デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

明治26年10月7日（1893年）

是日栄一、我国ノ水産業上功績アルヲ認メラレ、当水産会ヨリ有功章ヲ贈与セラル。

青淵先生六十年史（竜門社編）　第二巻・第二一一―二一六頁明治三三年二月刊
　　第四十一章　水産業
　　　　第一節　緒言
我邦ハ天然ニ頗ル水産ニ富メルニ拘ハラス遺利甚タ多ク改良発達ノ余地尚ホ広シ、政府ハ水産局ヲ置キ水産博覧会ヲ開キ水産調査所・水産講習所ヲ設ケ頗ル水産業ノ奨励ヲ力メ、又大日本水産会アリ有志ノ士集リ斯業開発ノ攻究ニ怠ラス青淵先生ハ同会ヨリ有功章ノ贈与ヲ受ク
　　　　　　大日本水産会有功章贈与証状
　　有功章（徽章図略ス）　　　　　　従四位　渋沢栄一
　　　水産上有功ナルヲ認メ玆ニ大日本水産会有功章ヲ贈与シ以テ其功績ヲ表彰ス
　　　　明治二十六年十月七日
　　　　　　　　　　大日本水産会頭
　　　　　　　　　　　　　　　　大勲位　彰仁親王
明治二十六年六月先生ハ同会ノ十一回大集会ニ於テ同会員ノ請ニヨリ左ノ演説ヲナセリ
　諸君、今日ノ大集会ニ当リマシテ私ニモ水産ニ関スル意見ヲ述ヘヨト幹事長カラノ御委託テコサイマシタ、右ニ就キ此ノ席ヲ涜シマシテ甚タ不束ナ愚見ヲ此ノ処ニ陳述致シテ清聴ヲ煩サウト考ヘマス、元来私ハ水産ト云フ事業ニハ甚タ縁ノ遠イ商売ニ従事シテ居リマスル為ニ、是レ迄関係シタコトモ甚タ少ナイ故ニ実験ト云フコトモアリマセヌ、又一方ニ学問上研究致シタト云フコトモコサイマセヌカラシテ、実ハ此ノ席ヘ出テ従来御熱心ニシテ、種々ノ調査アル諸君ノ御面前テ右様不束ナ陳述ヲ致スト云フノハ独リ恐縮ト申スノミナラス、自身モ甚タ迷惑、聴ク御方々モ御迷惑、少シ御迷惑ノ競争ト云フ姿カアルケレトモ、此ノ席ヲ涜シマスル以上ハ此ノ処ニ一言ヲ申述ヘサルヲ得マセヌ、水産事業ハ国利民福ヲ保護スルモノテアル又水産事業ハ広大無辺ノモノテアル、殆ト天工ノ無尽蔵テアル、又水産事業ハ日本ニ於テハ殊ニ注意ヲ厚クセネハナラヌ、日本ノ地ノ利ハ水産事業ニハ最モ適応シテ居ル等ノ事柄ハ最早ヤ是レ迄ニ諸君モ御申尽シテコサイマスカラ、不経験ナル私カ亦蛇足ヲ添ヘテ御耳ヲ煩ス必要ハナカラウト考ヘマス、依テ他ノ意見ヲ申述ヘヤウト考ヘマス、扨自分カ千思万考シタコトモ熟練ノ諸君カラハ陳腐ノ事柄ニテ自分ニハ是レソ立派ナ考按テ新発明ノモノト思フタコトモ或ハ遼東ノ豕タルコトヲ免レヌト私ハ考ヘマスケレトモ、只自分カ水産ノ奨励ニ付テ斯クナレカシ斯ク望メカシト云フコトヲ一応申述ヘマ
 - 第15巻 p.669 -ページ画像 
ス迄テアリマス、熟々思フテ見マスルト日本ノ水産事業カ今日ニ沿革シテ居ル所ハ矢張農業若クハ工芸ト同一揆ニ出テ居ルヤウニ見エル、同シ道行ヲシテ居ルヤウニ考ヘマス、尤モ農業モ工芸モ五七年此ノ方ハ少シク景況ノ異ツタ所カアリマスカ、多クハ個々別々ノ自活的ノ仕事テアル、例ヘハ人力車夫カ一日ニ二十銭ヲ見当テニ働クカ如ク、自身一家ノ生活ヲ保ツノミノ主義テ働イテ居ルト云フモノテアリマス、是レカ今日日本ノ農工業ニ属スル実況ト言ヒタイ、否言ヒタクハナイカ言ハナケレハナラヌ、水産業モ亦此ノ如キ有様テハナイカト思ハレル、此ノ姿テノミ行キマスレハ、水産業ノ真正ノ発達ハ到底六ケ敷クハナイカト思ハレマス、但シ自活的ノ働キトテモ、悪イト云フ訳テハナイ、夫レモ必要テアリマセウケレトモ別ニ此ノ事業ニ就テ資本ト労力ト相合シテ之ニ加フルニ学問ヲ以テ営利的ノ大組織カナケレハ真ニ奨励発達シテ行クコトハ六ケ敷カラウ、試ニ他ノ比例ヲ以テ之ヲ論シマスルト、彼ノ紡績事業テアリマス、私モ此ノ紡績業ニハ大ニ関係シマシテ二三ノ会社ノ創立ニモ営業ニモ種々考按ヲ尽シテ見タコトカコサイマス、丁度似寄ツタ比例テ、今ノ一家自活的ノ働ト資本ト労力ト学問トヲ合併シテ規模ノ大キナ働キトノ違ヒヲ証明スルニハ適当ノ話テアラウト考ヘテ、玆ニ申述ヘマス、日本ノ紡績糸ノ古ノ仕来ハトウ云フモノテアルカト申スト綿ハ畑テ出来ル、其畑テ出来テ取上ケタ綿ヲハ弓ノ弦ノ如キモノテビンビン打ツ、是レハ綿打チノ職工ノスル仕事テアリマス、其綿ヲ打ツ前ニ綿繰器械カアリテ此ノ器械テ綿ヲ繰リテ其実ヲ抜キサウシテ今申シタ弓ノ弦テビンビン打ツ、斯ク打チ揚タ綿ヲ篠巻ト称ヘ此ノ篠巻ヲ以テ綿糸ヲ紡出スルト云フノカ手順テアル、先ツ耕作カラ今ノ綿ノ仕上ケハ暫ク擱テ其紡出スルノハ或ハ婆サントカ娘トカ一人前ノ仕事ハ漸ク一日十五匁位シカ出来ナイ、僅カ其日ノ食料ニ足ルカ足ラヌ位テアリマス、ケレトモ農間ノ仕事テアリマスカラ、先ツ夫レヲ一種ノ副業トシテヤリマス、又需用スル者モ夫レヲ買ツテ間ニ合ハセテ居ツタ、之カ従前日本ノ木綿ヲ織出ス手続テアリマシタ、ソウシテ其紡出シタ綿糸ハ大阪地方テハ淡州「カセ」ト唱ヘテ随分有名ナル商品トナツタ、又東京最寄テハ高槻草加辺ニテ多ク産出シテ一ノ商品ト称サレマシタ、然ルニ紡績器械カ日本ニ行ハレテ来テカラハ殆ト比較ノ立テ難イ事業トナツテ、手紡ニテ百年掛ツタ綿糸ハ器械テ一年ニ出来ルト云フ有様トナツタカラ仮令農間ノ副業タリトモ其副業ヲ以テ経営スル丈ケノ利益ヲモ得ラレヌ、故ニ一方ノ紡績器械ノ糸ノミ商品ニ帰シテ仕舞ツタ、僅カ四五年ノ間ニ左様ニナツタ、是等ハ特ニ有ル例テアツテ事々物々左様ニ比較ノ違フモノテハナイカ、此ノ水産事業ノ事モ或ハ夫レニ似寄ツタ有様カアルニ相違ナカラウト思ヒマス、此カ斯ウテアル此ノ物カ斯ウテアルト云フコトハ不熟練ナル私ニハ明言シ難イ訳テアリマスカ、若シサウ云フ事柄カアリマスナラハ私ノ企望ハ将来相当ノ資本ト労力ト及ヒ技術ト相適合シテ一ノ営利会社ノ如キモノヲ確実ニ組織スルハ頗ル必要ノコトヽ考ヘマス、故ニ本会ニ於テハ向後最モ此ノ点ニ注意セラレテ奨励ニナリタイト思ヒマス、詰リ事物ノ進歩ハ実益ト云フモ
 - 第15巻 p.670 -ページ画像 
ノカ一番強イ勢力ヲ持ツト云フ原則ハ誰カ何ト言ツテモ逆フコトハ出来マセヌ、果シテ然ラハトウシテモ実際ノ利益ト云フモノハ此ノ業ノ発達ヲ促スニ付テ最要至緊ノ務テアルト断定致スヨリ外コサイマセヌ、調査モ必要テアラウ研究モ要用テアラウ、併シ只調査研究ノミテ今申ス事業ノ組立カ大イニ進ミマセナンタナラハ何事モ成功ハ覚束ナイ、拮据経営日暮レテ事モ亦已ムト云フヤウナ悲イ有様ヲ見ヌトハ申サレマセヌ、願クハ本会ニ於テハ十分ニ事実ヲ調査シテ資本労力技術ノ三要素テ合セタル営利的ノ組織ヲ奨励スルコトヲ心懸ケタイト存シマス、古人ノ文章ニ「智者ハ事ヲ始メ能者述フ一人ニシテ成ルニアラサルナリ」ト云フ格言カアリマス、世ノ中ノ事業ハ決シテ一人ノ力ノミテ行ケルモノテハナイ、必ス之ヲ導ク人カアツテ其導キニ依テ其事ヲ遂ケル人カアル、前者唱ヘ後者之ヲ継クカラ遂ニ其全キヲ得ルモノテコサイマス、私ハ玆ニ企望シマス、此ノ水産会ハ前ニ言フ所ノ智者トナツテ更ニ他ニ能者ヲ待テ相共ニ此ノ水産業ノ発達ヲ図リ、他日其大成ヲ遂クルヲ得タイト思ヒマス、聊カ平生ノ卑見ヲ申述ヘマシタノテコサイマス（大喝采）