デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

4章 鉱業
2節 石炭
5款 茨城採炭株式会社
■綱文

第15巻 p.429-430(DK150053k) ページ画像

明治42年1月31日(1909年)

茨城採炭株式会社専務取締役阿部吾市、書ヲ栄一ニ呈シ、当会社ノ基礎既ニ固ク復タ栄一ヲ煩ハスヲ須ヰザルヲ以テ、其相談役ヲ罷メ以テ労ヲ少クセンコトヲ請フ。栄一之ニ従フ。


■資料

竜門雑誌 第二五〇号・第六一―六三頁 明治四二年三月 ○青淵先生と茨城採炭会社(DK150053k-0001)
第15巻 p.429-430 ページ画像

竜門雑誌 第二五〇号・第六一―六三頁 明治四二年三月
○青淵先生と茨城採炭会社 青淵先生には先年来茨城採炭会社の専務取締役阿部吾市氏(竜門社特別会員)其他当局諸氏の請に依り同社の相談役に列せられしが、右阿部吾市氏は近来会社銀行の経営者が競いて我青淵先生に嘱託するに相談役又は顧問の位地を以てするの流風を生じ、其極多大の煩累を我先生に及ぼすが如きに至りては真に憂ふべきことにて、実に実業界の元勲大家を待つの礼を失すること甚しきものなりとし、自ら率先して一の模範を示し、此等世人の弊風を制せんとの精神よりして、先生に対し謹で同社相談役たる嘱託を解きたる旨を以て、此程左の如き書状を青淵先生に提出せられしに、先生には阿部氏殊勝の厚意を諒として、多大の満足を以て其意を容れられ、且将来とても必要に臨み応分の添心は決して辞する所に非ざる旨を答へられたりと承る。
 謹啓時下酷寒之候閣下益御清栄の段奉大賀候、却説当茨城採炭株式会社も創立以来玆に八年を経過し、現今一箇年の採掘高約一億二千万斤に達し、其販路は専ら東京市内に於ける薪炭の代用又は各地方製糸家及醸造家等の経済的燃料として広く供給罷在、前途益好望に属し、稍順境に相向ひ申候、不肖吾市微力ながら其経営の任に当り、今日迄幸に別段の過失なきを得たるは誠に望外の至りに奉存候、畢竟閣下並先輩諸氏の御指導の然らしむる処、亦芳名を相談役に列せられたるの余光に外ならずと深く肝銘罷在候、閣下は我実業界の泰斗にして亦財界の柱礎たるは天下万衆之れを認め、欣仰措く能はざる処に御座候、不肖吾市亦閣下の寵遇を辱ふして以来、常に厳父として仰ぎ慈母として慕ひ、日夜閣下の範に副はんことに勉め、将来
 - 第15巻 p.430 -ページ画像 
益慈訓を冀ふ処に御座候、然るに当会社も前述の如く幸ひ稍基礎も相立ち、事業の将来も卜知するに難からざるの盛運に赴き、聊か尊慮を安し得るに至り候得共、尚将来万一にも当会社に関し御賢慮を煩すが如き事有之候ては、閣下の御高徳を傷け候而已ならず、斯界の元勲を遇するの途を相欠き、甚だ恐懼の次第に御座候、就而は此際当会社の相談役としての尊名を謹而御辞退申上度、乍去将来当会社の大局に付ては依然乍影御高配を得度と奉存候、而して不肖吾市益精励し御高恩に報ひ申度精神に御座候間、前陳の次第を諒とせられ、幸ひ幾分の御省慮とも相成候得ば幸甚の至に御座候、玆に肝胆を披瀝して敢て尊厳を汚し候次第に御座候、幸に御海容被成下度候
                        恐惶謹言
  明治四十二年      茨城採炭株式会社
    一月三十一日     専務取締役 阿部吾市
   相談役
     男爵 渋沢栄一殿
  ○当会社ハ大正十四年八月二十五日磐城炭礦株式会社ニ合併解散シタリ。