デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

5章 農・牧・林・水産業
1節 農・牧・林業
6款 小樽木材株式会社
■綱文

第15巻 p.654-657(DK150081k) ページ画像

明治39年8月11日(1906年)

是日栄一、大倉喜八郎等ト帝国ホテルニ於テ、当会社設立発起人会ヲ開ク。尋イデ九月二十日銀行集会所ニ於テ創立総会ヲ開キ定款其他ヲ議決シ、栄一ハ議長トシテ役員ノ指名ヲ委任セラレ、又相談役ニ推挙セラル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK150081k-0001)
第15巻 p.654 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三九年 (渋沢子爵家所蔵)
七月四日 曇 涼 起床五時就蓐十一時三十分
○上略 草梁停車場ニテ足立太郎氏ニ面会シ東京佐々木氏ヘ北海道木材ノ件ニ関シ市原氏ト共ニ詳細ノ伝語ヲ托ス
   ○栄一ハ是年六月八日東京ヲ発シテ朝鮮ニ旅シ、七月三日京城ヲ去リテ帰路ニ就ク。


竜門雑誌 第二一九号・第三四頁 明治三九年八月 ○小樽木材会社の設立(DK150081k-0002)
第15巻 p.654 ページ画像

竜門雑誌 第二一九号・第三四頁 明治三九年八月
○小樽木材会社の設立 青淵先生を始め大倉喜八郎・馬越恭平・平沼延次郎・左右田金作・植村澄三郎・井阪直幹・田中清一等の諸氏発起となり豊富なる北海道の木材を伐採して清国及び満韓に輸出するの傍ら、内国向き各種の木材をも販売するの目的を以て小樽木材株式会社を設立することゝなり、本月十一日帝国ホテルに発起人会を開き資本金を百五十万円(三万株)とし、内発起人の引受株一万一千株にて残り一万九千株を一般市場より募集し一株の申込金五円、第一回の払込金二十五円(申込金共)と決定せり、尚同会社は同目的を以て多年営業しつゝある天塩木材株式会社の事業を其儘継続する筈なるが、右天塩木材会社は従来専ら大倉喜八郎・田中清一等諸氏の経営に係り、三十七年度は三割の配当を為し三十八年度も同様の配当を為し得べかりしが、戦後の景気如何を虞れて一割五分を配当したる次第にして会社の前途は最も好望なりと云ふ


中外商業新報 第七四四六号 明治三九年九月二一日 ○小樽木材会社の創立総会(DK150081k-0003)
第15巻 p.654-655 ページ画像

中外商業新報 第七四四六号 明治三九年九月二一日
    ○小樽木材会社の創立総会
小樽木材会社の創立総会は二十日午後一時より銀行集会所に於て開かれたり、男爵渋沢栄一氏議長席に就き発起人総代田中清一氏の創立以来の経過費用等の報告ありて定款の討議に移り、一二細項の修正ありし外原案を通過せり、役員報酬の件に就ては取締役五名、監査役三名に対し年七千円以内に決定し夫より役員の選挙となりしが、議長指名の動議に満場異議なく渋沢議長は
 取締役 田中清一・大倉久米馬・植村澄三郎・早川鉄治・山下亀三郎
 監査役 浅羽靖・関谷和三郎・松本忠次郎
 - 第15巻 p.655 -ページ画像 
を推薦せり、次に株式総数の引受済第一回払込結了の件に付き報告あり、取締役・監査役の就職挨拶ありて散会を告けたり、因に監査役中浅羽・松本の両氏は欠席なりしを以て追て其承諾を得ることとなり社長は特設せず、専務取締役田中清一氏社長の任務を掌り、又相談役を設け渋沢栄一・馬越恭平・大倉喜八郎の三氏を推挙して其承諾を得たる由


竜門雑誌 第二二〇号・第四〇頁 明治三九年九月 ○小樽木材株式会社創立総会(DK150081k-0004)
第15巻 p.655 ページ画像

竜門雑誌 第二二〇号・第四〇頁 明治三九年九月
○小樽木材株式会社創立総会 同会社設立の事は前号に詳記せるが此程株式募集結了したれば、本月二十日午後一時より坂本町銀行集会所に於て創立総会を開き、青淵先生を始め馬越恭平・植村澄三郎氏外数十名出席して
 一会社創立に関する事項並に創立費金参千五百円決算報告の件
 一役員選挙の件
 一役員報酬を定むるの件
 一株式総数の引受済報告の件
 一各株に付第一回の払込結了報告の件
 一設立費用当否報告の件
を議し取締役に田中清一(専務)・植村澄三郎・大倉粂馬・早川鉄治・山下亀三郎五氏、監査役に関谷和三郎・松本忠次郎・浅羽靖三氏を選挙し、青淵先生・大倉喜八郎・馬越恭平氏を相談役に推選し午後三時散会せり


竜門雑誌 第二二〇号・第四四頁 明治三九年九月 ○青淵先生と新会社関係(DK150081k-0005)
第15巻 p.655 ページ画像

竜門雑誌 第二二〇号・第四四頁 明治三九年九月
○青淵先生と新会社関係
○上略
 一、小樽木材株式会社 相談役
○下略


銀行通信録 第四二巻第二五二号・第五二八頁 明治三九年一〇月 ○小樽木材会社創立総会(DK150081k-0006)
第15巻 p.655 ページ画像

銀行通信録 第四二巻第二五二号・第五二八頁 明治三九年一〇月
    ○小樽木材会社創立総会
小樽木材会社にては、九月二十日東京銀行集会所に於て創立総会を開き定款其他を議定し、取締役に田中清一・大倉久米馬・植村澄三郎・早川鉄治・山下亀三郎の五氏、監査役に浅羽靖・関谷和三郎・松本忠次郎の三氏当選し、尚ほ専務取締役に田中清一氏之に当り、別に相談役として渋沢栄一・馬越恭平・大倉喜八郎の三氏を推薦せり


中外商業新報 第七五一七号 明治三九年一二月一三日 ○小樽木材会社総会(DK150081k-0007)
第15巻 p.655-656 ページ画像

中外商業新報 第七五一七号 明治三九年一二月一三日
    ○小樽木材会社総会
小樽木材会社は十二日午後二時日本橋阪本町東京銀行集会所に於て株主定時総会を開き、専務取締役田中清一氏議長席に着き諸般の報告を為し、次で年一割五分の利益配当案を可決し尚ほ後期に一万九千余円を繰越したり、夫より臨時総会に移り監査役改選の件を附議したるに選挙法に就き多少議論ありたるも結局、関谷和三郎・松本忠次郎・浅
 - 第15巻 p.656 -ページ画像 
羽靖の三氏重任する事となりたり


中外商業新報 第七五二五号 明治三九年一二月二二日 ○小樽木材会社増資内定(DK150081k-0008)
第15巻 p.656 ページ画像

中外商業新報 第七五二五号 明治三九年一二月二二日
    ○小樽木材会社増資内定
小樽木材株式会社は過日の定時総会閉会後資本増加の議出て拡張計画に付委員を設け調査の結果、二十日の重役会議に於て資本金を六百万円に増額する事に決定したる由


銀行通信録 第四三巻第二五五号・第九四頁 明治四〇年一月 △小樽木材会社(DK150081k-0009)
第15巻 p.656 ページ画像

銀行通信録 第四三巻第二五五号・第九四頁 明治四〇年一月
△小樽木材会社 小樽木材会社株主は十二月十二日総会に於て交渉委員を選み増資の件に付重役に交渉中の処、愈々従来の資本金百五十万円の外更に四百五十万円を増加して総額六百万円とすることに決し、二月上旬臨時総会を開きて之を附議する箸(筈カ)なり。


中外商業新報 第七五六〇号 明治四〇年二月三日 ○小樽木材の増資拡張(DK150081k-0010)
第15巻 p.656 ページ画像

中外商業新報 第七五六〇号 明治四〇年二月三日
    ○小樽木材の増資拡張
小樽木材会社は既記の如く愈々資本金四百五十万円を増し総資本六百万円と為すに決したるを以て、来十二日午後一時坂本町銀行集会所に臨時総会を開き之を附議する由、尚同社営業状態を聞くに伐木・造材共専ら自営の方針を執り北見・天塩等木材豊富の地に於て数十万坪の山林を所有し、本年の伐木造材高は雑木角材を併せて百二十万尺〆内外なりと云ふ、而して海外の需要は昨年非常に増加し南米及濠洲への輸出開け、支那以上の需要に達せんとするものゝ如しと、尚北海道にては三井物産・小樽木材の如き木材業者として基礎鞏固なる向に対しては、四十年以後は年期払下の便法を開く筈にて目下其筋にて法令の調査中なりと云ふ、されば小樽木材も増資の上は新に滊船数艘を購入し海陸の連絡設備を全ふし一層販路の拡張を計る筈なりと云ふ


竜門雑誌 第二二五号・第四五頁 明治四〇年二月 ○小樽木材会社の増資(DK150081k-0011)
第15巻 p.656 ページ画像

竜門雑誌 第二二五号・第四五頁 明治四〇年二月
○小樽木材会社の増資 先生の相談役たる小樽木材会社は、本月十二日臨時総会を開き、資本金百五十万円を六百万円に増加することに決せり


銀行通信録 第四三巻第二五七号・第四一八頁 明治四〇年三月 △小樽木材会社(DK150081k-0012)
第15巻 p.656 ページ画像

銀行通信録 第四三巻第二五七号・第四一八頁 明治四〇年三月
△小樽木材会社 小樽木材会社が現在資本金百五十万円の外更に四百五十万円を増加して総額六百万円とすることに決したることは前々号(九四頁)に記せしが、右は二月十二日臨時総会を開き、三月一日現在株主に対し所有株一株に付新株三株を割当つることゝなれり


竜門雑誌 第二二六号・第一四―一五頁 明治四〇年三月 ○目下の経済事情(青淵先生)(DK150081k-0013)
第15巻 p.656-657 ページ画像

竜門雑誌 第二二六号・第一四―一五頁 明治四〇年三月
    ○目下の経済事情(青淵先生)
此篇は先生が経済学協会の懇請に応じ昨年十二月二十一日の会合に臨み演説せられたる所にして当日先生の演説終るや阪谷博士は右に対し一場の演説を試みられたり、依て爰に併せ掲げ読者の閲覧に便
 - 第15巻 p.657 -ページ画像 
することゝせり
○上略 ドシドシ其事業をやツたら宜い、一向差支は無い、現に亜米利加辺りでする仕事はどうである、隣りの朝鮮ばかり見て居るとそんなケチな考になるが、モウ一つ眼を放ツて亜米利加を見るが宜いぢやアないか、斯ういふ楽観説を言ふときには、今日電気、電力会社を千五百万円で起さう、小樽木材会社を二百万円で起して一年の間に六百万円にする、又少しも怪しまないのである、其れだけ利益があるぢヤないか、いつまでも貧乏人の日本と思ふて居るからケチな根性が出る、日本はいつでも貧乏人でありはしない、富有になるだけの力がある、富むだけの働きを平生するが宜いではないか、斯う考へて見ると、決して悲観にばかり考へぬでも互い理窟が生ずる、現に二十七八年頃は其れはいけさうもないと思ふたので、果していけさうもないから、其の三四五年は何も彼も衰退した、悲観論者の説が誠に尤もと言へないが実はさうで、二十七年、三十一二年は悲観論者の説であつた、三十六年七年は少し失敗して吾々は敗将勇を語らずといふ位置に居る、故に此楽観論から言へば私は今日ドシドシやるべしと云ふ方が宜いやうですといふ言葉を申して宜いやうにあるです、但し今如何に左様申すからと云ふて、権利株を成るたけ盛にするが宜いといふて満洲鉄道の申込の如き有様を歓迎する主意ではありませぬ、例へば三重紡績、或は小樽木材会社といふやうなものゝ類を進めて往くといふことは何程やつても宜いぢやアないかといふことは、どうも一概に其れをしも尚ほ廃すが宜いと云ふことは、結局国の進みを止めるが宜いといふ議論になりはしないかと恐れるので、此の点に就ては或は渋沢も楽観論者と称せらるゝ其の一人に居るかも知れませぬ
併し又翻ツて考へて見ると、余程気遣はしいといふことにどうしても申さゞるを得ぬのです、此の現在は昨年(三十八年)来の金融が斯の如く緩慢で、市中の金利が安かツたといふことは、果して経済の力が大に進んで、其資力だけで斯く金融緩慢であるかといふことも一の疑問である、総て国の金融の有様といふものは、経済其の物だけの働きではございませぬで、必ず此の奥政治に属する支途が経済に注入されて居ツて、或場合には、其為に緊縮され、或場合には其の為に膨脹し或場合には其為に緩慢を来すといふことが始終でございます。○下略