デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
1款 韓国ニ於ケル第一銀行
■綱文

第16巻 p.118-129(DK160019k) ページ画像

明治34年4月(1901年)

第一銀行韓国ノ海関税ヲ抵当トシテ同国政府ニ金三百万円ヲ貸付ケ、其代償トシテ同国内ニ流通スベキ銀行券発行ノ特権ヲ得ン事ヲブラオント交渉ス。然ルニ偶々韓国政府ニ対シ欧米借款団ノ勢力
 - 第16巻 p.119 -ページ画像 
争ヒアリ、同国政府内ニモ対立アリテ交渉進展セズ。三十五年一月事遂ニ已ミタリ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三四年(DK160019k-0001)
第16巻 p.119 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三四年        (渋沢子爵家所蔵)
四月廿七日 雨
○上略本店佐々木氏廿五日附ノ書状ニ接ス、韓国借款ニ関スル事件来報セラレタルヲ以テ、直ニ電報ヲ以テ当方ノ意見ヲ回答ス○下略
   ○中略。
七月六日 雨
○上略十一時兜町宅ニ抵リ、来人ニ接ス、第一銀行佐々木・市原二氏来ル、七日ヲ以テ王子別荘ニ来会ノ事ヲ通知ス、韓国借款ニ関スル要件ヲ議スル為ナリ、十二時呉大五郎来ル、韓国借款ノ取扱方ニ付内話アリ、之ヨリ先大三輪長兵衛氏ト市役所ニ於テ面会シ、同シク借款問題ニ関スル談話ヲ為ス○下略
七月七日 雨
○上略佐々木勇之助市原盛宏二氏来ル、韓国借款ニ関シ頃日来大三輪長兵衛・呉大五郎及外務省ニテ山座円次郎ト談話セシ顛末ヲ協議ス○下略
   ○中略。
七月九日 曇
午前九時曾禰大蔵大臣ヲ官舎ニ訪ヒ、韓国借款ノ事及京仁鉄道ニ関スル借用金ノ事、日清銀行設立ニ関スル昨年来ノ経過ヲ談話ス○下略
   ○中略。
八月廿六日 晴
○上略東京本店佐々木ヨリ韓国貸金ノ事ニ関シ来書アリ、依テ同意ノ旨直ニ返電ス
   ○中略。
九月二日 曇
○上略午後一時第一銀行重役会ヲ事務所ニ開ク、韓国政府ヘ貸金ノ事ヲ議定ス○下略
九月三日 雨又晴
○上略午後外務省ニテ山座氏・内田氏ニ面会シテ韓国貸金ノ事等ヲ談話ス、曾禰大臣ニ面会シ○中略韓国貸金ノ事ヲ談ス○下略
   ○中略。
九月十三日 晴
○上略兜町事務所ニ抵ル、佐々木勇之助氏来リ、韓国ニテ発行スル銀行券ノ事ヲ談ス○下略


韓国ニ於ケル第一銀行 第一銀行編 第一三九―一六一頁明治四一年八月刊(DK160019k-0002)
第16巻 p.119-128 ページ画像

韓国ニ於ケル第一銀行 第一銀行編 第一三九―一六一頁明治四一年八月刊
 ○第四章 韓国政府貸上金
    第二節 仏国借款問題並ニ関税抵当韓国政府貸上金
        及銀行券発行問題
○上略韓国政府貸上金及紙幣発行ニ関スル交渉ハ、明治三十三年十二月ニ於テ一先ヅ中止ノ姿トナリシガ、三十四年一月林公使帰朝ノ際、右等ニ拘ハラズ本行ニ於テ銀行券ヲ発行シ、他日韓国ニ於テ資金ヲ需要
 - 第16巻 p.120 -ページ画像 
スルニ当リ、之ヲ以テ貸金ヲナスコトヽセバ如何トノ説アリ、本行ハ自己ノ利益ト共ニ、国家ノ勢力ヲ伸張スルハ、固ヨリ希望スル所ニシテ、大ニ之ヲ賛シ、先ヅ之ヲ大蔵省ニ計ル、然レトモ同省ハ銀行券発行ハ法律ニ牴触スル所アリトシ反対ノ意見ヲ有セシヲ以テ、本行ニ於テハ梅法学博士ノ説ヲ徴シ、且駐韓公使及外務・大蔵両省ヘ意見書ヲ呈出シテ、本件交渉開始ノ準備ニ着手セシガ、時モ善シ同年四月頃ニ至リテハ、当時問題トナリタル「ブラオン」氏解傭事件モ稍々落着シ同氏ニ於テモ此際前ニ中止セル借入金ノ交渉ヲ再燃シ、韓国ノ利益ヲ計ルト同時ニ、自己ノ地位ヲ鞏固ナラシメントスルノ意思アリタルヲ以テ、本行従来ノ目的ヲ遂行スルノ好時機ニ接セリ、然レドモ昨年渋沢頭取渡韓ノ節「ブラオン」氏ト交渉セル事項ハ、前後錯雑シテ要旨不明ノ点アルヲ以テ、四月十九日新ニ左ノ覚書ヲ立案シ、以テ韓国政府ニ対スル交渉ノ方針ヲ定メタリ
    覚書
 第一 韓国政府ニ於テ京城ノ水道布設、各海口ノ灯台建設及貨幣製造ノ為メニ資金ヲ要スルトキハ、第一銀行ハ各海口ノ海関税金ヲ第一抵当トシテ、金参百万円迄ヲ貸付スベキ事
 第二 韓国政府ハ前記ノ借入金ヲ為スニ付、第一銀行ノミニ対シ、韓国内ニ通用スル兌換券参百万円迄ヲ発行スル特権ヲ付与スル事
 第三 第一銀行ニ於テ前記ノ兌換券ヲ発行スル場合ニハ、少クトモ常ニ其三分ノ一ニ当ル韓国又ハ日本ノ通貨ヲ以テ其引換準備トナシ、兌換券所持人ヨリ其引換ヲ望ムトキハ、其営業時間内何時ニテモ韓国又ハ日本ノ通貨ト交換スベキ事
 第四 前記貸付金参百万円ノ中、壱百万円ハ日本通貨ヲ以テ貸渡シ残額弐百万円ハ第一銀行ニ於テ発行スル兌換券ヲ以テ貸付スベキ事
 第五 前記貸付金参百万円ハ一回ノ引出高ヲ金五拾万円迄トシ、総税務司ニ於テ其金高ヲ三箇月以前ニ第一銀行ヘ予告スルコト、但シ、其通知ヲ為シタル日ヨリ、少クトモ三箇月以上ヲ隔ルニアラザレバ、次期ノ引出ヲ予告スルコトヲ得ズ
 第六 前記貸付金ノ利足ハ年六分ノ割合ヲ以テ日歩計算トナシ、毎年両度六月二十五日及十二月二十五日限リ実際貸出シタル金額ニ応ジ、総税務司ヨリ第一銀行ニ支払ヲ為スベキ事
 第七 前記ノ貸付金ハ貸出シタル日ヨリ五箇年間据置キ、六箇年目ヨリ毎年少クトモ金拾五万円宛、二十箇年以内ニ海関税金ノ内ヨリ第一ニ返済スベキ事、但韓国政府ノ都合ニヨリテハ、其期限ヲ短縮シテ完済スルモ妨ナシ
 第八 韓国政府ハ本年ヨリ二十五年間、現在及将来ニ於ケル各海口ノ海関税取扱方ヲ第一銀行ニ委托シ、前記ノ貸付金ヲ返済シタル後ト雖モ、右ノ期間ハ決シテ之ヲ変更セザル事
 第九 此約定ニ依リ、第一銀行ニ於テ発行スル兌換券ハ、韓国各海口ノ海関税ハ勿論、総テ租税其他ノ納金ニ通用スベキモノトナス事
 第十 此約定ノ継続スル間ハ、総税務司ヲ任命シ若クハ之ヲ更迭ス
 - 第16巻 p.121 -ページ画像 
ルニハ、日英両国公使ノ同意ヲ経ベキ事
右ノ如ク成案ヲ立テ、着々トシテ準備其歩ヲ進メントスルノ際、三十四年四月二十一日突然京城ヨリ仏国借款成立ノ飛報ニ接シ、復タ玆ニ米国借款問題当時ノ情勢ヲ再演スルニ至レリ
 朝鮮政府ハ仏蘭西ヨリ五百万円借入、返済方法ハ海関税金ヲ以テスルコト夫々約定済、併シ公使ハ外務省ヨリ訓令待受、厳シク故障申込ノ筈、「ブラオン」解雇ノ事ハ平穏ニ結了、委細書ヲ以テ報ゼン
此報ニ接スルヤ、本行ハ一面ニ外務省ト協議シ、同月二十二日午後一時ヲ以テ左ノ電信ヲ仁川ニ発セリ
 京城ヨリ電信相達シ承知スト雖モ、外国人ニテ海関税ヲ抵当トスルハ、当行ノミナラズ「ブラオン」ニ於テモ不利益ニ付、紙幣発行ニ係ル特許ヲ得ルナレバ、当行ニテモ参百万円貸付ノ事ヲ承諾スベシ「ブラオン」ト協議ノ上、同人ヨリ故障ヲ申立、仏国ヨリ借入約定ヲ解約スルコトハ出来ヌカ、公使ト協議ノ上模様至急電報セヨ
之ニ対シ、翌二十三日午後八時三十分仁川支店ヨリ左ノ返電アリ
 公使「ブラオン」ト協議セリ、金額参百万円、利子五分五厘、債権者手数料トシテ元金ニ対シ一割取立、海関「ノウト」発行ノコトハ銀行ニテ必要ノ際追テ約定スルトシテ、其外ノ条件ハ昨年約定ノ通リニテ「ブラオン」ヲ承諾セシメ、仏蘭西ノ約定ヲ中止セシムル積リ、紙幣発行ニ係ル特許ハ目下見込立タズト雖モ、海関「ノウト」発行権アレバ当店ニテモ損失ナシ、公使ヨリ外務省ヘ報告セシニ付外務省トモ協議ノ上切ニ回報ヲ待ツ
右利足五分五厘手数料一割トセルハ、仏国借款ノ条件ニ拠リタルモノニシテ、前述覚書ノ案ニ比シ、差シタル不利ヲ認メズト雖モ、当時我政府ノ財政余裕ナクシテ事業繰延ヲナシ、日本銀行ハ輸入超過又ハ銀行破綻等ノ為メ警戒ヲ加ヘ、融通頗ル困難ノ際ナリシカバ、到底援助ヲ望ミ難ク、本行ニ於テ独力事ニ当ルノ外ナキヲ以テ、同日更ニ仁川支店ヘ宛左ノ電報ヲ発送セリ
 電信相達シ承知セリ、名義ハ海関「ノウト」ニテモ差支ナシト雖モ当銀行ニ参百万円迄発行ノコトヲ認可ノ上、貸付金参百万円ノ内壱百万円ハ通貨ニテ、残リ弐百万円ハ海関「ノウト」ニテ貸付スルコトナレバ差支ナシ、尚二十二日付書状ヲ以テ委細通知シタルニ付、到着ノ上当方ノ希望ヲ承知セヨ
然レドモ「ブラオン」氏ハ容易ニ海関紙幣発行ノ件ヲ承諾セズ、通貨ニテ借入ヲナサンコトヲ望ミ、殊ニ当時韓廷ニハ李容翊勢力ヲ振ヒ、仏国借款ハ同人ニ於テ貨幣ノ実権ヲ得ントスルノ計画ヨリ出デタルモノナレバ、之ヲ打破スルハ容易ノ業ニアラズシテ、本行ノ奔走尽力終ニ其効ヲ奏セズ、交渉復タ一時中止ノ姿トナリ、一段落ヲ告グルニ至レリ、而シテ其所謂仏国借款ノ全文ヲ示セバ左ノ如シ
  雲南「シンジケート」トノ借款写
          (文字不分明ノモノアレドモ大体ヲ解スベシ)
 由
 大韓帝国政府、洎
 大法、在巴璃、雲南会社、総代、文技師、前宝乙、爾沢巨学員、賈
 - 第16巻 p.122 -ページ画像 
師、乙利藪、訂定合同、如左
    第一款
  賈師、乙利藪、借与銀貨五百万元、干
 大韓政府、計略、一千二百五十万法朗、該借款、用於鋳造、金銀貨幣、及平壌炭礦、採取之需、該地款五百万元、分為三分、其二分、以塊金、其一分、以塊銀、輸送于済物浦、事該塊銀、均用、純金純銀、自
 大韓国分析、試之、如或雑銅還退事
    第二款
 該款、利子、以毎年毎百頭、五分五厘、而定、其外、百抽十、為銀行之費、以二十五個年、而該借款及利子、畢報之期事
    第三款
 平分二十五次、還報、該款、而各以所報之数、即与、第一箇年所報之数、相同、第一次所報之期、即竢該款到、済物浦、日而計、完満一箇年、而完事由
 大韓政府、一准、賈師、乙利藪、指定銀行、送報、該銀事、一准、賈師、乙利藪、所要、或用塊金、或用塊銀、或用他貨償報、該款事
    第四款
  如由
 大韓帝国政府、違越所定之期、不行如例、償還該款
  就
 大韓海関税入中償報事
    第五款
 大韓帝国、外部大臣、及
 大法、駐韓公使、交印、事
    第六款
 本、合同、以法漢文、各繕四件、如有日後分岐、処、均帰法
   文講解二件、存案于
 大韓外部、度支一件、存留于賈師乙利藪、一件、存案于大法公館、事
  光武五年四月 日
  西暦一千九百年
         大韓外部大臣署理外部協弁 崔栄夏
         大韓度支部司税局長    李健栄
         大法国雲南会社総代    賈師乙利藪
         大韓外部交渉局長     李応翼
         大韓度支部庶務局長    金裕完
然レドモ時運ノ回転スルハ恰モ走馬灯ノ如ク、仏国借款モ亦其後韓廷内ニ反対論盛ニ起リ、契約ノ実行容易ナラザルベキ状勢アリ
右ニ付五月十五日付ヲ以テ仁川支店支配人ヨリ左ノ報告アリ
 (前略)若シモ此儘ニ捨テ置候時ハ、又如何ナル難件出現スルヤ不相分、現ニ昨今頻リニ評判有之候ハ米国人「サンズ」ノ画策セル借款問題ニシテ、是ニハ韓廷部内ニ勢力アル英語派ト称スル連中賛同シテ運動致シ居、成功スレバ貸金ヲ以テ直チニ水道工事ニ着手スル筈、其工事請負人ハ例ノ「ボストウエック」、「コルブラン」等ニ候
 - 第16巻 p.123 -ページ画像 
由、是ハ事実ラシク被存候、「サンズ」ノ計画ハ貸金ヲ韓廷ニ渡サズ自分ノ手ニ保管シテ水道工事ヲ請負ヒ、二重ノ利ヲ得ントノ目算ニ候間、此借款ハ関税抵当ノ条件ハ除カレ可申候ヘドモ、京城ノ情況ハ時々刻々変化致候間、少シモ油断難相成候
 雲南「シンジゲート」ノ方ハ、韓廷部内ニ大反抗起リ、李容翊スラ如何ニシテ之ヲ解約スベキカト苦心中ニシテ「シンジケート」代表者仏人「カザリー」ヨリハ五百万円ノ一箇年ノ利足五分五厘即チ弐拾七万五千円ヲ違約料トシテ受取リタシト迫リ居リ、之ニ対シテ李容翊ハ拾万円ニテ勘弁セヨト申張リ、中々折合付カザル由ノ評判ニ候
 右「カザリー」ハ借款成就ニ至ルマデニ参拾万円程ノ運動費ヲ失フテ閉口シ居ルトノ話ニ候
 以上近況御参考迄ニ申上候 草々敬具
尚ホ六月十七日発ノ書状ハ当時ノ情況ヲ尽セルモノアルヲ以テ之ヲ左ニ掲グ
 拝啓、然者関税抵当貸付ノ件ニ付テハ、林公使ト「ブラオン」トハ時機尚早ト申居候得共、却テ時機ヲ逸シ候半カト杞憂致シ居候事ハ先便ニテ御承知被遊候事ト存候、元来此度ノ貸付談ハ「ブラオン」ノ発意ニテ林公使御賛同被成、当方ヘ無理ノ申込ヲ被成候処、当行ニテハ国家ノ為メ非常ノ義務ヲ快諾シ、弐百万円迄応諾セシ次第ニ有之候間、請求者ニ於テ尚早ヲ唱フルノ際、当方ヨリ強テ貸付ヲ促スハ、他日ノ不利ニ可相成(中略)本日ハ公使自身下仁被遊、当店ニテ会見致シ、事情ヲ承ハリテ始テ過日来ノ疑念モ止ミ、稍安心ノ思仕候、公使ノ御話ハ左ノ通ニ候
  曩ニ仏国借款ノ発表アルヤ、議論紛々、各国又警戒セシ程ニテ、韓国皇帝ノ一臣僚タル「ブラオン」ハ、韓皇ノ認可セル関税抵当ノ議ヲ拒否スルヲ得ベキヤ否ヤノ点、最モ要旨ニシテ(中略)
  然ルニ林公使ハ「ブラオン」ヲ奨励シ、必ズ抗議スルノ決心確乎動カスベカラズ、今ニモ仏国借款ノ成立トナリ関税ノ事発表セバ直ニ抗議ヲ入ルヽ筈ニテ、目下ハ仏国ノ借款問題旗色宜シキ様ナレドモ、到底原文ノ儘ニテハ成立出来間敷、是非共関税云々ノ条件ヲ削除セザルヲ得ズ、結局ハ文面ヲ変更シテ裁可トナルベシ
  又第一銀行トノ交渉ハ、仏国借款ノ論議定マラザル内ニ発表スルハ不利ナルノミナラズ、可成ハ永遠ニ見合セ度モノナリ、其理由ハ、第一銀行ニテ独力此貸付ニ応ズルハ定メテ迷惑ナルベキヲ以テ、第一銀行ヘハ務メテ迷惑ヲ及ボサズシテ、是迄ノ通リ海関バンクノ取扱丈ヲ継続サセ度、乍去海関ニ余分ノ大金ヲ置キテ、其処分案定マラザレバ、矢張リ狡徒ノ目標トナルニ付、之レヲ区別シテ五年乃至十年ノ継続事業費ニ宛テル都合ナリ
  一、海関之諸経費    二、灯台建築維持費
  三、開港管理使給費   四、各国ヘ派遣ノ公使費
  五、水道費補充     六、皇室納金
  右ノ如キ項目ニテ勘定ヲ区別シ、必要アル事業ハ追々ニ着手スルコトヽセバ、毎年ノ税金ハ其方ニ費消スルノ義務ヲ負フテ、最早
 - 第16巻 p.124 -ページ画像 
他ヨリ関税ヲ担保ニ狙フ者モ消滅スルニ至ルベシ、只今「ブラオン」ハ其方法調査中ナリ、畢竟第一銀行ニテ国家ノ為奮発致シ呉レタルヲ以テ「ブ」氏モ大ニ力ヲ得、安心シテ右様ノ明案ヲ考ヘ出シタルモノナレドモ、如何ナル事情ヨリシテ此目的ノ破ルヽ事アルヤモ知レズ、其時ハ不得已第一銀行ト契約シテ、他ノ野心ヲ制スベシ、即チ最後ノ手段トシテ、秘密ニ相互黙契スベキヲ以テ第一銀行ニテハ弐百万円貸付ノ決心ハ何時迄モ変更セザルコトヲ希望ス、米国人ト「ブラオン」ノ接近ハ、日本ニ取リテ不利益ナルコト無之、彼等ハ水道工事ノ請負ヲ望ミ居ルモノナレバ、万一関税抵当ノ場合ニハ、彼等ヨリ若干金ヲ借入レ、其担保トシテ関税ノ一部ヲ許スコトハ不得止ベキモ、其金高ハ第一銀行ヨリ借入ルベキ分ヨリ多カラザルベシ、「ブラオン」ハ水道継続事業費トシテ年々拾万円位ハ関税収入ノ内ヨリ区別シ置クベキヲ以テ、水道ノ為メニ、米人ヨリ百万円以上ノ負債ヲ起ス必要ナシト申セリ第一銀行トハ他日必要ニ際シ契約スルトセバ、其条件ハ前契約ノ通リ大同小異ニテ、実際借入ノ高ハ弐百万円ニ止マルトモ、表面ハ参百万円トスルコトモアルベシ、以上ノ次第ナレバ安心シテ海関ノ為メニ経営アリタシ、云々
 右ハ、公使ヨリ「ブラオン」ト公使トノ秘密ヲ承ハリタル要点ニ有之、左程ニ当行ノ為メニ心配致シ呉レ候事、今度了解仕候、久シク痛心セシ一件モ、過日弐百万円貸出ノ決心ヲ示シタル為メ好都合ニ相運ビ、即金ヲ出スニ及バズシテ或ル程度マデノ安心ヲ得、如何ニモ幸ヒナル一段落ヲ告ゲタル次第ト奉存候、然レドモ京城ノ政況ハ朝夕変化致シ候間、必ズシモ公使「ブラオン」ノ目的通リニ相成リ候トハ申難ク、万一ニモ野心家密謀ノ為メニ不覚ヲ取ルコト無之トモ不被申候間(中略)当方ニテモ尚精々注意候様可仕候得共、京城ノ事ハ仁川ヘハ何分聞ヘ不申、公使ヨリモ京城ヘ参リテ番人トナルベシナド、時々忠告致サレ候事ニ御座候
 米人ト「ブラオン」トノ接近モ公使ノ談話ノ如クナラバ、毫モ掛念ニハ無之、寧ロ当行ニテ迷惑トスル貸付ハ、先方ニテモ遠慮シテ種種ト心配致シ呉レ、金高ノ不足ト見做サルヽ分ハ、米国人ヨリ借リ足シ候由ニ付、大ニ好都合ニ可有之、此上ハ可成今日ノ現情ヲ維持シ得ル様相望ミ候事ニ御座候
 但シ貸付契約ハ何時締結スルヤ難計モノトシテ、此ノ間ニ於テ当行ノ思フマヽ契約案ヲ作リ、予メ「ブラオン」ノ手許ヘ差出シ置候方極メテ肝要ト奉存候、夫ニ付テハ貴方御取調ノ御稿案モ拝承仕度、次便ニ御垂示奉願上候(下略)
仏国借款ハ右ノ如ク一旦廃滅ノ姿トナリシガ、三十四年十二月頃ニ至リ復タ再燃ノ風評アリ、此ヲ以テ十二月二十四日仁川支店支配人ヨリ左ノ電報ヲ発送シテ我借款契約ノ決定ヲ促セリ
 仏国借款ノ運動有ルニ付、公使ヨリ「ブラオン」ニ注意ノ上、昨年ノ約定ヲ訂正シテ、金額参百万円、抵当ハ海関税其他要件大略変更ナシトシテ約定スル積リナリ、併シ実ハ弐百万円以上貸出スルニ及バズ、都合ヨシ、至急承知セヨト、公使ヨリ打合セアリ、此度ハ是
 - 第16巻 p.125 -ページ画像 
非承知シテハ如何、切ニ回報ヲ待ツ
而シテ引続キ仁川支店ヨリ再度ノ電報アリテ、右借款至急取極ノ必要ヲ勧告シ来リシガ、其後情況少シク改マリタルモノヽ如ク、同月三十一日付ヲ以テ左ノ書状ニ接セリ
 (七十一号)
 「前略」
 今日電報ヲ以テ左ノ通申上候
  海関税抵当ノ件「ブラオン」ヨリ未ダ申込ナシ、「ブラオン」ハ貨幣制度改革資金トシテ当行ヨリ借用ノ模様ニ付、当分契約取極出来ザル見込ナリ、委細書ヲ以テ報ゼン
 右ハ先日来事情切迫トマデ電報セシニモ拘ハラズ、緩慢ナル報告トシテ御驚キ被成候事ト奉存候得共、実ハ過日ハ林公使ヨリ火急ニ御協議ヲ受ケ、不取敢至急報ヲ発シ候事ナレドモ、公使出立後原田松茂ヲシテ「ブラオン」ノ意見ヲ試問セシメタルニ、案外同人ハ落付キ居リ、別段至急ヲ要スル問題ト思ハザル模様ニ有之、最モ公使ノ意見ニ基キ、是非当行ト契約スルノ必要ハ認知シ居ルニ相違ナキモ今日ノ場合ハ彼一人ノ了見ニテ直ニ決行スルコトハ出来不申、是非国王ヘ上奏シ、裁可ヲ得ルノ必要有之候得共、果シテ裁可ヲ蒙ルベキヤ否ハ「ブラオン」ニモ確乎判定致シ難キ場合ニシテ、同人モ之ヲ知ルガ故ニ、浮カト上奏ハ出来ザル旨申居候由ニ御座候、然ルニ一方ニ李容翊ナル者皇帝ノ命ニヨツテ数年来熱心ニ貨幣改良・帝室銀行設立ノ事ニ尽力致シ居ルハ内外ノ知ル所ニ有之、李モ此事業ヲ成功セシムルガ為ニ、海関税ヲ当行ヘ抵当ニセンコトヲ希望シ、或ハ「ブラオン」ニ愛嬌ヲ振リカクル等苦心セシ次第ニ有之候間、若シモ「ブ」氏ニシテ李ノ計画ヲ無視シ、貨幣制度改革ヲ別ニ断行セントスレバ、勢ヒ李ト又々大衝突ヲ惹起シ可申、随テ皇帝モ容易ニ「ブ」氏ヘ裁可ヲ与ヘ申間敷ト被存候
 「ブラオン」ハ今度負債ヲ為ストスレハ、其使途ハ水道ニアラス、灯台ニアラス、是非貨幣制度ノ改良ニアリト申候由、左モアルベキ事ト存候、果シテ然ル時ハ、実行スル場合ニ、契約ノ全額参百万円ハ遠カラズ借リ出サレ可申、中々弐百万円ニテ其外ハ借用スルニ及バズナドト申居ル訳ニハ相成間敷ト奉存候、右様ノ掛念アリトスレバ、当行モ此上尚充分ノ調査ヲ要シ、且日本政府ノ保護確定ノ上ニアラザレバ、決シテ承諾ハ出来申間敷ト存候、又「ブラオン」ハ今度当行ヨリ借用スルモ、当行ヲシテ余分ノ条件提出ヲ為サシメズ、彼自ラ全権ヲ掌握シ、貨幣制度ヲ実行シ、紙幣発行ヲ為サントスル考ニ候得共、如此ニテハ当行ノ計画セル「ノウト」発行ニモ必ズ大ナル影響ヲ蒙ムリ可申ニ付、甚ダ好マシカラザル成行ト想像被致申候、以上ノ観察ニテハ此場合当行ヨリ進ンデ貸付クルコトハ却テ不利ヲ招クノ結果ヲ見可申(中略)
 仏国借款再ビ運動者アリテ成立ノ見込有之候旨、林公使ハ被申候得共、今日尚何等ノ音沙汰モ聞ヘ不申候ヲ以テ見レバ、已ニ廃案トナリタル仏国借款ハ遂ニ契約者双方ヨリ捨テラレ候モノナラントモ被存候、果シテ左様ニ候以上ハ、当分関税ヲ他ヨリ横取リスル者モ出
 - 第16巻 p.126 -ページ画像 
デ申間敷、或ハ二三年ノ後マデモ無事ナルヤモ難計、之ヲ今日ニ於テ軽々シク抵当ニ取リ、不利ナル約定ヲ為スハ最モ馬鹿々々シキ次第トモ被考申候
 以上ノ次第ハ原田ヘ申聞ケ、同人ヨリ萩原書記官ヘモ申シ通ジサセ置申候、之ニ対スル同書記官ノ御意見ハ其内相知レ可申ト存候
 右様申上候共、若モ「ブラオン」ニ於テ李容翊ト密着シ、李ノ意見通リ万事ヲ当行ニ依頼シテ、貨幣改革・銀行設立ヲ実行スル義ニ候ハヾ、当行ハ進ンデ之ヲ援助致シ候テモ可然ト存候、此義モ萩原氏ヘ申遣ハシ候、以上申上度如此ニ御座候也
当時我政府ノ対韓政策モ頗ル鞏固ニシテ、且貸出金ニ関シテ援助ヲ得ベキ見込ナキニアラザリシヲ以テ、本行ニ於テハ、重役会ヲ開キテ、「ブラオン」氏ヨリ申込アルトキハ之ヲ承諾スルコトニ決シ、且昨年「ブラオン」氏ヨリ交渉アリタル契約事項ヲ基礎トシテ新条件ヲ加ヘズ、唯海関税取扱期限ヲ二十五箇年ト明記セシムルニ止ムルコトヽセリ、玆ヲ以テ三十五年一月十三日付ヲ以テ、佐々木支配人ヨリ仁川支店支配人ニ宛左ノ書状ヲ発送セリ
 (前略)前便御申越被成候海関税抵当貸金ノ義ニ付、旧臘三十一日貴方ヨリ電報ニテ、右ノ件ハ「ブラオン」ヨリ未ダ申込ナシ、「ブラオン」ハ貨幣制度改革資金トシテ当行ヨリ借用ノ模様ニ付、当分契約取極メ出来ザル見込ナリ云々、御申越シ相成リ拝承仕候、乍去右ノ電報末文ノ契約取極メ出来ザル見込トハ「ブラオン」ガ契約ノ申込ヲ為サヾル意カ、又ハ貨幣改良ノ資金ナルヲ以テ、貴方ニテ李容翊ト「ブラオン」トノ衝突ヲ恐レ、容易ニ契約ハ出来ヌト申ス意味カ、少々不分明ニ有之候得共、林公使モ近日来着ノ筈ニ付、公使ニ問合セ候ハヾ分明可致ト存シ、其後公使ニ面会ノ節、右電報ノ事ヲ相話シ候得共、契約ノ出来ザル訳ハ無之様被申居候ニ付、一向相分リ不申候処、去ル八日ニ七十一号ノ御状到着致シ、右ニテ此電報ヲ御発シ被成候理由モ明瞭仕候
 右海関税抵当貸金ノ件ニ付テハ前便ニテモ一寸申上候如ク、当方ニテハ林公使ノ来着ヲ待受、直ニ相談可致筈ノ処、同氏着後早々首相及外相ニ面会ノ為メ葉山ヘ参リ候ニ付、漸ク六日ノ夕ニ頭取ト共ニ会見致候処、同公使ノ被申候ニ「ブラオン」ハ同人ノ性質トシテ無用ノ金ヲ引出シ、利子ヲ支払候様ノ事ハ不致、今回ノ事モ過般白耳義人朝鮮ニ来リ、アントウアーブト仁川間ニ金塊ノ運賃ヲ聞合セ候トノ事ヲ耳ニ致シ候間、仏国借款再燃ノ恐レ可有之ト存ジ、早ク海関税ヲ抵当トシテ第一銀行ヨリ借用金致シ置候方可然ト、忠告セシヨリ相生ジ候義ニ付、同人ヨリ右借用金ノ申込有之候ハヾ、何時ニテモ応諾致シ、時機ヲ誤ラザル様可致、乍去「ブラオン」モ今日ニテハ前年ト違ヒ、委任状モ其効力無之ニ付、愈借用金ヲ為サントスル場合ニ、国王ノ裁可ヲ得ザルベカラズ、然ルニ一方ニ於テハ、兼テ呉・大三輪等ノ斜旋致《(斡)》シ居候如ク、李容翊モ貨幣制度改革ノ為メニ、資金ヲ得ント熱中致シ居候義ニ付、李ト「ブ」氏ト一致致シ候ハヾ格別、然ラザレバ必ズ「ブラオン」ガ海関税ヲ抵当トシテ借金ヲ為スコトヲ妨ゲ可申故ニ、呉・大三輪等ノ計画セシ如ク「ブ」氏
 - 第16巻 p.127 -ページ画像 
ト李トヲ調和スルコト出来候ハヾ此上モ無之候得共、是ハ「ブラオン」ニ於テ到底承諾致ス間敷、万々一両人密着致シ候節ハ、其借入金ハ必ズ引出シ可申ニ付、第一銀行ガ独力ノ資金ニテ之ニ応ズルハ困難ナルベシ、故ニ予(公使ノコト)ハ寧ロ両人ノ密着ヲ望マズ「ブラオン」トノ契約ハ、如何ナル名義ヲ用フルモ、要スルニ同人ノ地位ヲ安全ナラシムルト、第一銀行ガ海関税ノ抵当権ヲ有シ、其上海関銀行タルコトヲ得テ、其契約年限中他ヨリ之ヲ動カシ能ハザル様致シ置候為メニ外ナラズ候間「ブラオン」トノ約束ニテモ、第一銀行ガ単独ニテ引受候テモ、決シテ迷惑ヲ生ジ候事ハ有之間敷ニ付、同人ヨリ申込有之次第、何時ニテモ契約スベシトノ決意アランコトヲ望ム、而シテ李容翊ヲシテ之ヲ妨ゲザラシムルハ、同人ニモ別途ニ資金ヲ供給スルニアリ、此事ニ付テハ桂首相及小村外相トモ熱心ニ同意被致候ノミナラズ、此資金ヲ第一銀行ヨリ供給スベシト申ス事ハ無理ノ注文ニ付、政府ニ於テ何トカ心配致シ、第一銀行ハ唯契約ノ名義人ニ相成候様致候外無之ト申意見ニ付、頭取及小生トモ大体ニ於テハ公使ノ説ニ同意シ、愈々李容翊ノ要スル資金ヲ、政府ノ手ニテ別ニ支出スル都合ニ候ヘバ「ブラオン」トノ契約ハ何時ニテモ引受可申、夫ニ付テハ兼テ桂首相ヨリ頭取ヘ葉山ニ於テ会見ノ義申来リ居リ候間、委細ハ右会見ノ節取極メ可申トノ事ニテ、其夜ハ相分レ、其後八日ニ林公使ハ東京ヨリ、頭取ハ大磯ヨリ葉山ニ御出掛相成リ、首相及外相ト御協議ノ筈ニ候処、其朝貴方ヨリ書状相達シ候ニ付、早速拝見致シ候処、御書中ノ模様ニテハ「ブラオン」トノ契約モ、林公使ノ被申候如ク容易ニ出来申間敷、且同人モ借用金ノ使途ヲ貨幣制度改革ト申居候ハヾ、無論李容翊ト衝突ヲ致シ可申、然ル上ハ或ハ李ト「ブラオン」トヲ密着セシメ、海関税ノ抵当ヲ五百万円トシ、其内弐百万円カ参百万円ヲ政府ノ手ヨリ出シ、其金丈ケハ李容翊ニ使ハセ候事ニ致候モ、又一法ニハ無之哉ト存ジ、右ノ御状ヲ直ニ葉山迄為持遣シ、頭取ヨリモ貴方来状ノ意味ヲ両大臣及ビ公使等ヘ御話シ被成候由ニ候得共、公使ノ意ハ前申進候如ク堅ク相決シ居リ、其極李容翊ニ対シテハ鉄道敷設権又ハ鉱山採掘権ヲ抵当トシテ弐百万円ヲ貸出シ、其金ハ両大臣ニ於テ何トカ心配ヲ致ニ付第一銀行ハ「ブラオン」ヨリ要求有之次第、参百万円迄ノ金ヲ(正味ハ弐百万円ニテ宜敷ト公使モ申シ居ラレ候)海関税抵当ニテ貸出シ候事ト決意可致トノ事ニ論結相成候由ニテ、頭取モ其後十日ニ御帰京相成リ、重役会ヲ開キ、右ノ顛末ヲ報告被致候処、重役一同異議無之ニ付、翌十一日外務省ニ抵リ、林公使ト山座書記官ヘ右ノ趣表向御答ヘ被成候間、御承知可被下候
 乍去今回ノ来旨ニヨレバ「ブラオン」ハ容易ニ国王ノ裁可ヲ得ル事ハ出来申間敷ニ付、随テ急ニ当方ヘ借用ノ義申込候事モ有之間敷ト存候得共、此事ニ就テハ林・山座両氏ヨリ萩原書記官ヘ電報セシ由ニ付、何時申込有之候哉モ難計、其節ハ直ニ御応諾被成、契約御取結ビ被成候テモ差支無之候、乍去右契約締結ト共ニ、海関税ノ取扱ハ仮令其借用金ヲ返済スルモ、二十五箇年間ハ第一銀行ニ限リテ取扱ヲ為サシメ、決シテ其間解約セザル旨ヲ確約シ、且右貸金ノ使途
 - 第16巻 p.128 -ページ画像 
ニ付テハ、他日公使ヨリモ銀行ヨリモ抗議ヲ要スル場合無之候共難申ニ付、可成夫是ヲ注意シテ明記為致度ト、頭取ヨリ公使及山座氏ヘ御話シ置被成候由ニ付、是又御含ミ置可被下候、且此事ハ林公使モ非常ニ秘密ヲ要サレ居候間、申上候迄モ無之候得共、葉山ノ会見ノ事其他トモ可成他ヘ洩レザル様御注意可被下候、当方ニ於テモ充分注意致シ居候
 過般貴地ヘ出張セシ白耳義人ハ、朝鮮会社ノ代表人ニテ仏国借款ヲ継承セントシテ入込ミ候モノヽ由、過日山座氏ヨリ承リ候処、右ハ日英両公使ヨリ抗議ヲ申込ミ候旨、新聞ニモ相見ヘ候間、仏国借款ハ最早是ニテ立消ヘト相成候事ト存候、併シ朝鮮ノ事ニ付何時何様ノ義相生ジ候モ難計ニ付、夫ニハ早ク「ブラオン」ト契約シテ海関税ヲ抵当ニ押ヘ、他国ヲシテ朝鮮ニ指ヲ染メシメザル様致度事ニ御座候、右之段拝答旁々可得貴意如斯ニ候也
次デ一月二十四日仁川支店ヨリ左ノ電報到着セリ
 「ブラオン」ヨリ朝鮮国王ヘ申立タル海関税抵当ノ条件ハ、当店ノ海関取扱年限ヲ十五箇年間ニ短縮ノ上、五箇年内ハ利子六分トシテ此期日ニ百万円ヲ返済、跡十箇年ニ残高弐百万円ニ対シ利子一割ヲ支払フ筈ノ由、差支ナキヤ如何、切ニ回答ヲ待ツ
之ニ対シ、翌二十五日左ノ返電ヲ発送セリ
 電信相達シ承知セリ、海関税抵当貸付金ノコト「ブラオン」ヨリ申込ノ通ニテ総テ差支ナシ
本件ニ関スル交渉ハ右ノ如ク進行セリト雖モ、当時韓廷ノ内情ハ統一ヲ欠キ定見ナク、加フルニ一方ニ李容翊ノ妨害アリテ速ニ借款成立ヲ期スルコト難ク、形勢ヲ観望シテ日ヲ送ルノ状態ヲ呈セリ


第一銀行五十年史稿 巻五・第六一―六三頁 大正一二年刊(DK160019k-0003)
第16巻 p.128-129 ページ画像

第一銀行五十年史稿 巻五・第六一―六三頁 大正一二年刊
 ○第二編 第五章 日清戦後の発達
    第三節 韓国中央金融機関
○上略
韓国政府の借款及び銀行券発行の交渉は一時中止せられしが、明治三十四年四月に至り、ブラオンは再び交渉を開始するの意あり、本行は此機に乗じて銀行券を発行せんことを希ひ、前年頭取渡韓の際評議せる覚書に基き「海関税を抵当として三百万円までを貸付くる事、韓国政府は之に対し、同国内に流通する兌換券三百万円までを発行する特権を本行に限りて付与する事、三百万円の貸付金中、一百万円は通貨を以てし、残額二百万円は本行の発行せる兌換券を以てする事」等の成案を作り、将に交渉を開始せんとするの際、仏国借款の契約成れりとの報あり、よりて本行は我が政府と協力して、同借款を中止せしむると共に、仁川支店支配人尾高次郎に命じ、紙幣発行の特権を得るを条件として、三百万円の貸付をブラオンに交渉せしめたり、然るにブラオンは通貨借入を望みて紙幣貸付を喜ばず、又海関紙幣には異議なきが如くなりしも、一般に流通すべき銀行券の発行には不同意を表して、交渉容易に進まず、此時仏国借款は内外の異論によりて中止せられ、米国借款団代りて起り、密に運動を開始す、借款契約には皆海関
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税を抵当とするものにて、若し欧米借款団成功して海関税を抵当とする時は、日本の対韓政策に破綻を生じ、勢力の消長に関すること至大なるが故に、伊藤内閣の後を承けたる時の桂内閣は、或は林公使に訓令し、或は頭取と会談を遂ぐるなど、極力本行を援助したれども、韓国政府部内の闇闘あり、欧米借款団の勢力の争ありて、事意の如くならず、政府の援助も頭取及尾高支配人の苦心もブラオンの計画も皆功を奏せず、三十五年の春に至りて再び中止せらる。
○下略