公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
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明治28年9月6日(1895年)
是日栄一、東京ヲ発シテ東北地方ヲ巡回ノ途上、当農場ヲ視察シ、十九日帰京ス。
竜門雑誌 第八八号・第三四頁 明治二八年九月 雑報(DK150078k-0001)
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竜門雑誌 第八八号・第三四頁 明治二八年九月
雑報
○青淵先生 は令夫人と共に去る六日出発、青森県下三本木の農場巡回旁残暑凌の為東北地方へ旅行せられ、二十日頃帰京せらるゝ予定のよし
竜門雑誌 第九一号・第一八―二二頁 明治二八年一二月 【先つ頃青淵先生か…】(DK150078k-0002)
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竜門雑誌 第九一号・第一八―二二頁 明治二八年一二月
先つ頃青淵先生か陸奥及ひ筑紫に赴きたまひし折、道すからの名所旧跡を訪はれものし玉ひし歌数十首を得たれは左に掲く、評者は中村秋香大人なりといふ 編者識
○陸奥の部
首途のとき人のゆくてをとふに答へて
旅ころもゆくての友を人とはゝせきのあき風みちのくの月
興ある御口つにきも侍るかな、たゝし五の句みちのくあまり広すき侍るへくや、白川も陸のうちの名所なれは、おなしく陸のうちにて松しまの月なとにてはいかゝ
那須野の原を過くとて
日おもての暑さは夏にかはらねと荻の葉そよく那須の篠原
一吟の下新秋のさまおのつからおもひしられ、殊に下の句秋風をい
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はすしてしらせ給へるなと、いといとをかし、たゝ初句何となくおたしからぬこゝちす、「あさつゆのひるま」なとなし給はゝあつさといはてあつきさまもこもりて、下の句とよくうちあひ侍るへきか
滊車の白河を過るときに
秋風のむかしのせきの白河をみるまに過るまかねちのたひ
三の句跡あれてとなし給はゝ、みるまに過るのこゝろいよいよ明かなるへし、秋風のみしと《(マヽ)》あれは、白川といふ名はなくともよく聞え侍るへし
仙台なる陸奥の園にやとりて
うち連てまねく尾花も見ゆるなり一夜はぬれん宮城野の露
花山の僧正か口つきおほゆる御しらへにも侍るかな、まねきまゐらせつるは女郎花にてや侍りけん
伊達政宗
あたら世をたゝ宮城野の月にめてゝ都の花は見わすれに鳧
けにけに正宗さはかりの才幹もて夙に上国にいてたらんには、天子をさしはさみ四方に号令して覇業をなしたらんもしるへからす、はつかなる三十一字よくこの大議論をいひをほし給へる、敬服にあまりあり、○五の句なとわすれけんにては
松島
大方のものはきゝしにおとれるをみるにましたる松か浦島
人のよのならひおもしろくよみなし給へり、○見聞くの語を前後してものはみてこそおとりけれ、きゝしにまさるにては
すみわたる水に千島の影見えてゆふ日ほのめく浦の松かえ
けしきみるか如し、声ある写真とそいふへき
とふ人のなみたの雨やつきさらん衣川はらの水はかるとも
二の句袖とふ波やにては
三本木にて新渡戸ぬしの墳墓に詣ふてゝよめる
ひらけゆくみ世の光に中たえし君かいさをも見え初にけり
三の句うつもれし、五句あらはれにけりにては
山を田にひらきし君かめくみにておひしけり行く里の民草
下の句の民草上の山を田に応していといとをかし
三本木の里にて
行すきて母まつこまも見ゆるなり牧はに近き岡のひとむら
けしきありさまたゝめのまへにみるこゝちす、○初二の句かけゆきておやまつにては
日光にて東照宮に詣てゝ
ひろ 《(欠字)》にのこるいさをはちりはめし黄金の外に見え渡る哉《(青淵先生六十年史ニひろ前にトアリ)》
神徳の尊きまことに輪煥のほかに赫燿たり、万古不易の正論とそいふへき、○初二の句今もよをてらすにては
○十九日帰京シタルコト「竜門雑誌」第八十九号(第三十四頁)ニアリ。