デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
2款 京釜鉄道株式会社
■綱文

第16巻 p.391-396(DK160055k) ページ画像

明治33年2月1日(1900年)

是日、当会社発起人総会ヲ開ク。栄一議長トナリ創立委員ニ選挙セラレ、又委員長ニ推サル。


■資料

京釜鉄道株式会社創立ニ関スル説明書 第一一―一四頁(DK160055k-0001)
第16巻 p.391 ページ画像

京釜鉄道株式会社創立ニ関スル説明書  第一一―一四頁
明治三十三年二月一日発起人総会ヲ開キ左ノ決議ヲ為セリ
 一創立委員十三名ヲ選挙スル事
 一創立事務所ヲ設ケ書記若干名ヲ置ク事
 一追加発起人ヲ募集スル事
 一発起人ノ外更ニ賛助員ヲ勧誘スル事、但シ賛助員ハ金二十円ヲ支出シ、京釜鉄道会社設立ノ上ハ相当ノ株主タルノ権アルモノトス
 一創立委員ニ左ノ件々ヲ委任スル事
  (1)実地測量ニ著手スル為メ委員二名若クハ三名並ニ必要ナル技師ヲ派遣スルコト、但シ技師ハ松本鉄道作業局長ニ相談ノ上取極メノ事
  (2)実地測量其ノ他ニ必要ナル費用ハ創立委員ニ於テ臨機借入ヲ為シ支出スル事、但シ右借入金ハ会社設立ノ上株又ハ社債ヲ以テ元利金返済スヘキハ勿論ナリト雖、若シ不幸ニシテ会社設立ニ至ラサル場合ニ於テハ、決シテ元利返済ノ義務ヲ創立費ノ外発起人及ヒ賛助員ニ負担セシメサル事
  (3)委員派遣ノ場合ハ創立委員ノ決議ヲ以テ韓廷ニ交渉ノ件、並ニ韓国官民ニ株式分配ノ件、線路・停車場予定ノ件、彼地ニ事務所ヲ設置スル等ノ件ヲ委員ニ専任スル事
右ノ決議ニ基キ十三名ノ内先ツ左ノ十一名ヲ創立委員ニ撰挙セリ、渋沢栄一・前島密・尾崎三良・竹内綱・大江卓・大三輪長兵衛・中野武営・井上角五郎・佐々友房・大倉喜八郎・日下義雄、創立委員ハ渋沢栄一ヲ委員長ニ尾崎三良・竹内綱・大江卓・大三輪長兵衛・日下義雄ノ五氏ヲ常務委員ニ撰挙シ、政府交渉及創立ニ関スル一切ノ常務ヲ委任セリ
此決議ニヨリ創立委員ハ線路実測其他ニ要スル費用ノ為メ渋沢栄一・大倉喜八郎両氏ヨリ五万円ヲ借入レ、竹内綱・大江卓・大三輪長兵衛三氏ヲ韓国ニ派遣シ、線路ノ実測及停車場用地ノ選定其ノ他諸般ノ準備ニ付キ韓政府ニ対シテ請求交渉ヲ為サシムル事トシ、三氏ハ本年三月ヲ以テ韓国ニ出張セリ、而シテ線路実測ニ付テハ工学士笠井愛二郎ニ技師長ヲ嘱託シ、技手等数十名ヲ雇用シ共ニ韓国ニ派遣シタリ


渋沢栄一書翰 八十島親徳宛(明治三三年)一月八日(DK160055k-0002)
第16巻 p.391-392 ページ画像

渋沢栄一書翰  八十島親徳宛(明治三三年)一月八日  (八十島親義氏所蔵)
日下義雄氏ヘ十二日之林公使招宴ニ不参之義、宜敷御申訳致候旨申通候事
竹内綱氏へ其来状ハ拝見致候、十日頃帰京之積ニ候処少々不快ニ付十五日頃ニ延引候間、其後ニ於て早々京釜鉄道之委員会相開申度と存候旨申通候事○下略
 - 第16巻 p.392 -ページ画像 
  ○右ハ栄一ノ大磯ヨリ八十島宛一月八日付書翰ニ同封サレタルモノナリ。


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK160055k-0003)
第16巻 p.392 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三三年         (渋沢子爵家所蔵)
二月一日
○上略 二時日本橋倶楽部ニ抵リ京釜鉄道会社発起人会ヲ開ク、議長トナリテ議事ヲ整理ス、最初尾崎氏ヨリ韓国政府トノ交渉ニ関シ許可ヲ得ルニ至ルマテノ顛末及本鉄道将来ノ見込ニ付テノ意見等二十九年来ノ経歴ヲ述フ、次ニ大江卓氏ヨリ線路踏査ニ関スル手続キ及布設工費ノ概算・営業収支ノ予算等マテ詳細ニ報告ス、自分ハ参考トシテ京仁鉄道ノ工事顛末及開業後ノ収支実況ヨリ将来ノ見込マテヲ陳述ス、畢テ本日ノ議事ニ移リ、竹内綱氏説明員トナリテ逐条ヲ審議シ、一二字ノ修正ニ止リ総テ議案ヲ決定ス、午後六時散宴ス、創立委員ノ人員ハ十三名トシ其撰挙ハ議長指名トシ、内渋沢君ハ委員タルヘキコトト定メタシトノ動議ハ満場ノ賛成(柴原和氏ノ発議ニテ決定ス)依テ散会後ニ十名ノ委員ヲ指定シ、他ノ三名ハ追テ京坂地方等ニ必要アル場合ニ撰挙スヘキモノトシテ委員会ヲモ散シタリ○下略
二月二日 曇
○上略 足立太郎氏兜町邸ニ来ル、京釜鉄道線路実測ノコトヲ談ス○下略
二月三日 雨
○上略 十二時帝国ホテルニ抵リ、京釜鉄道創立委員会ヲ開ク○下略
  ○中略。
二月九日 晴
午前尾崎三良・竹内鋼二氏来ル、京釜鉄道実測ニ関シ派出員ノコトヲ協議ス○下略
二月十日 晴
午前尾崎・竹内二氏来リテ昨日ノ談話ニ関スルコトヲ協議ス、来ル十二日委員会ヲ開クコトヲ約ス○下略
  ○中略。
二月十二日 曇
午前京釜鉄道会社創立委員会ヲ開ク、竹内綱・大江卓・大三輪・前島ノ諸氏来ル、尾高次郎来会ス、足立太郎ハ線路実測上ノ顧問ヲ嘱托スル筈ナルニ付会畢テ後竹内・大江諸氏ト技師雇入等ノ手続ヲ談話ス、此夜モ医師来リテ内外部ノ治療ヲ受ク


東京経済雑誌 第四一巻第一〇一六号・第二五一―二五二頁明治三三年二月一〇日 ○京釜鉄道発起人総会(DK160055k-0004)
第16巻 p.392-393 ページ画像

東京経済雑誌  第四一巻第一〇一六号・第二五一―二五二頁明治三三年二月一〇日
    ○京釜鉄道発起人総会
去一日日本橋倶楽部に於て開会、出席者は委任状共七十二名にして、渋沢栄一氏会長席に着き、尾崎三良氏は京釜鉄道は国家事業として是非共日本人の経営せざるべからざるものにして、利益の点に付ても又充分の見込ありとて、京仁鉄道今日の実例を引証し、熱心に説明する処あり、次に大江卓氏は実地調査の状況を報告し、京釜鉄道の敷設の地は人口に於て朝鮮全国十分の七、産物に於ては同七分の五以上を包含せる土地なれば、収益の見込は充分なりとて、彼の地の人情・風俗習慣等を詳説し、仙石氏の設計案二百七十五哩を変じて二百九十五哩
 - 第16巻 p.393 -ページ画像 
となしたる理由より、線路の実地を地図に就て説明し、渋沢氏は更に京仁鉄道の沿革より現今の有様を説き、同鉄道は営業日数僅々百余日に過ぎざるも、既に幾分の利益を見て去月三十日三歩の利益配当をなし、意外の好結果を得たる事を述べて、京釜鉄道も亦収益の見込充分なる事を証言し、次に竹内綱氏の京釜鉄道創立事務に関する経過報告あり、続て左の議決をなせり
 一、創立委員には左の九名を推挙し残り三名は後日撰任する事
    渋沢栄一・中野武営・大三輪長兵衛・井上角五郎・竹内綱・尾崎三良・佐々友房・大倉喜八郎・大江卓
 一、創立事務所を設け書記若干名を置く事は委員に一任する事
 一、追加発起人を募集する事
 一、発起人の外更に賛助員を勧誘する事
    但し賛助員は金廿円を支出し、京釜鉄道会社設立の上は相当の株主たる権あるものとす
 一、創立委員に左の件々を委任する事
 一、実地測量に着手する為め創立委員二名並に技師を派遣する事
    但技師は松本鉄道作業局長に相談の上取極むる事
 一、実地測量に必要なる費用は創立委員に於て臨機借用をなし支出する事
    但し右借入金は会社設立の上、株式又は社債を以て元利金返済すべきは勿論たりと雖も、若し不幸にして会社設立に至らざる場合に於ては、決して元利返済の義務を発起人に負担せしめざる事
 三、委員派遣に就ては創立委員会の決議を以て韓廷に交渉の件並に韓国臣民に株式分配の件、線路及停車場予定の件、彼地に事務所を設置する件等は派遣委員に一任する事
○下略


東京経済雑誌 第四一巻第一〇一六号・第二五二頁明治三三年二月一〇日 ○京釜鉄道の昨今(DK160055k-0005)
第16巻 p.393 ページ画像

東京経済雑誌  第四一巻第一〇一六号・第二五二頁明治三三年二月一〇日
    ○京釜鉄道の昨今
京釜鉄道は総会の決議に基き、京橋区元水谷町に事務所を設置したるが、去る四日《(三ノ誤カ)》は帝国「ホテル」に委員会を開き、事務員五名を互選せしに、渋沢栄一・大三輪長兵衛・尾崎三郎《(尾崎三良)》・大江卓・竹内綱の五氏当選したれば、大三輪氏は来る十五日頃渡韓の途に上り、大江卓氏は技師・技手・事務員を率ひて後より渡韓する筈なるが、同社より技師以下の選任を依頼したる松本作業局長は目下病気にて未だ選任の運に至らざるを以て、多分来月ならでは出発の運に至らざるべしと云ふ


山県有朋書翰 松方正義宛(明治三三年)二月一三日(DK160055k-0006)
第16巻 p.393-394 ページ画像

山県有朋書翰  松方正義宛(明治三三年)二月一三日   (松方巌氏所蔵)
今夕渋沢病気故竹内綱来訪、京釜鉄道架設之事に付近日より渡韓測量等著手可致と会員申談じ候結果一応開陳可致との事に付、此事件は閣下と陸軍大臣列席にて承候方都合可然と存し、閣下に罷出此趣申述、可然時日に於て貴館に罷出可申申聞置候間、明朝にも罷出候はゝ御聞取之上時日御取極め被下候はゝ陸軍大臣と共に列席可仕と存候、此段
 - 第16巻 p.394 -ページ画像 
概略申上置くれ候様依頼候に付御含迄申上候○中略
  二月十三夜十一字               有朋
    松方老伯閣下



〔参考〕東京経済雑誌 第四一巻第一〇一八号・第三四二―三四四頁明治三三年二月二四日 ○大三輪長兵衛君の京釜鉄道談(DK160055k-0007)
第16巻 p.394-396 ページ画像

東京経済雑誌  第四一巻第一〇一八号・第三四二―三四四頁明治三三年二月二四日
    ○大三輪長兵衛君の京釜鉄道談
京釜鉄道の将来がどの位有望であるか、又国家の為めどの位に必要の事業であるか、それはもう世間の人が夙くに承知をして居る、別に説明も何にも入つた話ではないが、一寸カイ摘んでお話しませう
全躰朝鮮で三南地方と云ひますと、忠清・全羅・慶尚の三道ですな、之が一番人口の稠密な富の度の高い地方です、何しろ朝鮮のことだから一向詳しい調査と云ふものもないが、兎も角も全国で一千二百万位の人民が居る、其の十分ノ七即ち八百余万と云ふもの、又耕地総面積の七分の五と云ふものは此の三道の中に在るので、イヤ是は三道ではない、京釜鉄道の通る沿線、即ち前に申した三道と京畿道、合せて四道の統計ですが、何にしても京釜鉄道の通る所が朝鮮で一番有望な方面であると云ふことは争はれません
それで現在の予算でどの位な貨客があるか、私共の方で調べた所では全部竣工の上で総収入が一年に壱百二十六万何がし、其の内乗客賃が五十八万四千円で、貨物運賃が六十八万一千円である、是は一寸空漠の様でありますが、決して無茶に算盤を置いたのではない、一々拠り所があります、ザツトお話しすると、朝鮮で市場と云ふものがある、全躰朝鮮では小売店と云ふものが一向なくツて、日用品から何から一切市場で買ふと云ふ仕組になつて居る、此の市場は田舎の重な町には何処にでもあつて、毎月六回づつ開く事になつて居ります、例へて云うならば、甲の所で一六に開くなら、乙地では二七に開くと云つた様な工合、其の市の日に人の出ることは実に夥しいもので、近郷近在は勿論のこと、十七八里もある所からでもやつて来る、大抵の市場で千人からないのは決してない、多い所では四五千人も出ると云ふ有様です、此の市場を開く所が京釜鉄道の停車場予定地だけでも三十余りはある一日に必ず六ツ宛は市があると云ふ訳ですな、此の人数だけでも実に大したもので、一市場が二千人とすれば総計で壱万二千人その四分の一しか汽車に乗らぬとしても、三千人は大丈夫でしやう、今一人で十哩乗るとすると其の賃金が二十銭(一哩二銭として)ですから三千人では六百円となる、これを年に積ると二十一万九千円、それにイクラ朝鮮だつて通常旅客もあるから、之が日に千人、一人が五十哩宛乗るとすれば二十六万余円は世話はない、それで乗客賃銭が前申した様な五十何万円となる
イヤ話が大分細かくなつて来ましたが貨物の方を見ても、全躰が農産物の多い三南地方の事だから、その運賃は実に夥しいもので、今日米や大豆・小豆などの運送と云ふものは実に巨額である、是にも一々調査もありますが、マー抜きとして、全躰今日の朝鮮がドノ位交通の不便を感じて居るか、それを少し御話ししませう、元来朝鮮では道――道路と云ものが更にないと云つても差支ない位で、人間の交通さへ碌
 - 第16巻 p.395 -ページ画像 
に出来ぬ所だから、貨物を運搬することなどになると、其の不便さ加減とても日本人などの想像にのらぬ次第であります、京仁鉄道が愈々営業をやると云ふ時に実は私なども内々は心配して居りましたが、其の結果は実に案外至極で、あのやうな好結果を奏したと云ふのも考へて見ると無理はない、是まで仁川から京城まで日本の紳士ならばドウしても片道が十円、朝鮮人でも二三円は掛つたものですが、汽車が出来ると上等で二円足らずと云ふ訳ですから、汽車が大当に当てるも無理はありますまい、朝鮮人でも何でも上・中等で威張つて旅行するです、一等が一哩で五銭七厘、三等でも一銭七厘とは余り廉くはないがナニ夫れでも従来に比べると甚だ廉いのである、特に貨物などゝ来ると実は一寸聞く人は誰れでも驚く、一噸一哩六銭乃至十三銭で日本の鉄道に比べると法外に高いが従来は一噸二十四銭以上懸つたから実は四分の一にしか当りませぬ、収入の少くないのも勿論である、特に之まで米なり大豆なりが出たのは皆ンナ川沿ひとか何とか多少運輸の道が付て居る所に限つたものですが、鉄道が出来れば貨物はドンドン殖えるに相違ない、決して貨客のない事などは憂ふるに及びませぬ最《(尤)》も今日の予算では資本に対して二分五厘か三分にしか付かぬのであるがこれは精々コギリ詰めた結果で五年十年の後には断じて国家の補給を仰がぬでも足りる積です、事業としては今儲からぬでも将来の希望さえ立てばヨイのであるが、然し何分日本人の海外事業と云ふものは余り例のない事だから国家の補給を仰ぐと云ふ考です、是はツマリ京釜鉄道の多望なるを知らぬ人に信用の本を与ふるに過ぎないのである
旅等・貨物収入の予算は大躰前に申上ける様の都合ですが、之は単に朝鮮内地の旅客や貨物を目安としての話で、まだ此の外に京釜鉄道をして益々多望ならしむる一つの事情があります、それは外でもない、露国の西比利亜鉄道です、此のごろ新聞で見ると西此利亜鉄道の工事も大分進んで、モハヤ浦塩から莫斯科・聖彼得堡まで汽車・汽船の聯絡がついたとしてある、それに御承知の東清鉄道、即ち此の大幹線から岐れて満州を通つて旅順・大連の方へ出る鉄道ですな、之は露国が夜を日に次で工事を急いで居るから、愈々之が出来上るのも何れ間もない事ですが、愈々之が出来ると西伯利亜鉄道の出口は浦塩ではなくつて、旅順・大連となるのは言を要さないが、然し愈々此の鉄道が出来たなれば、奉天から朝鮮の義州までは六七十哩もありますが、露国の力でやれば何でもない、タツタ三ケ月位で訳もなく出来ませう、現に露国の衛生隊が義州の方面に入り込んだと云ふ話がありますが、露国が義州線に着目して居るのは昨日や今日のことではないので、此の鉄道はキツト間違なしに掛るに相違ない、そふして愈々義州から京城へ連絡した日にはどうでせう、京城から釜山に連絡する京釜鉄道は、京義鉄道と相待つて朝鮮の大幹線となる、イヤ朝鮮の大幹線どころではない、東浦鉄道に連絡し西比利亜線に連絡するところから、之は世界の公道となる、丁度西比利亜鉄道の出口が浦塩から旅順・大連に移つた様に旅順・大連から又々釜山に出口が移るのは断言しても差支ない次第であります、なぜかと云ふと旅順・大連を出口とすれば浦塩よりも近くなり、釜山の方は旅順・大連よりも更に距離が短かくなる、
 - 第16巻 p.396 -ページ画像 
さうすると京釜鉄道は仲々朝鮮一国の鉄道ではない、東西交通の要路であつて世界大幹線の一部であるのだ、旅客は勿論のこと貨物と雖も大部分は此路をとる、行先のことを思ふと此の位有望なる業が又とあるものではないと思ひます、今の所では万事が都合よく進んで居る、何れ会社が成立するのも間はありますまい
 記者曰く右は大三輪君談話の要領を録したるものなるが、或は誤解なきを保せず其の責には記者の任ずる所なり、談は之より軌道の狭広、韓延との交渉、其他幾多の実地問題・技術問題に入る、然れども秘密に属する事項多き由なれば一ト先づ筆を此に止む