タルベシト迄ニ言出シタレトモ、外商聯合ハ頑乎トシテ動カズ、矢張リ是迄ノ如ク外商館内ノ倉庫ニ持込マセ其処ニテ撿査ヲ行ハント墨守セシガ故ニ凡二月ニ渉リシモ中外ノ葛藤ハ解ケザリシナリ、就中米国公使ハ此ノ葛藤ノ為ニ貿易ヲ壅塞セルノ不幸ヲ嘆キ懇親ノ取扱ヲ成サント冀ハレタルニ、恰モ渋沢栄一・益田孝ノ二氏ソノ間ヲ和解セント欲シタレバ乃チ米国公使館ニ於テ渋沢・益田ハウヰルキンス、ウオルシノ両氏ニ面会シ討論ノ末、中央市場ノ建設ハ公平至便ナレバ各自ノ聯合ヲ説キ之ニ拠リテ勧誘スルニ尽力スベシト約シタリト見エシ、而シテ我聯合ハ已ニ之ヲ肯ジタレトモ外商聯合ハ其ノ以来九日ヲ経ルモ総会議ダニ起シテ之ヲ討論スルコトナカリキ、是レ或ハ曠日持久以テ我聯合ニ内訌ノ興ルヲ待ツノ計ニ非ザルヲ得ンヤ、将タ当時ウヰルキンス氏ノ言ニ拠レバ中央市場ノ建設ハ余一個人ハ是ナリトスレドモ、外商聯合ハ之ニ不同意ナリト、明ニ聯合ノ衆論ト一個人ノ意見トヲ分チテ説キタリト思ハルヽナリ、左レバコソ氏ハ一個人ノ資格ヲ以テ仲裁人タル我引取商諸氏ニ意見書ヲ寄セ、共同倉庫ノ建設ニ由リテ現今ノ生糸売買方法ヲ改良シ得ルナラバ之ヲ賛成スベシ、此ノ倉庫ハ便利ノ場所ニ便利ノ建築ヲナスノミナラズ、売買双方ノ権利ヲ保全スルニ於テ双方充分ナル満足ヲナスハ甚ダ緊要ナル義ニシテ、就中見本ト均一ノ品ヲ渡サヾレバ無用ニ属スベシト云ヒタルナリ、而シテ我聯合ノ所謂ル中央市場ハ即チ氏ノ所謂ル共同倉庫ナリ、我聯合ニ於テモ速ニ居留地接近ノ場所ニ倉庫ヲ建築スベク、此ノ倉庫ハ火災ニ安全ニシテ且ツ撿査ニ便利ナル様ニ建築スベク、此ノ市場ニ於テハ、売買双方同等ノ権利ヲ占有スベク、就中生糸改良ノ目的アレバ見本ト同一ノ品物ヲ渡スベキコトヲ目的トスル者ナレバ、我聯合ノ目的トウヰルキンス氏ノ意見トハ全ク投合シタルナリ、偖マタ此中央市場タルベキ共同倉庫ノ設立セラルヽ迄ノ間ハ便宜ノ相談ヲ設ケ、生糸撿査ノ為ニ外国商館ニ持込ムトキハ外商ハ日本商ニ蔵切手及ビ火災保険証書ヲ渡スベシ、売買約束証書ヲ取換シ代価並ニ撿査時間ヲ記載スベシ、貫目改ノコトヲ定ムベシ、紛議ヲ生セバ裁断人ヲ撰フベシトノ意見ハ、イカニモ実際ニ於テ従来ノ弊風ヲ改良スルニハ尤モ適当ノ考案ナレバ、我聯合ニテモ然ランニハ差支ナシト申スコト当然ノ義ナリ
由是観之、我聯合トウヰルキンス氏トノ間ニ解ケ合タルハ氏ガ自説ヲ
 - 第15巻 p.94 -ページ画像 
屈シテ我ニ従ヒタルニハ非ズシテ、乃チ氏ノ自説ト我聯合ノ衆説ト相合シテ今日ニ行ハレタル義ナレバ、氏ガ世間ニ向テ毫末モ愧ル所ナキハ吾曹ガ信ジテ疑ハザル所ナリ、若シ我聯合ニテ場所ノ不便ナルモ顧ミズ倉庫ノ撿査ニ手狭ナルモ問ハズ一概ニ今ノ荷預所ヲ以テ直ニ中央市場トナサント云張リタルナラバ、外商ノ不同意モ一分ノ理アルベケレドモ、我ハ已ニ新築モセン便宜ヲモ計ラハント申立シナレバ、此上ハ中央市場ヲ承知スルヤ否ノ一問題ナルノミ、而シテ中央市場ノ制ハ売買双方ノ権利ヲ同等ニ保持セシムルノ方法ナレバ、苟モ公平至当ヲ貿易上ニ冀フノ紳商ハ中央市場共同倉庫ノ方法ヲ不是ナリト云フコトヲ得ザルベキナリ、然ルニ其何故タルヲ論セズシテ一向ニ中央市場ニ不同意ナリト外商聯合ノ今日ニ至リテモ尚ホ抗論スルハ抑モ何ノ根拠アリテ然ル乎、根拠トスベキノ条理アラバ之ヲ明言シテ可ナリ、明言スルニ能ハズバ旧慣ノ弊風ニ貪着スルガ故ナリト公論ニ断セラレンモ敢テ之ヲ辞スルヲ得ザルベシ、ウヰルキンス氏蓋シ玆ニ見ル所アリテ今ハ一個人ノ資格ヲ以テ公平至当ノ地歩ヲ占メ更ニ進ミテ外商聯合ヲ退去セシナルベシ、氏ノ如キハ真正ノ道理ニ則トルノ紳商ナリト云テ可ナリ、聴クガ如クンバ外商中ニモ往々此ノ正理ニ基キ氏ト同様ノ約ヲ以テ取引ヲ初メント望ムノ人々アリト云ヘリ、左モアルベキ義ナリ吾曹コノ中外聯合ノ倶ニ解ケテ生糸商賈ノ盛ナルニ復スルノ期ハ不日ニアリト信スル也


東京日日新聞 第二九八〇号 明治一四年一一月一六日 横浜外国生糸商中の一大風波(DK150005k-0015)
第15巻 p.94-97 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

中外物価新報 第四五二号 明治一四年一一月一六日 【○外国生糸商人は昨夜…】(DK150005k-0016)
第15巻 p.97-98 ページ画像

中外物価新報  第四五二号 明治一四年一一月一六日
○外国生糸商人は昨夜商法会議所に於て惣集会を開らきたり、其模様を聞くに会長ウヰルキン氏は媾和の件に付外商人と意見の合はさる所ありて其職を辞し、且聯合を脱したれは本会は会長なかりしにキングドン氏は委員中の一人たりし故か自ら会長となりて種々演説を為して飽迄同盟を維持せんことを論し、且つ近日の中に日本聯合の瓦解を見るへしと演へ、次にウヰルキン氏は是迄の成行を委しく演説し、又引続て亜米一のウオルシ氏は長文を朗読して中央市場の設立緊要なることを演へたり、是に於て英一のウオルトル氏立て引取商よりの申込書を読て便利なる共同倉庫の設立を得は是に由て取引するを可とす、故に引取商と示談を為さは如何と演へたりしか此事に決し、委員三名を撰み先つ引取商に就き一層外国人に便利なる示談調はさるかを試み其結果を来る十八日の惣集会にて報告すへく、其上にて可否を決定すへしとて委員三名を公撰せしに、有名なる過激家のバビール・キングドンの両氏は僅かに一枚つゝの投票に過きす、英一ウオルトル、百四十三番フレースル、九十番ウオルフの三氏委員に撰まれたりといふ、故
 - 第15巻 p.98 -ページ画像 
に此人々は不日引取商人に就き尚ほ示談する所あるならん、偖又各新聞紙に記載する引取商人よりの申込書第二条に共同倉庫を便利なる地に建築すへし、而して双方の権利を保持すへし云々とあれともウオルトル氏が此文を英文に翻訳せしものを集会に於て朗読せしは、第一条若し日本人便利なる場処に便利なる共同倉庫を建設し売人及買人の権利を保持し生糸販売の方法を改良するを得は我輩之を賛成すへしとあり、又生糸は見本同一の品を渡すへしとありて、一は明に共同倉庫を便利なる地に建築すへしと云ひ、一は若し建築し得は同意すると云ふ大なる差違にして、若し此の如くなるとき此倉庫の建設を明に外国人も承認せしに非さるなり、何れの文を以て引取商は仲裁を申込みしか吾々は知る能はされと蓋し訳文の間違ならん、吾々は如此事件は時として他日再ひ双方に異論を生する媒ちとなるべけれは綿密に其意のある所を尽されんことを希望す、又聞くキングトン氏が演説中特に衆員に告けて日本生糸聯合商人中の某商より一通の書面を得たりとて朗読せしものあり、其大意は外国商人諸君は本日惣集会を開らき媾和の事に付闘議ある由なれど其は無用の事なるへし、何となれは日本商人の聯合は殆んと土崩瓦解に向とし最早旦夕に迫りし場合なれはなり、殊に諸国の荷主も困迫を極め全く反伏の勢を現はせり云々にて是を読了せし時は喝采の声満堂に震ひたりと云ふ、然れとも幸ひにして過激家の説は行はれす遂に引取商と示談するに決定し殊に撰挙されたる委員は穏和公正の説を抱ける人々なれは吾々は必す此人々の示談により好結果を為すへしと信す、一体此会議も最初の形状にては皆平穏にて中央市場の設立を是認するもの多き勢ひなりしがキングドン氏の朗読を聴てより議場の景況大いに変して遂に前記の如き決議となれりと云ふ是れ吾々が伝聞に係り我が聯合商人中万々如此き挙動のあるへき筈なけれは決して信すへきにあらす、後報を待て尚ほ報導する所あるへし


東京日日新聞 第二九八一号 明治一四年一一月一七日 横浜生糸の紛議(DK150005k-0017)
第15巻 p.98-99 ページ画像

東京日日新聞  第二九八一号 明治一四年一一月一七日
○横浜生糸の紛議 兼て記せし如く一昨十五日の臨時総集会に於て左の如く議決したり
    明治十四年十一月十五日臨時総集会ノ決議
 本年十一月十五日聯合生糸荷預り所楼上ニ於テ聯合生糸荷造所役員一同並ニ各地方ヨリ出港ノ荷主総代一同総集会ヲ開キ、種々討論ノ末決議セル所左ノ如シ
    第一条
 各府県下各地方ニ荷造所ヲ設立シ横浜聯合生糸荷造協議所本部ヲ設立スルコトニ決ス
    第二条
 来ル明治十五年三月廿五日ヲ期シ全国生糸商人大集会ヲ開キ、聯合生糸荷造協議所本部ヲ改正シ、更ニ全国生糸荷造所本部ヲ設置スルコトニ決ス
    第三条
 来ル明治十五年三月廿五日ヲ以テ集会ヲ開キ荷造所本部ヲ設置スルニ付テハ、本部ノ経費ハ生糸荷物ヨリ分合方法ヲ以テ徴収シ其入費
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ヲ支弁スルコトニ決ス
    第四条
 来ル明治十五年三月廿五日ヲ以テ大集会ヲ開キ、本部ノ組織ヲ更正スル迄ハ聯合生糸荷造所本部ノ事務ハ現任ノ常置委員ニ於テ担当スルコトニ決ス
 右ノ条件決議ノ証トシテ各自記名調印候也
  明治十四年十一月十五日
                横浜
                  聯合生糸荷造協議所本部
また同日居留地に於て開きたる外国生糸商人の会議に附したる問題ハ兼て木村・堀越諸氏の引取商人より申入れたる仲裁論の可否決を取りしに、遂に仲裁人より申し入れたる議を賛成するもの多数なるを以て之に決せりとぞ、又た昨日ウヰルキン氏の商館にて、引取商仲裁人諸氏と新選の委員英一番ウヲート氏、百四十三番フレーゾル氏等の相談会ありしが、今十七日にまた外商の総集会を開くに付ての事なりしと云ふ